蛇寮の獅子   作:捨独楽

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正義なき魔法界

 

***

 

『よくも殺ってくれたな、ポッター……!』

 

『俺は帰りたかった、子供のところに帰りたかったのに……!!』

 

 ハリーは自分の首にかかる手を払い除けるように飛び起きた。

 

「……うわっ!!…………く……」

 

 ハリーは節くれたロシア人の手に首を締められる夢を見た。夢の中のアントニン・ドロホフは両目がなく、ただ瞳があった筈の眼窩から血を流しながら、ハリーを殺すことだけを夢見ているかのようだった。

 

 じっとりと汗ばんだ額をタオルで拭う。額の傷は痛んではいない。神秘部の決戦以来、明らかに痛む頻度は減っている。

 

 それが不気味だった。

 

(……くそ。……気にしてどうするんだ、こんなことを。こんなことで。こんなところで立ち止まって、ヴォルデモートを殺せるわけがないだろ……)

 

 幸い、ザビニもアズラエルもハリーの様子に気付いてはいない。遮音魔法のかけられたカーテンのお陰だった。

 

 いらだたしく頚を振り、ハリーはアスクレピオスをガラスケージから出して自分の手に纏わせた。アスクレピオスのぬるりとした感触を感じながらハリーは眠った。

 

 ドロホフの掌の感触などハリーが知るわけがない。全くの幻で、ハリーが作り出した妄想に違いなかった。

 

 ただ、死のベールを越えたものがどうなるのかは魔法界の誰も知らない。   

 

 

 アントニン・ドロホフが地獄から生き地獄にいるハリーを自分と同じ場所に落とそうとしていたとしても、魔法学説的には何の不思議もないのだ。

 

 

***

 

 ホグワーツの学期最後の日がまたやってきた。ホグワーツの生徒達は教職員席の最前列に立つ教授の姿を見て歓喜に沸いた。魔女らしい品のあるローブに、山高帽子を被ったミネルバ・マクゴナガル教授は、5本もの失神魔法を受けた後遺症など感じさせぬほどしっかりと立って生徒達に安心感を与えていた。

 

 ルナやコリン、シノ、そしてセドリック。神秘部の戦いに参戦した仲間達は、一人として欠けてはいなかった。グリフィンドールの象徴である金と赤で彩られた大広間で皆が席につき、校長先生が話し出すのを今か今かと待っていた。

 

「……今年もまた、一年が過ぎた。まずは、ミネルバ・マクゴナガル教授。そして、ルビウス・ハグリッド教授が復職なさったことを祝おう。様々な出来事があったが……終わりよければすべてよし、ということだ」

 

 アルバス・ダンブルドアはここに戻って皆とまた会えたことをまず喜んだ。生徒達が歓声に沸く中、次いで今年もっとも称えるべき生徒を指名した。

 

「……さて。伝統あるホグワーツでは今学期もっとも優れた生徒を表彰するのが習わしとなっている。」

 

「私としてはこのホグワーツを大いに盛り上げ、そしてホグワーツから巣だっていった二人の若者を讃えたいところだが……」

 

 フィルチが抗議するように咳をしたが、誰からも相手にされなかった。ハリーはそんなフィルチを哀れに思った。

 

「残念ながら彼らは今ここにおらず、したがって彼らを讃えることはかなわない。ここは私の一存で、代わりに二人の生徒を讃えたいと思う」

 

 ダンブルドアの言葉をハリーはほぼ流していた。今年優秀だった生徒が誰であるかは想像がつく。ハリーはグリフィンドールのテーブルを見た。

 

「まずは……ハーマイオニー・グレンジャー」

 

 グリフィンドールのテーブルが歓喜に沸いた。ハリー、ザビニ、アズラエル、そしてダフネが拍手すると、スリザリンのテーブルは嫌々ながらそれに続いた。

 

「そして、ハリー・ポッター」

 

 大広間の生徒はどよめいた。口々にヒソヒソと噂をしあうのを、ダンブルドアは咳払いひとつで止めた。

 

「……他にも、この場で讃えられるべき生徒達は数多くいる。しかし、その一人一人の働きを事細かに説明していればこの場の時間がいくらあったとしても、ホグワーツ特急は発車できなくなってしまうだろう。そのために、私の独断と偏見でこの二人を選出させてもらった」

 

「……まず。ミス・グレンジャー。彼女はこの世でもっとも難しく、そして大きな勇気を発揮した。道を誤ろうとしている友人と時に対立し、時に立ちはだかって止めるという勇気を」

 

 ハーマイオニーは複雑そうにダンブルドアの言葉を聞いていた。ハーマイオニーの表情に喜びの色はない。

 

「彼女が発揮した勇気は、強大な敵に立ち向かうといったものよりはるかに難しいものだ。諸君も経験はあると思う。正しさを実行して友との関係を壊すことは、他の何よりも恐ろしいものだ。しかし、真に友を思うならば。人は時としてそれをせねばならない」

 

「この場にいる皆も、今の話を実感する瞬間が来るだろう。あるいは来なかったとしても、心のうちに留めておいて欲しいと私は思う」

 

(…………)

 

 ハリーはダンブルドアの話を聞きながらドロホフを殺そうとした時、ハーマイオニーが立ちはたがったことを思い出した。ハーマイオニーはいつでも正しい。正しいと信じたことをそのまま突き付けてきて、自分が間違っていると気付かせてくれる。

 

(それがどれだけありがたいことなのか、僕は一度だって考えなかったな……)

 

(……ああ。…………確かに、ハーマイオニーと同じことは僕には出来っこない。僕にしか出来ないやり方はあるけど)

 

 アルバス・ダンブルドアはどこまでも正しかった。ハリーはスリザリンの友人……ドラコ・マルフォイやゴイルやクラブに立ち向かって、彼らを止めたりはしなかった。ただ権力で封殺しただけだ。

