「ハーマイオニー!せめて箒に乗って入ろう!!」
ハリーは突撃するハーマイオニーを追いかけて、急いで箒に乗り込んだ。ハーマイオニーは、ハリーが止める間もなくアロホモラで次の部屋へと突入していく。彼女の姿はまさに、勇敢な獅子そのものだ。
『そういえば獅子は女性のほうがよく働くらしいよ。知ってたかい、ポッター?』
ハリーは今になってドラコの言葉を強く実感した。本気になった時のハーマイオニーを止められるのは、恐らくは自分のような蛇ではないのだ。彼女にはロンのような獅子の相談役が必要不可欠だったのだ。
ハーマイオニーは油断なく杖を構えて、片手に箒を持って部屋を見回している。ハリーは薄暗い部屋がよく見えるように、ルーモス(光よ)を上部に放って部屋全体を照らそうとした。
薄暗い部屋が明るくなってくると、部屋の奥に頑丈そうなテーブルと、形と大きさの異なるいくつかの小瓶があるのが見えた。ハリーがそれに疑問を抱くより先に、ハリーは背後から驚くほどの熱気を感じた。
「何だ?!」
驚いて後ろを振り返ると、紫色の魔法的な炎がごうごうと燃え盛って入り口を塞いでいた。炎自体に何らかの特殊な効果があるのか、それともホグワーツ城の魔法耐性を突破できなかったのかはわからないが、紫色の炎は入り口を燃やしているのに周囲に燃え広がる気配はない。
「ハリー。奥を見て。黒炎よ」
ハーマイオニーは冷静に杖でテーブルの先にあった扉を指し示した。杖の示す先には、奥に進む扉があった。しかし、その扉は黒く立ち上る不吉な炎で燃え盛っていて、とても近づくことなどできそうにない。
「これも罠だよね。僕たちをここに閉じ込めるための仕掛けだ。でも、最悪の場合は水で消せるかも……」
ハリーはまだ罠を楽観視していた。悪魔の罠がインセンディオで突破できたのなら、前と後ろの炎も、魔法で攻略できないだろうかと考えた。チェスのような形式的な罠や、トロル以上の怪物に不意に出くわすよりは、魔法で攻略できそうな罠でよかったと安心した。
「待ってハリー。テーブルに紙が置いてあるわ。……文章が書いてある。読んでみるわね」
そしてハーマイオニーはつらつらと書かれている内容を読み上げてくれた。この紙は、親切にもハリーたちに前進するための薬と、引き返すための薬の在りかを教えてくれていた。瓶の大きさは見ればわかる。一番大きな瓶と、一番小さな瓶のどちらにも毒薬はない。冷静に考えれば分かる問題だった。
(……右端から二番目と左端から二番目の瓶がイラクサ酒、イラクサ酒の左隣は毒薬で両端の瓶は種類が違う、つまり右端は毒じゃなく酒でもないけど前進はできないから……)
ハリーが答えを導き出すよりも先に、ハーマイオニーは七つの瓶のどれを選べば前進できるのか、答えを導き出していた。
「ハリー、これね!一番小さな瓶なら、黒い炎の守りを突破できるわ!!」
「あ……そうか、やっぱりそうだったんだ。うん、そうだね。……凄いねハーマイオニー。右端が戻るための薬だし、酒の位置と毒薬もヒント通りだ。小人の瓶と巨人の瓶のどちらにも毒薬はないんだからそれしかないよね」
授業の時と同じだった。先生が教科書にない問題を出したとき、ハリーが答えを導くより前に、ハーマイオニーは正解を導き出してしまう。ハリーは今まで一度もハーマイオニーに勝ったことはなかった。箒の乗り方以外では。
「すごいわ。これを考えた人は。これは魔法じゃなくて論理よ。パズルよ。大魔法使いと呼ばれる人って、論理の欠片もない人が多いの。そういう人は、永久にここで行き止まりだわ」
「そうだね。僕は小魔法使いだから、アグアメンティ(水よ)で突破できないかなって考えちゃったよ。きっと、それじゃダメなんだろうね」
魔法使いは魔法が使えるからこそ、魔法で何でもかんでもやりとげてしまおうとする。この罠は、それだけでは行き詰まるということを教えてくれていた。
「これを考えたのは、きっとスネイプ教授だよ」
「私も、そう思うわ。あの教授はときどき、あなたとスリザリンに対して論理的ではなくなるけれど」
「はは……」
ハリーは苦笑するしかなかった。ハリー自身が暴走するとき、特にスネイプ教授が理性的でなくなることは確かだったが、スネイプ教授は常にスリザリンの生徒だけを尊重し、贔屓する姿勢を崩さなかったからだ。
