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「私の目が黒いうちは裏の集会で闇の魔術なんてさせません」
「わかった」
ハーマイオニーのその一言にハリーは一も二もなく従った。あまりにもあっさりとハリーが引き下がったのを見てハーマイオニーは拍子抜けしたようにまじまじとハリーを見た。
OWLに向けて一分一秒が惜しいコリンたちの目の前で闇の魔術を検証したところで何の益もない。何より悪影響であるというハーマイオニーの意見はもっともであった。
そこで、ハリーはダフネと共に保健室を訪れていた。
「……ハリー。良いのかしら?」
「問題ないよ。ポンフリー校医に要件は伝えてある」
事前にドビーを通して要件は伝えてある。
「いえ、そうではなくて。……ハーマイオニーに相談すべきではないかしら……」
ハリーはハーマイオニーに黙って行動することについては特に何も言わなかった。たとえ親友であっても言うべきことと言う必要のないことがあり、今は後者なのだ。
「ダフネ。話さなければ、やっていないのと同じだよ」
そう言ってハリーは医務室の扉をノックした。シノが顔を治癒されていた。シノの折れ曲がった鼻はポンフリー校医のエピスキーによってたちまち元通りに治ったが、シノは痛みに目頭を押さえていた。
「……やぁシノ。痛そうだね」
「ハリー先輩、ダフネの姉御もお疲れ様です。いやぁこれくらいは平気っすよ」
シノは強がってそうウインクした。ポンフリー校医の治癒魔法によって、シノの折れた鼻先は元通りになり見た目には何の問題もない。そんなシノに対して、ポンフリー校医はきつく言い含めた。
「問題ない、わけがありません。いいですか、ミスタ・シノ。今後2日間は箒に乗ることも激しい運動をすることも禁止します。もちろん、決闘クラブもです。絶対安静にすること!」
「……わ、わかりました……」
シノはポンフリー校医に凄まれたじろぎながら頷いた。陽気かつ楽天的なシノも恩人には逆らうことは出来ない。
「……一体どうして鼻に怪我をしたの?」
ダフネの問いにシノは苦笑いした。
「クィディッチ選抜試験の練習中にブラッジャーが鼻先を掠めたんです。まったく。あんな野蛮なスポーツに熱をあげる前に、皆命や身の安全に気を配って欲しいものです」
「ポンフリー先生の仰る通りです。」
ダフネが強く相槌をうつながでハリーとシノは視線を交わした。たとえ余人にはわからなくても、選手を志望する人間であれば解ることはある。
プレーの結果として起きた怪我や負傷は恥ではない。もちろんそこに至った経緯は重要だが、クィディッチをしていれば個人の怪我を気にしている場合ではない時は必ず一度は訪れるのだ。
「シノを試合で叩き潰せる日を楽しみにしてるよ」
「そいつは怖いっすね。……けど、先輩にそう言って貰えて光栄っす」
シノが医務室を出ていくと、ダフネはとんとんとハリーの肩を叩いた。
「……けれど、どうなの?ブラッジャーをかわせずに怪我をする選手が選ばれる可能性ってあるのかしら?」
「チーム事情とシノの力量次第だね」
ポンフリー校医はハリーとダフネのやり取りを微笑ましく眺めていたが、こほん、と咳払いをした。
「ミズ・グリーングラス。それからミスタ・ポッター。椅子にお掛けなさい。これからヒーラー志望者への指導を開始します」
ポンフリー校医はきびきびと動き、サッとカーテンを引いた。防音魔法のかけられたカーテンにポンフリー校医が魔法を施すと、異空間が形成される。
ハリーとダフネがポンフリー校医からの指導を受けることが許されたのは、ダフネとついでにハリーも進路志望でヒーラーを進路に考えていると言ったからである。
ポンフリー校医は教授ではない。ホグワーツにヒーラーを養成するための課程はなく、基本的にコンジュレーションや呪文学を学び、ジンクス、ヘックス、そしてチャームに対する反対呪文は対応する科目の教授から教わる。
しかし、ヒーラー志望者であればカースや、凶悪な闇の魔術に対する対抗呪文を知っておきたい、或いは知っているが試してみたい……と考える者が毎年必ず一人は存在する。ポンフリー校医はそうした若きヒーラーの卵を個人的に指導することもあった。
「……今回は……新しく発見された闇の魔術に対する対抗呪文を知りたい、ということですね。その魔術は?」
