蛇寮の獅子   作:捨独楽

316 / 331
今回は研究者志望の学生にとっては耳が痛い話かもしれません。


アポリア

 

***

 

「……いよいよだな、ハリー……」

 

「何も変わらないよ。いつも通りさ」

 

 ハリーはザビニに対して気楽に返した。

 

 ハリーの心中は不思議と落ち着いていた。

 

 自分自身に死の運命があると直感的に理解したとき、ハリーはもっと動揺するものだと思っていた。しかし、なぜか涙すら出ないし、普段通りの生活を送ることも出来ていた。

 

 これは人間の心が持つ防衛機構がそうさせているのかもしれなかった。

 

 人は誰もが未来のために今を耐えている。今辛いことがあるのは将来への投資であり、辛いことにも耐え少しずつ前進していけば今よりも良い未来があると信じて、或いは、辛くても生きることは出来ると己を慰めて未来へと進んでいく。

 

 誰もが未来へと進んだ先に、死へと辿り着く。人はそれを意識して、或いはなるべく頭の片隅から追い出して今を生きている。

 

 己の先行きにおいて避けられない死がほぼ確定した時、それを大したことは無いと考えるのもまた人間なのだとハリーは身をもって知った。

 

 

 ザビニは頼もしそうにハリーの肩を叩いた。

 

「それくらいで丁度いい。俺はライデンとマファルダをからかってくるぜ。普段の威勢がぶっ飛んじまってるからな」

 

 ザビニはライデンに発破をかけに行くと、ハリーは自分のニンバス2001の状態を確かめた。

 

(……勝ちたい、な。勝たないとな……)

 

 ライデンとマファルダという後輩は言うに及ばず、キャプテンのアーカートや親友のザビニにとっても一世一代の大勝負である。彼らに報いるのは、勝利の喜びをプレゼントすることに他ならなかった。

 

 今日はクィディッチシーズンの最終戦であった。今日のグリフィンドール対スリザリンの試合において、グリフィンドールはスリザリンに対して220点差をつけて勝利しなければ優勝は出来ない。シーズン開始から勝ち星を重ねてきたスリザリンに対して、グリフィンドールはシーズン開始当初はケイティ・ベルの離脱もありとても見られた成績ではなかったからだ。

 

 シーカーであるハリーは余裕をもって試合に臨むことが出来た。

 

 グリフィンドールが現在一位のスリザリンを抜いて優勝するためには、スリザリンから七十点以上の点差をつけた上で、ジニーがハリーを出し抜いてスニッチを掴まねばならない。  

 

 しかし、スリザリンのチェイサー陣は七十点差をつけられるほど柔ではなかった。

 

 試合は一見すると一進一退の攻防を見せた。序盤、グリフィンドール・チームはロンの好守備もありリードの構えを見せた。スリザリンはザビニを中心に攻めの姿勢を見せ、グリフィンドールに点の取り合いを仕掛けた。

 

 敵が追い付けない速度でフィールドを縦横無尽に飛び回る展開こそ、箒のスペックに勝るスリザリンの最大の長所である。

 

 ロンが二度ファインプレーをしてスリザリンの攻撃を阻もうが、スリザリンはこぼれたクァッフルを拾い、三度目でゴールを取れば良い。ザビニのもと一丸となったチェイサー陣の執念が実を結び、グリフィンドールはリードを覆され、90対110でスリザリンが二十点差をつけたとき、ハリーはザビニの箒の端にくっついていたスニッチを視認した。

 

 グリフィンドールチームのビーターが反応するより前にハリーがスニッチを見つけられたのは幸運だと言ってよかった。ハリーは即座にニンバスを動かし、ザビニから離れようとするスニッチを左手で掴み取った。

 

「試合終了~っ!優勝はスリザリン!スリザリンの優勝でーす!あー、ちょい悔しいけどおめでとう!」

 

 実況のルナ・ラブグッドが祝福する声を聞いた。その後、ハリー達は試合終了の整列をし、グリフィンドールチームの面々と包容を交わした。グリフィンドールチームはじわじわと敗北の痛みが広がっているようであったが、すべての行程が終わったとき、まともに立っていられる者はごくわずかであった。

 

 号泣するジニーや、競技場に崩れ落ちるロンの姿を目の端に捉えた時には、ハリーはザビニやアーカートに飛び付かれて潰れそうになった。

 

