蛇寮の獅子   作:捨独楽

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認めてはならないもの

***

 

 ハリーとファルカスがトンクス先生の教員室を訪れたとき、中には先客がいた。黒髪のハンサムなハッフルパフ生、セドリックの姿を見てハリーは少し驚いた。

 

「やあ、元気そうだね、ハリー、ファルカス。ホグズミードでの疲労はもうないのかい?」

 

 セドリックは普段通りに声をかけてくれた。

 

「はい、僕は全然大丈夫です」

 

 と、ハリーは言った。

 

「セドリック先輩はどうしてトンクス先生の部屋に?」

 

 というファルカスの質問に、セドリックは

 

「OWLの試験で出そうな問題を聞いていたんだ」

 

 と言った。

 

 

 セドリックは、ハリーの救援に駆けつけてくれた恩人だった。現場ではロンとハーマイオニーの盾になってくれたことをハリーは覚えている。ハリーはセドリックにも深く感謝していた。

 

 セドリックを見てハリーはほっとした。あの出来事のあと、周囲は過剰にハリーを持ち上げるようになった。与えられる称賛はハリーの中で濁り、暗い喜びが生まれてはいたが、セドリックがバナナージやガーフィールと同じように、それまで通りにハリーに接してくれるのはありがたかった。そのお陰で、ハリーは自分を戒めることができたからだ。

 

「セドリック先輩がそんなことを仰るなんて、ちょっと意外ですね」

 

「フェアに自分の力だけで挑戦されると思っていました」

 

「僕は聖人君子じゃないよ。試験を突破できるかどうか不安で眠れないこともあるんだ」

 

 ハリーもファルカスも、セドリックの言葉がジョークなのか本気なのか分からなかった。セドリックはハッフルパフ生らしく、裏道は使わず堂々と勝負に挑むタイプだと思っていたからだ。

 

 

「まぁお二人さん、そろそろ座りなよ。ファルカスは闇祓い志望だったね?セドリックも聞いてくかい?あたしは闇祓いのネタとかちっと話せるぜ?」

 

 トンクスは上機嫌で椅子を指し示した。ハリーはセドリックと並んで座り、ファルカスは近くの肘掛け椅子に腰掛けた。

 トンクスの陽気さにハリーは戸惑いを覚えていたが、ファルカスも同じように感じていたらしい。ブロンドの髪が不安そうに揺れた。

 彼女は、ハッフルパフ生には珍しいくらい自分の感情を率直に表現するタイプの女性だった。ハリーはトンクスのことを、まるでグリフィンドール生みたいだと思った。大人の筈だが、学生と見まがうほどハリー達との距離が近いのだ。その気安さはグリフィンドール的だった。

 

「セドリック先輩も、闇祓いを希望されているんですか?」

 

 ファルカスは興味深そうにセドリックに尋ねた。

 

「いや、正直に言うと迷っているんだ。だから参考までに聞いておきたくてね。ファルカスは闇祓いになりたいんだね?……ああ、そうか。君なら闇祓いに向いていると思うよ」

 

「ありがとうございます!僕もセドリック先輩なら闇祓いにだってなれると思います」

 

「ありがとうファルカス。嬉しいよ」

 

 と、セドリックは言った。ハリーはそんなものか、と思った。闇祓いの仕事が魔法使いのなかで別格の扱いをされていることは確かだった。

 

 

「んじゃ、前置きとして闇祓いについて説明しとくぜ?メモの準備はいいかい?」

 

「用意してきました」

 

 とハリーは羽ペンと羊皮紙を鞄から取り出した。熱心でよろしい、とトンクスは答えた。そして、ハリー達に説明を始めた。

 

 

 闇祓いは、NEWT試験を優秀な成績で突破した上で、二年の訓練を受け、資格を取ってはじめて配属となる。仮に七年生が魔法省の面接で闇祓いを希望したとしても、六月のNEWT試験で優秀な成績を修めなければ闇祓い候補になることすらかなわないとトンクスは言った。

 

「ここまでが一般常識ね。二年の訓練の間、候補生達はふるいにかけられて振り落とされ続ける。あたしの時は最後まで残った同期はあんまりいなかったかな。教官が鬼だったしね」

 

「ふるい落とされて落ちた人はどうなるんですか?」

 

「それは、ホグワーツにいたときのNEWTの成績次第。つまり、七年生での順位だね。その順位順に希望を出して、そいつの能力が希望部署の基準を満たしていて、かつその部署に空きがあれば魔法省のどっかに配属されるよ。ま、民間に行く奴も多かったけどね」

 

 トンクスの説明は分かりやすく明快だった。ハリーはメモを取りながら聞いた。

 

「民間に就職ですか、どうして民間なんですか?」

 

