老いた獅子
***
ホグワーツの校長室でアルバス・ダンブルドアは萎びた手を見た。己の手に嵌め込んだ指輪と、禍々しく黒く萎びた手を見ながら、ダンブルドアは詫びるように言った。
「……すまぬ、アラスター。……ルーファス。……キングズリー、アーサー、……シリウス。……ハリー……」
「……犠牲を出さなければならなくなってしまった」
深い悔恨の念を抱きながら、ダンブルドアは指輪を見ていた。指輪はダンブルドアの後悔に答えるように淡く輝きを放った。
***
パーシー・ウィーズリーは失意のままに仕事に入った。そして、驚きのあまり上司に聞き返した。
「……異動ですか……?」
その日普段通り運輸部に顔を出したパーシーのデスクは綺麗に片付けられていた。パーシーに与えられたのは普段こなしている山のような仕事とは異なり、一枚の辞令。
「……詳しくは私も知らない。その紙に行き先は書かれてあるそうだ。ウェーザピー、今まで御苦労だった」
わざわざクラウチ氏の言葉で労いをかけてくるクロウリー氏に深々と頭を下げてパーシーは行き先を求めて移動する。
トイレの個室で確認した辞令にはこう書かれている。
『パーシー・ウィーズリーを本日08:00をもって運輸部の任を解き、大臣付執務室補佐次官とする。ついては08:20までに魔法省地下1.5階の106号室、デスイーター対策本部へ来られたし。
魔法省人事局局長 ソーマ・パーファシー』
パーシーが読み終えると同時に、辞令はボロボロに崩れ去った。
(……罠か……!?隔離された施設に誘き寄せるつもりなのか……?)
まずパーシーは手紙を闇陣営の放った罠かと疑った。勘当された身であるとはいえ、自分はウィーズリー家の人間だ。ドロレスの所業を告発した自分が今更大臣付きの補佐官になれる道理がないのだ。
あるとすれば、父親であるアーサーへの人質として服従の呪文にかけて操るというやり口だ。アーサーが自分のために動いてくれるとパーシーが思っているわけではない。ただ、闇陣営はそういった嚇しを多用すると歴史の授業で学んでいた。パーシーは他の学生と違い、ゴーストのビンズ教授の授業もしっかりと聞いていたのだ。
魔法省の地下一階は大臣の執務室があり、以前パーシーの勤務していたデスクもある。そして、地下二階は魔法法執行部があり、闇祓い局がある。
魔法省は地下一階から地下十階まで存在する。魔法省としての歴史が拡大すると共に地下は拡大し、公称にない空きの地下施設も増設されている。非常災害時用の物資を格納するための倉庫や、神秘部の研究用物資のうち危険度の低いものを格納するためにそういう空き部屋が存在しているのだ。
(…………罠だとしても……か)
パーシーは一瞬迷い、進むことを決めた。
1.5階などの空きの階層への行き方は関係ある階層の職員しか知ることはない。パーシーはエレベーターの中で地下一階のボタンを一度杖で強く叩き、地下二階のボタンを三回、杖でつついた。
エレベータ内部の絵画はエリザベス女王が銃を持っている写真を写し出していた。が、地下二階のボタンを叩いた瞬間、魔法使いが箒に乗っている姿に変わる。
「アパレシウム(出現しろ)」
パーシーは絵画に向けて定められていた魔法を唱える。絵画は音を立てて消え去り、エレベータの内部にさらにドアが現れた。1.5階という表示と共にエレベータが静止する。パーシーは即座に魔法でクッションを出して手にもった。
