ハリーにとっての地獄は終わらなかった。ハリーは一生、この年味わった地獄のことを忘れることはなかった。
眠りから目覚めたハリーは何も食べる気にならず、食事をとらなかった。ただただ悲しみだけがハリーの体を見たし、動けなくさせていた。どれくらいの時間がたったのか分からないままぼんやりしていると、ファルカスの両親がハリーのもとを訪れた。サダルファス夫妻はもはや脱け殻のようにやつれていた。二人に対してファルカスの最後を話すことがハリーには耐えられなかった。
ファルカスが闇の魔術によって操られ、拷問され理性を奪われてハリーを攻撃したことなど伝えられるわけもない。ハリーにとっての地獄は、ファルカスが苦痛にあえぐことなくヴォルデモートに殺されたと嘘をつくことしかできなかったことだった。二人にとって救いになったとは思えなかった。
(僕と関わりさえしなければ、ファルカスが狙われることはなかったのに)
そんなハリーの内心が滲み出ていたのだろうか。ファルカスの父親は、息子に似た顔を歪めながら言った。
「君のせいではない」
「私が……祖父のことを闇祓いだと教えなければ……こんなことには。全て私が……」
そう話す夫妻の言葉がハリーにとっては辛かった。どう考えても本心ではなく、ハリーを慰めるための言葉だった。一番辛いのは二人なのに、自分はその二人に余計な気を遣わせているのだ。サダルファス夫妻が息子の死を受け止めきれていないことは誰の目にも明らかだった。
ハリーはファルカスがどのようにしてヴォルデモートに立ち向かいハリーを逃がしてくれたのかを語った。ファルカスが闇の魔術を使ったことは伏せて、兄弟杖によって起きた奇跡だと誤魔化して。
しかしそれが何の慰めになったと言うのだろうか。二人にとってたった一人の息子はもう戻らないのだ。自分が死ねばよかったのだとハリーは何度も思った。しかし、どうしても死ぬ勇気は出せなかったのだ。
ハリーはグリフィンドール生ではなくスリザリン生だった。
夫妻は、息子が闇陣営に立ち向かうよう教育したことを心の底から後悔していた。どう見てもそれは明らかだった。しかし、サダルファス夫妻はハリーを罵倒しなかった。
ハリーに対して、あの子の友達になってくれてありがとうとファルカスの父親が言った。
「……あの子は、スリザリンでは友達ができないのではないかと言っていたよ。入ることを怖がってもいた」
「……けれど貴方やアズラエル君のような友達ができたことを喜んでいたわ。スリザリンだからって悪い子ばかりじゃないって……」
ミセス サダルファスはそう言ってハリーの手を取った。ファルカスによく似た彼女の手には汗が滲んでいた。強い意志を持った瞳に覇気はなく、ただただ悲しみだけがあった。
「ファルカスが僕や友達を決闘クラブに誘ってくれました」
とハリーは言った。
「あいつは優しいやつだったから。僕らを仲間外れにはしたくなかったんです」
ファルカスの父親が鼻をすする音が保健室に響いた。ファルカスの母親は、もうここに居たくはないと思ったのだろう。握りしめていたハリーの手を離した。
「……さようなら。どうかあの子の分まで、生きて。きっとあの子もそれを望んでいるから」
ハリーは頷くことしかできなかった。サダルファス夫妻の背中を見送ったとき、ハリーはベッドに倒れ込んだ。
(生きる……)
(どうして皆、そう言うんだろう。母さんも父さんも……)
ハリーは長生きしている自分をイメージすることはできなかった。反対に、ヴォルデモートに挑み、殺される自分の姿は幾らでも想像がついた。
ヴォルデモートの骸骨と蛇が合わさった容姿を思い出す度に、ハリーは憎悪と殺意を思い出した。
(僕はあいつを殺す)
今のハリーにとって、ただそれだけが生きる目的だった。それができない自分に価値はない。生きることに意味があるとするならば、ヴォルデモートを殺すことだけだと心に刻み込んだ。
ファルカスの母親は最後にハリーに呪いを残して去っていった。ハリーは実の母親の願いと、友の母親の願いを受け取りはしなかった。保健室でハリーは眠りにつき、墓場での出来事を反芻する悪夢に魘された。
***
ハリーはそれから次の日も病室で過ごした。ハリーの親友達は姿を見せなかったが、マリーダやシリウスが見舞いに訪れたが、二人がどこかぎこちないことにハリーも気付いた。
「明日には退院できるって、ポンフリー校医が言ってくれたよ」
「そうか。……なぁ、ハリー」
シリウスは良かった、とは言わなかった。マリーダにも笑顔はなかった。
