流れで書いたらこんなことに。どうしてこうなった……?
「……ハリー。それとザビニ。来るとおもっとった」
何で分かったのという視線を向けると、ハグリッドはチラリと犬小屋に視線を向けた。
「ファングが吠えずに震えとる時は大体お前さんが来る」
そう言うとハグリッドはハリーとザビニをぎゅっと(ハグリッドの基準では優しくそっと)抱き締めた。
「……大丈夫か?」
ハグリッドのハグにザビニもハリーも抵抗しなかった。
「うん。僕は大丈夫。ありがとう、ハグリッド」
「お邪魔します」
ザビニとハリーはハグリッドの小屋に入り、促されるままに椅子に腰掛けた。小屋にはハリー達の他にルナもいた。彼女は目をつむって瞑想していた。
(……ファルカスのやつ、ルナとパーティーに行けて驚いていたっけ。相手が見つかってよかったって)
ハリーはルナに声をかける気にはなれず、そっとしておいた。ザビニはハグリッドから紅茶を受け取ったが、ケーキには口をつけなかった。ハグリッドの出したケーキは珍しくロックケーキではなく、柔らかいキャロットケーキだった。ハグリッドはハリーとザビニの様子を観察していたが、長い沈黙の後やがて口を開いた。
「大丈夫な筈がねぇ。……だがな。それは分かっていたことだ」
ハグリッドはファルカスのことには触れず、ヴォルデモートについて話した。ハリーを気遣っていることは明らかだった。
「例のあの人が戻ってくることは分かっていた。賢者の石を捜しに来た時からな。いつかは復活すると覚悟していた」
「ダンブルドアは戦うおつもりだ。もちろん、俺も戦う。他の魔法使い達も、例のあの人の台頭を許すやつばかりじゃあねえ。立ち向かって戦う覚悟は出来ている」
「それって俺達に話してもいいんすか?」
ザビニの疑問に、ハグリッドは当たり前だと頷いた。
「他の誰かならともかく。俺はお前達のことは下手な大人よりよっぽど信頼できると思っている」
ザビニはハグリッドに対してはじめて尊敬するような素振りを見せた。ハグリッドは気にせず堂々と言った。
「とにかくだ。心配しても何も変わらん。来るもんは来ると考えて、堂々と受けて立てばええ」
ハリーはふと、ハグリッドに対して尋ねたい衝動に駆られた。
「……ハグリッドはさ」
「ん?」
「死ぬのが怖いと思ったことはないの?」
ザビニはじっとハグリッドの言葉に耳を傾けている。ルナがモゾモゾと動いた。目を閉じているが、ハグリッドの言葉を聞こうとしているのは明らかだった。
「一年生の時、ハグリッドは森の侵入者相手に立ち向かった。三年生の時も密漁者を叩きのめしたし、ドロホフ相手でも逃げなかった。死ぬかもしれないのにね」
黒曜石のように黒い瞳は、いついかなる時もハリー達の味方でいてくれる。ハグリッドは考える素振りも見せず言った。
「怖いと思ったことはあるが……そういう時、俺はファングのことを考える」
「ファングは臆病なやつだがな。俺以外の飼い主でこいつを手懐けられるとは思えねえ。それにスクリュート。まだまだたくさん餌をやって、もっと大きく育ててやらねえといけねえ。それにお前さん達」
ハグリッドはハリー、ザビニ、そしてルナへと順番に視線を向けた。
「俺も教師になったからな。教えなきゃいけねえことは山程ある。怖いなんて考えてる暇はねえ。ハリー」
「勇気なんてものはな。やっている内に沸いてくるもんだ」
「それでも死ぬのは怖いよ、ハグリッド」
ハリーは言った。これは本心の半分までだった。ハリーが怖いのは自分が死ぬことだけではなかった。
自分の行動の結果で、親しい誰かを失うことになるかもしれない。ファルカスのように敵対し杖を向け、殺し殺される。それがハリーには恐ろしかった。もうこれ以上、大切な人を喪いたくはなかった。大切だと思える心を失いたくはなかった。
ハリーが言葉に込めた意味を感じ取った訳ではないだろうが、ザビニは言った。
「確かに死ぬのは怖いけどよ、ハリー」
「時々思うんだよ。生きるのと、ただ死なないっていうのは似てるようで違うんじゃねえかって」
「いきなり何を言い出すんだよ、ザビニ」
