(最悪だ……!)
甦ったヴォルデモートの行動は、醜悪極まりないものだった。ハリーにとってはそう見えた。
彼は暫くの間、自分自身の肉体が望み通りに再構築できているのかを確かめていた。削げ落ちた鼻も不自然な赤い瞳も、闇の帝王を自称する男にとってはなんのデメリットでもないらしい。ハリーは動けない自分が情けなかった。
(動け。……動ける時は必ず来る。拘束が一瞬でも緩んだとき、迷わず動け!動くことさえできれば魔法を使える。魔法さえ使えれば当ててやる。殺してやる!)
仮に。万が一ヴォルデモートが甦ったことに気をよくして考えを善の方向に改めていたとしても、ハリーはその殺意は揺るがなかっただろう。見ず知らずのマグルを殺されたことに対する心の痛みより、共に過ごした記憶がわずかな両親を殺された過去より。
何よりもこの世で生まれてはじめて出来た身内を傷つけられたという怒りはハリーの心を蝕んでいた。割れるような額の痛みがヴォルデモートへの殺意をより強固なものにした。
そんなハリーの殺気を込めた視線を見て、ヴォルデモートは弄ぶようににこりと笑った。日記のトム・リドルを彷彿とさせる、人を見下した高慢な笑みだった。
直後、ファルカスの体がハリーの縛り付けられている十字架へと叩きつけられた。ファルカスの泣き声とヴォルデモートの無慈悲な笑い声が墓地に響き、墓石に跳ね返って反響する。
ファルカスは意識を取り戻し、目の前の男が何者なのかを理解したようだった。今やファルカスは声を出すこともできず鼠のように十字架の下でうずくまっていた。
「腕を伸ばせ……と言いたいところだが」
ひとしきり笑い終えた後のヴォルデモートは、無慈悲な声でドロホフに言った。
「杖腕を犠牲にするとは見下げた心掛けだな、アントニオ?」
「はは、申し訳ございません。私があなた様のために捧げられる最大のものを用意しようと考えまして……」
ドロホフは止血をした右腕を手で抑え、片膝をつき畏まって言った。ハリーやファルカスを拷問していたときとは違う恐怖が見え隠れしていた。
「まぁよい。楽しみはこれからだ。今宵の宴に招いたホストとして、お客人には楽しんでいただかなくてはな?」
ヴォルデモートは自身のに緑色の禍々しい炎を浮かせた。炎は髑髏の形となり、髑髏の顎からは蛇が這い出る。
緑色の炎は、みるみるうちに黒く変色していった。変色と共にハリーの額の傷跡が傷む。
「ハリー・ポッター、スリザリンの子よ。我らと道を違えた呪いの子よ」
ヴォルデモートの無慈悲な眼光がハリーの目に突き刺さった。深紅と翡翠色の瞳が交錯する。
「三年ぶりだな。我が友の話では、見違えるほどに強くなったと聞いていたが」
「……どうやら見込み違いであったようだ」
拘束され、動けないハリーを嘲笑う闇の帝王にハリーは笑い返した。スリザリン仕込みの罵倒にはいささか自信があった。
「人の手を借りなければ復活なんてできなかったくせに、体が戻ってからはスリザリンの王様気取りですか。滑稽な王もいたものですね、帝王様?」
「小僧……!」
主より先に怒り出すドロホフを、ヴォルデモートはよいよいと笑って制した。
「折角こうして会えたのだ。スリザリンの同輩として少し語らおうではないか」
そうしてヴォルデモートは、自分がマグルの父親と魔女の母親を持ついきさつを語った。ハリーにとってはどうでもよい話に違いなかった。ヴォルデモートが、父親が母親を捨てたと話したとき、ハリーは無慈悲に言い切った。
「それで?……だからマグルは愚かだとでも?頭の出来は確かなのですか帝王さま?あなた様の頭はそのマグルよりさらに軽いようですが」
(……僕には関係ない話だ。それこそ他の誰にとっても)
ハリーの皮肉にヴォルデモートはすっと杖を抜いた。ハリーは殺されると思った。
迫る死の恐怖に、ハリーは思わず目を閉じた。
(ちくしょう……!)
