結婚式
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ハリー・ポッターの夏期休暇は、シリウスからの電話によって幕を開けた。それまでの日常は休暇ではなく、端的に言えば飢えとの戦いの日々だった。
ダーズリー家で日常を送ると覚悟してきたハリーだったが、その生活待遇は去年までよりもある意味で悪化していた。ダドリーの体重増加にともない、ダーズリー家ではダイエットが敢行されていた。肥満気味のダドリーやバーノンにとっては適量の食事も、ペチュニアにとってはやや少なめの食事量になる。ペチュニアは元々ハリーに満足のいく量の食事を与えたことはないが、今回は己の食事量の少なさを考えて、自分より惨めな人間がいる方が気が休まると考えたのか、ハリーの食事量も減らした。
ハリーは決闘クラブでの活動で、クィディッチほどではないが代謝が増えていた。ただでさえ成長期の肉体にダイエットは辛いと、ハリーはシリウスに救援を求めた。
そして、最初の電話でシリウスは言った。
「何?ダイエット?」
「そうなんだ。まぁまぁ難儀だよ」
ペチュニアとバーノンが寝静まり、ダドリーは二階の自分の部屋で豚のようないびきをかいている。ハリーは小声で訴えた。
「あいつらはこっそり食べられるからいいけどね。僕は骨と皮だけになりかけてるよ」
「分かった分かった。ハリー。ちょいと早いが、結婚式ももうすぐだ。バーノンにも事前に話は通してある。明日の昼に迎えに行く」
ハリーの胸は高鳴った。明日は大嫌いなダドリーから解放される。そして、夏休みの間ダーズリー家に戻らずに済むのだ。
(……結局今回もダメだった)
バーノンは今回ハリーを押し込めるようなことはなかった。しかし、ハリーとは会話らしい会話もなかった。
ハリーは何度かバーノンと会話を試みたが、その度に頭を過るのは二年前のバーノンの言葉だった。
『こんなことを言う子供ではなかったのだぞっ!』
バーノンの意に沿うような子供らしい行動というのは、ようはダドリーのような振る舞いだ。親に甘え、我儘を通して頼る。そして、自分の気の赴くままに気に入らない同級生や年下の子供を殴る。後者に関して、ハリーはバーノンとペチュニアがダドリーを叱っているところを見たことがなかった。
ハリーは自分が、そんなバーノンと関係を修復したいと本気で思っているのか疑問だった。ハリーは、自分が本当に思っているのは、バーノンのことではない、と思った。
(……僕は彼らを傷つけたい訳じゃない。それは違う。絶対にやっちゃいけないことだ。でも……)
バーノンたちの幸せを心の底から願っているわけでもなかった。ハリーは、そこまで綺麗にはなれなかった。
ハリーは自分は単に、ボガートによってハリー自身の魔法使いとしての人生を邪魔されたくないだけなのではないかと思った。ボガートによって、ハリーはDADAの最終試験を落とした。ハリーが今後夢である錬金術師になるためには、ボガートに対する対処法方を何とかして身につける必要がある。しかし、ハリーのボガートはバーノンなのだ。
(……それは……マグルだからってダーズリー家を差別しておいて、今さら仲良くなんてそれは、虫がいい考えだよな……)
そもそもハリーとバーノンたちの関係は健全ではなかった。ハリー自身は、ハグリッドによって己の秘密を知るまではそれを仕方のないことだと受け止めていたが、ハグリッドに全てを明かされたとき、ダーズリー家の全てを憎んだ。
(この家で僕に与えられた暴力や飢えや無関心は、物置小屋の暗闇は、僕を愛してたからじゃない。僕が化け物だったから、連中は怖がって化け物を遠ざけようとしたんだ)
ハリーはそう認識していた。そこに愛があったなんて思いたくもなかった。だからこそ、魔法使いとして生きていくことがハリーの支えだった。そんなハリーにとって、ダーズリー家での時間は自分にとって無駄だと思った。この家ではまともに宿題も出来ないのだ。
ハリーの頭に、シリウスの妻となるマリーダの言葉が過る。
『スリザリンの人間として恥ずかしくない行動をしろ』
スリザリンのOGであるマリーダはハリーにそう言った。ハリーは、共に過ごした期間は僅かでしかないが、バーノンやペチュニアよりはシリウスやマリーダに愛情を感じていた。ハリーが命の危機にある時、彼らは己の身を呈してハリーのもとへ駆けつけてくれたのだ。
シリウスの妻となるマリーダはスリザリンで育ちながらマグルの社会で仕事をこなし、シリウスとの結婚まで漕ぎ着けた。マリーダがマグル差別をしていたとは思えなかった。彼女は、マグルを害さないように己を律してマグルの中で振る舞うことで己自身を守った。それこそが、スリザリン生らしい狡猾さなのではないかとハリーは思った。
(スリザリンの教えを表面上だけで捉えて、マグルを差別してよいと思ったのは僕自身だ。甘かった。本当に)