 

 

 

 

 ダンブルドアはハリーのそんな姿勢は評価しないだろうと予想していた。ダンブルドアが評価したのは、ハリーの勇気だった。

 

「そして、ハリー・ポッター。彼は今学期、またしてもあのヴォルデモートに立ち向かい、そして生き残った。これまでと同じように?否、復活しその能力を取り戻したヴォルデモートを相手にして彼は生き残った」

 

「…………勇敢であり、時に己の心すら欺く狡猾さがなければ成し得なかった」

 

 ハリーはダンブルドアを睨んだ。ダンブルドアは、ハリーと目を合わせようともしなかった。

 

「……狡猾さ。どういう意味でしょうね……?」

  

 アズラエルが呟く。生徒達も口々にヒソヒソと話し合い興味を抱いていた。

 

 

「諸君らも知っての通り、魔法省はついにヴォルデモートの復活を認めた」

 

「魔法省の神秘部において、闇の魔術を駆使し、この世のあらゆる良心と良識から目を背けて破壊活動に勤しむデスイーター達を相手にして、ミスタ・ポッターとその友人たちは屈せず抗い、そして……生き残った」

 

「参戦した者達全てに、かのゴドリック・グリフィンドールに勝るとも劣らないほどの勇気がなければあり得ない行動だった。」

 

(止めてください。もう止めてください。…………いくら必要だからって……!)

 

(……そうやって戦争を煽るのは止めてくれ)

 

 ハリーは自分に評価されるべきところは無いと理解していた。そして、ダンブルドアが……たとえそうしたくてやっているわけではないにしても、勇気を強調して戦いを鼓舞することが正しいと思えなかった。

 

 死はいつもハリーの隣にあった。ハリーと敵、どちらかが死にどちらかは生き残る。その繰り返しはただただ命を磨り減らし、『消費』していくだけの行為だとハリーは気付いていた。

 

 預言のせいで、正確にはヴォルデモートが預言を信じたせいでハリーとヴォルデモートとの間に、ダンブルドアの言うところの絆が成立した。ハリーにヴォルデモートを殺す可能性が有る限り、ハリーが生きて戦う意味はある。  

 

 だが、当のハリーは自己を肯定など出来るわけもなかった。

 

 偽情報に踊らされ、誤った認識のまま仲間を危険にさらし、オーダーにその不始末のケツを拭かせたのだ。実態とかけ離れたダンブルドアの賛辞に、ハリーは慚愧で居たたまれなくなった。

 

「……ただひとつ。誤解を招かないために付け加えたい言葉がある」

 

 ダンブルドアは深く息を吸い込み、そして話した。

 

「ミスタ・ポッターは、この世界を護るために戦ったわけではない。彼は、スリザリンの特質が示すように……自分自身とその友人達を護るために、ヴォルデモートに立ち向かった。彼の本質は、仲間を護るために発揮されたということだ」

 

 

 大広間がまたしても困惑にどよめいた。

 

「スリザリンの生徒諸君には覚えがあるだろう。スリザリンに関係なく心当たりがあるというものもこの中に居るかもしれない。そういう人にこそ聞いて欲しい」

 

 

「スリザリンに限らず人が誰しも持っている利己的な、自分と、その周囲の友や大切な人々を護りたいという思い。苦しいとき、人はえてしてそれを忘れてしまうものだが……人が唯一悪に打ち勝てるものがあるとすれば、それは愛によるものなのだ」

 

 

(……)

 

 ザビニがぐっとこぶしを握るのをハリーは見ないふりをした。

  

 ザビニもハリーもダフネも愛に護られていた。しかし、一方でその愛に振り回されてもいた。自己犠牲は確かに尊く気高い行為だ。本当に他の選択肢がなかったというのも理屈ではわかる。しかし、それをされ残された方はたまったものではないのだ。

 

 ハリーはダンブルドアの瞳を見た。ダンブルドアの澄みきった宝石のような碧眼は、この瞬間確かにハリーの翡翠色の瞳と視線を合わせた。

 

(……何も良くない。愛の護りだって、何も……)

 

 ザビニは明らかに母の愛に苦しんでいた。  

 

 ザビニの母親が具体的にデスイーターとして何をしていたのかは、デスイーターの尋問でしか知りようがない。それでも罪の無い人を傷つける生き方を選択したことに違いはなく、その人生は間違いなく悪人と呼べるものだった。

 

 自分を愛して護ったからと言ってそれを誇りになど、そうそう出来るわけもないのだ。  

 

 それでも死んだことが悲しいからこそ、ザビニは戸惑い苦悩しているのだ。

 

 ハリーはダンブルドアがレジリメンスをハリーに使っていることを祈った。

 

(どうして人は皆、愛に狂うんだ)

 

 ハリーはこの問いの答えをダンブルドアに聞いてみたいと思った。愛が、どれほど尊く気高いものでも、どれほど醜く残酷なものでもダンブルドアは受け入れられるというのだろうかと聞いてみたかった。

 

(都合のいい返答がなくても構わない。はぐらかされても、それはそれでダンブルドアの考えがわかる)

 

 

(愛をことさらに強調するアルバス・ダンブルドア先生。……貴方に、本当に愛している人はいるんですか)

 

「……人は誰しも、大切なものを抱えて生きている」  

 

「!?」

 

 アルバス・ダンブルドアの言葉をハリーは黙って聞いた。一瞬内心を見透かされたのかと思った。

 

「その『大切なもの』の内容は人によって異なるだろう。自分だけで良いという人間も、自分の周囲の仲間を護りたいという人間も。……そして、それよりもっと大勢の人を助けたいという人間も。皆それぞれに思いがある。それを掛け合わせ、より大きな善の心を引き出してくれることを願う」

 

 ダンブルドアは話を終えると、にっこりと微笑んだ。スリザリンにいた一年生の女子はダンブルドアを見てうっとりと頬を赤くした。

 

