頼むから死んでくれ(魔法族の総意)。
「……ハリー。君の疑問に対する『正解』は、現時点では存在しないと言っておこう」
ダンブルドアから投げ掛けられた言葉は絶望的なものであった。
「……僕の仮説を証明する手段がないからですか?」
ハリーが尋ねる。ダンブルドアの言葉は清々しいほどに単純で、残酷だった。
「そうだ。故に我々は仮定に仮定を重ねて、思考を重ね、想像の海に己の行く末を委ねる勇気を持たなくてはならない」
ダンブルドアの顔に浮かんでいた疲労はそのままである。しかし、ダンブルドアはハリーに対して甘い言葉を投げ掛けはしなかった。
「ホークラックスの作成者はヴォルデモートだ。ヴォルデモートに主導権がある以上、私たちは彼のパーソナリティを把握した上で、ホークラックス作成時の状況を考察し、ホークラックスの正確な数を把握し、確実に全てを壊す必要がある」
「……これは、『絶対にやらなくてはならないこと』だ」
ダンブルドアの口調に迷いは感じられなかった。
この瞬間、ダンブルドアはハリーの前でホグワーツ校長という立場と仮面をかなぐり捨て、不死鳥の騎士団団長としての役目を全うすることを選んだ。
人には負うべき責任と、手に負えない責任というものがある。世の大半の人間はその職業や社会的地位に基づいた責任を負い、その立場であるべき自分を演じる。
ダンブルドアにはホグワーツ校長として、生徒であるハリーを(ハリー本人の過失とはまた別に、闇陣営の干渉から)守る責任と義務がある。ホグワーツの職員は戦闘者ではなく闇祓いのような権限も持たないが、生徒を預かる立場としての役割は果たさなくてはならない。
本来ならば。生徒に死を促すような教師などあってはならない。そんなことはダンブルドアも考えたくもなかった。
しかし、ことここに至ってダンブルドアはその段階は過ぎたと決めた。
兄に生まれたパーシーやビルような人間が主体的な兄を、弟として生まれたロンやジョージのような人間が受動的な弟を、姉として産まれたダフネが妹の前ではしっかり者の姉を、妹に生まれたジニーやアストリアのような人間が妹としての振る舞いを要求されるように、人は生まれたときから何らかの役目を負わされ、それを演じる。人は例外なくなにかを演じ、演技を自分の一部としたり、しなかったりして生きていくのだ。
ダンブルドアは、役目を負わされた人間とは違った。
やむにやまれぬ事情があり、本人もやりたくもなかった。それでも、多くの人に頼られた結果とはいえ、最終的には自分の意思で戦うことを選んだ人間だ。
ならば最後の最後までその仕事をやり負える義務がダンブルドアにはあった。
皆から愛される暖かみと威厳のある校長ではなく。
非情だろうが非道であろうが、勝つために命令を下す指揮官の仮面を被って、演じ続けるのだ。
これまで犠牲にしてきた大勢の人たちの人生と、これから失われる大勢の人たちの人生に報いるために、アルバス・ダンブルドアは目の前の少年に……本来ならば守るべき自分の生徒に、残酷な死の運命を告げる天使となった。
「……たとえ君がホークラックスであったとしてもだ。……君の予想通り、君がホークラックスである可能性は非常に高い。……」
ハリーは自分の推測が的中していたことに対して、胃が落ち込んだ。
「……そうですね。僕は死ぬ必要があります」
ハリーは無礼を承知の上で、ダンブルドアの言葉を遮って言った。
(ダンブルドアは僕がホークラックスである可能性があると推測していたんだ)
と朧気に察した。でなければ、ここまで柔軟に対応できるだろうか。
ハリーの言葉を妄言だと切り捨て取り合わないという選択肢もダンブルドアにはあった。ダンブルドアであれば、それらしい理屈を重ねた上でハリーを説得することもできた。
その選択を取らなかったのは、ダンブルドアの誠実さとハリーに対する信頼の現れであった。
ハリーが己の死を覚悟してやってきた以上、それを話さないことはハリーに対する侮辱である。
客観的に見ると、ダンブルドアの決断は勇敢というにはあまりに大胆すぎた。
ハリーがホークラックスであり、ヴォルデモートと魂の繋がりがあり、情報漏洩の疑いがあるならば、ハリーに与える情報は必要最小限である方が望ましいのだ。
ハリーに戦いの結末を左右するような重要な情報を与えそのうちのひとつでもヴォルデモートに漏れれば、その時点で光陣営の敗北が確定するのだ。本来ならば、ホークラックスの情報すら与えることを憚るべきなのである。
