おっかしいなぁ……
二巻辺りを書いてたときのプロットではハリーはもう閉心術を習得している予定だったのに……
どうしてこうなった。
「……却下だ、ハリー」
「どうして?」
ハリーの案はシリウスの手で即座に否定された。シリウスは昔の俺ならそれも肯定しただろう、と付け加えて言った。シリウスの美貌も今のハリーの心を落ち着かせるには至らない。ハリーは不満を隠すこともなくシリウスの言葉に聞き入った。
(本当はハリーには『自分を大事にしろ』と言ってやりたいが……)
シリウスはその言葉を飲み込んだ。今のハリーに身を案じる言葉を投げ掛けたところで届きはしないとシリウスには分かっていた。友を喪った人間の気持ちはよくわかっていたし、無力感に苛まれる人間の気持ちもよく分かっていたからだ。
だからこそ、ハリーの行動によってもたらされる利益がないことをシリウスは説いた。
「今回の裁判はハリーが法律に違反したかそうでないかを確認するための場だ。裁判官が興味があるのは、ハリーが魔法を使用した場合の状況のみ。今回の一件と関係のない日の事件について申し立てをしたとしても、裁判官達の心証が悪化するだけだ」
(……確かに。でも、裁判の日じゃなければ?)
シリウスの言動は至極もっともだった。ハリーはならばと代案を出す。
「なら、今回の一件とは別の日に罪を訴え出ればいいんじゃないかな。正当な手続きを経て裁判をしてほしいと願い出るのは?」
「……ほう」
ハリーの瞳は濁ったまま、シリウスに事態の告発を願い出た。
「僕の杖の使用履歴を遡れば、あの日使った魔法のことも明らかになる。そのときの状況は今も鮮明に思い出せる。記憶を取り出してもらって裁判官たちに見て貰うか、ベリタセラムで証言すれば僕が嘘をついていないことを認めざるをえない筈だ」
「……なるほど。……あの日使った魔法を明かすことになるぞ?」
「僕はそれでも構わない」
「それも、難しい」
「……!!デイリープロフィットのせいで?僕の証言には価値がないって?」
ハリーはデイリープロフィットの記事を読み、その内容も把握していた。ハリーやダンブルドアは狂気に取り憑かれ、ありもしない妄想を拗らせた哀れな少年と呆けた老人だという記事は、それほどまでに信憑性があるのだろうか。
「……誰も彼もが新聞を鵜呑みにするほど短絡的ではない。ハリー。ただ、あの日の一件は既にケリをつけられてしまった」
「……!!」
ファッジは事態が解決したことにした、とシリウスは告げた。ハリーにとって、それはあまりにも残酷な現実だった。衝撃で言葉が出なかった。
ファルカスの死も、ヴォルデモートの復活も。六月二十四日に起きた事件の全ては、英国魔法界にとっては終わったことなのだ。
「サダルファス君はトライウィザードを操作しようとしていた闇の魔法使いに操られて殺された。事態を重く見たファッジは謎の闇の魔法使いをディメンターのキスによって処刑し一件落着、というのがファッジが用意したカバーストーリーだからな」
「無理があるよ、それは。いくら何でも」
分かっていたこととはいえ、ハリーには信じられない。ファッジは仮にも大臣であるにも関わらず、犯罪者に恐れをなして犯罪者から逃げ続けると言うのだ。それでは何のために闇祓いが存在するというのだろう。何のために魔法省があると言うのだろう。自分達の立場を守るためならば、知らない人間がいくら死のうが構わないと言うような態度だった。
「ヴォルデモートを止めなければ皆が困るってことは分かっている筈なのに……」
ハリー自身、自分が善だと言えるような人間ではないと分かっている。闇の魔術に手を染めた悪人である以上、法律に守って貰わなかったからと言って魔法省だけを責めるのはお門違いだと頭では分かっている。
しかしだからこそ、ヴォルデモートだけは止めなくてはならない。
否、絶対に殺害しなければならないとハリーは分かっていた。そうしなければ、ヴォルデモートやその配下の気まぐれであっさりと人が殺されるということは分かりきっているからだ。
「俺が前に言ったことを覚えているか、ハリー。人は、勇気を最後まで持ち続けることは難しい」
「……うん」
ハリーは認めた。ファルカスは勇敢な人間だったし、最後には勇気を取り戻したとハリーは断言できる。
