蛇寮の獅子   作:捨独楽

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表裏一体

 

 ハリーにとって、ウィーズリー夫人の前で平静を装うことは珍しい作業ではなかった。

 

 ダーズリー家の面々や、死んだ両親を侮辱し中傷して憚らないマージ・ダーズリー。それらの面々と比べることは失礼だが、過剰なマグル擁護で一時期ハリーと思想が合わなかったシリウス。ハリーは彼ら大人の顔色を伺って、彼らの望むように行動することには慣れていたし、盗み聞きしたことを明かすほど愚かでもなかった。

 

 ウィーズリー夫人に対して、ハリーは以前と変わらず接することにした。ウィーズリー夫人は身の安全のためにグリモールド・プレイスの屋敷に滞在し、マリーダとも懇意にしていた。

 

 出産を控えたマリーダのためにあれこれと世話を焼いてくれるウィーズリー夫人を敵に回しても得るものは無いと、ハリーは割りきっていた。オクルメンシーの要領で、ハリーは内心と行動とを切り離すことに成功した。

 

 

 しかし、それは内に燻る不満を表面化しないように沈めているだけで、葛藤をうまく消化できているわけではなかった。

 

(なんで僕は家で気を遣っているんだろう?)

 

 

 ハリーはそう自問するが、答えなど分かりきっていた。

 

(……そもそもここはぼくの家じゃなくて、シリウスの実家だ)

 

 

 グリモールド・プレイスはハリーの家ではなくシリウスの家である。オーダーの拠点として提供されている以上、団員の親族であるモリーとも毎日顔を会わせなければならない。

 

 シリウスに対してどれだけ迷惑をかけたかをハリーは思い出す。

 

(……僕のせいでシリウスは左遷された。この上揉め事を起こして家の雰囲気を悪くしたくはない……)

 

 シリウスはデイリープロフィットでハリーの名誉が毀損されてから、魔法省において不遇の日々を送っていた。ハリーには優しく振る舞ってくれているが、気にしていないわけがないのだ。

 

 これ以上シリウスの負担になるわけにはいかないと、ハリーは結論付けた。

 

 

(どこまでいっても、僕は居候の邪魔者か)

 

 

 

 ハリーはコンジュレーションの問題である、『燃焼中の二酸化炭素を氷に変える公式』を記述する傍ら、モリーやオーダーへの当て付けのようにクスシヘビとの会話に興じた。

 

 ロンやザビニと愚痴を溢すことも考えた。しかし、フレッドとジョージには伸び耳がある。興味本位であらゆる部屋に盗聴器を伸ばす人間がいると分かっている以上、グリモールド・プレイスで愚痴を溢すのは憚られる。

 

 が、アスクレピオスに対してだけは話は別だ。パーセルタングならば、伸び耳で拾うことができるのは雑音だけなのだから。

 

『アスクレピオスは体調が悪かったりしないかい?ホグワーツからこっちに、こっちからホグワーツにって移動しっぱなしだけど』

 

『旅行は嫌いじゃねぇな。……ハグリッドのところに置いてきたエピオネに会えないのは少し淋しいが』

 

『……エピオネはハグリッドの飼い蛇だからね……』

 

 アスクレピオスは、最近艶やかな肌を持つ若い雌のクスシヘビを出産した。ハリーはハグリッドの小屋を訪れて産まれた子供のクスシヘビを引き取って貰った。

 

 アスクレピオスの子供はハグリッドによってエピオネと名付けられた。魔法力によるものか、エピオネは小さなタイクをまるで風船のように膨らませて餌を飲み込む。ハグリッドの小屋で今も元気に鶏の卵を丸呑みしていることだろう。

 

 ハリーは自分に与えられた部屋の中では誰に憚ることもなくアスクレピオスと話すことができた。クスシヘビはハリーがパーセルタングを使えることに奇異の視線を向けたりはしない。

 

 ハリーの持つ力がヴォルデモートの一部であれ、パーセルタングはもうハリーにとって無くてはならない繋がりだった。

 

 自分が魔法使いだと分かったその日に、ルビウス・ハグリッドの厚意によって巡り会ったのがクスシヘビのアスクレピオスである。それ以来、ハリーは毎日のようにクスシヘビと言葉を交わした。

 

 クスシヘビと会話できない自分というものをハリーは想像すら出来なくなっていたのである。

 

