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ニンフの名を持つ魔女は、その名を隠し、姿を変え、ある魔法使いにとっての花嫁のように振る舞った。
か弱く可憐な魔女へと変身した魔女は、おしとやかでたおやかに笑い、時にはその魔法使いのために涙を流し、その魔法使いのつまらない話にも相槌をうった。その魔法使いは、界隈でも凶悪で名のしれた闇の魔法使いだったが……気がついたときにはその魔女に恋をしていた。
闇の魔法使いというものは、しばしば自分がこの世で最も優秀であると錯覚しがちになる。その男は闇の魔術の力に魅了され、自分ならばそれを極められると信じて疑っていなかった。闇の魔術の力を使えば、多少優秀でも世間知らずそうな目の前の魔女に裏切られる心配はないとたかをくくっていた。
魔女と親しい仲になるうちに、魔法使いの男は己の内面を知らず知らずのうちにさらけ出していた。知り合って半年がたち、男は魔女に悪事に荷担させた。魔女は、男のためならと悪事にも手を染めた。さらに、男のために金品を貢がせた。
気をよくした男は、有力な取引相手や顧客の話、自身が手掛ける商談、更に上部組織の上役達が集う会議。男は魔女の関心を引くために、それらを惜しげもなく打ち明けた。男がそこまで打ち明けたのは、ひとえに己の闇の魔術を過信していたからに他ならない、
そして、現在。
男の所属する人身売買組織は、闇祓いの襲撃を受けて壊滅した。男も一味の一人として捕えられ、己が組織を壊滅に導いたとはついぞ思わずに闇祓い達の手で連行されていく。トンクスも一味の一人として逮捕され、そして、裁判で男の悪事を明るみにして無事解放された。
この世に存在しない魔女の姿と名前で。
組織に潜入していたのはトンクスだけではない。闇祓いの何人もが組織に潜入して動向を追っていた。自分の役目が作戦のどの部分に役立ったのか、自分の他に誰が、何人潜入していたのかトンクスは知らない。作戦の全容は、闇祓いには打ち明けられないからだ。
闇祓いの執務室で、トンクスは己の持つメタモルフォーガスの力で変形させていた身体そのものを変質させた。百五十センチそこそこの可愛げのある美人な赤毛の魔女は、紫色の髪と170cmの長身を持つ愛嬌のある魔女へと変質していく。
「っはー、疲れた~」
「長期間の潜入任務、ご苦労だった。モリガナ・アレハンドロ」
告げられた偽名に、モリガナ改めトンクスは小粋に答えた。
「はっ!モリガナ・アレハンドロ、これよりニンファドーラ・トンクスに戻ります!」
と、答えたのも一瞬。トンクスの手にスクリンジャーが出現したティーカップが収まる。トンクスは迷わず口を付けて、優雅さの欠片もなく一息に飲み干した。
「初の潜入任務だったが、闇祓いに嫌気がさしたかね?」
「こんな任務に意味はあるのか、無意味に時間を浪費しているだけなのではないかと思っただろう」
長官であるスクリンジャーの問いに、トンクスはいいえ、と言った。
「任務に無意味な時間はありません。結果的に無意味になるかどうかは、己の心持ち次第であると考えています」
「間近で見た闇の魔法使いはどうだったかね」
スクリンジャーはトンクスに問う。その視線に探るような感情は欠片もない。
「育ち損なった子供です。それ以上でも以下でもありません」
トンクスは、気負った様子もなく言った。
「彼らの多くは、何かに挫折した人間だ。家庭、仕事、金銭、人間関係……理由は様々だが、悪事さえ働かなければそこらの市民と変わらない。そう思いはしなかったかね?」
いまだに新米の闇祓いを試すようにスクリンジャーは言う。ここで躊躇いを見せるようであれば重要な任務を任せるには足りない。スクリンジャーは絶えずトンクスを試していた。
闇の魔法使いに関わり道を踏み外していく闇祓いは、多くはないが希に存在する。クラウチによって闇の魔術が解禁されたとき、仲間を護るために自分も闇の魔術を使おう、と安易に手を出して破滅した未熟者もいた。スクリンジャーは、闇の魔術に若いトンクスが魅了されたのではないかと危惧したのである。
トンクスの答えは早かった。
「私は他人の痛みに関心を払うほど繊細な神経はしておりません、長官」
「闇の魔術に頼る人間は、心のどこかが壊れた者です。その境遇や、その人生に共感してやる必要がどこにありますか?私の使命は、闇の魔法使いを捕えて罪なき市民を守ることにあると考えています」