杖でオープンのボタンを押すと、パーシーは強引にエレベータから押し出される。押し出された衝撃で地面に倒れるが、クッションはしっかりと衝撃を受け止めてくれた。
「毎度毎度この仕組みだけは何とかならないのか……」
古すぎるエレベータには安全装置など付いてはいない。
当初の予定に無い拡張された階層へ出るときは決まってエレベータの内部から異物が押し出されるように放出されてしまうのだ。最初はプロテゴを張っていたパーシーであったが、ファッジの元にいたときなん十回と出入りするうちにコツを掴んでしまったのは幸運か、それとも不幸なのか。
廊下は蝋燭の明かりしかなく薄暗い。パーシーはレベリオによって周囲を明らかにする。101号室へ向けての左向き矢印と、110号室に向けての右向き矢印がある。
1.5階はエレベータを中心としたドーナツ形の構造になっている。パーシーは110号室に向けて歩こうとした。
「…………」
(いや。違うな)
記憶の中の1.5階では110号室へ向けての矢印は左向きだった。パーシーは右向きの矢印に向けて杖を叩く。
無言スペシアリス・レベリオだ。
隠蔽された仮初めの矢印は剥がれ落ち、101号室という本物の表示が現れる。
パーシーは己の記憶に従って106号室を捜し当てた。106号室の扉を慎重にノックしたとき、中で待っていたのは老いた獅子のような魔法使いだった。魔法使いらしいローブではなく、動きやすさを重視してかマグルのようにスーツで身を包んでいる。
「…………どうやら頭は悪くはないようだ。定刻通り。期待以上。E評価を与えねばならんな、パーシー・イグネイシャス」
「過分な評価を頂き恐悦です、スクリンジャー長官」
ルーファス・スクリンジャー。魔法法執行部の闇祓い局局長。魔法界の最精鋭であるオーラーの主。
そして、先のヴォルデモートの襲撃を受け命を落としたアメリア・ボーンに代わり、魔法大臣への就任が内定している魔法使いであった。カーテンに覆われた殺風景な会議室の上座に、オーラーのトップが座っている。
「かけたまえ、イグネイシャス」
***
「長官。私は辞令を拝命し、英国魔法界のために命を懸ける覚悟はあります。ですが……なぜ私をお選びになったのですか」
スクリンジャーはパーシーに対して、開口一番官僚として自分を補佐するよう言った。パーシーの口から出たのは疑問の言葉だった。
「長官を補佐する人材は山ほどいた筈です。ケビンやレオーネ達が……」
「……ケビンは職を辞した。レオーネ・パプリカは純血派閥であるから信用に値しない」
「職を?この状況でですか?……馬鹿な。ケビンはそんな男ではありません」
パーシーはスクリンジャーの言葉が信じられなかった。ケビンはファッジを補佐する間口癖のようにこう語り先輩風を吹かせたのだ。
『全ては魔法界のためだ。さぁイグネイシャス。今日も仕事だ』
と。
「君はケビンという男の表面しか知らないらしい。ケビン・マッキンリーには老いた両親がいたのだ」
「ケビンは……老いた両親の面倒を見たいと言って魔法省から離れた。……『自分はマグルの機械のように仕事をこなしてきた。だから今、人間に戻らせてもらう』と辞表には書かれてあった」
(ふざけているのか?)
パーシーはスクリンジャーの言葉を聞いている間、ケビンへの怒りが沸き上がってくるのを感じた。
(ケ……ケビン。あの人は……都合が悪くなった途端に逃げたのか……!)
