蛇寮の獅子   作:捨独楽

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反撃の狼煙

***

 

 ハリーはエキシビションの間、ひたすらダフネに謝り倒していた。

 

「ごめんなさい。もう二度と、ヴィーラのような獣に見とれたりしません」

 

「いいのよ。ヴィーラを見たのは初めてなんでしょう?これから気をつけてくれれば良いわ。……なんて言うと思ったかしら?貴方って本当に意思が弱いのね。失望したわ」

 

「気をつけるよ、約束する。君だけを見るって杖に誓うよ」

 

 ダフネの隣に座ってその様子を聞いていたアストリアは、クスクスと笑っていた。

 

「ほんと、ポッターはヴィーラに弱いのですわね」

 

 ダフネがアストリアを睨みすえる。アストリアはひっと息を止めた。ハリーは慌てて言った。

 

「違うんだ。その……ヴィーラを見たのははじめてだったから」

 

「そうね。あのけだものとは違って、私の顔なんて見慣れているものね。あちらに行ったらどう?新鮮な喜びがあるわよ」

 

「本当にごめん……」

 

 ハリーはほとほと困り果てた。シリウスやマリーダは微笑ましくハリーとダフネのやり取りを見守っていたが、エキシビションが終わりにさしかかり、各国の選手達が入場してからはさすがに選手の方に神経を向け始めた。

 

 

「ダフネ、ハリーくんで遊ぶのはそれくらいにしなさい。彼も悪気があったわけではないのだから」

 

「……分かりました、お父様。ハリー、私の買い物に付き合って欲しいものを一つ買ってくれたら許してあげるわ」

 

 ラドンがたしなめるように言うと、ダフネは渋々言ったあと、笑った。ハリーはほっとした。やっとダフネが、渋々でも笑ってくれたのだから。

 

(ああ、よかった……)

 

 ハリーは知らない。

 

 ワールドカップが終わったあと、一つどころではなく延々とダフネの買い物に付き合わされる日々が待っていることを。ダフネは怒りを納めただけで、忘れたわけではないのだ。機嫌を直してもらうためにはハリー自身の努力が必要なのである。

 

「……ポッター」

 

 そんな時、頭上から声が降ってきた。見上げるとドラコ・マルフォイが観客席の上段からハリーを見下ろしていた。ドラコの方を見たアストリアはいそいそと髪の毛を整えていた。ブロンドの髪は、ドラコの姿をよく見るために左右に分けられた。

 

(……忘れてた)

 

「やあ。君も観戦なんだね。パンジーは今日は一緒じゃないの?」

 

 ハリーは何食わぬ顔をしようとしたものの、ドラコは騙されなかった。

 

「彼女とは今日は別席さ。何せ、わが家は魔法省から別格の扱いを受けているからね。君たちとは違う最上段さ」

 

「ここからは下の様子がよく見える。君がヴィーラに見とれていた姿は見物だったよ」

 

(……ドラコったら、もしかしてハリーが羨ましかったのかしら……いや、まさかね。ドラコに限ってあり得ないわ。そんな寂しがりやの仔犬みたいな思考なんて)

 

 ダフネは一瞬思い浮かんだ考えを即座に否定した。

 

「あーあ。また恥が一つ増えた。僕の醜態をホグワーツで言いふらす気かい、ドラコ?」

 

 ドラコはハリーの誤魔化すための言葉に答えなかったが、ハリーとダフネが並んで座っているところまで下りてきた。アストリアは気を利かせたように、ダフネの側の席を一つ開けた。ドラコは尊大にその席に座った。

 

 ハリーは試合が始まるまでの間、観客席に見知った顔がないか探した。解説者のルード·バグマンが選手達を紹介していく隣で、バグマンの部下になったマーカス·フリントがマイクにソノーラス(響け)をかけ、会場全体に声が届くよう音量を調整していた。

 

 そのすぐ後、ザビニもハリー達の観客席に上がって来たが、ドラコの姿を見つけるとそそくさとアズラエルの方へ戻っていった。アズラエルはファルカスと共に、ハリー達のちょうど反対側の観客席で試合を観戦していた。ハリーは他にも見知った顔がないかと会場を見渡した。

 

(コリンの奴、こんなところまでカメラを持ち込んでる。…………ルナは……あの特徴的な帽子の子かな。ロンは目立つから分かりやすいな……あ、隣にハーマイオニーもいた)