しかし、死は訪れなかった。今はまだ。
死はまだ、ハリーの目の前にある。
「ポッター。スリザリンにまじりえぬ愚かな子よ。人の話は最後まで聞くものだ。私にとっての真の家族とは、愚鈍なマグルの父ではない。君の父親と同じように愚かにもマグルを好み、死に屈した母でもない」
「僕の母さんは魔女だ!お前ごときが侮辱するな!」
ハリーが怒りのまま叫んだとき、闇が、墓地を染め上げていった。
「愚かな少年よ。我が真の家族にして忠実な部下達を……真の魔法使いというものを見せてやろう」
空間跳躍によって闇の印めがけてテレポートしてきたデスイーター達だった。皆髑髏の仮面と黒いローブを身に付け、フードで頭を覆っていた。
ハリーは声にならない呻き声をあげた。フードと仮面で取り繕おうと、見分けがつく程度には交流があった。
(……あ……)
ハリーの胸がずきずきと傷んだ。ハリーの額ではなく、心に消えない傷がつく。
ルシウス·マルフォイに違いない長い杖を持つ魔法使いがいた。ルシウスの後ろに子分のように従う魔法使いは子供のグレゴリー・ゴイルにそっくりな歩き方だった。あの魔法使いは、ゴイルの父親に違いない。
セオドール・ノットのことは嫌いだった。嫌いだったのに、その父親が仮面をつけて当然のようにこの場所に来たことを信じたくはなかった。クラブの父親はハリーを見つけると、まずハリーのことを嘲笑った。すすり泣くファルカスを見て吹き出しゲラゲラと嘲笑った。クラブにそっくりな笑い方だとハリーは思った。
「なんだあの無様な子供は?」
(そんな、そんな……)
ハリーが目を背け続けた現実と向き合う日がついに訪れた。三年半を共に過ごし、決して一枚岩ではなかったにせよ、大切な仲間だった。ハリーの居場所だったスリザリンの友達の親が、ドロホフと同じ言語道断の犯罪者であるというどうしようもない現実が目の前に広がっていた。
ハリーとは面識のない人間もいた。ワルデン・マクネアやヤクスリー、エイブリー、ルックウッド。カローやセルウィンやパーキンソン、そしてグリーングラスはいなかった。しかし、何人かは純血の一族として縁戚関係にあることをハリーはスリザリンでの交流で知っていた。
(嫌だ……!皆の父さんを殺したくない……!……でも……殺されたくもない……!)
ドロホフに抱いていた殺意や憎しみが、この場にいるデスイーター全てに溢れそうになる。それがハリーは怖かった。一度ヴォルデモートが命令を下せば、ハリーは彼らに殺されることになるだろう。同じ寮の仲間の実の父に。
ハリーが動揺している間にも、ヴォルデモートの語りは続いていた。ヴォルデモートは進み出たエイブリーをクルシオ(拷問)にかけた。クラブの父の笑みが消え失せた。
ヴォルデモートの怒りは尋常ではなかった。ヴォルデモートは裏切りを決して許していない、とハリーは思った。
「我が家族はどうやら、この私が想像していたよりもはるかに薄情な人間どもであったようだ。この十余年、私は同胞が私を探すことを待った!ただひたすら待ち続けたっ!」
ヴォルデモートの声のトーンはだんだんと上がっていき、もはや怒りを隠そうともしていない。
そこからの行動は、暴君……ハリーの視点では子供の癇癪と言うべきものだった。ヴォルデモートは、ドロホフを最も忠実な部下と呼び銀色の右腕を与えた一方、裏切ったデスイーター達をクルシオ(拷問)にかけた。ハリーはヴォルデモートの姿に癇癪を起こすダトリーの姿を重ね、吐き気がした。
(狂っている。こいつは)
饗宴は止まらなかった。誰もがヴォルデモートを恐れ、その暴虐が自分に向けられることがないように恐れている。ドロホフを友と言いながら並び立つことを許さないその姿はまさに醜悪な人間そのものだった。
ヴォルデモートがルシウスの前で種明かしをし始めた。ヴォルデモートは、噂好きのバーサ・ジョーキンズをドロホフが支配の呪文で操ったチンピラに捕らえさせたと話した。
「我が友はいささか遊びに走る悪癖があったが、アントニンはよい働きをした。……あの女の持っていた情報の全てはわたしにとって有益なものだった。わたしに対しての忠義を尽くしてアズカバンに入り、この儀式を完遂したその献身には報いねばなるまい」
「ははあ!!ありがたき幸せ……!このドロホフ、文字通り死ぬまで我が君のもと力を尽くします!!」
闇の帝王は満足そうに頷いた。そしてまた、自分の配下について言及した。
