アーニーファンの方はすみません。彼は悪いやつではないんです。
「……あの……ちょっと待って」
ハリーの計画について聞き終えた時、真っ先に声をあげたのはネビル・ロングボトムだった。
「……じゃあ君達は……『例のあの人』に対抗するために、魔法の訓練をするつもりだったのかい……?」
「元々の計画ではそうだった。だけど麗しきアンブリッジの登場によってそのプランは台無しになった。だからどうしようかって困ってたときにセドリックの計画を聞いたんだ」
ハリーは予めセドリックと打ち合わせをしていた。
DAとハリー達の計画、つまり、ヴォルデモート殺害のための実戦的訓練は別物だとこの場に集まった人間に誤認させておくために。
ハリー達の計画はあまりにもリスクが大きく、後ろ暗いものだ。スポーツの一貫であり、魔法使いの教養や作法を学ぶ『デュエル』と、『最悪の場合には殺人にまで発展することを想定した訓練』とでは全く重みが異なる。
「……悪いとは思ったけど、正直参加しない手はなかった。利用させて貰ってすみません、先輩」
「………………僕は構わないよ、ハリー」
「いや、そんな!良くないですよセドリック先輩!人殺しを目的とする集まりなんて!」
アーニー・マクミランが声を荒くした。冷や汗を流しながらハリーを睨み付けるアーニーの胸元には監督生のバッジが輝いている。
(よし……!狙い通りね!)
アーニーはハーマイオニーがスーザン・ボーンに頼み込んでわざとここに連れてきたのである。ハーマイオニーはアーニーが真っ先に声を上げたことに内心で喝采を上げた。
なぜアーニーを連れてきたのか。
それは対ヴォルデモートを想定した集団を作るにあたって、最初に不安要素を排除しておくためだ。
過激すぎる集団になる意味は本当にあるのか。『殺害』を目的にしなくても良いのではないか。そう考える生徒は必ずいる。心にブレーキがかかる生徒達を説得する上で、アーニーのように声をあげてくれる生徒の存在はありがたかった。
アーニー・マクミランがハリーの考えに反論したのは、ハッフルパフ生らしい良識を備えていたから、だけではない。彼はハナ・アボットからの不安げな視線にせっつかれ、声を上げざるをえなかったのだ。
ハーマイオニーはアーニー・マクミランの行動パターンを読んでいた。
アーニーは秘密の部屋の時も、トライウィザードトーナメントの時も、身内のためにハリーに敵対心を向けた。その事から考えて、セドリックの面子のためになにかしら意見を発信するだろうと予想していたのである。
ハリー、ザビニ、そしてアズラエル。スリザリンの男子どもにも共通する、身内を守ろうとする保守的な思考回路。さらに公正・公平さを重んじるハッフルパフ生らしい優等生思考(フレッドとジョージに言わせれば、『いい子ちゃん思考』となるが)。
それらを併せ持つアーニーは真っ先にハリーに疑問の声をあげるだろうと、ハーマイオニーは読んでいた。
アーニーの考えはハナやシノをはじめとしてここに集まった生徒達なら誰もが考えることだ。後々になって恐怖感を覚えたり、活動に疑問を持って裏切ったりする前に、最初に膿を出しておきたいとハーマイオニーは考えていた。
「ヴォルデモートに対する自衛が目的でもかい?……そんな顔をしないでくれよ、マクミラン。『例のあの人』は、この世に生きている限り気に入らない人間や従わない人間を、気まぐれで殺して回るやつだ。そういう闇の魔法使いに対抗するための手段を学ぶことが、そんなに悪いことかな?」
ハリーはアーニーの反論に対して冷静に言った。アーニーはそれは悪くない、と断言する。
ハーマイオニーやハリー達マグル育ちと、アーニーやロン達生粋の魔法族育ちとでは価値観に差がある。
その一つが、闇の魔法使いに対する嫌悪感である。
「『例のあの人』の所業なんて許せるわけがない。だから君が、あの人と戦いたいって言うのならそれを止める気はないよ。ダンブルドア校長もあの人と戦うと仰っているし」
アーニーは一旦言葉を切ると目を伏せた。ハリーを怖がっているのか、それとも別の理由からか。ハリーはアーニーの言葉を静かに待っていた。
「だけどね、ポッター。どう考えても問題だよ、これは。人殺しのための手段を研究するっていうのは、度を超えてる。ダンブルドア校長先生はこの事を知らないんだろう?」
「ああ。全部僕たちが考えたことだ。ダンブルドア校長先生はお忙しいからね。余計な手を煩わせたくない」