 闇の魔術を行使したことで軽蔑の視線を受けることは自業自得だとハリー自身理解していた。しかし、ヴォルデモートとの繋がりのせいだとしても、人を助けて畏怖され、避けられるのはハリーであっても辛いものがあった。

 

 スリザリン生たちは大なり小なり偏見の視線に晒されるものである。彼らに対する悪意は、時として善良であろうとするスリザリン生の心も傷つけるのである。

 

***

 

「よくやった。……本当によく頑張った、ハリー。アーサーが生き残っただけでなく、ボードもハリーのお陰で生き残った」

 

 シリウスの心の底からの労いを聞くことが出来たのは、クリスマス休暇も半ばとなってからだった。

 

 アーサー氏の抜けた穴を埋めるため、そして恐らくは、オーダーとしての任務のためにシリウスは昼も夜もなく働き詰めだった。グリモールド・プレイスに帰り、クリーチャーの仕事を褒め、マリーダと抱擁を交わしたあと、シリウスはハリーを強引に抱き締めた。

 

 ハリーはシリウスの顔色を確認してほっとした。目の下に隈が刻まれていたが、シリウスは気力に満ち溢れていた。艶のある黒髪も、整った鼻筋も輝いているように見えた。

 

「お帰りシリウス。……オーダーの任務は大変だった?」

 

「ハリー。オーダーの任務は今回の十五連勤とは関係がない。近頃の犯罪は中々物騒でな、マンドレイクの叫び声を記録したオルゴールをマグルの世界に流通させていた阿呆を取っ捕まえていたところだ」

 

(!?)

 

 ハリーはマンドレイクの声を聞いてしまったかのように一瞬硬直する。

 

 マンドレイクの叫び声を聞いた人間は、鼓膜から多大な衝撃を受ける。魔法に耐性がないマグルであれば死に至ることもあるのだ。

 

(魔法界ならありそうな話だ。悪意と殺意を持ってマグル製品を使えば、僕らは簡単にマグルを殺すことができる。……シリウスの話は嘘じゃないだろう。だけど……)

 

「家に帰れなかった理由はそれだけじゃないよね、シリウス?」

 

 ハリーはシリウスに対して微笑みながら言った。

 

「アーサーさんが居なくなってからシリウスが居ない日が増えたってことは、マリーダさんを見れば分かる。シリウスは、魔法省の中で、アーサーさんが護ろうとしていたものを護る任務についている。違う?」

 

「ハリー」

 

 マリーダはスリザリン出身者らしく、自分でハリーにヒントを出したことは棚に上げてハリーに厳しい視線を向けた。

 

「シリウスは仕事明けで疲れている。つまらない臆測を言うのはやめなさい」

 

「マリーダさん。確かに臆測かもしれないけど僕なりに根拠はあるんだ」

 

 ハリーは意地悪く言った。

 

「……魔法省の中で闇陣営がターゲットにする相手と言えば、大臣や闇祓い、執行部だ。だけど警察組織や司法組織、行政組織以外にも、連中が抑えておきたいところが魔法省にはある。」

 

「それが、何人もの天才達が多額の予算と時間を費やして得た研究成果が集まる神秘部だ」

 

 マリーダは思わず閉口する一方、シリウスはハリーを褒めた。

 

 

「いやいや、ハリーの推測はなるほど的を射ている。ハリーが持ち得ている情報だけでも、そう推測することは容易だろう。よく考えたな」

 

 シリウスは余裕を持って笑い、ハリーの話を流そうとした。ハリーは少し腹を立てたものの、シリウスから情報を引き出したいと思った。

 

「シリウス。僕なりに一連の出来事を考えてみたんだ。……病院で何者かに殺されかけたブロデリック・ボード氏は、神秘部に所属する役人だった。そうだろう?本来なら、ボード氏がシリウスやアーサー氏の仕事をする予定だったんだ」

 

(……どうだ……?)

 

 ハリーはシリウスの反応を待った。シリウスはニヤニヤと笑みを浮かべている。

 

「………………」

 

「…………………………」

 

(な、長い……!)

 

「…………シリウス。何か言ってあげた方が……」

 

 シリウスの反応を待つこと三分。マリーダはとうとう見かねてシリウスに声をかける。

 

「……ん、ああ、すまん。ついつい昔を思い出してな……」

 

「ジェームズもよく自分の推測を語って俺達に聞かせてくれたものだった。あいつは成績は良いのに中々頑固なところがあって、自分の推測が正しいと信じて疑わなかったな……」

 

「シリウス……」

 

(まともに答える気がないな!?)