「アントニンを除けば……我が最も忠実な部下は、今この場にはいない。レストレンジ達はアズカバンに。……そしてもう一人は……既に任務に就いている」
(……まだ、配下がいる。どこだ!?どこに居るんだ?……こいつしか知らないっていうのか?……まさかスネイプ教授が……)
ハリーが動揺している間にも、ヴォルデモートは話を続ける。自分自身の肉体を得たことに舞い上がっているのか、ヴォルデモートの声は饒舌でとどまることを知らない。デスイーター達は主の多弁に口を挟めない。ドロホフでさえ口を閉じている。
「……そして。今宵私は、この少年の母親が残した呪いを克服する術を得た。復活の儀式においてこの少年の血を取り込むことで、血の呪いは意味をなさなくなった」
「そんな……それじゃあもう……勝ち目なんてないじゃないか……」
ファルカスはガタガタと震えながら怯えてヴォルデモートを見た。その心はへし折られ、勇敢だった頃の面影はどこにもない。
「その通りだ。クルシオ(拷問)」
ヴォルデモートはくるりと向きを変えると、まずはファルカスに、次にハリーを拷問にかけた。
瞬間、ハリーを襲ったのはハリーが忘れていた痛みだった。正確に言えば、オブリビエイトによって忘却させられていた痛み。ディメンターが来た時、地面に落下したとき全身を襲ったショックがハリーを襲った。
ハリーは息もできなかった。肺が急な高低差に堪えきれず、手足は重力加速度を乗せた衝突によってひしゃげ、もはや動かすこともままならない。本来ならそうなっていた筈の痛みがハリーを襲ったとき、ハリーは己の意識を手放していた。
気がついたとき、周囲のデスイーター達は主がハリーをその手で掴み、投げ飛ばす姿を見ていた。その姿は、ダドリーの取り巻き達がハリーを取り囲んだときの光景に酷似していた。
ハリーの心の古傷が開く。誰もハリーを助けようとはしない過去が頭をよぎる。
「お許しください……どうか……!どうかお許しを……!」
「発言を許可した覚えはないのだかね」
ハリーが気付いたとき、ファルカスは必死になってヴォルデモートに平伏していた。ハリーはあまりの光景に目を疑った。
(やめろ。ファルカスは……君はそんなヤツじゃないだろう!)
クルシオ(拷問)による痛みはいまだにハリーの身体を蝕んでいた。クルシオは肉体本来への損傷はないが、痛みを関知した脳が動くことを拒否している。
ハリーは声を出すこともできず呼吸をすることもままならない。そんな中、ヴォルデモートの怒りの矛先はついにドラコの父親であるルシウスへと向けられた。
「たった今、私は全盛期以上の力を取り戻したことを証明して見せたわけだが……申し開きはあるかな、ルシウス」
ルシウスは主に対して必死になって弁明していた。その姿に、高貴さや高慢さは欠片もない。
「わたくしは、ご主人様がお戻りになるのを待っておりました……そのために、堪え忍ぶ日々でございました」
「目の前の少年を私の後釜にし、後見人と言う名前の傀儡として操ろうとしていたのだろう?……つくづく抜け目のない男よ。マルフォイ家の面目躍如といったところかな?」
ルシウスは図星をつかれたように答えに窮したが、流石に口がよく回った。
「いえ。いいえ、ご主人様の代わりとなるものなど誰もおりませぬ。わたくしは、あの少年がスリザリンに相応しい人間となるよう我が息子ドラコに言い含めてきたのです」
「ほほう。言うではないか」
ですが、とルシウスは笑った。
「組分け帽子は選択を誤りました。スリザリンに組分けされ、いやしくもその末席に座りながらあの少年は」
ルシウスはハリーを見て、確かに嘲笑った。仮面越しにもはっきりとわかる。
「こともあろうに、穢れた血を友とする始末。愚息の手には余る愚者でありました」
(そうか、僕は)
「馬鹿はお前達だ……!」
やっとの思いで叫んだハリーの言葉は空しく墓石に反響するばかりで、誰も答えを返さない。ファルカスでさえ。
(……甘かったんだ)
デスイーター達はルシウスの言葉にしきりに頷く。ハリーにとっての悪夢は紛れもない現実だった。ハリーがたとえ何をしようとも、この現実を変えないことには、マグル生まれが迫害される日は終わらない。非差別者として苦しみ、スリザリンがその差別の加害者となる日は終わらないのだ。
「閣下。今こそ、スリザリンの名を瀆す少年に改心の機会をお与えください。このルシウス、一生の頼みでございます」
「ほう、頼みと申すかルシウスよ。お前が、私に?」