「今学期は復学せずに屋敷に戻らないか?どうせ、残りわずかな期間しかないんだ」
「それにホグワーツには……」
マリーダはデスイーターの子息達もいるという言葉を飲み込んだ。
親の罪の子供の罪とは別なのだ。ただそうであったとしても、ハリーの身を案じるのであればホグワーツに戻すことは危険すぎた。
ハリーにとっては、それも覚悟の上だったのだろうか。スリザリンに入り、そこで作った学友達との絆を信じているのだろうか。ハリーの内心はマリーダには分からないままだ。
「……いいよ。僕は戻る。……生きなくちゃ。そう父さんと約束したんだ」
ハリーはあえて父親のことを話した。ジェームズの名前を持ち出せばシリウスが怯むのは分かっていた。
「……私たちが思っていたよりも、ずっと強いな、ハリーは」
マリーダが魔法で皮をむいた林檎をハリーは受け取って食べた。食べることは生きることで、生きることは、ホグワーツに帰ることだった。
「全然だよ。だから、学校に戻るんだ。強くなるために」
(僕は弱い)
ハリーはマリーダの言葉を素直に受け止めることはできなかった。
(力をつけるんだ。ヴォルデモートを殺すために)
ハリーはそう決意を新たにしていた。己の身を守るために、仲間のために力を求めてきた。しかし、今はハリー自身のために力を欲していた。
(まだ足りないなら、また強くならなきゃ)
そんなハリーの姿を、マリーダとシリウスは不安そうに見ていた。
***
「シリウス。これで本当に、本当に……よかったのだろうか。ハリーを学校に戻しても」
マリーダの顔色は優れなかった。マリーダはハリーの心理状態を心配していた。
「荒んだ心のまま学校に戻ったとしても、周囲との軋轢を起こすだけだ。ハリーにとって辛い思い出になる……」
マリーダはそうシリウスに言った。本心ではそう思いながら、ハリーに屋敷に来るように強く言えなかったのはハリーとどう接すればよいかマリーダにも分からなかったからだ。
闇の魔術の中でも最悪のアバダケタブラにまで手を染めた時点で、今のハリーに必要なのは力ではなく他の何かなのは分かりきっている。しかし、マリーダは自分にはあまりにも荷が重いと感じていた。
マリーダ自身、ハリーのことが恐ろしいのだ。闇の魔術、アバダケタブラを使えるというだけで。マリーダが内心で感じているハリーへの恐怖心をハリーに悟られないようオクルメンシー(閉心術)を使っていることにシリウスも気付いていた。
「……俺自身が昔そう言われたから、分かる。ハリーはサバイバーズギルトに陥っている」
「……サバイバー。漂流者?」
「自分だけが生き残ってしまったと思って、今のハリーは何かしたくてたまらないのさ」
シリウスはカウンセリングを受けたとき、ヒーラーから告げられた言葉を思い出しながら言った。魔法界はマグルの論文や医学を軽んじる風潮が強い。しかし、マグル生まれの勤勉なヒーラーは、医学的に統計によって出された論文に目を通す者も存在する。魔法族とマグルでは価値観が異なるとはいえ、人間であることに変わりはない。悲惨な状況に陥ったときの心理的な動きは似通っていると考えるヒーラーも存在するのだ。
一般的な魔法族は、マグルの医療技術を軽んじていることは確かである。しかし、ヒーラー達もそれだけでは法律の隙間を抜け生まれる多種多様化する魔法を治癒することはできないと危機感を抱いていた。近年では、マグルの外科手術を模した魔法を開発するヒーラーも登場している。
「……どれだけ辛くても……今のハリーは止められない。俺たちに出来るのは、見守ることだけだ」
マリーダはそう言っているシリウス自身、自分にそう言い聞かせていることに気付いていた。
闇の魔術に染まりアバダケタブラにまで到達してしまったハリーのためにシリウスは泣いていた。しかし今のハリーにシリウスの気持ちが伝わっているとは到底思えない。ハリーには受け止められるほどの心の余裕もないはずだった。シリウスにとってのハリーがどれだけ大切で、掛け替えのない存在であるのかハリーには伝えきれていないのだ。
「……ハリーを止められなかったのは、俺の責任だ。マリーダは気に病むな」
事実、シリウスはマリーダにそう話した。
「バジリスクと対峙したハリーが闇の魔術を使ったと聞いたとき、俺は叱ってやるべきだった。どれだけ理不尽に思われようと憎まれようと、それがハリーのためになるなら。それがゴッドファーザーがすべきことだった」
「バジリスクを相手にするのであれば、それくらいはなければ話にならないが……」
