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次の日、朝食のためにシェーマスと共に大広間に足を進めたハリーは、大広間中から奇異の視線で見られた。好意的なものと、恐怖を込めた視線が入り交じっていた。
ハリーは真っ先に声をかけてきたコリンやマクギリスをいなしながらスリザリンのテーブルにつくと、ザビニに声をかけた。
「おはよう。昨日はあれから会えなかったけど、無事でよかった。……寝れた?」
「ああ。いい休暇だったよ。お前や大勢の連中にとっちゃ散々だったけどな。まだ入院してて戻れねえやつもいる。だからか、今日は全日休講だってよ」
ザビニは気のない返事をした。食堂の生徒達の多くがデイリープロフィットの朝刊を持っていて、昨日の出来事はここ数年で一番のニュースになったようだった。
「誰も亡くなってはいませんよ、ハリー。記事でもその事は誉めています。現場に居合わせた闇祓いと……現地協力者の功績だと書かれてあります」
アズラエルの言葉に、ファルカスは補足した。
「デイリープロフィットは、自分達の誤報に関する謝罪文は載せていないけどね」
「それは魔法省に指導してもらわないとね。……それよりも、」
ハリー達の周囲には人だかりができていて、朝食を終えたあとも昨日の出来事について聞きたいというスリザリン生が押し掛けてきていた。ハリーはザビニやアズラエルやファルカスともども身動きが取れないありさまだった。
(……まずいな、皆でルーピン先生に挨拶しに行きたいんだけど……)
「なぁ、ちょっと退いてくれないかな。ハリーと会いたいんだ」
ハリーがパンジーに言って人混みをどかして貰おうとしたとき、ハリーたちを取り巻いている人垣が割れたと思うと、ロンとハーマイオニーが現れた。二人を見たスリザリン生はどうしたものかと戸惑っていたが、ハリーは二人を迎え入れた。スリザリン生でそれに異論を唱えるものはいなかった。パンジーですら何も言わなかった。
(昨日操られたことで借りを作りたくなかったのかな)
と、ハリーは思った。スリザリン生はあまりにも仰々しくハリーを祭り上げていたが、そのお陰で手間が省けたと言ってもよかった。
「ハリー、ルーピン先生のこと、聞いたか?ここを辞めるって噂があってよ……」
ロンが心配そうに聞いた。ハリーは答えた。
「ああ、僕もダンブルドアから聞いた。……だから、この後皆で先生のところに行こう。昨日のことや……今まで教わったことにお礼を言いたいし」
六人でルーピン先生の教員室に行こうとしたとき、廊下で慌ててゴイルがハリーを呼び止めた。ゴイルは廊下を走るなとパーシーに注意され減点を喰らった後、ハリーに小包を手渡した。
「これはゾンコのお菓子じゃないか。どういう風の吹き回しだ?」
ファルカスは警戒するように言った。ゴイルはぜえぜえと息を切らしながら言った。
「自分の小遣いで買ったやつだと、封を開けてねえのがもうそれしかなくてよ……なぁポッター。ルーピン先生に、それを渡してくれねえか。俺、あの先生には感謝してるんだ」
ロンやザビニはゴイルに他人に対する感謝や、尊敬の気持ちがあったなんてという顔をした。ハリーは迷わず包みを受け取ると、ゴイルに約束した。
「わかった、必ず渡すよ。……でも、僕は君が直接渡した方がいいと思うけど」
「ドラコの手前、渡せねえよ。人狼を相手にするのはダメだってビンセントが言ってたしよ」
「……そうか」
「でもよ。あの先生にリディクラスを教わって褒められて……俺、はじめて授業が楽しかったんだぜ」
「本当は、直接渡した方がいいのは分かってるけどよ」
ハリーはその葛藤が下らないことだとは思わなかった。ドラコへの義理立ても、ルーピン先生への感謝もゴイルにとってはどちらも大切なものだ。それを止めるべきではないとハリーは思った。
「スリザリン生にとってできないことをやるために、僕みたいな奴がいるんだ。気にするなよグレゴリー」
「……ありがとよ、ポッター」
ザビニはすごすごと去っていくゴイルを見送りながら言った。