「彼をシリウス・ブラックの手から引き離し、純血主義の尊さを教育するのです。……その役目、不詳ながらこのルシウスが請け負います。さすれば、閣下のよき部下として働くことでしょう。ポッター家の財産、腐らせるには少々惜しいものがございます」
ポッター家の財産と聞いて、ヴォルデモートは何をしようとも考えたのだろうか。ヴォルデモートはルシウスにクルシオ(拷問)をかけた。
「……か……は……」
「ルシウスよ。私は既に彼に三度手を差しのべた。一度目は三年前、直接彼に目を醒ますよう促した。二度目は昨年ドロホフの手で。そして三度目は今日この日、お前達がここに来るまでの間に。これ以上の慈悲はもはや不要であろう」
しかし、とヴォルデモートは言葉を続けた。その笑みはどこまでも邪悪だった。底のない悪意というものがこの世にあるとすれば、それはヴォルデモートに違いなかった。
「与えてやろうではないか。改心し、悔い改める機会を」
「……二人に、な」
***
「お前も相変わらず性格が悪い男だな」
ドロホフはルシウスへ皮肉を飛ばした。主に尽くさず寝返った裏切り者に対してよい感情など欠片もないはずの男は、十余年前と変わらぬ気安さでルシウスに語りかける。
「躍り狂い死ぬ人間を眺める趣味は相変わらずか?」
そんなドロホフの皮肉に、ルシウスは勿論、と答えた。
「これで私の息子があの少年から悪影響を受けずにすむのだ。これ以上の何を望むというのだね?」
その返答を聞いててドロホフは舌打ちした。
「人殺しが一丁前に親を気取るか。つくづく懲りん男だな、お前は。お前のような親をもったガキが哀れでならんよ、俺は」
ドロホフの皮肉をルシウスは涼しい顔で受け流した。この数分後、ルシウスの涼しい顔は崩れ去ることになる。
***
「死ね!死んでくれ、ハリー!」
ファルカスの無言ステューピファイをハリーはかわし続けた。ハリーはファルカスの攻撃から逃げ、隙を見て墓石の間に転がっていたゴブレットに視線を向けた。ゴブレットはドロホフの手で破壊され、ポートキーとしての機能を停止している。
(あれはもう駄目だ)
ハリーはつとめて冷静になるように自分に言い聞かせていたが、コンディションは過去最低だった。肉体以上に精神の傷は深かった。思うように身体が動かず、空を飛ぶことすら容易ではない。仕方なくハリーは敏速で素早く動きまわりながら、インカーセラス(拘束)によって迫り来る蔓を無言ボンバーダで弾き飛ばした。
ハリーとファルカスは自分の杖を返され、決闘をさせられていた。決闘の勝者にはヴォルデモートと戦い死ぬ権利が与えられる。死を回避したければ、決闘で勝利した上で倒した相手を殺害し、ヴォルデモートと純血主義に忠誠を誓う。そうすれば生かす、とヴォルデモートは言った。
ヴォルデモートに約束を守る気などないことはわかりきっていた。ハリーがすべきことは、ファルカスを連れて火消しライターでこの場から逃げることだ。
しかし、ファルカスは自暴自棄になっていた。今のハリーではファルカスから火消しライターを奪うことは容易ではない。火消しライターはアクシオによる呼び寄せができないように細工がされている上、ファルカスは本気でハリーに殺意を向けてきているからだ。
「当たれ!当たってくれよぉ!当たってくれよぉ!!」
無言呪文で放たれるステューピファイの精度は目茶苦茶で、決闘クラブで鍛え上げた面影はひとつもない。命のやり取りの場に放り込まれた挙げ句友人と殺しあいをさせられているのだから当たり前の話だ。
しかし、ファルカス以上にハリーのコンディションも最悪だった。杖さえあればヴォルデモートを攻撃すると息巻いていたのも束の間の話、杖を返却され攻撃に転じた瞬間、ハリーの失神呪文はヴォルデモートの手であっさりと跳ね返された。そして友との殺しあいだ。身体は鉛のように重く、思いどおりに動いてはくれなかった。
ヴォルデモートにステューピファイは効かない。他ならぬヴォルデモート自身がそう言いきった。闇の実験を繰り返したヴォルデモートの肉体はかつてのトム・リドルのものではない。従来の魔法族のそれに加えて、高い魔法耐性を持つファンタスティックビーストの特性を皮膚に与え、その身体は自分自身のものを除けばあらゆるコンジュレーションをはね除けると言いきってみせた。
それはファルカスにとってどれだけの絶望だっただろう。
「落ち着けファルカス!」
「うるさい!クルシオ(拷問)!!」
ハリーはクルシオをすんでのところで回避した。
(……!)