マリーダはシリウスへの愛情からそうシリウスを擁護した。
子供の躾は親の役目だ。そして躾とは、すべきではないことをきちんと教え、すべきことをした時は褒め、すべきでないことをした時叱ることから始まる。
シリウスはハリーに対して十分以上に躾をしたとは言えなかった。しかし、それも無理からぬことだった。そもそもハリーが両親を喪う切っ掛けとなったのがシリウスの見込み違いからなのだ。
「俺はハリーを大切に思うあまり、親としてハリーを叱ることができなかった。……負い目がある。あの時も今も、俺は死にかけていたハリーを前にして叱ることはできなかった」
ゴッドファーザー失格だ、とシリウスは言った。
「……こんな時、ジェームズならばどうしたんだろうな……」
(父親のモデルケースがシリウスにはないのだ)
と、マリーダは思った。マリーダ自身、マリーダの母親をモデルケースにしてそれを演じているにすぎない。シリウスは周囲の子供を持つ父親を参考にしてはいるだろうが、十三歳にして家を出たシリウスには真っ当な親と子としての経験があまりにも不足していた。
マリーダは実の父に相談すべきかどうか悩んだ。しかし、ハリーが闇の魔術を使ったことなど到底話せるものではない。
「……グリモールド プレイスに戻ろう。……歴史のある家だ。闇の魔術に関するアイテムや資料も多い。その対策となる魔法も。……何か、ハリーの助けになるものがあるのではないだろうか?」
そうマリーダが言ったとき、シリウスは大いに顔色を曇らせた。
***
グリモールドプレイスの屋敷の中で、シリウスはブラック家当主の書斎を訪れていた。
歴史ある家柄であるという見栄と傲慢さが蓄積され切ったブラック家の書斎は、かつて交流があった魔法使い達が残した書物で満たされている。書物の中には歴史上の人物との書簡でのやり取りなども纏められていて、値段のつけられないものも存在する。一財産を築くことができるほどの書斎だったが、シリウスにとっては箒の柄よりも価値のないものだった。
シリウスは保護魔法によって隠蔽されていた目的の書物を発見し、忌々しそうに手に取った。
「……今更、だな」
そう自嘲しながらも、シリウスは紐によって纏められていた日記帳を紐解き、その中身を確認すべくページをめくっていく。
それは、かつてのブラック家当主でありシリウスの父、オリオンがしたためてきた日記だった。人に読ませることを想定していない日記帳の文字はやや荒い。
シリウス自身、追い詰められ焦っていた。ハリーはどんどんと闇に堕ちている。アバダケタブラにまで手を出し、殺人すら厭わないほどに病んでいる。
(何をやっているんだ、俺は)
オリオンごときを参考にしたところで、父親として何ができるのかとも思う。それでも、シリウスは手を伸ばした。箒から落ちようとしている魔法使いが穂先に手を伸ばすように。
オリオンが記した日記は何冊もあった。そのうちもっとも古く、薄汚れた日記には、オリオンの少年時代の日々の出来事がしたためられていた。筆跡は記憶の中の父親のものではなく、たどたどしい子供の字だ。
(……そう言えば、父とヴォルデモートの在籍期間は被っていたな……)
シリウスはヴォルデモートが台頭し始めた時代の日記を読むのではなく、少年時代のオリオンの日記を読み進めた。
オリオンの生きた時代は、世界大戦の真っ只中にあった。魔法使いの多くがゲラート・グリンデルバルドの思想に共感し、一度は世界大戦を引き起こしたマグルを猿と蔑んだ暗黒時代。ホグワーツに入る前のオリオンは父親や母親との関係に悩む少年だった。赤裸々に父母への愚痴を漏らすオリオンに対してシリウスは共感の念を抱いた。
しかし、スリザリンに入らなければ見捨てられるかもしれないと嘆く日を境にオリオンは変わる。日記の中のオリオンは父親や母親に見てもらいたいと、純血主義を覚え忠実にその教えを実行することを心掛けていた。ついに幕を開け、終わらない第二次世界大戦もオリオンの考えを補強した。
(……こんなものか)
シリウスにとっては分かりきっていた話だった。それでも、オリオンが純血主義を信奉していく姿には心が乱された。日記の中のオリオンは、ホグワーツで一人の天才と出会ったと記していた。
『スリザリンに入ることができて本当によかった。あんな先輩に会えたんだから。今日はなんて幸せな日だろう』
そう記すオリオンの日記には、頻繁に一人の魔法使いの名前が登場した。トム・マールヴォロ・リドル。後のヴォルデモートだった。