闇の魔法使いにも、闇の魔術そのものにもトンクスは欠片も興味を示していない。そのことを確認すると、スクリンジャーはトンクスを下がらせた。
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スクリンジャーの執務室を辞したトンクスは、自分に付きまとう気配を察知した。
闇祓いの使う警戒方法は、ルーン文字の警戒のルーンとはまた異なる。警戒のルーンは害意のある相手や危険な魔法生物を察知してくれるが、関知できない小動物や、悪意のない市民には無力だ。
例えば、闇の魔法使いが直接自分に近づくことはなくても動物の目を自分の目と繋げ、監視対象を観察するという手段がある。それに対抗するために、トンクスは独自にルーンを改良している。
ルーン文字のNewtでOを取れるような魔女は、独自でルーンを開発して刻み込み、意味を持たせることができるのだ。トンクスの刻んだルーンは、自分を三十秒以上観察していた場合はそれを知らせる、というものだ。ルーンはトンクスに警戒を促していた。
(……大方、ドーリッシュかな。スクリンジャーはあたしをスパイかなんかだと疑ってたみたいだし……)
脳内でスパイにあたりをつけたトンクスは考えた。監視に気付いていないフリをするか、それとも監視され続けるか。
(普通に飯を買って、普通に家に帰る。監視対象も、あたしが不自然な行動を取っていたなら報告するだろうけど)
(プライベートまで襲ってきたら考えないとね)
トンクスのストーカーは、結局トンクスの帰路までは追ってこなかった。トンクスは脳内ドーリッシュに悪態をつきながら自宅に帰り、そこで秘密の連絡網を通してダンブルドアからの指令を受け取った。
「……ハリー・ポッターへの救援……!?」
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ハリーは一人、ダーズリー家でデイリープロフィットを握りしめていた。日が沈んだダーズリー家で、ハリーはひたすら己を責め続けていた。
「…………まぁ、仕方ない。自業自得だ」
デイリープロフィットには、ハリーが未成年者の機密保持法を破り魔法を使用した罪が大々的に報じられていた。
このところ、デイリープロフィット内のコラムや記事の至るところで自分を揶揄する風潮が出来上がっていることには気がついていた。リタの法律違反をレベリオで暴き出し、逮捕させたことがデイリープロフィットの怒りに火をつけたのだろう、とハリーは気にしていなかったが、ハリーが法律を違反したことは格好の話の種になったようだった。
(……本当に、ファッジは何もしていないのか)
ハリーは英国魔法界というものがハリーにとっての安楽の地ではなく、より複雑な社会人達の手で成り立っていることを認めざるを得なかった。これまでは、ダーズリー家による圧政から逃れるためのユートピアだと思い込んで他の様々な違和感には目を背け、そういうものだと受け入れてきた。
しかし今、そのツケが回ってきた。
ハリーは今や、英国魔法界から敵視され、侮蔑される存在なのだ。
それはこの際仕方ない。ハリー自身、さんざん好き放題に暴れてきたのだから。しかし、ヴォルデモートという脅威に対してなんの対策も取れていないという事態を受け入れることはできなかった。
それは、あの場で死んだ友達や殺されたマグルの命に対する侮辱に他ならない。
誰が死のうとも些細なことだ、と言われているようなものだったからだ。
(……皆は失望しているんだろうな。もう口も訊いて貰えないか。……シリウスはどうだろう。シリウスは気にするなと言ってくれるかもしれない。でも、マリーダは怒るだろうな)
ハリーはとりとめのない思考を追い出すために、テレポート理論について書かれた参考書を取り出そうとした。テレポートはowlの出題範囲とは全く関係がないが、行きたい場所に即座に逃げるにはもってこいの技だ。むしろなぜ今まで習得しようと思わなかったのか、ハリーはそこが疑問だった。墓地に連れ去られた後であっても、テレポートさえ成功すれば自分とファルカスは助かったかもしれないのだから。
ハリーがテレポートの基礎理論に目を通していると、ハリーは額に痛みを感じた。このところ額は、ハリーにとって危険とは言いがたい状況でも痛むようになってきていた。
「ー!?」
その時、ダーズリー家に、暖かな光が入り込んだ。その光りは銀白色で、今のハリーにとっては眩しすぎるほどに強く輝いていた。ハリーは即座に杖を構えた。
(……これは……!)