 

 ハリーはシリウスに対して苛立つ気持ちを押さえつけた。ハリーの推測をはぐらかすためにわざと父のことを口に出すというのは、ハリーにとって腹立たしいことこの上なかった。

 

 ハリーはジェームズ・ポッターではない。スリザリンに入った日から、両親を、自分なりのやり方で越えたいと思って努力し続けてきたのだ。

 

(……何度同じことで苛立ってるんだ。僕は。分かってたことじゃないか、シリウスにとって大切なのは父さんだってことは……)

 

 シリウスは自分のことを見てくれていない。ハリーはシリウスに対してではなく、その事実に苛立つ自分に見切りをつけた。

 

「……まぁ、いいや。答えたくないならそれで。シリウス。明日ウィーズリー氏のお見舞いに行っても構わないかな?」

 

「勿論だ。……俺もアーサーに会いたいところだった。アーサーが入院して以来、局員達の緩みが大きいからな」

 

「……アーサーさんは慕われているんだね」

 

 シリウスにも、という言葉をハリーは飲み込んだ。

 

(……というか、下手したら僕よりその辺の大人たちとの方がうまくやってるんじゃないかシリウスは)

 

 人付き合いには適切な距離感というものがあることはハリーにも理解できる。家族としてシリウスと接するのと、オーダーの同志、或いは魔法省の見込んだ局員同士という立場で交流するのとでは距離感が違う。

 

 ハリーは内心でアーサー氏に羨望の思いを抱きながらシリウスの話を聞いた。

 

「ああ。何十年に渡って魔法省を下から支えてきたからな。俺と違って、強引に物事を進めるということもない。アーサーが居なければ纏まるものも纏まらん」

 

 

「……シリウスからの伝言は?」

 

「『盗んだ大鍋にコンジュレーションをかけてマグルの世界に卸そうとしていたバカを捕縛した。戻ってきたら尋問を頼む』と伝えてくれ」

 

「了解。家族として、じゃあ、僕は先に行くよ」

 

 ハリーは微笑んで部屋を後にした。ハリーの足音が遠ざかってから、マリーダはシリウスに言った。

 

「………………あの年頃の子供は難しいな。期待が重圧になる……」

 

「……ジェームズと同じことが何故プレッシャーになるのか、俺には分からん。褒めたつもりだったんだがな…………」

 

 シリウスはハリーが去るや否や、腕を組んでマリーダへと呟いた。マリーダは目を伏せて言った。

 

「…………長期間の任務で疲れただろう。今日はゆっくり休もう……」

 

 マリーダはお腹に痛みを感じながら、シリウスに寄り添った。ハリーへのフォローも必要ではあるが、シリウスはシリウスで余裕があるわけでもないのだ。

 

 シリウスはその後、マリーダへ昔のことを語ってくれた。

 

「昔な……ジェームズも、ちょっとしたことから閃いて、リーマスの秘密に気付いたことがあった。俺は最初そんな馬鹿なと笑ったし、ピーターはもし本当なら近付かない方がいいと言ったが……ジェームズは俺達が何を言っても、考えを変えなかった」

 

「……そして……ミスタ・ルーピンと友情を育んだのか」

 

 マリーダの言葉にシリウスは答えず、部屋に置いてあった写真立てを見た。マリーダもジェームズ・ポッターの在りし日の姿を見た。

 

(……これは……)

 

 マリーダは生前のジェームズ・ポッターと面識はない。しかしジェームズの姿はハリーと瓜二つと言っていいほど似ていた。笑ったときの表情などほとんど見分けがつかない。違うところと言えば陰のある表情をするかどうかだろうか、とマリーダは思った。

 

 ハリーより自信に満ち、幸福に溢れた少年。それが写真の中のジェームズ・ポッターだった。

 

「ハリーはジェームズそっくりなんだ。俺はハリーを見ていると……居なくなってしまったあいつにまた会えた気がしてな……」

 

 シリウスにとって、ジェームズのかつての輝きをハリーから感じ取ることはシリウスにとって希望であり、何よりの慰めでもある。

 

 しかしハリーにとってはどうなのかと、マリーダは思わずにはいられなかった。

 

