映画版バイオハザード(2026)を見ました。
家族と向き合わずに逃避したかった男ブライアン。
彼を観ながらこの話を書きました。
ハリーはダーズリー家との別れの後、シリウスの手を取ってテレポートを終えた。しかし、テレポート先はグリモールド・プレイスではなかった。
「少し待て、ハリー。エクスペクト・パトローナム(パトロナス召喚)」
どこかの山の奥深く、木々が生い茂る森のど真ん中にシリウスとハリーはいた。
シリウスは人避けの魔法を使ったあとで、エクスペクト・パトローナムを詠唱した。
(いつ見ても綺麗だな。シリウスのパトロナスは……)
シリウスの持つ杖から放射された銀色の煙は幽体から次第に形を創り上げ、見事な角を持つ牡鹿へと変貌する。
ハリーは無意識のうちにパトロナスから距離を取っていた。のだが。
「……」
ハリーはそのパトロナスの雪のような美しさに思わず見惚れてしまった。銀色の体躯を持つ牡鹿は、シリウスの指示を待つ間、まるで食べられるかどうかを確認するかのように付近の草の匂いを嗅いでいる。
(パトロナスでもここまで本物の動物を模して作り込めるんだな。コンジュレーションみたいだ……)
と、その時、ハリーに気がついたのか召喚されたパトロナスはハリーの眼の前に駆け寄ってきた。ス、と首をあげ、立派な角越しにハリーと目が合う。ハリーが雄鹿の首筋を撫でてやると、雄鹿は目を細め小さく鳴いた。
パトロナスは本人の精神性が色濃く反映されると言うが、シリウスはどうやらここまで落ちてもハリーのことを見捨ててはくれないらしい。ハリーは申し訳なさを感じつつも、好奇心を抑えきれなかった。
(……)
ハリーは山の葉をちぎりパトロナスの口元にそっと草を渡してやった。すると、牡鹿は迷わず咀嚼してハリーの掌にあった草を食い尽くした。
不覚にもハリーはこの挙動を少しだけ面白いと思ってしまった。コンジュレーションによって変化させた疑似生命が、変化させた生物の挙動を再現することはある。しかし、パトロナスがそうであるという事例は珍しかった。
雄鹿のパトロナスが見せた挙動は、ハリーには知る由もないが、パトロナスがシリウスの幸福な記憶、つまりジェームズとの記憶で構成されていることに起因していた。
かつてアニメイガスとなったジェームズは、満月の夜にシリウス達と共に牡鹿の姿で草を食み遊んだ。アニメイガスは本物の牡鹿と同じ消化器官を持つことができたのだ。
過去の経験から、シリウスですら意図せず、時を経てプロングズが再現されたのである。ハリーが耳の裏を撫でてやると、立派な角が左右に揺れた。実体化したパトロナスはひんやりとした冷たさと氷のような滑らかさを持っていて、本物の獣の質感までは再現していないようであった。
「おいおい。早く行け」
シリウスは困ったように己の出したパトロナスに指示した。草を食んでいたパトロナスは主の命令に従って姿を消し、周囲には銀色の煙の残滓が残された。
「パトロナスを使ってまず拠点のマリーダさんと連絡を取ってから入るんだね?……でも、敵に居場所がばれるんじゃない?パトロナスは目立つよ?」
ハリーは懸念点を口に出した。シリウスが発光するパトロナスの弱点を考えていないわけはないので、本気で心配している訳ではない。
「問題ない。幽体の状態で地中を進むから、闇陣営に居場所を気取られる心配もない。ハリーも使ってみろ」
「気が向いたらやってみるよ。ありがとう、シリウス」
(……我ながらどの口でこんなこと言ってるんだ?)
ハリーは我ながらその気のない返事だと思った。
ハリーはもう、本心ではパトロナスの召喚を諦めていた。汚れた手で幸福を掴もうというのは、あまりにもおこがましい話であると。
「……ハリー。これを見ろ」
シリウスの瞳に一瞬、何か言いたげな感情が宿った。
しかし、シリウスは何も言わずハリーへとメモの切れ端を見せた。メモには見覚えのある筆跡でこう書かれていた。
『ブラック家の別邸は、マウゼル三番街四分の三番地に存在する』
(……ルーピン先生の文字だ)
「……拠点を変えたんだ。しかも忠誠の呪文まで……」
「以前の拠点は使えないからな。念の為だ」
ハリーはシリウスが忠誠の呪文の相手に、最後に残った親友であるリーマスを選んでいたことを知った。
間違いのない人選だった。ハリーがシリウスの立場であったとしてもそうするだろう。ハリーは暫くの間、三年生の時のリーマスの姿を懐かしく思いながらシリウスにメモを返そうとした。
その時、シリウスの手がぴくりと動いた。
「パトロナスがマリーダと接触したようだ。行くぞ、ハリー」
森から拠点までの距離はさほど離れていなかったのか、それとも実体化していない幽体のパトロナスには高速で移動する機能でもあったのか、ハリーからメモを受け取るやいなやシリウスはテレポートの準備をし始めた。
杖を構えて目を閉じ、拠点をイメージしてテレポートの準備をするシリウスの左手を取って、ハリーは再び視界が回転する感覚を味わった。
***
「中々面白い感覚だったよ、ありがとう、シリウス。……いい家だね」
「……!!ああ……」
シリウスのこの日2回目のテレポートは素早く、そして一度目よりも荒かった。ハリーは洗濯機の中にいるような感覚を味わいながらも余裕があったが、、シリウスは三半規管の揺れに耐えきれず少し酔ったのか、呼吸を整えていた。
シリウスの新しい拠点は寂れた港町の民家で、庭付きのこじんまりとした家だった。ダーズリー家より小さく、ハリーは微かに潮の香りを感じ取った。
(風を感じない……もう結界の中だ)
シリウスの家の敷地内に入ったことで、ハリーは外界から隔絶された雰囲気を感じ取った。
結界の内側に入った途端、吹き付けていたはずの風は遮断された。忠誠の魔法による結界が、あらゆる要素から中のものを保護していることは明らかであった。
