コーネリウス・ファッジの思惑は、最初から外れていた。裁判を開始しようとした矢先に、アルバス・ダンブルドアが法廷へと姿を見せたのだ。
ハリーの証人として現れたダンブルドアの姿を見るだけで、コーネリウス・ファッジは飲み込まれてしまったように縮こまった。何とか威厳を保とうと虚勢を張り、声を張り上げるファッジに対して、ダンブルドアは静かに証人席についた。ハリーはダンブルドアに対して軽く会釈をした。
(今度こそ話してください)
そう目で合図を送るが、ダンブルドアはハリーと目を合わせなかった。
大法廷に尋問官コーネリウス・オズワルド・ファッジの声が響く。事務的に、しかし、威圧的に響く声に対して、眼鏡の少年は冷静に受け答えをしていた。
「……被告人ハリー・ジェームズ・ポッターは去る8月2日午前0時13分、意図的にマグルの居住区域において『浮遊呪文(レヴィオーソ)』ならびに『移動呪文(ロコモータ)』を使用した!相違ないか?」
「はい」
「被告人は三年前にも同様の違反を犯しており、魔法省から通告を受けていた。これも相違ないか?!」
「はい」
「マグルに対する魔法の使用は、国際魔法連盟において規定された機密保持法に抵触するものであり、被告人は処分を受けるべきである。これも相違ないか?」
「いいえ」
ハリーははっきりと断言した。パーシー・ウィーズリーは議事録を書く手を止めない。しかし、一瞬ファッジの口が止まる。
「被告人は、魔法を使用した際にマグルに対して危害を加えようとした。相違ないか?」
「いいえ。自身とマグルの身の安全を守るために魔法を使用しました」
「余計な発言を許可した覚えはない!被告人はー」
ファッジはハリーの発言に激怒した。ベリタセラムを用いていないハリーの証言には信憑性はなく、狂人の妄想と言われても仕方のないことではある。ハリーはすぐに押し黙った。
ベリタセラムはその調合に複雑な工程を必要とする上、出来上がったベリタセラムやベリタセラムの原料の大半は魔法による複製が困難である。そのため、闇祓いが担当する凶悪犯罪やデスイーターの関わる案件でもなければベリタセラムが用いられることはほとんどない。
それでもハリーは当時の情景を思い浮かべながら、裁判官一人一人の顔を見ていった。たった一人でもレジリメンスが使える人間がいれば、ハリーがなぜ魔法を使ったのか説明せずともわかるからだ。
ハリーが目を合わせると、何人かの魔女や魔法使いは驚いて目をそらした。ハリーの心を映し出すことを嫌ったのか、察した上で黙ったのか、それともレジリメンスを習得していなかったのか。いずれにせよ、一人一人と目を合わせていったハリーはアンブリッジの次にアメリア・ボーンに目を合わせた。
ハリーの脳内に広がるディメンターの凍りつくようなおぞましい気配を、一体何人が感じ取ったのだろうか。少なくとも、片眼鏡をかけた白髪の魔女はハリーの心を感じ取ったらしい。
「魔法法執行部部長、アメリア・ボーン。発言を許可します」
アンブリッジの甘ったるい声が法廷に響く。アメリア・ボーンはすっと立ち上がると、ハリーに質問を浴びせた。ボーンは焦りを隠せないでいるようだった。
「尋問官。機密保持法の例外規定について確認したい。……被告人は魔法使用の際に、心身の危機にあった可能性がある。相違ないか?」
「はい」
「被告人、当時の状況について説明を」
「僕はあの日、マグルと二人で話をしていました。他愛もない世間話です。彼と、この世でもっとも大きく頭の悪い豚の育て方について口論になった際、ディメンターがリトル・ウィジングに出現しました」
「ディメンター!?」
ウィゼンガモットの裁判官達がざわめき出す。ファッジやアンブリッジがそれ見たことか、とハリーの発言を嘘だと断じるなか、ボーンや何人かの裁判官達は違った。
「……被告人の行動には疑問が残る」