ファッジの怠慢が明るみになった後、官僚として魔法省職員としてチームを支えるのがケビンの役目の筈だった。責任を取らされて罷免されるならばまだしも、責任を放り出すのは明らかに違うとパーシーは内心で憤る。
明らかに純血主義の影響を受けていたレオーネより、ケビンに対する衝撃は大きかった。人格、能力共に信頼をおいていたからこそ失望も大きいのだ。
パーシーは内心をオクルメンシーによって隠しながら言う。
「ミラー次官が居られます。次官であればファッジ大臣からの引き継ぎも容易に」
「ミラーはファッジ政権を存続させるために闇陣営に操られていた。インペリオによってルシウス・マルフォイに支配されていたのだ。」
そこでスクリンジャーの口から出た言葉は衝撃的だった。パーシーは掌から血が出るほどに拳を固く握りしめた。
「……何ですって?」
パーシーに思い当たる節はなかった。パーシーが仕事をしていた頃、同僚に支配の魔法がかけられていないか案じ、同僚の袖に護身用にこっそりとルーンを刻んでおいたのだ。
ルーンが薄くなっていれば闇陣営と接触があったとわかる。だから、ミラー次官がインペリオにかけられたなどあり得ない。
「……と言っても、ミラーは悪事をしたわけではない。インペリオをかけられ操られていてもミラーは優秀な男だった。なんの問題もなく政権の維持を遂行した……ファッジに対しては都合のよい言葉を言い、都合の悪い情報は一度しか言わない。……調査したインペリオの内容は『現状維持』だけだった」
「……この状況においては……敵に与するに等しい行為です」
「ミラーが支配の魔法を受けたのは、君が異動になってすぐだった。レベリオ」
スクリンジャーはパーシーに杖を向けた。パーシーには何の変化もない。スクリンジャーはにこりと笑った。パーシーが即座に杖を出したのを見て気をよくしたらしい。
「……イグネイシャス。お前は同僚の身を案じてひそかに護衛のルーンを刻んだ。……そういう頭の回る人材だからこそここへ呼んだ。少なくとも、有事に対する心構えは出来ているからだ」
スクリンジャーは杖を己のうしろに向けた。殺風景な部屋の中にあったカーテンが開かれ、二人のスタッフが現れた。
黒髪に黒のスーツを着た男性職員と、茶髪を短く肩で切り揃えた緑色のローブの魔女だった。茶髪の魔女がパーシーに笑いかけた。
「……ごきげんよう、イグネイシャス。……力を貸して。正直に言えば貴方が頼りよ」
「……オードリー?君が……?いや、確かに頼もしいが。一体どうして?」
茶髪の魔女はオードリーだった。執行部の魔女がここにいることに疑問の目を向ける。
「……まぁ……ややこしいことになっちゃってね」
オードリーは曖昧に笑うだけだった。
「……ミラーの一件からもわかる通り、魔法省内部の上級次官や局長クラスには闇陣営の接触があった可能性がある」
パーシーの疑問に答えたのは黒髪の魔法使いだった。やや童顔にも見えるが、話しぶりからしてそれなりの歳を重ねたベテランの職員らしい落ち着きが見える。
「……こちらのオードリーは今は亡きアメリア・ボーン部長が信頼し、見込みのある若手職員として候補に挙げていた魔女だった。他にも何人か候補はいたが……残念なことに、この部屋にはたどり着くことは出来なかった」
パーシーはオードリーを見た。オードリーはどちらかと言えば、気付いてしまったことを悔やんでいるようにも見えた。
「我々に必要な人材は、ただ正義感があるだけでは駄目なのだ。……こうした回りくどい罠や落とし穴に気付き、強かさと正義感の両方を備えた魔法使いでなくてはならない。君は長官のお眼鏡に叶ったと言うことだ」
「お褒め下さり光栄です。……私はパーシー・イグネイシャスですが、貴方の名前を教えて頂けますか?」
「……おお、そうだな。君とは初対面だった。私はステファン・ジョバンニ。『一夜漬けのジョバンニ』だ」
おどけたように黒髪の魔法使いは言った。スクリンジャーはステファンについてパーシーに説明する。
「ステファンは闇祓いで私の部下だ。大概のことは一晩あれば覚えてこなすが、ステファンには官僚をした経験はない。イグネイシャス、権限は与える。その代わり君が手本を見せろ」
オーラー上がりの官僚ステファンはお手並みを拝見するという風に笑ってパーシーを見ていた。パーシーの中で、再び心の火が燃え上がる。
(…………酷い。なんて酷い状況なんだ。)
業務を引き継ぐべきスタッフは全滅していて、信頼できるのはたった二名の若手職員と一名のオーラーだけ。ファッジ政権下よりも状況は悪い。
だが。パーシーはこれが最悪ではないと知っていた。
(……それでも、スクリンジャーは諦めていない。勝つために人を厳選して、手を打とうとしている。だからこそ……ここからなら巻き返せる!!!)
