蛇寮の獅子   作:捨独楽

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最後の試練

 

 ハリーはその日、自分でも驚くほどすっきりと目を醒ました。

 

(……不思議な感覚だなぁ。クィデッチの試合当日の方が緊張しているくらいだ。こんなにぐっすりと眠れるなんて)

 

 まるでクィデッチの試合に勝った翌日のように。心配していた試験を突破した次の日のように。ホグワーツに向かうことが決まっている夏休み最後の日の朝のように、ハリーは充実していた。体は軽やかで、杖なしでも空を飛べるのではないかと錯覚するほどだ。

 

 ハリーは額の傷をそっと撫でた。額から痛みはかえってこない。

 

(……昨日はあれだけ不安要素があったっていうのに。僕は意外と鈍感なタイプだったのかな)

 

 ハリーの体はまるでこの日を待ちわびていたかのようだった。十四年生きてきて、間違いなく今日、この日、ハリーは最高のコンディションにあることを確信した。

 

 

 アズラエル達はまだ布団の中にいたが、ハリーは早々に顔を洗うことにした。

 トイレに備え付けられた洗面台に立ったハリーは、自分のコップに水を注ごうとして、ふと思った。

 

(ちょっと試しにワンドレスをやってみるか)

 

 左手の人差し指と親指でコップをつまむ真似をする。すると、コップはふわふわと宙に浮く。

 

 ワンドレスマジックをしていて気がついたことは、ハリーにとっては呪文学の魔法を使うのに適しているということだった。元々呪文学が得意ということもあるが、魔力を使ってものを動かすのであれば、杖という媒体がなくても理論上は可能だ。ようは、動かしたい物にその動きをさせるためにどれだけのエネルギーが必要かわかっていればよいのだ。

 

 

(……確か……あの時)

 

 ちょろちょろとコップに流れ出す水の音を聴きながら、ハリーはふと、自分にワンドレスマジックを見せた魔法使いの姿を思い出した。あまり思い出したくない苦い記憶と結び付いていたその人の姿を、ハリーはずっと心にしまいこんで忘れていた。

 

(クィレル教授は……最小限の動きだけで操っていたな)

 

 

 

 脳裏に浮かぶのは闇の魔法使いとなったかつての教師。彼がワンドレスマジックを使っていた姿をイメージすると、水道の蛇口は先程より勢いを増し、ハリーの意志に連動して蛇口が閉まる。

 

(……変な感じだな。どうして今クィレル教授のことを思い出したんだろう。どうして、クィレル教授の動きをイメージしただけで上手く出来たんだ?)

 

 クィレルの動きはワンドレスマジックの熟練者のものだった。かつて相対した敵の動きはガーフィールのそれと比べて、ハリーとの相性が良かったらしい。その動きをイメージすれば、ハリーは杖なしで物体を操ることも不可能ではない。

 

「アクシオ(来い)」

 

 その事に嫌悪感を感じない自分自身に驚きつつ、ハリーは杖なしで引き寄せ魔法を使い歯ブラシを手に取った。ワンドレスマジックが使えたということは、自分の体調はやはり絶好調だということだ。それさえわかれば、何の問題もなかった。

 

(今日も生き残ることが出来そうだ)

 

 この時ハリーは、この日を笑って終えられることを疑っていなかった。当たり前に笑える日がずっと続くことを、信じていた。

 

***

 

「……おはよう皆。早かったね、今日は」

 

「ハリーこそおはよう。……今日の君はひと味違いそうだ」

 

「怖くて眠れなかった……ってわけじゃなさそうだな。安心したぜ」

 

 早起きしたハリーの物音で目が醒めたのか、ザビニとファルカスも起き出した。ハリーは少し走ってくるよ、と言った。

 

「行ってこい行ってこい。俺も歯を磨いた後で付き合ってやるよ。……『スーザン』」

 

 ザビニが合言葉を唱えると、ザビニのトランクは綺麗に開いた。ガサガサとトランクの中を探すザビニにありがとう、と言って、ハリーは部屋を出た。

 

***

 

 クィデッチ競技場には、四人の代表選手が揃っていた。たくましく屈強なクラムや、観客席のビル·ウィーズリーに視線を向けるフルール、ハッフルパフ生からの大声援を受けるセドリックに比べると、緑色のローブに身を包んだ眼鏡の少年はずっと小柄だった。

 

 代表選手達は、応援に来た保護者から最後の激励を受けていた。背の高い黒髪の魔法使い、シリウスは妻のマリーダと共にハリーと会話を楽しんでいた。

 