アメリア・ボーンは冷静にハリーの行動の矛盾を指摘した。
「通常、ディメンターに対する対応にはパトロナスチャームの使用が最も適切である。しかし、被告人はパトロナスチャームではなくその二つの魔法を行使した。なぜか?」
「最も安全性の高い方法を選択しました。パトロナスチャームは完璧ではありません。僕はパトロナスに失敗し、自分の命とマグルの命を喪う可能性がありました
「二つの魔法を使用したのはディメンターから逃走するためか?」
「はい」
ハリーの言葉は、裁判官達にとってはもっとらしく聞こえたのだろう。
パトロナスチャームはディメンターの対処に有効な魔法であるが、習得している魔法使いでもディメンターの面前で成功するか、と言うと確実に成功させられる魔法使いはそう多くはない。ディメンターと接する機会のない大人は、不意に遭遇した不幸に対して適切に対応できず、パトロナスを習得していても使えないといったケースもあったのだ。
法廷がハリーの発言に揺れるなか、ダンブルドアは静かな声でこう言った。
「……被告人の証人に証言をさせたい」
そして法廷に現れたアラベラ・フィッグの登場によって、裁判は大きく傾いた。
***
(……僕の裁判にわざわざ大臣が来るなんて。大臣って暇なんだな)
ハリーは裁判の最中、なんとなくそんなことを考えてしまった。フィッグが気丈に背を伸ばして法廷に入ってくる間、ハリーは何をするでもなくぼんやりとファッジを眺める。小太りで恰幅のよいファッジは、心なしかやつれたように見えた。
この裁判には自分の人生がかかっていて、負ければ杖を取り上げられホグワーツを追放される。そう分かっているのに、自分自身を守ろうという気持ちが湧いてこない。ハリーはあの瞬間の行動を反省する気など一切なかった。
ダドリーの夜遊びを放置していたことは明確な自分の落ち度だが、どうせ言ったところでダドリーは夜遊びをやめなかっただろうと思い直していた。そしてハリーがなかば思考を放棄していたのは、熱心にハリーの非をあげつらうコーネリウス・ファッジに対する憎しみを頭から追い出すためだった。
ファッジに対して言いたいことを考えていけば、不満などという生温い感情ではすまない。友の死もヴォルデモートの復活も何もかもを隠蔽して逃げた大臣など、下手なデスイーターよりも腹立たしい存在なのだ。
ハリーとファッジ。互いに私怨を滲ませた二人は法廷において再会を果たした。ファッジにとっては憎きダンブルドアと純血派閥の一角であるブラック家を相手取った政治闘争のひとつとして、並々ならぬ熱意を燃やしていた。
しかし、ことはファッジの思惑通りには進まなかった。
ウィゼンガモットの裁判官達に、ファッジの派閥の人間は少ない。ファッジがもう少し狡猾で自分を騙すことがうまい人間であったならば、ハリーを有罪とするために証拠を捏造し、あるいは裁判官達を買収し、自分の派閥の人間に工作するなどしてあらゆる手でハリーを有罪に追い込んだであろう。
しかし、ファッジは半端に良心と善性を捨てきれなかった。
自分はあくまでも被害妄想に取り憑かれ闇の魔法を使うまでに追い込まれた生き残った男の子と、生き残った男の子を洗脳するダンブルドアに対峙しているに過ぎない。ゆえに買収などの裏工作などをすれば、自分が悪人であることを認めてしまう。
ファッジにできたことは、あわよくばハリー側の弁護人や証人の参加を遅らせることまで。それ以上の策を講じることは、ファッジの政治的立ち位置が許さなかった。たかが学生の法律違反に何をやっているのかと揶揄され立場を危うくすることは明白だったからだ。
「被告人の状況を説明できるのはスクイブだと聞いたが」
ハリーはファッジがスクイブに対して侮蔑的な発言をしたことを心に留めておいた。
(……ロンもそうだが、どうも魔法使いはスクイブに対しては何をしてもいいと思っているみたいだな)