プリンスが残した闇の魔術の検証作業には専門家の助けが必要であるとハリーは感じた。が、本来闇の魔術対策の専門家であるスネイプ教授には何をどう足掻いたところでハリーでは頼れない。
そこでハリーが頭を下げたのは、ダフネが師事しているホグワーツ校医ポピー・ポンフリーであった。彼女は資格持ちの歴戦のヒーラーである。
ハリー自身、バジリスクとの戦いで片腕を失ったり、クィディッチの試合で箒から墜落した後ポンフリー校医の治癒によって事なきを得た。また前学期には神秘部の秘宝に触れ正気を失ったロンを完全回復させた実績を持つ。あらゆる闇の魔術や損傷に対しての経験を持つプロフェッショナルである彼女を頼ったのには無論訳があった。
「セクタムセンプラです、先生。この魔術は生命体に特化した切断呪文で、治癒を阻害する呪いが付与されています」
ハリーはセクタムセンプラの数式をホワイトボードに書いた。何十行にもわたるディフィンドの拡張魔法には、敵を失血性ショック死に追い込むためとしか思えない悪意が込められている。ポンフリー校医はこの類いのオリジナル魔法については見慣れているのか、顔色ひとつ変えることはなかった。
魔法使いであれば誰もが一度は、オリジナルの魔法というものを考え付く。大抵は既存の魔法の継ぎ接ぎであり、何の意味も効果もないものにとどまる。しかし、こと破壊や悪意に特化した場合このような魔法はいついかなる時代においても産まれ得る。
「こうした類いの闇の魔術はエピスキー(治れ)では治せません」
「……それで、ポッター、グリーングラス。このセクタムセンプラの反対呪文の検証がしたいということですね?その意味を理解していますね?」
ポンフリー校医は圧を強めた。ハリーは涼しい顔で受け流した。
「その通りです。実験用のモルモットを持ってきました」
ハリーが鞄から取り出したのは、まだ生きているモルモットである。ケージの中で動くモルモットにはあどけなさがあり、これから待ち受ける運命を感じ取ってはいない。
ハリーもダフネもモルモットの命を犠牲にすることについては最早割り切っている。一人一人と視線を交わしてそれを確認すると、ポンフリー校医はこくりと頷いた。
「…………。わかりました。『ヴァルネラ・サネントゥール』を使います。数式は……」
「先生。私、解ります。その魔法は昨年治癒書であったので覚えています」
ダフネは目を輝かせて言った。ダフネが虚空に描いた数式は、確かに何一つ間違いのない正確なものだった。
「……流石だね、ダフネ。解りやすいよ」
ハリーがダフネを褒め、ダフネが頬を赤くする姿を見てポンフリー校医は少し考えて待った。
「グリーングラス、念のために聞いておきますが、プロテゴは使えますか?」
「はいっ!」
ダフネはこれから行われることを確認するために固唾を飲んでハリーとポピーの杖を見守っていた。
「ではプロテゴを自分の周囲にかけなさい。ポッター。私が指示したら、ラットにディフィンドを使用しなさい」
「はいっ!」「はい。」
ダフネが張り切って答え、ハリーは静かにその時を待つ。目の前のモルモットはもう、ハリーにとっては考えるべきではない命だった。
ルナやハグリッドと共に命が育まれる様を楽しみながら、一方では実験のためにモルモットを惨殺する。矛盾しているが、それが今のハリーなのだ。命に対する愛と残酷さ、その両方を備えたハリーは酷薄であり、同時に人間であった。
「……無言プロテゴを習得したのですね。……よく頑張りましたね、グリーングラス?」
ポンフリー校医はダフネを褒めたが、その視線はラットに釘付けであった。
ハリーとダフネはその集中力をよく観察していた。ヒーラーが治癒をする、ということは、その命から目を逸らさないということでもあるのだ。ポンフリー校医は正しくヒーラーの先達として後進を導こうとしていた。
「ディフィンド(切り裂け)」
ハリーは赤い閃光によって容赦なくモルモットの左足を切断した。モルモットの悲鳴をハリーは無言シレンシオ(沈黙魔法)によって黙らせる。
「エピスキー(癒せ)」
ポンフリー校医の杖が素早く動くと、モルモットの切断された脚は見事に元通りにくっついた。ダフネが称賛の言葉をかけようとして、かけられない。ポンフリー校医の視線はまだモルモットに釘付けだ。
ハリーによって沈黙魔法をかけられたモルモットは哀れにも苦しみの中にいた。