 

 

 

 ダンブルドアがここまで長く語るのははじめてのことだった。ダンブルドアが語り終えたあと、生徒達は気が抜けたように話の意味を反芻していた。しかし、マルフォイ、クラブ、ゴイルはダンブルドアの話の一切を拒絶するかのように腕を組み、ダンブルドアを睨んでいた。

 

***

 

「ファッジが退任するそうよ、ハリー。後任はアメリア・ボーンでほぼ当確だって」

 

 ホグワーツ特急の中でデイリー・プロフィットを読みながらハーマイオニーが話しかけてくる。ハリーは笑顔を作って答えた。

 

「この状況で立候補する人間なんて居ないと思ったけど、魔法界も腐りきってはいないんだね。執行部のボーン部長が次の大臣か……」

 

 ホグワーツ特急のコンパートメントにいるのはハリー達スリザリンの四人と、ロンとハーマイオニー。そして、ザビニのガールフレンドであるスーザンだった。スーザンは緊張した顔で、アメリア・ボーンの姿を見ていた。

 

「そうか、スーザンの叔母さんがファッジの次かー……」

 

 ロンが微妙な顔をする。魔法省大臣という英国魔法界最高の誉れある地位を、コーネリウス・ファッジが大きく下げてしまったのは確かだった。

 

「……ダンブルドアや『例のあの人』が恐ろしかったなら、さっさと退陣すれば良かったのよ。引き際を見誤るなんて。ファッジもバカな人よね……」

 

 ザビニの側に座っていたスーザンがわざわざ口に出してまでファッジを貶めた。

 

 スーザンは普段よほどのことがない限り、他人を貶すようなことは言わない。スーザンがここまでファッジを腐すには相応の理由があった。

 

 ファッジが議会によって追及され退任を決意した。が、それがもう少しだけ早ければ。

 

 一年前のトライウィザードトーナメントの最終日に、ダンブルドアを信じ、トーナメントの不手際の責任を取るという形で後任にその責任を押し付けていれば。

 

 デスイーターの大量脱獄のとき、自分の過ちを認めていれば。

 

 

 一年という期間を無駄にすることはなかった。アメリア・ボーンが不利な体制でバトンタッチすることはなかったのだ。

 

「……スーザン。そう悪いことばかりでもないよ」

 

 ハリーはスーザンをフォローした。無論気休めでしかないが。

 

「デスイーターの統率を取っていたルシウス・マルフォイは逮捕された。その上ダース単位のデスイーターが収監されたんだ。今彼らは立て直しの真っ最中の筈だ。勝負はここからさ」

 

「そうよね。……そう。オーダーの活躍のお陰でこちらにも時間的な余裕は出来た筈よ」

 

 スーザンとしては気が気ではないだろう。アメリア・ボーンは百戦錬磨の執行部部長であり、以前の大戦を生き残った戦争経験者だ。戦時下の魔法省大臣として何ら不足はない筈だ。

 

 ザビニはスーザンを元気付けようとした。

 

「……アメリアさんの大臣になって最初の仕事は何になると思うよ?やっぱりファッジの投獄か?」

 

 物騒な言葉にロンが驚いた。

 

「え、投獄?マジか?」

 

「僕たちの心情的にはそうしてもらいたいですよ。ファッジの行為は明確な利敵行為ですからねぇ……」

 

 アズラエルは冗談めかして言ったが本気で怒りがあるのも事実だった。ハリー自身ファッジに怒りはある。本当にもうそれどころではなくなったが。

 

 スーザンは、おばさまはファッジを罰しないと思うと言った。

 

「むしろ生かした方が都合がいいよ」

 

「……何で?」

 

 ロンが解説を求めるので、ハーマイオニーは一呼吸おいて言った。

 

「……魔法界は今、魔法省全体に不信感が蔓延しているわ。ダンブルドアを疑ったのは世間一般の人々だけど、その大衆の意思に流されてダンブルドアを校長職から追放したのは魔法省」

 

「ふんふん、責任はまぁ魔法省にあるな」

 

「……でも。いつまでも反魔法省の雰囲気が蔓延していたら仕事にならないでしょう?魔法省が敵と戦うことになる以上、味方に殺意を向けたって意味がないわ」

 

 ハーマイオニーはペットのクルックシャンクスを撫でつつ言った。クルックシャンクスは猫言語でハリーのペットのアスクレピオスと会話をしていた。

 

『すげーなあのネコ。ヒトの会話の内容がわかるらしい。俺より賢いやつに初めて出会ったぜ』

 

 ハリーはアスクレピオスの言葉に笑って返した。

 

『僕にとっては君こそこの世で一番賢いペットだよ、アスク』

 

「だからヘイトタンクとしてファッジを残しておくんだとスーザンは言っているのよ」

 

「ヘイトタンク……ようは晒し者か……」

 

 ロンはファッジにたいして少しだけ同情的になって言った。ハリーはロンがなぜファッジに同情的になるのかわからなかった。

 

「ファッジにそこまで同情できる要素があるかい?」

 

「その言葉をそっくりハリーに返すぜ。アンブリッジとかフィルチに入れ込んでたろ」

 

「珍しいわね、ハリーがロンに口論で負けるなんて」

 

 自身の黒歴史をほじくり返されハリーは沈黙した。ダフネは興味深そうにロンの話を聞いた。

 

 

「……ファッジはよー。ダンブルドアが怖かったっていうと違う気がすんだよな、なんか。他人事とは思えねーっつーか」

 

「え、そりゃ怖いでしょうよ。自分にコントロールできない戦力がフリーなんですよ?何とかして排除したくなるのは当たり前じゃないですか」

 

 アズラエルが言うが、ロンは違うねと言った。

 