民家の庭には犬小屋とバスケットボールのリングが備えられていた。以前の家主はよほどの趣味人であったに違いなかった。英国でバスケットボールをやるのは相当の変わり者だからだ。
屋根付きの車庫には、以前マリーダが乗っていた車とは異なるSUVが1台眠りについていた。SUVはここが自分の棲家であることを傲岸に主張している。
(買い替えたのか。あの車種は……闇陣営を警戒して買い替えたのか?バーノンおじさんが見たら馬鹿にするんだろうな……)
闇陣営がシリウスの過去まで目ざとく調査していたならば、かつてマリーダが所持していた車の車種程度は把握しているだろう。その対策かもしれないとハリーは思った。
「大丈夫?ファイア・ウィスキーを一気飲みしたみたいな顔だけど」
テレポート酔いから覚めないシリウスをハリーは気遣った。
「……ああ、問題ない。昔はこの程度で酔うことはなかったんだがなが……」
(テレポート酔いをというか、衰えたことを気にしてるんだな……)
どうやら加齢による身体能力の衰えは、三半規管にも影響があるようだった。シリウスの体調と言うよりは心情のほうを慮って、ハリーは話題を変えた。
「酔いはすぐに治るよ。それより、ここにジェームズ達も居るってことは、クリーチャーも来ているのかな?彼はあの屋敷を離れたがらないと思うけど」
「いや……奴はここにはいない。ハウスエルフにはこの家は狭すぎる」
老いたハウスエルフについて、シリウスは簡潔に述べた。
ブラック家に仕えるハウスエルフはその歳は六百歳を超え、禿げ上がった頭頂部から爪先まで頑迷な純血主義思想に浸かりきっていた。クリーチャーはハリーはまだしも、ハーマイオニーに対してしばしば侮蔑的な態度を取ったこともあった。
しかし、ある時期から(ハリーはブラック家の後継となるジェームズが生まれたからだと解釈した)ハーマイオニーに対してすらクリーチャーは態度を軟化させていた。
グリモールド・プレイスは、ダンブルドアとシリウスとの間で『忠誠の呪文』が交わされていた。そのため、グリモールド・プレイス内の人間は闇陣営からの干渉を免れていた。しかし、ダンブルドアが死に、ダンブルドアの手で秘密を知っていたスネイプが闇陣営へと降ったことで安全性を担保できなくなった。
万が一、屋敷にクリーチャーがとどまり続けた場合、クリーチャーが捕らえられる可能性は充分にある。その可能性を考えてハリーは尋ねた。
「じゃあ何処に?まさか屋敷に?あそこはスネイプが情報を漏らした可能性があるけど……」
「……屋敷からは移動させた。クリーチャーの小言は聞き流してそう命令したさ。スネイプさえ居なければ、そうする必要もなかったが」
シリウスは首を横に振った。スネイプの名前を聞いたとき、シリウスの瞳に明確な殺意が宿ったのをハリーは見逃さなかった。
「そうか。……けれど、よくクリーチャーは屋敷を離れることに納得したね。彼ならたとえ屋敷を燃やされてもブラック家に居座ると思ったけど……?」
ハリーは心底うんざりするようなやりとりがあっのだろうなぁという労りの意図を込めてシリウスを見た。
しかしハリーの予想とは異なり、シリウスは穏やかに言葉を紡いだ。
「ハウスエルフは『主君の命令』という体裁があれば屋敷を離れることは可能だ。……より正確に言えば、命令には逆らえない。クリーチャーには悪いが、な……」
シリウスの口調に複雑な感情が混じり合っていた。
シリウスも別に好き好んでクリーチャーに強制しているわけでもない。ハリーの見る限り、クリーチャーの側もシリウスの側も、本音では互いに関わりたくないと考えていることは確かであった。
シリウスの口調からは、クリーチャーのことは好きではないが、死んでほしいわけでも捕まってオーダーの情報を根こそぎ吐いて欲しいわけでもないという葛藤が伺えた。
(いっそクリーチャーに洋服をやって……屋敷を放棄するほうがシリウスの精神的にはいいんだろうな……無理なんだけど)
シリウスもクリーチャーも、(ハリーが思い返す限り)ジェームズという子供が産まれたことを契機にして双方が歩み寄ってはいる。
しかしやはり、双方に断絶はあるのだろう。
それはおそらくは、シリウスが家を棄てたことに起因している。
互いに歩み寄っていても心の底では分かり合えない溝があった。
「……まぁ……ホグワーツの校長はマクゴナガル教授だ。彼女がいるうちはクリーチャーも安全だね」
ハリーはそう言って会話を打ち切った。
「そうだな。ミネルバがわざわざハウスエルフのことに干渉することはないだろうが、彼女はダンブルドアの方針を引き継いで上手くやるだろう。クリーチャーは古臭いレイシストで、黴の生えた面倒な思想持ちだが……」
「しかし……主の命令に従うハウスエルフの習性を遵守するという一点において、クリーチャーとホグワーツのハウスエルフ達との間に価値観のズレはない。職場の一員として受け入れられるだろう」
シリウスもクリーチャーが受け入れられることには同意した。
英国魔法界におけるハウスエルフ達の大半は、ハーマイオニーの言うように、『本来持つべき当然の権利』というものを主張しない。自分の意思で仕えていることに対する自負はあっても、雇用主に対して要望を出すなどもってのほかという意識が染みついているのだ。
労働の対価として、給与を受け取って己のための服を購入する。そんな現代人であれば当たり前の感覚が、英国における一般的なハウスエルフにはない。
ドビーのように自由なハウスエルフに対しては奇異の視線を向けるものがほとんどなのだ。この場合は、それが有効に作用するということだろう。
(古典的な価値観を持っているクリーチャーだからこそ、余所の職場で無体な振る舞いはしないだろうっていう読みか……)
(シリウスもそこら辺の微妙な機微はわかっているんだな)
「それより目下の心配事は、ジェームズのことだ。ジェームズはクリーチャーに懐いていたようでな。クリーチャーという小さな友達に会えないことを寂しがっている」