「例えばサラマンダーがいるだろ。あいつらは炎から出たら運が悪いと秒と持たずに死んじまう。三年生の授業で、ハリーはでかい炎をやって褒められてたよな」
「そんなことあったかな……」
三年生の授業でサラマンダーを飼育したことはあった。ハリーも確かにいい成績を取りはした。しかし、よく覚えているなとハリーは思った。
「いい炎を喰って逝ったサラマンダーと、普通の炎で逝ったサラマンダーは違うって言いたいのかい?」
「そうじゃねぇんだ。俺はあの授業で、死んでいくサラマンダーの顔が妙に目に焼き付いちまってよ」
「……」
ハリーはじっとザビニの言葉に耳を傾けた。
(顔か……そう言えば、最初の授業では魔法生物の個体なんて考えてなかったな)
魔法生物を一個の命として考えて、向き合う。それは単純な成績以上に、倫理を学ぶ上でとても大切な授業だった。ハリーはその重さを理解できていたのだろうか。分かった気になって、忘れていたのではないだろうか。
「俺はあんましインセンディオが得意じゃないからな。サラマンダーも弱々しくなって、すぐに死んじまうかと思ってた。でも、近くにいたクラブのやつがトチった炎が飛び火してきた」
「ありゃあ大変だったのう」
ハグリッドはうんうんと頷いていた。
「炎から炎に乗り移って、俺のサラマンダーは別のサラマンダーに会いにいった。その中にいる限りは安全な炎の中じゃなくて、サラマンダーは死ぬかもしれねえ外へ飛び出したんだ」
「その時のサラマンダーは、妙に輝いて見えてよ」
「……死ぬまでの間にどれだけ必死に……それこそ、死ぬような思いをしたとしても……ほんの少しでも満足して生きれるか、ってことは結構大切なんじゃねえかな。……生きるって、よくわかんねえけど死ぬことを怖がってなにもしねえってことじゃねぇと思うんだよ」
(……『満足』か。僕にとっての満足があるとするならそれは、ヴォルデモートを殺すことだ……)
ハリーは目を閉じて考えた。自分にとっての生きる意味があるとすれば、それはもうヴォルデモートを殺害すること、ただそれだけの筈だと。
(……ヴォルデモートと取り巻きと戦うとき、一人でどうにか出来る強さは僕にはない。怖くても、危険に巻き込むことになっても、ザビニの助けは必ず必要になる)
ザビニは、まだいい。この先が地獄だと理解していても着いてくる覚悟の出来ている親友だ。しかしハリーは他の皆まで巻き込むと決めたわけではない。
(……敵はドロホフだけじゃない。大勢の闇の魔法使いと、操られた一般人が来る。その中で誰も欠けることなく終われるなんてあるだろうか)
(いいや、戦えば人は死ぬ。アバダケタブラと、インペリオが交互にやって来る戦場だ。……クルシオもある。乱戦になれば動物でのガードなんて間に合わなくなる)
そんな都合のいい未来などあり得ないと、ハリーは自分で答えを出した。
(……けれど、僕がヴォルデモートに対応できるようになれば。あいつがいない場所でなら。みんなの生存確率は上がる)
ヴォルデモートへの復讐も、スリザリンを元に戻すことも。どちらも達成できないまま死ぬ。それはハリーにとって耐えられない死だった。
(……ヴォルデモートを殺すためには。……)
ハリーは目を開け、深呼吸した。
この先。
ハリーは、『なにもしない』ことを、許容できるだろうか。
友達と一緒ならば出来たかもしれないことを、何か出来た筈なのになにもしなかった。そういう後悔を抱えるのではないだろうか。
それが嫌ならば、やりたくなくても。どれだけ嫌でしかたのないことであったとしても、するべきことをするしかない。
「……ハグリッドよりもふんわりした意見だけど……いい考えだね。見直したよ」
「ふわっふわのセンチメンタルな意見で悪かったな。言って損したわ」
けっ、とザビニはそっぽを向いた。ルナが微かに微笑んだような気がした。
「なんだよ。あくまでも俺の持論だからな。異論があるなら言っていいぜ」
ルナはううん、と微笑んだ。
「ザビ兄の話を聞いてたら、居なくなった人のことを思い出したんだ」
「どうしてだい?」