「ハリー!ハリー!!やった、やったな!おい!」

 

 

「ち、ちょっと、落ち着いてザビニ……息が苦しい……」

 

 

「勝った……?勝ったんですね!本当に勝ったんですね、私たちっ!!やった天才の面目躍如ですよさぁ褒め称えて下さいませっ!」

 

「おい待てとまれマファルダ!今先輩の側に近寄るとスーパーで買った苺みたいに押し潰されるぞ!戻れバカ!!」

 

「ちょっと取り消して頂けますか!?バカとはなんですかバカとは!私を胴上げして下さい!」

 

「あっ潰れたっ!マファルダ!マファルダが下敷きになったぁ~っ!」

 

 

 さらに追撃してきたライデンやマファルダ、応援席から飛び出してきたスリザリン生達によってハリーは潰れた。人の波に飲み込まれたハリーの手の中のスニッチが逃げ出し、かけていた眼鏡が割れる音がした。

 

 スリザリン寮生が人目を憚らずに公の場で喜びの声をあげたのは昨年のヴォルデモート復活を魔法省が認めて以来、これが始めてであったかもしれなかった。ハリーはオルガに助け起こされ、さらに担ぎ上げられてグラウンドを一周する羽目になった。

 

 観客席にいたスラグホーン教授がハリーに手を振ったものの、隣にいたスネイプ教授はにこりともしなかった。ハリー達は観客席に向かってお辞儀をし、アーカート達と共に寮へと凱旋した。

 

***

 

 喜びの涙で沸き立つザビニとアズラエルは試合でのゴールについて語り合うと、ザビニは感傷に浸りながら早々に眠りについた。ロンは執拗にザビニの攻撃パターンを封じる策を取っており、それをかいくくるために動き回ったザビニの疲労はこれまでで最も大きかった。

 

 ハリーとアズラエルは友の安眠を妨げぬように静かにそれぞれのベッドに戻った。ハリーはマフリアートを使い音が周囲に漏れないようにして、クスシヘビのアスクレピオスを首に巻いた。

 

『アスク。もしも僕以外に飼われるとしたらどんな人がいい?』

 

『なんだハリー?俺の面倒を見るのが嫌になったのか?』

 

脱皮前の少し固くなった皮膚を擦るようにアスクレピオスはハリーの左手から顔の間を動き回った。蛇は、しゅっと小さな舌を出し入れしてハリーの鼻先を掠める。

 

『……いや。言ってみただけさ。僕以外に考えられないとしたら……その方が僕は嬉しい』

 

 ハリーの心の冷静な部分はこう考えていた。

 

(……ごめん、アスクレピオス。ごめん、ザビニ。ごめん、皆)

 

(……僕は最後までは一緒にはいけない)

 

 勝利の喜びを噛み締めるハリーは、やはり、自分が皆に報いられるものは勝利しかない、と思った。

 

 優しさや知識や教養、広がった人脈。スリザリンでやっていくために備えたスキルと、魔力と戦闘技術と闇の魔術という、ヴォルデモートを殺すために培った技術。

 

 それら全てを駆使して。

 

 ヴォルデモートを殺す。

 

 ただそれだけが、自分に関わって死んでいった人たちや愛する、あるいはハリーのことを愛していなくてもハリー自身が愛している人たちに報いることのできる恩返しだと思っていた。

 

(……こんなことは大したことじゃない。思い上がっていたんだ。僕は身のほどを知るべきだった。薄汚い人殺しが、誰かに幸せを与えられるわけなかった。……それだけの話なんだ……)

 

 勝利だけが、彼らに本来あるべき道や受けるべき称賛と名誉を約束する。そう思い、あるいはいいわけを繰り返してきた。

 

 しかし。ここにきて、ハリーはいよいよ後が、否、先がないことを自覚しなくてはならなかった。

 

(……死ぬにしてもやり方がある……準備はしておいた方がいい。ダンブルドアへ断りを入れて、預言の件については勘違いであった可能性が高いですと言っておかないと)

 

 自分がホークラックスである可能性が高い。そうハリーは気付いたからである。

 

 しかし、だからと言ってハリーは神秘部の時のように自殺を試みるわけにはいかなかった。

 

(……ああ、でも僕がホークラックスであるというのは僕の直感でしかないか。ダンブルドアは受け入れてくれるだろうか?それとも信じないだろうか)

 

 自分自身がトム・リドルのホークラックスであるという直感はほとんど確信に近いものである。しかし、客観的に考えたとき、他人から見てそう考えられる根拠が薄いことにハリーは気付いた。

 

(……ダンブルドアは……もしかしたら、最初から僕がホークラックスである可能性を頭に入れていたのか?)