ハリーは法廷の裁判官達がスクイブの発言など信用できないと思っているのかどうか確認してみたいと思い、一人一人の顔を見比べてみた。パーシーは無表情、アメリアは興味深そうにフィッグの顔を見ていた。そして、ドロレス・アンブリッジ元先生は、先程までカリカリと書き留めていた裁判の議事録を記録する手を止めていた。
***
(……スクイブね。ポッターの周囲にいたスクイブか……)
この時ドロレスの脳裏を過ったのは、自分自身が過去に見下してきた弟だった。魔法が使えぬことを嘲笑った過去のツケか、もう家族としての縁はない。
(……どんな形であれ利用価値があったのなら、スクイブだろうと邪険にする必要はなかったのか……)
ドロレスは十代の多感な時期、戦争の最中にスリザリンに入り純血主義を教わった。魔法族、それも純血のみが尊ばれるべきものであり、それ以外の存在は見下されて当然の忌むべきものである、というハリー達もそれとなく教わってきた風潮だ。
かつてのドロレスは、一刻も早くスリザリンに適応しようとした。悪いのは純血ではない自分か。しかし、そう考えるのはあまりにも自分が惨めすぎた。追い詰められた人間はいつも、自分より弱いものを求める。元々性格のよろしくなかったドロレスは、そこからさらに下を見つけるという悪癖に目覚めた。
ドロレスは己の出自を恥じ、悪いのはスリザリンの思想ではなくスクイブに産まれた弟とマグルの母親だと思い込んだ。父親はドロレスの側につき、アンブリッジ家は崩壊した。その父親との縁ももう切った。ドロレスの手にはなにも残ってはいない。
(……なぜ今になって思い出す、あの頃を?)
ドロレスは感慨もなくスクイブの老婆を見つめた。魔法を使えず何の価値もない筈の存在の証言は、その場の陪審員達の信用を得た。
(……今度スクイブを見たら、優しくしていいようにこき使ってやるか)
ドロレスは羽ペンを握り締めるとそう心に留めた。ドロレスの労苦は無に帰ったが、収穫はあった。
ドロレスが青春を捧げ、強迫観念に駆られてそうに違いないと思い込んだ純血主義は。魔法族至上主義の考えは。
現在の英国魔法界において絶対の思想ではないと。
そしてそれこそが、ドロレスには許せなかった。
(どいつもこいつも嘘をつきやがって。スリザリンで私に嘘を吹き込みやがって。)
魔法族が。純血の魔法使いが。純血を尊重する魔法使いや魔女だけが尊重される世界でなければ、自分の人生は一体何だったのかという思いに囚われてしまう。ドロレスはその虚無から逃げるために、収穫はあった、と自分自身に言い聞かせた。
(ハリー・ポッター。スリザリンに入った癌細胞……か。目障りだわぁ)
(お前も私と同じようになれ。スリザリンに必要なのは純血主義の信奉者だけでいい)
ドロレスにかつて自分を慕ってくれた生徒という記憶はあっても、それでハリーに対して温情をかけるような気は全くなかった。そもそもアンブリッジは子供が嫌いなのだ。感情的で視野が狭く、大人にできない正論を吐いて大人にできない規則違反を当然のようにやらかす子供が。子供は大人に従う従順な機械であるべきというのが、彼女の考えだった。
かつてアルバス・ダンブルドアにかけられた称賛は、哀れな魔女の脳裏からは抜け落ちていた。あるいは過去を省みて教師として何をすべきか考え、ホグワーツですべきことについてパーシーに相談でもしていれば何か変わったかもしれない。
しかし、ドロレス・アンブリッジの頭にあるのは、教師という立場を利用してどうやって出世レースに返り咲くか、ただそれだけだった。
(万が一。ポッターが純血主義の……いや、私の出世のための奴隷として尻尾を振るならば、うまくこき使ってやろう)
呪いに打ち勝って破滅を免れ、魔法省に返り咲くという道を、ガマガエルのような魔女はまだ捨てきれていなかったのである。
***