「給料とか待遇とかを考えてそっちに行く奴も多いよ。闇祓い候補になれるって時点で、変身術とか薬学とかの必要な専門知識はあるわけだしね」

 

「トンクス先輩の時の同期の人もそうだったんですか?」

 

 ハリーはちょっと、わくわくしながら聞いた。闇祓いを目指すということの大変さを改めて聞いて、ファルカスはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「ん。同期でもわりと成績がいいやつもいたけど、そいつらは残らなかったな。あたしは七年生で三位だったのに、繰り上げで一位になっちまったよ」

 

 トンクスの話は嘘もあった。実際のところ、闇祓いに必要な資質は成績だけではなかった。それを見極めるための訓練期間と資格取得後の先任闇祓いとの二人一組での任務なのだ。しかし、トンクスはそこまで明かすつもりはなかった。部外者に開示していい情報とそうでない情報の区別はついているのだ。

 

「先生。闇祓いに必要な資質はなんですか?強い正義感ですか?」

 

 と、セドリックが尋ねた。

 ハリーはちょっとドキッとした。ハリーは、自分がそういう資質に欠けていることを知っているからだ。ハリーの夢はダンブルドアを超えるような、賢者の石を作れるような錬金術師で闇祓いではなかったが、ドロホフや闇の帝王がハリーを狙ってやってくるなら資格だけでも取っておいて損はないとも思っていた。

 しかし、トンクスは首を横に振った。

 

 ハリーはホッとしたが、続く言葉でまた緊張した。

 

「資質はね、持ってるものじゃなくて磨くものだよ」

 

 セドリックもファルカスも緊張したように見えた。当たり前のことだけに、その言葉には重みがあった。

 

 これは、トンクスが占い学で培った会話術だった。彼女はうまく人を引き付けられるように、一言で巧みにハリー達を引き込んだ。そして、曖昧でどうとでもなる情報を伝えてハリー達を煙に巻いた。

 

「忠実さ、勇気、知性、そしてズル賢さ。ホグワーツではそのどれか一つあればいいけど、社会に出たらその全部。場合によってはそれ以上のものが必要になる。まずはそれを磨くことだね」

 

「全部ですか。大変ですね……」

 

 ハリーは意外な思いで言った。

 

 トンクスの言葉には四寮制に対する少しの批判と、それ以上の実感が込められているように思えたからだ。

 

「心に留めておきます、先生」

 

 とセドリックは言った。そして切り込んだ。

 

「先生から見て、僕は闇祓い足り得るでしょうか?」

 

 ハリーにはセドリックの気持ちが分かった。これから話すことこそ重要な内容だと分かっていたからだ。ハリーも知りたかった。トンクスが闇祓いとして人をどう評価しているのかを……闇祓いになりたいかどうかに関わらず、知ることは大切だった。

 

「それを見極めるのはあたしじゃなくて、もっと上の仕事だね」

 

 しかし、トンクスから続いた言葉はまたしても意外なものだった。

 

「闇祓いの適正は上が判断する。あたしら、現場にいるもんにできるのはせいぜい推薦状を書くことぐらいだよ」

 

 トンクスは机の上のマグカップを手に取り、冷めた紅茶を飲み干した。そして空になったマグカップを机の上にとん、と置いて話を続けた。

 

「闇祓いは常に不足してる。試験や面接にパスして訓練施設に入所できる奴すらほんのひと握りだ。そこからまたふるい落とされて現場で使い物にならねえと判断されたやつは、暗に転職を勧められる。ま、どの世界でもあることさ」

 

「暗に転職を勧められる、ですか?」

 

 とハリーは恐る恐る聞いた。トンクスの言い方ではまるで事実上のリストラがあるかのようだった。

 

「そうさ」

 

 とトンクスは言った。セドリックやファルカスの顔を見ても、二人とも驚いていなかったので、ハリーが知らなかっただけで魔法界では有名な話なのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは別として……。

 トンクスはさらに事実を言った。これを口に出すのは、トンクスなりの優しさだった。シトレのように現実と理想とのギャップに折れる前に、そういうこともあると理解させるのも悪くはないと思ったからだ。

 

「闇祓いはぶっちゃけきついよ。人の嫌な部分をダイレクトに見なきゃいけないし、闇祓いが出るような案件はほとんどで、犠牲になった方がいる。そういう日常に耐えるんだ」

 

 ハリーは、自分の隣に座るセドリックの顔を見られなかった。ファルカスも、難しい顔をしていた。

 そして、トンクスはぱっと笑って言った。

 

「でも、目の前のあたしを見れば、そういう生活もそう悪くないってことは分かるだろ?あたし達が頑張れば頑張った分だけ、ひどい目に遭う人間は減るんだ」

 