『あの先輩を見るたびに、私は自分の非才と無力を嘆かざるをえない。トム・リドルに比べれば、魔法使いとしてわたしが勝るところは一つもない。薄汚い孤児にすぎないと口がさない人間は言う。私もそれに同調している。しかし、彼の才能の半分すらわたしにはない。蛇語を話すこともできない。どうしてブラック家の私がパーセルタングを持っていないのだろうか。わたしは間違いなく純血であるはずなのに』
オリオンは純粋に家のために、ブラック家らしい魔法使いになりたいと願っている少年だった。そんなオリオンの日記を読み進めるたびに、オリオンはシリウスの知っている傲慢な父親に近付いていく。権力と血統がすべての小さな男に。
オリオンはマグルを『排斥して構わない言語を理解するだけの豚』とまで記していた。事実、純血主義者達が集まる集会で何人かのマグルをアイテムを使って襲撃したことも誇らしげに記している。シリウスは日記を読んだことを後悔しさっさと燃やしてしまおうかと思った。
(……やはり、見るべきではなかったな。黒歴史ノートなど)
だが、シリウスは耐えた。ヴォルデモートに関して、何か有益な情報が得られるかもしれないと思ったからだ。
オリオンの日記は続く。ホグワーツで過ごし成長してきたオリオン少年は、トムに魅了されていた。
『偉大なトムは、口先ばかりのグリンデルバルドとは違う。必ず私達純血主義者に栄光をもたらしてくれる。彼は不死身だと、私達の前で言ってくれたこともある。ダンブルドアだって彼には敵わないだろう……』
(……何だと?)
不死身という言動は単なる誇張に違いないとシリウスは認識していた。死を喰らうものだの死の飛翔だのは、禿げ頭が自らを神格化するための単なるプロパガンダに過ぎないと。
(……ヴォルデモートは蘇った。……魂だけの存在から。これは、偶然なのか?)
シリウスは藁にも縋る思いで日記を読み進めた。オリオンはトムを慕う無数の後輩の一人でしかなく、核心に迫っている可能性は限りなく低いとわかっていたが。
グリンデルバルドがダンブルドアとの決闘に敗れトムが卒業すると、オリオンの字は荒れ始めた。グリンデルバルドの敗北は純血主義者にとっては敗北に等しく、そこからのオリオンは必死に足掻く人生を送ったようだった。日記は学生時代の卒業を境に二冊目となったが、二冊目からは貴族としての雑務や他の後継候補との権力争いに追われ、幸せそうな雰囲気は欠片もなかった。
(当然の報いだな)
シリウスはどこまでも冷めた目でオリオンを見ながら読み進めた。オリオンは純血主義の風潮が薄れるなか、ブラック家内で権力闘争を繰り広げてブラック家の当主となった。ブラック家の誉れを胸に純血よ永遠なれと日記に記すその時期のオリオンには、少年期に父親や母親への不満を綴った面影はどこにもない。
三冊目、四冊目に入り、オリオンはヴァルブルガと結婚し、自分が生まれた。家族を持った日を境に、オリオンの日記の様相は変化していく。
『誰も彼も、ブラック家の権力を狙いにこやかな笑みの裏でわたしの失墜を目論んでいる。純血主義の隆盛をはかる手立てもない。信頼できるのは妻と、血を分けた家族だけだ』
(……ち)
日記に記された父親の孤独にシリウスは不快感を抱いた。純血主義を至高とする考え方が自身と相容れないことだけではない。
心の内で本当に信頼している人間は片手に数えるしかいない。シリウスは自分がそんな大人になったことを自覚していた。わずかばかりでもオリオンに共感してしまった自分自身に対してシリウスは苛立った。
オリオンは純血優先という唾棄すべき法案を魔法省に根回しする一方、日記のなかで幼少期のシリウスのことを褒め称えていた。
『昔のわたしとは比べ物にならないほどの才能を持っている。ヴァルブルガの血に違いない。ブラック家、ひいては魔法族の隆盛も夢ではない』
確かにシリウスは魔法の覚えも早く、恵まれた運動神経があったので大抵の魔法は難なくこなすことができた。しかし、ジェームズのようにセンスと才能で上回る子供はいた。オリオンのそれは明らかな親馬鹿だった。シリウスはさらに苛立った。
「俺には一言もそんなことは言わなかっただろうが……」
読み進めるうちに、シリウスは自分に比べて弟であるレグルスへの言及が少ないことに気がついた。ある時期から純血主義に疑問を持ち、両親への反発を続ける自分に対する愚痴ばかりが日記に続くようになるが、レグルスへの言及は全部合わせても五行にも満たない。手のかかるいい子だ、という記述があるだけの日も多いが、それは決まってシリウスが両親に反抗したときのことだ。