(……ダンブルドア。ダンブルドア校長はいつも、僕たちより先にいる……)
ハリーは冷静に言ったものの、内心は穏やかではなかった。
今世紀最大の善の魔法使い。そう他者から称される校長に、ハリーは全く勝てる気がしない。ハリーがどれだけ努力して結果をあげても、それこそトライウィザードトーナメントで優勝したとしても、アーニーの心ひとつ動かすことはできない。
それはダンブルドアが力のみならず、他者への寛容さや慈愛、人徳といったものを兼ね備えているからに他ならない。その大きすぎる差がハリーには居心地が悪かった。嫌悪しながらも目標としている相手に、絶対に埋まらない差があると突きつけられているようなものだからだ。
「……それに、ドーピングなんて馬鹿げてるよ。どんな後遺症があるかわかったものじゃない……」
「ドーピングは強制はしないよ、アーニー。人一人一人で適正な量も変わってくる。あくまでも戦術のひとつとして必要だと思ったことをやるんだ。そこは安心してくれ」
ハリーはアーニーに対して笑いかけた。が、アーニーのハリーに対する疑念を解くことはできなかった。
ハリーはヴォルデモートやクラウチJr.の所業をアーニー達に明かした。それを聞いたアーニー達の心には、ヴォルデモートに対する嫌悪感や恐怖心がありありと浮かんでいる。
ハリーが力を尽くさなければならないのはここからだった。この場に集まったメンバーを何人味方に勧誘することができるのかは、ハリーの手腕にかかっていると言って良かった。
「皆もよく考えてみてくれ」
ハリーはこの場に集まったハナやシュラーク、ネビル達一人一人を見回して、目に視線を合わせて訴える。
「これから先、『例のあの人』が活動を本格化していく度に、どこかの誰かが死んでいく。それが知らない誰かで、無関係な誰かだから仕方ないって諦めるならそれでもいい」
だけど、とハリーはハーマイオニーに視線を合わせた後言葉を切った。ハーマイオニーはハリーに無言で頷いた。
ハーマイオニーは無言呪文によって微弱なソノーラス(響け)をハリーにかけた。秘密の部屋の中でハリーの声は微かに反響し、語りかけている一人一人の耳にしっかりと届くように。
「……だけど。そうやって生きていても、誰を傷つけることなく生きようとしても。ある日突然、神様気取りのあの人の気まぐれで友達が殺されるかもしれない。僕の友達のように」
先ほどまで声を荒げてハリーに抗議していたアーニーとは対照的に、ハリーは冷静だった。その口調は静かだった。しかし、有無を言わさぬ迫力を持っていた。
「失わないために、死なないために全力を尽くすことは悪いことかな?僕は間違っているかな、マクミラン?」
「い、いや。ポッター。誤解を招きかねない表現だった。さっきも言ったけど、僕は、例のあの人に立ち向かうことはいいことだと思ってるんだ。僕はただ、だからって君や皆や、僕まで人殺しになんてなる必要はないんじゃないかと思っただけで……」
アーニーは気の毒そうにハリーを見ていた。
(僕で言えばジャスティンが殺されたようなものだし、その事を持ち出されて責めるなんていうのは、人としてできない……)
ファルカスのことを暗に出されては、非難の声もあげづらくなってしまう。アーニー・マクミランは人並みの良識や常識はあるのだ。自分や仲間を優先しなければならないだけで。
「確かに。殺傷能力があるとわかりきっているカースレベルの魔法を習得して使うことは正当防衛じゃなくて過剰防衛になるかもしれないね。例のあの人が最強最悪のテロリストでなければ」
ハリーの言葉に、今度こそアーニーは沈黙した。
魔法界における絶対悪というものが存在するとすれば、それは間違いなくヴォルデモートに違いない。ダフネ・グリーングラスですらハーマイオニーの前ではっきりとそれを認めた。
「脅威は例のあの人だけじゃないのよ、アーニー。それから皆も。アントニン・ドロホフが捕まっていないことを忘れていないかしら」
「ドロホフって言うと、二年前先輩達がこてんぱんにしたやつっすよね?強いんすか?ドロホフって?」
シノは腕を組みながら問いかける。集団の中において、シノのように発言してくれる人間がいると話が回りやすかった。
単なる闇の魔法使いであれば、過剰防衛にはあたらないかもしれない。だが、ヴォルデモートとその一派は桁が違うのだ。ハーマイオニーはここぞとばかりにシノに補足した。