ハリーはスリザリンの教えを、単なる自分自身への甘えとして使ったのだ。差別しておいてその上、自分のために関係を修復したいなど、うまく行かなくても仕方ないのだとハリーは思った。
***
「お久しぶりです、皆さん。……ハリー。迎えに来たぞ!」
翌日、十一時過ぎに、シリウスはハリーを迎えに来た。ダドリーはその場に居らず、ハリーとペチュニアが台所で昼食の準備をしていただけだった。ハリーはペチュニアに視線を向けた。彼女は、ハリーの方を見向きもしなかった。
「それではペチュニアおばさん、失礼します。……短い間でしたがお世話になりました」
ハリーは事務的に頭を下げた。ペチュニアは返答しなかった。
ハリーの準備はすでに出来ていた。ハリーは自分の荷物を持つと、玄関に向かった。シリウスは、玄関先でぽつんと待たされていた。
「君が来るのを待ってたよ。……バーノンもペチュニアも、会ってはくれないようだ」
シリウスが残念そうに言った。ハリーは皮肉な笑みを返した。
「お互いにとってその方がいいんだよ、きっとね」
ダーズリー家から離れられることもあるが、それ以上にハリーにはシリウスに会えることが嬉しかった。ハリーは何一つ未練なく、魔法の世界へと戻っていった。
シリウスはサングラスをかけ、自分の表情をハリーに見せないようにした。内心ではダーズリー家に文句の一つも言いたかったが、ハリーの前ということで自重したのである。シリウスは自分が短気であることを自覚していた。ハリーの前で、激怒した姿を見せたくはなかった。ただでさえハリーは思春期の不安定な時期なのに、マグルへの差別心を植え込みたくはなかったのだ。
「やはり少し痩せたな。……食べるか?」
「ありがとう。腹ペコだったんだ」
シリウスの車に乗り込んだハリーは、フィッシュアンドチップスを頂いた。ベタついた油と酢の風味はハリーの胃を刺激し、ハリーははじめて暖かい気持ちで景色を見ることが出来た。
『おお、今度は屋敷かぁ。まったくせわしねえなぁ』
『苦労をかけるねアスクレピオス。でも、君が気に入りそうな落ち着いたところさ』
ハリーは愛蛇のクスシヘビ、アスクレピオスを撫でながら、プリベット通りの閑散とした家をあとにした。
***
シリウスとマリーダとの結婚式には、マリーダの父や、マリーダの親類であるビスト家の人間が参列して、ささやかな式を挙げた。新郎側の親類は全滅していたので、親友であるリーマス·ルーピン氏がその役をこなした。ハリーの友人たちやその親も来ていた。新郎側の親族として登場したリーマスに子供たち全員が驚くなか、ハリーとリーマスは、笑顔での再会を果たした。
「やぁ、ハリー。……約束通り、広い世界で会えたことになるかな?」
「ここに来るなら仰って下さればよかったのに!」
「いや、すまない。驚かせたかったのでね」
ハリーの預かり知らぬところではあるが、実は、式には魔法界の人間の他に、マグルのダーズリー一家も招待されていた。しかし、ダーズリー一家は魔法使いと関わることを拒んだ。シリウスは己の不徳の致すところとマリーダに詫びていた。マリーダは仕方ないと笑って許した。
『きっと彼らはシリウスでなくても関わろうとはしなかった。廻り合わせが悪かった。それだけのことだ』
マリーダはシリウスよりかなり若く、現在の年齢は二十七歳だった。間違いなく純血とされ、全盛期よりは落ち込んだものの資産も名誉もあるブラック家の当主と、(自称)純血一族の茶髪の魔女の結婚は世間を騒がせたが、二人の関係は良好だった。デスイーターを相手にして共に死線を潜ったことからもそれは明らかだった。
式が執り行われ、参列者と新郎新婦は親しげに談笑をかわす。マリーダが真っ先に話しかけたのは、シリウスの親友であるリーマスだった。二人は人気のない場所で話し出した。
「久しぶりね、リーマス」
「ああ。元気そうで何よりだ、マリーダ。ここ最近、あれほど嬉しそうなシリウスを見たのははじめてだった。あなたの力だ」
リーマスがマリーダに握手を求めた。マリーダはそれに応えた。二人はしばらく話し込んだあと、マリーダが踏み込んだ話をした。
「……シリウスを本当に元気付けたのはハリーなのではないか、と思うときがあります。彼は、ハリーと会ってからとても幸せそうだった。生き生きとしていました」
「……」
(あいつ……)
「気のせいですよ。結婚式前に式を成功させられるか憂鬱になるのは誰でもあることですし、逆に式が近付いて元気になるのもままあることです」
リーマスは、マリーダの言葉から不穏な響きを感じ取った。リーマスの言葉に、マリーダは首を横にふった。その不安を裏付けるように、マリーダは言葉を重ねた。
「シリウスの親友であるあなたにお伺いしたいのです。……私は、彼から自分のパトロナスはグリムだと聞いていました」
リーマスの嫌な予感は的中した。マリーダは優れた魔女であり、勘もよい。彼女は、シリウスのパトロナスが本来のそれと違うことに気づいたのだ。
「彼のパトロナスを、先日のホグズミードの一件であなたもご覧になりましたね?」
