日曜日。ハリーはダフネと共にホグズミードを訪れていた。念のために魔法によって髪は茶色かつ直毛剤によって癖毛を直しているが、ほぼ気休めと言ってよい。
ダフネは久しぶりのホグズミードということで気合いを入れたのか、魔法族のローブを捨て、お気に入りのハットにファー付きのコート、長く伸ばした髪をポニーテールにし、さらにハイヒールを装備して来ていた。咄嗟の時に機動力を確保するという意味では少々心配になる出で立ちであった。
目的地まで向かう間、人気の無い通りを歩く。休日のホグズミードに本来あるべき陽気さの代わりに、どんよりとした濃い霧が通りを支配していた。
目的地に到着して周囲を見渡し、本来ならば溢れかえっている筈の人影が無いことをダフネは残念がった。
「この美術館も閑散としているわね。……人気がない方が落ち着けていいけれど」
「うん。見てみようか」
ハリーは入口で入場券を購入し、ダフネはコリンから渡された入場券を受付に渡して美術館に入った。ダフネとこの美術館を訪れるのは三年ぶりであった。
ハリーがかつてアントニン・ドロホフに襲撃された美術館には、魔法族式の『動く絵画』とは別に、マグル式の動かない絵画も展示してあった。しかし、ハリーは見る絵が独特で、どこか先鋭的であることに気付いた。
端的に言えば、皆やかましいのだ。人物の肖像画はペラペラと言葉を紡ぎ、白鳥の絵は羽ばたきの音で展示室を満たす。落ち着いた雰囲気の美術館とは言い難かった。
「……マグルの絵画モチーフの絵が減っている気がする。ダフネ、僕の気のせいかな?」
「よく気付いたわね。気のせいではないわ。展示されている作品は全て魔法族のための絵になっているわね」
(……意外だな)
ダフネはどこか残念そうに言ったのでハリーは面白がった。
「君にとっては望ましいことじゃないの?」
「そうでもないわ。マグル式の動かない絵画は確かに魔法族基準では物足りないけれど……絵の優劣に誤魔化しが効かないの。グリザイアといったマグル絵画独自の強みもあるし、それにしかない良さもあることは確かよ」
「絵に関しては嘘はつけないみたいだね……ダフネ」
ハリーはダフネの肩を叩いた。視線の先に、緑色のローブを着た魔女二人組を見かけたのだ。
一人はダフネの妹、アストリアであった。アストリアは魔女らしく緑色のローブと、濃紺のマフラーを着込んでおり、マフラーにはグリーングラス家の家紋が記されていた。連れの魔女は同級生なのか、アストリアの蘊蓄にクスクスと笑いながら頷いていた。
ダフネは反射的にさっと部屋を出て、2階の展示室へと続く階段を上がった。やや動き難そうなダフネに続いて、ハリーも無言で階段を登る。
(……アストリアが元気そうで良かったね……とは言えないな)
ハリーもダフネもアストリアにかけられる言葉はなかった。
純血主義に対して杖を向けている現在、何を言おうともアストリアを追い詰める毒となる。下手な同情や労りなどアストリアにとっても煩わしいだけだろうというのは、ドラコを見れば嫌でもわかる。
ダフネはアストリアについては触れなかった。ハリーも何も見なかったことにして、2階の展示室を進んだ。2階に展示されている作品は、若き日のゴドリック・グリフィンドールがグリフィンドールの剣を手に、草原で休息を取っている姿が描かれていた。
時間の経過と共に、グリフィンドールの赤毛を映えさせる背景は移り変わっていった。絵の背景が朝焼けから青空へ、曇り空の昼下がりから闇と月の光が支配する夜へと変わる。ハリーの目には魔法族らしく、不可思議で面白い傑作に見えた。
しかし、ダフネの心はその大作を見てもあまり晴れなかった。
「……魔法族式の絵画のみに絞っているわね。闇陣営を警戒してのことだとしたら妥当な判断だけれど、真新しさはないわ。……芸術性や文化というものはこうやって損なわれていくのね」
「マグルの絵か。僕はこの絵は悪くないと思うよ……」
「マグル式の絵は誤魔化しが効かないのよ。動きや色合いを変えてデッサンの下手さを取り繕ったり、音で絵にはない情報を付加したりは出来ない。だからこそ、描いた人間の癖や技量が手に取るようにわかる……」
「深い話だね……」
