緑色の閃光が衝突したとき、ヴォルデモートは己の勝利を確信していた。
闇の帝王。ロードを自称し、闇の魔術を極めた末に到達したダークロードの称号は伊達ではない。闇の魔術において並ぶもののいない高みに到達したからこそ、トム・リドルは闇の帝王と純血一族達から認めさせるに至った。アバダケタブラの押し合いであれば間違いなく圧倒できるという自信がヴォルデモートにはあった。そうでなければ君臨など出来るはずもない。
ルシウスの提案を採用したのは単なる驕りではない。
万が一。
万が一、ハリー・ポッターに闇の帝王が持ち得ない力があるとするならば。
それがヴォルデモートの知らない未知の力であるとするならば。
それはヴォルデモートにとって恐ろしいことだった。一度味わった死の恐怖は、今もヴォルデモートの脳裏に刻み込まれている。
恐怖を回避するためには、ハリーが自分のの領域に堕ちてくるのが最も安全だとトム・リドルは確信していた。ヴォルデモートはグリフィンドール生ではない。そのあり方は、勇気とは程遠い。
未知への恐怖は万人に存在し、ヴォルデモートも例外ではない。深層意識ではハリーの中に存在するかもしれない未知の可能性に怯え、己の死をもたらすかもしれないと、ヴォルデモートは誰よりもハリーを深く恐れている。
ヴォルデモートは死という絶望に挑む勇気を持ち合わせているわけではなかった。死を忌避しそれを避けるためにあらゆる手を尽くす。スリザリン生にしばしば見られるである自己保身の傾向を極限にまで極めた男が、トム・リドルの本性だった。
(勝った)
ヴォルデモートは、まだハリーを殺害したわけでもないのに安堵した。
仮にハリーに自分と同等の闇の魔術の才能があろうとも。
ハリーと自分とでは闇の魔術に捧げた時間が違う。技術が違う。経験値の桁が違う。
ハリーのアバダケタブラは直撃すれば間違いなく魔法使いの命を奪いうるものではあった。しかし、その死の閃光を見てヴォルデモートは心の底から安堵していたのだ。
しかし、勝利を確信した闇の帝王の笑みは一瞬で凍りつき、驚愕へと変わる。
肉体を失ってなお、ヴォルデモートがこれだけはと守り続けたたった一つの力の象徴。魔法使いにとって命と等価とされる杖が。
オリバンダーの店で購入して以来、トム・リドルを裏切ったことのない杖が、主の意志に従わないのだ。
緑色の閃光はハリーを貫くどころか、ハリーと拮抗しようとしている。闇の帝王とハリーの杖からは漆黒の煙が出てきていた。それらは蛇のようにとぐろを巻きながら、より太くより深くハリーとヴォルデモートを取り囲んでいた。
(おのれ……!小癪な!)
「……手を出すな!あれは私の獲物だ!」
「……し、承知!」
ヴォルデモートはこの異常事態にあって、部下の介添を許さなかった。真っ先に主のためハリーの抹殺を試みようとしていたドロホフは、主の命令を受けてハリーが展開していたプロテゴ ディアボリカの鎮火に注力することにした。
集まったデスイーターの大半は主のために牙を研ぐどころか、仮初めの平和を享受しすっかり劣化しきっていた。マクネアやクラブ、ゴイルはルシウスのフィニートがなければ炎に飲み込まれて死んでいただろうし、ヤクスリーもドロホフが火をコントロールしなければ焼けていたのは間違いない。デスイーター達は捕食者ではなく、あわやハリーが闇の魔法使いとして成長するために死に喰らわれる生け贄になるところだった。
「助けてやろうか、ヤクスリー」
「す、すまない、ドロホフ。この礼は必ず……」
「お前の持っている一番いい車を俺に寄越せ。あと酒もな」
(……いっそポッターの炎でコイツらを何人か謀殺するのも悪くはないかもしれんが……)
ドロホフの脳裏に、裏切った仲間への報復が頭を過る。しかし、主のためにドロホフは己の悪意を抹殺した。
(……それは帝王の本意ではないだろう)
ドロホフは主のために、役立たずの仲間達を救うことにした。もちろん恩を売ることは忘れないが。
(……それにしてもコイツらはどれだけの時間を無駄にしてきた?闇の魔術どころか……魔法の基礎すら疎かだ。無様さもここまで来ると滑稽ですらある)
ドロホフは炎を逃れて右往左往する同僚に強い殺意を抱いた。彼らの魔法の腕は、ルシウスなどのごく一部を除くと全盛期とは比べ物にならないほど頼りなく衰えていた。ドロホフのように牢屋に入っていたわけでもないのに。
あるものは敏速で避けようとして息切れし、あるものはテレポートで逃げようとして失敗する体たらくだった。デスイーターは闇の帝王から直接命を下される、組織の幹部であるはずなのに。そこらのチンピラと変わらない力量に落ちた仲間達を見て、ドロホフは失望を募らせる。
(……頼れるのは己のみ、か。分かりきっていたことだがな!)