(前向きに考えるならジェームズには悪いけどクリーチャーがジェームズから離れてくれたのは良かったかもしれない)
シリウスは穏やかな声で言ったあと、最後にジェームズがクリーチャーを恋しがっていると付け加えた。どうやら幼いジェームズはクリーチャーのことを慕っているようであった。ハリーはクリーチャーが、ジェームズに純血主義者としての良からぬ思想を吹き込むのではないかと懸念していたので、義理の弟からクリーチャーを離せたことを素直に喜んだ。
その時、ぎい、と音を立てて扉が開いた。と同時に、球体がハリーめがけて飛んでくる。
そのボールは茶色と黄色だが、完全な球体だった。クアッフルではなかった。
「おおっ?」
ハリーは胸めがけて飛んでくるバスケットボールを両腕で受け止めた。子供用の少し小振りなボールは、案外柔らかな感触を伝えてきた。
「こらっジェームズ!!まずは挨拶からだ!」
「えーっ!ハリーが帰ってきたら遊んでくれるって約束したじゃないか!!したよね、ハリー?」
「今度会ったら遊ぼうとは言ったね」
「そういう話じゃない。いいか、ジェームズ。出合い頭にボールをぶつけていいわけがないだろうっ!」
「やだ」
「やだじゃあない。人の話はちゃんと聞くんだ、ジェームズ!」
「やだ。ハリーパパと遊ぶまでここを動かない」
「そうか。……動いたな、ジェームズ」
断言であった。ハリーが遊んでくれるまでは絶対にここを動かぬという意思を持つ息子を、シリウスはひょいひょいと持ち上げて動かした。
一瞬ジェームズの顔が嬉しそうに綻ぶ。が、シリウスはジェームズと遊ぶ気はないとばかりにハリーに向き直った瞬間に萎びた。
(な、何というかこ……これはまずい気がする……)
とハリーは思った。ジェームズは明らかに父親とも遊びたがっていた。
少し背が伸びた弟は、期待に満ちた目でハリーを見てきた。
「パパは?」
そう尋ねてくる実子の頭を、シリウスは困ったように撫でた。
「ごめんな、まだお仕事が残ってるんだ」
「そう……」
ジェームズは無念そうにシリウスから視線を外した。
「すまん、ハリー。ジェームズと遊んでやってくれないか。シュート練習に付き合うだけでいい」
「僕が?……わかった。ジェームズ、僕が一緒について行ってもいいかな?」
客観的に考えると、ハリー自体が子供の教育には大変よろしくない存在である。ハリーは引け目を感じていたが、ジェームズは
ジェームズはちらりとシリウスに視線を向けたものの、笑ってうん、と頷いた。
「助かる。少しだけでいい。済まないな、ハリー……」
そう言って部屋に向かうシリウスの後ろ姿を、ジェームズは寂しそうに見つめていた。
ハリーの中で、何かが警鐘を鳴らしていた。それに気付かないフリをしながら、ハリーはジェームズに声をかけた。
「ジェームズ、シュートを見せてくれる?」
「うん!外したらパスしてねー!」
ジェームズは我が意を得たりという顔で、庭に向けて歩き出し、シュート練習に取り組み始めた。
***
シリウスのレデュシオ(縮小呪文)によって子供用の高さに調整されたリングに向けて、ジェームズは満足するまでボールを撃つ。
(……うーん、バスケは体育の授業でしかやったことないけど……子供にしては上手いのかな)
ジェームズが撃ったボールは時々リングに嫌われ、あらぬ方へと跳ね返る。ハリーは跳ね返った先に待ち構えてボールをキャッチし、ジェームズの胸元にツーバウンドでボールを渡す。
「ふっ!」
(あっダメだな……)
バスケットの経験がなくても、見ていれば入るときと入らないときの違いはわかってくる。
ジェームズが掛け声をする時は腕に余計な力が入っていて、よく外れた。まだまだ体幹がしっかりしていないから掛け声とともに身体がブレるのだ。
「次は静かにシュートしてみたら?」
「えっ?うーん?わかった!」
ハリーはバスケのことはよく知らないが、クァッフルを投げることは出来るし、杖で獲物を狙うことはできる。それらに重要なのは、体幹と反復運動によって動作の正確性を保つことだ。
クァッフルとバスケットボールとでは形状も正しいフォームも違うが、少し観察すれば、正しいと思われる放り方とそうではない放り方との違いは何となくわかった。
「……」
ジェームズが無言で集中し、上体をリラックスさせてシュートを撃ってみた。
(これは入るな)
ハリーの読みは当たった。ボールはリングの中央に吸い込まれていった。
「やった!」「よかったよ、ジェームズ」
ジェームズのシュートフォームは下手投げだ。膝をバネのようにしてボールを放り、シュートを撃っていた。
(魔法を使ってないな……)
マグルの世界と関わりのない弟が魔法に頼らずシュートのコツを掴んだことは驚嘆に値した。
(この子は天才かもしれない。いや天才に違いない)
ハリーは勿論、内心の感情を口には出さない。褒めすぎてダドリー化して欲しくないからだ。
「よく練習したんだね。フォームが凄く綺麗だったよ。誰から教えてもらったんだい?」
ハリーはシリウスではなくマリーダが教えたのではないかと思った。シリウスはマグルの知識に関してはあのアーサー・ウィーズリー氏よりは深いとはいえ、英国ではマイナーなバスケットボールのコツまで把握しているとは思えなかった。
「ザビニ!ザビニってすごいんだよ、何でもできるんだ」
「ザビニはマグルの学校にも行っていたからね」
(ありがとう、ザビニ……大変だったろうに)
ジェームズはブラック家への来訪者の名を次々と口に出した。ハリーが内心で親友に感謝を捧げていると、ジェームズはにこやかに残酷なことを言い出した。
「でもダフネは下手クソだった!ド下手!僕より下手!」
「ジェームズ、その言葉をダフネ本人の前で言ってないだろうね?」
「言った。叱られた」
だろうな、とハリーは言いたかった。
「人ってのは得意不得意があるんだよジェームズ……」
(うーん。僕が子供の頃はこんなものだったっけ?)