パーシーにとっての最悪。それはファッジ政権のもとで、何の手も打つことが出来ず現状維持に励むしかなかった日々のことだ。
周回遅れだろうが何であろうが、やるべきことを存分にできる。そう思ったとき、パーシーの目に光が灯った。
(……あ、復活した。水に浸かった海草のように!)
オードリーはそんなパーシーを見て喜んだ。官僚未経験のオードリーでさえ現状の不味さを認識していたからこそ、経験者であるパーシーが諦めていないというのは頼もしかった。
「承知しました。時間は有効に使いたいと思いますので、まず残っている仕事の確認からさせていただきたいと思います。ステファン、オードリー。報告を」
ステファンとオードリーから報告を受けたパーシーは、ケビンが自分にそうしたように自分の仕事をオードリーとステファンに見せ、ミラーがやっていたように業務の割り振りを行った。魔法省職員として、オードリーとステファンはパーシーの手並みをよく観察し自分なりに吸収していった。
パーシーの最初の仕事は、新しい魔法大臣の所信表明演説用の原稿を作ることだった。
***
ハリー・ポッターはラジオから流れる演説に耳を傾けていた。
プリベット通り四番地はつよい日差しに照らされていた。日曜日の昼下がりは、英国においては貴重な晴れの日であった。
ハリーは額から汗を流しながら庭の手入れのための草むしりに勤しんでいた。この夏の日差しを浴びた雑草達はペチュニアの手抜きもあってすくすくと育ち、ハリーの手を煩わせていた。
引き抜いた雑草の根から土を取り除いていると、ラジオから低く、そして、威圧感のある大人の声がした。ハリーは耳をそばだてた。
ラジオでは若手のDJがマグル世界におけるヒットソングを流そうとしていた。しかし、魔法族であるハリーの耳に届いているのはマグルの音楽ではなく魔法によって割り込まされたルーファス・スクリンジャーの演説だった。
この演説は魔法族とスクイブにしか聞くことは出来ない。マグルに対する認識阻害の魔法がかけられて秘匿されているのだ。
『……今日この場に立っているのは本来であれば、一人の友人だった。公正で、己に対して厳しく。この英国魔法界を背負って立つべき一人の友、アメリア・ボーンの筈だった』
(……考えるな。今は何も……)
ハリーは手に持っていた雑草を握りしめ、1ヵ所に纏めた。
アメリア・ボーン。魔法省法執行部の部長であり、ハリーの友人ザビニの恋人であるスーザン・ボーンの保護者だった人だ。
ハリー自身も自分が冤罪で罪に問われたとき、アメリアから弁護を貰ったこともある。英国魔法界がマグル社会のそれに比較して前時代的であろうと、可能な限り公正であろうとする善人。それがアメリア・ボーンだった。
『しかし、アメリアの命は奪われた。あの最低最悪の闇の魔法使い……『例のあの人』によって!!』
スクリンジャーは怒りによって声を震わせた。聞く者の心に訴えかけるような声だ。引き抜いた雑草を乾燥させながらハリーは額の汗をぬぐう。
『例のあの人のことを、我々とは対立する正義を掲げる義士族であると誤解する人間がこの英国魔法界においてもいまだに存在する。魔法界の保守思想の体現者であると。しかし、私は聴衆の皆様に今一度訴えたい。皆様には、今一度当たり前の事実を認識していただきたい』
『人殺しに正義などないと!』
ルーファスの演説が演技であれ、それとも本心であれ、その言葉は事実だった。ハリーは誰よりも、ルーファス・スクリンジャーの言葉を重く受け止めなくてはならない人間だった。
『私は選挙によって選ばれたわけではない。議会の指名を受けてウィザンガモット大法廷に立っている。私は、これまでの魔法使いとしての人生全てと、例のあの人の犠牲となったすべての人々に誓おう』