絵についての談義を聞きながらハリーは何気なく周囲を見渡した。以前美術館を訪れたときは柱から異空間に引きずり込まれ殺されかけたが、今回は何の仕掛けも感じられなかった。代わりに、美術館の職員が展示された芸術品を無作法な客から守るために無言で柱の角に立ち尽くしていた。
ダフネの話が一段落すると、ハリーは職員の男性に話しかけた。男性はかなり年配の魔法使いだった。
ハリーは駄目元で話しかけてみた。折角ダフネがマグルの絵画を見たがっているのだ。無理なことは解っていても試してみたかった。
「あの、少し宜しいですか?以前ここで展示されていたダンブルドアとマグルの絵画について知りたいんです。……再展示の予定などはありませんか?」
「え?ハリー、流石にそれは……」
「大変申し訳ありません。その作品でしたら、現在再展示の予定はございません。……ああ、こんな時代でさえなければ!」
深々と礼をして丁重に断りをくれた紳士は、無念そうな面持ちで己のネクタイをぐっと掴んだ。
「……つい数ヶ月前までは、偉大なダンブルドアの業績を称えたいと独断で展示してこの場を華やかに彩っていたのですが。……嘆かわしいことです」
「独断?えっ?何かの間違いですよね?」
「館長の方針だったのです。……しかし……例のあの人が復活したとなればそういうわけにもいきません。何よりもまずはお客様の身の安全を優先すべきですから」
(いや……?まずはダンブルドアの許可を取ってからじゃないのか?肖像権とかないのか)
ハリーは心中で突っ込みを入れたが、ダフネは慣れていたので、敢えて魔法界の緩さについてはスルーした。
「ミスタ。すみません、ご無理を言ってしまって。そうですよね、こんな時代ですもの」
「……ただ……そうね、絵を見させていただく代わりに、あの絵についてもう少しだけ聞かせていただいても構いませんか?後学のためにも、ホグワーツの学生として偉大なダンブルドア先生の業績は知っておきたいのです」
「お若いのに熱心な方ですね。……そうですな、あの絵画。アレはダンブルドアからは展示しないでくれと言われていたものなのですが。……歴史的事実をこの世から抹消してしまうのは心苦しい」
「マグルに杖を与えたというあの絵がですか?」
ダフネは眉唾だと思っているようだった。ダンブルドアを持ち上げたい一部の魔法使い達がでっち上げたプロパガンダに違いないと思ったのだろう。
(……もしもあの絵が本当にあった話なら……)
「あの絵に描かれていたマグルは……どんな方だったんですか?」
「……英雄だと、館長は仰っていました。グリンデルバルドのもたらした暗黒時代を生きた当時の人々にとっての」
「…………?マグルが、ですか……?何の力も持たないのに……?」
ハリーは頷くことはできなかった。たった一人のマグルが何故魔法使い達からそう呼ばれたのか、全く理解が及ばなかったのである。
ハリーにとって重要なのは力であり、魔法だった。今のハリーが何よりも信じるのはまず魔法であり、愛は、二番目にあった。
***
「複雑?マグルがダンブルドアから認められたことが」
美術館を出たハリーはダフネにそう言われ、はっとした。
「僕が?マグルに?どうしてそう思ったの?」
「いいえ。何となくそんな気がしただけよ。きっと気のせいだわ」
ダフネはそう言いながらハリーを観察していた。
(当たらずとも遠からず、なのかしら)
ダフネはハリーがマグルに対してある種複雑な葛藤を持っていたことを知っていた。
ダフネは気付いている。
ハリーの境遇で、マグルのその全てを無条件に愛することは不可能であると。
まだ子供の頃、マグルが大嫌いであるとスリザリン生全員の前で言ったハリーの言葉をダフネは覚えている。今のハリーはそれ以上にヴォルデモートとデスイーターを憎み、嫌悪しているだけで。
ただ、ダンブルドアを含めた魔法界の全ては、ハリーやハリーを狙う闇の帝王を恐れ、ハリーを光陣営に置くためにハリー自身の葛藤やマグルへの敵意を無視して、都合よく親マグルへと誘導しているのではないか。そんな疑問がふと沸き上がり、ダフネはハリーに打ち明けて欲しくなったのだ。
「でも……ダンブルドア校長先生に認められるというのは、とても偉大なことよ。私達の世代でも、校長先生から名指しで認められたのは貴方とミス・グレンジャーくらいだわ。私は少し妬けちゃった」
通りを歩きながらそう話すダフネに、ハリーは不承不承ながら言った。