それでも、人間の勇気には限りがある。勝ち目のない状況、絶望しかない場面でそれを持ち続けることは普通はできないのだ。ファルカスほど目的意識を持ち、闇に抗おうとしていた人間でも、暴力的な痛みに曝され死の恐怖を味わえば勇気を投げ棄ててしまう。それが普通の人間なのだ。
「ファッジはかつては、俺よりも公正で、公平で勇敢な人間だった。闇陣営がのさばる暗黒時代、惨事部の人間として仲間をまとめあげ、ひっきりなしに起こる悲惨な現場の修繕や被災者の救助に全力を尽くしていたことを今でも覚えている」
シリウスは、昔のファッジは自分よりはまともな人間だったと言った。
「体制の側について賃金を貰い、公に立場をもって戦うということは、責任を背負うと言うことだ。出来て当たり前、出来なければ批判に晒される。それがプロの立場だった」
対して俺たちはアマチュアだった、とシリウスは言った。
「俺やジェームズは正式な闇祓いや職員にはならず、オーダーとして戦った」
「それはそうする必要があったからだよね?」
「そうだ。そうする方が、規則や民衆からの視線に縛られることはなく自由に動くことが出来たし、魔法省へ潜り込んでいるスパイを警戒することもなかった。俺たちにとってはその方が気楽だった。余計な責任を負うことなく闘いに専念できたからだ。……だが」
俺たちが活躍することが出来たのは、やはりファッジ達魔法省職員が敵の目を惹き付けていたからだとシリウスは言った。
「レジスタンスはレジスタンスであって、規模は魔法省の方が上だ。動かせる人員の数も質も、ダンブルドアを除けば魔法省ありきだった。そもそも騎士団の中核だったムーディも魔法省の闇祓いだからな」
「……ファッジや魔法省の肩を持つんだね、シリウスは」
「ファッジについては、肩を持っている訳じゃあない。あんな小者に苛立っても仕方がないと言うだけの話だ」
シリウスはハリー以上に容赦がなかった。ハリーはシリウスの本質をやや見誤っていた。シリウスは、思っていたよりはファッジや相手の人となりを観察している。観察してその人となりを認めているからこそ、容赦なくこき下ろせるのだろう。
「……ファッジのような人間は、どこの世界にも幾らでも存在するんだ、ハリー。世の中にはデスイーターと騎士団の二種類の人間しかいないという訳じゃない。大半の人間は、その二つと関わることなく穏やかな日常を過ごしたいと思っている」
普通の人間なんだ、とシリウスは言った。達観した言い方だとハリーは思った。
「己の身の回りだけが整っていれば良く、それ以外に理不尽やら何やらがあったとしても、関係ないからとそれを見ないふりをして許容する。何処にでもいるダメな大人だ。……それを見て一々怒りで自分を見失っていてはきりがないぞ」
「普通の人か。そんな人が大臣でいいのかな。せめてダンブルドアが大臣だったらまだまともだったのに」
ハリーは皮肉半分、本気半分で言った。ダンブルドアのことは憎いが、少なくともヴォルデモートとの闘いを放棄する人間ではなかった。その一点だけでも、ハリーはダンブルドアのことを認めざるを得ない。
「ダンブルドアは……権力を持たなかったからこそ偉大な人なんだ」
シリウスはなにかを噛み締めるようにハリーに言った。
「ハリー。権力はな、はっきり言って人を腐らせる。特に魔法省大臣は、その責任の重さも他人とは比べ物にならないからこそ、権力を振るうことの魔力も膨大なものとなる」
「その重さにファッジは耐えられなかった。でも、ダンブルドアなら?あの人が大臣なら、ヴォルデモート相手に闘うことを決めてくれた筈だよ」
「だがその場合は、ダンブルドアは俺達の知るダンブルドアではなくなっていただろう」
シリウスは言った。
「パーシバル・ウィーズリーが、ウィーズリー家を出ていったことは知っているな、ハリー」
「……うん。ロンから聞いたよ」
ハリーにとっては心地よい話ではなかった。パーシーは大臣付きの秘書官に抜擢されたことを大喜びで両親に報告して、その日に家族と大喧嘩を繰り広げ、勘当されるような形でウィーズリー家を出奔した。