「ドロホフは最悪最低の下衆よ。彼は分かっているだけでも千人単位のマグルと魔法使いを殺害しているわ。これ以上連中の犠牲者を増やすわけにはいかないの」
「せ……?」
想像よりも二桁は違う数にオルガは目を見開いた。アーニーもハナも改めてドロホフの罪を認識したのか身震いする。
ピーター・ペティグリューがシリウス・ブラックに押し付けた罪が、その場にいた無関係のマグル十二名の殺害である。デスイーターとして長く活動しその度に無関係のマグルや魔法使いの関係者であるマグルを殺害していけば、容易に殺害数は二桁を超え三桁に達するというわけだ。
「例のあの人を相手に生き残る道を模索するのであれば、私たちは最善の道を選択していかなければならないの。あくまでも自衛のためにだけどね、自衛手段が過剰になることは仕方のないことだわ。だって、敵はこちらに配慮なんてしてくれないもの」
「…………」
ごくり、と誰かが唾を呑み込む音がした。アーニーは意気消沈したように縮こまっている。代わりにネビル・ロングボトムが手を挙げていた。
「何が聞きたいんだい、ロングボトム」
「君達が闇の魔術を使うつもりなのかどうか聞かせて欲しい」
「訓練はしない」
ハリーははっきりと断言した。
「闇の魔術を使えるかどうかは魔法使いの強さには直結しない。人を殺すか操るか、拷問するかにしか使えない魔法だ。君達が覚える必要はない」
ネビルの視線がハリーに突き刺さる。
クルシオ(拷問)によって両親の精神を破壊されたネビルにとって、闇の魔術の行使は許せないことだとわかっていた。それでもこの場に招き入れることを決断したのはハリーだ。
(ロングボトムは僕のことも憎んでいるだろうな……)
闇の魔術を使うハリーのことを受け入れて貰えなくても、ヴォルデモートに対抗するという意識だけは伝えておきたいとハリーは思った。
最悪の最悪は、なんの備えもなくデスイーターやヴォルデモートに狙われることなのだから。
「本当にそうでしょうか?闇の魔術を使う必要はないと?」
今まで沈黙を貫いていた生徒の中から声が上がった。シュラーク・サーペンタリウスだった。彼は何か思惑があるようで、澄んだ目でハリーを見ていた。その表情に恐れや負の感情は見受けられない。
(何、この子……?)
ハーマイオニーはそれが信じられなかった。この場の全員がハリーとヴォルデモートとの決闘や、ファルカスが操られた一部始終を聞いた。ハリーに対して恐怖心を抱くのが普通だというのに、シュラークにはまるで恐れる素振りもない。
「闇の帝王を殺害し、デスイーターから自衛することが目的なのでしょう?使える手段が多いことに越したことはないのではありませんか?」
「な、馬鹿な。君達は闇の魔術を肯定するのか!?」
アーニーは信じられないという風にシュラークやハリーを見ていた。ハリーはやむを得ずヴォルデモート相手に使った、と説明したが、シュラークはもはや闇の魔術を解禁して積極的に使うべきだと言っているかのようだった。
(……不味いわね)
ハーマイオニーは不安げにハリーを見た。ハリーが少しでも闇の魔術に対して肯定的な意見を出さないように注視して、修正しなければならないのだ。
現実問題として闇の魔術によって生き延びたという経験がハーマイオニーにはある。アクロマンチュラという危険度XXXXXの怪物がそれで、杖一本で死をばら蒔くデスイーターはそれ以上かもしれない。
ハリーがそうだったように、死への恐れから闇の魔術に対して手を出してしまっては本末転倒である。人を集めて戦力を確保しようという試みは、闇の魔術ではヴォルデモートを打倒できないという推論に基づいて、それ以外の手段を模索するためのものなのだから。
「マクミラン。シュラークは闇の魔術を肯定したわけじゃない。生きる手段を確保しないのは片手落ちなんじゃないか、と言いたいだけだ。そうだね?シュラーク」
「仰る通りです、ハリー先輩。マクミラン先輩をはじめとして、ここに集まった皆様ならば御存知でしょう。プロテゴ(護れ)」
シュラークは魔法で空中に保護魔法を作り出した。銀色に輝く防壁は、秘密の部屋の中で淡く輝いている。
「これを破壊するには、許容限度を超える破壊力を出す魔法をぶつけるかカース以上の魔法を出すより他にありません。決闘において、最も普遍的で有効な防御手段がこのプロテゴです」