そこまで考えて、記憶の中のダーズリー家ではロクな思い出がなかったので、ハリーは思い返すのをやめた。
ハリーの脳裏に浮かんだかつて存在した記憶。それは、最も幼い頃(と言っても今のジェームズより一回りは大きかった)にダドリーと共に町内の集まりでフットボールをしたとき、途中からハリーを追い回しいかに上手くハリーにボールを当てるかというゲームのような何かだった。
ハリーは(どの面下げてと思いつつ)、ジェームズを諭すことにした。
「ジェームズ。人によってできることと、できないことは違うんだよ」
「ジェームズは賢いんだから、できるだろう?」
「えーっ……それってつまんないよ」
(将来が楽しみだなこの子は。……それはそれとして、ストレスをかけているのはわかるんだけど、周囲のためにも言っておいた方がいいな……)
(昔のダドリーみたいになられても困るし)
シリウスもマリーダも、オーダーとしての任務を優先しているのだろう。両親から構って貰えないジェームズは、フレッドとジョージを出して割らない快楽主義者になれる才能の片鱗があった。
「ジェームズは楽しくても、他の子にとってはつまらないってこともある。今はお兄ちゃん達が相手だからいいけど、友達ができた時に嫌われるよ?」
「うっ……」
ジェームズの視線が泳いだ。ジェームズは二回連続で決めていたシュートを外し、リングにボールが嫌われた。
ジェームズが周囲に構って欲しいが故に暴れているであろうことは丸わかりだった。こういう苦言は一桁の子には早いかもしれないし、まともに受け取られず嫌われるリスクのほうが高い。
しかしハリーはそもそもの話早死にするつもりなのだ。弟から見てとっつきづらい兄であろうと、躾の欠片でも残せるならばそれでいい、とハリーは考えていた。
ハリーが拾ったボールを受け取り、ジェームズはつまらなさそうにドリブルをする。
「……でも……」
「パパは遊んでくれないし……」
「ジェームズ……」
ジェームズの声は悲しみに満ちていた。ハリーの胸にもその嘆きはぐさりと突き刺さる。
(……下手しなくても、僕はジェームズよりコリンとかの面倒を見た期間のほうが長いな……)
ハリーはこれまでの自分を思い返す。
ハリーがジェームズと遊んであげた期間はとても短い。受験勉強だの魔法の訓練だので忙しかったからという理由はあるにせよ、クリーチャーに任せきりだった。
遊んでもらいたい盛りに放置される苦しみをハリーは知っている。ジェームズの心に多大なストレスをかけていることに対して罪悪感を抱えつつ、ハリーは気休めを言った。
「……もう少しの辛抱だよ。もう少し我慢したら、外に出れる。それまでの辛抱だから」
嘘であった。
ハリーはそんな日は来ないと確信していた。ジェームズがマグルの子供と交流することは、たとえ闇陣営との抗争が無かったとしても、魔法の秘匿というリスクを考えればあり得ないことである。
マグルの子供と魔法族が関わるのであれば、まずジェームズが魔法をコントロールできなくては話にならない。そうでなければ、かつてのハリーのように気味悪がられるだけだ。そこまで考えて、ハリーはふとジェームズを見た。
(そういやこの子……魔力を暴発させてないな。……練習の時に結構苛立っても魔法は使わなかった……)
魔法力を暴走させ、或いは魔法を無意識のうちに行使してしまうのは幼い魔法族にはままあることではあるが。
「ふーん?」
目の前のジェームズは、魔法が使えないなら使えないで何ともなさそうなほど健全な雰囲気である。
(……僕は自分がそうだったからって、ジェームズにもそうあってほしいと無意識に思っていないか……?)
ハリーは二年生の頃までは、マグルと魔法族との共存は無理だと無意識で思っていた。ダーズリー家との生々しい体験から得た実態を伴う断絶は、共存を信じる心を、胡散臭く薄っぺらく、説得力のない唾棄すべきものと考えさせてしまう。
五年生の墓場の一件からそのトラウマを払底させても、無意識に残る意識から抜け出すのは容易ではなかった。
しかしここで、ハリーにも一つ経験から伴う教訓があった。
共存の前提として、まずは魔法族の側がマグルに合わせる、という意識を持たなくてはならない、ということである。
マグルを見下しはなから舐めてかかる、或いは、どうせ無理だという前提で対応するのではなく、マグルの側を尊重しなければならない。自分にはそういう意識が決定的に欠けているのだ。
(ハーマイオニーだって……あのコリンだって……まぁ学校では浮いていただろうけどそれは性格の問題で。魔法使いだったから気味悪がられたってわけではないだろうし)
内心で物凄く失礼なことを考えながら、ハリーはジェームズのジャンプシュートを見守った。
(それに……ジェームズは天才だ。よっぽどのことがない限りは、マグルの前で魔法を暴発させる心配はないだろう……)
ハリーは或いは目の前の天才児ならば可能かもしれないとは思った。ザビニもマグルの学校で苦労したとは言っていない。感情の高ぶりで魔法を暴発させることさえなければ、戦争の後に学校に行くことはできるかもしれなかった。
「もうすぐっていつ?」
「そのうちさ。今は仕事が忙しいから、落ち着いたらジェームズと遊んでくれるよ」
(いや……落ち着いたらってなんだよ。ジェームズは今構ってもらいたいんだろ)
我ながら薄っぺらい嘘であった。
ハリーのなかで、忘れかけていた過去の記憶が蘇る。もう諦めた遥か昔の頃、恐怖と諦観に飲み込まれる前は、自分も叔父や叔母に構ってもらいたいと思ったことはなかったか。
「……」
ハリーからバスケットボールを受け取ったジェームズは、不満を隠さずシュートを撃った。
「大丈夫だよ。シリウスは約束を必ず守ってくれるさ」
「ほんと?」
「本当だよ。お兄ちゃんが保証する」
守れない約束、守るつもりもない約束をするべきではない。その残酷さを知らないまま、ハリーは弟に気休めの言葉を投げかけた。
ハリーの言葉をジェームズは真剣に受け止めていなかっただろう。むしろ、疑っているかのような目を向けたあと、ハリーから視線を外してリングへと目を向けた。
貯まりに貯まったストレスと共にジェームズの掌から放たれたバスケットボールは綺麗に弧を描き、なんと、真上からリングの中へ吸い込まれていった。
「おお。……ナイッシュ、ジェームズ」
「見た?」
シュートを入れたジェームズ本人が一番驚いていた。
「見たよ。綺麗なシュートだったね」
「もっかい!もっかい!」
「今のを忘れないうちに身体に覚えさせるんだね。頑張りな」
ハリーは弟をおだて、ジェームズの幼い身体が疲れ果て眠気を訴えるまでトレーニングに付き合った。
