ハリーはフィレンツェ教授が就任したその日、心を落ち着けるべく深呼吸をしてから眠りについた。
ハリーはスネイプ教授とのオクルメンシーの訓練で成果を挙げられているわけではなかった。感情をコントロールし、自身の内部から沸き立つエネルギーを抑えることはとても難しい。しかしこの日、ハリーは神秘部の扉を見ることはなかった。
代わりにハリーは見慣れている筈のスリザリンの談話室の中にいた。ハリーは周囲を見渡して見知った顔が居ないかと探したが、ハリーが知っている人はいない。
スリザリンの女子達や年上の先輩達に、妙に懐かしいような親しみを覚える顔があった。しかし、ハリーの知っている彼らとはやはりどこか雰囲気が異なる。何より、その身に纏っているローブの生地はどこか古く、着心地が悪そうに思えた。ハリーが着ているローブも着古したローブではあったが、どこか薄汚れて見えた。
ハリーは一人、黙々と変身呪文の教科書に目を通していた。時折上級生達から労いの言葉をかけてもらい、愛想よく返答を返す。そんなハリーの前に座ったのは、そばかすが目立つ少年だった。
『なぁ◯◯。ちょっといいか?』
ハリーは内心で、目の前のそばかすが目立つ少年を鬱陶しいと思っていた。今は勉強に専念したいと言うのに。
「いいよ。エイブリーがそんなに嬉しそうなのは珍しいね。ニフラーの卵でも見つけたのかい?」
表面上はエイブリーに対してにこやかに応対しながら内心で鬱陶しいと考えている。ハリーはそんな思考に吐き気がした。覚えがあるからだ。孤児院の職員も、内心では自分を疎んじていたではないか。自分があんな連中と同じだと言うのかと。
((……ん?……なんだこいつ……?違う。これは僕じゃない。この子は僕じゃないぞ))
ここでハリーは初めて、自分とエイブリーと会話している少年との解離に気付いた。まったく個人的な感情から、少年は目の前のエイブリー少年のことを嫌っているのだ。
(…………孤児院か…………)
ハリーは少年の思考に同調しそうになる自分自身を戒めた。しかし、少年の思考はハリーの意識を塗りつぶしハリーの自律的思考は少年の思考に飲み込まれていく。
『違うよ。……グリンデルバルドがまた行動を起こしたらしいぜ。アズラエル家もグリンデルバルドについたそうだ』
「へぇ、それは知らなかったよ。エイブリーはグリンデルバルドを支持しているのかい?」
『勿論さ!きっとダンブルドアをやっつけてくれる!なぁ、◯◯もそう思うよな?賭けをしようぜ!』
「うーん、そうだね。ダンブルドアに1ガリオンかな」
ハリーはしかし、ダンブルドアに1ガリオンを賭けてエイブリー少年を面白がらせた。エイブリーは、トムにはじめて勝てるぞと喜びに目を輝かせていた。
ハリーのもとに、ハリーではない誰かの思考が流れ込んできた。それは、友人の筈のエイブリーを見下す感情だった。
(バカめ。ダンブルドアがグリンデルバルドごときに負けるものか)
そう考える少年の心の声をハリーは感じ取った。
(まだまだダンブルドアの支持者が多い寮内であんなことを言うなんて。考えなしの間抜けめ)
ハリーは小躍りして自分の部屋に戻るエイブリー少年を内心で小馬鹿にしながら、少し不愉快な気分になり、背伸びをして読書に戻った。
((…………なんて性格の悪い子なんだ…………))
塗り潰される意識の中でハリーは思う。この少年とは死んでも友達にはなれそうもないと。そう思うハリーの思考自体、少年のそれに影響を受けているのかもしれなかった。
***
ハリーが気がつくと、先程よりずっと視界が広く、視点も高くなっていた。スリザリンのシンボルカラーを示す緑色のローブは上質な生地に変わり、自分のローブのの胸元には監督生であることを示すバッジが輝いている。
「……エイブリー……そんなに気を落とすな」
(目障りだ)
『……◯◯……』
エイブリー少年の背丈もハリーより少し低い程度にまで伸びていた。そばかすまみれだった顔は幾分小綺麗になったものの、その表情は低学年の頃にあった溌剌とした雰囲気ではない。
「……何かあったのかい?」
『……』
エイブリーは黙ったままだ。ハリーは自分の口から発せられた声に何処かで聞き覚えがあったが、どこであったのか思い出すことはできない。ハリーは黙りこくるエイブリーを立ち上がらせ、監督生に与えられた個室へと導いた。
「何でも話してくれ。僕たちは仲間だろう?」
『…………ああ、◯◯!!……父さんが、父さんが……!!グリンデルバルド、あの役立たずのせいで……!!』
ハリーはエイブリーの言葉を聞いて気の毒に思った。グリンデルバルドに加担し、ダンブルドアの助力を得た光側陣営によってエイブリー少年の父親は戦死したのだ。
『……グリンデルバルドさえもう少し強ければ、父さんは死ななかったのに!』
「……そうだね。エイブリーの言う通りだ。……純血主義の理想を順守するためには、それを実行する力がなくてはならないんだ」