 

(……でもだとすると、神秘部で僕を庇ったことの説明がつかない。あそこで僕もろともヴォルデモートを殺せば、ホークラックスひとつとうまくすればヴォルデモートの肉体を消滅させ、再復活までの猶予を確保できた……)

 

 ハリーはダンブルドアがハリーがホークラックスであると考えていたかどうか、判断がつかなかった。どちらもありうるのだ。

 

 ダンブルドアはハリーのギフテッド、パーセルタングがヴォルデモートの力であると考えていた。

 

 考えてみれば、可笑しな話である。

 

 

 

 

 

 

(……僕がホークラックスであると仮定すると、ダンブルドアがハーマイオニーやロンに提示した六つのホークラックスの根拠が乏しくなってしまう。……ダンブルドアも、僕がホークラックスであるという考えは排除して動いているかもしれない)

 

 ハリーはホラス・スラグホーンの記憶によって六つのホークラックスであるという根拠を得たということは知らない。そのため、足りない部分は己の想像で埋めるしかなかった。

 

(僕がホークラックスだとするなら、僕に備わったパーセルタングの才能にも説明はつく。ダンブルドアの推測が正しかったとするなら、僕のパーセルタングは先天的なものじゃなくてヴォルデモートの力に由来する後天的なものだ)

 

(……ホークラックスだからヴォルデモートの力を得たんだ)

 

 ハリーはほぼ確実に真実に辿り着こうとしていた。

 

(でも)

 

(……母さんの血とポッター家の血が混ざったことによる突然変異である可能性は否定しきれない)

 

 魔法使いの世界において、『才能は遺伝する』というの通説である。

 

 パーセルタングや預言の才能のようなギフト、血の呪いのような体質。それらの先天的な要素は両親や祖父などの遺伝が覚醒したものである、という考え方は特にスリザリンに根強い。

 

 しかし、マグル出身者であるリリーの中に蛇に対する親和性があり、ポッター家の血と混ざったことで化学反応を起こした、という可能性も否定は出来ない。

 

 マグルの遺伝子に蛇に対する親和性があっても、魔力を持たないがゆえにパーセルタングを獲得できなかったという可能性はあるのだ。

 

 

(……いずれにしても。僕は死ぬ必要がある。この前提で動こう)

 

 己の死を前提としたとき、ハリーの脳裏にシリウスとダフネの顔が過った。ハリーは胸の痛みを抑えるように、アスクレピオスの腹を撫でた。

 

(…………考えるな)

 

 死ぬ気で戦うということと、死ぬという前提で戦うことは似て非なるものである。

 

 自己肯定感が低いハリーでも、先に死ぬことがどれだけ身勝手で、残された者がどれだけ辛い思いをするかは身をもって知っている。両親が先に死んだことによって。

 

(よく考えろ。あの最低最強の人殺しを殺せる機会なんてものがそんなに何度もあると思うのか。その機会が訪れてようやく殺すことが出来たとしても、また復活されたらどうなる。同じ戦争を延々と繰り返すだけなんだぞ)

 

 ハリーは己の中に沸き上がってくる死の恐怖や、シリウス達に対する申し訳なさや、自分が死んだあとに起きるだろうデスイーター達の追撃によって仲間が受ける被害をひとまず脇に置かなくてはならなかった。

 

 それでもハリーの中にある人間的な生存本能が、自分が生きておいた方が良い情報を囁いてくる。

 

(ならあの預言はどうなるんだ?)