無我夢中で練習に励むジェームズは、シュート練習に飽きると腕が上がらなくなるまでドリブルで庭を駆け回った。
***
「この部屋かい?」
「うん……」
(よーし、大分出来上がってきたな…………)
シュート練習の後、まるで魔法が解けたかのように、ジェームズはうとうとと舟を漕ぎ始めた。うとうとしながらハリーに抱き抱えられ、自分の部屋まで運ばれたジェームズはうわ言のようにこう呟いた。
「ハリー……」
「ん?どうかしたの?」
「あのね……」
眠たげに、しかし深刻そうな声で義弟は頼み込んできた。
「メガネ……メガネちょーだい……」
「ジェームズ。君、眠たいフリしてるだろ?」
幼い手を伸ばしながらそう懇願する弟に対して、ハリーは笑いながら無慈悲に言った。
「残念だけど二十年早いよ」
「ケチ……ケチメガネ……」
「ケチで結構。眼鏡は一生必要ない方がいいんだよ。おやすみ、ジェームズ」
電車型の枕に頭を沈めたジェームズは、ハリーにする恨み言を呟きながらも疲労に抗えず、瞼を閉じる。
(よく頑張ったし、顔くらいは拭いてあげないとな……)
マリーダかシリウスに話をしてタオルを貰おうと思い、ハリーは音を立てずに扉を開いた。
ジェームズは最早眠気に耐えきれなかったのか、まるで糸が切れたかのようにそのまま寝息を立て始めた。
***
「お……マジで帰ってきたのか」「やぁ」
ジェームズの部屋から出たハリーは、廊下でザビニと遭遇した。髪の毛をコーンロウでまとめたハリーの親友は、帰ってたのかと呟いた。
「てっきり明日だと思ってたぜ。ギリギリまで愛の護りを利用するかなってよ」
「敵もそう思ってるよ。だからこそ、今動いたんだ」
「なるほどねぇ……俺ならギリッギリまで愛の護りに頼っちまうけどな。動くなら敵の裏をかけってことか」
ザビニはシリウスやオーダーの判断に対して感嘆の声を漏らすと、ハリーに対してスコジスァイ(清潔)の魔法をかけてから言った。
「ハリー、親父さんが書斎に呼んでるぜ。……お前に話があるってよ」
「そうか、わかった。すぐ行くよ。ザビニ、僕がいない間にジェームズと遊んでくれたそうだね。改めて礼を言うよ」
「礼なんていらねーよ。居候してるのはこっちだしな。ハリーの方こそ、ジェームズが離してくれなかったろ?」
ザビニはひらひらと手を振って、ジェームズを起こさないようそっと扉を開いた。
「構ってもらえるのが楽しくて仕方ない年頃みたいだね。ちょっとしたことでコロコロと表情が変わるもんだから、見ていて面白かったね」
「いい兄貴っぷりじゃねーか。……おい、ちょっと来てこれ見てみろよ、ハリー」
ザビニがスコジスァイによってジェームズを清潔にしてくれたのを見て、ハリーは友人に改めて礼を言って再びジェームズの部屋に戻った。
ジェームズの顔立ちはブラック家特有の目立つ顔ではない。しかし、ジェームズの目元はシリウスに似ていた。
眠りについた幼い怪獣は、電車型の枕を抱きかかえ、幸せそうに齧りついていた。
ひとしきり笑ったあと、ザビニは魔法で新しく枕を作ると、ジェームズの身体を浮かせてベッドと頭の間に滑り込ませた。去り際に、ザビニはハリーの耳にあることを報告した。
「さっき廊下をパトロナスの煙が通ってきた。パトロナスはオーダーの緊急連絡用のやつだろ?」
「それはシリウスのものだよ。僕を移送したっていう連絡だ」
「何だ、そうか。気にして損したぜ……」
ザビニは露骨に肩を落としたが、気を取り直して言葉を続けた。
「……実はな、小一時間前にここに電話があってな。その後でマリーダさんがシリウスと一緒になって何かを話してた。電話なんてもんが掛かってきたのは、オーダーの面子が掛けてくるくらいなんだ」
「……で、その内容が気になってる?」
「ああ。俺もアズもダフネも気になってる。一体何があったと思う?『誰が』『何を』かけてきたのか、気になるだろ?」
ハリーはザビニに頷いて眉間に皺を寄せた。
(……何も重要な内容が報告されるとは限らない。『異常なし』とか『スカ』であっても報告は報告だ)
ハリーは自らにそう言い聞かせて、必ずしも悪い知らせとは限らないと心を落ち着かせた。
(作戦成功か失敗かを確認するのは何もおかしなことじゃない。むしろ、定期連絡は欠かさず行うべきだ……)
オーダーは正式な軍人というわけではない。しかし、闇陣営に対抗するレジスタンスであり曲がりなりにも組織である以上は定期連絡を義務付けているのはおかしなことではない。
「僕が無事に移送できたかどうかを確認するための電話じゃない?」
ハリーはザビニを安心させるように気楽に言った。内心で胸騒ぎがあったとして(そしてそういう時はたいていの場合良くない事態が起きていたとして)、それをわざわざ口に出して不安を煽るべきかどうかは別の話だ。
「……その可能性が高いと思うか?」
「多分ね。気になるのは、パトロナスじゃなくてわざわざ電話をかけてきたことだよね……」
「そう。パトロナスを出すより電話のがタイムラグもないし楽なんだけど、特におっさんの魔法使いだと『わざわざマグルの』電話を使うって発想がねぇからさ」
ザビニは腕を組んで言った。
(アーサーさん辺りなら使うと思うんだけど……)
ハリーはそう思ったが、わざわざ訂正するまでもないのでザビニの言葉に頷いた。
例えばハグリッドなどは電話は使わない。小屋に電話がないからである。魔法族には、マグルの文明を利用することに意義を見出だせない者も多くいた。
魔法族の中でもマグルの文明機器を利用するか否かはかなり分かれていて、拠点にマグル式の通信手段がない以上は魔法を使うほうが確実、という発想もなくはない。
そこでハリーは別の可能性を提示してみた。
「オーダーの全員がパトロナスを使えるってわけじゃない。パトロナスが使えないメンバーが電話をかけた可能性はあるよ……」
ハリーは自らを指差した。
「電話が通じるということは、通話相手も秘密を打ち明けられたメンバーってことだ。そうなると、オーダーの中核メンバーだな……」
ザビニは指折り数えて一人一人思いつく限りの名前を挙げていった。
「オーダーの中で電話がまともに使えそうなのは、トンクスとキングズリーと、お前の知り合いのフィッグ婆さん……あとはギリギリでアーサーさんくらいか。フィッグ婆さん絡みじゃねぇなら、面子的に魔法省で何かあったのかもしれねーな」
「魔法省、か。持ち堪えて欲しいんだけどな……」
魔法界の連絡手段はふくろうによるメールである。自宅にマグルの通信設備がある人間はそう多くなく、公衆電話をわざわざ使う人間もそう多くはない。スクイブのフィッグならば、電話を使うこともあり得るだろうかとハリーは思った。