(……フン)
シリウスは胸中にレグルスに対するなんとも言えない感情が沸き上がりそうになるのを抑えた。デスイーターにまで堕ちた人間に対してかける情けなどあってはならない。たとえこの時は、ただの少年であったとしてもだ。
オリオンの日記はいよいよヴォルデモートについての話になった。ある時期から、オリオンはかつての先輩が強力な魔法使いとして再び世に出ようとしていることを察知し喜んでいた。
『もしもあのトム・リドルが立ってくれるならば、面倒なクラウチやシャックボルトに気を遣う必要もなくなる。夢のような話だ』
記憶の中の父親と同じように、オリオンは愚かにもヴォルデモートの台頭を喜んでいた。初期の初期はヴォルデモートは魔法使いのための魔法省をと謳い、より良い社会のための改革者を気取っていた。すぐに化けの皮が剥がれることになるのだが、このときのオリオンは愚かにもヴォルデモートへと資金援助をしていた。
(救いようのない馬鹿め)
実の父親に対して、いや実の父親だからこそシリウスはそう思わざるをえなかった。レグルスがデスイーターに加入したことを無邪気に喜ぶ姿は父親失格であるとしか言いようがなかった。
忍耐の末にシリウスは日記を読み進めていく。オリオンの字は次第に弱々しくなっていった。酒を過しすぎたのか、病を患ったのか、字は次第に歪んでいく。
日記の最後には、こんなことになるとは思わなかった、という後悔が綴られていた。
『もうなにも分からない。私は間違っていたのか。レグルスが人を殺した。同族を。マグル生まれの猿ならばまだしも、同族にまで手を出すとは思わなかった。ヴァルブルガは狂ってしまった。シリウスは戻らない。どうすればよいのだ。レグルスを足抜けさせれば、あの人の不興を買ってしまう。どうすれば……』
最後の日記には哀れな男の嘆きが綴られていた。レグルスをそう養育したのはオリオン自身に他ならなかった。シリウスは己自身に問いかけた。
(……俺が戻っていたとして、何か変えられたのか?)
そう自問し、答えはNoだと返ってくる。
(……いや。オリオンは純血派閥との付き合いがあった。それこそ半生を超えた付き合いだ。権力を維持するためにかけた時間も資金も、膨大なものだった。今更俺一人の言葉に耳を傾けて、派閥を手放したはずもない)
レグルスのために家も何もかも棄てて、戻れと言うこともできなかった。それが、オリオン・ブラックとヴァルブルガ・ブラックの、ひいては『高貴なるブラック家』の限界だった。純血を至高とし、それを維持する派閥のトップであろうと足の引っ張りあいを繰り広げてきた人間が、二十歳そこらの子供の言葉に耳を貸すはずもない。
シリウスの脳裏には、直接この目で見たクラウチJr.の姿があった。親から褒めてもらいたいだけの子供だった。記憶の中にあるレグルスも、そうだった。レグルスは己の存在価値を証明するために、過激な純血主義に傾倒しデスイーターにまで身を落としたのではないだろうかと。
(考えても、意味のない話だ。……そうだとして、レグルスが殺した命は戻らない。レグルスの罪は消えない)
シリウスは父や母、そして弟について考えることを避けてきた。血の繋がりがあるだけの他人であり、だからこそ客観的、俯瞰的にその非道を断罪することができた。そんなシリウスは今、日記の最後のページを開いたまま物思いに耽っていた。
(……気になることと言えば、トム・リドルの『不死』だが。やはり具体的な情報は得られなかったな)
シリウスが再び目を開いたとき、日記には血文字が浮かび上がっていた。
『この日記を読んでいるということは、ブラック家に連なる誰かだろう。そしてこの日記が読まれているということは、ブラック家はもはや存続してはいないだろう』
シリウスはレベリオを使い日記を確認し、次にディフィンドで己の手を傷つけた。痛みは自らが闇の魔術にかかり操られているわけではないことを証明してくれる。
日記からは、血文字が溢れ出てくる。それは最後の怨念か。それとも執念か。
『私はレグルス・ブラック。高貴なるブラック家の末席に座るものだ。ブラック家の一員として、ブラック家に連なる者に、私は私の意志を託したい。それが、私にできる最後の悪足掻きだ』
そして、日記を読み終えたシリウス・ブラックは。
「……クリーチャー。書斎に来い」
自身が最も嫌悪するハウスエルフを、この場に呼び寄せた。
***
シリウスの影がレグルス・ブラックだったのだ……