「ザビ兄がサラマンダー達のことを見てくれていたから、その子達はザビ兄に思い出して貰えた。ああ、良かったって思ったんだ、あたし」
「……そういうものか?俺は本人の主観の問題で、周囲からどう思われるかじゃあねぇと思うんだがよ」
ザビニが言う。ハリーは少し考えてからルナに聞いた。
「人と関わって……他人から見て貰えることに意味がある?個人主義のレイブンクローらしくない考え方だね」
「うん。レイブンクローじゃなくてあたしの持論だから。死んだとき思い出してくれる人がいるかどうかって、大事なんじゃないかな」
「そんなに?」
ハリーは胸をつかれた。ルナの考え方そのものより、話しているときのルナの表情には一言では言い表すことのできない重さがあったからだ。
哀しみも喜びも考えて考え尽くして、そうやって辿り着いたルナ個人の哲学とでも言うべきものをハリーは感じ取った。死と生について考えるということは、自然とその本人の歩んできた人生や主観に基づく考え方になる。ハリーはいわば、ザビニやルナから自分自身を打ち明けて貰っているに等しいのだ。
これまでも、確かに親友だった。しかし、自分の何かを分け与えるような経験はハリーの今までにはなかった。ハリーはそう思った。
「目を閉じている時はね、ここにいないけど逢いたい人のことを考えるんだ。そうして、その人との思い出を頭に浮かべるの」
「そりゃ、辛くねえか。その……居なくなったやつのことを思い出すのってさ。……忘れる方がいいことだってあんだろ」
ザビニは率直に言った。もう会えないことを実感してしまうだけで、悲しみが募るばかりではないだろうかと。
「そうだよね。でも、居なくなった人のことを忘れる方がもっと辛いよ。その人のことが、あたしの中から消えていくから」
(……っ)
ハリーの胸に痛みがさした。
自分は友達の死を悼んでいると言えるのだろうか。考えないようにして頭のすみに追いやって、大切なことを忘れようとしているのではないだろうか。
「今は逢えないだけで、遠くの世界で楽しく過ごしてる。そう考えた方が、居なくなった人もあたしも、幸せになれると思うんだ」
ハリーはルナの考えを否定したくても、否定できない自分がいることに気がついた。死はもはやハリーの側では避けられない現実だったからだ。
ならばせめて、楽しかった思い出や一緒に過ごした記憶を悼むことに意味はある筈だった。
「……ファルカスは」
「君とユールボールに行けたことを楽しんでいたよ。心の底から嬉しそうだった」
「……あたしも嬉しかったよ。行けるとは思ってなかったし、色んなところを見て回れたし」
ハリーはこの時、はじめてルナが普段ならば身につけていた筈の奇抜な帽子をもってきていないことに気がついた。ルナは彼女なりに、ファルカスのことを悼んでいたのだ。
「ルナ。本当に、ありがとう」
ハリーの言葉は心の底からの感謝だった。ファルカスにとって楽しい瞬間は、ユールボールのパートナーにとっても決して悪いものではなかった。それだけでも、タンスパーティーでパートナーを楽しませようというファルカスの気苦労は報われただろう。
ハリー達がハグリッドの小屋を出る頃には、日が落ちて月明かりが顔を出していた。ハリー、ザビニ、ルナの三人は月明かりを道標にしながら、城への帰路を少しずつゆっくりと歩いた。
***
ハリーは寮の部屋に帰ってから、アズラエルとは肝心な部分については全く話をしていなかった。アズラエルはアスクレピオスの様子についてはこと細かくハリーに報告する一方で、ファルカスのことやハリーの闇の魔術についてはなにも聞かなかった。
(……聞きたいことは山程ある筈だ)
(僕が口に出すのを待ってくれているんだ)
アズラエルは驚くほど忍耐強かったが、ハリーはそうではなかった。
ハリーは寮の部屋が不自然に広いことを受け入れられなかった。ファルカスは魔法使いにしては整理整頓をきちんとするタイプだったが、それでもついこの間までは勉強用具やその中に混じったちょっとした危険な本、ゴブストーンセットが置かれていた。今は無慈悲に片付けられ、何もない空間がある。