「ええ、確かに」
リーマスは認めざるをえなかった。あの場でプロングズを見たのは、紛れもない事実だった。これを否定しても意味はない。マリーダは必ずそこに何かあると確信するだろう。
「あれは、私の目には牡鹿に見えました。……あなたは牡鹿の魔女に心当たりがおありですね?」
「いいえ」
リーマスの言葉に、マリーダは目を見開いた。
シリウスの想い人が魔女であれば、どれ程よかっただろうとリーマスは思った。異性を思って、パトロナスが変化するのは誰にでもあることだ。
しかし、マリーダは唇を震わせていた。
「……騎士団に所属しておられた魔女に、マーリン·マッキノンという方が居られました。そうでなければ、……リリー·ポッター……」
リーマスは、マーリン·マッキノンという魔女を知っている。それはリリー·ポッターの親友であり、先の内戦で死亡した魔女だった。
マーリンにすべての罪を押し付けてマーリンを悪役にするか、リリーを悪役にするか。リーマスが選んだのは、そのどちらでもなかった。
「二人とも、牡鹿ではありません」
「ならなぜ……彼は……」
マリーダが震える声で言った。リーマスはかける言葉がなかった。それでも彼女は真実を知ろうと懸命だ。そこには確かに愛があるのだ。そして、彼女は真実にたどり着いた。
「では……まさか……いえ。やはり、そうなのですね?……あの牡鹿は、ジェームズ・ポッター氏なのですね?」
「いいえ!違う。それは違う」
リーマスは即座に否定した。その言葉を聞いたとき、マリーダの瞳が一瞬悲しげに揺らめいたのを、リーマスは見逃さなかった。だが、リーマスにはマリーダの言葉を肯定することは出来なかった。
「あれは……あれは、ジェームズではありません。現在のシリウスそのものです!」
リーマスは賭けに出た。親友の幸せを願うものとして、若い新婦を絶望の底に落とすことはできなかった。
「ジェームズは死にました。あれからもう……十三年も経っています」
「……ですが、ジェームズ氏は牡鹿なのですよね?」
「そうだとしても……シリウスはシリウスに他なりません。彼は……シリウスはシリウス以外の何者でもない。それは間違いないことです。彼のパトロナスは彼自身の本質を示すものです。それが黒犬ではなく牡鹿に変わることに、何の不自然がありますか?たまたまそうなった。それだけのことです」
「私はシリウスの秘密を知っています」
マリーダから投下された爆弾は、リーマスの口を強制的に閉じさせた。
アニメーガスが変わる動物は、本人の魂の形を映すとされている。それはパトロナスの形とも重なるが、一度アニメーガスになったときの動物は、パトロナスが変化してもそのままだ。
「……シリウスは……わたしに言いました。ジェームズになろうと決めたと」
リーマス·ルーピンは絶句した。マリーダは、寂しげな顔で微笑った。それは、諦めと怒りが込められているようにリーマスには見えた。
「私は……シリウスからそれを聞いたとき、覚悟していたことだと思いました。彼にとっては、命をかけても復讐したかったほど大切な親友がいたことも、シリウスが親友の忘れ形見のゴッドファーザーであることも」
けれど、とマリーダは言った。
「私は……怖いのです。シリウスがジェームズを愛することに、嫉妬してしまう自分が……ハリーまでも憎んでしまうのではないかという自分が……怖いのです」
リーマス·ルーピンは、学生時代からシリウスの交遊関係の尻拭いをしてきた。主にシリウスが付き合ったあと、リーマスやジェームズ、ピーターの方を優先するあまり激怒する女子たちの話し相手になって、円満に別れるまでの調整役になってきた。
だからこそ、リーマスは言った。親友が掴みかけたものが溢れようとするのは、もう沢山だった。
「……マリーダ。シリウスは、貴方のことを愛しています。貴方に向ける愛も、シリウスがジェームズに向ける愛も、どちらにも偽りなどないのです」
こんな理屈が通じる筈がないとリーマスにはわかっていた。女性にとって、生涯を共にする伴侶が、自分以外の誰かを愛していることほどの屈辱があるだろうか。それも、女性ではなく男性をだ。
「……私は、神の前で愛を誓いました。それは……それは、それも含めて彼だと知っていたからです」
その時、リーマスは理解した。マリーダは、シリウスを見限ったのではないと。
「だから私は、シリウスを支えたいと思います。ジェームズ·ポッターの代わりになろうとしている彼を、私として。そしていつか、私を見てくれるように……」
彼女はただ、シリウスの想いを確認したかった、それだけだったのだと。
マリーダがわざわざリーマスに聞いたのは、シリウスに愛想を尽かしたからではなかった。シリウスを愛すると決めたからこそ、彼女は真実を確認したかったのだ。
自分自身の選択を後悔しないために。
基本的にこの二次創作だと原作キャラはロクな目に遭ってないけど、シリウスはその最たるものだと思う。