 

 そんなとき、ドラコがハリーに話しかけた。

 

「この試合、どちらが勝つか賭けるかい、ポッター?」

 

 ハリーは少し考えてから答えた。

 

「オーケー。ワンコイン(一ガリオン)賭けようか。……アイルランドかな。チェイサー達の格が箒に負けてない」

 

 エキシビジョンで見た選手達の動きで感じた印象が、それだった。ワールドカップで用いられる箒は、現行最高性能を誇るファイアボルトである。最高時速三百キロを越えるそれを、アイルランドのチェイサー達は苦もなく乗り回し涼しい顔をしていた。

 

(ドラコは……ああ、ハリーと張り合いそうね。きっとブルガリアに賭けるわ)

 

 ダフネはおもしろそうにハリーとドラコを見ていた。アストリアが口を挟みそうになると、アストリアにこう言い聞かせた。

 

「友人同士の会話中よ、アストリア。邪魔をしてはいけないわ」

 

「!?なぜ私の考えが分かったのですか!?そ、そんなに分かりやすかったですの!?」

 

「何年貴女と一緒にいたと思ってるの?」

 

 アストリアは、ダフネが自分の内心を読んだのではないかと驚いた。ダフネの言う通り、ハリーとドラコは互いとの会話に集中していたので、アストリアをスルーした。

 

「やはり素人考えだな、ポッター。試合の決定権はシーカーにある」

 

 ハリーの言葉を聞くと、ドラコはニヒルに笑った。

 

「ブルガリアのビクトール・クラムは天才だ。君など足元にも及ばないくらいにね。彼が必ずスニッチを掴む」

 

 ドラコも一ガリオンを置いた。ハリーとドラコは互いに試合の行方を見守った。

 

「アイルランドが勝つよ。僕の予想ではね」

 

「シーカー同士の直接対決で勝てっこないのにかい?クィディッチのルールを理解しているのかい?」

 

 ハリーはドラコの皮肉に頷いた。

 

「ああ、そうさ。トロイとモラン、マレットの三人は、チームを意識したプレーをしている。一人のシーカーだけで勝てるもんじゃない」

 

 ハリーの言葉にも根拠はあった。クィディッチというゲームは、百六十点の差を維持したチームの勝利なのだ。シーカーの力だけで勝てるものではないのである。

 

 試合はハリーの言う通りになった。ブルガリアの天才クラムがスニッチを取る前に、アイルランドのチェイサーが放ったクァッフルがリングに吸い込まれた。試合終了のホイッスルが鳴り終わる前に、アイルランドが160点を入れたのだ。ハリーとダフネは一緒になって歓喜の拍手をアイルランドに贈りあった。ドラコは面白くなさそうにしていたが、それでもドラコも拍手していた。ハリーはいい気分だった。最高の舞台で、世界最強のチェイサー達の連携プレーは、クィディッチへの情熱を呼び起こさせるには充分だった。

 

 

「取っておけ。賭けは君の勝ちだ」

 

「待ってくださいまし!ドラコは負けておりませんわ!」

 

 ハリーがガリオン金貨を受け取ろうとすると、アストリアがそれを止めた。

 

「ドラコは『試合を決めるのはクラム』だと言ったのですわ!実際、そのとおりになったではありませんの!」

 

「それはたまたま運が良かっただけだ。今回はアイルランドに勝利の女神が微笑んだのさ。さあ、もう賭けは成立だ」

 

 ドラコはアストリアに一瞬不快な顔を見せたが、金貨をハリーの方へ押しやった。ハリーはガリオン金貨を受け取ると言った。

 

「確かに受け取った。……今年の寮対抗クィディッチでも、アイルランドのようなプレーが出来たらいいね」

 

 ハリーの言葉に、ドラコは頷かなかった。

 

「出来っこないさ。今年はね」

 

「どういうことだ?」

 

「僕は今年、クィディッチをやるつもりはない」

 

「なんだって?そんなバカな」

 

 ハリーは聞き間違いかと思った。ドラコはハリーの知る限り最も典型的な魔法族で、クィディッチへの(やや偏った)愛に溢れている。クィディッチをする機会をみすみす逃すはずがないのだ。

 