『この魔法界のすべての善人のために。他者を傷つけず、我々が守るべき規範を守るすべての者のために。マグルとの間に家族を持つすべての同胞のために。……己の全てをかけて例のあの人、そして、デスイーター達と戦うと!』
『……第33代英国魔法省大臣、ルーファス・スクリンジャーは。魔法省の総力と魔法界のすべての善意と正義でもって、闇の魔法使いに対抗することをここに宣言する!』
ルーファス・スクリンジャーはデスイーターとの対決姿勢を表明した。デスイーターの掲げる純血思想が魔法界全体においては良くないものとされながらも、これまでの魔法省はそれを黙認し、デスイーターだった者達と融和路線を敷いてきた。それとの決別を表明したのだ。
疑いようもなく、勇気ある行為だった。
『この演説を聞いているすべての方々にお願いしたい。……現在、英国魔法界は平時ではない。闇の勢力が暗躍し、アズカバンから脱獄した幹部の一部も未だに世に潜伏している。皆様は十分に注意喚起し、悪しき純血主義者がもたらす分断や悪意に気付いた者は恐れずそれを……』
ハリーが長靴の泥を水で洗い流しているとラジオからの音声はぷつりと途切れた。ペチュニアが冷たい声でハリーに言った。
「さっさとシャワーを浴びてしまいなさい。四時に来客が来るのでしょう」
「わかりました、叔母さん。……失礼します」
ハリーは反論せず素直に従うことにした。ペチュニアはそんなハリーの様子を不気味そうに見ていた。
ダーズリー家に帰ってきてから、ハリーはこれまでダーズリー家でそうしてきたように従順に、しかし慇懃に行動した。
ダーズリー家とハリーの間には断絶があった。切っ掛けは、ハリーが魔法使いであったことから始まる躾だった。躾は次第にエスカレートしていった。
自分で魔法をコントロール出来ない(そもそも自分が魔法使いだということすら知らない)ハリーが起こす不可思議な現象と、世間体を守りたいダーズリー家とではあまりにも相性が悪すぎた。次第に躾がエスカレートし虐待に至るまでに時間はかからなかった。
ここまでは、残念なことにマグル生まれの家庭に希にある話だ。しかし、ハリーにもダーズリー家に負い目はあった。
二年生の頃、ハリーは完全にダーズリー家を見限り嫌悪していた。これまで自分が受けた仕打ちが自分に対する愛情からではなくて、魔法使いに対する恐怖心から来る差別だと思ったときハリーは、ダーズリー家にやられたことをやり返したいと思った。
ダーズリー家、だけではなくマグル全体を憎んだことは今でもハリーの黒歴史になっている。自分の心の中の最も醜く恥ずべき感情は友達にも受け入れられず、ハリーは結局その感情が誤りだったと認めた。
とはいえ。自分がダーズリー家にとった失礼な態度が消えたわけではない。マグル全体への差別は良くないものだとハリーも止めたが、過去のあれこれに対する生々しいわだかまりを消化できたわけでもなかった。
ただ、今の自分がダーズリー家どころか社会にすら居てはいけない人間だとハリーは自分を戒めていた。だからダーズリー家では道具のように従順に自分を消して過ごすことにした。そうした方が、ハリーにとってもダーズリー家にとっても良いとハリーは思っていた。
シャワーを浴び、着替えて台所に来たときハリーは不思議なものを見た。自分のティーカップに冷えた紅茶が置かれている。ダーズリー家で今まで受けたことのない施しを、ハリーはどう受けとれば良いのか解らなかった。
***
「……どうやら、私はあまり歓迎されていないようだね。連絡のふくろうは飛ばしたのだが……」
「校長先生、どうかお座りになってください。今、紅茶を淹れますので」
ハリーは訪れたアルバス・ダンブルドアに紅茶を淹れようとした。紅茶はハリーが事前に用意していたものだ。ハリーが紅茶を淹れようとするのをダンブルドアは喜んだ。