ハリーは、ザビニがハリーに付き合ってなかなか帰ろうとしなかった理由がよく理解できた。ザビニもまた、まざまざと見せつけられる現実と向き合いきれなかったのだ。
(……考えるな)
ハリーにはアズラエルに説明をする余裕がなかった。話をしようと思う度に、口からは声にならない息が漏れた。
(……勇気を持て。……そう決めただろう)
自分にそう言い聞かせてみるが、面と向かってアズラエルの顔を見ることはできなかった。ハリーが死んで、ファルカスが生き残れば良かったのだとアズラエルの口から聞くのが怖かった。
『どうかしたのか?』
『……どうもしないよ、アスクレピオス。僕は……やらなきゃいけないことがある』
結局ハリーがまともにアズラエルの顔を見ることが出来たのは、アズラエルが風呂から上がり、髪を整えてからだった。
「話したいことがあるんだ。聞いてくれるか、アズラエル」
そしてハリーは、最後の試練の後何が起きたのかを話した。セドリックとの戦闘後に、火消しライターによって連れ去られたことも。
ザビニは口を挟まない。ハリーはザビニに対してなにも言えなかった。
「僕は墓場に連れ去られた時、奇襲に対応できなかった。疲れていたなんて言い訳にもならない」
「君の主観はどうでもいいんです」
アズラエルは冷徹にそう言いきった。
「あった出来事を、正確に話してください」
ハリーにとって忌まわしい記憶を語るとき、ハリーは心を無にしなければならなかった。そうしなければ、とても話せたものではない。
ハリーはファルカスがクルシオ(拷問)と、インペリオ(洗脳)を受けたことを話す決心がつかなかった。まるまる5分はかかってやっとそのことを口に出したとき、時計の針は真上を向いていた。
「……そして……ドロホフの手でヴォルデモートが復活して、やつは部下達を呼んだ」
ハリーはその時確認したデスイーターの名前を心に刻み込んでいた。いつか敵として遭遇したとき、ハリーは彼らの誰かを殺すことになるかもしれない。
しかし、殺さなければ自分が殺される。そう思わなければ、スリザリンにいる同級生の親だと思ってしまえば、戦うことなどできはしないからだ。
(やっぱり僕は悪人だ)
自分の命と、同窓生の親たちの命。二つを天秤にかけて圧倒的に多い後者ではなく自分の命を取る。ハリーはそう自分に言い聞かせながら、アズラエルへの説明を続けた。ザビニは腕を組み俯いて話を聞いている。
「……そして。僕とファルカスは、ルシウス・マルフォイの提案で無理やり決闘をさせられた。そうしなければ殺すと脅されて」
「糞が」
アズラエルは罵詈雑言をルシウスやデスイーターたちにぶつけた後、レダクトでお気に入りのコップを粉々に打ち砕いた。ハリーは何とも思わなかったが、ザビニはビクリと顔をしかめた。
「……すみません、続けてください」
「……ああ。ファルカスは、最後彼らに抵抗した。そして……一瞬だった。ヴォルデモートのアバダケタブラで」
しばらくの間、三人は誰も口を利かなかった。ハリーは恐怖から錯乱したファルカスから浴びせられた言葉やクルシオについては生涯口を閉じて、心にしまいこんでおくつもりだった。
「……これで、わかったと思う」
ハリーはぽつりと言った。
「あいつらは非道だ。絶対に赦しちゃいけない存在だ。……だけど僕と関わることで君達に害が及ぶなら、僕は一人でも構わない」
「まだ話は途中だろ、ハリー。どうやってそこから逃げた?」
ザビニの眼光は揺るぎなかった。端正な顔立ちには怒りとやるせなさが滲んでいた。
「……うん。その後、僕はアバダケタブラをヴォルデモートへ撃った」
ハリーの言葉に二人は嫌悪感を示さなかった。それどころかアズラエルの目には、喜びのような感情が見て取れた。ハリーは信じられない思いで二人を見ていた。
(いったいどうして……)
「その後は?」
ハリーはザビニの前だったこともあり、父母の活躍については極力伏せることにした。代わりにマグルから声援を受けたこと、ファルカスの最後の行動については覚えている限り全てを詳細に話した。