 流石におかしいと思ったのか、ハリーとドラコのやり取りにダフネが割って入った。

 

「クィディッチをやらない?どういうこと?まさか貴方ともあろうものがシーカーをやめるつもりじゃないでしょうね」

 

「やめるつもりはない。だが、今年クィディッチをやる資格が僕にはない」

 

 ハリーは驚きと困惑を隠せなかった。ハリーだけでなく、ダフネやアストリアも同様だった。

 

「僕が言えるのはここまでだ。……まぁ、足りない脳みそで精一杯意味を考えるんだね」

 

 ドラコはそう言って肩をすくめ、上段の観客席に戻り始めた。ハリーはドラコの背中に向けて言った。

 

「……理由は言えないけど、クィディッチが出来なくなるってことか?……それとも、どこか体に悪いところでもあるのか?」

 

「何故君にそんなことを言わなくちゃいけないんだ?」

 

 ドラコは立ち止まり、ハリーを振り返り冷たく言い放った。ハリーは思わず立ち上がった。

 

「心配だからに決まってるだろう!」

 

 ハリーが声を荒らげると、ドラコはハリーを哀れむように見たあと、フンと鼻で笑った。

 

「君が僕の心配?お笑い種だなポッター!……体調にどこも悪いところはない。とんだ見当違いだね。この数週間君を心配していたのは誰だと思う?隣のレディに聞いてみるんだな!」

 

 ドラコの言葉でダフネの頬に確かに朱が浮かんだのをアストリアは見た。

 

 ドラコが去ったあと、ハリー達はしばらく沈黙していた。

 

「ハリー。貴方、本気でドラコの心配をしているの?」

 

 ダフネがためらいがちに口を開いた。ハリーは頷いた。

 

「当たり前じゃないか。あいつがどれだけ練習してきたかは君だって知ってるだろう」

 

「……そんなにクィディッチが好きなの?」

 

 ダフネは可笑しそうにくすくす笑った。ハリーはそんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかったので、何と答えればいいのか分からなかった。

 

「……クィディッチは私たちにとっては、単なるゲームよ。社交界でのステータスの一つで、出来れば箔もつくけれど、それだけ。将来クィディッチという仕事で食べていくわけでもないし、本気で取り組むべきものでもない」

 

「スリザリンのシーカーとしての勤めを放棄するなんて許されることではないけれど、ね。ドラコにとって、クィディッチは手段であって目的ではないわ。単なる遊びに過ぎないと思うけれど」

 

「それは違うよ、ダフネ。……違う筈だ」

 

 ダフネの意見は、なるほど上流階級にとってはそうなのかもしれなかった。しかし、ドラコがクィディッチにかける情熱は遊びではすまないとハリーは確信していた。

 

 ハリーは自分の考えの甘さを、この後思い知ることになる。クィディッチに熱狂し、選手達のプレーに一喜一憂していた魔法族の中にも、クィディッチという競技への敬意を欠片も持たない野蛮人がいたことをその目で見、知ることになるのだ。

 

***

 

 決勝戦が終了した後も、ハリー達は他の観客達のように競技場の外には出られなかった。ハリーはシリウスと共に、魔法省の役人達に挨拶しなければならなかったからだ。シリウスはユルゲンやアーサーといった人々と話したがっていたが、純血一族の当主という立場は嫌でも役人達を引き寄せた。

 

「君、ルードはどうしたんだね?先程から姿が見えないが」

 

「はい……只今席を外しているようです。おかしいなあ、試合が終わるまではいらしたのに……」

 

「いい加減な仕事にも限度ってものがあるだろう。こんな舞台でスポーツ部の部長が真っ先に席を外してどうする。要人達を送り届けるまでが奴の仕事のはずだが」

 

「大変申し訳ございません!私が代わりにつとめを果たしますので……」

 

「聞いていた話と違うぞ!……ルードとは賭けをしていたのだよ。早く姿を見せてもらわねば困るじゃないか」

 

「ええ、ええ。おっしゃる通りです。……あ、ああ、今参ります!ルードがこちらに参りますので、もうしばらくお待ちください!」

 

 魔法省のゲーム·スポーツ部に所属するマーカス・フリントは、上司であるバグマンの代わりに魔法省のお偉方にあいさつ回りをせねばならないようだった。フリントは去年までの威厳ある姿とはうってかわって、十センチは背が縮んだように見えた。