「……それはありがとう、ハリー。……うむ、いい茶葉だね」
来客用の高級品はダンブルドアの口に合ったようだった。ダンブルドアはハリーに対して和やかに話しかける一方、縮こまって恐縮しているバーノン、ペチュニア、に対しては笑いかけはしなかった。
時折、ダンブルドアはダドリーに対して持参した菓子を勧めたもののダドリーは結構ですと首を横に振った。
(……あいつ、いつから敬語なんて使えるようになったんだ)
ハリーは驚いた。ハリーが嫌悪感からダドリーのことを見ようとしなかっただけで、ダドリーはダドリーで成長していたのかもしれなかった。
「……先生。僕はもう行く準備は出来ています」
「……うむ。……しかし、ハリー。行く前に少しだけ話をさせて欲しい」
そう言ってダンブルドアは射貫くような目でバーノンとペチュニアを見た。
「貴方達も知っての通り、英国魔法界は現在内戦状態にある。ヴォルデモートという闇の魔法使いが英国に戻ってきたのだ」
「……へっ?……??」
ダドリーが間の抜けた声を出した。
ダンブルドアの言葉にペチュニアがびくりと反応し、咄嗟にバーノンが支える。ダドリーは突如として明かされた事実を理解しようと必死で頭を回しているようだ。
「……十五年前。ヴォルデモートによってハリーの両親が殺害された日、私はハリーに対して時期が来れば両親の死の真実を話し、ハリーを己の子供のように育てて欲しいと書き置きを残した」
「……あなた方は私が望んだようにはしてくれなかった」
バーノンが何か反論をしようとして口を閉じた。ハリーはバーノンの本音も聞いたことがあった。バーノンが、魔法使い達のそういう無神経で非常識な対応に苛立っているのは明白だ。
(……どうする。……いや……でも……)
ハリーは一瞬葛藤したのち、ダンブルドアに言った。
「もういいんです、先生。その事は……過ぎたことですから」
「……ダーズリー家の皆さんは良くしてくれましたから。無関係なのに」
ハリーは自分でも一体何を言っているんだろうと思った。今を逃せば復讐の機会は永遠に来ないだろうと解っていた。しかし、今の自分に普通に生活しているだけの人間を見下したり、ましてや憎む資格などないとハリーは思っていた。
「……!」
無関係という言葉を出した瞬間、ペチュニアの目付きが変わった。スネイプがハリーに対して向けるような憎悪が籠った目だった。ハリーにとってはその方が気が楽だった。
「……どうやら……ハリーには優しさがあったようだ。……ハリーがあなた方のご子息と同じ被害を受けずに済んだことが何よりの救いだろうか?」
ダンブルドアの言葉は皮肉に違いなかった。バーノンとダドリーが口を開けてダンブルドアを見るなかで、ペチュニアだけは恥じ入るようにハリーから視線を反らした。
(……同じ被害……)
ハリーはペチュニアやバーノンが与えている被害を想像した。ダドリーに対する愛の過剰投与があったことは間違いない。
(……いや……貴方がそれを言うんですか?ずうっと知っていて放置されていたでしょう?)
ハリーはやはりダンブルドアに苛立った。心の内を明かしてダンブルドアの目を見たが、ダンブルドアはレジリメンスを使ってはくれなかった。
胸の中のもやもやが解消されないうちに、ハリーはダーズリー家を出ることになった。
「……それでは……お世話になりました。どうかお元気で」
ハリーはダーズリー家に対しては一線を引いて接することが出来たことにほっとしていた。これ以上自分の都合に巻き込んでいけないと解っていたし、自分が関わることでダーズリー家を壊すのが、恐ろしかった。
ダーズリー家の敷地を出てから、ハリーはダンブルドアの杖腕に掴まった。ダンブルドアの腕が黒く変色し、枯れ木のように萎びているのを見てハリーは不吉な予感に襲われた。
***
(えっ戦争?)