ハリーはその命を奪うことに、残酷ではあるが、何も感じなかった。ハリーは杖を振り上げた。
***
(………………ホグワーツの生徒が。ここまで成長した、というのを喜ぶべきか、悲しむべきか…………)
ポピー・ポンフリーはハリー・ポッターとダフネ・グリーングラスの成長を感じ取り、複雑な心境であった。
ダフネは四年生の時にはポピーに己の夢を打ち明けていた。自分の家や妹のように苦しむ人間の痛みを和らげ延命することが出来るようなヒーラーになりたいと言う彼女を、去年ポピーは指導できなかった。言うまでもなく、ドロレス・アンブリッジの介入があったからである。
しかし、ダフネは超速の成長を遂げていた。無言でプロテゴを使いこなし、ディフィンドによって切断されたラットの足が飛び散らないようにロコモータによって静止させていたのである。
ポピーは後者は指示していない。ダフネは既に言われずとも治癒の経験を積んでいて、何をどうすればポピーがやりやすいか理解できているのだ。これ程喜ばしく、そして悲しいことはなかった。
ダフネ・グリーングラスは本来そのような成長を遂げるはずはなかった。戦争に巻き込まれたことでヒーラーとしての経験を積み、才能を開花させたのだ。
ドロレス・アンブリッジの介入によって積むべき経験を積めていないはずのダフネがここまでの成長を遂げたのは、ハリーたちと関わりダフネが努力した結果であった。
一人のヒーラーとしては、優秀なヒーラーの芽が育っていることがこの上なく嬉しい。
しかし、一人の教育者として……教育機関に携わる人間としては、戦争によって才能が開花したことがこの上なく悲しいのだ。
そして。ハリー。ハリーは魔法使いとして着実に成長を遂げた。闇の魔術も含めて。
今のハリーはよくも悪くも、魔法を武器として使っている。悪しき闇の魔術であろうが合法なディフィンドであろうが、誤射の可能性はない。長年ホグワーツに勤務しているポピーであれば、杖の動きだけで大体の力量を察することは出来る。
ポピーの目から見ても、ハリーの杖捌きは的確で淀みがない。闇の魔術を使っているにも関わらずだ。
慣れている。慣れすぎているのだ。あまりにも。
「セクタムセンプラ(常に切り裂け)」
ハリーの熟達は、戦闘によって。二年生の時にバジリスクを殺害して以来、ホグワーツで積んだ本来あってはならないはずの経験によって得たものだ。そう察するポピーは内心の葛藤を殺して手本を見せた。
「ヴァルネラ サネントゥール(傷を癒せ)」
「ヴァルネラ・サネントゥール(傷を癒せ)」
「ヴァルネラ・サネントゥール(傷を癒せ)」
ポピーの治癒魔法は確かに噴き出すモルモットの血液を押し留めた。歌うようにヴァルネラ・サネントゥールを多重詠唱しながら、ポピーは注意深くモルモットの命を繋いでいく。ダフネとハリーは固唾を飲んでポピーの杖の動き、詠唱の正確さ、そして放たれる魔力の緻密さを観察した。
その日、ポピーの指導によってダフネは初歩的ではあるが、ヴァルネラ・サネントゥールの基礎を修得した。ハリーの練習時にはポピーがセクタムセンプラを使用しハリーを指導した。ヴァルネラ・サネントゥールによる治癒も完璧ではなく、切断直後かつポピーであればモルモットの脚を元通りに吻合することも出来たが、ハリーとダフネではそうはいかなかった。
「焦ってはいけません。高度な治癒に必要なのは何よりも、正確な魔力のコントロールであり強烈な自制心です。貴方達が真に己れを律することが出来れば、セクタムセンプラによる外傷を治癒することも夢ではありません」
「……それには、弛まぬ努力が必要です」
何十匹というモルモットの命を犠牲にし、疲労困憊となりながらも、ダフネ・グリーングラスの瞳には輝きがあった。
「……先生。モルモットの遺体を頂けませんか?」
「何をするつもりですか、ポッター?」
「ペットの餌にします。自分の都合で犠牲にした命ですが、責任をもって自分が処理したいと思うのです」
「いいえ、それは赦しません、ポッター。エバネスコ(消えろ)」
ポピーはハリーの懇願に取り合わなかった。モルモットの遺体をエバネスコによって処理すると、ポピーはきつく二人に言い含めた。
「いいですか、ポッター。それからグリーングラスも聞きなさい。治癒魔法の熟達のために犠牲にした命は、責任をもってその場で処理するのです。……そうしなければ、遺体は疫病を撒き散らすのですから」