「その通りです」

 

 とハリーは言った。ハリーはセドリックを見た。セドリックは微笑んでいた。

 トンクスは、ふっと視線をどこか遠くにさまよわせた。

 

「今でこそ闇祓いだけど、あたしだって最初からそれを志望してたわけじゃないんだよ」

 

「先生がですか?」

 

 とファルカスが聞いた。ハリーはセドリックと顔を見合わせ、それからすぐに二人とも視線を自分の手元に落とした。トンクスの身の上話は興味深いものだったが、どう反応していいか分からなかったのだ。

 

「あたしはね、昔はそりゃもうおバカだったのさ。だから自分のやりたい仕事なんて今のファルカス……三年生くらいの時は考えてなかったし、五年生の時も曖昧だった。だから、あんたら学生はじっくりと悩んでいろんな人の話を聞いて考えればいいさ。時間はたっぷりあるんだからね」

 

 それはトンクスの嘘だった。

 

 

 トンクスが闇祓いになりたいと思ったきっかけは、自分の父親、テッド·トンクスを純血主義の阿呆どもから守りたかったからだった。

 

 テッドはマグル生まれの優秀な魔法使いだった。マグル生まれのハッフルパフ生だった彼は、ブラック家の魔女アンドロメダと恋に落ち、駆け落ちしてニンファドーラが産まれた。そして、純血主義者達は二人を許さなかった。

 

 アンドロメダの父親は、娘を連れて駆け落ちしたテッドを始末するようデスイーター、ひいてはヴォルデモートに求めた。アンドロメダの父は、娘には純血主義者としてのまともな人生を歩んでほしいと望んでいたのだ。

 

 ハリーによってヴォルデモートが打ち倒されるまでの間、トンクスは友達が出来たことはなかった。引っ越しを繰り返し、マグルの子供と仲良くなっては別れを繰り返す日々に、幼いトンクスの中で純血主義に対する違和感が育まれていった。漠然と、悪い連中を懲らしめる仕事について、父と母を守りたいと思ってトンクスは育ったのだ。

 

 実際のところ、闇祓いはトンクスの父母を優先して守るわけではない。

 

 ニンファドーラの裏切りを阻止するために一般的な範囲での防護措置は取られているし、任務によってニンファドーラが死亡した後には遺族年金も振り込まれる。しかし、目の前に命の危機に陥っている無辜の市民が三人いるなら、たとえ両親が殺されそうになっていても見知らぬ三人を優先する。闇祓いとはそういう仕事なのだ。そして、それを明かすことはトンクスはしなかった。

 

 

「さ、他に質問があるかい?言ってみな」

 

「……トンクス先生。支配の呪文(インペリオ)への対抗手段を教えてください」

 

 ハリーはそう切り出した。ファルカスとセドリックは、意外そうな目でハリーを見た。

 

「!……なるほどね。うん、それは必要だ」

 

 と、トンクスは面白そうな顔をした。

 ハリーは内心びくびくしていた。トンクスがホグズミードにいたとき、ハリーが闇の魔法を使おうとしたことがばれていないことを祈りながら、拙いオクルメンシー(閉心術)を使った。

 

 

 ハリーはファルカス達から、インペリオの連鎖の話を聞いた。インペリオにかかった人間が、インペリオを……つまり、闇の魔術を他人に使う。自衛のために闇の魔術を覚えた人間も、ひとたび操られてしまえばそれを他人に向けてしまう。ハリーはそれが恐ろしかった。自分がザビニやロンや、無関係の他人を殺害する可能性は潰しておきたかった。

 

「ハリーが操られるなんてあり得ないよ!」

 

 ファルカスは立ち上がって言った。

 

「僕もそう思う。けど、やっぱり自衛の手段を知っておくに越したことはないよ」

 

 セドリックはファルカスを宥めて席につかせた。ファルカスはセドリックの言葉に言い返そうとしたが、落ち着いて座った。

 

(……過大評価だよ、ファルカス)

 

 ハリーは内心でそう思った。自制心の強い人間ではないと、ハリーは自分で自制心がないことを自覚していた。ダンブルドアからも、転入生からも、散々指摘されてきたことだ。自分がもし操られでもすれば、碌でもないことになるのは目に見えていた。ハリーは闇の魔術が使えるのだから。

 

「よし、じゃあ教えてあげよう。と言っても、インペリオはあらゆる呪文のなかでもっとも恐ろしい魔法だ。対策は万能じゃない。それでも聞くかい?」

 

「お願いします、先生」「はい、聞きたいです!」「ぼ、僕も……」

 

 セドリックが真っ先に頷き、ハリーは大きく首を縦にふった。二人が賛成したのを見て、ファルカスも頷いた。

 