「ハリーはそう思うか?魔法省には内心思うところもあんだろ?」
ザビニがお人好しのバカを見る目になったので、ハリーは飾らず本音を打ち明けた。
「それはお互い様だよ。魔法省だって僕やオーダーのことは邪魔で仕方ないと思う。それはそれとして、味方のうちは潰れてもらったら困るだろ」
「……違いねぇ」
さもありなんと頷くと、ザビニはハリーに改めて念を押した。
「いずれにしても、何があったのか気になる。シリウスさんに話を聞いてみてくれねぇか?」
「分かった。でも期待はしないでくれよ?シリウスはあれでお堅いから」
「それでもハリーならまだ可能性はある。頼んだぜ」
ハリーはふっと笑って肩をすくめた。
いかにシリウスがハリーに対して寛容でも、オーダーに関わる機密の細部まで明かすことはないだろう。
ハリーを通して、ヴォルデモートに直接情報が漏れる『可能性』があるのだから。
言うまでもなく、作戦行動を取る上で情報が漏れるリスクがあるというのはディスアドバンテージであった。シリウスから機密を話すことはないだろう、とハリーは思っていた。
新しい拠点に移った後も、ブラック家は依然としてオーダーの一員であり、内戦の影を拭い去ることはできなかった。ハリーは胸の底に暗い感情を抱えながら、シリウスの待つ書斎へと足を運んだ。
***
「ジェームズを眠らせてくれて助かった。ありがとう、ハリー」
書斎で、シリウスはマリーダと共にハリーを待っていた。ほとんどはマグルの法律に関する書類だったが、ハリーは整理された棚の奥に、ブラック家で読んだ幾つかのグリモワールが鎮座されているのを見た。
「お安い御用だよ。……シリウス、代わりに一つ聞いていいかな」
「ああ、何だ?」
「ジェームズをわざわざ眠らせたのは、何か良くないことが起きたからだね?」
ハリーはシリウスとマリーダを見た。心労からかマリーダは以前より老け込んでいるように見え、目元には化粧でも誤魔化しきれない隈があった。
「あの子が起きていて万が一にも聞かせたくない事柄があったから、遊ばせて眠らせた……違うかな?」
マリーダは何も言わない。その沈黙が答えであった。
(また嫌なニュースか……もう慣れきってる自分がいるのが怖いな)
(……せめて友達や友達の家族に関することじゃなければいいんだけど)
そう考えながらハリーはシリウスの反応を待った。
シリウスの顔にも隠しきれない疲労が滲んでいたが、その瞳だけは強く輝いていた。皺の寄った顔は、ブラック家特有の美貌を魅力的な中年男性のそれへと変えていた。
さらによく見れば、シリウスの髪には白いものがいくつか混じっていた。ハリーは内心で魅力的だと思った自分を恥じた。
「察しがいいな。……明日の朝刊に載ることなので話すが、アズカバンが襲撃を受けた」
「味方の被害は?オーラー達は無事なのかな?」
(……いよいよ来たか。でも、そこまで話してくれるなんて……)
ハリーは内心で覚悟を決めていたために、想像よりもずっと精神的なダメージは少なく済んだ。しかし、シリウスがあっさりと情報を漏らしてくれたことに対する驚きはあった。
ダンブルドアを喪った今、英国魔法界に安全圏などない。忠誠の魔法によって護られた拠点を除けば、何処であろうとヴォルデモートに居所が知られている時点で大差は無いのだ。
ディメンターが居住を放棄したアズカバンでは現在、オーラー達が刑務官を務めていた。襲撃を受けたとなれば当然、オーラー達が迎撃任務にあたっただろう。
「キングズリーの話ではオーラーとは……逃げてきた者を除くと連絡がつかないそうだ」
マリーダは平静を装ってはいたが動揺を隠しきれていなかった。まるでその事実を受け入れたくないという風に深呼吸をしてから言葉を続けた。
「オーダーはアズカバンにいなかったので被害はないが……アズカバンに収監されていたデスイーター全員と、何人かの凶悪犯が解放された」
「そう……」
(結局、防衛体制を敷いても無駄になった……か。そりゃあそうだ。オーラーが何人いた所でヴォルデモート一人で蹂躙できるんだから)
ハリーはそう自分に言い聞かせた。アズカバンにどのような防衛体制が敷かれたとしても、巨人族やウェアウルフ、デスイーターが徒党を組めば突破は不可能ではない。ましてヴォルデモートがいたのだからこの結果も諦めるより他になかった。はあった。
アズカバンに収監されていたデスイーター達は、ハリーの見知った友人達……否、ハリーにとってはかつての友人達の父達である。
彼らが解放されたということはつまり、デスイーターの頭数が揃うということ。
闇陣営が、光陣営に向けて……ダンブルドア無き後のホグワーツか、或いは魔法省に向けて。
大規模攻勢を仕掛ける準備が整いつつあるということであった。
(……結果論なんだけど、やっぱり敵は殺しておくべきだったか。そう言えばアズラエルやハーマイオニーは、アズカバンしか凶悪犯用の監獄がないことに苦言を呈していたな……)
アズラエルがこの話を聞けば激怒するだろう、とハリーは思った。ルシウス・マルフォイをはじめとして、生命を奪うことなく気絶させて逮捕したデスイーターを殺害によって終わらせていれば、アズカバンを護っていたオーラー達が死ぬこともなかったかもしれない。
「せめてアズカバン以外にデスイーターを収監していたら、デスイーターの解放は防げたかな?」
ハリーが結果は変わらないだろうと思いつつ聞くと、シリウスは予想通りの答えを返した。
「難しいだろうな。仮に別の監獄を秘密裏に設置し、デスイーターだけを収監したとしても……闇陣営はスパイによってそれを察知していただろう」
「リスクを分散することで何人かのデスイーターは確保しておけたかもしれんが……大局的には同じことだ。少なくとも、デスイーターの中心人物であるルシウス達の監獄は狙い撃ちにされていただろう」
英国魔法界はディメンターが蜂起した後も、アズカバンに囚人を収容する流れは変わらなかった。それは軽犯罪を犯した人間から、放火強盗殺人などの終身刑に値する犯罪者、そして、デスイーターのような政治犯も纏めて収容していた。
つまり、後付けでの批判になるが……ファッジ政権下でデスイーターの集団脱獄があったにも関わらず、リスクを一箇所に集中させる、という愚策をそのまま続けていたのであった。
これは、それまでアズカバンの管理をディメンターに一任してきたツケが回り、その補填ができなかった英国魔法界の脆弱さを表していると言ってよかった。
その責任は大臣であるルーファス・スクリンジャーや、それを補佐する立場にあったパーシー・イグネイシャス、法執行部のパイアス・シックネスらにあった。