「僕はただ、何の力もないマグルが巻き込まれて生き延びられるとは思えないという当然の意見を言ったまでだよ。……それと、言い訳がましくなるけど」
「……マグルだって人間で、正義感だってあるし理不尽な目に遭えば怒るってことを僕は知っている。ダンブルドアに与して、協力者になろうって勇敢なマグルが居たならそれは立派なことだ」
ハリーはダフネというよりは自分自身に言い聞かせているように見えた。
「だから、僕の意見は差別じゃない。……能力の差で、区別しているだけだ」
そう話すハリーの瞳に、哀しみを感じ取ってダフネは何も言わずハリーの手を握った。
***
「誰と会うつもりなの?」
「入ればわかるよ」
ハリーは思いの外積極的なダフネに驚き、少しの間手を握りダフネをエスコートした。目的地のホグズヘッドには、待ち人がいた。小柄な老人と、少しくすんだブロンドの青年。ブロンドの青年はザムザ・ベオルブであった。
「……ようこそ、ハロルド。それから、そちらの御嬢様は……ダルクじゃったか。汚いところじゃがまぁお座り下され」
先に店で待っていた老人は自分の店ではないにも関わらずそう言った。老人と共に丸いすに座っていたザムザが椅子を引いてハリーとダフネに座るよう促してくれた。
「ありがとう、ザムザ。……バタービールを二つ」
ハリーはザムザへと礼を言ってから店主に注文をし、席についた。木製の椅子はこの数ヵ月の間に新調でもしたのか、以前よりがたつかず、座り心地も幾分かましになっていた。
「手紙でのやり取りはしておったが、直接会うのは初めてじゃったな。……愚息が世話になっておるのう」
「こちらこそザムザ君には何時も助けられています。彼はとても聡明な友人で、いつも僕に的確なアドバイスをくれます。例の炎の研究もザムザ君が居なければ形にはなりませんでした」
「ヒッヒ、そうじゃろうてそうじょろうて。何せザムザはワシの作り上げた作品じゃからのぉ。のぉ?有象無象の無能なホグワーツ生とは出来が違おうて!」
あまりの言動にダフネは一瞬不快そうに眉をひそめる。ハリーも事前にザムザから警告を受けていなければ怒っていただろう。
おぞましいことは、褒められたザムザが顔を綻ばせていることだろうか。
(…………子供を自分の所有物と考えているタイプか。あまり深い付き合いはしたくないな……)
ハリーは目の前に居るザムザの父親、ザボエラの姿にバーノンを連想した。支配型の毒親というのは目の前に見ると理不尽な不愉快さがあった。複雑な心境になりながらも、アンブリッジへしたように愛想笑いを浮かべ追従する。
「仰る通りです。ザムザ君の勤勉さを見るたびに僕も負けていられないと思いますから」
「そうじゃろうて……ぬぉっ!?」
悦に浸るザボエラ・ベオルブに、店主が魔法で運んできたウイスキーの飛沫が飛ぶ。ハリーとダフネ、そしてザムザのもとに置かれたバタービールには一滴の漏れもない。
明らかにわざとであろう。
(……この店主も結構良い性格してそうだ)
何の愛想もないホグズヘッドの店主に対してハリーは初めて好感を持った。
残念なことにザボエラは魔法使いとしてはかなりの手練れのようで、咄嗟に無言プロテゴで身体と衣服を護っていた。
「お見事です」
「これしきのことで褒めるには早かろうて。……しかし、そろそろ本題に入るとするかのう。」
ザボエラはウイスキーがやって来たのを見て、ごくりと喉を鳴らした。ウイスキーへと手をつける前に、ザボエラはハリーの目を見て話す。
「お主とザムザとが永遠の炎の習得を目指して研究していると聞いてワシはあれこれと世話を焼いてきた。しかしのう。このザムザはワシに肝心なことを話していなかったのじゃ」
「肝心なこと、ですか?」
「お主はあの魔法を人に向けるつもりだったんじゃろ?」
瞬間、ダフネはごくりと喉を鳴らした。キュ、キュッと店主が清潔な布で皿を拭う音だけがホグズヘッドに響く。
「まさか。誤解ですよ。僕はただ、永遠の炎を習得したという栄誉が欲しいだけです。そんなことは考えたこともありません」
「ヒッヒッヒ、そういうことにしておこうかのう?」
ザボエラの顔は笑っていたが、その瞳は油断なく品定めするようにハリーを値踏みしていた。
「ワシが永遠の炎習得の手助けをしようと思ったのはそれに価値があると感じたからじゃ。……しかし、ザムザが実現不可能な武器を持とうと無駄な労力を割こうとしておるなら話は別じゃ。ダルク……と言ったかのう。御嬢様は燃焼の三要素については答えられるかの?」