「過去に浸るのはいいが、シリウス。ダンブルドアから要請……いや、指示が来ている」

 

 マリーダはハリーに対する一抹の懸念を感じつつも、シリウスにダンブルドアからの命令を報告しなければならなかった。

 

「……オクルメンシーの習得をしろということだ。ハリーが『例のあの人』との繋がりを強くすることは望ましくない。オクルメンシーによってハリーと『例のあの人』との繋がりを遮断し、ハリーの安全を確保したいとのことだ」

 

「そうか、ダンブルドアが……」

 

 目を瞑って溜め息を吐いたシリウスは、再び目を開けると頷いて言った。

 

 

「……妥当、だろうな。ハリーにはよくよく気を遣って伝えなくてはならないが……」

 

 シリウスは煙草を飲み干した後のような苦い表情だ。

 

「ハリーが『例のあの人』との繋がりがあるということは、ハリーがあの人に利用される、或いは操られる可能性があるということだ。ハリーの身の安全を最優先とするなら他に選択肢はない」

 

 マリーダはシリウスが自分に言い聞かせるように言っているのを黙って聞いていた。

 

(……意外だ……)

 

 一般的な魔法族であるマリーダ自身、ハリーの現状に危うさを感じていることは確かだ。長年闇の魔法使いと対峙してきたその道のプロと言えるムーディや、トンクス達闇祓い組がハリーに警戒感を示すことも頷ける。

 

 しかしシリウスはオーダーのメンバーの中では誰よりハリーに対して寄り添っていた。

 

 ハリーが周囲からの疑いをかけられているならば、疑った人間に対して真っ先に噛みついて黙らせることもあり得ると予想していただけに、マリーダとしては嬉しい誤算だった。

 

「意外だな。シリウスはハリーがそんなことをする必要はないと言うと思っていた」

 

「感情的には俺だってそうダンブルドアに言いたい。が、ことは感情だけでどうにかなる問題ではない。ヴォルデモートがハリーとの繋がりに気付いた可能性があるとなれば尚更な」

 

 シリウスがヴォルデモートの名前を口に出す度に、マリーダは恐怖心に身が竦みそうになる。が、マリーダは平静を装うことが出来た。

 

 マリーダはヴォルデモートの恐ろしさを教えられ育てられてきた身だ。当然、ヴォルデモートの名前を口に出す勇気はない。しかし、目の前に居るシリウスは神すら恐れぬグリフィンドールの申し子で、マリーダは狡猾さを信条とするスリザリンの出だ。自分が勇気を出すことは出来なくても、勇敢な人間を支える気概はある。だからマリーダは、シリウスのヴォルデモート呼びを咎めはしなかった。

 

 

 実際、シリウスの精神状態は疲労こそあれど安定している方であった。

 ヴォルデモートの呼称も、口に出すのはマリーダやルーピンのような特に気を許した理解者の前だけで、オーダーの人員達の前では自重して口に出さない。

 

 オーダーのメンバー、例えばマッドアイであれば、今さらヴォルデモートに屈したりはしない。しかし、マンダンガスといった一部の人員は絶対にあり得ないとは言い切れない。シリウスはわざわざヴォルデモートの名前を口に出して、恐怖心からオーダーの士気を下げる必要はないと弁えていた。

 

 

 シリウスはマリーダ相手に、過去に闇の帝王ことヴォルデモート卿に操られた魔法使い達の名を出した。

 

「ヴォルデモートはホグワーツ教授のクィリナス・クィレルを操り、支配下に置いたこともある。レジリメンスによってハリーの記憶を覗き見られることは、ハリーをクィレルと同じ状態にするようなものだ。ハリーの弱みをやつに握られることになるし、もしかしたら干渉さえ出来てしまうかもしれん」

 

「一人前の魔法使いであっても、肉体を得る前の『例のあの人』にも敵わなかった。ハリーはこれから毎日、『例のあの人』と戦うようなものか……」

 

 マリーダはシリウスの言葉に頷いたが、表情は優れない。

 

「オクルメンシーをそれ程の高精度で習得するか。『やらねばならない』とはいえ、至難の業だ。……あの子はいつも難しい課題ばかり与えられるな……」

 

 

 マリーダは改めてハリーに与えられた課題の困難さを理解して目眩がした。

 

 一般的に、オクルメンシーはレジリメンスに対して優越関係にある。

 