アズラエルは捕まえたデスイーターは処刑すべきだと言って、ハーマイオニーは、アズカバンではなく別の拠点に政治犯を収容しておくべきだと言っていた。それはこういった出来事が起きるからであった。
『どんな犯罪者でもアズカバンに送るということはつまり、アズカバンさえ襲撃し武力制圧すれば解放できるということよ。襲撃する側にとってこれほど都合の良い場所はないわ』
というのが、ハーマイオニーの言葉である。彼女はここでも正しかった。
リスクを一箇所に集中させてしまうというのは、良くないのだ。コストに見合わないとしても、リスクは分散させておくべきなのである。
政治家は結果によって評価されるものである。現在のルーファス・スクリンジャーは失態を犯してしまったがために、今後は政財界からも突き上げをくらうだろう。
スクリンジャーに名前を貸したハリーに対する市民の評価も、低下するだろう。ハリーの身代わりとなっている闇祓いが、ハリーのフリをしながら魔法省に協力しているからだ。
元から魔法省の闇祓いを囮にするつもりでポリジュース薬の材料となる髪の毛を差し出したのだ。ハリーに名誉などあってないようなものである。
ハリーにとって、自分の名声が低下すること自体はもう気にすべき問題ではなかった。気にすべきは、戦争に勝つための道筋をつけること、それだけであった。
マリーダは務めて平静を装っていたが、動揺は隠しきれないまま言った。
「勤務していたオーラー達は行方不明だ。殺されたならば死体は残るはずだが……」
(……殺された場合でも死体を消すことはできる。ただ、ここは最悪の想定をしておいたほうがいいな)
「……行方が知れないオーラー達は逃げたが、拉致されて操られたか、或いは……」
ハリーはその先の言葉を口に出せなかった。ハリーは墓場での記憶や、ネビルの両親が受けた仕打ちを思い出す。
闇陣営にとってオーラー達は自らを脅かしてきた憎き敵であり、魔法省の機密を握った情報源でもあり、さらに捕まったデスイーター達にとっては不満の矛先でもあった。
闇陣営が彼らから利用すべきものすべてを奪い取るか、鬱憤晴らしの捌け口にすることは容易に想像できた。
「キングズリーやムーディも、闇陣営が彼らを拉致し、操ってくると考えている」
シリウスの言葉は重々しく、あえて拷問、という単語は口に出さなかった。ハリーもまた、内心で犠牲になったオーラーたちに対して黙祷を捧げた。彼らの犠牲は、これから先に訪れるハリーのそれと同じなのだ。
(……生き残ったオーラーがいたとしても……死ぬよりもある意味では酷いことになるだろうな……)
「もしも彼らが操られて敵に回ったとしても、戦わざるを得ないね」
ハリーが言うとマリーダは厳しい顔でハリーの目を見て言った。
「ハリー、無駄な戦闘は避けるべきだ。オーダーの方針では、今はリスクが高い交戦は避けるべきということになっている……」
「マリーダ、あくまでも仮定の話だ。万が一交戦状態になったとしても、生命を奪わず無力化することができれば、インペリオの支配からも解放できる」
「交戦状態はたいていの場合、敵から奇襲を受けた時だ。そんな時に、ハリーが真っ先に逃げずにいればどうなる?皆がハリーを護るためにその場に残らざるを得なくなるだろう」
(……それは……本当にその通りなんですが……)
マリーダも黙ってはいなかった。その指摘は、ハリーが予言された子供だという事実を加味すると正論であった。
そして、ハリーにとっては非常に都合が悪い言葉でもあった。
極端な話、ハリーに何の責任もない一兵士ならば鉄砲玉として死んでも構わないのだ。しかし、ハリーが闇の帝王を打倒する可能性があるという予言をされ、そのことをマリーダが知っているという事実が、ハリーに対する過保護さに正当性を与えていた。
「逃げるにしても統率は必要です。まず味方と合流してからテレポートしたほうが確実です。状況によっては分断された仲間を確保する必要があるかもしれません。僕には、あらゆる可能性を考えておく義務があると思います」
(我ながらかなり苦しい言い訳だな)
とハリーは自虐しながらマリーダに反論した。ハリーが予言を受けていなければその言葉は正しいが、予言を正しいものを認識しているマリーダやシリウスにとってはそうではないだろう。
「よく言った」
「!」
シリウスが喜びと、そして……期待に満ちた目でハリーを褒めたとき、場に緊張が走った。ハリーはレジリメンスによって、マリーダが苛立ちと焦り、そして、怯えの感情を感じ取った。
「戦況は予断を許さないんだ、マリーダ。受け身に回ってばかりで倒せるほどヴォルデモートは甘い相手じゃない。攻撃、反撃の想定をしておくことは必要だ」
「必要以上の戦闘は犠牲を強いる行為だ。こちらは寡兵で、敵は大勢なんだ」
マリーダがなぜ怒りを滲ませているのか。それはハリーの目にも明らかであった。
(……マリーダさんはシリウスに死んで欲しくないからだ)
当たり前の話であった。
(まずいな。シリウスに死んで欲しくないっていうのは僕も同意見なんだけど……)
と、ハリーは思った。心情的には、(ヴォルデモートのホークラックスを破壊した後なるべく違和感がないように死ぬために)敵と交戦する可能性があるというシリウスの言葉にハリーも同意したいところであった。
自然な形でヴォルデモートに殺されることで、ハリーの中のヴォルデモートの魂も死にヴォルデモートは不死ではなくなるのだ。
大局的には、シリウスには生き残って貰わなければ困るのだ。
ハリーの死後。対ヴォルデモート戦を想定するとき、まともな指揮ができる人材は多いほどよい。しかしそれはハーマイオニーやロンでさえ荷が重い。
デスイーターのベラトリックス達は、最悪サペレ・アウデで排除できるかもしれない。しかし、ディメンターと巨人族に対応する駒が足りないのである。
ハリーの死後にはネビル・ロングボトムの牙がヴォルデモートに届くだろうとハリーは思っていた。しかし、その過程に存在するいくつもの障害をすり抜けるには、高い戦意と経験が両立したベテランの存在が不可欠なのである。
「……もちろん、交戦してこちらが死ぬ可能性も、逆に、敵の命を奪う可能性もある。しかし、マリーダ。よく考えろ。その可能性を想定しているのとしていないのとでは動きのキレが違ってくる」
シリウスは饒舌に交戦の可能性を語った。その口ぶりは、いささか合理性に欠けている。あえて突き放した言い方をするならば、華々しい戦争とその果ての名誉ある死というものをを求める無謀な男の我儘であるようにハリーには見えた。
「実力の差というのは。学業成績や魔法力という才能の話じゃない。ましてや知識の優劣でもない」
「戦闘における覚悟の差だ。覚悟の差が実戦での生存率に直結する。戦う覚悟を決めるのは悪いことではないだろう?」