ドロホフ以外のデスイーター達はこの十年、あるものは家庭を持ち、あるものは社会人として表の世界で交渉や政治の駆け引きを繰り広げてきた。一般社会の理を真面目に守ろうとすればするほど、付き合いや交流で闇の魔術に接する機会は減る。時間をやりくりすることに長けた魔法族でも、大人には拘束時間というものがある。自分のために使える時間は限られていて、闇の魔術の研鑽などに時間を割くのは狂人のそれだ。
デスイーター達のほとんどは狂人ではなく常人の仮面をつけて十年を過ごした。ドロホフや、レストレンジ夫妻をアズカバンに売り渡して。ドロホフの中にはヴォルデモートと同じように、出戻り組に対する消えない殺意がある。醸成された悪意は、ドロホフやレストレンジ夫妻のように生き残った真のデスイーター達をより凶悪な殺人鬼に変えることだろう。
出戻り組も、主の復活が近付いてきたこの数ヵ月で予行演習はしてきた。事実、自分よりも弱い立場の人間に対する振る舞いは闇の魔法使いそのものであり、精神性はもはや闇の魔法使いと変わらない。人間の精神は清く保つことは難しく、堕ちるときは容易いものだからだ。
ハリーの怒りと殺意が込められた炎は、出戻り組の中途半端な実力で止められるようなものではなかった。焼かれ死んだ人間がいなかったのは結果論に過ぎず、ドロホフがいなければルックウッドやヤクスリーは確実に命を落としていただろう。ドロホフは渋々主のために働きながら、主の様子をチラリと横目で見た。そして、ドロホフの目は驚きに歪むことになった。
「……馬鹿なっ!?」
***
この場にいるのは腹心のドロホフだけではない。旗色が悪くなれば自分を見限ると分かりきっている獣の群れだ。
身勝手な闇の魔法使いたちを従えるには、恐怖だけでは足りない。
あるじに反抗する勢力の目を摘み、闇の帝王は絶対であることを証明しなければならない。強者に対する信頼があってこそ、闇の魔法使い達はヴォルデモートを盟主と仰ぐのだ。
ハリーを自分自身の手で始末することこそが裏社会を生きる闇の魔法使いとしての矜持であり、組織の長としての体面だった。
結果的に、その拘りは綻びとなってしまう。
この墓場が。ヴォルデモート自身が呼び寄せた部下たちが。ハリーの視点では周囲を敵に囲まれた死地でありながら、ヴォルデモートを縛る枷にもなっていたのである。
ハリーとヴォルデモートを繋ぐ杖は、禍々しい悲鳴をあげていた。不死鳥の嘆きの声がハリーとヴォルデモートに囁きかける。不死鳥の調べはまるで堕ちた主を嘆くかのように物悲しく、不吉な印象を与えた。
(忌々しい……)
ヴォルデモートは不死鳥の調べに苛立ちを感じながらハリー・ポッターと視線を交わした。緑色の目を持つ少年の眼鏡は左側が割れており、右側の目には額からの出血が入って赤く充血していた。
ハリーの瞳からある感情を読み取り、ヴォルデモートは不快さから骸骨のような顔を歪めた。
(身の程を弁えぬ小僧がっ!!)
ヴォルデモートは激怒した。ハリーはヴォルデモートを、闇の帝王を殺せると心の底から喜んでいる。一瞬のレジリメンスでそれを読み取ったヴォルデモートが己の杖に魔力を込めようとしたとき、ハリー・ポッターの側に変化があった。
***
ハリーの心にあったのは、絶望と歓喜だった。
もう二度とファルカスと会えないという絶望と。
「殺せる……これなら殺せる!!」
ヴォルデモートを殺すことが出来るという歓喜。その感情が、ハリーの魔力を増幅させアバダケタブラの閃光をより禍々しいものにしていた。
悪霊の炎(ペスティス インセンディウム)でも悪魔の護り(プロテゴ ディアボリカ)でも、高い魔法耐性を持つヴォルデモートを殺せるとは限らない。よしんばそれらを組み合わせさらにマキシマをかけたとしても、死ぬ保証はない。
ハリーにそこまで計算が出来ていたわけではない、それでも、かつてヴォルデモートの肉体と魂を分離した実績のあるこの魔法がヴォルデモートにとっても脅威であることは間違いない。ヴォルデモートがわざわざ迎撃したことからもそれは明らかだった。
(自分は死なないなんて思うな!!甦ったことを後悔させてやる!)