「本当にダンブルドアが怖かったなら、ファッジはヴォルデモートにやったみたいに見ないフリだけをしてたと思うんだよ。……絶対に勝てないわけだしな。でも色々とちょっかいをかけてきて足を引っ張ってきたのは、ファッジがダンブルドアのことを怖がった以上に別の気持ちがあんじゃねぇかって思ってよ」

 

「……例えばどんな?」

 

 ハリーが尋ねると、ロンは言った。

 

「……嫉妬、とかじゃねぇか?ファッジは、自分にできないことを出来るダンブルドアに嫉妬したんだよ。アイツには逆立ちしたってヴォルデモート相手にして互角に立ち回るなんてできない。復活したって言うことも、今の地位を捨てることもできない。……でもダンブルドアならそれが出来るかもしれない」

 

「……それを認めちまったらさ。なんか自分がダンブルドアに勝てなくてちっぽけで、無意味なやつに思えるじゃん。だからダンブルドアが狂ってたってことにして、現実から目を背けたんじゃねぇかと思ったんだ」

 

 ロンの言葉は単なる憶測に過ぎなかった。しかしながら、コーネリウス・ファッジの一連の不可解な動きに対して一定の理屈がつけられるとハリーは思った。

 

「……結構いい線いってるんじゃない?占い学ならOを取れるかもしれないよ」

 

 ハリーがそう茶化したとき、コンパートメントのドアが開いた。

 

 ドラコ・マルフォイ、ビンセント・クラブ、そして、グレゴリー・ゴイル。デスイーターを親に持つ三人の同窓生は殺気すら込めた視線をハリーに向けていた。

 

***

 

「おう、なんか用かハゲ。ここにテメーらの席はねーぞ」

 

 ザビニがドラコに噛みつくが、ドラコは無視した。ドラコの暗い瞳はハリーだけを見ていた。

 

 神秘部の戦い以来、ドラコは日に日にやつれていた。

 

 当然だ。ハリーも当たり前だと思った。

 

 ルシウスの失脚は、ドラコがこれまでの人生で積み上げてきたもの全ての否定にも等しかったのだから。

 

「……父上を投獄した報いは受けさせてやる。この人殺しめ」

 

 ハリーに対して殺気すら込めながらドラコが言う。アズラエルが杖を出そうとしたが、ハリーは手で止めた。

 

「そうか。ヴォルデモートなんて君たち三人に比べたらたいした相手でもなかったね」

 

 ハリーは内心、自分に望んでいた言葉をかけてきたのがよりによってマルフォイであることが信じられなかった。なんという皮肉だろう。

 

 ハリーがヴォルデモートの名前を出した瞬間、ドラコ、グレゴリー、ビンセントの三人は明らかに恐怖に固まった。対するハリーの内心も穏やかではなかった。

 

 ハリーの言葉は皮肉も入っている。だが、三人と敵対し殺し合うことを内心で何より恐れていた。問題は三人にそれを知られ、三人を通してヴォルデモートに悪用されることだった。

 

 その可能性を考え、ハリーは徹底して、三人を取るに足らないどうでもいい存在として見下すことにした。ヴォルデモートにとっても利用するまでもない存在だと思ってくれれば、三人を将来的に殺す可能性はぐっと減るのだ。

 

 これが現実的に考えて無理な話だとハリーもわかっていた。ハリーの言葉は挑発的意味合いしか持たなかった。

 

「お前だけじゃない。穢れた血も、お前の養父も、血の裏切り者達も。この僕を裏切った報いを受けさせてやる、ポッター」

 

「……ざけんなよ、カスが」

 

「本当に最低の男ね」

 

 ハーマイオニーもロンも、この場の全員が心の底からドラコを軽蔑していた。唯一ダフネは目をつけられないように押し黙っていたが、それがかえって悪目立ちしていた。

 

「言うに事欠いて逆恨みかよ」

 

 ロンが吐き捨てるように言った。

 

「口だけなら何とでも言えばいいよ、マルフォイ」

 

 ハリーは警告した。しなければらなかった。

 

「でも。僕の仲間に手を出したら殺す」

 

 場が凍りついた。

 

(……そうならないでくれ、頼むから)

 

「……迂闊な行動は君たちのためにならないぞ」

 

 ハリーの脅しに恐怖し、ドラコ達が諦めるかもしれないという一抹の期待と、もう取り返しはつかないという諦めの気持ちがあった。

 

 ダフネが愛のために家族を捨ててまでハリーに着いたように、ドラコも家族への愛のために倫理観を捨ててデスイーターになったとして、それを責める資格はハリーにはない。

 

 そして、強いものに従うドラコの傾向から行って、ドラコがハリーに付くことはない。

 

 ハリーよりヴォルデモートの方が強いからだ。

 

 ドラコもグレゴリーもビンセントも、ただただ自分や仲間の命を護るためだけに障害として排除するしかないのだ。

 

(…………ドロホフやマグルのように殺すのか?マルフォイやゴイルやクラブを?同じ寮の……)

 

 

 家族、という言葉が頭に浮かんで出て、ハリーは悲しくなった。もうあのころ、ホグワーツに来たときとは何もかも違うのだ。

 

 ファルカスは志半ばで殺された。もう、ルナやコリンはファルカスの歳を越してしまった。

 

 ザビニは実の母親と敵対して殺し合い、母親を死なせることになった。

 

 ダフネは実家から勘当された。

 

 ドラコとクラブの父親は逮捕され、ゴイルの父親は指名手配を受けている。

 

 本当の家族がいる、いた筈の皆が酷い目にあっている。それなのに、ハリーの家族……ブラック家は無事なままだ。

 

 和解の余地などある筈もなかった。

 

 

***

 

 ザビニは目の前のドラコを見ながら、ロンの言葉を思い出していた。

 

『嫉妬してたんじゃねえかな』

 

 さらに昔、コリンがドラコへ言った言葉がよぎる。

 

『嫉妬してるんだ』

 