 

 と。それは抗いがたい生存本能であり、ハリー自身が呆れるほど醜い自己保身の欲求であった。

 

(大局的に物事を考えろ。とにかく、僕は死んでおいた方がいいんだ)

 

 

 ハリーは己の中のホークラックスを、例えば殺人によってホークラックスとして分離しようという発想には至らなかった。

 

 ホークラックスがヴォルデモートの魂をハリーという肉体に結びつけている技術である以上、ハリーの死がなくてはヴォルデモートを殺害することは不可能であるからだ。

 

 仮に他のホークラックスを破壊してヴォルデモートの肉体を消滅させることが出来たとしても、ホークラックスがこの世に一つでも存在するかぎりヴォルデモートが復活する可能性は残り続ける。

 

(ホークラックスを作成するつもりで僕の魂を分離したとして、ヴォルデモートの魂だけを分離するなんて不可能だ)

 

 仮にハリーが適当なデスイーターを殺害し、ホークラックスの作成に成功したとしよう。ハリー自身の手で、そのホークラックスを壊したとしよう。

 

 それでもヴォルデモートの魂は、ハリーの中に残り続けている可能性が高い。ハリーはそう直感していた。

 

 そもそもホークラックスとは、殺人という悪しき儀式によって引き起こされる魂のひび割れを利用した闇の魔術なのだ。

 

 闇の魔法使いの力が、闇の魔法によって分離できるなど思い上がりもいいところである。

 

 それではたとえデスイーターとはいえ命を無駄に消費しただけになる。

 

 全く意味がないのだ。

 

(……僕に下された預言……あれはどう説明する?)

 

 ハリーは自分に下された預言の意味を考えた。

 

(……闇の帝王は7月の末に産まれた子供に証を刻む。子供と帝王はどちらかがどちらかを殺す運命にある……それがトレローニ教授が下した預言だ……)

 

 トレローニの預言に関して大切なのは、預言の真偽そのものではない、とハリーは思った。

 

(……重要なのは。あのヴォルデモートがこれを信じていることだ。……ヴォルデモートが僕がホークラックスであることに……そして、僕達がホークラックスの秘密に気付いたと気付く前に、ホークラックスの全てを破壊しなくてはならない……)

 

 預言は解釈によって如何様にも代わる代物である。ハリーは、既に預言はその効果を発揮し終えたのではないかと考えた。

 

(……トレローニ教授の予言は。あくまでも、起きた後そうだったんだとわかる情報に過ぎない。そもそも、赤子の時に僕は一度ヴォルデモートを『殺した』。それで預言は成就した、と解釈することもできる)

 

(預言を信じて僕が生き続けるより、僕が死んでヴォルデモートの不死身を剥がすことの方がずっと重要なはずだ)

 

(……後の問題は死に方だ)

 

 ハリーが現時点での自殺を思い止まったのは、そもそも今死んだところでダンブルドアとシリウスの立場を危うくするだけであると思ったからだ。

 

 内戦の最中に、一部では英雄だと騒がれている人間が自殺するなど士気を下げるだけの自慰行為に他ならない。だからハリーは、なるだけ冷静に考えられるだけの可能性を考えようとしていた。

 

 それは単なる現実逃避である。ハリーの思考は、自分の命をどれだけ有効に消費して勝利に貢献できるかにシフトしようとしていた。

 

(今すぐには死ねない。……ヴォルデモートとの戦争で戦って死ぬのがベストかもしれない。それなら不自然もない……)

 

 そうハリーは結論付けた。そう考えるに至ったのは、ロンやハーマイオニーの戦って死ぬことを栄誉と捉えるグリフィンドール的思考からである。

 

 ハリーが戦った上で戦死すれば、ハリーの友人であるアズラエル達は世間から後ろ指を指されることはない。少なくとも、光陣営の一員として扱われるだろうという計算はあった。

 

 

(……僕が死んでもハーマイオニーがいる。アズラエルも、ザビニもいる。裏の集会が、僕の後を引き継ぐ……)

 

 そう思ったハリーはしかし、肌が粟立つのを止められなかった。

 

(……でもその次は?ハーマイオニーが居なくなったらどうする?誰がダフネを守ってくれる?ザビニならうまくハーマイオニーともやっていけるだろうけど、ダフネにそれが出来るか?)

 

 それは恐怖であり、不安であった。

 

 ハリーから見て、ハーマイオニーの決闘者としての実力はハリーには満たない。とても優秀で、裏の集会においても一線級であるし、ダンブルドアからの信頼も厚い。

 

 だからこそ、最も死にやすい。狙われやすい。穢れた血として、標的になりやすい。ハリーの死後に生き残って欲しいと願っても、死んだ後のハリーには現世に干渉する術などない。

 

 共に肩を並べ、背中を預けて戦える仲間が多いことは、ハリーにとっては幸運である。そして護りたい存在が多いことは、ハリーの弱点でもあった。

 

 無論、仲間を死なせないようにギリギリのところまで守る覚悟である。しかし、戦いの中でハリーが手練れのデスイーターやヴォルデモートに殺されて命を落とすことは確定しており、高確率で前線にいるハーマイオニー達がその場に居ないとは考えがたかった。

 

(……まだ……駄目か……?)