 

 一方、シリウスはコーネリウス·ファッジから話しかけられた。ハリーはファッジに愛想笑いをしながらファッジの言葉に相槌をうっていたが、ファッジはワールドカップは大成功だったと自画自賛していた。

 

「このワールドカップを楽しんでくれたかねシリウス、ポッター君。……そうか、それは良かった!ワールドカップは平和の祭典であり、我々の努力の結晶でもある。この催しの成功こそ、英国魔法界の成長と発展を約束するものなのだ。そしてそれを成し遂げた私は、歴代でも相当の貢献をしたことになるな。うははは!」

 

(平和……平和かな?本当に?)

 

(……ぼくが単に考えすぎなだけ……?)

 

 ハリーは少し心配になった。ファッジが平和ボケしているのではないか、と思ったからだ。ハリーは自分が夢で見たドロホフやヴォルデモートのせいで、ファッジの言葉に余計なバイアスをかけているのかもしれないとも思った。

 

(いや、英国には危険が山ほどある)

 

 ホグズミードで見たドロホフの蛮行を思い出してファッジ大臣が呑気すぎることを再認識した。

 

「仰る通りです、大臣。私がアズカバンに行く前は、この国でワールドカッが開催されるなど夢のまた夢でした。……この子と共に決勝戦を見ることが出来たのも、大臣の尽力あってのことです」

 

 シリウスは内心馬鹿馬鹿しいと思いつつも、ファッジにお世辞を言った。ファッジは人の良さそうな笑顔で、シリウスに言った。

 

「私はただ、自分がしなくてはならないことをしただけだ。それに少し運が味方しただけのことだよ」

 

「運……ですか?大臣、よろしければどんな魔法を使ったのか教えていただきたいのですが……」

 

「ああ、ポッター君。私の言うことは他の者には内緒にしてくれたまえよ……そうだなあ」

 

 ファッジは少し勿体ぶった様子で間を置いたあと、ハリーの耳もとで囁いた。その時シリウスは別の役人と話をしていた。

 

「『純血一族との繋がりを持っておくこと』だよ。覚えておきたまえ。彼らは、古くから続く人脈と知識がある。私は本当に運が良かった。君の養父……シリウスをはじめとした名家の後押しがなければ、我が国でワールドカップなど開催出来なかったとも」

 

 その言葉は、英国魔法省の実態と限界を如実に表現していた。ハリーがファッジの言葉の意味を理解する前にファッジはその場を離れた。ハリーとシリウスは別の役人達に挨拶をする作業に戻った。

 

 平和とは、問題を抱えた大勢の人間が妥協し、諍いが続く中でも着地点を探りあい、互いが互いを疑いながらも、努力して維持していくものである。国家を運営する立場の人間は平和が永遠に続くなどと思ってはいけないし、維持するための努力を怠ってはならない。

 

 維持するための努力とは、例えば不穏な勢力の排除。公権力による拘束や司法によ適切な裁きによる犯罪の抑止。不穏分子の抑制のための思想統制などが挙げられる。そして残念なことに、現在の英国魔法界はそのいずれもが不十分な状態にあった。

 

 ファッジは、十数年という平和と安穏とした日々によって、闇の魔法使い達の牙を抜くことに成功したと思い込んだ。その考えの甘さ、浅はかさを、ファッジはこの直後に思い知ることになる。しかし、愚かしいことに、ファッジは己の過ちを知ってなお、それを認めないという過ちを重ねることになる。

 

 ハリー達が挨拶した役人のなかには、印象に残った人物が何人かいた。執行部部長のアメリア·ボーンという魔女はシリウスに急ぎすぎるなと言った。ハリーが同級生のスーザン·ボーンと話す間、シリウスとアメリアは話し込んでいた。

 

「どうにも貴方は性急にことを進めたがる癖があるようです。しかし、急な改革というものはいつの時代も反発を生みますよ、シリウス。老婆心ながら、時には立ち止まってみることも必要です」

 

(急ぎすぎてる?どういうことだ……?)