(もしかして、ファルカスは対策を知っていたのかな)

 

 ファルカスは闇の魔術への知識もある。対抗手段を知っていたのかもしれなかった。

 

 ハリーはちょっと悔しかった。

 

 

 トンクスは机の下から大きな本を取り出し、ページをパラパラとめくった。それから杖を取り出して一振りすると、本のページが膨らんで止まり、ハリー達が見ることが出来るようになった。

 

 そこにはルーン文字がびっしりと刻まれていた。トンクスが杖で文字を一つ叩くと、その文字が読み上げられた。

 

「第二十九章。"支配の呪文(インペリオ)" による呪縛を解く方法。支配の呪文を受けた人間は、強い多幸感に襲われる。これを解く方法は三つ。ひとつは術者を打倒する方法。術者の打倒によって呪文の効果は途切れ、被害者に与えられた偽りの幸福感は消失する。もう一つは操られた人を倒す。これでも呪文の効果は解ける」

 

 そして、とトンクスは言葉を続けた。

 

 

「もう一つ。支配の呪文に抵抗する。これは偽りの幸福感に流されない、本人の強い意思、感情が必要となる」

 

 トンクスの目には、強い光があった。ファルカスは思わず言った。

 

「絶対に闇の魔法使いに屈しないという覚悟ですか?」

 

「そう。人間はある程度の苦痛や苦しみには耐えられるように出来ている。けれど、与えられた幸せをはね除けることは難しい」

 

(……!)

 

 ハリーはぎくりとした。自分自身、今の周囲からの賛辞を受け入れて、楽しんでいるのだから。

 

「そういうものに流されないようにするためには、本人のなかで強い目的意識を持つことが必要よ」

 

「目的意識ですか?」

 

「そう。普通に授業を受けてるときと、テスト期間の最中とでは気合いの入り方は違うでしょ?自分の中で、闇の魔術に対抗するための準備を整えておくの」

 

 ファルカスはこくりと頷いた。トンクスの指導は精神論だけではなかった。彼女はさらに具体的にハリー達を指導した。

 

「精神攻撃に対抗するためには、準備が必要。まず第一段階として自分自身のコンディションを普段からきっちり管理しておくこと。睡眠不足や栄養不足、疲労といった体の不調は、精神を蝕み精神力を弱めるからね。まずは、万全の状態を維持する。そして、自分の現時点の体調をしっかりと把握する。それが大前提よ」

 

「でも、戦闘の最中や普段の生活の中で敵はやってきます。万全のコンディションなんてあるでしょうか?」

 

 ハリーの質問に、トンクスは頷いた。

 

「いい質問だね。その通り、敵は万全の状態でこっちを襲ってくれる訳じゃない。言ったでしょ?『自分の現在の体調を把握しておく』って」

 

 トンクスは、教員室に備え付けれられていた黒板にチョークで書き出した。

 

「体調が悪化しているとき、人は抱えている怒りや不安に流されやすくなる。そういう状態であることを把握して、必要なら休んだり、自分自身への褒美を与えて体と心に余裕を持たせるの」

 

「余裕ですか」

 

(そんなものが、闇の魔法使いとの戦いの中であるか……?)

 セドリックは腕を組んでいた。ハリーは理想論だと思ったが、口に出さなかった。

 

 

「本当にきついときはそれすらも難しいけどね。支えになるなにかを一つ、出来れば複数持っておく。それのために、自分はこんなものに流される訳にはいかないと、己を強く保つ」

 

 

(……)

 

 ハリーはダフネのことを思い出した。ホグズミードでの闘いで、ハリーはダフネに闇の魔術の行使を止められた。

 そして、と続けた言葉は、ハリーにとって意外なものだった。

 

「ダメな自分とか、自分の弱いところがどこか自覚して、それを許す。我慢し続けてると、人の心は流されやすくなるんだ。闇の魔法使いはそこら辺に漬け込んでくるからね」

 

「許す?抗うんじゃないんですか?」

 

 ハリーは思わず言った。トンクスの教えは、ハリーのイメージとは真逆だったからだ。

 

「人間、自分にはついつい甘くなる生き物だし、これをやり過ぎても堕落する。だからバランスだね。我慢しすぎて心を壊さないようにストレスを発散したり、自分で出来る範囲の贅沢をしたり。自分で自分をコントロールするんだ」

 

 

「そうやって己自身を管理した上ではじめて、インペリオに対抗するための第一段階が完了する。ここまではいい?」

 

 

 ハリーは納得こそできなかったが、トンクス先生の教えに頷いた。

 

 エクスペクトパトローナムの訓練で、ハリーは自分自身の心をより良い人間としてありたいと思った。結果的にハリーがパトロナムを習得したのは、ダフネと一緒に過ごしたいと思ったからだった。それは間違いなく良いことだったとハリーは断言できる。