知らずハリーの翡翠色の瞳から涙が溢れる。
まさか自分がファルカスからクルシオを向けられるとは想像もしていなかった。裏切られたという思いがハリーの頭によぎる。
「君が強いから!!君ならなんとかできるからって!皆信じてたのに!あの人に勝てないじゃないか、君は!」
「そんなことは……!」
ない、とは言えなかった。
ハリーの攻撃は通用せず、強制的にファルカスとの戦いをさせられているのが何よりの証拠だ。
ハリーはついに決心した。ファルカスの言葉を聞きたくはないと、勝負を決めるつもりだった。
「僕は君の友達になってあげたじゃないか!二年生の時も!!今年だってずっと!ずっと友達をやってあげたじゃないか!払えよ!友達料金を払ってくれよ!」
ハリーは愕然とした。
ファルカスの言動にではない。
爆笑するデスイーター達に対してだった。ハリーはファルカスのクルシオを避けながら空に飛翔する。宙返りをしたとき、ハリーは先程までハリーの後ろで観戦していたルシウスがファルカスに杖を向けていることに気付いた。
「お前っ……」
ハリーはファルカスの口が、ルシウスの杖の動きと連動していることに気づいた。ルシウスに操られていたのだ。
(一体どこからどこまで……)
自分より弱い人間をいたぶり操り、なぶることに喜びを見出だすどうしようもない屑だということをハリーはまざまざと思い知らされた。
ルシウスやドロホフの名誉(そんなものが存在するとすればだが)のためにあえて書くならば、これは闇の魔法使いを育成する上での重要なプロセスだった。
心の底から信頼する家族や恋人。あるいは心の奥底で憎しみを抱く親。闇の魔法使いとして養成したい人間の目星をつけておき、絶対にどうにもならない状況に追い込んだ上でクルシオ(拷問)にかける。
クルシオがなぜ闇の魔法使いから重宝されるのか。それは人が追い込まれたとき、時に他人を蹴落としても自らだけは助かりたいという心理に陥ることを利用しているのだ。
やり過ぎれば魂に不可逆のダメージを与えるクルシオだが、調整すれば肉体に損傷は残らない。クルシオにかけ追い込んだ標的を唆し、餌を垂らして、そうせざるを得ない状況にまで追い込んだ上で争わせるのだ。
普段であれば絶対に言わないような言動、行動を自らの意思で行わさせ、徹底的にこれまでの自分自身を否定させる。そうやって尊厳を破壊し尽くした上で都合のよい手駒とするのである。
ドロホフやルシウスの卑劣さはある種機械的に計算されたものだった。彼ら闇の魔法使い達は娯楽として、弱いもの苛めをしながら他人が自分達の領域まで引きすり降ろす瞬間を待っている。言語道断の人でなしなのである。
結果としてファルカスはクルシオを恐れ、ハリーにクルシオをかけるほどの憎悪を抱いた。闇の魔法使いとしての素質を育む上でこれ以上に効率のよい仕事はないであろう。友も、自分自身も信用できず孤独になった人間ほど脆いものはない。
ハリーはそんなルシウスの、闇の魔法使い達の卑劣さ、悪辣さに気づいた。
(……)
ハリーは怒りで頭が煮えた後、本人の主観では急速に冷静になった。人間は怒りがある段階に達すると、頭が冷えるというがそれは間違いである。冷えたような気がするだけで、怒りと憎しみは消えることはない。感受性の豊かな思春期のハリーであればなおさらだった。
というよりも。
今まで見ないふりをしてきたことを突きつけられた。
ことここに至ってハリーに躊躇う理由はなかった。
「……そんなに死にたいなら……」
ハリーは殺意のままに、無言呪文で闇の魔術を使った。
「望み通りに殺してやる」
ファルカスの周囲を黒い輪が取り囲む。ファルカスは絶望の呻き声をあげた。デスイーター達の表情が凍りつき、悲鳴をあげるもの達もいた。
ファルカスの周囲から展開された黒い炎の輪は、瞬く間に円の外側に蒼炎を放出する。そして蒼い炎は壁となりファルカスを取り囲む。ハリーはファルカスに向けて無慈悲に杖を一振りした。