 母親の言葉を思い出す。

 

『全部あんたのためだったのに!!』

 

 ザビニから見て、ドラコがハリーに嫉妬していることは明らかだった。故意の殺人というデスイーターと同等の罪を犯しながら、ハリーは罪に問われなかった。

 

 そしてドラコの愛する父親は牢屋に入っている。ドラコがハリーの立場に嫉妬し、愛する父親のために道を誤ることは充分に考えられた。

 

 気付くとザビニの口からはドラコを止める言葉が出ていた。

 

「……おいマルフォイ。お前自分の言ったことの意味分かってるな。フィルチの末路はオメーも知ってるもんな」

 

 ザビニはマルフォイを罵倒せずに話す。ロンもハリーも、そして、アズラエルも驚いていた。ザビニは決まってドラコを禿げ呼ばわりし、散々に貶すからだ。

 

 無論非はドラコにあった。ドラコはザビニの母親のことを散々に貶してきたからだ。ドラコの方が先に。

 

「……デスイーターになって死んだら誰からも悲しまれねぇし哀れまれねぇ。知らねぇとは言わせねぇぞ。本物の負け犬として汚名だけが未来永劫語り継がれるだけだぜ」

 

「だから止めとけ。お前にはまだ金もあるし、受け継いだ資産もある。うまくやりくりしてりゃあ復権の余地もあんだろ」

 

「……この僕をお前の母親と一緒にするなっ!」

 

 ドラコがそう言った瞬間、ザビニとアズラエルのステューピファイがドラコとクラブを撃った。

 

「……二人を連れて帰れ、ゴイル。二度と来るな」

 

 ハリーは無言プロテゴ・ホリビリスでコンパートメントの内部を護り、ロンの追撃による過剰攻撃を止めた。もう語るべきことは何もなかった。ドラコとクラブを浮かせてコンパートメントから出ていくゴイルは、ハリーの顔を見向きもしなかった。

 

 

***

 

「……ハリー・ポッター。おまえに言っておかなくてはならないことがある」

 

 駅の待合室でハリーはアラスター・ムーディーと二人だけで会話していた。会話の最中、待合室の外から延び耳を伸ばしてきたジニー・ウィーズリーをムーディーは追い払った。

 

「……何でしょうか、ムーディ先生」

 

「……おまえはドロホフとマグルを殺害したことを悔いていると聞いた」

 

「……シリウスから現場についての話を聞き取り、そして。『例のあの人』と杖の共鳴現象が起きたとき。おまえはドロホフの霊に襲われた。そうだな?」

 

「ええ。そうですよ。それが何ですか?」

 

「……君に殺されたマグルの霊は、君を恨んでいたか?」

 

「!?」

 

「………………ポッターの側に立って、例のあの人に抗っていた筈だ。おまえがが気付いていなかっただけでな」

 

「……いや、そんな。そう言う問題じゃ……」

 

「そうだ。そう言う問題ではない。おまえは二人の人間の命を奪った。……だがポッター。視野を広げて考えてみるがいい」

 

「お前が気負うべきは奪ったマグルの命だ。……そして、今後似たようなことをお前の仲間が起こした時。お前はその仲間に死ねと命令するつもりか?」

 

「……い、いや。それは……」

 

 アラスター・ムーディーは歴戦の元オーラーらしく、部下を指導する経験に長けていた。長い仕事の間には、当然、過失によっていのちを殺めてしまった同僚や部下も数多くいたのだ。

 

「……おまえと同じように過ちを犯してしまい、自暴自棄になる人間がこれからも必ず出てくる。デスイーターのインペリオは卑劣な魔法だ。あれに支配されれば善人でも悪人となり、悪行を成してしまう。そして乱戦のなか余裕がなくなれば、操られただけの人間であったとしても関係はなくなるだろう」

 

 ムーディはこれから先起きる地獄を誰よりもよく理解していた。

 

「……そういうとき。そう言う瞬間のためにお前は生きるのだ、ポッター。同じ過ちを繰り返させないように努力するのか、……それともおまえが罪を背負うのか。やり方は、おまえに任せる」

 

「……すでにポッターは一人前のオーラーと遜色ない力を持っている。その力の使い方も使いどころも、ポッター、おまえに任せる。……アントニン・ドロホフを倒したおまえを信じよう」

 

 ムーディの言葉は正気の沙汰ではなかった。ヴォルデモートに操られた上、ダンブルドアが居なければハリーは確実に死んでいたというのにハリーを信じると言うのだ。

 

「ポッター。お前と話がしたいという人間がいる。ここで待て」

 

***

 

「……ドロホフの悪事を知っている人物を

連れてきた。……アーサーだ」

 

 カシュッと音を鳴らしてアーサーは缶コーヒーの蓋を開けた。徹夜明けらしく目の下に隈がある。アーサーはハリーにコーヒーを差し出した。ハリーは恭しくそれを受け取った。

 

 

 

「ドロホフのことを聞いたとき私が思った言葉がある。私と君と、アラスターだけの秘密にしてくれるだろうか」

 

「……分かりました。杖に誓います」

 

「……助かる。……正直にいえば、『当然の報いだ』と思った。……君が殺したと聞いてですら私の心のなかには、ドロホフの死や君の殺意のことよりそういう気持ちの方が強かったよ」

 

 アーサー氏がそのように話すのはただ事ではなかった。

 

「……ドロホフは私の義理の兄弟と、親族を皆殺しにした。プルウェット家だ」

 

 ハリーは衝撃で頭が追い付かなかった。

 

(……そういえば、ダフネがロンの両親について話していたことがある。……駆け落ちしていると言っていたような気がする。そのくせ血筋は純血だから皆目障りだと思っているって……)

 

「……あ、あの。……それは……以前の内戦の話ですか」

 

「……そうだ」

 

 ハリーは足元の感覚が無くなっていくような気がした。

 