「……燃焼には……酸素と可燃物と、発火エネルギーがなくてはならない」
「左様。かつてダンブルドアはグブレイシアンの木の枝で永遠の炎を実現した。可燃物である木の枝を滅することなく、酸素と発火エネルギーを供給し続けたわけじゃ」
「……何故こうなるか?それは。永遠の炎が可燃物を完全には燃やさず存在させ続けるからじゃ」
ザボエラの指摘は真っ当で、正しかった。
そもそもダンブルドアが巨人族に永遠の炎の木の枝を贈った時点で気付くべきことであった。永遠の炎には燃やす対象を限定し延焼を防ぐ機能がある他、燃やしている対象が燃え尽きぬように保護する機能もついている。でなければ存在することは出来ないのだと。
「……このエネルギーを人に向けたとして、じゃ。……炎をつけられた対象は永遠に炎が点り続ける代わりに、死ぬこともなくただ燃え続ける。……最悪、全く無害な火がつくだけに終わる。今のままでは仮にお主らが永遠の炎を習得できたとしても、そうなる可能性が高いのじゃ」
サムザは父親について、かつてハリーにこう語った。
品性は下劣で低俗なダニ。
ただし、研究者としての業績と思考回路そのものは真っ当で学ぶべき部分も多くある、と。
その言葉が正しいことをハリーは気付いた。しかし、諦められない理由もあった。
「……ザボエラ先生の仰る通りです。その見識には僕たちではたどり着けませんでした」
ハリーはザボエラに対して深く頭を下げた。しかし、内心は荒れ狂っていた。
(……こ……この一年の研究は全て無駄だったのか……?)
(い、いや……一応炎を扱うことで火力は際限なく延びたし、コントロールも格段に上手くなった。無駄じゃない。今やっていることは……)
(……それでも……一度でも敵を炎で焼いて、それを永続させることができれば。無敵のヴォルデモートの身体でも勝ちの目が出るかもしれないんだ)
永遠の炎の習得と、攻撃性の付与。その両立ができなければ習得する意味がないが、攻撃性を獲得した時点で永遠の炎は存在しなくなる。その矛盾にハリーも気付いてはいたが、諦めたくはなかった。ヴォルデモート打倒の可能性を捨てたくはなかったのだ。
「ワシは所詮隠居した老い耄れじゃからのぉ。判断は若い者達に任せるとするわい。じゃがの、一言付け加えるなら……」
「研究は、期限を決めてやるべきじゃ」
ザボエラ・ベオルブは親として人としてはともかく、研究者としては真っ当であった。彼はハリーに至極当然の、しかし、しなければならないアドバイスをした。
「自分の思い付く限りのことを全てはやり尽くし、それでも行き詰まっている……それを『失敗』と呼ぶのじゃ。ハロルド、ザムザ。お主らはなぜ、マグルがワシらよりこの地上に栄えておると思う?」
「……数が多いから、失敗の数も多くて……他人の失敗を見た他のマグルが、成功のルートを模索出来たのだと思います」
「……ワシの話に沿って答えよ。ハロルドはどう思ったのじゃ?」
ザムザの答えもひとつの正解であるようにハリーは思えた。
「……限りある寿命の中で、期限を決めてやったから、ですか?」
ハリーにはザムザの言葉も間違いではないように思えたが、ザボエラはハリーの言葉に頷いた。
「ワシら魔法族は下等なマグルより寿命が長いばかりに、失敗したとき、それを認めることなくズルズルダラダラと時を浪費して、結局何も成せずに終わる」
「……下等なマグルにはそんな時間的な余裕はないからのう。駄目とわかったら思いきってやめ、別の研究に着手する。対してワシらは……駄目な道に突き進むと容易にそれを変えられん。失敗を認めず保留すれば、失敗したという事実から目を背け続けることができるからのう」
「うっ……」
ダフネがばつが悪そうに胸を抑えた。
「それができるか、出来ないかじゃ」
「……己の貴重な人生の一時間を割いてまで今やるべきことであるのか、それをようく考えてみることじゃ」
「ご忠告、痛み入ります。」
「構わんわい。ザムザはもう帰るとよい。ワシはここで飲んでいくわい」
ハリーはザボエラに礼を言って、ザボエラの飲み代も含めた代金を支払ってホグズヘッドを出た。
***
(……フリットウィック教授か……ダンブルドアに頭を下げておくべきだったのか?)