事実ダンブルドアは当初は、ハリーを都合よく飼い慣らす算段でもあった。
ダンブルドアがホグワーツに、ホラス・スラグホーンを招き入れた理由はホークラックスの数を知るためだけではない。
ホラスによってハリーの失われた名声と社会への信頼を回復させ、昨年の魔法界全体への失望をもたらす扱いを補填し、魔法界への帰属意識を繋ぎ止める、という算段もあったのだ。
幸いなことに、ハリーはその殺意を社会に向けるほどの悪意はなかった。ただヴォルデモートに対する漆黒の殺意と、愛するもの達への愛だけがハリーを動かす原動力であるとダンブルドアは見抜いていた。
ハリーの中に怒りはなかった。むしろ頼もしさと敬意が沸き上がってくる思いであった。
(……ダンブルドアが居てよかった。話が早くて助かる。……問題はこの先だ)
(……僕の命よりもっと気にすべきことある。けど……)
「……校長先生は……いつ僕がホークラックスだという確信を持たれたのですか?」
ハリーは本題に入る前の世間話のような雰囲気でダンブルドアに問いを発した。
「さまざまな状況と照らし合わせた上での判断であるので、確信に至ったわけではない。しかし、君を一目見た時からそうではないかと疑っていたとだけ言っておこう」
「赤ん坊の頃からですか?」
ハリーは小粋なジョークのつもりだったが、ダンブルドアはそっと目をそらした。
「…………君がはじめてホグワーツを訪れたとき。哀れなピーター・ペティグリューの変身を、賢い蛇と会話して見破ってくれた。あの時から私は、君のパーセルタングはもしかすると、あの男の力ではないかと考えた」
「…………そんな時からですか?」
「しかし、この考えはあまり確実とは言えなかった。君もそう考えたろう?パーセルタングはジェームズとリリーの血が魔法的な反応を起こした結果生まれた奇跡かもしれない」
ダンブルドアの言葉にハリーは無言で頷く。そして、ダンブルドアは、ハリーの額の傷跡を観察するように見た。
「……しかし、君は己の近くにヴォルデモートの魔の手が近付くと、額の傷跡に痛みを感じると聞いた」
「……ええ、その通りです」
「その症状は君とヴォルデモートとの繋がりを示すものであるのか、それとも、ダークマークと同じように、ヴォルデモートの力や意思に呼応して君に害を与えているのかのどちらかであると、私は考えた」
「ダークマーク?僕の額の傷跡がですか……?……いや、そうか。そもそもダークマークはカースによって刻まれた消えない傷だ……」
ハリーは嫌悪感と同時に、長年抱いていた疑問が氷解していくような解放感を感じていた。。ハリーの額の傷がヴォルデモートの感情と呼応して痛む理由について、これ程分かりやすく、説得力のある理由があるだろうか。
「……僕がホークラックスではなく、闇の印のような働きをしてしまっていた可能性もあったということですか」
「……」
ダンブルドアは意味深に首を横に振った。答えは否定である。
「ヴォルデモートはセブルスをはじめとした配下に焼き印を刻み、己の所有物であると誇示した。同時に、その証はヴォルデモートの意思に呼応して痛み、発熱し、ヴォルデモートの指示を迅速に配下へと伝達する性質を持っていた」
(……そうか。ヴォルデモートの感情に呼応するのは僕だけじゃない。ヴォルデモートは自分の配下に、自身の感情を伝えて嚇しをかけているんだ……)
「先生は僕がホークラックスであるとどうやって判断されたのですか?」
「君が、命の危機にある時。ヴォルデモートとは無関係に傷は痛みを与えた。ポンフリーからそう聞いた」
「……ええ、その通りです。三年生の時も四年生の時も、痛むことはありました。……でも、ヴォルデモートが復活してからの痛みほどではありませんが……」
ハリーは認めた。
「ヴォルデモートが直接君に干渉せずとも痛みを訴えるのは、君の中のヴォルデモートの魂の欠片が、君に警告を発して己の宿主である君を生かそうとしていたからなのだ、と私は睨んでいる」
「……」
「私が把握している限り、ヴォルデモートは生存本能に特化した男だ。己以外に愛すべきものを持たないがゆえに、己の生命を保持することにかけては他の追随を許さない。それは分割された魂であったとしても変わらない。ヴォルデモートの魂は、死にたくないが故に君に力を貸し、君を生かそうとしてきたのだよ」
(……それなら、今までの僕の力も全部。ヴォルデモートが力を貸してきたってことなのか?)