「さようなら、ファルカス」
蒼い炎はファルカスの悲鳴ごと、ファルカスの身体を飲み込んだ。
***
「……えっ……?」
ファルカスの身体は蒼い炎のなかにあってなお、無事だった。ハリーはプロテゴ ディアボリカを外側に解き放ち、内側にはプロテゴ インセンディオを使った。ハリーの炎はファルカスを焼くことはない。
「君はプロテゴ ディアボリカを耐えた。さっきのは君の本心じゃなかったんだ」
ハリーは矢継ぎ早に捲し立てた。これはハリーの渾身のペテンだった。プロテゴディアボリカの対処にルシウス達が手間取っている今のうちしか、逃げるチャンスはない。それにはファルカスの協力が必要だった。ハリーが火消しライターを使ったのはもうずいぶん前のことで、今のハリーが狙った場所に逃げられるかはわからないからだ。
「エビスキー(治療)」
ハリーがファルカスにかけたのは、治癒の魔法だった。
ファルカスの身体の打撲による傷は、多少はましになったはずだ。ハリーはまるで気にしていないよと言う風にファルカスへと笑った。
「ファルカス、火消しライターを使おう。一緒に逃げるんだ」
ハリーの声はなるべく普段通りであろうとした。そうあろうとして、できなかったが。ハリー自身気にする余裕などなかったが、ハリーの頬には涙の跡が残っていた。
「ハリー……でも……僕は君を」
「シリウスが昔言っていたよ」
ハリーはファルカスの言葉に声を被せた。
「人は追い詰められると、自分でも思ってもいないことをやってしまうものなんだって」
あの言葉がファルカスの本心であれ嘘であれ、ハリーにとってはどちらでもよかった。
(僕のことは嫌いになったとしても……皆のことはそうじゃないだろ)
ただファルカスとまたホグワーツに戻り。
四人で寝起きしてバカ騒ぎをして、授業を受けることができさえすればそれでよかったのだ。
「皆にあわせる顔がないよ。僕は……サダルファスはまた戦犯に」
「……貸して。僕は君さえいてくれたらそれでいい。世界とか、そんなことは後でー」
ハリーが迷うファルカスから火消しライターを受け取ろうとしたその時。
「アバダ ケタブラ(死へ向かい飛翔せよ)」
緑色の閃光がファルカスへ突き刺さり。
友の体は、あっさりと大地へと崩れ落ちた。
***
「余興にもならぬか。所詮サダルファスなど純血主義にもなれずダンブルドアにも認められなかった半端者よ」
悪魔の嘲笑は、炎越しでも不思議とハリーの耳に入ってきた。
「ハリー・ポッター。約束通り決闘としようではないか。作法は習っているのだろう」
ハリーの世界は黒く染まっていた。目の前に光を見出だすことができない。
「その少年のように平伏するのだ。死に向かって頭を垂れろ。お辞儀をー」
(僕のせいで。逃げられたかもしれないのに……)
ハリーはヴォルデモートではなく、ファルカスを見ていた。目の前のファルカスは、まるで生きているかのようにまだ暖かい。しかし、死んでいる。ハリーはそれが解ってしまった。
もう、友の魂はこの身体にはないのだ。ファルカスは、戸惑いと絶望と、そしてわずかな希望を顔に貼りつけたまま死んでいる。まだ、伝えたいことが山ほどあったと言うのに。話すことがいくらでもあったのに。帰ることが出来さえすれば、それは叶ったのに。
ハリーはファルカスがルナをパートナーに出来たと言ってほっとしていたことを思い出した。ハリーの脳裏には、闇祓いになりたいと言っていたり、バナナージに決闘クラブに誘われて嬉しそうにしているファルカスの姿が浮かんでは消えていく。
もっともっと、楽しいことは幾らでもあったというのに。
自責の念と後悔がハリーの中の枷を破壊した。許しも救いも、ヴォルデモートにはあってはならない。たとえ自分が人殺しになったとしても構わないとハリーは思った。
この世には存在してはならない人間が確かに存在するのだ。
(殺す。こいつだけは、絶対に!)