「なんつーか、他人への感謝ってやつは大事だな、マジで」
ファルカスは、複雑そうにゴイルが渡した小包を見ていた。
***
ルーピン先生は部屋にいた。『闇の魔術に対する防衛術』の新しい先生はまだ来ていないという話だったが、部屋は丁寧に整頓されていて、ルーピン先生がいたという生活臭は感じられなくなってしまっていた。そして、部屋には先客がいた。双子のウィーズリーやバナナージ、見知らぬレイブンクローの生徒などが、ルーピン先生に辞めないように嘆願しているようだった。そんな生徒達の中には、ダフネの姿もあった。
「ルーピン先生が辞めるなんておかしいです!辞めるなんて言わないで下さいっ!」
「……ハリー、貴方からも言ってあげて」
ダフネはハリーに気付くと、ハリーにそう言った。しかし、ルーピン先生は生徒達に諭すように言った。
「そうはいかない。私は教師をやる資格がないんだ」
「嫌です!そんなこと言わないで下さい!OWLが!OWLが近付いているんですっ!」
先生のローブにすがって泣いているグリフィンドールの女子生徒もいた。
(ノイローゼか……)
ハリーはなぜ試験間近にもなってルーピン先生にすがりついているのだろうかと思った。しかし、それはどうでもいいことだった。
「僕たちもそう思います。先生は、シトレからあの場にいた全員を守ってくれたんです。先生は、防衛術の教師に相応しい人だと思います」
ハリーは、ルーピン先生の心が殺人によって苛まれているとダンブルドアから聞いたことをずっと考えていた。
せめて、ルーピン先生の気持ちが晴れるようなことが言えないかと思って、こんな言葉を言った。
「いいや、ハリー。それから皆。私には、教師の資格がないんだよ」
ルーピン先生がそう言うと、真っ先にロンや大勢の学生が反論した。
「先生が俺たちに教えて下さったことは、ロックハートやクィレルの一年間の何倍もありました!」
しかし、ルーピン先生は、大人の理屈をハリー達に説明した。
「教師はね。なるべく大勢の皆に分かるように説明する人間もいれば、専門的な知識を必要な人にだけ教えようという人もいる。私はたまたま後者だったかもしれない。けれど私は、それ以前の問題で教師失格なんだよ」
ルーピン先生は覚悟を決めていたようだった。
「ホグワーツの教師は、君たちのご両親から君たちを預かっている身だ。だから、君たちが私の授業の内容が分かっていてもそうでなくても、学期末には君たちが五体満足で家に帰れるようにしなければならない。それが教師の最低条件だ」
「先生は、それを満たしておられます」
ハーマイオニーは言ったが、ルーピン先生は首を横にふった。
「昨日、私はウルフスベインを服用して戦った。結果的に君たちを守ることは出来たが、一歩間違えば、敵の手で操られた私が、君たちを襲うことだってあり得た」
双子はその言葉に言い返せなかった。昨日、支配の呪文で操られた記憶を連想してしまったのかもしれなかった。
「それは結果論です。先生が助けて下さったから、今僕はここで立っていられるんです」
ハリーの説得にも、ルーピン先生は頑なだった。
「何より、君たちのご両親は私がここに留まることを望まないだろう。今もホグワーツには、抗議文が届けられている筈だ。……誰も、人狼を子供に近付けたいとは思わないんだよ」
ルーピン先生は笑っていた。それはあまりにも悲しい笑みだった。ハリーにはその笑みに覚えがあった。どうしようもないことを諦めることで、自分を護ろうとするための笑みだった。
ハーマイオニーは唇をぶるぶると震わせ、ダフネは、ぎゅっと拳を握りしめていた。ロンが耐えきれないように言った。
「……でも。……先生が仰ることも分かりますけど、俺、先生を非難する世間はおかしいと思います。あのスネイプが教師をやっているのに……!」
その言葉に、スリザリン生のハリー達は抗議したくても出来なかった。ハリー達の脳裏には、昨日のドロホフの残した毒の言葉が鮮明に浮かび上がっていた。ルーピン先生は、そんなロンに対して厳しく言い聞かせた。