 

 しかし、トンクスの教えは、自分の良い面だけではなく欲望の部分、悪い部分も肯定すべきと言っているような気がした。

 

 それも当然の話だった。インペリオへの抵抗訓練はNEWTレベルを大きく超える。魔法を使えればいいというものではなく、最終的には魔法とは無関係の、己自身の意思で抗わなければならない。だからこそ、基本を抑えて抵抗できるように己を育てていくことが必要なのだ。

 

 

 ハリーがトンクスの言葉の意味を考えているうちにも、トンクスの話は続いた。

 

「そうして自分のメンタルを管理してはじめて、インペリオにかけられた状態が不自然であることに気がつく。余裕を持った理性が、本能的な快楽と多幸感への違和感を覚える」

 

 

「自分の心に余裕があるからですね?」

 

 セドリックの言葉に、トンクスは頷いた。

 

「後は、自分にそんなものをかけたやつに怒ればいい。自分自身の尊厳を明け渡してたまるかって、腹の底から思えばいい。卑劣な人間の屑に操られないよう、声に出して叫べばいいさ、『卑怯者』ってね」

 

 トンクスはこう話を締めくくった。

 

「ホグズミードで、闇の魔法使いがどれだけ卑劣でおぞましい連中か言わなくても分かったと思う。これを意識していても、絶対に操られないようにする方法はない」

 

 そうだろうか、とハリーは思った。なにかもっと、確実な解決策がある気がした。それをトンクスは隠しているのではないだろうかとハリーは思った。

 

「それでも、近道がなくても地道にやっていくこと。それが闇の魔術に抗う大原則だよ」

 

「ありがとうございました。すごく分かりやすかったです」

 

セドリックがそう締めくくった。

 

「あの、トンクス先生」

 

 ハリーは自分の疑問を聞いてもらいたくなった。

「なんだいハリー?」

 

「えーと、僕には……闇の魔術に抗うにはもう一つ方法があるような気がするんです……」

 

 ハリーは言葉を濁しながら話した。しかし、トンクスはにっこりと笑って言った。

 

「インペリオに対抗するのに有効なのが『誘惑に耐える』ことだっていうのは有名な話よね。でも、それは抵抗の基本であって、高等手段が存在する。ハリーはそう思うわけだ」

 

 ハリーは頷いた。

 トンクスは肩をすくめた。

 

「それは今のあんたらには教えられないね」

 

(僕は、間違いなく操られないだけの力を身につけなきゃいけないんです)

 

 ハリーはそう思った。しかし、口に出さなかった。それは恐ろしい考えで、己自身の浅ましさを認めるような気がしたからだ。

 

(忘れろ。今思い付いたことは……)

 

 いい加減、ハリーは安易な手法、手っ取り早い闇の魔術から距離を取らなければならないと自分を戒めた。

 

「先生の仰る通りですね。ありがとうございました。行こうか、ファルカス」

 

 セドリックとトンクス先生はなんだか疑わしげな顔をしたので、ハリーは慌てて言い、トンクス先生の教員室を去った。

 

 

「……ハリー。ちょっと話せるかい?」

 

 トンクス先生の教員室を去り図書室に向かうハリーに、セドリックは声をかけた。ファルカスは決闘クラブに向かっていた。

 

「はい、何でしょうか?」

 

 ハリーは答えた。セドリックが自分を呼び止めた理由が分からなかった二人は、人のいなくなった空き教室に入った。

 

「……先輩も図書室に用があったんですか」

「まあね」

 

 とセドリックは言った。そして、声を低くして言った。

「さっき、闇の魔術に抗う方法はもう一つあるって言ったよね?」

 

 ハリーは無言で頷いた。

「どんな方法か教えてくれないかい?君なら知ってるんじゃないかと思って……」

「……なぜですか?」

 

(なんでこの人はそんなことを聞くんだ?)

 

 ハリーの頭の中は疑問符で一杯になった。セドリックはそもそもハリーよりも優秀だ。決闘クラブでの闘いからハリーは腕を上げたし、強くはなった。しかし、それでもセドリックやパーシーのような本物の努力家には勝てないとハリーは思っていた。

 

「……ホグズミードでの闘いのとき、君は闇の魔術を使おうとしたね?君はもしかして、あのときのように闇の魔術を使ってインペリオに対抗しようと思ったんじゃないか?……例えば、インペリオを自分にかけるとか。自分で自分を支配して、敵に操られないようにする……」

 

 それはハリーが思い付いた考えそのものだった。しかし、ハリーはインペリオを思い付いたことを恥じていた。

 

「僕が!闇の魔術なんて!」

 

