蛇寮の獅子   作:捨独楽

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恐怖

 

 

***

 

 ホグワーツ生は誰もが一度は授業中に壁にぶち当たる。それまで優等生を演じていた生徒でも、ふとしたことで躓いてしまうこともある。ジニー·ウィーズリー達ホグワーツ三年生にもその試練は訪れた。

 

 DADAの授業だった。マッドアイのぐるぐると動く魔法の目に睨まれながら、グリフィンドール生とスリザリン生は一緒にボガートへの対処方法を学んだ。授業を終えたグリフィンドール生とスリザリン生は口数も少なく、とぼとほとした足取りで食堂に戻った。ボガートへの対応は完璧とは言い難い結果に終わった。

 

 何人かの悪童がボガートと向かい合ったとき、ボガートの姿はムーディ先生その人の姿となった。規則違反と悪戯を生き甲斐とする悪童達がムーディ先生の姿を面白く変えていくのをジニーは笑ってみていたが、自分の番になったとき笑うことはできなかった。

 

 ジニーの意思を読み取ったボガートは、その姿を黒髪のハンサムなスリザリン生の姿に変えた。

 

 ジニーはその姿が、自分を、そしてホグワーツを恐怖に陥れたあの人だと理解してしまった。

 

 目の前の欲に操られ、大勢の人を石に変え、一歩間違えば殺害してしまっていた罪悪感。

 もしかしたら、あの人が心を入れ換えて自分を愛し、あの人も救われるような道があったのではないかという後悔と、そんな馬鹿げた期待をしてしまった自分に対する軽蔑。

 

 そして、それらを覆い隠し、なんの対処も出来なくなってしまうほどの恐怖。圧倒的な魔力と知識と力の差による絶望感。心の奥深くに閉じ込め、考えないようにしてきたそれと向き合ったとき、ジニーの中にあったはずの勇気は容易く失われた。

 

 突如現れた謎のスリザリン生に対して固まったジニーを見かねてか、コリンが前に出ようとしたが、それより先にスリザリン生のオルガ·ザルバッグがジニーとボガートの間に割り込んだ。

 

 

 オルガはスリザリン生ではあったが、今までジニーやコリンに侮蔑的な態度を取ったことはなかった。そんなオルガの恐怖する姿は、いつもオルガと行動を共にしていたミカエルに変わった。

 

 オルガは、ミカエルがハッフルパフの女子と微笑ましくピクニックをしている光景を作り上げた。場の雰囲気は一瞬和んだものの、オルガはミカエルに謝罪してすぐに引っ込んだ。そしてミカエルが前に進み出たとき、ジニーも含めた大勢の生徒は悲鳴をあげた。ボガートが死体へと姿を変えたからだ。しかも、その死体は動き回りながらミカエルを襲わんと動いてくるのだ。

 

 ジニーにその知識はなかったが、スリザリン生の何人かはインフェリだと呻いた。ミカエルがリディクラス(馬鹿馬鹿しい)を使い、死者の回りを花で埋め尽くしても、生徒達に沸き上がった恐怖が消えることはない。

 

 凍りついた空気にいても立ってもいられないと、今度こそコリンがミカエルと入れ替わったが、芳しい結果にはならなかった。コリンのボガートはバジリスクだった。あまりにも醜悪で狂暴な蛇の怪物が水道のホースへと変わる姿は何人かの笑いを誘ったが、ジニーはとても笑える気分ではなかった。秘密の部屋の忘れたい記憶を、血と惨劇の記憶を思い出してしまったからだ。

 

 とどめは、コリンに対抗して前に出たシュラークだった。シュラークのボガートは、シュラークより少し背が高いかどうかという女性だった。彼女は濃い化粧をしていたが、シュラークがテストの成績で九十八点しか取れないことを詰り、役立たずだと罵倒し始めた。口ぶりからしてシュラークの母親なのだろうと思わされた。

 