「もうプロテゴを習得したのか?おまえ口だけだと思ってたけど、結構やるなぁ」
ロンが感心したように褒めると、シュラークは満更でもなさそうにありがとうございます、と会釈を返した。
「問題はこれを相手が使ってきた場合です。ペトリフィカス トタルス(石化)」
シュラークはじっとダフネ・グリーングラスを含みを持って見た。ダフネはキョロキョロと周囲を見渡して自分が見られていることに気づく。
シュラークはプロテゴへ石化魔法を放った。ペトリフィカストタルスの閃光は弾き飛ばされて霧散し、プロテゴの障壁は傷ひとつなくその場に残っている。
「デスイーター達がプロテゴを習得していないわけもない。カース以上の魔法ならプロテゴを壊せますが、それ以外の手段では最低でも数秒は足止めをくらってしまいます。これは実戦では致命的な隙となります」
「数秒のアドを稼がれるの、きつい。その間に闇の魔術が飛んでくるかも」
高いアジリティを持つミカエル・オーガスタはそう呟いた。数秒は、何かの魔法による反撃が可能な時間だ。魔法に習熟した魔法使いであれば魔法発生直後の隙を見逃すことはしない。
こちらがもたついている間にも、敵のアバダ・ケタブラが飛んでくる可能性は常にある。実際それで闇祓いに人的被害も出た。だからこそ、クラウチが法律を改正して闇の魔法使いに対する闇魔術の行使を解禁しようとしたとき、魔法界はそれを受け入れたのだ。
「生き残るために最善の手段があるのにそれを選ばない。その理由を教えて頂きたい。選ばないというのであれば、代替手段が見つかっているのかどうかもね」
「理由をあげるなら。闇の魔術を安易に使えば苦痛に苛まれるからだよ、シュラーク」
ハリーは冷静に言った。
「確かに君の言う通り、闇の魔術を使えば敵を殺すことは出来るかもしれない。でも、こちらに向かってくる人間はデスイーターだけじゃない」
「……インペリオで操られただけの魔法使い達も、杖を向けてくるんだ。どう思う、シュラーク。単なる被害者に対して君は闇の魔術を向けられるかな」
「…………被害者が加害者になる事例など、この世にはいくらでも存在します。優先すべきは向かってくる敵の事情ではなく自分達の命でしょう?」
シュラークは反論したがその言葉には力がなかった。
それはそうだろう。
全く非のない被害者を憎むことができる人間はそうはいない。割りきって自分を優先するしかないというだけで、スリザリン生にも心はあるのだ。
「闇の魔術の代替手段なら幾つか存在するよ、シュラーク」
ハリーは幾つかの対応策を披露して見せた。地面を隆起させて敵と自分との射線を切る方法。アヴィホース(鳥よ)などのコンジュレーションによって疑似生命の盾を産み出しておく方法。無言呪文の精度を上げて敵のプロテゴをカースで割った後、すかさずステューピファイ(気絶)の赤い閃光を直撃させる方法。
それに何より、一人の敵に対して複数人で立ち向かう方法。
「僕がそうだったように。闇の魔法使いに対して遭遇するとき、一人だけで立ち向かうには限界がある。闇の魔術でも使わなければ、敵の魔法の強力さに立ち向かえないと思ったこともある」
「……けど。一人じゃなく二人なら。二人じゃなく、三人で敵に立ち向かえるなら。プロテゴの守りを一人が割って、一人が敵の杖を奪ったり、一人が敵の攻撃から仲間を護る盾を出したりできる。闇の魔術に対抗する一番の方法は、一人にならないことだ」
「だから僕たちは君達に声をかけた。……ヴォルデモートに立ち向かうには、君達の力こそ必要不可欠なんだ」
ハリーは集まった生徒達の顔を見渡していたが、一人に声をかけた。
「……ロングボトム。君はどうしたい?」
「どうして僕に?」
「君が何か言いたそうにしていたから」
ハリーがネビルに声をかけたのは、何となくの勘だった。ネビルは必死に考え込んでいた。ハリー達に協力すべきか、それとも、止めるべきかで揺れているのは明らかだった。
最終的に判断するのは、一人一人の選択に委ねたいとハリーは思った。が、その中でハリーが一番に選んだのはシノやオルガではなく、ネビルだった。
「僕たちが間違っていると思うならなら、君の意見も聞かせてくれ。僕たちはどうすればいいと思う?闇の魔術に対抗する手段は何個か存在する。ただし、不利であることに変わりはない。恐ろしくて不確かな道だ」
「……僕は……」