 

 ハリーはシリウスが具体的に何をしようとしているのか、教えてもらってはいなかった。魔法省での仕事のことなのか、それとも別の何かなのかは分からないが、シリウスが重要な何かを成し遂げようとしていることは確かだった。

 

「それはご忠告どうも、ボーン。だが、私には急がねばならない理由がある。魔法省は十年もの間停滞してきた。それを動かすには強引なやり方も必要だ。……またお話いたしましょう」

 

 シリウスはアメリア·ボーンから視線を移した。アメリア·ボーンは優雅に礼をしたが、その目は笑っていなかった。アメリア·ボーンの視線を敏感に感じたハリーは一瞬背筋がゾクッとしたが、それもつかの間だった。ハリーは軽くアメリアに会釈をした。

 

(僕も観察されている……この人はマクゴナガル教授とちょっと似ているなぁ。悪いことが出来なさそうだ)

 

 アメリア·ボーンは、マクゴナガルよりは若い魔女である。ハリーが二人を似ていると思ったのは外見ではなかった。二人とも賢く思慮深く、言葉や立ち振る舞いの端々から知性を感じさせる姿に共通点を見いだしたのだ。

 

 アメリアとは対照的に、シリウスと事務的な会話だけでさっさと去ってしまった役人もいた。パーシー·ウィーズリーの上司で、国際魔法協力部部長のバーティ·クラウチ氏だった。クラウチ氏は、ハリーが見た魔法族の中で最もマグルらしい服装をしていた。どこかの会社を経営している社長だといわれても、ハリーは納得しただろう。

 

 

 遠目で見たクラウチ氏は、ブルガリアの外交官や、それ以外の外国の役人達と多言語で会話し続けるという離れ業を見せていた。

 

(えっ、何だあの人。凄いな。……というか怖……)

 

 クラウチ氏の周囲から聞こえてくる言語は、英語やスペイン語、ポルトガル語などのマグルの言語の他に、耳慣れない言葉もあった。ヴィーラ達が話す言葉や、バンパイア達の牙言語などもクラウチ氏にとってはお手のものらしい。クラウチ氏は通訳としてファッジの側にいながら八面六臂の大活躍をしていた。

 

 はじめて見た魔法以外の分野での天才はハリーを驚嘆させたが、クラウチ氏はシリウスとの会話を一言だけで済ませた。

 

「ミスタ ブラック、お先に失礼しますよ」

 

「……ああ、ご苦労さまです。ミスタ クラウチ」

 

 あまりにも底冷えするような他人行儀の会話に、ハリーの隣にいたダフネは息を止めていた。

 

「………………」

 

 クラウチ氏がハリーを一瞥したとき、彼の目に浮かんだ感情が何なのかハリーには分からなかった。ハリーはクラウチ氏に深々と礼をした。クラウチ氏は、ハリーと会話することなくその場所を離れた。

 

 結局、クラウチ氏やボーンといった例外を除けば、シリウスに挨拶しに来た役人達はブラック家と親しくしようとするか、ジンネマン家やビスト家のような純血一族の支持を取りつけようとするかのどちらかだった。ハリーはファッジの言葉が正しいことを実感せざるを得なかった。

 

(……純血、か)

 

 英国魔法界において最も力あるものは、それなのだと。スリザリン生としてのハリーはファッジの言葉を受け入れてしまっていた。

 

***

 

 平和な時間が破られるのは、いつも唐突だ。ハリーはそれを実感していたし、心のどこかで覚悟もしていた。しかし、今回はいつもとは違う痛みがあった。

 

 今回狙われたのは、ハリーではなかった。競技場を出て、ダフネたちやバナナージと別れる寸前で、ハリー達はその騒ぎを目の当たりにした。

 

「……何よ、あれ……」

 

 ダフネの声には失望と軽蔑の感情が乗っていた。髑髏の仮面をつけた一段が、幼い子供や女性、中年男性らを見境なく魔法で攻撃していたぶっている。杖を持っていない人たち、恐らくはワールドカップを観戦しに来たマグル達が狙われていた。

 

(マグル達をいたぶっている連中は、シトレと同じように例のあの人を支持しているのだろうか。それとも、ただの模倣犯か?)

 

 ハリーはその一段が高笑いしながらエスカレートしていく様を目撃した。その集団の笑い声の中に、ルシウス·マルフォイの声も混じっていた。

 

(……なっ!!!)