 ジニーを含めて、三寮のほとんどの生徒はシュラークのことを嫌っていた。シュラークはエリートぶった勘違い男で、常に上から目線でこちらを見下してくるからだ。それでも、この時ばかりはシュラークに同情した。

 

 ジニーは父であるアーサーからも、母であるモリーからも溺愛されて育った。だから直接そう言われたことはないが、それでも成績面のプレッシャーは存在する。双子を除けば兄たちのほとんどは人並み以上に優秀で、平凡な成績では居場所がなくなると思ったことも、あの日記にすがり付いた一因ではあったのだから。

 

 ムーディ先生は、母親を骸骨へと変えたシュラークに三十点を、ジニーを含めて、ボガートと戦った生徒達全てに三点を与えた。それでも凍りついた空気を変えることは出来ず、ジニー達はへとへとになりながら食堂へと戻った。

 

***

 

 

 

「……あー。空気変えよ、ジニー。さっきのことは忘れよ!せっかくのランチが台無しだし。ねー、ハッフルパフのミラベルが先輩からダンパティに誘われたって話聞いた~?」

 

「え。知らない、そうなの?」

 

「そうみたいだよ、噂ではさ、真夜中に二人で星を眺めながらさ……」

 

 ジニー·ウィーズリーは昼食の間、同室のマーガレットと他愛もない会話に興じることにした。会話の種は、一ヶ月後に迫ったユールボールについてだった。

 

 ジニーにとっても願ってもない話だった。自分のボガートについてあれこれと詮索されるのではないかと気が気ではなかったし、ミカエルの死体やシュラークの母親について考えたくもなかった。

 

 マーガレットも普段はそこまで多弁なタイプではない。それでも今日はやけにテンションが高かった。間違いなく自分を心配してのことだとジニーは思った。

 

(あ、ちゃんと笑えてないな私)

 

 

 

「……そんで、OKしたんだって。いいよね~、ダンスパーティなんて。あたしも誘われてドレス着てみたいなぁ~」

 

「そうだねー」

 

 ジニーは棒読みで返答する。先輩であるネビル·ロングボトムから、会場に行った時だけでいいから一緒に来てくれと誘われたことは秘密だ。

 

 お洒落は淑女の嗜みであると同時に、狭いホグワーツという環境においてはマウントを取り合うための道具でもある。普段あまり目立たない格好をしているジニーのような女子が平日にいきなり派手な化粧をしてくれば、スプラウト教授やスネイプ教授、マクゴナガル教授といった厳格な面々からだけではなくグリフィンドールの女子達からも顰蹙を買う。当たり前で、不自由な生活だった。

 

 しかし、ユールボールの時だけは羽目を外したお洒落も許される。この時ばかりは、パートナーに恥をかかせてはいけないという理由で普段使うことの出来ない化粧品を使いこなし、プリンセスとなることが許される。ジニー達三年生は十三歳。本来、参加資格はない。しかし、だからこそ三年生の女子達はパーティーへの憧れが強かった。今学期に入ってから、歳上の男子生徒と仲良くしようと躍起になって人の口の端に登る女子達の噂は絶えない。

 

「ジニーはさぁ、ほら、ポッター先輩とかどうなん?ガチで狙ってたんじゃないの?」

 

 マーガレットはぐいぐいと肘を当てながら聞いてくる。ジニーは深く考えることなく言った。

 

「あたしは……」

 

「……あの人はヤバイと思う。誘われても一緒には行かないかな」

 

 その言葉があっさりと出てきたことにジニーは驚いていた。あっさりと出てきたこともそうだが、そう言うことに全く抵抗感がなかったことにもだ。

 

「……そうなの?でもさ、あんた昔は……」

 

「うん、好きだったよ?」

 

 エスカルゴを咀嚼しながら、ジニーは淡々と言った。

 

「……でも、何ていうかあの時のあたしが好きになったのは……ポッターであってポッターじゃなかったっていうか。『生き残った男の子』っていう『情報』を好きになってたんだと思う」