ネビルは嫌悪感で顔を歪ませながら言った。その嫌悪感はハリーに対してか、それともヴォルデモートに対してかは分からない。あるいはその両方かもしれない。
「……ヴォルデモートを殺すために戦うことは否定できないし……君達が……そのどちらも……」
ネビルは苦しげに結論を出した。
「間違っているとは言えない。むしろ……反省も改心もしていない連中は報いを受けるべきだと思ってる」
シュラーク・サーペンタリウスは驚きの表情でネビル・ロングボトムを見ていた。ハリーも顔にこそ出さなかったが同じ気持ちだった。闇の魔術を肯定すべきという意見にすら耳を傾けるのは並大抵の精神力では不可能なことだった。
「僕もそう思います、ロングボトム」
ネビルの言葉に、アズラエルは目を輝かせていた。ハーマイオニーはアズラエルの瞳にある狂気に気がついていたが、何も言えない。
復讐という正義がこの世には存在する。それは社会的に許されないことだとしても、人は他人から受けた悪しき行いに対して相応の罰を与えたいと思うものだ。
たとえばハーマイオニー自身、自分に対して陰湿な嫌がらせを繰り返してきたパンジー・パーキンソンのような愚かな牝牛にはいつか地獄を見せてやらねばならないと思っていた。それは紛れもなく復讐心である。人は、虐められたという理由だけで復讐心を滾らせる生き物なのだ。
とはいえ、報復の連鎖を止めるために明文化されていない法があり、規則がある。人が人に対して復讐を重ね、報復を繰り返し続ければ終わらない憎しみの渦を招き、社会を混乱に陥れる。
だから復讐は良くないことだと教えられ、過剰な報復は禁じられる。ハーマイオニーがパンジーに報復しないのも、パンジーと同じところに堕ちたくないという理性と、過剰な報復をすれば退学になるというルールに従ったからだ。魔法界の社会はそうやって、弱い立場の人間の忍耐と自分や周囲の仲間への愛によってこれまで成り立ってきた。
だが、そんなもので止めることのできない怒りや憎悪はこの世には存在する。
ネビルにもハリーにも、そしてアズラエルにも共通する憎悪。それは、ヴォルデモートやその一味に対する復讐心だった。
「クィディッチ・ワールドカップで暴れまわったルシウス・マルフォイのことを僕は今でも覚えていますよ。このまま例のあの人が暗躍し続ければ、最後に笑うのはあいつらです」
「例のあの人の威光を笠に着てのさばるマルフォイ達純血主義者。あいつらが存在する限り、第二第三の
ヴォルデモートがこの世には現れるでしょう。そんなこと、許していいわけがありません」
アズラエルに共感するように、ネビルも無言で頷いた。ネビルは勇敢だった。あまりにも勇敢すぎて、保身という感情を捨て去ってしまうほどに。
「ハリーが『例のあの人』と戦うことを諦めない限り、僕はハリーや君達を支持する。君達と一緒に戦うよ」
「ネビル先輩……!」
オルガ・ザルバッグは尊敬の視線をネビルに向けた。毅然とした態度でハリーへと協力を申し出るネビルの姿は、輝いていた。
ハーマイオニーは横目でチラリとダフネ・グリーングラスに視線を向けた。ダフネは陶酔した目でハリーを見ていた。
(……ひとまずは、これで良かったと考えましょう。ダフネは……もうダメかもしれないけど)
グリフィンドール生が秘密の部屋の中でスリザリンの後継者に対して協力を申し出るというシチュエーション自体がスリザリン生であるダフネにとってはこれ以上なく喜ばしいことなのだろうが、しばらくの間は冷静な思考を期待できそうになかった。
(……いえ、人のことは言えないわね。セドリックやハリーを担ぎ上げて、皆に都合の良いことを言って殺し合いに参加させようとしているのは私達も同じこと。アズラエルが言った言葉はそのまま私達にも当て嵌まる……)
ハーマイオニーは己の行いが悪であるという自覚はあったが、正義だとも思っていた。闇陣営に対抗するために人を集めることそのものは彼女にとって恥じるべき行動ではない。どうせヴォルデモートが復活を公にすれば、魔法界の誰であれ巻き込まれることは避けられないからだ。
しかし、言葉巧みに仲間へと勧誘し、戦争へと参加させることには責任が伴うと彼女は理解していた。
勧誘した仲間達への命の保証などない。勝てる保証はもっとない。ヴォルデモートを殺害できる手法は未だ見つかっておらず、敵の数がどれ程で、どれほど長い戦いになるのかもわからない。