 ハリーはウィーズリー家というものをよくは知らない。しかし、ロンやフレッドを見ていれば彼らが適度に愛され、笑いの絶えない家庭で育ったのだろうという想像くらいは出来る。そんなウィーズリー家が抱えるやみの一端に触れてしまったような気がしていた。

 

 知識としてハリーはその情報を得てはいた。しかし、以前のハリーには実感が欠如していた。ロンの姿から闇を感じとることなど欠片も出来なかったからだ。

 

 それは目の前のウィーズリー氏と、ウィーズリー婦人の努力によって成されていたのだということをハリーは今ありありと実感していた。

 

 ハリーはほとんど食べなかった朝食が胃からせりあがってくるような気がした。

 

「やつらはギデオンとフェービアンを殺し、次に二人に化けてプルウェット家に忍び込み、一族の人間を皆殺しにした」

 

 アーサー氏の口調が淡々としたものから、段々と苦々しいものに変わっていく。

 

「……私とモリーはお互いに恋に落ち、何度か喧嘩をしたりもしたが愛し合ってホグワーツを卒業したら結婚しようと決めた。……ただ、モリーの両親からは若すぎると反対された」

 

「……若すぎる?」

 

「ああ。……私もモリーも待てと言われたが、……私たちはそれは私たちを引き離すための口実ではないかと疑った。……結果的に二人で結婚することになったが、モリーの両親との折り合いはつけられなかった」

 

(……あー……あー……。……僕に言えることなんて何一つないな、これは)

 

 ハリーは自分の今の状況がアーサー氏のそれをさらに悪くしたものだと気づいた。

 

 ダフネは今後純血主義者達から徹底的に目の敵にされる。ザビニも、そして、アズラエルも同じだ。人は目に見える敵に対して不快感を感じるが、内から涌き出た裏切り者に対しては別種の怒りを感じるとハリーはパールヴァティーとラベンダーで学んでいた。

 

 アーサー氏を考えなしだと詰るのは簡単だ。だが、それを言う資格は少なくともハリーにはありはしない。

 

 代わりに、ハリーは事実を口にだした。

 

「勇敢ですね」

 

「……当時の私たちは、モリーの両親との亀裂をさほど残酷なものとは考えていなかったんだ」

 

 アーサー氏が話す間ムーディーは一言も話さない。ただし、魔法の目によって周囲を警戒し話が聞かれないように注意を払ってくれていた。

 

「……それこそ、二年か三年か。……相手の怒りが落ち着いて、私たちも分別がついて……そうしたら和解しようと思っていたが、そのきっかけを掴めないままずるずると時間だけが過ぎていった。ギデオンには怒られたよ。お前らもいい加減にしろと」

 

 ハリーはそう語るアーサー氏の語り口から、なぜか、フレッドがロンを叱りつけているところを想像した。

 

「……だが……私たちは永遠に和解できないまま終わってしまった。叱ってくれたギデオンも、呆れたようにこっちを見ていたフェービアンも、怒っていた義父も。ドロホフに殺され、二度と……話すことも出来なくなった」

 

「……僕も……」

 

「ドロホフのせいで命を落とした友達がいます。全部ではありませんけど、少しだけウィーズリー氏のお気持ちが分かります」

 

 ハリーがファルカスのことを話そうと思えたのは、アーサー・ウィーズリーが優しいだけの人間ではなかったからだ。

 

 苦しみもがき、喪失感と怒りを抱えながらもアーサー氏は優しさを失ってはいなかった。ただ、ムーディーの言うように、それを向けるべき人と相手を選んでいるだけだ。

 

 アラスター・ムーディーの教育は嘘と真実を織り混ぜながら人の心を誘導すると言うオーラーの指導だった。ムーディーはハリーに対して、こういう気持ちで臨んでいた。

 

『お前も今後はこうやって、落ち込んでいる仲間をケアしてみろ』

 

 と。ムーディーも、アーサーも。シリウスもキングズリーもトンクスもリーマスも、ヴォルデモートとの戦いにおいては砂粒でしかなく弾き飛ばされ消える運命にある。

 

 大人達は知っている。自分達が、いつ死んでもおかしくない存在であることを。ハリー達よりもずっと長い間ヴォルデモートの恐怖を実感してきたからだ。

 

 だからこそ、無理でも無茶でもムーディーはハリーには手本を見せることにした。それは子供への教育ではなく、悪くいえば少年兵の心を繋ぎ止めて、兵士を量産するための心の指導だった。

 

 しかし、その効果は確かにあった。アーサー・ウィーズリーとムーディーは打ち合わせをしていたわけではない。ただ、ムーディーはアーサーが適任であると見通し、事実今のハリーに手本を示したのはアーサーだった。

 

「……君は優しい人間になれる。そうなろうと思えば、人の痛みにも寄り添える人間だ」

 

 アーサーはハリーにそう語った。そして、言った。

 

「……ドロホフは倒れた。私とモリーの復讐に子供達を巻き込むことにならずにすんだ。それは全て君のお陰だよ、ハリー」

 

「……本当にそうでしょうか?」

 

 ハリーはアーサーに疑問をぶつけた。と言うよりも、アーサーがハリーを気遣って本音を明かさないことの方に苛立った。

 

「……ロンは……ロンは今回死にかけました。神秘部の脳みそに巻き付かれて脳に深刻なダメージを負って。ジニーもそうです。……生き残ったのは結果論でしかありませんよ」

 

(どうして怒らないんですか)

   

 

「それもわかっている。……だが君は、神秘部で倒れた私を救ってくれた」

 

 アーサーの表情は決然として、静かだった。

 

「純血派閥と敵対すると決めた時点で私とモリーには覚悟は出来ていた。……ただそれでも子供達のことは不安だった。そんなとき、ロンが君と友達になったと手紙をくれた」

 

