蛇寮の獅子   作:捨独楽

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ある男の過ち

 

 その男は、心の底からの幸せを感じることはできなかった。

 

『インペリオ』

 

 その言葉が耳に届くと同時に、男の周囲には世界が広がる。耳障りのよい言葉。見慣れた職場の執務室。かつて経験した、その男にとって馴染みのある執務室が眼前に広がる。

 

 男の脳裏にかつての記憶が甦る。二度と思い出すことはない筈だった過去の記憶。インペリオによってもたらされる多幸感は、人間の記憶と密接に結び付いている。男は、その幸せに溺れることができなかった。

 

(これは、まやかしだ)

 

 その記憶を見て男が感じたのは、幸福感ではなかった。男は誰よりもよく理解していた。自分が幸せを感じるべき人間ではないことを。

 

 壊れた人間に、幸せになる資格などないことを。

 

***

 

「ご主人様……!」

 

 己の城ともいうべき屋敷に仕えるハウスエルフが、テレポートによって己の眼前に現れる。それを知るや否や、あのときの私は上司に断りを入れてテレポートで仕事を放り出した。

 

「貴方……!」

 

「……よくやった、よくやった、本当に……!」

 

 最愛の妻の隣には、己の血を分けた赤子が寝かしつけられていた。この世に生を受けた喜びを全身であらわすように泣きじゃくり、今にもつぶれてしまいそうなほどに儚い。

 

(あの時は……そうだ。嬉しかった……)

 

(……この子の未来の為ならどんな仕事にも耐えられると思った……)

 

 記憶の中の自分自身も、一言一句違わぬことを妻に嘯いている。

 

「……ねぇ、あなた。この子に、名前を……」

 

「……Jr.」

 

 記憶の中の自分自身が涙を流していたことに、男ははじめて気がついた。自分自身の頬が、涙で湿るのを感じた。記憶の中の妻は疲労と喜びで顔をほころばせていた。

 

(……ああ、そうだった。あの時の私は……)

 

「バーテミウス·クラウチ·Jr.おめでとう、かわいい子。産まれてきてくれて、ありがとう」

 

 

(……そうだ、あの時の私はこう思っていた。この子が自分の名を誇れるような、偉大な魔法使いになろうと……)

 

 

(……この魔法界のために、この身を捧げることが家族のためになると……思っていた……)

 

***

 

 男の意識が自我を取り戻したのは、まったくの外的要因が原因だった。男にインペリオをかけたロシア系の武骨な魔法使いは、男の自宅から物資を強奪していた。

 

 男にとってはどうでもよいことだった。魔法使いからもたらされる幸福な記憶に溺れ夢に沈んでいる方が、地獄のような現実よりもよほど心地がいいと思っていたのだ。

 

 魔法使いが、男の自宅のロマネ・コンティに手をつけるまでは。

 

 男の一族は魔法使いの間では格式高い家柄であると自称していた。各地から集めた名酒は当然のように魔法使いに強奪される。それはもはや珍しいことではなかったが、そのロマネ・コンティだけは違った。

 

 そのロマネ・コンティは、男がかつて実の息子のために用意した誕生酒だった。

 

 成人し自分の手を離れ、立派な魔法使いになった暁に贈ろうと思っていた。もう二度とそんな日が来ることはないことを知っていたにもかかわらず、男は激しい怒りと憎悪でもってインペリオの支配から脱した。

 

 男がインペリオから脱した原因。

 その一つに、憎悪があった。目の前の魔法使いに対してか、それとも酒の価値すら分からぬ野蛮人に操られた己自身に対する憤りか。

 

 いずれにせよ、男が支配から抜け出した原因は憎悪。それは皮肉にも、男を嫌悪する実の息子と酷似していた。

 

***

 

(もういい)

 

 インペリオによって、かつての男にとって幸せだった記憶が呼び起こされていく。

 

 補佐官のウェザピーと共に闇の魔法使いどもを駆逐するため、強引な法律を起草し、時の大臣を操って強行採決させた。全ては魔法界と、家族のためになると信じた。

 

「……いよいよ、ですね……」

 

 記憶の中のウェザピーは尊敬と覚悟をもって自分を見ていた。かつての自分はこう答えた。

 

「ああ。しかしこれでようやく一歩前進だ。これで現場の闇祓いや執行部職員が犠牲になることは少なくなる……」

 

「あとは、例のあの人をどうするかですか」

 

「……忌々しいが、ダンブルドアと共同戦線を張るより他にないだろう。あの人の取り巻きを闇祓い達で隔離し、ダンブルドアとあの人の一騎討ちに持ち込む。悔しいがそれ以外に道はない」

 

(嘘をつくな。見栄を張るな)

 

 内心で、男はかつての自分をこき下ろした。

 

(現実を思い出せ。私が気にしていたのは世間体に過ぎなかった)

 

 

 記憶の中の作戦は結局、うまくはいかなかった。騎士団と執行部の両方に紛れ込んでいた闇陣営の鼠によってまんまと罠にはめられた執行部は手痛い犠牲を支払った。

 

 

 それでも、テロリストに屈するわけにはいかない。自分達は闇の魔術を解禁したことによる功績を喧伝した。

 

 

***

 

 記憶の中の自分が、息子に詰め寄られていた。息子はホグワーツに入って二年経ち、三年生になっていた。入った頃には無垢だった息子も、スリザリンの内部に友人を作るようになっていた。

 

「どうして……どうして闇の魔術で殺してもいいなんて言ったの、父さん」

 

「子供が口を挟むことではない。そんなことよりも、勉強に専念したらどうなのだ?十二科目で優秀な成績を取らなければ、クィデッチ観戦など許さんぞ」

 

「そ、そんな……」

 