全てを語り終えたとき、時計の針は一時を過ぎていた。アズラエルは何も言わず、ハリーを抱き締めた。
「……話してくれて、ありがとうハリー」
ハリーの目から、一筋の涙が零れた。
***
夏期休暇前の最後の一日は、誰に対しても平等に訪れる。この日、一人の魔女は英国魔法界を去ることを決めていた。彼女は親しい友人にすら自分の進路を明かしていない。今日を限りに、英国での生活に終止符をうつつもりだった。
「今日でホグワーツも見納めとなると、気が滅入るぜ」
「こんなに美人の彼女がいてため息なんて贅沢ね、アクセル?」
「……ああ、そうだった。俺ってダームストラング一の幸せ者だ。記憶違いだった」
ペネロピー好みの赤毛を跳ねさせたダームストラング男子、アクセルと、ペネロピーは軽いハグをして大広間へと向かう。
ペネロピーはブルガリアの織物会社へ就職を決めていた。マグルの社会にも通じる会社だった。丁度事務員の募集があり、マグル学と数占いの試験と面接を受けたペネロピーはその場で合格を言い渡された。アクセルの父親がその会社の役員だったことと関係があるのかどうかは定かではない。
「……でもさ。本当に凄いバイタリティーだよなぁペニーは。未練とかないの?」
「今さらそれを聞くのかしら?愛着はあるし、未練がないわけではないけれど……これから先の仕事については凄く期待しているの。だってそのためにレイブンクローで学んできたんだもの」
「レイブンクローの風潮は個人主義。自分の興味や関心のある分野には、周囲の目を気にせず枠を越えて飛び込み知見を得るのがレイブンクロー流よ」
(……ま、英国に愛想が尽きたのも半分は本音だけど)
ペネロピーは英国に未練はなかった。レイブンクローは個人主義の風潮が強く、縦横の繋がりが最も薄い寮でもある。しかし彼女がわざわざ英国から距離を置くことを決めたのは、二年前の秘密の部屋の一件が原因だった。
マグル生まれが狙われたあの一件で、それまでペネロピーと親しかった友人とはどこか距離ができていた。パーシーはペネロピーのために献身的に尽くしてくれたし、別れたいまでもその事には感謝している。
それはそれとして。
当時の出来事をペネロピーなりに振り返って分析してみると、英国がいかにスリザリンを恐れ、純血を尊び、そしてマグル生まれを軽んじているかが理解できた。
事態が終息したという体裁を守るためだけにハグリッドを逮捕したのだ。かつて同じ事件があってなおスリザリンを存続させ、純血主義だ、穢れた血だと差別を残し続けてきたのだ。
他の国でも似たような差別はあるだろう。外国人であることを考慮すれば、今より扱いが悪くなる部分もあるだろう。
しかし、純血派閥が経済界に幅を利かせている英国に居続けるよりは、自分の身を守ることができる。レイブンクローで育った魔女はそう結論を出した。その結論は間違いではなかった、という思いをペネロピーは強くしている。
アクセルと別れ大広間に入ったペネロピーは、ほとんどの生徒と同じように一人の生徒に視線をやった。大広間にいる生徒の誰もが、スリザリンのテーブルに座る眼鏡のスリザリン生にチラチラと視線を向けていた。
(……やっぱり、英国を捨てる判断をしたのは正解だったわね)
ペネロピーは内心で自分のことを褒め称えた。
たった一人の魔法使いを捕まえられないことは、魔法使いという生物が隠密と逃走に秀でていることを考えれば仕方ない。
しかし、トライウィザードに関わりのない生徒が不審死を遂げたにも関わらず、その事に対して魔法省はなんの見解も示さなかった。
ポッターがトライウィザード優勝のために親友を招き入れ、優勝後口封じのために親友を殺害した。
死亡説も流れていたアントニン・ドロホフがトライウィザードに介入し、何らかの方法でハリーとその親友を拉致し、サダルファスを殺害した。
魔法省の企画する賭けにハリーを勝たせるため、誰かが不正を仕込み、それに気がついたサダルファスが殺された。