 

 ハリーはその光景のあまりの醜さに目眩がした。よりによって、友人の父親がそんなことをしていたなんて知りたくもなかった。これは違う、こんなものは違うとハリーは自分に言い聞かせた。せめてインペリオで操られていてほしいと思ったが、明らかにルシウスには本人の意思があった。

 

(何で。どうしてこんなことを……)

 

 ハリーはスリザリンに入り、日常的にマグルへの差別を目にした。魔法使い達の中にはうっすらとしたマグルへの差別感情があるが、スリザリンではそれが顕著だ。他の三寮とは違い、それを止めるどころか推奨する風潮すらある。せいぜい、良識ある監督生が寮の外でそれを口に出すのは得にならないからやめろと諭すくらいだ。

 

 ハリーはその風潮に確かに救われた。自分がダーズリー家に不当な扱いを受けたのは彼らがマグルだからで、そしてマグルは見下しても良いものという風潮は、ハリーの心にとって闇の救いとなった。

 

 しかし、目の前の光景は。醜悪極まる大人達の所業は、差別など到底許されるものではないという現実をハリーやダフネ、アストリアにまざまざと突きつけていた。

 

 

 人は、テロリストや殺人犯という遠くにある非日常的な悪意より、身近にありそうなちょっとした悪意に強い嫌悪感を覚える。前者は日常とは切り離された、普通に生きていれば遭遇しないものだが、後者は運が悪ければ目の当たりにしてしまうからだ。

 

 マグルに対して行われる生々しい虐めの現場は、その場にいた全員に嫌悪感を呼び起こさせるには充分だった。

 

(……ああ、私たち(スリザリン)ってあんな感じなんだ……)

 

 ダフネは目の前の光景を正しく認識していた。嫌悪感と共に、納得の感情すらあった。

 スリザリンに棲む純血過激派が目の前の光景をしないと断言は出来なかった。ダフネは一度過激派の黒ミサに参加したことで、目の前の大人達が自分達の延長線上にある存在だと強く認識してしまった。マグルをどうでもいい存在だと思っているからこそ、マグルに対してどこまでも残酷になれるのだ。マグルは自分達とは違う存在で、見下してよいとされているのだから。

 

 仮面をつけたデスイーター達は空中に浮かせ逆さ吊りにしているので、遠目からでもその蛮行は良く見えた。魔法使い達は、髑髏の仮面を恐れて手を出せない。ハリーはマグルの悲鳴を聞いていられず飛び出そうとした。しかし、ハリーより先に手を出した人間がいた。

 

「エクスペリアームス(武装解除)!マリーダ!ハリー達を例の場所へ連れていけ!これは陽動かもしれん!」

 

 真っ先にシリウスが叫んだ。武装解除の呪文が逆さ吊り集団の一人に当たると、武装解除されて仮面が吹っ飛び、男が転倒して膝を擦りむいた。仮面から出た顔は、確かにルシウス·マルフォイその人だった。ルシウスの隣にいた人間の仮面も割れた。ハリーに面識はなかったものの、ワルデン·マクネアはシリウスのステューピファイ(失神)を仮面に受け、顔を晒して倒れた。

 

 シリウスの勇気は、他の魔法使い達を確かに鼓舞した。シリウスがいなければ、魔法使い達はデスイーターの蛮行を見てみぬふりをしていただろう。シリウスに加勢しようという魔法使い達も加わり、デスイーター達の乱闘が始まった。乱闘の最中に、デスイーターによって動物に変えられていた人々も解放された。

 

「助けて……助けて……!」

 

「おい!誰か!あいつらを止めてくれ!」

 

「がんばれブラックさん!あんな連中、皆殺しにしてくれ!」

 

「魔法省の応援はまだなのか!?……くそ、もう見てられん!俺も加勢する!」

 

 囚われている人々は口々に助けを求めていた。一人、二人と勇気ある魔法使いが仮面の連中に向かっていった。しかし、デスイーター達はプロテゴやカースも使えるようで、加勢した人々の多くはあっという間に返り討ちにあう。ハリーは何度も杖を取り出そうとしたが、その度にマリーダに止められた。

 

「駄目だハリー。約束しただろう。すぐに避難する。……ラドン、貴方もご一緒に。顔色が優れないようです。落ち着いたところで休みましょう」

 

「う、うむ……そうだな、そうさせてもらおう。アストリア、ダフネ。行こうか。ここは危険だ……」

 