「ハリー、グリフィンドールの観客席が見えているか?」

 

「……コリンだね、あれは。何度注意してもやめないな、あいつ」

 

 ハリーよりもさらに小柄なコリン•クリービーは器用に杖を操りながらカメラとビデオカメラを回していた。ハリー達の姿を撮影しながら、動画も残そうという徹底ぶりは周囲の人の目を引いていた。

 

「そうだ。俺はハリーが誇らしい」

 

「何で?ストーカーされることが?」

 

 シリウスのボケに突っ込むように困惑気味に聞くハリーは脱力していた。それこそシリウスの狙いだった。

 

「……グリフィンドールの生徒であるあの子はハリーを恐れてはいない。あそこまで慕ってくれているというのはな、ハリーがあの子を悪いようには扱わなかったという証拠だ」

 

 シリウスの瞳がハリーではなく、どこか遠いところを見るようになったのをハリーは見逃さなかった。

 

「買いかぶりだよ。僕ははっきりとコリンにウザいって言い切ったんだけどね。コリンには効果がなかったのさ」

 

「それでいい。……人はな、目下と思った人間に対して素が出るものだ。ハリーが目下の後輩に優しさを失わなかったことが、俺は誇らしい」

 

 

「そのまま行ってこい。そして、無事に帰ってこい」

 

「勿論さ」

 

 シリウスが付き出した拳に、ハリーはこぶしを合わせた。ハリーの、リリーを思わせる緑色の瞳には不敵な光が輝いていた。そしてジェームズを思わせるその顔には、ジェームズにはない傷痕と、ジェームズそっくりの笑みが浮かんでいた。

 

 

***

 

「ハリーが心配か?」

 

 観客席に戻ったシリウスに、マリーダが尋ねる。ハリーとシリウスとの所謂男と男のやり取りは、マリーダから見てとても上手くいっていた。

 

 マリーダは最初、今日のハリーが舞い上がりすぎているのではないかと思った。最後の大一番の今日この日に気力、魔力、そして体力のピークを合わせるのは並の神経では不可能だ。ハリーは今日、間違いなくピークの状態にあることは確かだった。それこそ、普段以上の力を発揮することも容易いだろう。

 

 そして、そういう日に限って人はあり得ないミスを犯す。クィディッチでも勉強でも他のスポーツでも、実力以上の力を発揮しているときは必ず集中力や、余裕、スタミナ、冷静さを犠牲にしているのだ。第二の試練におけるフルールがよい例だった。

 

 シリウスは上手くハリーを落ち着けたとマリーダは見ていた。ハリーには気負いも、自分の実力を見せつけようという傲りもないように見える。ハリーの身の安全を考えるならば、シリウスの対応はベストだった。

 

(なのにどうして寂しそうにしている)

 

 シリウスの感情の機微をマリーダは感じ取っていた。傍目には喜んでいるようにしか見えなくても、今のシリウスは感情の置き場がないのだ。所在なく杖を弄んでいるのがその証拠だった。

 

「ハリーは大丈夫だ。あの子は強くなった。今ならば私を含めた成人の魔法使いでも勝てるだろう」

 

 マリーダが言うと、シリウスはああ、と言った。

 

「……そうだ。確かにハリーは強くなった。そして、ハリーになった」

 

(……)

 

 マリーダが差し出した紅茶を手に取りながら、シリウスは言葉を紡いだ。

 

(!!早いっ!)

 

 マリーダはシリウスが周囲にマフリアート(防音)をかけたのを見逃さなかった。シリウスは熟練の魔法使いで、杖の動きの規則を無視して魔法を行使するのが得意だ。だから、会話のなかで杖をもてあそぶふりをしながら魔法を使うことだってお手のものだ。

 

(しかも、さりげない。これなら周囲には何を話しているのかもわからない……)

 

「スリザリンの応援席からの歓声が聞こえる。ハリーを代表として応援している声だ。そして、グリフィンドールからもハリーを応援している声がある。今は、スリザリンからの声よりもずっと小さい」

 

 

「自分の寮からの認められるのは当たり前のことだと思うが……」

 

 マリーダはスリザリンの応援席を見た。監督生のマクギリス·カローという青年は貴族らしいポーカーフェイスながらも、ハリーのことを見守っているように見える。あの態度こそ、ハリーがスリザリンから受け入れられこそすれ無碍にはされていない証拠だった。

 

 

 