そもそもの話、パーシーが出世に値するかというとハリー達の視点ではかなり怪しかった。ザビニはトライウィザードの一件を闇に葬るために出世させられたのだと言った。
「パーシバルは出世することで魔法省を改革すると息巻いていたそうだ。『この魔法省を純血主義から脱却させるためには、アーサーのやり方では甘い』と。『現場で仕事をしているだけではなく、政治の中枢に関わって権力を握らなければなんの意味もない』と言っていたそうだ」
シリウスなりに思うところがあるのか、シリウスのパーシーに対する口調は柔らかかった。パーシーは権力を重視してアーサーとは距離を置いた。つまり魔法省側の人間だと言うのにだ。ハリーはシリウスの態度に疑問を持ったが、パーシーのことを考えるとより複雑な気持ちになった。
(……あのパーシーさんが権力の鬼になるなんて)
ハリーにとっては、親友の兄であると同時に恩人の一人でもあった。バナナージやガーフィールやセドリックと同じように、人として尊敬でき模範にしたいと思う先輩の一人ではあったのだ。
パーシーがウィーズリー家を離れたのは方針の違いであって、ハリーが介在する余地はない。それでも、かつて顔を並べてリドルやドロホフに立ち向かった相手が味方にはならないということは、現状の不味さをひしひしとハリーに伝えていた。
肩を並べて闘った人間すら信用できないというのは、辛かった。墓場でファルカスから叫ばれた言葉が頭を過るからだ。
今後ハリーが何かしらで醜態を晒せば、ロンやザビニやハーマイオニーから杖を突きつけられることだってあり得る。ハリーはそう考えてしまう自分自身に激しい嫌悪感を抱いていた。
「理想論だな。一見すると近道に見えるが、ファッジに取り立てられるということはパーシバルの理想からは遠ざかる行為だ。……人事局からそう任じられた以上、あの堅物に拒否権はなかったのだろうが」
「それとダンブルドアとなんの関係があるんだ、シリウス。パーシーはダンブルドアとは違う。あの人は……」
「まぁ聞け、ハリー。ファッジの派閥に入った以上、パーシバルはその派閥のために尽力する義務がある。義務を果たさない人間は、……七並べで言えば、このカードだな」
シリウスはハリーにトランプのジョーカーを差し出した。
「……何処にも属すことができない?」
「そういうことだ。一見すると便利で使いどころがあるように見えて、どの色にも染まることができない。売れ残って、最後には損をする。そうならないためには」
シリウスはジョーカーのカードを魔法でハートのAに変えた。
「最初から最後まで、自分の立場を一貫させておく必要がある」
ハリーはシリウスの言葉に黙って頷いた。今のハリーは悪人ではあるが、ヴォルデモート相手に対立するつもりはあった。
「政治の世界では、落ち目の人間が裏切られることは良くあることだ。とはいえ、自分を取り立てた人間に対して不義理を働くやつはどの世界でも信用はされない。ファッジは純血派閥にもいい顔をしているからな。パーシーが改革することは難しい。たとえダンブルドアだったとしてもな」
「同じことがダンブルドアでも起こるって言うの?それはいくらなんでも、ダンブルドアのことを馬鹿にしているんじゃないの」
ハリーは少し納得できない気分だった。ダンブルドアとパーシーとでは、実績も魔法使いとしての腕も違うのに、と。
「そうだ。ダンブルドアは人並外れて賢く優秀だ。……だから、もしもダンブルドアがホグワーツを卒業した後に魔法省に就職したと仮定しよう」
シリウスはダンブルドアをジョーカーとして定義した。何処にも属すことができない、あまりのカードとして。
「魔法省内ではダンブルドアを利用しようと派閥に取り入れるか、派閥を乗っ取られることを恐れて遠巻きにされるか、或いは敵視され孤立するか。そのどれかが起こるだろう」
七並べのルールでは、最後には必ずジョーカーが売れ残る。そして、ジョーカーを持っていた人間は負けるのだ。
「……だから、魔法省に所属して中から改革をするというのはな、理想論だ。俺も魔法省に所属したからこそわかる」
シリウスの言葉には実体験も含まれていた。魔法省でシリウスの家柄や資金をあてにしてくる人間は数多くいたのだろうとハリーも察した。