「スネイプ教授は、昨日、ホグズミードの救護班として尽力してくれていた。彼がいなければ、大勢の生徒や大人達が入院していたかもしれない」
ロンは引き下がったが、ファルカスは疑問を投げ掛けた。
「ですが先生。スネイプ教授のやったことは……最低です。許されないことをやっているし、他人を殺したことだってある。被害者のご遺族は今も泣き寝入りしているんです。それなのにルーピン先生が辞めさせられるなんて、不公平です……」
元闇祓いの家系であるだけに、ファルカスも内心ではスネイプ教授に思うところがあったのかもしれなかった。
ハリーですら、スネイプ教授のポーションマスターとしての力量を尊敬してはいても、その罪を尊敬しているわけではない。スネイプ教授を、教師として本気で尊敬しているホグワーツ生がどれだけいるのだろうか。
「ファルカス。魔法界で一度裁判にかけられ、そして司法取引で決着したことをやり直すことは誰にも出来ない。それは君ならばよく分かっている筈だ」
「それはそうですが……でも、ダンブルドアがあの人を教授にしておくのはおかしいと思うんです。あの人が贔屓とかアカハラとか、余計なことをしなければ、僕たちスリザリン生だって嫌われものじゃなかったかもしれないのに」
「それな」
「ぶっちゃけましたね、本音を」
ザビニやアズラエルはファルカスを否定しなかった。ダフネは驚愕したようにファルカスを見て、それから意見を求めるようにハリーを見た。ハリーはこんなもんだよと肩をすくめた。
ルーピン先生はファルカスを気の毒そうに見た後、こう言葉を続けた。
「……それも含めて、スネイプ教授のやり方だ。私からそれにコメントしようとは思わない。……ただ」
ルーピン先生は真摯にハリー達に訴えかけた。
「スネイプ教授は、この一年、私にウルフスベインを煎じ続けてくれた。満月前の7日間飲み続けなければ効果のない薬を、一日もきらすことなくだ。それは想像を絶するような負担と仕事量だった。それでも、彼はそれをやりきった。どうしてか分かるかい?」
「仕事だからですか?」
とハリーが言った。ついでザビニも言った。
「ダンブルドアから命令されて?」
「……ハリーの方が正解に近い。スネイプ教授はね、君たち生徒を護るために、私に薬を煎じ続けた。私のためじゃない。君たち生徒が、私という人狼に危害を加えられないようにするためだ」
ルーピン先生は、スネイプ教授についてこう評した。
「君たちはスネイプ教授のことを、人として尊敬してはいないだろう。だが、スネイプ教授は紛れもなく十年間教師としてホグワーツを過ごし、君たちを護り続けてきた。……教師なんだ」
ハリー達には知るよしもないが、これを口に出すリーマスの葛藤はハリー達の比ではなかった。
スネイプとは殺し合ったのだ。比喩でも何でもなく、本気で互いの存在を否定し合ったのだ。
大切な人たちを殺され、さらに自分の命が奪われないために、ルーピン達も、デスイーターを時には殺害した。そういう絶望を繰り返して気付いた時には、ルーピンは親友を全て喪っていた。スネイプも、共にスリザリンで過ごした仲間を喪っただろう。しかし、スネイプが殺した善人の命は戻らないのだ。
学生時代のスネイプ個人に対するルーピンの後ろめたさがどうでもよくなるほどの怒りと軽蔑と、悲しみと憎しみの上でルーピン達の時代は成り立っていた。その上で、それら全てを取っ払った上で、ルーピンはこの一年のスネイプとの関係を清算しなければならなかった。
スネイプが、誰より真摯にルーピンに義務を果たしたことをリーマスは知っていた。そして、スネイプがかつての行いによる自業自得とはいえ、積み上げてきた信用や生徒からの信頼を喪いかけていることも気付いた。
暗黒時代がハリーの手で終わり、次第に『平和』を取り戻していく過程でルーピンは社会人として仕事に就いてきた。しかし、社会からの人狼への視線は冷たく、信用というものを得ることは容易ではなかった。大人にとって仕事をする上で何より必要なものは、魔法の腕や知識ではない。周囲からの信用なのだ。