 オクルメンシーを習得し心の内側と外側を使い分けることが出来る魔法使いは、レジリメンス使いが覗き見る心象風景に偽の情報を混ぜ、本物と変わらぬ精度で見せつけることが出来る。だからこそ、闇祓いや神秘部の職員はオクルメンシーを習得してはじめて一人前となる。

 

 ただ、ヴォルデモート卿相手に心の内側を護りきることは難しい。ヴォルデモートが、誰より魔法に精通した最強最悪の闇の魔法使いだからだ。

 

 ホグワーツ教授であるクィリナス・クィレルも、オクルメンシーの基礎は習得していたに違いない。しかしヴォルデモートの前に屈し、知り得るすべての情報を売り渡して、賢者の石をヴォルデモートに献上するために動くデスイーターと成り果てた。

 

「ハリーが『例のあの人』相手に心を護りきるためには、大前提としてクィレル以上。欲を言えば、ムーディやトンクスやキングズリー達オーラーと同等のレベルでオクルメンシーを習得し、使いこなさなくてはならない……」

 

 マリーダの言葉にシリウスは無言だった。ただし、シリウスの表情を瞳には暖かみがある。

 

(……まだOWLも終えていないというのに……)

 

 マリーダがハリーに憐れみを抱いたのは、オクルメンシーという技術がある程度責任のある立場の大人にとって必須の技術ということだ。

 

 心の内と外を分離し、自分自身の行動と、内心の葛藤とを切り離す。大人が『やるしかない』という使命感と諦感で『仕方なく』取り組むこと(実践できない大人も居る)を、ハリーはこれから強制的にやらねばならない。

 

 試験に追われ周囲からの中傷や疑念に耐えている中でこれ以上負担をかけるのは忍びない。マリーダがそう考えたとき、お腹の子供がマリーダの懸念を感じ取りでもしたのか、マリーダの体に強烈な痛みが走った。

 

「…………!」

 

 マリーダが考えていることを察してか、それともマリーダを気遣ってか、シリウスはマリーダの肩に優しく手を置いた。

 

 

「ハリーは賢い子供だ。自分や、友人達を護るためなら喜んで習得しようとするだろう。俺はハリーなら必ずやり遂げられると信じている。……ところで、マリーダ。ハリーにオクルメンシーを指南する教師は誰だ?ムーディか?それともキングズリーか?……まさか、ダンブルドアか?」

 

 マリーダは、シリウス相手にこれを伝えてよいものかと思っていた。フィニアス・ナイジェラスの肖像画がダンブルドアの言葉をマリーダへ伝えたとき、マリーダは自分がコンファンド(混乱)にかかってしまったのかと思ったからだ。

 

「……スネイプ。ハリーにオクルメンシーを指導してくださるのは、スリザリン寮監のセブルス・スネイプ教授だ、シリウス」

 

 その瞬間のシリウスの表情をマリーダは決して忘れないだろう。唖然とした表情のシリウスは、次いでハリーへの心配でそれまでの余裕ある姿をかなぐり捨てていたのだから。

 

***

 

 

「アーサー!貴方って人は本当に!いつもいつもマグルの機械にうつつを抜かして……!」

 

「しかしモリー、フォードはモリーもお気に入りだったろう?」

 

「……いえ、機械はこの際よしとしましょう!だけどなんの相談もなく、マグルのよくわからないオペをするなんて、そんな馬鹿なことがありますか!」

 

「お、仰る通りです……か、返す言葉もございません……」

 

 

 ハリーとハーマイオニーの三人は病室でアーサー氏を説教するモリーに若干引いた目を向けた。アーサー氏はモリーの剣幕にたじろぎながらも包帯が増えてしまった自分の姿を鏡で見せつけられ、平謝りしていた。

 

 

 ロンはまったくだぜ、とモリーの言葉に頷いていたが、ハリーとハーマイオニーの姿を見てもしかしたら違うのかな、と思ったのか、マグルの『手術』について尋ねてきた。

 

「……実際どうなんだ?マグルの……手術って。俺は普通に魔法で治療した方が良かったと思うけど」

 

「適切な処置をすれば効果があるのよ」

 

 ハーマイオニーはそうロンにフォローする。

 

「僕はマグルの医療知識については詳しく知らないから、何とも言えない。ただ、マグルは医療系の大学で学んだ後じゃないと医者にはなれないんだ。魔法族が簡単に真似できるものじゃないと思うけど……」

 

 

「へぇ?ホグワーツじゃなくて、ヒーラー専門の学校で勉強するってことか?マグルってずいぶん余裕があるんだな」

 

「……いいえ。ホグワーツを卒業した後でさらに医学部で学ぶ、ことになります。英国のマグルはでは最短で二十三歳から治療に携わることになりますね」

 

 アーサー氏の病室に控えていたヒーラーの一人はロンにそう説明した。ハーマイオニーはそのヒーラーの顔に見覚えがあったのか、いち早く反応した。

 

(ザムザ……?)