「誰も彼もが権力やパワーバランス、身近な上司のご機嫌取りや縄張り争いを繰り広げている。そんな環境ではな」
シリウスはジョーカーのカードを魔法で引き戻すと箱にしまった。
「ダンブルドアがいかに善人であったとしても、その善性を全て保持したまま権力を持つことは難しい。どこかの派閥の主になれば、その派閥の維持のために心血を注がなくてはならなくなる」
「そして本気でその派閥の長にまで上り詰めた時、ダンブルドアは俺達の知っている少数派のための長ではなくなっている。自分の派閥か、もしくは、魔法界にいる最大多数の普通の人々に手を差しのべる代わりに、ルーピンのような人間に手を差しのべる余裕はなくなっていただろう」
時計の短針がかちり、と動いた。
(……あのダンブルドアでも、立場で縛られるなんて……)
ハリーには信じがたい話だった。ハリーにとっては超然としたオーラに身を包んだ魔法使いであり、超えたいと思っていた目標なのだから。
「ダンブルドアは確かに超人だ。賢人でもある。だが、社会を動かしているのは、超人ではない普通の人たちだ。自分の人生を生きていて、他人の不幸に心を痛めることは出来ても、自分自身を削ってまで知らない他人を助けるまではできない。……自分にとって益があるならその限りではないが。そういう普通の人たちなんだ」
「俺達に出来ることは、ダンブルドアに依存することではなく、少しずつでも自分達に出来ることをすることだ。ハリーだってそのつもりだっただろう?」
シリウスの挑発は確かに、少し前までのハリーの気持ちと重なるものがあった。ダンブルドアが居なくても、己自身の力と努力で道を切り開けると信じていた。ヴォルデモート相手に敗北して友を喪うまでは。
ハリーは、ハリーなりにシリウスの言葉を理解しようと努めてみた。
(……そりゃ、僕だってここまで追い詰められなかったらわざわざヴォルデモートを殺そうとは思わなかったかもしれない。シリウスの言うとおり、ダンブルドアが政治家だったからって今よりよくなっていた保証なんてない……)
(だけど、『普通』。普通の魔法族ってなんだ)
普通の魔法族というものを想像してみて、ハリーの周囲には普通の魔法族があまり居ないことに気がついた。シリウスやマリーダは当然のこと、ロンやハーマイオニーは普通には全く当てはまらなかった。スリザリン生であるハリーにも手を差しのべたのだから。
さらに言えば、ザビニもアズラエルもコリンもルナも普通の枠からはずれていた。皆何かしらで周囲から浮くところはあったのだ。
強いて言うならばダフネが普通の女の子だった。人の心はあるが、それを他人に向けるまではできない、という意味で普通の女の子。だが、ハリーはダフネも普通とはずれていると思った。本当に普通ならば、ハリーのいるコンパートメントには来ない筈だ。
「……シリウス。この魔法界で普通の人を見たことがないから聞きたいんだけど、いいかな?」
「ん、ああ」
「普通の魔法使いって言うのは、スミルノフさんのような人達のことを言うのかな?」
ハリーが見た魔法使いの中で最も『普通』。ダーズリー家に近い人間として、ハリーはユルゲン・スミルノフを挙げた。
ロンは自分の両親であるウィーズリー夫妻を普通の人間として挙げただろう。しかし、ウィーズリー夫妻は立ち向かう勇気がある時点で高潔で、普通の枠には当てはまらないと思ったのだ。
「……ああ。ユルゲンは今忙しくてそれどころの話ではない」
シリウスはユルゲンの現状について語った。
「アンドレイとうまくいっていないそうだ。……新入りの教育に加えて、アンドレイはアンドレイで自分の道を進むためにユルゲンと対立している。スミルノフ家の場合は、世界を守るどころの話ではない。まずは自分の家族と向き合ってからだ」
シリウスの言葉には頷けない部分もあった。家族がどうであれ、世界が終わってしまえば意味がないのではないかとハリーは言いたかった。
「……仲間を増やすっていうのは上手くいかないものなんだね……」
ハリーが辛うじてそう言ったのは、シリウスがこの状況でも落ち着いていたからだ。不安によって取り乱す姿は周囲に不安を伝染させるが、冷静な姿は平常心を取り戻させる。熟練の闇祓いであるキングズリー・シャックボルトなどはそれを良く分かっていて実践しているように、シリウスも努めて冷静な自分を演出していた。