それを理解していたからこそ、ルーピンはスネイプを擁護した。『ダンブルドアがそう言ったから』ではなく、スネイプ個人の仕事に対する返礼として、ルーピンはスネイプを擁護した。スネイプにとって余計なお世話であることは承知した上でだ。
「……これから先のことは、次の人たちに任す。私はホグワーツからは、去ることにするよ。……すまない、皆」
最後にルーピン先生はそう頭を下げた。ハリー達はそれを受け入れた。その代わり、一人一人がルーピン先生へのお礼と、感謝の気持ちを伝えた。
「闇祓いになってみせます。そのときは、ルーピン先生に教わったんだって言います」
ファルカスはそう言ってルーピン先生と握手した。
「私、パトロナスを自力で使えるようになってみせますから」
ダフネはそうルーピン先生に約束した。
「実は僕、夏休みの予定が空いてるんです。家庭教師になっていただけませんか?」
「えっ……何それずるい……」
「アズラエル、本当か!?この流れでそれを言うのか!?」
アズラエルの言葉に、流石のハリーも突っ込まざるをえなかった。人のことを言えた義理ではないが、人狼を排斥すべきと主張した男とは思えなかった。
「僕は、人との繋がりを重視するタイプですから」
ルーピン先生は苦笑いしていた。ハリーの番となったとき、ルーピン先生はハリーには返すものがあるので、席を外してほしいと皆に伝えた。ハリーは二人きりの部屋で、まずはゴイルからの感謝の気持ちを伝えた。
「これは、グレゴリー·ゴイルからです。あの子は、先生のお陰で授業が楽しかったと言っていました」
「そうか、彼が……そう思ってくれたなら本当に良かった」
ルーピン先生は本当に嬉しそうだった。ゴイルの渡した包みは菓子類で、偶然にもルーピン先生の好みとも合致していた。
「……僕は、先生から教わったことをまだ実践できていません。闇の魔術なしで強くなることも、リディクラスを習得することも不完全です」
ハリーが言うと、ルーピン先生は穏やかにハリーを諭した。
「焦ることはないよ、ハリー。時間はたっぷりある。君は目一杯青春を楽しめばいい。それが遠回りに見えても、君にとって必要なことだ」
ハリーは強く頷いた。ルーピン先生は、穏やかにハリーに琥珀色の宝石と、そしてマローダーズマップを見せた。
「ハリー。君にこれを返しておこうと思う。それから、この宝石も。私にはもう必要のないものだ」
「……えっ!?いえ、受け取れません。僕にはこんなものは勿体無いです」
ハリーは意味が分からず困惑した。マローダーズマップはともかく、宝石を受け取ることは出来なかった。しかし、ルーピン先生も譲らなかった。
「この宝石は、君の母親が手に入れるべきだったものだ」
ハリーの中で、胸がどくんと高鳴った。母親であるリリー·ポッターについて、ハリーはシリウスやハグリッドから『面白い子』で、『真面目な性格』だったと聞かされていた。しかし、ルーピン先生が母親と親しかったことは全くの予想外だった。
「母をご存知なんですか?」
と、ハリーは尋ねた。自分の知らない母親の一面を知るのは不思議な気分だった。
「私と君の父ジェームズとシリウスと……そして君の母リリーは同期だった。皆がグリフィンドールに入って、一年生の授業の終わり際だった」
「……飛行訓練のテストの前に、エイブリーというスリザリンの生徒が箒を蹴飛ばしていた。リリーは彼を注意し、しばらく口論になった」
ハリーは母をハーマイオニーのような子だと思った。ハーマイオニーと違うのは、クラスにエイブリーという乱暴者がいたことだろうか。
「試験で皆が一斉に箒で飛ぶとき、リリーの後ろにエイブリーがいた。そして私もその後ろにいた。エイブリーは、杖でリリーに魔法をかけて箒を禁じられた森に落とした。私はエイブリーを殴りたかったが、その前にリリーを助けに行かなければならなかった。わたしがリリーを追って森に入ったとき、奇妙なホグワーツ生と出会った。……君もよく知る転入生と」
「じゃあ、先生達も試練を受けたんですね?あの人はやっぱり先生達を……その、ひどい目にあわせたんですか?」
ハリーはわくわくしながら聞いた。リーマスはこくりと頷いた。
(凄い……!)