ハリーはこの一年の研究が無駄に終わりそうだという事実に恐怖し、内心焦りを抱いていた。
ヴォルデモートと己との圧倒的な戦力差が埋まらず、殺す手立てが見えない、というだけではない。努力そのものが間違っていたかもしれないというのは、流石のハリーであっても衝撃が大きかった。
「……君の話通りに研究者らしい人だったね、ザムザ。立派な人だったよ」
ハリーがザボエラを褒めると、ザムザは少し嬉しそうな、しかし、複雑な笑みを浮かべた。
「久々に父の研究者らしいところが見れたよ。……姉さんが失踪してからずっと酒浸りでね」
「貴方のお姉様……アグリアス・ベオルブ?」
「父は研究にも手をつけずにあちこちに張り紙を貼って姉さんを探したんだ。……最初の一月はまだ希望はあった。でも……ここ最近はもう戻らないかもしれないと思っているのかもしれない。……そういう考えから逃げたいんだ」
話しているザムザも辛そうで、ハリーは元気付けようと必死に言葉を絞り出した。
「君の姉さんの手掛かりはオーラーやオーダーも捜しているよ。……気休めかもしれない。だけど、まだ何もわかっていないんだ……」
「……ああ……生きてる、と信じたいよ、俺も」
そう話すザムザは、後ろを振り返った。
「どうかしたのかい?」
「いや、今先輩方を見かけて。でも、様子がおかしかったんだ。何か口論していた……」
ザムザがそう言った次の瞬間、女性の甲高い悲鳴が通りに響いた。
「いやぁーっ!!ケイティ!ケイティ!!助けて!誰か、助けて!」
ハリーは瞬時に振り向いて動いた。
グリフィンドールの深紅のローブに身を包んだ魔女が、正気を失ったような瞳で空中に浮かび上がっている。その魔女の顔をハリーは知っていた。グリフィンドールクィディッチチームキャプテンのケイティ・ベルであった。
夜空に浮かび上がるケイティの首回りに、銀色の何かが見えた。銀色の何かは美しく輝きながら地面に落下し、代わりに、ケイティは空へと舞い上がる。
「リベラコーパス(解放)!」
ハリーが唱えた魔法と、ケイティがかけられた何らかの呪いが干渉している。ケイティは空に浮かび上がりながら、恐怖と苦痛にもがいて足をバタバタと動かしていた。
「ディセンドマキシマ(完全降下)!!」
何処からか駆けつけたロンの魔法が上昇しようとするケイティを押し止める。彼女にかけられた呪いは弱まっていたが、いまだにケイティを蝕んでいた。
「……くっ!」
ハリーはロンと共にケイティの身体を抱き寄せてとどめようとする。触れたケイティの手は生きているとは思えないほどに冷たかった。
ハーマイオニーの声も聞こえた。
「フィニート(終われ)!!」
三人分の魔法が効果を発揮したのか、ケイティを上空へと押し上げる力が弱まるのをハリーは感じた。
ハリーはケイティを地面に横たえた。あまりにも生気がなく、ケイティの命はもう尽きる寸前であるように思われた。
「退いて!治癒するわ!」
ダフネのリベナイト(蘇生)魔法がケイティの体力を回復させ続ける間、ロンもハーマイオニーもケイティに呼び掛け続け、何とかケイティの意識をもたせていた。
「ハグリッドを連れてきた!」
「よし、わかった!よう頑張った!もう少しだ!もう少しの辛抱だぞ!」
ザムザが何処からかハグリッドを呼び、ケイティはハグリッドに背負われてホグワーツへと帰還していった。
ケイティを横たえた側には、美しいオパールの首飾りが地面に埋没していた。ハリー達は首飾りに触れぬよう慎重に浮遊させると、首飾りをホグワーツへ持ち運んだ。
***
ケイティ・ベルは入院のためにホグワーツを去った。辛うじて一命を取り留めたものの、彼女に与えられるべきだったホグワーツ最後の空はクィディッチのフィールドではなく、冷たいホグズミードの夜空であった。
「どうしてなのです……!なぜ、ケイティが……!」
グリフィンドール寮監督のマクゴナガル副校長は、教え子の悲運に拳を握りしめた。この時ばかりは、ミネルバも神を呪った。
「最後のクィディッチシーズンだったというのに。……プロ入りも控えていたというのに。これではあんまりです……」
ミネルバに己自身の苦い記憶が甦った。クィディッチ選手として最後の試合で、スリザリンのラフプレーによって選手生命をぶち壊された日が。
あんな思いをするのは自分で最後でよいではないか、と思わずにはいられなかった。ケイティ・ベルの症状は重く、彼女がクィディッチ選手としてフィールドに立つことは今年はもうない。
そして、ホグワーツにおいてケイティがクィディッチ選手となることは、もう出来ないのである。
マルフォイの汚名は積み重なるよどこまでも。