「……だが希望はある。先の闘いに比べればデスイーターの数は少なく、俺達は先だって闘いに備えることができた」
「魔法省が対応していない分だけ不利じゃないの」
ハリーは内心の焦りを隠すことが出来なかった。
「魔法省は……ファッジはいずれ現実を直視しなければならなくなる」
シリウスは強い確信を抱いていた。シリウスは、ファッジは善人でいたいのだと言った。ヴォルデモートを除いて誰一人として得をしない内戦を決断して、周囲から恨まれるのが恐ろしいのだと。
「やつは権力に溺れて堕落こそしたが、悪に振り切れるほど根っから腐りきる度胸はない。逃げた自分を正当化するためにダンブルドアやハリーを狂人に仕立て上げようとしていることは許せないがな」
(……シリウスの言いたいことは分かるけど、納得は出来ないな……)
シリウスもハリーに負けず劣らず激怒していることがハリーにはわかった。ただその怒りの矛先を魔法省やファッジに向けることは時間とエネルギーの浪費だとシリウスは言っているのだ。
明らかに、そう明らかになにかがおかしいと言いたげなハリーに対して、シリウスは言い聞かせる。
ハリーは思った。
(あっ)
シリウスの口調は冷静だが。
(怖い)
その瞳は、全く笑っていなかった。
「落とし前はあいつ自身の手で支払うことになる。人生のツケは、自分にとって最悪の時に廻ってくるものだからな」
「……それまでの間に、どれだけの人の命が失われるんだろうね」
ハリーの言葉に、シリウスは答えなかった。ただ、その掌は爪先が食い込むほどに強く握りしめられていた。
最後にハリーは一言だけ、シリウスに頼み込んだ。
「ダンブルドアと話をさせてほしいんだ。シリウス。……僕は……どうしてダンブルドアが僕のことを放置していたのかを聞きたい。べつに責めたい訳じゃないんだ。……ただ、理由が聞きたい」
***
次の日、ハリーは朝早く部屋を出ると赤毛の垢抜けた少女に出くわした。
「あっ、ど、どうもお久しぶりです、ハリー先輩」
ジニー・ウィーズリーはそばかすを消し、髪をゴムバンドでまとめたラフな姿で朝食の席につこうとしていた。
「君はロンの妹の……ジニーさん。こちらこそ」
他人行儀な挨拶を交わしたハリーは、ジニーからあるものを手渡された。
「これ、うちの双子からハリーへのお裾分けです。ここにお邪魔しているお礼にどうぞって」
「……耳栓かい?ありがとう」
「あっ、違うんですよ。これは、付け根を引っ張って……壁にくっつけるんです」
なんと渡された耳栓は魔法の盗聴器だった。ハリーの若干引いたような感心したような視線に対して、ジニーはまるで自分の手柄かのように胸を張った。
「……遮音魔法がかけられた部屋もこれがあれば、中の会話は筒抜け。フレジョの自信作なんです。今騎士団の大人達が会議中だからハリーにもどうぞって」
「……相変わらずとんでもないね、君のお兄さん達。ありがたく使わせてもらうけれど、幾らなの?」
ハリーは兄さん達、と言った。その時ジニーの表情に一瞬陰りが見えたのを感じた。
(しまった。パーシーさんのことを連想させてしまったか……)
ジニーの兄たちというのは双子やロンのことも指すが、パーシーもその中に含まれるだろう。仕方のないことではあるが、兄たちという言い方はよくなかったとハリーは反省する。
「双子の兄さんはこういうグッズを作っているんだっけ?」
ハリーはロンから話は聞いていたものの、パーシーのことには触れずに双子の話題へと繋げた。ジニーはそうなんです、と話題に乗っかる。
「最近あの二人おかしいんです。バンバン新製品を量産してるみたいで。魔法が使えるから素材を増やせるのはわかるんですけど、そんなお金何処から引っ張ってきたのかなぁ」
「ロンは賭けの勝ちを利息つきで支払ってもらったからだって言っていたけどね」
「でも、それにしたってそこまで増えないと思うんです。……うちの小遣いで勝ったくらいで、あれだけの量を作れるわけないのに」
「あの二人の事だから、他でも色々と工作をしていたんじゃないか?」
「だといいんですけどねー」