「いいや。マリーダは知らないだろうが、ハリーはスリザリンに入ってからすぐにマグル生まれのハーマイオニー·グレンジャーを助けた」

 

 今度はマリーダが紅茶に口をつけた。

 

「……集団行動が原則の寮生生活で、そこまで浮いたやつが認められるには並大抵の努力じゃきかない。……だから俺は、最初本気でハリーを心配していた。……だがな、俺はきっと心のどこかでは喜んでいたんだ」

 

「……ハリーの中にはジェームズがいる、と」

 

「それは素晴らしいことだよ」

 

 シリウスがマリーダに本音を打ち明けるのは滅多にないことだ。マリーダは即座にシリウスを肯定した。

 

(その時そう思ったことを誰が責められるだろう?)

 

 そもそもの話、その時のシリウスにとってハリーは親友の忘れ形見であって、ハリーそのものと接した記憶はほぼない。一瞬そう思うことを誰が責められるだろうか?

 

「……だが……俺は……自分がそう思っていたことに気付いたとき、ジェームズにも、ハリーにも申し訳なくなった」

 

「……どうしてだ?」

 

 バグマンが選手達を紹介する声が響く。マリーダはバグマンの解説そっちのけでシリウスとの会話に興じた。

 

「ハリーが自分自身の意志で入ったスリザリンを見下していたことが、まず一つ。俺は無意識に、スリザリンには勇敢なことなんて出来やしないと見くびっていた。……そう思うことそのものがハリーに対する侮辱だ」

 

「……」

 

 マリーダは一瞬、何も言えなかった。

 

(感情論では否定したいのは確かだが……)

 

 

 シリウスがスリザリンを受け入れるために努力をしていたことは、マリーダも理解していた。反面、どうしようもなく上から目線であることも薄々察していた。

 

 

 スリザリンのOBやOGでデスイーターとなった人間達の蛮行と、スリザリンに所属しながらよくない風潮に染まり差別に走る在学生。それがスリザリンを、四つの寮において最低に貶めていた。

 

「……自分の命に支障をきたさない範囲でなら、大半のスリザリン生は善良で良識的だと言ったのはマリーダだったな。マリーダにもすまなく思う」

 

「私のことはいい。ハリーに言ってあげればそれで」

 

 マリーダの刺すような皮肉はシリウスにはこたえた。

 

「言えるわけがあるか」

 

 自分自身が内心で恥じている部分を、子供に見せられる大人はそう多くはない。マリーダとしては、その言葉が聞けただけでも満足ではあった。シリウスの本音が理解できていれば、ハリーとの渡りをつける自信はあるのだ。

 

「そうだな」

 

「……ハリーはジェームズとは違う。……俺はおそらく、ハリーにジェームズになって欲しかったのだと……思う」

 

 マリーダとシリウスは、ハリーを見た。緑色のローブに、スリザリンのエムブレムが入っている。スリザリンのローブはハリーの瞳の色と組み合わさって溶け込んでいた。

 

「ハリーにジェームズの優しさや、良いところをついでほしいと思っていた。……だが、ハリーは俺の想像を超えた」

 

 シリウスが親指で示した先には、スリザリンの観客席に座るグリーングラスの姿があった。

 

「ジェームズなら好きな娘を振り向かせるだけで七年はかけるからな」

 

「長すぎる。いつまで待たせる気だ?」

 

「……言い寄っても靡かないタイプが好みだったんだよ、ジェームズは。ハリーは違ったようだ」

 

 

 シリウスは苦笑しながらハリーの姿を見守っていた。バグマンの解説が響き渡る。

 

「……そして、最後の挑戦者っ!イルヴァーモーニー、ホーンドサーペント……いいや、違うっ!」

 

「ここにお集まりの皆様に、形式ばった建前は無用でしょう!……ホグワーツ、スリザリン寮代表、ハリィィィ-•ポッター!!」

 

 スリザリンとグリフィンドールの観客席が沸く。マクギリスはハリーに向けて何事か叫んでいた。シリウスは、ついに観念したように拍手を送った。

 

「ハリーは大丈夫だ、シリウス。ジェームズ·ポッターや、リリー·ポッターとの面識はなくても」

 

「貴方自身が、ハリーに大切なものを教えている」

 

 マリーダの言葉がシリウスを動かしたのかどうか、マリーダにはわからなかった。その言葉の直後、試合開始の号令が下された。

 

 




マリーダ「大丈夫だ」
フラグです。
マクギリス「君こそスリザリンの誇りだ、ポッター!!」
フラグです。テストに出ますよ!
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