ハリーは怒りのままにヴォルデモートに杖を向けた。決闘の作法とは敬意を払うべき相手に対するものだ。目の前の人間に対して払うべき敬意など持ち合わせてはいない。
ハリーの動きは荒々しく欠片も洗練されていない。ルシウス・マルフォイはハリーの動きを素人のそれと断じ侮った。
しかし、杖に込められた魔力と殺意だけは本物だった。
「アバダ ケタブラ(死ね)」
それは死を願い、それを実現する最悪の魔法。正真正銘の闇の魔術。生きとし生けるもの全てに対する冒涜であると同時に、生きとし生けるもの全てが必ず受け入れなければならないもの。死そのもの。
直撃すれば、否、掠りでもすれば死をもたらす。闇の魔術のひとつの到達点に、ハリーは到達した。というよりも、深く沈み、そして堕ちた。
この瞬間、ハリーは何もかもを棄てていた。己の未来も、過去も、人生も、養父であるシリウスの思いも。自分を守り死んだ父と母の思いも。全てを棄てて目の前のヴォルデモートを殺すことだけがハリーの全てだった。
緑色の閃光は寸分たがわず闇の帝王を狙い撃つ。
もしも。
もしもこれを受けたのが、ワルデン・マクネアやルシウス・マルフォイならば。ハリーの闇の魔術は成功していただろう。十四歳の子供が死の呪文まで使えるわけはないとたかをくくり反応が遅れ、迎撃は間に合わなかっただろう。
大人は子供とは違う。大人は感情より先に利害で生きているがゆえに、感情的な子供を見下しその考えを侮り、子供の持つ力や可能性を過小評価してしまう。ルシウス達にはこの傾向が大いにあった。
しかし。
闇の魔術に必要となる全てを、このときのハリーは備えていたのである。闇の魔術に対する知識と、敵対者に対する充分すぎるほどの殺意。そして、十四歳ではあり得ない魔力。そして、十四歳だからこその視野の狭さ。それがハリーにはあったのだ。
それらはハリーが自分の意思でこの四年間で磨き上げ、闇の魔法使い達がハリーを追い詰めることで育んできた悪意の種子だった。
実らせるべきではない種は育ち、今まさに開花の時を迎えた。スリザリンという泥の中に育った悪意の花は見事に咲いてみせた。死が闇の帝王に迫る、その瞬間。
闇の帝王は、即座に迎撃を試みた。完璧な杖裁き、魔力量、そして速度でもってその迎撃は成功する。
闇の帝王を名乗る犯罪者の強さは本物だった。ほぼ反射的に、自称ヴォルデモート、名前を言ってはいけないあの人ことトム・リドルは迎撃のための無言アバダケタブラを解き放つ。
ハリーの杖から放たれた緑色の閃光と、ヴォルデモートの杖が解き放った緑色の閃光。不死鳥の尾羽を素材に持つ兄弟杖は、奇しくも同じ魔法をそれぞれの杖から放った。互いを鏡とするかのように。それぞれの杖は、その時確かに共振した。
スリザリンを思わせるような、毒々しく、そしてどこか悲しげな緑色の閃光は、寸分たがわず空中で激突し大気を震わせた。
原作のハリーさんはこの場面でいたデスイーターを諳じていました(あの場にいた大半はのデスイーターとは面識ゼロ&仮面ありなのに)。
ハリーさんの記憶力がいいのもあるでしょうが、覚えるくらいに夢で魘されたのでしょう。
あんまり実感ないけどロンハーが死ぬよりここのハリーさんにとっては辛いかも。