 

 ハリーは最近親しくなった友人と似ていると思った。が、きっと気のせいだと思った。ザムザとは違い、目の前に居るヒーラーは魔女だった。ローブの胸元には在学時代につけていたバッジではなく、研修中であることを示す紫色の薔薇をつけていた。

 

「アグリアス先輩!?」

 

 

「業務時間中です。ご家族の方々は、病室には他の患者様も居られますので、どうかお静かにお願いいたします」

 

 きびきびと厳格にハリー達へ伝えて一礼した姿はマクゴナガル教授にも似ていた。が、ハリーはアグリアスという魔女がアーサー氏や病室の他の患者達を診察する傍らでにっこりとハーマイオニーに微笑み、ハリーにも微笑みかけたのに気付いた。

 

***

 

 昼休みの休憩時間に入り、ハーマイオニーはアグリアスというグリフィンドールの先輩と暫しの会話を楽しんでいた。

 

「……監督生としてはまずまずの活躍みたいね。いい後輩を持てて鼻が高いわ」

 

「いえ、そんな。私は自分が五年生になって、監督生になってみてはじめて、先輩達の苦労が身に染みてきました」

 

「監督生は多忙だからな……けれど少なくとも、私の時よりは楽なはずだ」

 

「どうしてですか?フレッドとジョージの双子は先輩達が居なくなってから暴走しているのに」

 

「…………双子は、まぁ。諦めて男子の監督生に投げればいいよ。男子のことは男子にやらせればいい」

 

 アグリアスが遠い目をする。ハーマイオニーは内心でこう思った。

 

(ああ、止められなかったんだな……)

 

 と。話している最中、ハーマイオニーはアグリアスの左手の薬指に、銀色のリングが輝いているのに気付いた。

 

(先輩……もしかして……)

 

「少なくとも、ハーマイオニーの代はマシな方だ」

 

 ハーマイオニーが思考を移す前にアグリアスはハーマイオニーに話題を振った。

 

「大事なことだから二回繰り返したんですね、どうしてそう思われたんですか?」

 

 ハーマイオニーはそう言ったものの、次にアグリアスが発する言葉には見当がついていた。

 

「だってホグワーツが今後十年続いても、貴方達より騒がしい後輩は出てこないと私は確信しているもの」

 

「酷いです、先輩……!カメラ狂いのコリン・クリービーが出てきたことを忘れたんですか!?」

 

「クリービー……?カメラ……ああ、居た居た。……けれど、あの子は落ち着いただろう?ハーマイオニー達と違って」

 

 ハーマイオニーとアグリアスはひとしきりホグワーツジョークを楽しんだ後、アグリアスがこほんと咳払いする。

 

「……けれど…………後輩がまだ笑えていてよかった。ハーマイオニーも恋人を作ることが出来たようだし」

 

「そ、それはその。まだ私達は修行中の身でして……」

 

 言外に男子に慣れたか、と聞かれてハーマイオニーは赤面する。たとえ男子に慣れようが、思いを告げることの難易度の高さは別の問題だった。

 

(まだまだ時間がかかりそうね。相手もあの鈍感男の弟だし、最悪の事態にならなければいいけど……)

 

 アグリアスはハーマイオニーに対して一抹の不安がぬぐえなかった。男子からの告白待ち作戦を取った挙げ句卒業まで気付いて貰えなかった同期を思い出して胸が痛くなったのだ。

 

 大人になる過程で心を閉ざし、表と裏を使い分けることは重要である。

 

 しかし、中には表に出しておくべき感情というものもある。そのタイミングを逃せば、両想いであろうと成就しない恋もある。それが恋愛というものなのだ。

 

***

 