「……ロンは君と会ってから変わったよ。みんなの背中を追いかけては、すぐに諦めての繰り返しだったあのロンがホグワーツに入ってから生き生きとしだした。手紙にはミス グレンジャーや君やミスタ・ザビニのことを書くようになった。君がスリザリン生だと聞くと、モリーは少しだけ心配したがね」

 

 アーサーの付け加えたジョークはウィーズリー家の鉄板ネタだったのだろう。だが、ハリーから何のリアクションもないことにアーサーは少しだけしょんぼりしながら言った。

 

「……二年生になり君がジニーの命を救い、三年生になってドロホフとデスイーターから皆を護ったと聞いたとき、私は確信したよ。ロンがホグワーツ特急で君の隣の席に座っていた日こそ、ウィーズリー家にとって最良の日だったと」

 

 アーサー氏はそう言ってから、こう付け加えた。

 

「私はもう君を疑いはしない。今後君に何があろうと、私は私の人脈で君や君の友人を支えると誓うよ、ハリー」

 

「……ありがとう、ございます……」

 

 ハリーはウィーズリー氏に頭を下げた。英雄、生き残った男の子。そう言われ続けてきたハリーだったが、自分の行動が誰かから認められ、口に出して褒められるのは嬉しいことだった。

 

 アーサー氏は大人であり嘘を使い分けられる人間だとわかっていても、その器のようなものにハリーは感銘を受けた。

 

 ハリーはシリウスがアーサー氏をことさらに評価していた理由の一端を朧気ながら理解した。シリウスは単に、アーサー氏がマグルとの関係に融和的だから支持していたわけではないのだ。

 

 その人となりに対して好感を持ち、敬意を抱いたからこそなのである。人間関係を構築する上で大切なものをアーサーは持っていた。それは簡単には測れない人間的な魅力のようなものであった。

 

 ハリーはコーヒーを飲んだ。アーサーから渡されたコーヒーは夏の熱によって少しぬるくなっていた。

 

***

 

「ハリー」

 

 ダーズリー家への出征が近づいていた。待合室を出たハリーは、シリウスとマリーダが自分を待っていたことに面食らった。マリーダはその腕に赤子のジェームズを抱えていた。ジェームズはホグワーツ特急から吹き出す色とりどりの汽笛を掌に引き寄せようと魔力を発していた。

 

「……シリウス。マリーダさん。それにジェームズも」

 

 

 ハリーは弱々しく微笑んだ。

 

「……暫くの間、お別れになります」

 

「……すぐ会える」

 

 シリウスはめっきりと老け込みながら笑って言った。

 

「ダーズリー家に対しては以前は散々迷惑をかけた。……だが、今回はそうはならん。以前にも増して厳重な警備体制を敷いた」

 

「ダング抜きで」

 

 ハリーが言うとシリウスはニヤリと笑った。ダングはあらゆる場面で汚れ役を押し付けるのに都合がいい男だった。

 

「ハリー。ジェームズにお兄ちゃんらしいところを見せてあげなさい」

 

 マリーダがそっとハリーに近寄ってきた。腕に抱えている赤子のジェームズをハリーに見せる。

 

「ええと……シリウス。何をすればいい?」

 

 しどろもどろになるハリーをロンやザビニが後ろでにやにやと笑いながら見ている。ハリーは今まで作り上げてきた威厳が壊れていくのを感じながらシリウスに助けを求めた。

 

「そうだな……ジェームズを抱いてやってくれ」

 

「えっ……いや……」

 

 僕なんかがジェームズに触れていい筈がないとハリーは言おうとした。しかし、後ろからザビニが囃し立てる。

 

 

「俺がやるように前屈みになって、右腕全体で尻を支えて……そうだ。で、左手で首と頭を支えてくれ」

 

「ウーッ……!」

 

 ジェームズは汽笛を引き寄せようとジタバタとハリーの腕の中でもがく。そんなジェームズの姿にハリーは一瞬、赤子の姿になったアントニン・ドロホフの姿を幻視した。

 

「……!!」

 

 ジェームズの小さな握り拳かハリーの首に触れる。ハリーはジェームズの息づかい、体温、そして、視線を全身で感じていた。

 

 夢の中のドロホフの掌とは違った。鼓動がある。赤子のジェームズは、生きる力を全身に漲らせていた。

 

「……」

 

 ハリーの瞳と、ジェームズの灰色の瞳があった。ジェームズは、ハリーを恐れてはいない。ハリーを恐ろしい怪物だと思っていないし、英雄だと思ってもいない。ただ真っ直ぐに、これは何だろう、誰だろうと不思議そうにハリーを見てくれた。

 

「……ありがとう」

 

 ハリーはホグワーツの五年生としての1日を、感謝の言葉で終えた。それ以外の言葉など浮かばなかった。

 

 

***

 

 アメリア・ボーンが一人暮らし用の拠点としていたマンションは、忠誠の術によって護られていた。

 

 ヴォルデモートは常々アメリアに目を付けていた。アメリアは先の内戦で殺害したオーラーにしてオーダーの一員、エドガー・ボーンの親族であり、執行部部長だったからだ。

 

 ファッジと違い堅実かつ着実に対デスイーター、反純血、反ヴォルデモートの政策を推し進めることは間違いない。

 

 だからファッジ政権下の役人をインペリオで支配し、アメリアの周辺を監視させた。そしてついに、ターゲットを見つけた。

 

 カクリコンという魔法使いをアメリアは忠誠の術の対象に選んでいた。ヴォルデモートの拷問に耐えきれず洗いざらい白状したその魔法使いは、口にだした瞬間に全てがどうでもよくなり、ヴォルデモートへの忠誠を誓った。

 

 ヴォルデモートが選んだ手は、奇襲であった。単騎、単独の。ヴォルデモートは自分を飾るアクセサリーとしての仲間を好んだが、真に頼れるのは己のみだった。

 