 ビスト家のカーディアスやシリウスの義父になったスペロアはシリウスに加勢してデスイーターに立ち向かっていった。彼らはコンジュレーションで作った仮面で顔を隠し、自分の顔がデスイーターに覚えられないよう対策していった。しかし、バナナージやアルベルトはハリー達の避難を優先するために残った。

 

 ダフネの父であるラドン·グリーングラスはデスイーターの仮面に恐れをなし加勢することはなかったが、マリーダはうまく理由をつけて彼の尊厳と名誉を守った。

 

「奴らは半端な戦力では返り討ちに遭います。貴方が行っては、逆効果になりかねませんわ」

 

「う、うむ。そうなのだ。喧騒のせいか、体調が思わしくなくてな……」

 

「プロテゴ·ホリビリスを張りながら移動します。緊急時ですので、皆さん杖を携帯していてくださいね。念のためです」

 

「おお!……いやぁ、流石だバナナージ。お前がいてくれて助かった!僕は決闘が苦手で、こういうとき戦力になれんからなぁ。ラドン、どうですかうちの弟は」

 

 

 バナナージ·ビストは決闘クラブ部長らしく、広範囲のプロテゴで大人達を護衛しつつ集団を先導した。アルベルト·ガロード·ビストは、年の離れた弟の成長を自慢しながらラドンに話しかけ、ラドンの精神を安定させようと努めていた。平静を装うため、大人達はなるべく普段通りでいようとしているように見えた。

 

 一方、大人達のように割りきれないものもいた。アストリア·グリーングラスがそうだった。アストリアは、唇を噛んでぶつぶつと呟いていた。

 

「……嘘ですわ、あんなのあり得ませんわ。何かの間違いですわ……」

 

「アストリア、しっかりしなさい。今は避難を優先するのよ。考えるのは後でいいの」

 

「そうだよアストリア。あいつらは……純血主義はあんな奴らとは違うはずだ。気をしっかり持って……」

 

 ハリーはアストリアを励まそうとしたが、アストリアのプライドを傷つけてしまったようだった。ハリーの言葉は逆効果になった。

 

「うるさいですわ!あんたの意見なんて聞いていませんわっ!!穢らわしい混血の癖に!あんたなんかに私たちの気持ちが分かってたまりますか!」

 

「アストリア、黙りなさい!」

 

 ダフネの叱責にも、アストリアは耳を貸さなかった。

 

(……まぁ、そうだよね)

 

 アストリアの言葉に、ハリーの胸は傷んだ。スリザリンに入り、その思想を知っても、純血と混血とでは持っているものが違うのだ。

 

 アストリアはハリーの膝に蹴りを入れて走り出した。ハリーはわざと蹴られた後、無言アクシオでアストリアを引き寄せた。

 

「離して……!離しなさい!命令ですわっ!」

 

「悪いけどそんなものは聞けない。ホリビリス(全体防御障壁)の外に出ちゃ駄目だよ、アストリア」

 

 アストリアは暴れたが、ハリーは離さなかった。ここでアストリアを行かせるわけにはいかないのだ。

 

「自暴自棄にならないでくれ。あれが純血主義の全てじゃないってことを君なら証明できる筈だ」

 

「知りませんわ。純血主義があんな連中ばかりだなんて、知りたくもなかった!」

 

「おいおい、そんなことは今話すことじゃないんですよ。後にしてくださいよ、そういうのは」

 

 バナナージはいつになく苛立ったように言った。彼は本当に苛立ったとき、敬語になる癖があった。すぐに避難すべき状況で、余計な時間を取られている場合ではないのだ。

 

 遠くで魔法の衝突による轟音が響く。誰かがテレポートしてきた音がする。そんな中で、アストリアはやり場のない怒りをハリーにぶつけていた。アストリアはその場で拾った小石をハリーにぶつけてきた。

 

「アストリア!やめなさい!」

 

 ダフネが鋭く叫び、アストリアは怯んだ。しかし、アストリアはハリーに杖を突きつけた。ハリーは素早く杖を取り出そうとしたが、今度はマリーダに止められた。マリーダは武装解除呪文を繰り出しアストリアの杖を奪うと、そっと彼女に寄り添った。

 

「そこまでにしましょう、アストリア。貴女は疲れているんです。避難所で暖かいココアを飲んで、眠りましょう」

 