 

(……僕の想定はまだまだ甘い。……犠牲を減らすための考えだなんて想定が甘いのか……?)

 

 ハリーは試験対策の勉強に取り組む手を止め、ぐっと背伸びをした。背中に滲む汗を感じながら、ハリーはふう、と溜め息をついた。

 

(……誰かに相談がしたい。僕は、大切な可能性を見落としている気がする……)

 

 ハリーは自分が思い至った可能性に関する考察で頭が一杯であった。しかし、それをザビニやアズラエルやダフネに打ち明けることは出来なかった。

 

 打ち明ける勇気が持てなかったのである。

 

(………………僕は考えが浅すぎた。自分が強くなればなにかを護れると思っていた……)

 

(……でも……僕自身の限界にぶち当たったとき、それで終わる。闇の魔法使いはそういう生き方なんだ)

 

 スリザリン的な後ろ向きな思考が、ハリーに勇気ではなく臆病さをもたらしていた。

 

(……見落としている可能性はないか。僕の考えだとさっさと死んでおいた方がいいはずだけど……)

 

 ハリーは仲間に打ち明けることもできず、立ち止まってしまった。これまで何度も高い壁にぶつかり行き方を変えたり、妥協によってハードルを下げたことはあったが、進むべき道が閉ざされたのは始めての経験であった。

 

***

 

「フリットウィック教授に相談したい話があるのです。大変申し訳ないのですがお時間を頂けませんか?」

 

「では木曜日の七時に研究室に来なさい。熱心な生徒に、見せたいものがあります」

 

「ありがとうございます」

 

 試験まで残り二週間を切ってからそう持ちかけてくる困った教え子に、フリットウィック教授はにこやかに対応してくれた。

 

「失礼します」

 

 木曜日の七時に研究室の扉を開いたハリーはフリットウィック教授と向かい合う。小柄な教授は専用の長椅子に座り、ハリーより高い位置に目線を合わせていた。

 

 

「今日はいったいどんな用件で来たのかな、ハリー?」

 

「……実は研究で行き詰まりを感じていまして。身勝手な話なのですが、教授のアドバイスを頂きたいと思いまして……」

 

「行き詰まり?」

 

「……そうですね。……今僕には、二つの理論とそれに沿った選択肢があります。一つ目の理論に従って研究すれば事態を好転させる可能性はありますが、僕にはその理論を実証することが出来ません。」

 

「……そして二つ目の選択肢は、予めその道の権威によって保証された道です」

 

「その理論は一定の根拠に基づいたものです。過去はその理論に基づいて一定の成果を挙げてはいますが……」

 

 

「……僕はそれを信じてはいません」

 

 フリットウィック教授は凍りつくように冷たい目でハリーを見た。フリットウィック教授がこのような視線を向けるのは初めてのことであった。

 

「ハリー。具体的な内容について触れないのは私のことを信用していないからですか?それとも、話す価値も無いということですか?」

 

「言うまでもないことですが、君がどんな理論に基づいて行動しようとしているのかを聞かなければ私にも判断のしようがありません」

 

「万が一君が一つ目の選択肢によって安易に外道な手段を選択するつもりなら、それは看過できません」

 

 フリットウィック教授の厳しい視線がハリーへと突き刺さる。ハリーはプレッシャーを感じながら、深く頭を下げた。

 

「……話さないのではなく、今は話すことが出来ないのです、教授」

 

 それがフリットウィック教授を虚仮にしたような言動であるとハリーは気付かなくてはならなかった。貴重な時間を割いて貰ってまで話すことではない。フリットウィック教授は困惑と呆れ、そして、怒りを滲ませたため息をついた。

 

「……昔、優秀な魔法使いがいました。彼はマグル学を専攻していましたが、それ以外にも魔法生物の飼育や呪文学、独自の言語学などの才能に秀でた生徒でした。ちょうど、今の君のように」

 

「……その方は今何をしておられますか?」

 

「命を落としました。己の独り善がりに身を任せ、最短の道を選択しようとした結果として彼は若くして帰らぬ人となりました」

 