ハリーの心にある混じりっけなしの純粋な殺意。アバダケタブラは術者の魂にすら損傷を与える闇の魔術である。ヴォルデモートが人間であることをハリーは日記のリドルから薄々察していた。その上でアバダケタブラを行使したハリーの魂は。
それを心の底から喜んでいた。
闇の魔術の行使には条件がある。
本気になること。
心の底から、相手の死を願うこと。そして、それを実現するための魔力を有すること。ハリーはアバダケタブラを行使し、その代償を支払った。人間に対する明確な殺意は、ハリーの魂を傷つける。
ハリーの魂は今や禍々しい闇の魔法使いとして濁っていた。
ハリーの杖はハリーの魂の濁りに反応したのだろうか、不協和音を奏でていた。ハリーにとってはどうでもよかった。魂の異常を認識できていたわけではない。ただただ目の前のヴォルデモートを殺すことが全てだった。
この思考は少年兵の思考としてはいたってシンプルだった。ハリーの目の前には敵がいて、戦わなければ生き残れない。目の前の敵を殺害しなければ、未来など存在しない。
だから殺す。少なくとも今のハリーの中ではその理屈が罷り通ってしまうのだ。
そんなハリーを、悲しげに見る幾つもの視線があった。
『ハリー……』
『……なんてこった。じゃあ……やっぱりあいつらは魔法使いだったっていうのか!』
ファルカスが、ゴーストのような霊体となってハリーを見守っていた。
マグルの老人がヴォルデモートを視認し怒りに震えていた。
ヴォルデモートの手で死んだはずの命が、霊の姿になってヴォルデモートとハリーの周囲へと舞い戻る。ハリーの周囲にはプロテゴ ディアボリカ(悪魔の護り)がさらに勢いを増して展開され、ハリーとヴォルデモートを除けば誰一人立ち入れない空間が出来上がる。
『なん、だと。こんな子供が……?』
『……世も末だね……』
甦ったかのように見える霊魂達は、ハリーの杖から放射され続けているアバダケタブラを見て愕然とする。こんな時代が来て欲しくなかったと嘆く魂の残滓にもハリーは耳を貸さなかった。
そんなハリーの意志が揺らぐ、決定的な瞬間があった。
『……ハリー……ああ、そんな。どうして……』
『……』
ハリーの両親、ジェームズとリリーもヴォルデモートの杖から魂の姿となって甦った。彼らは愛する息子が緑色のローブに身を包んでいることに戸惑ったのか、それとも、闇の魔術に手を染め、アバダケタブラを使うまでに至ったことに愕然としたのか。言葉もなくハリーとヴォルデモートの対決を見ていた。
ハリーはリリーのハリーにそっくりなの瞳から涙が流れていることに気付いた。
ハリーを老けさせたような皺のある顔のジェームズが、ハリーに対して嫌悪ともとれる顔をしていることにも気付いた。
ハリーは止まらず、杖を持つ手に魔力を込めた。そんなハリーの手をリリーは冷たい霊の手でそっと握りしめた。
『もうやめて、ハリー。もういいのよ。あのライターで逃げなさい』
『父さんが足止めをする。杖の繋がりを切るんだ、ハリー。そんな魔法はもう使ってはいけない』
(…………!)
「嫌だ!あいつだけは殺さないといけないんだ!」
ハリーは今更止まるわけにはいかない、とさらに魔力を込めた。父の愛も母の愛も、ハリーにとってはどうでもいいと、足を踏み出して闇の魔術をさらに放射しようとしたとき。
『お、おい!よく分からんが頑張れ!ぼっちゃん!そんな犯罪者に負けるな!……あんたらも!このままぼうっとして、あの子供を見殺しにしていいのか!?格好から言ってあんたらも魔法使いなんだろう!あの狂人に人が殺されるところを見過ごしていいのか!』
事情を知らないマグルだけが、ハリーを応援した。
『……確かにね。どうせ私は死んでるんだ。あの人に立ち向かってみるのもいいか……』
『……生きてる限り、やり直すチャンスなんて幾らでもあるか。生前は散々だったけど、最後くらい大人らしいことをしてみるか……』
『魔法使いのゴタゴタに巻き込んでしまってすみませんね、マグルの方』
『いや、これはどうも……』
それに呼応して、ヴォルデモートの犠牲者たちも奮起しヴォルデモートに罵声を浴びせにかかる。
(……えっ……)
ハリーにとっては、見知らぬマグルからの声援が本当に予想外のことだった。まるで頭を殴られたときのような衝撃だった。
ハリーの心にはずっと、マグルに対する根強い不信感があった。
ダーズリー家に尽くしてきた十年間、近所の夫婦もフィッグ婆さんも、誰もハリーを助けてはくれなかった。ダーズリー家にとって本当の子供ではなくとも愛されていると思っていたハリーの気持ちは道化でしかなく、バーノンにとって魔法使いは狂人で、ペチュニアもハリーを虐待していただけだった。そしてダドリーは集団でハリーをサンドバッグにさえした。