ダンブルドアの言葉はハリーの自尊心を傷つけるものだった。
ハリーは生き残るために最善と思う手段を取り続けてきた。その時できること全てをして足掻き続けた。
しかし、その全てが宿敵の力添えによるものであったなど流石のハリーでも受け入れられない。
(……ヴォルデモートのせいにするのは止めろ。神秘部に突っ込むことを決めたのは誰だ?他でもない僕だろう)
自己嫌悪に沈みそうになるハリーが自分自身を叱咤したのは、己が自分の意思でしでかした愚行であった。
力の源がヴォルデモートの魂によるものであれ、その使い方を間違えた責任は自分自身にあるのだとハリーは考えた。
「……………………トム・リドルが僕に力を貸していたと言うなら……」
「リドルは最初からそういう……他人と寄り添う生き方をすべきでしたね」
それでも、ハリーは辛辣に言った。自責の念で己をコントロールすることは難しかった。
「自分一人で何でもかんでも出来るなんて思っているから、死の飛翔だなんて馬鹿げた名前をほざくんだ」
己の悪行や愚行についてはさておいて、ヴォルデモートが、他者と共存できる人間であるという事実を認識するだけでもハリーは殺人の罪に耐えられなくなる。
「……トムはこのホグワーツで何年かの間は、他人のことを尊重する生き方を演じた」
「……しかし……それはトムにとっての理想的な人生とは言えなかったのだろう」
ダンブルドアの言葉に反応したのはハリーではなく、ディペット校長の肖像画であった。リドルが在籍していた時代の校長は、詫びるようにハリーとダンブルドアのそれぞれに視線をおくっていた。
「……現在の懸念について話を戻そう。ハリーがホークラックスであるならば、気にすべきは、『いつ』ハリーがヴォルデモートのホークラックスになったのかだ。」
「私はある人物の記憶から、ヴォルデモートの魂が本人のものを含め七つに分けられたという確信を得た。これが単なる罠であり、実際には十二や十七、或いは……666のような途方もない数であるかもしれないという君の懸念は痛いほどよくわかる」
ダンブルドアが言葉を紡ぐ間、校長室の時は止まったかのようであった。フォークスはハリーを観察しているかのようにダンブルドアの右肩からハリーを見ている。
「……校長先生はまず始めにその可能性を考えられたのですね」
「そう、君がホークラックスであるとすると、ヴォルデモート本人を含めて六つのホークラックスという目星を付けていた前提が崩れてしまう。……私たち全員に取って想定したくもない事態だが」
「……今考えるべきは、君がいつ、ホークラックスになったのかだ。ハリー、ヴォルデモートは君の前でミスタ・サダルファスを殺害したね?」
「……はい」
「そして幼少期に、君のご両親を殺害した。私たちが懸念すべきは、君がホークラックスになったのがこのどちらの段階であったのか、というところだ」
「……それはどういう意味ですか?」
「二つの殺人には明確な違いがあった。……ミスタ・サダルファスの死と、君の両親の死で違うところがひとつある」
「……ミスタ・サダルファスは強制的にではあるが、ヴォルデモートの力に屈服させられた。対して、君の両親はそうではなかった。……ヴォルデモートの魂が分割される鍵となったのは、この違いにあると私は思う」
「……そうでしょうか、先生?ファルカスは決して本心からやつに従ったわけではありませんでした」
ハリーは冷静ではいられなかった。ダンブルドアも重々承知の上で、ハリーを諭すように言った。
「……ヴォルデモートは、ハリー。君のご両親が愛すべき息子を最後まで守ろうとしていたのを見たのだよ」
ハリーはじゃあ友愛は何なんだと言いたくなる気持ちを必死に抑えてダンブルドアの言葉に耳を傾けた。
「……ヴォルデモートは、家族愛というものを理解できない、否、理解したくないのだよ。だからこそ、ヴォルデモートの魂は割れたのだ」
「!」
(……そ……そこまで断言できるものなのか……?)