 

 ジニーは冷静に二年前の自分を思い返しながら言った。幼い頃から聞かされた生き残った男の子の英雄像と、兄から聞かされた一年生時点のハリーの勇敢な行動。あの時のジニーがハリーを意識するには充分で、しかし、今のハリーに心惹かれるわけではない。

 

「だって、実際のハリーのことなんて見てなかったもん、あの時のあたし」

 

「……ん。いや、まぁ私もそういう経験がない訳じゃないから分かるけど……もしかしたら、まだパーティの相手決まってないかもよ?狙ってみたら?」

 

(マーガレットのやつ。わかってて勝手なこと言って……)

 

 ジニーは内心で無責任なマーガレットを冷ややかな気持ちになった。ポッターとグリーングラスが交際しているという噂は、少しアンテナを広げれば聞こえてくるのだ。マーガレットは面白がって友人の恋愛模様を焚き付けようとしているが、それはあまりいい趣味とは言えなかった。

 

「『実際の』ハリーはあたしのタイプじゃなかった。そんだけだよ、マーガレット」

 

 ジニーはさっぱりと言ったつもりだった。しかし、その口調には怯えが混じっていた。

 

 ジニーの内心は、ハリーを恐れていた。

 

 ドラゴンと対峙し、ドラゴンを蹂躙した(ように見えただけで実際にはホーンテールには余力があったが、ジニーの目にはそう見えた)ハリーの姿は、暴力に酔った闇の魔法使いそのものだった。ジニーはその姿に、かつて憧れ、恋い焦がれ、己の意識を明け渡してしまった闇の魔法使いを重ねていた。それは本能的な恐怖で、自分でもどうして例のあの人とハリーとを重ねてしまうのかは分からない。しかし、とにかくジニーの本能が告げていた。

 

 ハリー·ポッターは危険なのだと。

 

「え。…………ねぇ、やっぱり噂通り怖いの?あのポッター先輩って……」

 

「は。全然怖くなんてないし。マーガレット、あんたなにいってんの?」

 

 ジニーは強がったが、語尾は震えている。直前に例のあの人の姿を見てしまったことも影響していた。

 

「でも、ジニー。さっきから手が震えてるし……」

 

「…………気のせいだって。ほらマーガレット、先行くよ」

 

 ジニーは強引に会話を打ち切ると、スープを喉に流し込んで席を立とうとした。これ以上会話をしても無駄だと思ったのだ。例のあの人のことを思い出したくはなかった。しかし、マーガレットは引かなかった。

 

「じゃあさ、あの噂ってガチなん?ポッターがヤバイ闇の魔法使いだとか、闇の魔法でゴブレットを騙したとか?なわけないよね、お兄さんと仲がいいんだし」

 

「……何ていうか……」

 

 

 ジニーはため息をつきながら言った。思い返すのは、保健室でハリーが自分に闇の魔術を使ったと告白した時のことだった。

 

(もう忘れたいのに……)

 

「……あの人は……危うい人なんだと思う。力があって強いから、その気になれば悪い方向にも行ける。だから私たちから見て闇の魔法使いに見える。……でも、今はそうじゃない」

 

「……たぶんだけど」

 

 ジニーは直感で口にした言葉がそう的はずれではないことを信じていた。自分自身の感覚というものを信じられなくなることは多々あるが、少なくとも今、ハリーは闇の魔法使いではない。それなのにそう見えてしまうのは、自分達の見方にも問題があるのだ。ただ、感情がその見方を変えさせてくれないだけで。

 

「……本当にぃ??」

 

 ほとんどのグリフィンドール生や、ハッフルパフ生、レイブンクロー生はハリーとその周辺を恐れていた。いつか、なにか取り返しのつかないことが起きるのではないか、と。ハリーの周囲に踏み込む勇気がある生徒は、グリフィンドールの中でもそうはいない。そしてジニーは、そんな勇気を出すつもりは毛頭なかった。

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