 アグリアスという先輩とは積もる話をするために、十二時の休憩時間の間ハーマイオニーとははぐれた。ハリーはロンや、病室のそとで待っていたザビニやアズラエルらと医療行為の是非について話し合っていた。

 

「……つまり、親父の行為って無意味だったんじゃねぇか?ヒーラーの先生にマグルのオペの臨床試験役にされたってことだけど……」

 

「……結果的に『例のあの人』の蛇には傷の修復を阻害する厄介な毒があることもわかった。無意味じゃないよ、ロン。毒の種類が解っただけでも価値はあるよ」

 

「……前向きなのはいいけど、マグルのオペって本当にいいものなのか……?」

 

「個人的な意見ですが、発想としては理に適っているんですよねぇ……」

 

 アズラエルとしては、マグルのオペは一理あると言った。

 

「魔法によって傷の修復が出来ないというのがアーサー氏の傷の治りが遅い原因でした。だから、患部をオペで切除して呪いのかけられた範囲を体から排除して、魔法で治癒するのは解るんですよ」

 

「そうなのか……」

 

「魔法族としては体にメスを入れるなんて狂気の沙汰だ。今回は運悪く毒もあって傷の修復も想定したより遅かったみてぇだな」

 

 

「でもロンのお父さんもよく知らない技術を自分の体で試す気になったよね。それだけでも僕は君のお父さんを尊敬するよ」

 

 ハリーはそうアーサー氏をフォローしたが、ザビニはロンに悪戯っぽく笑った。

 

「ま、お前のお袋からすりゃ何の相談もなくオペされたのは気に食わねーだろうな。愛されてんな、お前の親父さん」

 

「やー、直近でボードさんが死にかけててナイーブになってんだよ、うちの母さんは……」

 

 

 そんなやり取りをしてエレベーターに乗り、ハリー達は六階の喫茶室めがけて歩き出した。

 

「ここは……呪文性の損傷、か。ほとんど全部の入院患者が当てはまると思うけどな」

 

 ロンがエレベーターの外にある看板を見て言う。

 

「……カースやコンジュレーションによる永続性の高い損傷に対する治療がメインだね」

 

「永続性って……まさか治らねぇのか?」

 

 

 ボード氏もここに療養していた。

 

「いいえ。そんなことはありませんよ。ここでは治療のために全力を尽くしています」

 

 常駐していたヒーラーの先生がハリー達に声をかけてくる。ヒーラーの先生の顔色はあまりよくはなかったが、継続的な治療と投薬により症状を緩和し、幸運によって回復の見込みはあると言った。

 

「…………」

 

 ザビニとアズラエルは病室の中を見るや否や、何も言えずに目を交わしあっていた。ハリーも急いで喫茶室に行きたかった。その時、ロンは一人見知った顔を見つけてしまった。

 

「ネビル!?ネビルがどうして……」

 

「ロン、行こう」「え、あ、ああ……」

 

 ハリーは強引にロンの袖を掴み、先を急ごうとした。ロンも知り合いを見つけてしまったことに驚いたものの、ハリーの言葉に頷いていた。

 

 しかし、事態はよくは転ばなかった。

 

「おや、貴方がたは……?」

 

「……どうもはじめまして。僕たちはネビル君の同級生で、僕はポッターです。彼がザビニで、隣のブロンドの子はアズラエルです。ロンのことは御存知ですか?」

 

 品のいい老婦人に連れられたネビル・ロングボトムと、闇の魔術を受けた代償に正気を喪ったフランク・ロングボトムとアリス・ロングボトムとハリー達は邂逅した。

 

 この日の出来事は四人とネビルの心に深く刻み込まれた。この日何を目にしたのか、ハリー達は一言も口にしないと誓った。

 

***

 ホグワーツに戻る前日、ハリーはオクルメンシーの習得命令を一目瞭然二もなく承諾した。

 

「本当にいいのか、ハリー?」

 

「構わないよ。僕が頑張ることで人が死ぬ可能性を減らすことが出来るならやるに決まってる」

 

 ハリーに迷いはなかった。暗黒面を目にしたハリーにとって、恐ろしいことはオクルメンシーの習得失敗ではない。オクルメンシーの習得に挑戦せず、己の怠惰によって人の命が喪われることを、ハリーは何より恐れた。




スネイプとハリーの地獄はこれからだ。
誰も幸せにならない試練、はーじーまーるよー!。
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