ハリーは墓地でのヴォルデモートの姿を思い返していた。ヴォルデモートは己を見限った配下たちに怒り狂い、同時に、家族のことを愚かと貶してもいた。
「トム・リドルの生い立ちを思い返してみなさい。彼の生物学上の母親は、トムに対してリリーが君にしたほどの愛を注いだと言えるかね?己の命を投げ捨てて、憎い相手に命乞いをするほどの覚悟を示したかね?」
「……まさか……リドルは、嫉妬したのでしょうか?」
(……いや……そんなことがあり得るのか?)
「……両親から庇われた僕にか……それとも、僕を庇った母さんに……」
ダンブルドアは悲痛な面持ちでハリーの言葉を聞いていた。
(……そうだとしたら……なんて救いようがないやつだ)
ハリーはヴォルデモートを哀れに思った。煮えたぎる殺意はそのままに、一刻も早く死んで欲しいと思いながら。
「これはあくまでも仮説に過ぎないが……トムが殺人によって心動かされることは、ヴォルデモートを名乗ってからそう多くはなかったと私は思う」
「幾人もの勇敢な魔法族が、最後の瞬間までトムに立ち向かい死んでいった。……その光景はトムにとっては何ら感慨あるものではなかったと思うが……」
「君が、己と同じ混血でありながらその身に母親と、そして、父親からの愛情を一身に受けていたという事実。君がいずれ自分を殺すほどの魔法使いに成長するかもしれないという可能性。これらの要素が、ヴォルデモートの心に傷を負わせたのではなかろうかと私は思う」
「……ヴォルデモートが意図せずにホークラックスを作る条件として……自分に命乞いをした上で、己の命を投げ出す母親がいた上でその母親を殺す……」
「……という事態が生まれることはそうはない。ミスタ・ザビニの母君のような事態はなかったのだ。そもそも、ヴォルデモートが他人に慈悲をかけることはあり得なかった」
「……僕の母は例外的なレアケースだった、ということですか。……ホークラックスが生まれる可能性はないと考えてもいいのでしょうか?」
(……筋は通っている……いや。待てよ?)
(……おかしいな。ザビニの母親が一度見逃されるのはわかる。レストレンジにとっては味方だったんだから。……でも……)
「校長先生。一つお伺いしても宜しいですか?」
「……ヴォルデモートはなぜ僕の母を見逃そうとしたのでしょう?」
「リリーしか持たない価値があった、のだろう」
ダンブルドアは意味深に言った。
「……ヴォルデモートは殺戮を効率のよい見せしめとする男だ。……そういう人間は、力で他人を従えることを何より好む」
「君を殺害してしまえば、君の母親など取るに足りないと思ったとも考えられるが……真相はわからない」
「……いえ……。僕も、全てをダンブルドアのお考えに頼りすぎてしまいました。……今考えるべきことではありませんでした……」
ハリーとダンブルドアは、暫くの間無言だった。ハリーは少し軽くなった心でダンブルドアに言った。
「……僕とナギニ以外に、ヴォルデモートの生きたホークラックスは生まれない。……それなら、よかった。良かったと、思います」
ハリーはダンブルドアに向けて微笑んだ。
無関係の、それこそ巻き込まれただけの被害者を殺害する可能性すら考えていたハリーにとってはダンブルドアの言葉はそれこそ、神から与えられた啓示のように穏やかで優しく、ほとんど救いのような言葉であった。
「……すまない、ハリー……。……すまない……」
ハリーの肩にダンブルドアは手を置いた。その腕は呪いに犯され、今にも折れてしまいそうなほど弱々しかった。
「…………皆のために。君が愛すべき全てのもののために死んでくれ」
ダンブルドアの捻り出した言葉は、最もダンブルドアらしくない命令であった。しかし、言われたハリーにとっては幾分か楽にもなる。
(…………ああ、そうだ。これで僕は逃げずにすむ……)
戦闘中の、脳内麻薬とヴォルデモートへの尽きない怒りで満たされている時とは違う。
いかにハリーでもあの煮えたぎるような、身の全てを焼き付くすような殺意を抱えて日常生活を送ることは出来ない。日常生活を過ごしていれば、絶えず凝縮された憎しみを抱えていたとしても己の中に生きたいという欲も沸いてくる。
側に、出来ることならば永遠に傍らに居たいと思える愛する人が居るのなら尚更だ。
だからこそ、ダンブルドアがハリーの推測を肯定したことには意味があった。