そんな話をしながら、ハリーはジニーと共に廊下を進んだ。ブラック家の屋敷は広く、客人がゆったりと会話を楽しめるだけの余裕がある。
(……普通に笑えているんだな、この子は)
強い子だな、とハリーは思った。ロンもそうだったが、兄弟が家を出ていった後だというのにまるで気負った様子がない。
パーシーはあれこれと世話を焼いていたようだが、ロンやジニーにとっては大きなお世話だった、ということなのだろうか。そんなことを考えていると、ジニーは
「パーシーのこと、聞きました?」
とハリーに言ってきた。ハリーはああ、と頷いた。
「居なくなって精々しますよ、あんなやつ」
「……結構言うね、君は」
ジニーはハリーが思っていたよりも案外毒舌だったようで、パーシーに関する悪口をハリーに語って聞かせた。ハリーは適当な相槌をうちながらも、かつての恩人に対して同情ともつかない奇妙な感情を抱いた。
(……兄貴っていうのは大変なんだな……)
***
ジニー・ウィーズリーは最近、ある悩みを抱えていた。
恋が、ないのだ。
身を焦がすほどの胸のざわめきが、得られないのだ。
秘密の部屋の一件でリドルを相手に手酷い裏切りにあい、初恋の相手だったハリー・ポッターが闇の魔術を使うとんでもない地雷だったジニーはその後、一年生の出来事を揶揄してくるスリザリンの同級生をしばきたおしながら青春を過ごしていた。
その日々はなにかと気を遣ってくるパーシーや、自分をからかってくる双子、兄貴面をしてくるライバルのロンを相手にするよりはジニーにとって自尊心を取り戻すための糧となった。決闘クラブには足を踏み入れなかったが、ハリーとも闇の魔術とも関わらない日々はジニーにとっては安息の時だった。
そして安息に慣れた頃、ジニーはユールボールに誘われた。ユールボールで出会った黒髪のマイケル・コーナーと付き合った。決してトムに似た黒髪だったからではない。
そして、コーナーに物足りなさを感じていた。
(……うん。これでいいのかなー、私)
コーナーの優しさや気遣いが伝わっていないわけではないし、面白いところもある。しかし、物足りない。それはもう満腹なのに、刺激にもう一品のデザートを望むような贅沢な悩みなのかもしれなかった。
しかし、そうやって安息の日々を送っていたジニーの日常はついに終わりを迎えた。
ハリー・ポッターが死人のような顔でホグワーツへと帰還して、その親友が死んだ日に。
グリモールド・プレイスに避難させられたジニーは、正直なところハリーとは関わりたくなかった。ハリーを見ると、どうしてかトム・リドルのことを思い出して胸が締め付けられるからだ。
(もしもトムが改心してくれていたら)
コーナーと付き合っているとき、そう思う自分がいた。ジニーにとっては、トムはあまりにも巨大な悪であると同時に、人を愛したり心の底から慈しんだりといったことができない可哀想な人でもあった。ハリーを見ると、易々と騙された挙げ句トムになにもしてあげられなかった自分を思い出して心が痛むのだ。
再会したハリー・ポッターは、以前とは様変わりしていた。一言で言うならば、生きる屍だった。
ハリーと付き合っている女子生徒のお陰か、ハリーの髪は以前はいつもストレートに伸びきっていた。その瞳はキラキラとサファイアのように輝いていて、最強の学生を決めるトライウィザードトーナメントでも勝ち残ってしまいそうなオーラというものがあった。実際勝ってしまったのだから、ハッフルパフ生がハリーを排斥していたのは正しかったのだろうとジニーは外野から見て思った。
しかし、今のハリーの髪はぼさぼさで纏まっておらず、箒に乗った後のように無造作に散らばっていた。あれだけ輝いていた瞳には輝きはなく、笑みも見せない。
そんなハリーを双子の盗撮グッズで見ていたジニーに、ゆうべ双子がなぜか伸び耳を渡してきたのである。
ジニーにとってはいい迷惑であった。
実際にハリーと話をしてみると、ハリーはやはり優しかった。しかし、トムとはどこか違うことを誰よりもジニーが痛感していた。
ジニーとハリーは双子達が待ち構える廊下に着いた。その時、金髪の男子(アズリエルだっただろうか?)の横にいたザビニという黒人をジニーは目で追った。
(わっ、すっごい美形……!)