さまざまな憶測が飛び交っているが、あの日以来ホグワーツに魔法省の職員が訪れたことはなく、デイリープロフィットも沈黙を保っている。人一人が死んでおいて、何事もなかったかのように。
(本当に可哀想。……私と違って逃げ場なんてないんだろうなぁ。立派だなぁ)
事態の渦中にいるポッターへと少しだけ同情の視線を向けつつ、他人事と割りきってペネロピーは終業式の開会を待った。七年間過ごした家とも言えるホグワーツはこの日は盛大な飾りつけはなく、粛々とした雰囲気に包まれていた。
***
ハリーは右側の席にザビニ、左側の席にアズラエルが座るのを待ってから席に着いた。ダンブルドアが開催の合図を出すまでの間、ぼんやりと教職員のテーブルに視線を向けた。
ハグリッドとマクシーム校長との仲は可もなければ不可もなくといった様子で、ハグリッドは頭の回転が早いマクシームの弁論に気圧されていた。ハグリッドの顔が赤く染まり、もじもじと指を組む姿はとてもいじらしかった。ハグリッドの恋が実るかどうかはともかく、マダムがハグリッドのことを尊重してくれているのは確かなようだ。
ダームストラングの校長席にカルカロフは座っていない。カルカロフは、ヴォルデモートの復活と同時に逃げたのだ。代わりに席に座っていたのは、整えた口髭と聞き惚れるような声をもつ壮年の魔法使い、マグニフィコだった。マグニフィコは痛ましそうな顔でスリザリンのテーブル、特にハリーを見ていた。ハリーは気にしないことにした。
本物のマッドアイ・ムーディも教職員テーブルにいた。十ヶ月もの時間を監禁され過ごしたムーディは本調子ではないようで、些細な物事にも酷く警戒心を露にしていた。それでも、生徒達の前に立つことが己に対する罰だとでもいうかのように、ムーディは役目を投げ出すことはしなかった。
「今夜は、皆に話すべきことがある。……しかし。一人の友が、今日この学舎にはいない。それを悼もう」
「起立して杯を捧げよう。ファルカス・サダルファスに」
「ファルカス・サダルファスに」
大広間の生徒達は起立し、杯を捧げた。唱和する声の中には、ドラコ達の声も確かにあった。
「ファルカス・サダルファスという生徒は、スリザリンの持つ素質を高く備えていた。偉大な存在になりたいという野心と、それを成し遂げるためには何をすべきか決断する能力。そして、己の信頼する友人に対する固い絆があった」
「スリザリンの持つこれらの美徳はしばしば悪性と誤解を受けやすい。しかしながら、己が何をすべきかを考えて行動することは、それが他者の妨げにならないうちは悪性とは言えない」
大広間のグリフィンドール生は複雑そうな顔をしてダンブルドアの話を聞いていた。ハッフルパフのバナナージ・ビストはダンブルドアの言葉に頷いてくれていた。
「……その美徳を持つ彼が、どうしてあの日、あのような結末を迎えなくてはならなかったのか。私は今、あえて語ろう。彼は、ヴォルデモートの部下に操られ、殺されたのだ」
(っ!)
ハリーの目はダンブルドアの瞳を捉えた。その瞳にある感情をハリーは読み取れない。
インペリオ(支配)の恐ろしさは、昨年その身体で味わった生徒達の体験談によって刻み込まれている。だからファルカスの名誉が瀆されるということはない。悪いのは全て闇の魔法使いに違いない。
しかし、それでも。
操られ殺されたという事実を見ず知らずの誰かが知ることは耐えられなかった。ファルカスが何度か支配や拷問に抗ったという事実も、結果だけが残り書き消されてしまう。
(闇の魔術への恐怖と闇陣営に対する恐怖が増幅していくことは避けられないだろうな)
ハリーは内心でそう結論を出した。ダンブルドアの言葉を信じたとして、正しくそれを信じた人が次に至る結論は恐怖だ。ザビニのように、怖くても恐怖を乗り越えられる人間はそうはいない。ファッジも恐怖の前には屈したのだ。いったいどれだけの人間が、それに立ち向かう勇気を持つことが出来るのだろうか。
ダンブルドアはその後、ハリーのことを称えた。友のためにヴォルデモートに抗い、友の身体を持ち帰ったと。しかしそれは事実とは異なるプロパガンダだった。
(こんな話聞いてない……!)