ハリーは驚いた。一年生の時のハリーが試練を受けたとして、生きて帰れるとは到底思えなかったからだ。ハリーは目の前のルーピンと、そしてかつての母に敬愛を抱いた。
「リリーと二人で本当にひどい目にあったよ。人生でこれ以上はないくらいにね。私はみっともなくべそをかいていた。だが、リリーは諦めなかった」
「……勇敢だったんですね、僕の母さんは」
「ああ、そしてとても頑固だった。一度言い出した意見はなかなか変えなかったし、気も強かった。君とよく似ていたよ」
「そう言われたのはこれがはじめてです。皆、僕と父さんのことばかり言いますから」
ハリーとルーピン先生との会話は弾んだ。ルーピン先生と母のエピソードは、ハリーにとって何か今までにない新鮮さがあった。
「リリーは転入生にやられても挫けなかった。何度も立ち上がってお喋りを繰り返して、とうとう転入生が折れた。転入生は寂しがり屋で、人が来たことが嬉しかったのだろう。リリーと私に、二つ揃うと距離が離れていても通信できる宝石、ジェミニをくれた」
ハリーはじっと宝石を見た。ますます自分が受け取ってはいけないような気がした。
「……でも、これは先生の思い出の品なんですよね?だったら……」
「私はリリーのおまけで貰っただけだよ、ハリー。リリーは卒業するときにジェミニを転入生に返したが、私は返しそびれた。というよりは、その頃にはトランクの中にしまいこんで宝石のこと自体忘れてしまっていた」
ルーピン先生は過去を懐かしむように言うと、ハリーに聖石を持たせた。
「これを持っていれば、転入生と話すこともできる。彼女の知識には偏りがあって、知っていることも知らないことも多いが、君や君の友達にとってはきっと役に立つ。君が持っていておいてくれ、ハリー。リリーもそれを望んでいる筈だ」
「……ですが、先生」
「……時々でいい。気が向いた時でいいから、彼女の話し相手になってあげてほしい」
ルーピンは、転入生の為にもハリーに持っておいてほしいと言った。ハリーにとって、転入生はまだまだ謎が多い存在で、学ぶことも多い相手だった。ハリーは最終的に、ルーピンからジェミニを受け取った。
「……分かりました。大切に使います、先生。……あの、このマローダーズマップを僕が持っていていいのですか」
マップには、プロングズ、ムーニー、ワームテール、パッドフットという文字が浮かび上がっていた。ハリーはプロングズという綴りに聞き覚えがあった。
「これも、本来なら君が持っておくべきものだ。これを作成したのは、君の父さんなんだ」
ルーピンは肩の荷を下ろすように言った。ハリーの脳裏に、昨日のできごとが甦った。
「……プロングズ……?」
「暗号でね。プロングズというのは、君の父親のことだ。ムーニー(月)は私。パッドフットは、シリウス·ブラックのことだ」
「……先生はシリウスとも親しかったんですか?」
ハリーが言うと、ルーピン先生は頷いた。
「……ああ、そうだ。そして、最後の一人が裏切り者だった」
「ピーター・ペティグリュー……」
ルーピン先生は何か言いたそうな顔をしたが、口をつぐんだ。
(ピーターは、ピーターはどんな……)
ハリーはそれを聞こうとして思いとどまった。聞いてどうしようと言うのだろうか。闇の魔法使いというものがどれだけ残酷で身勝手なものか、ハリーは知っている。ましてやピーターはハリー自身の手で投獄されていて、ハリーとはもう無関係の存在だった。
「君のお陰で、真実が明らかになった。ハリー、君は、本当に凄いことをやってのけた」
そんなハリーを励ますようにリーマスは言った。ハリーは素直に頷いたあと、訂正した。
「ピーターを見抜いたのは僕のペットです」
「そうだ。そうだった」
ハリーは湿っぽくなった雰囲気を変えたかった。そこで、努めて明るい声で聞いた。
「ぼくの父さんについてはシリウスから散々聞いてるんですけど、ルーピン先生にとってはどうだったんですか?」
「……そうだな。君の父さんは……ジェームズのことは最初、私は嫌いだった。デリカシーのないやつだと思った」
「えっ、そうだったんですか?」
ハリーの胸は少し傷ついた。
「最初だけだったけどね。当時の私は、持病が周囲に発覚するのが怖かった。……正確に言うと、持病が発覚して人間関係が変わるのが怖かった。だから誰とも親しくしているようでいて、実は友達のいない暗い人間だった」
ハリーは学生時代のルーピンの姿を想像した。グリフィンドールのなかでハッフルパフ生のような振る舞いをする生徒だと思った。
(なるほどそれは浮くだろうなぁ)
とハリーは思った。よくも悪くも、周囲に壁を作らない生徒が多かったからだ。