シリウスが何を言おうとも、プリベット通りのマグルたちがハリーにとってのマグルの世界だったのだ。本当はそんなことはないと理解していても、心で燻る怒りは燃え上がりハリーを魔法の世界にのめり込ませた。スリザリンに入りマグル差別の影響を受けたのも、ダーズリー家に対する不信感と怒りと憎しみと、そして自己を防衛しようという心の動きからだった。
己を害するマグルは敵で、自分は決して不要な存在ではないと思い込みたかったのだ。
だから、マグルから応援を受けたとき。
ほんのわずかでも気にかけてもらえたと思った時。
ハリーの魂は震えた。暖かいもので満たされ、その瞬間、アバダケタブラの閃光が弱まる。ジェームズとリリーが、すかさずヴォルデモートのアバダケタブラの閃光に割り込み盾になる。
『生きることから逃げるな、ハリー!諦めるな!闘うことだけが生きることじゃない!』
『どんな時でも、お父さんとお母さんが側にいることを忘れないで。生きて、ハリー』
(や、やめて……)
ハリーは逃げたくなどなかった。ハリーは死を恐れると同時に、生きることを恐れていた。
(僕はあいつを倒せなきゃ、倒さなきゃ……)
(……価値なんてないんだ……)
***
マグルの懇願に呼応して魔法使いの魂の残滓たちが奮起する。それを見ていたファルカス サダルファスの魂の残滓は、ハリーを助けるべきかどうか迷っていた。
(どの面下げて、今更……)
ファルカスは最後の試練の直前にムーディのインペリオにかかり、習得したメイガスの技法でファルコンに変身して試練に潜り込んだ。ハリーを助けたいと習得したはずの技術の全ては敵に利用された挙げ句、あらゆる魔法で、あらゆる言葉でハリーを追い詰めることになってしまった。
どんな言葉も行動も償いになどなりはしない。もう自分は死んでしまっている。ここで余計なことを言ってハリーを動揺させるより、なにもしないことが自分に出来る精一杯の償いだろうと思った時。
(……あ……)
ファルカスはハリーが怖がっていることに気がついた。表情は変わらなくても、ハリーの感情は付き合いの長いファルカスには分かるのだ。
(僕のせいだ)
ファルカスはハリーの姿を見ていられなかった。自然と体が動いていた。
(自分の償いくらいは自分でしないと)
『カタバ ロコモータ(僕の体よ 動け)』
ファルカスは闇の魔術の一つ、死体操作を使った。ファルカスの体は、ハリーのプロテゴ ディアボリカの中で燃えずに残っていた。最後の瞬間ハリーと友達に戻れていたからこそ起きた奇跡と言ってよかった。
ファルカスは闇祓いとなるために、闇の魔法使いに対抗したいからと闇の魔術に手を出した。死体操作もその一つだった。ファルカスの肉体は、生前のファルカスそのままに動く。
『クルシオ デュオ(連続拷問)』
ファルカスは右手の杖をヴォルデモートとドロホフへ向けた。クルシオはヴォルデモートに対しては何の効果もなかったが、異常事態に驚き瞬間移動してきたドロホフに対しては効果があった。
ハリーの顔が、驚きと喜びに震える。ファルカスはハリーのその顔を見ただけで満足だった。左手に握りしめた火消しライターを起動する。
『ハリー、ムーディに気をつけて』
「ファルカス、どういうことだい?ムーディ?スネイプじゃ……」
「あの人が犯人だよ」
杖の繋がりが切れたことで、ハリーの両親の魂の残滓は消えようとしていた。ファルカスは全てを伝えきれないもどかしさを感じながら、ハリーに最後の遺言を遺そうとした。ハリーと己の肉体が火消しライターに包まれる僅かの間、ファルカスの脳裏に浮かんだのは親友への感謝だった。
『アズラエルにさ、貸してた本があるんだ。……僕の代わりに受け取っておいてくれよ、ハリー』
「……うん」
ハリーはファルカスの魂が、霊の残滓が消えかかっていることを察したのかもう何も言わない。
『あ、後はロンにー』
ファルカスがロンに何を伝えたかった言葉を言い残すことはできなかった。ハリーの身体は火消しライターから送り出された炎に包まれ、墓地から消え去った。
闇の帝王の怒声だけが死者の眠る墓地に響き渡った。死者の安息を妨げた愚か者への罰はこうして下されたのである。
ジェームズ&リリー「息子が知らん間に大量殺人鬼と同じ魔法使ってる……」
この二次創作は色んなキャラを酷い目に遇わせてきたけどこの二人はそのなかでも飛びっきりです。大変申し訳ございません。
……しかし、闇の魔術ルートのレガシー主人公は本当に何なんだよお前……