ハリーは立ち上がり訂正しようとした。杖の共振と、ファルカスや両親達犠牲者の霊魂による介助によるものだと。しかし、アズラエルがハリーの手を掴み止めた。
「余計なことを言わないで下さい」
アズラエルの目には、明らかな憎しみの色があった。アズラエルの殺意はハリーに対してではなく、ドラコやノット達に向けられていた。
「……スリザリンの中にあって。いや、この魔法界において。ヴォルデモート卿と対峙し立ち向かう勇気を持ち続けられた者は少ない。かの闇の魔法使いと戦い、生き延びた人間もまた、少ない。その栄誉を称えて、私はスリザリンのハリー・ポッターを、その類稀なる勇気を称えたい」
ハリーにとって異様な光景だった。ハリーをあれだけ叩いていたハッフルパフの生徒達も含めて、大広間の三寮とダームストラング、ボーバトンの生徒達がハリーの名を唱和した。グリフィンドールの生徒達がスリザリンの生徒を称えることは、ほとんどあり得ないことだった。
そんな中にあって、スリザリンは一触即発の雰囲気を醸し出していた。
スリザリンの中で起立してハリーの名前を唱和したのは、アズラエルとザビニ。マクギリス、マーセナス、そしてオルガとミカエルを含めたハリーとあまり交流のない少なくない数の生徒達もハリーの名前を唱和した(ハリーは気づいていなかったが、アストリアも隣の生徒の動きにつられて起立し、そのまま唱和した)。
しかし、パンジー達やドラコ達、ノット、カロー姉妹やセルウィン、そしてダフネは起立しなかった。不思議と、心の中に澱みはなかった。ハリーはダフネに目線だけで笑った。
(僕のことはいいんだ。もう)
これから先、ハリーはアズラエルやザビニを地獄に導くことになるかもしれない。しかし、せめてダフネだけは戦いから遠いところでいてくれたのならば、ハリーは満足だった。
ダンブルドアの演説は続いた。ダンブルドアは言った。憎しみと怒りによる分断に勝るのは、友を信じ、己の弱さと戦う強さを持つことだと。
「敵の真の狙いは」
「私たち一人一人の間で分断と対立を煽り。不信と不和の種を巻き、煽り育てることだ」
「……人を疑うことは容易く、紡いだ絆を信じることはとても難しいと人は言う。しかし、今日この日を共にした君達は、容易いことと、困難で難しい道のどちらを選ぶべきかの選択を迫られる。その時はどうか思い出してほしい。困難で難しい道を歩んだ、ファルカス・サダルファスという少年のことを」
***
ダフネ・グリーングラスは、溝のように黒く濁った嫉妬と劣等感に苛まれていた。
ファルカス・サダルファスが偽のムーディによって操られ殺されたと聞いたとき、ダフネはただ恐ろしかった。二度とそんなことが起きないでほしいと思った。
ダンブルドアの演説を聞く間、ダフネはチラチラとハリーに視線を向けた。ハリーの姿は、試練の前とは別人のようだった。あれだけ輝いていた筈の翡翠色の瞳に輝きはなく、深い闇のように黒翠に濁っている。
ダフネはハリーの瞳を自分好みに染めたがった。しかし今のように光を寄せ付けないほどに病んだハリーを見たいわけではなかった。
ダンブルドアの演説が続き、闇の帝王に対する反抗とハリーを旗印にした結束が呼び掛けられた。ダフネは正気とは思えなかった。
(皆はハリーの命を何だと思っているの……?ハリーに死ねと言いたいの?)
ハリー本人の気持ちがどうであるのか、ダフネには分からない。聞く勇気もなかった。話しかける勇気もなく、ただただハリーから話しかけられないかと待っていただけだ。それでも、無責任にいのちを賭けさせている周囲の光景は異様に映った。
(……それでも、ハリーのために、皆が立っている。スリザリンのことを褒めてくれている。なら私も立ってハリーのために、杯を……)
複雑な胸中ではあったが、ダンブルドアによってスリザリンが、ハリーが褒められたときダフネの胸は確かに高鳴った。そして、ハリーのために立ち上がろうとして気がついた。
(どうして。どうして立てないの……)
自分にその勇気がないことに。
隣のパンジーやミリセントと歩調を変える度胸が、ダフネにはどうしても持てなかった。ダフネは胸に沸き上がる羨望と嫉妬の感情のままにグリフィンドールのテーブルを見た。
ハーマイオニー・グレンジャーは、何の曇りもない瞳で杯を掲げていた。自分が正しい道を歩んでいると確信している瞳。闇の帝王へ立ち向かえる勇気と、それが蛮勇にならないだけの才覚を持ち、確実にハリーの支えになれる知性。
どれもこれも、ダフネより上だった。
(……どうして。ハリーはスリザリン生なのにどうして私は応援できないの。……あんなにスリザリンを良くしてくれることを願っていたじゃない……!)