 ハリーは心外だという風に声を張り上げた。もちろん演技だった。

 セドリックが目を見開いたので、ハリーは一度大きく呼吸して自分を落ち着かせた。セドリックはハリーを宥めた。

 

 

「ホグズミードで、君たちのもとにテレポートしたとき。僕はドロホフやシトレと同じような、異常な魔力と殺気を君から感じた。僕だけじゃなく、ガーフィール先輩やパーシー先輩も気付いた筈だ」

 

 ある程度の力量がある魔法使いならば、閉心術が未熟な魔法使いの使った魔力や意思に気付くことはある。ハリーは苦い思いでセドリックの言葉を否定した。

 

 

「……僕は決して『例のあの人』の一味じゃありません。誓ってもいい。闇の魔術を使おうとは思いません」

 

 セドリックは、ハリーから見て理想的なハッフルパフ生だった。闇の魔法使いを排出した魔法使いが最も少ないという評判通り、品行方正で闇の魔術などとは縁がなさそうな性格をしている。そんな人に、自分の秘密が知られているというのはハリーにとって痛い思いがした。

 

「君を責めてるんじゃない。あの状況では仕方なかったと思う」

 

 セドリックは優しくハリーに言った。

 

「操られていたチョウ·チャンや、他の大勢の魔法使いを止めてくれたのは君だ。僕は君に感謝しているし、お礼を言いたいとも思っていた。……だから、闇の魔術とは距離を置いた方がいい。僕はもう、知り合いが闇の魔術のせいで酷い目に遭うところは見たくない」

 

 それはセドリックなりの厚意だということは、ハリーにも分かった。たいして親しくないハリーにも、公平に手を差しのべてくれたことも。

 

「言われなくても、闇の魔術に手を出すつもりはありません」

 

 

 ハリーは閉心術を使って真っ直ぐにセドリックの瞳を見た。セドリックの灰色の瞳に、少し安心と失望が交錯したような色が見えた。

 

 

「そうか、良かった」

 

「……僕は決闘クラブに行きます。失礼します」

 ハリーは逃げるようにセドリックのところから立ち去った。ハリーの中には、自分に対する情けなさがあった。

 

***

 

 それからの日々は、驚くほど早く過ぎていった。期末テストはハリーにとってはじめての十二科目試験で、ハーマイオニーと共にハリーはその苦難を乗り越えた。

 

 占い学のテストでルーンに関する問題だったとき、ハリーは苦もなく全問正解できたと思った。数占いやルーン文字、変身呪文、そして魔法薬学と厳しい試験をクリアしたハリーの表情は曇っていた。

 

(……Oは、無理かもしれないなあ)

 

 努力はしてきたが、ハリーはハーマイオニーではなかった。明確に何ヵ所か間違えたと確信できる箇所があった。自己採点では、Eを超えていれば御の字と言ったところだった。

 そして、ハリーはトンクス先生が出したDADAの試験を受けた。実技試験は洞窟の中に入り込み、最深部にある合格証を取ってくるというものだった。ハリーの番になり、ザビニやファルカスは後ろから声をかけた。アズラエルは既に試験を攻略していた。

 

「頑張れハリー!」

 

「お前なら楽勝だろ。行ってこいよ!」

 

 ハリーは二人に手を振って洞窟に入る。ハリーは順調に試験を攻略していった。水中に引きずり込もうとする水魔をデパルソで吹き飛ばして水海をグレイシアスで凍らせる。分かれ道はレベリオで安全そうなルートを確認して進み、進んだ道に印をつけておく。時にはレヴィオーソで罠を回避し、多対一の状況に追い込まれないよう警戒する。

 

 ハリーには、洞窟内の闇の魔法生物や罠程度ならどうとでもなる自信があった。しかし、ルーピン先生はハリー達に大切なことを教えてくれていた。

 

『うまくいっている時ほど、警戒心を忘れてはならない。人は安易に早さを求めるが、実戦において、自分の身を守るのは拙速ではなくて、慎重さだ』

 

 ハリーは結果的に、無傷で最深部にたどり着いた。そこでハリーが見たものは、古びたタンスだった。

 

「そんな……」

 

 ハリーは何が来るか察して呻き声をあげた。

 

「そんな筈は…………きっと……何か他の相手なら……」

 

 ハリーはそう自分に言い聞かせるようにぶつぶつ呟いたが、目の前の物から目を逸らせなかった。タンスから現れたのは、バーノン·ダーズリーその人を模写したボガートだった。バーノンは恐怖と怒りに顔を赤らめながら、腕を組んでハリーを見下ろしている。

 

「よくもおめおめと顔を出せたものだっ!恩知らずの気違いめ!」

 

「リディクラス!!」

 