 フリットウィック教授らしからぬ辛辣な言葉であった。

 

 基本的に、フリットウィック教授は怒ったことはない。生徒が魔法に失敗するのは仕方のないことだし、生徒のやらかしで吹き飛ばされようが教室の机が吹き飛ばされようが、自分の教え方がまずかったのだろうと笑って済ませる豪の者である。個人主義のレイブンクロー出身らしく、よくも悪くも生徒の行動に干渉することはない。

 

 そのフリットウィック教授がそれでもハリーに面と向かって指導する。その意味は重い。

 

 これはハリーが熱心な部類の生徒であるからこそでもあった。

 

 基本的に、ホグワーツにおいては寮監は寮生に対してすらあまり干渉しない。そういう不文律が存在する。

 

 重要な科目を担当する教授であっても、自分から聞きに来ない学生に対しては指導はしない。

 

 

 なぜなら、するほど暇ではないから。ホグワーツ教授は、教師であると同時に研究者なのである。

 

 近年学会を騒がせたホグワーツ教授の論文ではスネイプ教授のものが挙げられる。ハグリッドがスクリュートの群れに関する論文を、スネイプ教授がウルフスベーンやスクリュートの尾から抽出した毒素に関する論文を提出した。

 

 少し考えればわかることであるが、論文の執筆と授業の用意、さらに、生徒の指導などを一人でやっていてはとても時間が足りない。論文を執筆するような教授は、生徒に無駄な時間をかけたくはないのだ。

 

 教授陣は自分の授業を取った学生に指導できる時間があれば御の字だ。だから、自分から聞きに来たという点でハリーはまだ指導できる部類の生徒ではあったのだ。

 

「……君が私と何らかの議論をするつもりであったにせよ、私に教えを乞うつもりだったにせよ。詳細を話すのは人として最低限の筋だとは思いませんか?」

 

(この言葉が届いてくれるだろうか……?)

 

 と、フリットウィック教授は半ば望み薄だと思いつつハリーを見た。

 

 ハリーは姿勢を正して、目をそらさずフリットウィック教授の言葉に一言一句耳を傾けていた。

 

(……聞く気はある。そう、ハリーは聞く気はあるのです。…………実践するかどうかはともかくとして……)

 

 フィリウス・フリットウィックは眼前の教え子の扱いには困っていた。

 

 フィリウスの教え子のなかで、ハリーは最も呪文学に長けた生徒の一人と言ってよかった。かつてのクィレルのように独自の言語魔法を持ち、呪文学においても高い資質を持つが、一人で突き進むとどこかでとんでもないことになる。

 

 そんな危うさが、フィリウスにとっては眩しく、そして心配になる。

 

 呪文学はあらゆる魔法に共通する基礎である。コンジュレーションによって変化させた物体の動きや、魔法薬作成時の大鍋の撹拌、流体や液体の制御、火を灯した時の微細な温度の調整、日常生活のありとあらゆる場面で呪文学のエッセンスは必要になる。

 

 だからこそフィリウスは、ほとんどの生徒が呪文学のOWLを突破できるようにと懇切丁寧に指導する。

 

 そしてOWLの壁を越えた生徒に対しては、その努力を認めてより高いレベルを要求する。それがフィリウスのやり方である。

 

「……教授の仰る通りです。ですが僕は……教授を巻き込んでよいものかと考えていました」

 

 

 ハリーは深く頭を下げた。申し訳なさで頭が上がらない。

 

(……何をやってるんだ僕は?結局教授を巻き込むことになるのに……?)

 

 ハリーが抽象的な言葉でアドバイスという名の無茶振りを求めたのは、ハリー自信が自分で考えているよりずっと追い詰められていたからであった。

 

 自分では冷静なつもりでも、ハリーはまるで冷静さを欠いている。それでもフリットウィック教授を頼ったのは、ハリーにとってフリットウィック教授こそホグワーツにおける恩師であったからである。

 

 ちなみに、ハグリッドはハリーにとってのホグワーツにおける母である。

 

「……僕が教授の見解を伺いたいのは、以前お話した錬金術における……『完全な物質』に関する議論についてです」

 

「以前話していた、ゴブリン達が造り上げた品についてですか?」

 

 フリットウィック教授はハリーが以前頼ったときのことをよく覚えていた。

 

「はい。……恥を忍んで、どうか教授にお尋ねしたいのです」

 