(自分が無視して一点もやらなかったハーマイオニーが罠を突破したって知ったら、あの人はどう思うんだろ)
ハリーは、ふとそんなことを考えた。
「スネイプ教授は君をもっと誉めるべきだったよ。授業でも、この石を守る試練でも君が一番の魔女だったんだから」
ハリーは心の底からそう思って言った。ハーマイオニーは、少し嬉しそうに眉をあげたが、やがてそっと悲しそうに目を伏せた。
「でも私、いい子ではなかったわ。スネイプ教授を疑って、火をつけてしまったもの」
「……僕を守るためにやったんだろ?なら、君のせいじゃないって」
「ううん。私も知らず知らずのうちに、偏見でものを見ていたのかもしれないわ。だってあの人は、魔法薬では素晴らしい能力を持った教授ではあったもの。普段の態度だけで人を判断するべきではなかった」
「……普段の態度だけでしか人は人を見れないと思うよ、ハーマイオニー。スネイプ教授が君への態度に罪悪感を持っていたとも思えないけど。スネイプ教授は誰よりスリザリンだから」
ハリーは言った。一人のスリザリン生徒として、スネイプ教授が、寮が違うというだけの理由ではなく、彼女がマグル生まれだから差別をして、減点したのではないかと疑ってしまうようなことはしょっちゅうあった。
「……いい年した大人のクセにね。守ってもらっといてなんだけど。これだけは確かなことだと思うよ」
ハリーは入学してから少しの間だけだが、スリザリン生として過ごした。だから、分かることがある。
「あの人は君を見ないようにして、君を遠ざけようとした。けれど、それが間違っていたってことをこの試練が証明したと思うよ。あの人は君がグリフィンドール生だからってだけで授業で減点さえしたけど、君がもしスリザリン生だったら、減点なんてしなかったと思う」
ハリーはダンブルドアが言っていた言葉を思い出した。機知に富む才能を、グリフィンドールとスリザリンは求めたとあの白ひげの魔法使いは言った。ハーマイオニーの能力がスリザリンの求める能力に重なることは当たり前だ。それなのに、寮が違うというだけの理由で、いや、下手をすればマグル生まれというだけの理由で、ハーマイオニーは正当に評価されてこなかったのだ。スリザリンに求められる薬学や論理的思考能力の才能を持っているのにだ。
「ハリー。あなたも今日は過激ね」
「……そうだね。ハーマイオニーほどじゃないけどね。ここで、本音を話しておきたかった」
進む薬は一つしかない。この先に進んでしまえば、戻る術はない。だからハリーは、ハーマイオニーに後を託すつもりだった。
「スプラウト、マクゴナガル、ハグリッド、フリットウィック、シニストラ、そして、スネイプ。トロルの試練が魔法生物学の教授だとすると、次はクィレル教授の防衛術だ。今までで一番の難易度になると思う。もしかしたら、もう例のあの人がそこにいるかもしれない。今本音を言っとかないと、もう言えないかもしれないんだ」
「……ハリー。この先には私が行くわ。私、これは自慢なのだけれど、一年生で一番魔法が上手いの」
ハーマイオニーは胸を張った。一年生に限定するだけ謙虚だとハリーは思った。
「知ってる。一年生ならみんな知ってるよ、ハーマイオニー」
客観的に見て、ハリーとハーマイオニーとでは魔法使いとしてはハーマイオニーのほうが上だった。魔法使いの強さは、使える魔法の多彩さ、つまり知識にも左右される。論理パズルをいち早くといた頭の回転の速さも合わせれば、ハーマイオニーを進ませるべきなのかもしれないとハリーは思った。
(確かにハーマイオニーならできるかもしれない。でも)
「ハーマイオニー。テストをしたとしたら、僕は絶対に君にはかなわないと思う。だけど僕には、そこそこの反射神経と、箒の腕と、エクスペリアームスがある」
ハリーは思いきってそう言った。
「この先にいるのが怪物なら、箒で空に逃げればいい。人なら、箒で上に飛んでからエクスペリアームスすればいい。僕は、……決闘だけなら、君にも勝てるつもりだよ」
ハリーは大言壮語したつもりはなかった。
ハーマイオニーの強みである知識量は、その積み重なりが大きくなればなるほど実力差が開いていく。ハリーが今言った手段も、ハーマイオニーなら対策を思いつくし、そのための魔法を会得するだろう。