ジニーの好みの儚げで大人しそうなタイプからはやや外れた、悪意と強さに溢れた美形だった。それでも、少しだけジニーの心は高鳴る。そのまま、他の皆に倣ってジニーは大人達の話を延び耳で盗聴した。その場には、屋敷に集まるホグワーツ生が全員集合していた。
大人達の話題はなんと、ハリーのことについてだった。
「……ダンブルドアはハリーをオブスキュラスにしたかったのですか?高ストレス環境に長く置いて放置するというのは、闇の魔法動物兵器を作る上で過去に多用されたことです。……そう取られても仕方のないことですが……」
落ち着いた理知的な声の魔法使いの声が聞こえた。ジニーはオブスキュラスが何なのか、まるで分からなかった。ただ、隣のハリーから氷のような魔力を感じ取った。
(ひっ……)
冷たく、指すような殺気があった。ハリーの瞳には何もない。ただ闇があるだけだった。ジニーは咄嗟にハリーから距離を取って、双子のそばに寄りながら話に耳を傾けた。
「馬鹿な!そんな筈はない!」
「シリウス、落ち着いて……」
吠えるような声で机を叩くのはシリウス・ブラックに違いない。シリウスを制止しているのはマリーダ・ブラックだろう。ジニーはここに来た当日、マリーダからこっぴどく叱られたこともありマリーダのことを苦手としていたが、この時ばかりはマリーダに同情した。
「……それだけはない、と言っておこう。ダンブルドアの名誉にかけて」
重苦しい声でキングズリーを否定するのは、マッドアイ・ムーディだった。本物の声よりも偽物の声の方がジニーはよく聞いた。よくよく聞いてみると、本物の声は偽物よりも、やや落ち着いているように聞こえた。
「しかし、ポッターが高い魔法力を有している説明がつきません。……アレは十四歳の魔法使いに使えるような魔法ではなかった筈です」
「ポッターが高い魔力を有しているのは訓練のためだ。オブスキュラスは関係がない」
キングズリーにそう説明したのはルーピン先生だった。ジニーも大勢のグリフィンドール生と同じく、ルーピンのことを頼りにしていた。その声だけで落ち着きを取り戻すことが出来た。
「……これは極秘事項だが」
ムーディは声を潜めて言った。
「ダンブルドアの推測では、ポッターが帝王に襲われた日、ポッターの中に例のあの人の力の一部が紛れ込んだのだと……」
ジニーは驚きのあまり叫ばなかった自分を褒めてやりたかった。伸び耳から手を離してハリーを見ていたのはジニーだけではなかった。皆が恐る恐るといった顔でハリーを見ていた。ハーマイオニーは憐憫や、同情も含んでいたかもしれない。ジニーはザビニが皆と同じ顔をしていたことになぜだかほっとした。当のハリーに対してはかける言葉もなかった。ハリーは無表情で、一切の感情が抜け落ちていた。
しかし、ザビニの隣にいた生徒だけは違った。その生徒の顔を見たとき、ジニーは恐ろしさで凍りついた。
アズリエル(?)という金髪の生徒は、一人だけ違う目でハリーを見ていた。その瞳には、隠しきれない狂喜の色があった。
原作だとこの辺りはハーマイオニーがハリーをリードしロンは精神安定剤になってくれていたんですよねぇ。
頑張れハーマイオニー!負けるなロン!!メンヘラはハリーだけじゃあないけどな!!