(……違う……違う違う!私のせいじゃない!私には、アストリアがいる、私が勝手なことをしたらアストリアはー)
ダフネは沸き上がる己に対する情けなさをハーマイオニーに対する嫉妬で誤魔化した。
思わずアストリアに視線を向ければ、アストリアは何も考えず起立し、杯を掲げていた。
(っ、あ……)
ダフネは打ちのめされていた。自分自身の心の醜さと、大切な妹を出汁にしてそれから目を背ける己の矮小さに。
ぎゅっと目を閉じたダフネは、隣のミリセントからつつかれて目を開ける。
目を開けた視線の先に、ハリーの瞳があった。ハリーは確かに、ダフネに笑いかけてくれているように見えた。
***
セドリック・ディゴリーは、ダームストラング生徒を乗せるべく待機している幽霊船の前にいた。幽霊船とセドリックとの間には、ビクトール・クラムが立っていた。
「ディゴリー……僕は本当に、どうしようもないやつだった」
クラムは何度かセドリックに対して、試練で闇の魔術をかけたことを謝ろうとしていた。しかし、クラムの脳裏をよぎるのは闇の魔術をかけたときの記憶だ。
心の底から憎んでいなければ、闇の魔術はそもそも発動しない。インペリオにかかっていたとはいえ闇の魔術に成功した自分が、セドリックに謝り許しを請おうなどおこがましい。そう考え二の足を踏んでいるうちに、ホグワーツを去る日がきてしまった。
遠目ではフルールが二人の様子を見守っていた。
(不甲斐なかったわね、私達は……)
本来の代表選手三人は闇の魔術の騒動に巻き込まれ、そして生き残った。しかし、その胸中は穏やかではなかった。もう少し自分達がなにかできていれば、無関係の人が死なずにすんだのではないかと思わざるをえないのだ。
「……だが、だが僕は君のことを憎んでいた訳じゃない。むしろ、本当に好感を持っていた。君は、僕と他のダームストラング生徒とで態度を変えなかったから……」
必死で頭を下げるクラムの姿を見て、セドリックもついに内心のわだかまりをほどいた。
「顔を上げてくれ、ビクトール」
セドリックはクラムに手を差し出した。和解のための握手だった。
「……僕も君やフルールに話したいことがあったんだ。英国のゴタゴタに巻き込んでしまってすまなかった。……英国のことを嫌いになっただろう?」
「セドリック。……いや、そんなことはない。君達は皆立派だったよ」
「今度また会ったときは、二人が変な騒動に巻き込まれないようにするよ」
セドリックの瞳には強い決意の色があった。
「自信を持って、『ここが僕らのホームだ、ようこそ』と言えるようにする。僕は、これでも優秀な方だからね」
「わかった。楽しみにしておく」
セドリック・ディゴリーは白い歯を見せて笑った。クラムはセドリックと拳で合図を交わし、フルールはドレスの端を上げ、淑女らしい礼によってセドリックに答えた。
ホグワーツ、ボーバトン、そしてダームストラングの誇る最良の生徒達はこうしてその道を別れた。彼らの道が交わることになるのか、それとも二度と会うことはないのか、それは誰にもわからない。
***
ハリー、アズラエル、ザビニの座るコンパートメントに、まずはロンがコリンを引き連れてやって来た。次いでハーマイオニーがルナを引っ張ってくる。
「僕が呼んだんです」
と、アズラエルは言った。
「……皆も大切なことは知っておくべきだと思いましてね」
ハリーが口を開きかけたとき、恐る恐るコンパートメントが開かれた。
入ってきたのはダフネ・グリーングラスだった。黒髪の魔女はこほんと咳ばらいをすると、恐る恐るルーナの隣に座ろうとした。
「ここ、いいかしら」
「いいよ。いいよね?」
アズラエルは鬼のような形相でダフネを見ていた。ザビニとハリーは、それぞれが視線をかわすとダフネへ機内販売のカボチャジュースを手渡した。
「皆集まってくれてありがとう。……ダンブルドアはああ言っていたけれど」
「話しておかないといけない。闇の魔法使いの危険性を、君達はまだ知らない。そして僕も、あいつらと根っ子は同じだってことを知っていてほしい。僕の話を全部聞いた上で、ファルカスのことも頭から追い出して。自分自身のためにこれからどうするのか決めてくれ」
「水臭いぜ。覚悟は出来てる」
そう話すロンに、ハリーは笑わなかった。
そして、ハリーは話し始めた。自分自身の罪と、闇の魔法使い達のおぞましい所業を。
炎のゴブレット編はこれにて完結です。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
追伸
……セドリック・ディゴリーのファンの皆様。
見せ場をオリキャラ(ファルカス)に奪わせて本っっっっ当にすみませんでした!!
五巻以降のハリーのスリザリンでの生活はアズラエルによる強迫観念に突き動かされることになります!頑張れ!