 ハリーの魔法によってバーノンは、ペチュニアのエプロンをつけた姿になった。しかし、バーノンの勢いは止まらない。

 

「おぞましい魔法使いにうちの敷居は跨がせんぞ!出ていけっ!二度とうちの中に入ってくるんじゃあないっ!人を人とも思わぬ犯罪者どもめ!!」

 

(お前達はぼくを人間扱いしてくれたのかよ)

 

 ハリーの中に、バーノンやペチュニア、ダドリーへの怒りが沸き上がる。ハリーは必死に怒りを堪えた。

 

「リディクラス(馬鹿馬鹿しい)っ!」

 

 バーノンの側に、ダドリーと、ペチュニアが現れた。ダドリーはスメルディングズの制服を着ていて、ペチュニアは手塩にかけて(ハリーが)育てた白百合をバーノンに自慢していた。バーノンは笑顔になった。しかし、消えはしなかった。ふたたびハリーの方を向くまで数秒とかからないだろう。

 

(……ダメだ。これ以上はもう……無理だ。)

 

 ハリーはボガートのバーノンにこれ以上杖を向けられなかった。これでダメだったのならば、あとはもうバーノンを傷つけたいという本音を曝すしかないとハリーは思った。

 

 ハリーはフラフラしながら洞窟を出た。自分が洞窟に入った時間よりずっと長く感じられたが、それは精神的な問題だと分かっていた。試験を終えたハリーは、試験を終えた生徒達のいるテントの中に入った。

 

「ダメだった」

 

「えっ、君がですか?調子が悪かったんです?」

 

「いや、実力だよ。君はすごいね、アズラエル」

 

 とハリーがアズラエルに言ったときにはどよめきが上がった。アズラエルは泥まみれになりながらも、見事に合格賞を手にしていた。皆、アズラエルのようにハリーは合格するだろうと思っていたようだった。

 

 ハリーにとっては、それで良かった。ハリーは合格出来なかった。出来なかったことを、今のハリーは認めるしかなかった。そしてそれは、決して悪いことでもないとハリーは自分に言い聞かせた。ロンやザビニやファルカスが合格証を持って出てくるのを、ハリーは笑顔で出迎えた。

 

(……認めちゃいけないことも、世の中にはあるんだ)

 

***

 

 試験が終わり、そしてホグワーツでの日々にひとまずの別れがやってきた。終業式の日に、スキャマンダー先生とトンクス先生がホグワーツを去ることが改めて発表され、生徒達は拍手でもって臨時教員達を送り出した。ハッフルパフが産み出した二人の英雄達は、動揺するハッフルパフ生達の支えとなり、ホグワーツすべての生徒に分け隔てなく接したことから、ほとんどの生徒達から好かれていた。

 

 

 その後、大広間では例によってハリー達は表彰された。ルナは新種の魔法生物に関して多大な貢献があったとして、ダンブルドアから最優秀生徒として表彰された。ついで、ハリーはホグズミードで人々を守った功績を、クラブとゴイルは見事なほど馬鹿馬鹿しいリディクラスを、ザビニは冷静な判断と引き際の良さを、ファルカスは卓越した決闘術と忠誠心を、ロンは自分の身を呈して人を守った勇気を、ハーマイオニーは学年一の知性をそれぞれ表彰され、加点された。スリザリンは大幅に加点されたもののクィディッチでの敗北が響き、優勝には一歩及ばなかった。そしてグリフィンドールがこの年の寮杯を手に入れ、スリザリンの連続優勝記録は途切れた。

 

 ホグワーツ特急の中で、ハリーは先輩達に別れを告げた。

 

「ガーフィール先輩、グリンゴッツへの就職おめでとうございます。フリント先輩も、魔法省で頑張って下さい」

 

「へっ、言うようになったなポッター。だが、本心か?お前内心では俺のことは嫌ってたろ?」

 

 フリントはがしがしとハリーの頭を鷲掴みにして撫でた。それから、ハリーに言った。

 

「俺はお前をクビにしたことを後悔してねえ。今でも間違ってねえと思っている。負けたのはお前の有無とは無関係だったしな」

 

「そうですね」

 ハリーが言うと、フリントは微かにむっとした表情になった。

 

「何より、クィディッチで死人を出さなくて良かった。それだけで俺は間違ってねえと言える」

 

 マーカス·フリントは差別主義者であり、ラフプレーを繰り返す見下げ果てた男だった。人としてそしてスポーツマンとして他寮生から好かれてはいなかったが、それでも譲れない一線はあるようだった。

 

「ハリー。お前もスリザリンもこれから先は大変だろうよ」

 

 フリントから解放されたハリーに、ガーフィールは言った。

 