「なぜ今更になって遠慮するのですか?」

 

「……それは……この研究は……世界にとって必要なものです。ですが、一般的には悪と分類される類いのものであるからです」

 

 ハリーは肝心な部分に関する言及を避けた。己がホークラックスであることは勿論、ヴォルデモートが魂を分割してホークラックスを作っていることも本来はトップシークーレットなのだ。

 

 これは一見するとおかしな話であった。

 

 単なる一学生でしかないハーマイオニーやロンやハリーやダフネやアズラエルやザビニらが世界の命運を分かつ知識を持ち、ホグワーツ陣営に所属している責任と実力のあるマクゴナガルやフィリウスらがその知識を知らないという矛盾。物事に責任が付随する真っ当な組織であれば、あり得ない采配である。

 

 だからこそ、ダンブルドアはハリー達にその知識を明かした。

 

 大人であれば誰もがマクゴナガルやフィリウスらをダンブルドアの懐刀であると疑い、ハリー達は使い捨ての下っ端として重要な情報を持っていないと読むからだ。

 

「ハリー」

 

 フリットウィック教授は驚くほど優しくハリーに言った。

 

「確かに君がその知識の答えを得ずに一般的な倫理観に従えば、世界にとってはその方が有益だったのかもしれません。ですが……」

 

 フィリウス・フリットウィック教授は、同期のミネルバ・マクゴナガル教授と対をなす人物であった。組分けの際にマクゴナガル教授はレイブンクローとグリフィンドールの間で長い時間帽子との問答を繰り返したように、フィリウスもまたグリフィンドールとレイブンクローのどちらを選ぶか帽子と議論した。

 

「議論を行い考えの矛盾を洗い出すのも必要なプロセスです。己のうちに無い可能性、まだ見当していない見落としが無いように議論する。それをせずにどうして正解と不正解を見分けるのですか」

 

 そしてフィリウスは、智を選択した。ぎりぎりのところで、知識と知恵を重視するレイブンクローの教授であった。

 

「研究者であれば……いえ、研究者に限った話ではなく、どんな人間でもそうです。ハリー、君がたとえ研究以外の道を選ぼうとも、人は『己の考えが間違っているかもしれない』という可能性を常に頭の片隅に置いておかなくてはいけません」

 

「間違いを認めるのは難しいことです、教授。大勢の命がかかっていれば、尚更……」

 

(あっ僕言い訳したな……)

 

 ハリーはスリザリンらしい腐った言葉を口に出した。フリットウィック教授に対しては取り繕うことはできなかった。

 

 ハリーには、己が過去、そして現在進行形であえて最悪の選択肢を選んでいるという自覚はあった。ハーマイオニーに対して積むべき誠実さを放棄したのがその最たる例である。

 

 その事をハリーは内心で後ろめたく思っているからこそ、真っ当な正論に対して反論し心を守ってしまったのである。

 

「間違いと不正解は違います。……魔法省にいたどこぞの権威主義者達のように、どうあっても己の間違いを認めないことこそ不正解であると言えます」

 

 

「……教授の仰る通りです。返す言葉もありません」

 

「ハリー。一度物質化した魂の分離が可能か、という問いについてですが……完全な物質化に成功した魂をその入れ物である物質から引き剥がすには、入れ物である物質そのものを破壊するより他に方法は無いでしょう」

 

(……だろうな……)

 

 フリットウィック教授の言葉にハリーの内心は深く沈む。

 

「それはやはり、魂が物質と結び付いてしまったからですか?」

 

「そうです。錬金術によって一度この世に存在した物質と魂を引き剥がすという工程は、分解から再構築というプロセスを経ることになりますが……」

 

「……物体が分解によって失われる瞬間、魂もまた失われるのです。物質と魂は魂魄として一体となって初めて意味を成すのですよ」

 

 このフリットウィック教授の言葉は、二つの情報を示していた。

 

 ホークラックスを破壊すれば、中に込められたヴォルデモートの魂も死ぬということ。

 

 そして。フリットウィック教授には与り知らぬことだが。

 

 ハリーという器が死に壊れれば、確実にヴォルデモートの魂のひとつを葬り去ることが出来るということだ。

 

「……しかし、解せませんね」

 

 フリットウィック教授は厳しい目でハリーの頭の先から掌までくまなく探るように見た。

 