 そう言って、マリーダはアストリアに杖を返した。

 

「シリウスや、ビスト家のご立派な当主さん方だって頑張っています。純血の一族の誇りのためにです。純血たる貴女が頑張らなくてどうするのです」

 

「でもっ、でもっ!」

 

「アストリア·グリーングラス。落ち着いてください。大丈夫、シリウスは強い男です。負けはしません。純血が誇り高い存在で、恥じ入るべき人間ではないことを彼が証明してくれます」

 

 マリーダの優しい言葉にもアストリアは駄々っ子のように首を振ったが、マリーダがぎゅっとアストリアを抱き締めるとやがて反論を止めた。物理的に反論できないほど強く抱き締められたからだとハリーは思った。

 

「娘が迷惑をおかけしました。私の不徳の致すところです。申し訳ございません」

 

「いやいやお気になさらず。怖い思いをしたのですから、動揺するのも無理はありません。……心中、お察しします」

 

 ラドンはマリーダやアルベルトに頭を下げた。頭を下げられたアルベルトの方が恐縮しきっていた。

 

 

 ダフネが妹の手を引いて避難所へと向かう中、何かが弾けるような音がした。テレポートによって避難してきた人びとだった。その中にはセドリック·ディゴリーの姿もあった。セドリックは幼いマグルの少年を抱えていた。

 

「すみません、ヒーラーのいる避難所に心当たりはありますか!この子はデスイーターの魔法で頭に怪我をしているんですっ!」

 

 バナナージは驚いてセドリックに駆け寄った。セドリックが抱えていた黒髪の少年は、額から血を流していた。

 

「何だって!?……エルベスコなら常駐してるヒーラーがいるはずだ!」

 

「しかしこれ以上テレポートでこの子に負担をかけるのは不味いな……応急手当だけして運ぼう」

 

 子供への対応に夢中になっている間も、テレポートによって難を逃れてくる人々は多かった。その音のせいで、ハリー達は接近していた脅威に気がつかなかった。

 

 うつむいていたアストリアは、ダフネから離れて治療されるマグルの少年をぼうっと見ていた。ハリー達が治療用のガーゼをコンジュレーションで作り上げていた。ダフネはかいがいしく少年にガーゼを当てていた。

 

(純血の誇りって何ですの。私たちは何をやっているんですの……)

 

 純血主義は家を守り、家を存続させ、血と血の繋がりで家を発展させていくためのものだ。それは間違いなくアストリアの誇りだった。アストリアにとっての純血主義は、自分を産んでくれた母や育ててくれた父に対する感謝の気持ちでもあった。なのに、心の底から尊敬するドラコの父親によって瀆された。純血主義に喧嘩を売るハリーに同情までされた。アストリアにとって、その経験は屈辱でしかなかった。

 

「純血主義って何ですの……?」

 

 アストリアは思わず呟いた。返事を期待しない独り言だが、誰かの声をアストリアは聞いた。

 

「この腐敗した魔法界を変革するためのものだ。手を貸せ」

 

「……え?……きゃあっ!?」

 

 

 思い悩むアストリアは誰かに突き飛ばされて、甲高い悲鳴をあげた。

 

「何っ!?」「アストリア!?」

 

 ハリー達がアストリアの方を振り向いた瞬間、怒りに満ちた男の声がした。その声はどこか幼く、そして溢れんほどの憎しみに満ちていた。溢れる負の感情に、ハリーの全身が泡立った。

 

「モースモードル(闇の印よ)!!!」

 

 ハリー達の頭上、星が輝く夜空に、星の輝きを打ち消すような闇が浮かび上がった。髑髏と蛇を模したその炎は、アストリアの周囲から放たれていた。誰もが闇の印に気を取られ、テレポートによって何かがその場から離脱したことに気付いた時には全てが手遅れだった。

 

「アストリア!大丈夫!?意識はある!?」

 

「へ、平気ですわ……触らないでくださいまし、ポッター」

 

 ハリーがアストリアを介抱したとき、アストリアの隣にはアストリアの杖があった。杖からは禍々しい黒煙が立ち上っていた。何者かがアストリアの杖を奪い、そして闇の印を打ち上げたのだ。

 




反撃の狼煙(闇陣営の)

シリウスの本音「純血の誇り?ねえよそんなもん。それより人としての良心を持てよ」
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