「あなた、少し厳しすぎるのでは……」

 

 おずおずと苦言を呈する妻にも取り合わなかった。

 

「子供を甘やかすな。お前は過剰に甘やかし煽て白痴のように知性を劣化させたデスイーターどもと関わらせたいのか?」

 

 闇の魔法使いの中には息子の友人の父母もいた。スリザリンにいれば、自然闇陣営に協力する父兄も多くなる。

 

 妻の実家のクラブ家すら、闇陣営を称賛し資金援助を行ない、あまつさえデスイーターを輩出していることを自分は知っていた。

 

 だからこそ、息子に取り合わずきつく叱った。息子がまだ13歳で、その友人も犯罪者を親に持つとはいえ子供だと知っていたのに。

 

(……本当に、どこまでも愚かだった。しかし本当に救いようがないのは……)

 

 

***

 

 今思えば、予兆はあったのだろう。息子は自分や妻に対して、何度もサインを出していたのだろう。

 

 しかし。

 

 自分は、それどころではないと無視していた。

 

 刻一刻と悪くなる戦況、止められない犠牲、悪化していく国力。国を支える執行部の長官として、仕事に打ち込むことが家族のためになる。

 

 魔法省大臣に自分を推す声も多くなった。しかし、まったく嬉しくなどなかった。例のあの人に勝てなければ、大臣の椅子などなんの意味もない。瞬く間にあの人に殺され首をすげ替えさせられるか、よくて服従させられ悪政に荷担させられるのが目に見えている。

 

 

 いつしか自分は家族のためという当初の目的も忘れかけていた。そんな頃、あの人が消え、そして。

 

***

 

 クラウチはそこで明確に意識を取り戻した。最悪の記憶こそ、偽りの幸福を打破するための礎となる。クラウチはまず、従順に命令に従うふりをした。

 

「ようし、クラウチ。酒を持ってこい、酒を。この屋敷の最高級品をな!」

 

「畏まりました、ドロホフ様」

 

 ロシア系の魔法使い、アントニン・ドロホフが自分にそう命令を出す。クラウチは、目を合わせず頷いた。

 

(……今はまだ意識を沈めたままの方がよい……)

 

 クラウチは従順な演技をした。今の自分は杖を奪われ、屋敷に軟禁されていたからだ。暖炉にフルーパウダーを使って移動するということはできない。屋敷が乗っ取られた時点で、封鎖されてしまった。テレポートも不可能だ。この屋敷にかけられた結界は強力で、魔法使いの使うテレポートを封じていた。

 

 しかし、機会はある。

 

 屋敷には、連絡用の梟があるのだ。

 

 連絡用の梟の世話をしている段階で覚醒することができれば、ダンブルドアに手紙を書くことができる。梟を飛ばした時点で自分の動きは発覚し命を落とすだろうが、今さら命など惜しくはない。

 

 クラウチは、ドロホフに背中を向けて見慣れたドアノブに手を掛けた。

 

 その時、雷に撃たれたかのような衝撃が全身を襲った。実際、かつて自分は闇の魔法使いから落雷魔法を受けたことがあった。脳がその時の記憶を取り出しているのだ。

 

「クルーシオッー(拷問)!!」

 

「っ……………………!!」

 

 クラウチは立つこともままならずその場に倒れ混んだ。ドアに、かけていた手は離れ、地面を叩く。

 

 ドロホフはクラウチを拷問にかけながら、クラウチの頬に唾を吐いた。

 

「まったく、厄介な男だよお前は」

 

 

 ドロホフは酒に酔ってなどいなかった。どこまでも冷酷な目でクラウチの挙動を観察し、クラウチが支配から抜け出したことを悟っていたのだ。

 

「……俺はお前がインペリオから抜け出せるとはこれっぽっちも思わなかった。だがあの御方は違った。お前が偽りの幸福から抜け出すかもしれないと警戒され、俺にレジリメンスを使うよう命じられた。さっき目を合わせなかったな」

 

 ドロホフは、ワイングラスをクラウチへ叩きつけた。クラウチの頭部が血で赤く濡れた。

 

「あれは不味かったぜ、クラウチ。お前は間違えた。寝起きでは心を隠せないと思ったんだろう?操られているやつは、なにも気にせず俺と目を合わせるだろうからなぁ」

 

 そう言うと、ドロホフはクラウチに杖を向ける。クラウチは体が軽くなるのを感じた。しかし、動けない。

 

 ドロホフはクルーシオを解いた代わりに、クラウチの体をインカーセラス(縛れ)で拘束していた。クラウチは言葉を発することもままならず、口を塞がれてしまった。

 

 

「お前さんに言いたいことは山程ある。お前は本当に忌々しい敵だった。お前さえ居なければ、今も俺の部下として暴れていた気のいいガキが山程いただろう」

 

(は……なせ……ダンブルドアに……伝えなければ……私は……私は……間違っていた……)

 

 クラウチはもがき拘束から逃れようとするが、どうにもならない。恐怖と、何も成せないという絶望で染まる。

 

 クラウチとドロホフの目があった。

 

「……だが。まぁ……お前さんには感謝もしている。何せお前さんは、丹精込めて育てたガキをあの方へ献上してくれたんだ。ありがとうよ、クラウチ」

 

 そう言うと、ドロホフは仕事を果たした。

 

「だから今、ここで殺す。アバダケタブラ(あばよ)」

 

 闇陣営にとって、かつて最大の敵だった一人の官僚がいた。バーテミウス·クラウチは、緑色の閃光に貫かれたあと音を立てて床に崩れ落ちた。

 

「心配するな、埋葬はしてやるよ。お前さんは仲間の親父だからなぁ」

 

 

 クラウチの屋敷に、悪魔の哄笑が響き渡った。

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