『ハリー。私だ。君を避難させるために大勢で来ている。どうか杖を下ろしてほしい』
銀白色の光から聞こえてくる声を聞いて、臨戦態勢にあったハリーは動けなくなった。その声の主には合わせる顔がなかった。ハリーに沸き上がった敵意が急速に萎み、代わりに罪悪感が沸き上がってくる。
「……やぁ、ハリー。一年ぶりかな」
「お久しぶりです、ルーピン先生」
シリウスの結婚式で再会して以来、会っていなかった恩師にハリーは深く頭を下げた。
そうすれば顔を合わせずに済んだからだ。
ハリーは、ルーピン先生に対して申し訳が立たなかった。三年生の時、あれほど熱心にハリーの面倒を見てくれていたのに。あれほど必死になってパトロナスチャームを習得したというのに。
今のハリーには、パトロナスは微笑まないのだから。
***
「……トンクス先生はよく笑えますね。こんな状況で」
「こんな状況だからこそ、だぜ。久しぶりだね、ポッター」
「……そういう考え方もありますね」
ハリーを迎えに来た魔女と魔法使いの何人かとはハリーは面識があった。対して、中には面識のない魔法使いや魔女もいた。ハリーは彼ら一人一人と挨拶を交わしたものの、ムーディやリーマスに対しては何と声をかければよいかわからなかった。
魔法の義眼と木製の義足を持つ老練の元闇祓い、アラスター・ムーディ。
狼人間でありシリウスの親友でもあるリーマス・ルーピン。
自由自在に容姿を変化させるトリッキーな魔女、ニンファドーラ・トンクス。
理知的な黒人の闇祓い、キングズリー・シャックボルト。
神秘部に勤めているという魔法使い、ブロデリック・ボード。
この中で最も年配の魔法使い、エルフィアス・ドージ。
ハリーのことをなにかと持ち上げてくる魔法使いのディーダラス・ディグル。
ブロンドの魔法使いのスタージス・ポドモア。
黒髪の魔女ヘスチア・ジョーンズ。
半数はDADAの教師としてに任じられたか、後任としてホグワーツに臨時で雇われた対闇魔術の精鋭達だった。もう半数の魔法使いや魔女についてはどうか知らないが、それでも信頼できる人柄であることは確かなのだろう。
「……君を護衛する。ハリー、箒には乗れるかい?試合からは随分と遠ざかっていると思うが」
「問題ありません。空の上なら僕は自由ですから」
ハリーの答えに、スタージスは頼もしい、と言った。
「……どこへ向かうのですか?」
ハリーには疑問があった。ハリーのために何人もがわざわざ仰々しく迎えに来る必要はあるのだろうかと。一人が来て、テレポートすればいいのではないか、と。
「隠れ家の場所を隠蔽したいなら、テレポートの方が確実だと思うのですが……」
「黙れ」
たった一言ムーディが言った。それは、有無を言わさぬ圧を含んでいた。
「……ここは危険すぎる。作戦の真意を話すわけにはいかん」
そう付け足された言葉は、おそらくはハリーを気遣ってのものだろうと察した。ハリーは素直な人間を演じた。
ハリーはマッドアイに対しては、思うところはあった。どう接してよいか分からなかったが、ハリーのために言ってくれているのは確かだと思った。
「すみません。過ぎた口をききました」
ハリーは謝ったが、トンクスはまあまあマッドアイ、と陽気な調子を崩さなかった。
「……荷造りの準備は出来てる?あたしが手伝ってあげるよ、ポッター」
「……いえ、僕は一人でも問題ありません」
「ん、そうかい?こういう時は人の厚意を受け取っておくもんだぜ?」
ハリーはトンクスの助けを借りなかった。私物のほとんどは魔法で拡張したトランクに詰め込んでいて、アスクレピオスの居るケースをトランクに入れてしまえばすぐにかたがつくからだ。
「では私が」
と、ルーピンがついてくるのをハリーは断れなかった。ハリーは自分に与えられた部屋で、ルーピンと二人になる時間を与えられた。