「寮杯を落としたことでOBOG達はお冠だ。将来いい仕事に就きたいってンなら、お前らの代で勝てるように手を尽くすンだな」

 

「はい。……ガーフィール先輩もお元気で。銀行でまたお会いしましょう」

 

「四年は早ぇよ!てめえの金の管理はブラック氏だろうがっ!」

 

 ハリーにとってスリザリンの何たるかを教えた敬愛すべき先輩達は、寮杯を落としたことを既に乗り越えていた。ホグワーツやスリザリンという狭い世界から、英国魔法界という広い世界で、彼らの闘いは始まるのだ。ハリー達スリザリンの後輩たちは、自分も彼らに続くのだと意気込んでいた。

 

***

 

 

 ハリー・ポッターは自分自身の予想に反して、ほとんどの科目でOという優れた成績を取った。しかし、ハリーが最も得意としていたDADAの試験において、ハリーはEを取った。ハリー・ポッターは、それに対する悔しさと、そして僅かな安堵感を抱えていた。九と四分の三番線から、恐ろしいダーズリー家へとハリーは自分の足で帰っていった。

 

 

 

***

 

「……ハリー・ポッターは試験を突破できなかったか」

 

「……貴方には生徒のプライバシーを守るという概念が無いのですか?ダンブルドア」

 

 ハリーがDADAの試験を突破できなかったことを、ダンブルドアは把握していた。フリットウィックは批難の眼差しで、校長を見つめた。付き合いが長くダンブルドアの悪い面も把握済みのフリットウィックは、一対一の場面であれば多少皮肉を言うこともある。そして、ダンブルドアはそれを望んでいた。

 

「他の科目は出来るのにDADAだけ他の科目よりうまくできない、という学生はスリザリンには多い。よくあることだ。精神面に左右される魔法が多く、単純な学力や理論、身体能力では突破できないものだからだ」

 

 スリザリンの生徒は、多くが父母からのプレッシャーをかけられている。

 

 付き合いをうまくやっていれば大した成績は必要ないと子供に言う父母もいれば、好成績でなければ帰ることを許さないと言う父母もいる。共通しているのは、それらの言葉の多くが精神面で悪影響を与えているということだ。だから毎年、三年目の授業や五年目のOWL試験で成績を落とす生徒が出てくる。精神面での不安定さが土壇場で露出し崩れるのだ。

 

「ハリーは向上心もある優秀な生徒です。必ず克服して、成長してくれる筈です」

 

 決闘クラブの監督であるフリットウィックはハリーをそう擁護した。自分の寮の生徒ではないが、自分や仲間の身を守るために熱心に励む生徒がかわいくないわけではないのだ。

 

「……うむ。その通りだ」

 

 フリットウィックは知らなかったが、ダンブルドアはハリーがどこでつまづいたのか把握していた。ダンブルドアは、ルーピンからハリーのボガードについて聞いていたからだ。

 

 スリザリンで育った混血の生徒の多くは、純血こそ至高という考え方を打ち込まれる。とはいえ多くの半純血の生徒は、多かれ少なかれ純血主義影響を受けつつ、自分の将来のためにそれを乗り越えていく。

 

 そして、両親のどちらかにマグルを持つ生徒、例えばセブルス·スネイプや、ドロレス·アンブリッジのような生徒は、自分の出自を恥じる。そうすることで、悪いのは社会ではなく自分だと思い込むことで、自分を成長させ、正しい社会の一員となれるように努力するのだ。それはスリザリンが抱える歪みそのものだった。しかし、英国魔法会はその歪みを是としていた。マグルと関わり益を得るという柔軟な考えより、なるべくマグルとの関わりを絶っておいた方がマグル相手に余計な問題を起こさずに済む、と考える人間も、多いのだ。

 

 ハリーがバーノンを恐れているのは、幼少期から続く虐待の影響だけではないとダンブルドアは推測した。

 

(ハリーが恐れているのは、マグルに育てられたという己の経歴そのものだ。ハリーのなかで確実に、その事実への劣等感が育っている)

 

(スリザリン生として成長する度に、スリザリンの負の価値観がハリーの中に育っている。そしてそれが彼本来の善なる性質とかち合って不安定になっている)

 

 ダンブルドアはそう推測した。

 

 フリットウィックが、ハリーや多くの生徒達が呪文学でOを取ったことをダンブルドアに自慢しているのを聞き流しながら。

 

(……ハリーを信じるべきか、それともシリウスに懸念を伝えるべきか……)

 

 ダンブルドアは迷っていた。己の介入によって、ハリーのスリザリン生としての芽を摘んでしまうのではないかということに悩み、そしてその悩みを誰にも打ち明けられないでいた。

 

 

 

 

 

 




これにて三年目終了しました。
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