そう口に出すハリーに少年の思考が流れ込んできた。それは、泥にまみれた腐った梨のような考えで、吐き気がするものだった。
『そ、その通りだ。〇〇の言う通りだ。……◯◯みたいな人が、僕たちを導いてくれたらなぁ……』
(……何を言っている、こいつは)
(ダンブルドアと戦い負けたのは貴様の父親が弱かっただけだろう)
(グリンデルバルドを支持していたくせに簡単に掌を返すのか)
自分の友達であるエイブリーに対する憐れみや同情心は無い。あるのは弱者を見下す思考だけだ。
(……所詮こんなものか。グリンデルバルドのように、言葉を巧みに操り無知な連中のために指導者を演じたところで)
目の前のエイブリーが、優しい言葉をかけるハリーに心酔していくのを感じ取りながら、少年の思考はどんどん冷めていった。
(すぐに支持していたことさえ忘れる。信頼など無意味。大衆が欲するのは力と実績だけだ)
そう悟ったように考える少年の思考に、ハリーは少し共感しそうになった。
((ラベンダー・ブラウン……))
フィレンツェという存在に一瞬で心奪われ、敬愛していた教師のことすら忘れた魔女達の姿が、目の前のエイブリーと重なる。
そして、自分自身に言い聞かせた。
((いや待てよ。……少なくとも目の前のエイブリーはこの子のことを慕って信じているんだぞ……?ラベンダーとは違うじゃないか))
ハリーの頭の中の冷静な部分がそう自分自身を覚醒させる。
((……それに…………ラベンダー達は敬愛しているトレローニのことを忘れた訳じゃない……はず……だ。おそらく……))
ラベンダー・ブラウンとパールヴァティー・パチルに関して、ハリーはその内面を知っているわけではなかった。自分に言い聞かせる声がだんだんと弱くなっていく。
((……でも……内心で他人を小馬鹿にして見下すやつと同調するなんて。僕はこんなに性格が悪かったのか……?))
自分自身に対して失望を覚えたとき、ハリーは目を醒ました。シュー、シュー(お早う)と言うアスクレピオスの声を聞いたハリーは、夢の内容を覚えてはいなかった。
『……お早う、アスク』
目覚めたハリーは、自分の周囲に愛すべきペットの話し声と、家族のような友人の寝息が聞こえるのを実感して、なぜかほっとしたように顔を綻ばせた。
***
眼鏡の少年が、夢の中を彷徨っていた頃。
闇の帝王を自称する男もまた夢の中を彷徨っていた。
男にとって、その夢はひどく退屈なものに思えた。自分の身体が少年のものとなり、学友と友情を深めていく。
その過程は学生時代からレジリメンスによって相手の内面を閲覧できる男にしてみれば酷く冗長だった。何より男を苛立たせたのは、少年が持てる才覚を眠らせて腐らせていることだった。
((……何を周囲に足並みを合わせているのだ))
男は少年にそう吐き捨てた。
((闇の魔術という才能を磨く時間がありながら……))
男は自惚れ屋であった。しかし、不幸なことに男は確かに、他人の才能を見抜く目を持っていた。
男から見て、少年は自分には及ばずとも優秀な闇の魔法使いとなれるだけの可能性があったのだ。
しかし、愚かにも自分に合わないウェアウルフの教師に師事した挙げ句、パトロナスを習得するという無駄な行為をして貴重な時間をドブに棄てているではないか。
闇の魔術から遠ざかるためと言ってプロテゴ・インセンディオなどという下位互換の魔法を習得しているのもまさしく無駄な努力に他ならなかった。
男を唯一感心させたのは、少年が二年生の時、学友達の目の前でプロテゴ・ディアボリカを使ったことだった。そのときの感動が大きかっただけに、落胆もまた凄まじかった。
(……ほう……)
男にとってプロテゴ・ディアボリカは稚拙そのものだった。火力、速度、制御能力のどれをとっても未熟そのもの。そもそもプロテゴ・ディアボリカ自体が無駄の多い二流の魔法だ。
しかし、二年生でそれを行使した少年と、少年に心から付き従い炎に焼かれず行動を共にする仲間を見たとき男に本来あり得ない筈の感情が去来した。
((…………))
その時男は何を思い、何を感じたのか。
いずれにせよ確かなことは、男もまた目を醒ましたとき夢の内容を覚えてはいなかったということだ。
男は優れた魔法力を持ち、オブリビエイト系統の魔法にも勿論精通していた。しかし、男は己の夢の記憶を確かめようとはしなかった。
夢を見ないということは脳がしっかりと休めている証拠だ。レストレンジ家の客室で目を醒ました男は、愛すべきペットへと蛇語で話しかけた。
『…こちらへ来い、ナギニ』
その日の朝、男は意識せず何時もより少しだけ長くペットを撫でた。
プロテゴ・ディアボリカはメタ的には後付けなんだろうと思います。
闇の帝王はね。
ディアボリカを使わず、力だけで屈服させる道を選ぶの。
お気に入りは別だけどね。