「……魂を破壊したいと君は言いますが、自分で作成した物品をわざわざ壊すという意味がわかりません。……壊したあと、何を新たに造り上げるつもりだったのですか?……いえ、そもそも何を作るつもりだったのですか?」

 

(……自分です)

 

 とはハリーは言えない。

 

「……そうですね。……御伽話の杖ように世界を守れるような杖……或いは、皆を危険から遠ざけることが出来る防具でしょうか」

 

 ハリーは真実を含めながらぼかして言った。確かにハリーはアバダケダブラを逃れる防具を作りはしたが、それは今は関係がなかった。

 

「……ハリー……」

 

 フィリウス・フリットウィックは言葉に詰まった。

 

 皆を危険から遠ざけたいというハリーの言葉に嘘はない。人を集め秘密結社を作ったが、そうやって集めた仲間を守りたいという気持ちに嘘はないとフィリウスも痛い程わかった。

 

 ハリーの瞳には何か、並々ならぬ決意があった。それは悪しきものではない。しかし、だからこそフィリウスはハリーの行く先が不安でならない。

 

「……あまり……思い詰めてはいけませんよ」  

 

(……こんな言葉はハリーの心の慰めにはならないでしょうが……)

 

 フィリウスはハリーの希望をへし折ってしまったことを薄々察しながら言った。

 

「物事には前提となる条件があります。物質化したものを壊せば魂は壊れますが、逆に言えば壊れにくくするという対策が立てられますし……」

 

「前提としている条件を見直せば、今よりも良いものを造り上げることは出来ます」

 

「……そうですね。教授の仰る通りです…」

 

(……前提条件か……ホークラックスが生命に適用されるという前提がなければ、もう少し話は楽だったんだけどな……)

 

 ハリーは半ば諦観の域で自分がホークラックスになったであろう時を思い浮かべた。

 

(……僕がホークラックスになったのはおそらく……幼少期に父と母を殺された時……或いは、目の前でクィレル教授か、ファルカスを殺された時……)

 

(……ん……?)

 

 ハリーは記憶に引っ掛かるものを感じていた。

 

「……とにかく、焦った時はまずは基本に立ち返ってみることです。……物体の物質化がうまくいく条件が……」

 

「……そうですね。うまくいく条件は満たされている。そう、満たされていたんです……!フリットウィック教授……!」

 

「……?何か掴んだのなら……良かったのですが……」

 

(そうだ。僕はまだ最悪なんかじゃなかった……!)

 

 ハリーの目に灯った光には、最悪の可能性であった。その可能性が現実になることに比べれば、ハリーは己の命などいくら投げ捨てても構わなかった。

 

 ……その選択によってシリウスとダフネを傷つけることに、良心の呵責を感じても。

 

***

 

「……ダンブルドア校長先生。僕はおそらくですが、ホークラックスである可能性が高いです。……ダンブルドア校長は、僕が死ぬべきだとお考えですね?」

 

 校長室でハリーがそう口に出したとき、ダンブルドアは無言であった。しかし、ハリーに対する視線の中には哀れみや、怯えすら含まれていた。

 

「……もしもそうだとするなら、僕はこれから自分が死んだあと、皆が後を引き継いで動けるように託します。……ただその前に、ひとつお伺いしたいことがあります」

 

「……何かな、ハリー……」

 

 ダンブルドアは疲れきった老人の様相であった。ハリーも吐き気を催しながら尋ねた。

 

「……もしも。もしも僕が故意ではなく偶然やつのホークラックスになったとするなら。…………ヴォルデモートが六つのホークラックスという縛りを制御できなくなったのだとしたら……僕と、ナギニ以外に、生きながらにヴォルデモートのホークラックスが存在する可能性があるのではありませんか?」

 

 ダンブルドアもハリーも暫くの間無言だった。

 

 それは最悪の先にある、しかし、想定したくはない最悪の可能性であった。もしもその予想が正しければ、光陣営はほぼ確実に敗北が確定するのだ。

 




ハリーは行き詰まってしまいました。
主観として死んだらそれまでなので自分の考えを確認する術はなく、ホークラックスによる延命を選ぶ気はないので詰みました。
あとはハリーの主観では自分が死ぬまでの間にすべきことをするだけです。
最強のハゲに歯向かうということはつまり死ぬということなので、死んで意味が生まれるだけハリーは恵まれていますね(暴言)。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。