 ベラトリクスやデスイーターを伴わなかったのは、アメリア・ボーン相手に現在のベラトリクスでは分が悪いと踏んだからだ。ヴォルデモートが真に恃むのは己の魔法のみである。時間をかければアメリアはデスイーターの一人くらいは殺してくる。暗黒時代、そうやってオーダーやオーラーには何人ものデスイーター達を殺されたのだ。人手不足の今、無駄に人材を減らすべきではなかった。

  

 

「……アバダケダブラ(死に屈しろ)」

 

 アメリアの居城に足を踏入れた瞬間、けたましい警報が鳴り響く。アメリアが執行部の精鋭らしく闇の魔法使いに対する警戒体制を敷いていたのは明白で、時を待たずにここに増援がくる。

 

 ヴォルデモートはテレポートを防止する魔法を施している。アメリアはこの場所から逃げられない。そして、アメリアが用意した救援も駆けつけるまで一瞬の間がある。

 

 時をかけられないヴォルデモートはアバダケダブラをアメリアに撃ち、アメリアはすんでのところでそれを回避した。瞬間、ヴォルデモートの体が重たくなる。

 

 アメリアの所持していた、『公平の天秤』の効果である。

 

 魔法界の定める法に反した人間が天秤の効果範囲に足を踏入れた瞬間、天秤が罰を与えるのだ。

 

(……奪うか?)

 

 ヴォルデモートのコレクターとしての気質が顔を出し、ほんの一瞬だけ杖の動きが鈍る。無論、それはアメリアの策だ。

 

 執行部部長であるアメリアは、ヴォルデモートが持たざる者であると知っていた。過去ヴォルデモートに屈した、あるいは滅ぼされた一族がその財産や所有していた貴重な品物を奪われていることも当然知っている。

 

 だから目の前に、ボーン家の家宝をちらつかされれば杖の動きも鈍る。アメリアが過去何度も想定した対ヴォルデモートの攻略法だった。

 

 無言アバダケダブラを放とうとしたアメリアの杖はしかし、弾き飛ばされる。ヴォルデモートは杖なしでも魔法が撃てる。杖なしでエクスペリアームス(武装解除)を撃つことも造作もない。

 

(所詮こんなものか。呆気ないものだな)

 

 ヴォルデモートはそう思った瞬間、ぞくりと違和感を感じた。アメリアは中指を立てている。

 

(挑発ではない。ワンドレスマジックだ)

 

 ヴォルデモートは咄嗟に銀の盾を張った。銀の盾に鈍い音が響く。

 

(……噛み噛み白菜とは。古臭いがなかなかに味な真似をする。しかも透明化の魔法をかけて潜伏させていたか)

 

 アメリアの顔色が変わる。透明化された噛み噛み白菜が最後の策であることは明らかだった。

 

 ヴォルデモートとアメリアとの間には隔絶された力量差があった。それを埋め僅かな時間でも高度な魔法使いの攻防が成立しているように見えたのは、公平の天秤の力に他ならない。

 

「天晴れだアメリア・ボーン。お前にはこの私の秘術を披露してやろう」

 

 口調とは裏腹に、ヴォルデモートはアメリアに敬意を評してはいない。勝利が確定した今、アメリアを実験台にしようと企んでいた。

 

 ヴォルデモートはその肉体から魂を出し、アメリアに乗り移った。

 

「……『支配の天秤を私に献上しろ』」

 

 アメリアは抵抗し、抗おうともがいた。が、ヴォルデモートの命令に逆らえない。アメリアの持つ天秤が、ヴォルデモートの手に渡される。

 

(……ククク。……やはり、私の魔法に狂いはない。となれば……やはりあれはポッターかダンブルドアによるものか)

 

 ヴォルデモートは愉悦を感じていた。自身の力量が他の魔法使いと隔絶していることを改めて認識し、不調の可能性がなくなったことに安心する。

  

 そのまま支配の天秤がヴォルデモートの手に触れたとき。

 

 天秤は、音を立てて砕けた。

 

「くたばれ……犯罪者が……!」

 

 それがアメリアの最後の言葉となった。怒りに満ちた緑色の閃光が部屋に響いた後、マンションの上空には、闇の印が打ち上げられた。

 

 ヴォルデモートはこの戦いにおいて、アメリアの矜持に一杯くわされたと言える。しかし、レストレンジ家の拠点に戻ったヴォルデモートは愉悦を取り戻していた。

 

「……アメリア・ボーン。結局のところ、貴様はダンブルドアの指先にも届かぬ凡婦でしかなかったのだ」

 

「……マグル社会に近しい公平な社会の実現?英国魔法省システムの維持と運営?そんなものは、この私に比べれば取るに足りぬ些事でしかないのだ」

 

 アメリア・ボーンは政治的視野を持つ稀有な人材であった。それゆえに、ダンブルドアの支持者にもそうではない人物からも好まれ、対ヴォルデモートの大臣へと選ばれた。アメリアもまた、『選ばれたもの』であった。

 

 しかし。

 

「全てをダンブルドアに預けファッジを排除していれば、君の寿命も延びたであろうにな」

 

 勝利の美酒に酔い、ヴォルデモートはそうアメリアを愚弄した。

 

 

 現在の魔法界に、正義は存在しなかった。あらゆる正義は勝利の前に塗りつぶされ、勝ったものによって正義が作り替えられていく。

 

 暗黒時代の犠牲となるのは弱者ばかりではない。弱き者達を導くべき強者も、ヴォルデモートの前には弱者となってしまうのだ。

***

 




アメリアーッ!!!

これにて五章は終幕となります。お付き合い頂きありがとうございました。
シリウス生存、学生組、オーダーの主要メンバーも生存と大勝利のハッピーエンドですね()!
頑張れルーファス!ファッジのツケを支払うのはアメリア・ボーンじゃなくて君だ!
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