それがどれだけ人でなしの命令であろうがなんであろうが、勝つために必要な工程なのだ。
自分の友人達がこれから先、闇陣営に脅かされることなく生きていける世界を作るために必要なことなのだ。
「……承知しました、校長先生」
少しの間のあと、ハリーは頷いた。
「君の存在は私たちにとって価値がある。言うまでもなく、トム・リドルが君を殺そうとするからだ」
「預言のことを鑑みて、彼は君をなるべく早くに殺害したいと考えている。君の行く先に気を配り、思考のリソースを常に君の動向に割く。それは裏を返せば、他の存在に対する注意が散漫になる」
「君の殺害を優先することで、あの男の動きをある程度コントロールすることが出来る。ここまではいいかね?」
「はい、校長先生」
「君は来るべき時までは死ぬことを禁じる。君には、その過程で生まれる犠牲を許容してもらうことになる」
「……それは……!」
ハリーは抗議した。具体的なプランがあったわけではなく、感情がそれを容認できなかった。
「意味がありません、先生。ヴォルデモートを倒し、戦争を早期に終わらせる。そのためには僕は早々に前線に出て死ぬ方がいい」
「今はまだその時ではない」
ダンブルドアは冷徹に言った。
「君を打ち倒したとき、あの男には必ず隙が出来る。なぜなら、勝つとわかっている勝負しかしたくない男が、勝つか負けるかの戦いに勝ったからだ」
「……預言を信じるなら、自分を確実に殺す可能性がある僕を殺せたことでヴォルデモートは思考を放棄するということですか?」
ダンブルドアの指示は、ハリーにとっては救いであった。しかしダンブルドアにとってはどうであろうか。
教師として生きてきた人間が、卒業してもいない未成年の学生に死ねと命じる。
それはアルバス・ダンブルドアの人生そのものの否定にすら等しい行為であった。
そのことを知るフィニアス・ナイジェラスの肖像画は、一切口を挟むことなく無言を貫いた。流石のフィニアスであっても思うところはあった。
ハリーにはダンブルドアの内心を思い遣るような余裕はない。
(……散々ダンブルドアの膝元で好き勝手やっておいて……自分の身内だけ優先してくださいと言うのも変な話だけど……)
「シリウスには話さないで下さい」
ハリーはダンブルドアに頭を下げた。
「……散々迷惑をかけておいて、勝手に死ぬことを決めるのは親不孝だと思います。でも、僕が死ぬ方が皆が生き残る可能性が高まるなら、その方がいい」
(…………シリウスは僕のために人生を失ってきたんだ。…………そろそろ解放されたっていい筈だ)
自分が死んだ方が、シリウスの実の息子が死ぬよりはいいとハリーは思った。
「……ダーズリー家では僕は厄介者でした。アンブリッジの差し金とはいえ、ダドリーが実害を受けてからは、魔法族のことを見下すバーノンさんに言い返したくても反論する資格がない。アンブリッジのせいとはいえ、こっちの都合でダドリーは死にかけたんですから」
「でも。じゃあ魔法界ならどうかって言えば、散々シリウスの顔に泥を塗ってきました。……今更僕だけ生き延びようなんて虫が良すぎるし、そんなことが許されるなんてのはあまっちょろい願望だったんだと思います」
「……ミス・グリーングラスのことはいいのかね?」
「……」
ハリーは何も言えない。
「……ダフネには……僕よりずっといい人ができますよ」
心にもない言葉を言った瞬間、ハリーの心は確かに傷んだ。
今まで耐えてきた痛みとはまた別の、胸が引き裂かれるような痛み。愛する人の幸せを願っている筈なのに、そうなって欲しくないというかのようなどす黒い感情だった。
「……それよりも……」
ハリーは話題をそらすことにした。思い人に幸せで居て欲しいと考えて、自分の内の濁った考えは内に沈めなくてはならなかった。
「……僕のすべきことを、教えてください」
「……」
「…………」
暫くの沈黙の後、ダンブルドアから投げ掛けられた言葉は、たったひとつであった。
「人を殺さないでほしい。……ハリー、……どうか、どうか……」
その言葉は命令ではなかった。ただ、一人の老人の若者に対する願いであり、この状況にあっては不釣り合いな祈りであった。
***
おいたわしやダンブルドア……ハリー……
ひとえに魔法界が一人の狂人に蹂躙されるくらい追い詰められているせいだが……