それでも、ハーマイオニーは割り切らねばならなかった。少なくとも闇陣営が勝利して天下を取るよりは、真っ当な人間が上に立っている方がいいことに違いはないと思って。この戦いの果てに、よりよい未来を作り出せると信じて。
ネビルがハリーの支持を表明したことには効果があった。オルガ・ザルバッグやミカエルをはじめとしてネビルに恩義のある面々は明らかにネビルのことを尊敬しつつ、心配する素振りを見せていた。ミカエル・オーガスタは覚悟を決めた顔をしていた。
「えっ……報いをって。ロングボトム、正気かい?人を殺すかもしれないってことだよ?」
「ハリーが普通に生活しようとしていても、あの人の一味はハリーを狙ってくるんだ。ハリーに協力していれば、あの人やその一味を挫くことだって出来るかもしれない」
ネビル・ロングボトムは明らかに怒りに燃えていた。マルフォイの言動の何がネビルを怒らせたのかハーマイオニーに察することはできない。しかし、確かなことは、ネビルは闇陣営に対する復讐の念に取り憑かれているということだ。
「……ち、ちょっと過激すぎるよ、君達は……そうしなければならないというのはわかるけど……」
アーニーはついに観念してハリーに言った。ネビルが協力を申し出たというのに協力しない、とは言えない。アーニーには世間体というものがあるのだ。代わりに、アーニーはセドリックのことをあげてハリーを非難した。
「普通に魔法の練習がしたいっていうセドリックの考えを利用して裏であれこれやろうとするなんて人としてどうかと思うよ。君は、そういうことはしない人だと思っていたのに……!」
アーニーは生真面目すぎるところがある生徒だった。だが、アーニーの意見は大多数の真面目なホグワーツ生が思っていることでもある。発言力の強いフレッドやジョージらに流されることはあったとしても、良識や常識の範囲を逸脱していれば声を上げるし、同じハッフルパフの先輩が利用されていたとなれば怒る。
良識。ハリーが捨てざるを得ず、ハーマイオニーを含めた全員が、時と場合によっては無視せざるを得ない概念。
それを持つアーニーのような人間は貴重で、何としてもハリーの周囲に置いておきたいとハーマイオニーは考えていた。
(……ハリーはコリンだって身内認定したもの。真っ当な考えの人と接する機会を多く取れば、彼らの意見を無碍には出来なくなる筈よ)
DAでメンバーを勧誘しようと考えていたハーマイオニーには誤算があった。自分達では、仲間を集められなかったのだ。
ハーマイオニーやロンが勧誘できそうなメンバーを見繕うよりも早く悪化していくハリーの評判が原因だった。
ハリーが早々にラベンダーに嫌われてしまったせいで、ハーマイオニーはパチル姉妹をDAに誘う機会を失った。ハーマイオニーは元々女子の友人を作るのが得意ではなかったが、パドマ・パチルとはロンがユールボールに誘ったこともあって(主にハーマイオニーの方から距離を取ってしまい)ぎくしゃくしていた。ハーマイオニーから参加してくれとは言いづらかった。迷信深く占いを信じがちなラベンダーも含めて、ハーマイオニーの知人は信頼できる仲間とは言いづらかったのである。
さらにネビルとマルフォイの一件もあり、周囲との信頼関係を構築する前にハリーがアンブリッジに取り入らざるをえなくなった。本来もっと後で明かす筈だった目的をここまで早い段階で打ち明けなければならなくなったのは、そうしなければ仲間を作ることすら難しいほどにハリーが嫌われてしまったからでもあった。
ハーマイオニーはレイブンクローの生徒達に、ロンはリー・ジョーダンやハッフルパフ生にそれぞれ声をかけ話を聞き、DAに参加した目的や、もっと優れた魔法に興味はないかと声をかけてみた。
が、DAに集まったほとんどの生徒には『試験をどう乗りきるか』しか頭にない。アンブリッジに対する反骨心や嫌悪感こそあれど、ヴォルデモート復活を心の底から信じたいかと言うとそうではない。大半の生徒は、アンブリッジが嘘つきだと理解していても自分達が卒業して就職するまでは平和であってくれと願っている節さえあった。
ハーマイオニーも友達を作ることが得意ではない。信頼関係を構築して友情を育むという行程をこなすことはうまくはいっていなかったのである。
「それは君の思い込みだよ、マクミラン。僕は勝つために必要なことをやる。……だけど、信頼できると思った人達にだけは目的を明かしたいと思った。黙ってたことは悪かったと思ってる」