「だが、ジェームズは違った。わたしが嫌だといっても踏み込んでくる奴でね。それを最初は鬱陶しく思ったが……一週間もすると、わたしが本音で話せるのは、ジェームズだけだったことに気付いた」
「本音でですか」
ハリーはリーマス寄りの思考回路だった。リーマスの言葉に共感した。
「今でも思うよ。もしもあの時ジェームズが声をかけてくれなかっなら、私には人生で一人も友達が居なかっただろう。きっと、今この場所にも居なかった」
ハリーはこれまで、シリウスからもジェームズのエピソードを聞かされていた。そしてリーマスの言葉を聞いたとき、父親への敬意が高まるのを感じた。ハリーにとってのザビニやロンが、ルーピン先生にとってのジェームズだったのだとハリーは思った。
「……君の父は、私を救ってくれた。ハリー、君にだけは話しておかなければいけないことがある。他言無用を、杖に誓えるかい?」
「!?……誓います、先生」
ハリーは不意打ちではあったが、父の話をもっと聞きたいという思いに囚われていた。リーマスは、ハリーに断片的に話を聞かせた。都合の悪い部分は端折って。
「……私は、満月の夜に他人を殺しかけたことがある。相手はスネイプ先生だった」
「……えっ!?」
ハリーは動転した。先ほどまでの、暖かく微笑ましいエピソードからは信じられないほど血生臭い話だった。
「満月の夜には、私は理性を保っていられない。当時は脱狼薬もなかったからね。満月の夜になると、私は一人でホグズミードに行き、叫びの屋敷で夜を過ごしていた」
「じゃあ、あの屋敷の怪物は」
「私だよ。……しかし、私が夜には抜け出すことに疑問を持った人もいた。当時のスネイプ先生は、私が危険な病気を患っているとは思ったが、人狼であるという確証はなかった。だから私の後をつけて、理性をなくした私に襲われかけた」
「……!!」
ハリーは絶句した。スネイプ教授にとってはあまりにも理不尽な仕打ちだった。
「だが、ジェームズがわたしを止めてくれた。ジェームズはスネイプを救い、彼をホグワーツまで連れ帰った。ジェームズがいなければ私は居ない。そして、スネイプ先生は、この過去があった上で私に対して最後まで力を尽くした」
最後に、ルーピン先生は言った。
「君の父さんは本当に立派な人だった。私の正体に気付いても態度を変えなかった。今の君と同じように」
(……いえ、僕は……)
そんなことはありません、とルーピンの言葉を否定したかった。ハリーはもっと狂暴で、残酷だった。同じ状況なら、ルーピンを殺害してスネイプを救うことを躊躇わなかったかもしれなかった。
しかし、それは出来なかった。ルーピンの瞳から伝わる期待が、シリウスからかけられるそれと酷似していたからだ。ルーピン先生はハリーの気持ちを知ってか知らずか、ハリーに念を押して言った。
「ハリー。私がこんなことを言えた義理ではないが、スネイプ教授のことを信頼して、彼の言葉に耳を傾けてほしい。彼の過去に、君が怒りや軽蔑を感じるのはわかる」
ルーピン先生はそこで言葉を区切った。
「……だがそれでも、今の彼は、大人として責任を果たそうとしている。それを覚えておいてほしい」
「はい。ルーピン先生。僕は杖と……」
ハリーはそれだけでは足りないと思った。
「……僕自身の心と、スリザリンの名誉に懸けて、スネイプ教授を信じます」
「……ああ。良かった。安心したよ」
ルーピン先生は静かにそう言うと、立ち上がった。ハリーはもうこれでルーピン先生とお別れかと思うと、名残惜しい気持ちになった。しかし、リーマスは部屋を出ていく前にハリーに向き直って言った。
「ハリー、また会おう。今度はもっと広い世界で。成長した君に会えることを楽しみにしているよ」
「……今度は、先生に友達のことを奴隷だなんて感じさせませんから」
ハリーは深くお辞儀をして、ルーピン先生を見送った。そして今度こそ、本当にハリーはルーピン先生の教員室に一人残された。ハリーはしばらくその場で考えこんでいた。
自分とは異なる父の偉大さと、大人というものの複雑さ。そして、自分がどうすれば、父を越えられるのだろうかと。
ハリーは父や母から護られたことが間違いでなかったと証明できるほどに、偉大な存在になりたかった。
だからこそ、ハリーは父の選択したグリフィンドールではなく、自分の才能と野心に従ってスリザリンを選んだ。そして、その選択が正しいと証明するためには、ハリーは力と、心を身に付けなければならないのだ。ハリーの心には渇望があった。その渇望は、闇の魔法使いのそれにもよく似ていた。ほどほどであれば向上心として己を高めることもできるが、度が過ぎれば、シトレのような破滅が訪れるだろう。
リリーとかいう乙女ゲーの主人公。
リーマスはシリウスにも恩があるからね、全部は言えないんだよね。