しかし、今このときに限ってなら、自分が前に進むべきだとハリーは思った。ハーマイオニーをこれ以上の危険に進ませて、自分は引き返すという選択は、ハリーにはできないと思った。
「……けれど、ハリー。それは」
ハーマイオニーはその答えには納得しなかった。納得するわけにはいかなかった。
「あなたが辛いでしょう。あなただって怖いのに」
ハーマイオニーは勇敢だった。そして、友達の痛みを自分のことのように思える人間だった。
「……そうだよ。この先に進むのは怖いよ。だけどさ、ハーマイオニー」
「僕は、ハグリッドの管理する森を荒らして。僕の命を狙って、友達を傷つけようとしたやつが許せないんだよ。それに、僕は君に……友達に死んでほしくなんてない」
「私だってそうだわ、ハリー」
友情はハーマイオニーを説得する材料にはならなかった。当然だ。ハリーもハーマイオニーも、友情を犠牲にして、友を置いてきぼりにしてまでここまで来たのだ。
最後の最後で、本当に命の危険があるという状況に進む友を黙って見送れるはずがない。そんな雁字搦めなジレンマがハリーとハーマイオニーを襲っていた。
ハリーは胸を締め付けられそうになりながら言った。
「僕はここに来るまで、友達とか居なかったから……アスクレピオスとか、ドラコとかロンとか、君とかザビニたちに会えて凄く嬉しかったよ」
「私もよ。魔法にかけられたみたいだった」
「だから僕は、……側にいてくれた皆に、みんなに何かを返さなきゃいけないんだ」
「……」
ハーマイオニーは黙っていた。
「僕はどうしてか、生き残った男の子なんて呼ばれてた。魔法界でいろんな人が……シリウスが、僕のことを誉めてくれた。スリザリンらしいとは言ってくれなかったけど」
ハリーは今まで、誰にも言えなかった恐怖を彼女に打ち明けた。
「僕はスリザリン生だけど、スリザリンらしくないって色んな人に言われた。スリザリン自体が良くない寮だみたいに見られてることも知ってるし、実際良くないことをしてるやつも知ってる。だけど、それを見てなにもしなかったら、たぶんきっと何も変わらないんだ。もしだよ。もしも、僕が……スリザリン生が、スリザリンの恥みたいな例のあの人から石を守ったってことになれば、スリザリン自体の評判も、良くなるんじゃないかって思ったんだ」
ハリーは、いつの間にかうつむいていた。床の木板は、きしきしと軋む音がした。
「……ハリー!」
「!」
ハーマイオニーは大声でハリーの目を見た。ハリーの緑色の目は、ハーマイオニーの瞳と髪の間をうろうろとさ迷っていた。
「あなたはとても立派だわ、ハリー」
ハーマイオニーは、しっかりとハリーを抱き締めた。
ハリーはハーマイオニーが何を考えているのか分からなかった。ただ、少しだけどぎまぎして言った。
「最後まで、君には勝てなかったけどね。立派な魔法使いって、本当に色々あるよ」
ハリーは苦笑して、それからこう付け加えた。
「僕は偉大な魔法使いになりたくてスリザリンに入った。入って良かったと思うよ。だって僕は、そこで色んな人に出会えたんだ。優しくても臆病な奴とか、嫌な奴だけど友達思いの奴とか、本の虫だけど行動力のある子とか……」
ハリーは笑っていた。ホグワーツに来て一番良かったことは、ちょっとした会話に入れたつまらないジョークでも、笑えるようになったことだった。
「ハリー?誰のことかしら?」
ハリーの言葉に、ハーマイオニーはじろりとした視線を向けた。ハリーは気付かないフリをした。
「たぶん立派な魔法使いって、そういう人の良さとか悪さを見て、自分も……ちゃんと勉強して、必死に生きてる魔法使いのことだと思うんだ。君みたいにさ」
ハリーとハーマイオニーは、それぞれが持つべき瓶を持った。二人に迷いはなく、二人はそれぞれがすべきことを理解していた。
「ハリー」
ハーマイオニーが言った。
「また明日」
「うん。学校でね、ハーマイオニー」
ハリーは何でもないことのように言った。なんでもない今日を守り、何かが違う明日を迎えるために、ハリーは今日、命を懸けるのだ。
ハリーはハーマイオニーの説得に成功した。ハーマイオニーは、箒に乗って燃え盛る黒炎に飛び込むハリーの背中をじっと見送って、ロンの横たわる部屋に引き返した。