それはおそらくは、ハリーの心身を気遣っての配慮だったのだろう。ハリーはトンクスの助けを拒んだ以上、ルーピンに対しての弁明をせねばならなかった。人の厚意を拒む人間は、別の形で報いが回ってくるものなのだ。
***
「……知らせを聞いた時は驚いたよ」
部屋で二人きりになったとき、ルーピンは柔和な笑みを崩さなかった。しかし、ハリーは崩れ落ちる勢いで頭を下げた。
「……何の言い訳もできません。ルーピン先生、本当に……僕は、最低な人間です。ルーピン先生から教えていただいたパトロナスを、僕は出すことができませんでした」
「……ハリー?」
ハリーは自分が何をしたのか、はっきりと分かっていた。自分はルーピンからの信頼や、三年生の時に教わったことを全て裏切ったのだ。謝って許されるものではなかった。
救いがたいのは、ファルカスのためにヴォルデモートとクラウチJr.を殺害しようとしたことに関しては恥じていないことだった。ハリーはルーピンの期待を裏切ってきたし、これからも裏切るつもりなのだ。どんな手段を用いても、闇の魔術でなかろうと、ハリーはヴォルデモートを殺害するつもりだったのだから。
許しなど乞わず、ハリーは開き直ることもできた。しかし、どうしてもルーピンに対しては開き直れなかったのである。教師として最も深くハリーと接してくれていたのはルーピンだったのだから。
「……ハリー。頭を上げてくれ」
ルーピンの顔には笑みは浮かんでいなかった。その顔には哀しみと覚悟があった。
「私は確かに、君が闇の魔術を使ったことには失望した」
ルーピンの声には嘘偽りはなかった。
「だが、この家のマグルを護ろうとしたと聞いて、驚いたよ。君はこの家を本当に、心の底から恐れていた。憎んでいたのに、君はここを護った」
「……それは、闇の魔法使いでは絶対にできないことだ。君を教えた人間として、君のことを誇らしいと思ったよ」
ハリーはルーピンの皺の増えた顔をまともに見れなかった。ただ、ハリーはルーピンにだけは、墓場での出来事を打ち明けた。その出来事については散々話してきたが、ハリーの本心を打ち明けるのはルーピンがはじめてだった。
「……僕は墓場でヴォルデモートと戦ったとき……一人のマグルが、僕を応援してくれたんです」
「……マグルが?」
「はい。僕は、それで……心が、軽くなったんです」
ハリーはスリザリンに入ってからのことを話した。スリザリンの考え方で、確かに救われていたことも。
「……悔しいじゃないですか。魔法使いだからって一方的にやられて、魔法使いだからマグルにはなにもできないなんて。……だから、スリザリンに入ったときは嬉しかったんです」
自分が特別な人間になれた気がしたからだった。
「でも、そんなことはありませんでした。……魔法使いだからって、立派でもなんでもなかった。魔法使いとマグルは違う。決定的に違うけど……マグルだからって、殺されていいはずがなかった」
ルーピンは辛抱強くハリーの言葉を聞き続けた。不安定で不確かで、それでも歩みを止めない若者にとっての師としてルーピンはそこにいた。
「マグルだって、理不尽に殺されたくはない。当たり前に生きたいし、怒って、喜んで……僕たちとは違うけれど、僕たちを理解してくれなくても、その気持ちだけは同じだったんです。そう思ったら」
「……殺されていいはずがないと、そう思いました」
ルーピンは暫くの間、無言だった。やがてルーピンは、ハリーに右手を差し出した。
「そう思えるのなら、君は立派な魔法使いだ。……自分の過ちをなかったことにはしないでほしい。ただ、君が何に対して怒り、何のために戦うのか。それを忘れない限り、私たちは君の味方だ」
「……ありがとうございます。ルーピン先生」
リーマス・ルーピンの手を、取ろうとして、ハリーは取れなかった。ハリーにとってはルーピンはやはり眩しすぎた。ハリーは差しのべられた手を取ることはできず、ただ、黙って頷いた。
ムーディはマジでハリーに会わせる顔がなかったと思う。でも現場の指揮はムーディの役なんで。