(えっ。両親が殺された?いや、えっ?)
(……いや、だったら何でそんなとこに行くんだよ。おかしくねぇ?)
ダドリーはぐるぐるとダンブルドアから明かされる言葉を反芻していた。もともと頭が良くないダドリーであっても、ハリーが目の前の怪しい爺さんのもとでろくでもないことに巻き込まれていることは理解できた。
ダドリーは去年、ハリーが自分を助けたのかもしれないと気付いていた。ダドリーはハリーと喧嘩をしようとした瞬間、ゾッとするような寒気がした直後、ジェットコースターに乗っているような衝撃が自分を襲い寒気から解放されたのだ。
ハリーが自分を脅かしたのかもしれないと思った。しかし、そうだとするならフィッグ婆さんがダドリーを介抱してくれたことと辻褄があわない。フィッグ婆さんはあの時、ディメンターだとかを口走っていたことも、ダドリーはトラウマと共に記憶していた。
寒気に襲われたとき、ダドリーは恐ろしいほどの虚無感にも襲われた。
自分はボクシングのジュニアハイチャンプになった。しかし、父親のように周囲とうまくやって会社を引き継いでいける自信などなかった。そのプレッシャーから逃げたいがためにボルキスらと組んで悪さをしたが、それが酷く情けなく恥ずかしいことだったと気付かされたのだ。弱い立場の人を殴ることは結局のところ、ダドリーの将来には何も寄与しない。ただただ自分自身を貶めるだけだ。
助けられた、と思うとハリーにはその借りは返さなければならなかった。しかし、ダドリーにはその返しかたがわからない。謝りたいと思った瞬間に、謝ろうが何をしようが許されるわけもないし、そもそもハリーがそれを望んでいるかすらわからないと気付いたからだ。
ダンブルドアの話もダドリーの理解の範疇を超えていた。自分はハリーに比べてはるかに大切にされ可愛がられていた自覚はあるからだ。
結局ダドリーはハリーに礼を言う切っ掛けを逃した。この夏休みにダドリーが出来たのは、ハリーに労働のあとの冷たい紅茶を淹れることだけだった。
***
「……あれから一年経って……色々なことがあったよ。……ああ、アズラエルは大丈夫だから安心してくれ」
ハリーはダンブルドアの萎びた手に捕まり、墓へブローディアの花を添えた。ラフへローの墓地に手向けられた花は、ハリーのもの以外にも五種類あった。墓で眠るファルカスにもっといい話をしたかったが、ハリーにはいい話題が思い付かなかった。
「……アズラエルは……スリザリンが皆から認められるように頑張っているよ。僕も……頑張るから」
ファルカスが得意だった預言にハリーは振り回されている。決闘は、それそのものがドロホフとの血生臭い闘争を呼び起こしてしまう。ファルカスがハリーの身を案じて教えてくれた闇の魔術のことなど、ダンブルドアの前で話せる筈もなかった。
「……もう少しここに居ようか、ハリー?」
「いいえ。校長先生、行きます。お時間を割いて頂いて、ありがとうございました」
ハリーは頭を下げてダンブルドアに感謝した。
「……次ここに来るのはヴォルデモートを殺してからです。その方がファルカスも喜んでくれる」
そう言った後、ハリーはふと昔スネイプ教授から言われた言葉を思い出した。
『輪廻転生は魔法族の概念ではない。マグルが産み出した妄想の産物に過ぎん』
英国魔法族は時には純血主義を、時にはキリスト教を信じて過ごす。ファルカスは純血主義ではなかったので、死後はきっと天国にいる筈だとハリーは思った。ファルカスは、人をその手にかけることはなく、決して自分の意志で傷つけたりはしなかった。
ならば自分の魂は死後はどこに行くのだろう、とハリーは思った。純血主義に背き、人を殺してキリスト教の教えにも背いたハリーは一体どこにたどり着くというのだろうか。
A.他全員辞めたから。