信頼できる、と言われたことでアーニーは少しぐらつきかけた。が、すぐに気合いを入れ直してハリーへと抗議する。
「それは……君の都合だろう?そういうことは、いっそ君達だけでやればいいじゃないか。DAやセドリックを巻き込むことはないだろ?」
「違うわ、アーニー。違うのよ。私たちはひっそりと自衛のための手段を学びたかったの。……私たちだけじゃなくて、より大勢の人達の知恵や魔法や、考えを学びたいと思ったの。そうしなければ、今より強くなれる筈がないでしょう?」
ハーマイオニーはなんとかアーニーを踏みとどまらせようと熱弁をふるった。
「DAに集まったのは、間違いなくホグワーツで一番魔法を楽しんでいた人たちだわ。私達はそんな人達なら、例のあの人のやり方にも異を唱えてくれる人がいるんじゃないかって思ったの。本当よ」
複雑そうな視線を向けるアーニーに対して、ハリーは柔らかく語りかけた。
「僕たちは無闇に人を巻き込みたかったわけじゃない。信頼できると思ったからここに誘ったんだ」
アーニーはやはり、少しだけ嬉しそうな顔をした。他者から頼られ、信頼されることを重荷であると感じる人間もいれば、誇りに感じる人間もいる。アーニーは後者だった。
「……あの。すんません、先輩、ちょっといいですか?」
手を挙げてハリーに質問してきたのはシノだった。グリフィンドール生らしい勇敢さと率直さでシノはハリーに問いかける。
「それならDAの皆に最初に明かせばよかったんじゃねぇっすか?先輩の話を聞いて例のあの人に与しようなんてやつ、よっぽどのクズしかいねえと思うんです。最初に話してくれてれば、他のやつらも先輩に協力してえっていってたと思うんす」
「……シノの言う通りかもしれないね」
ハリーはシノの言葉を認めた上で、でも、と続けた、
「DAは決闘クラブの代替手段だろう?決闘クラブに集まったのは純粋に魔法を楽しみたいって人達だ。そこに善も悪も、余計な思想もない。DAと、対ヴォルデモートの集まりとは分けたいと思ったんだ」
ハリーは見知らぬ人を信用できなかった、という己の本心を隠しつつうまく建前を使った。ロンもすかさず補足を入れる。
「バナナージ先輩の代からそうなんだよ。部活中に思想云々を垂れ流さなきゃ、決闘クラブは誰でも受け入れる。……俺達も、普通に学校生活をしてる連中まで敵にしたくはなかったんだ」
「……じゃあアンブリッジのバッジを受け取ったのは……?あれがなきゃ、もう少しみんなの目線も良くなってましたよね?」
シノが問いかけると、ハリーは顔を背けて言った。
「アンブリッジは役人だよ。彼女に反発して抗議したって代わりが来るだけで大して意味はないよ」
「魔法省のすべての役人のために断言するけど、アンブリッジより性格が悪い役人は魔法省には居ないわ」
スーザン・ボーンが杖にかけて断言する。辺りは奇妙な沈黙に包まれた。
「……そうか。……うん、そうか……」
顔を赤らめて落ち込むハリーの肩をポンポンとザビニとロンが叩く。ハリーはそれでも、と顔を上げて開き直った。
「僕たちは魔法省に抗議したり、ましてや反発しようと思っていたわけじゃない。ロンのお兄さん達を誘っていないことからも、それは分かるね?」
ハリーが言うと、アーニーは納得がいったように呟いた。
「それは……そういうことか。だから、フレッドさん達は来ていなかったのか……」
「え?双子を誘うと何がまずいんすか?俺話についてけてねえんすけど」
「奇遇だな。俺も分かってねー」
シノがアーニーとハーマイオニーの会話についていけないと救難信号を出す。ロンは爽やかにシノに笑いかけた。
「双子がいると絶対アンブリッジ叩きとかアンブリッジ潰しの方向で騒ぐのが不味いんだよ。絶対収拾がつかなくなるから。正直俺じゃアイツら止めらんねーから誘わなかったんだ」
「……魔法省アンチがしたい訳じゃないから誘わなかったんですか?」
「そうだ。正直なところ、アンブリッジは追い出した方がいいって双子の意見は分かる。だけど、仮にも政府を相手に暴れるような時間も余裕も俺らには惜しいんだ。その分の余力を、皆で魔法の研鑽に宛てたいんだよ」
ロンの言葉に、シノは組んでいた腕を解いて感服したように言った。
「……先輩達、めちゃくちゃ色んなこと考えてたんすね……」
「あたりめ~だ」
ロンはシノに言い聞かせる。その場はしばらくの間、和やかな雰囲気となった。