ポピーはきつく二人を指導した。するべきことをしっかりと最初に言っておかなければ、いつか取り返しのつかないことを引き起こす。それをポピーは知っているのだ。
部屋から出ていくハリーの後ろ姿を見ながら、ポピーはハリーの姿を薬学教授……否、現DADA教授に重ね合わせた。
「……闇の魔術に傾倒していなければ……」
(……いや。この思考はきっと逃避なのでしょうね……)
ポピーはハリー、そしてセブルスの姿を思い浮かべながら思考に耽った。
(……ポッターにせよセブルスにせよ。スリザリンの『目的のためならば手段を選ばない』というスタンスと……力への傾倒と信仰心があの二人をあそこまで努力させた。)
(……そのスタンスがあったからこそ、あの二人は魔法使いとして成長を遂げた。……闇の魔術への傾倒なくあのレベルに達することは……なかったかもしれない)
ポピーの読みはある意味では正しかった。
闇の魔術を早い段階で知ってしまった結果として、ハリーもセブルスも道を踏み外した。
しかし、知識を修得する上で、実力を上げる上で。自分の中に枷を設けている人間と、枷を設けていない人間とでどちらの方が修得が早いか、と言えば後者なのだ。
ゆえにスリザリン生は病みやすく、闇に傾倒しやすい。その代償として、彼らは力を手にするのだ。
その危うさを哀れに感じながら、ポピーはその日の仕事を終えた。
***
「すんません!楕円形のプロテゴを作るときに使う公式!あれ……あれを教えてくださいッ!俺、数占いは取ってないんです!試験で公式を書けって言われたら無理っす!」
「君は実技でプロテゴができるからいいじゃないか」
ザムザがそう言うと、シノはいやいやと首を横に降った。
「実技で出来ても公式が違ってたら落とされるっすよ。お願いします、ポッター先輩!」
ハリーはシノに対して快く答えた。一年前にも同じことを言った覚えはあるが、
「ああ、いいよ。楕円の公式をプロテゴに転用するためには自分か、指定したいものを原点として考えるんだよ、シノ。その目標物の周囲にどれくらいの範囲で楕円を展開したいかと考えたとき、必要になるのが君のわかってないaとbなんだ。まずaが」
「………プロテゴの有効半径に関わってくるんですね!」
「うぉ、コリンッ?何でおまえが来るんだ?」
次の日、決闘クラブでハリーはシノを指導していた。と言ってもシノは激しい運動を禁じられているため、楕円の公式を復習しているところである。横から割り込んでハリーの話を聞きに来たコリンによって場が騒がしくなるなか、ハーマイオニーはハリー達の様子を見て安心していた。
(……良かったわ。これで一安心ね。闇の魔術とは距離を置いてくれたみたいね。……シノとコリンには感謝しないといけないわ)
ハーマイオニーは知らない。
水面下で自分とハリーに関する根も葉もないうわさが出回っていることを。
(ああやって他のことをしている限り、ハリーが闇の魔術に触れることは無いのだし)
ハーマイオニーは知らない。
この思考がまったく見当違いであることを。
***
「ねーねーシュラ。インペリオで操った子達ってさー、どれくらいで依存症が取れる?」
「ふむ、どうしてそんなことを考えるんだい?」
「いや……殺さずに森の魔法生物を無力化するのは良いけどサ。麻薬みたいにフラッシュバックしたり依存症が出たら嫌だなって」
「インペリオに中毒性は存在しないよ、ルナ。でなければ、二年前に授業でインペリオにかけられた先輩達は今頃インペリオ中毒に陥っているところだ」
「そっかー。良かったぁ。……うん、本当に良かった……」
「彼も新たに仲間を見つけて群れに加わるか、そのままどこかで巣を作るだろう。我々が気にすることではないだろう」
ルナ・ラブグッドとシュラーク・サーペンタリウスのある日の一幕である。縄張り争いに敗れた森のトロルがハグリッドの小屋付近まで来たため、ルナはインペリオによってトロルを森へと追い返したのだった。
後にハーマイオニーは、後輩たちが闇の魔術に触れることは決してないというのは単なる思い込みであることを思い知ることになるのだが、それはまだ先の話であった。
闇の魔術を使えることが駄目なんじゃない。
闇の魔術を自制出来ないのがいけないんだ。
……そしてこの二次創作においてハーマイオニーがハリーや下級生を信頼できる要素は何もないのだ……。