アーニーやネビルを中心として疑問点や膿を吐き出したことで、闇の帝王ことヴォルデモートに立ち向かう、という目的はその場に集まった生徒達の間で共有された。
***
『……フゥン。面白いことをやっているわね、あの子達』
マートル・ワレンのゴーストは配管の中でハリー達の行動を覗き見ていた。およそ女子としてあり得ないほど衛生的ではない行動も、ゴーストであるマートルであれば何の問題もなかった。
『……ああ、憎らしい。どうしてあの子を見ていると胸がむかむかするのかしら?』
DAからさらに進んだ実戦的訓練を秘密の部屋で実行するハリーの姿は、かつて己の周囲に己の支持者達を侍らせたトム・リドルの姿に似ていた。
マートル・ワレンの情報を持ったゴーストは、まあいいか、と呟くとホグワーツの主に報告するために配管の中を移動した。マートルの役割は生前の情報をもとにした感情で動くことではなく、契約に基づきホグワーツ城の主のために行動することだった。
***
「恐ろしいほどに順調だね」
「……まぁな。あー、試合の方は始まってみねぇとわからねえが……」
ハリーとザビニはクィディッチの練習を終えて帰寮の途についていた。ハリー達の生活は今のところ順調といってよかった。
DA内でハリーが腫れ物であることに変わりはない。しかし、対ヴォルデモートに賛同する人員を集めるという当初の目標は一歩前進していた。その心理的余裕がコンディションの向上に繋がったのか、ザビニは練習でマイルズ相手に四度ゴールを決め、ハリーはマイルズの指示通りのプレーが出来ていた。
スリザリンとグリフィンドールとの公式戦まで四日と迫ったこの日、ハリーもザビニも妙に浮き足立っていた。ロンと本気でぶつかることに対してハリーは喜びを覚えていた。
(二年生の時や四年生の時とは違う。今度は、何のてらいもなく戦える)
マグル差別だの、トライウィザードだのとは関係なく堂々とロンと雌雄を決することが出来るのはハリーにとって嬉しくもあり、そして恐くもあることだった。チェイサーとキーパーである以上、どちらかが勝ち、どちらかが負けることははっきりしている。それが楽しみで仕方がなかった。
そんな気持ちのまま帰路につく途中、小柄なスリザリンの男子生徒がハリーにぶつかってきた。
「あ、すみません!急いでまして!」
「いいよ、気にするな。次からは前を見て歩くんだよ」
ハリーは倒れた男子を助け起こす。その男子は、DAに参加していたライデン・マクネアだった。ライデンはハリーと面識がないかのように振る舞い、ハリーもそう演じきった。DAのことは外では絶対の秘密だったからだ。
助け起こしたとき、ライデンはハリーに紙を握らせた。ライデンの掌でくしゃくしゃになっていた小さなノートの切れ端は、ハリーがアパレシウム(現れろ)を使うと拡大して文字を浮かび上がらせた。
用紙の表には、助けてください、先輩、と書かれていた。
***
マクネアからハリーへと渡された用紙の裏には、歌詞が書かれていた。それは人を貶めるためだけに作られた歌だった。
純血主義者に高貴さというものがあったとして、それが見せかけのものでしかなく。
その本性は単なる下衆であることを知らしめるような歌であった。
ウィーズリーこそ我が王者
ウィーズリーの生まれは豚小屋だ
いつでもクァッフルを見落とした
そうやって始まる歌は、およそ品性を感じない下劣な歌だった。ウィーズリー家を侮辱して貶めることだけを目的とした、最低最悪の応援歌だった。
『……部屋の仲間から回ってきた歌詞です。次の試合でこれを歌うってことになっています。……どうか止めてください。助けてください』
ハリーは受け取った手紙をくしゃくしゃになるまで握り締めた。こんな歌詞を考え付く人間にハリーは一人心当たりがあった。だが、そうであって欲しくはなかった。
「おいアズラエル。これって……」
「ええ。間違いなくあいつの仕業でしょう。こんなことをする人間は一人しか居ませんよ」
「確定していない情報を断定するのは良くないことだよ、アズラエル」
「……コリン・クリービーの力を借りる」
ハリーは透明マントを自分のトランクから引っ張り出すと、急いで寮の部屋を出た。
「……こんな歌を歌わせちゃいけない。絶対に止めてみせる」
そう誓うハリーの胸には、尋問官親衛隊のバッジが輝いていた。
***
マルフォイとかいう約束された負けヒロイン。