マリーダがシリウスを見る目に一瞬殺気が混じったのをハリーは見逃さなかった。
マリーダが積極的な戦闘行為を避けさせたがっているのは明らかであった。それはシリウスに対しても自重してほしいという意志の表れだろう。
事実、無駄な戦闘を避けるべきという意見そのものは間違っていない。
光陣営の、というよりオーダーの戦力は乏しい。
一度損耗したあとは、現在優勢な闇陣営とは異なり簡単に補充できるというわけではない。まともな人材……闇陣営に寝返らず、命令を聞いて任務を遂行する人材は貴重なのだ。
無駄な戦闘行為によって主要な人員が生命を落とし、いざという時に矢面に立てる主力が欠けていては話にならない。マリーダの言葉は身内の死を厭うスリザリン的思考からのものではあるが、一定の合理性があった。
シリウスはマリーダの視線の意図に気付いていつつ、気付かないふりをして無視をしているのはハリーの目からも明らかであっ。
(まずいな……いや真っ先に『戦闘』を口に出した僕の責任なんだけど……)
「どのみちこの先で闇陣営との戦闘は避けられないなら、最悪の状況を想定して覚悟をしておくべきってことだね」
ハリーはマリーダを取りなすために話を打ち切って、話題を変えることにした。
「……でもシリウス、マリーダさん。僕が言えることじゃないんだけど。この状況でトンクスやフルールの結婚式が出来るのかな?闇陣営はすぐにでも攻めてくるかもしれないし、スクリンジャーは一人でも多くのオーラーを使いたがる気もするけど」
ハリーが挙げたのは、光陣営の戦力不足問題についてであった。
馬鹿げた内戦で個人の幸福が犠牲になるなどあってはならないが、お国のために犠牲になれ、という理屈でそれが潰される懸念は充分にあった。
特にトンクスはオーラーである。魔法省に申請を出し、有給休暇は受理されているだろうが、非常事態として臨時の招集がかけられてもおかしくはなかった。
「それに関しては問題ない。いや……問題しかないと言うべきだろうな?闇陣営がオーラー達を拷問して支配するまでには何日かの時間が必要だ。今日明日攻めてくることはない」
それは身も蓋もない言葉であった。
シリウスの読みでは、オーラー達から情報を抜き取るまでは闇陣営も動かない、という。なるほど時間がかかるのはその通りだろうが、それは闇陣営にとって大した問題ではないのではないか、とハリーは思った。
「いや……アズカバンのオーラーが居なくなって魔法省が手薄になった今こそ、闇陣営は動いてくる可能性は高いんじゃないかな?」
「どういうことだ?」
「極端な話、オーラー達だって魔法省の情報を掴んでいるとは限らないよね。で、拷問する側の闇陣営も拷問にかけた時間と薬が無駄になるリスクはわかっている」
「僕が闇陣営……というかヴォルデモートなら、すぐに攻勢に出る(アイツにとって部下の命なんてどうでもいいだろうし)。今の魔法省は手薄だろうから」
「……なぜ魔法省が手薄になると思った?」
シリウスとマリーダは感心したようにハリーを見ていたが、マリーダが聞いてきたのでハリーは答えた。
「アズカバンが解放されている以上、魔法省も代わりの人員をアズカバンに派遣して監獄を再建させなきゃいけないよね?そりゃあ魔法省も手薄になるよ」
「僕ならこの機を逃さない。闇陣営の戦力が具体的にどれだけあるのかは知らないけど、僕がトム・リドルなら、魔法省が対応に右往左往している今を狙う」
ハリーはマリーダを気遣い、ヴォルデモートの本名を口に出した。ヴォルデモートという単語の度に養母の恐怖心を煽るのは得策ではなかった。
「一理ある……が……」
ふむ、とシリウスは頷き、自分の考えを述べた。
魔法省に動かせる人員がどれだけいて、アズカバン再編にどれだけの時間がかかるのかはハリーよりシリウスのほうが正しく勘案できるだろう。なにせシリウスは魔法省で働いており、かつてアズカバンに収監されていたのだ。
「監獄再編は後回しでいい、と俺は思う。少なくとも俺がルーファスなら……監獄に回す人員は後回しにして、余計なオーラーは送らん。戦争の現場に割く人員を優先する」
「看守をオーラーじゃなくて訓練を受けていない職員にする?」
「ああ。今後はデスイーターなどの凶悪犯はアズカバンではなく異空間の簡易留置所に収監すれば、戦力を分散して監獄にオーラーを常駐させる必要はないからな」
シリウスの案は悪くはないが、保守的な魔法界の観点で見ると暴論であるようにハリーには思われた。
ましてや魔法界でなくても犯罪者の管理は治安の良し悪しに直結するのだ。そこにディメンターやオーラーを配置しないとなれば、『アズカバンに収監されるかもしれない』という恐怖心による犯罪の封じ込めや統制という観点で綻びが出ることは避けられない。
仮にルーファス・スクリンジャー魔法大臣が強権を発動させたとしても議会の反発は避けられないだろう、とハリーは思った。
「…で、スクリンジャーがシリウスの読み通りに行動すると思う?」
シリウスは肩をすくめた。自分ならこうするという案はあるが、本当にスクリンジャーがそうするとは考えていなさそうな顔だった。
「……しないだろう。代わりの監獄を設置する場所、予算……何より人員で揉めるだろうからな」
驚いたことに、シリウスはどこかこの状況を楽しんでいるかのようにすら見えた。それはシリウスなりにマリーダを不安がらせないようにという気遣いだったかもしれないが、ハリーの見るところ、マリーダは敏感にシリウスの真意を感じ取っているように見えた。
人間は理屈で物事を考えるタイプと、直感で決めつけたあとで理屈を肉付けしていくタイプの人間がいる。ハリーやマリーダは後者のタイプの人間である。マリーダも勘が良いのだ。
「皆好き好んで犯罪者と対応したいとは思わんさ。アズカバンにオーラーが派遣されると聞いたとき、皆が喜んでいたのはそういうことだ」
シリウスは政治には向いていない。
我が強すぎたからだ。
強い我があるということは、時として社会においては不利になるからである。しかし、冷静に周囲を見渡せないというわけではない。
シリウスは、政治に向いていないからこそ、奇抜な案は出せる。しかし、向いていないので、案を実行する上で必要となる根回しにかかる労力や、他人を説得させるということに対する建設的な意見が出せるまでには至らないのだ。
シリウスはひとつ咳払いをして、脱線した話を元に戻した。
「……まぁ……大臣は我々オーダーに対して気を遣っている。結婚式に関しては全く問題ない。味方の不興を買って連携が取れなくなり、貴重な兵力を減らしたくないのさ」
「いやそうは言うけど。国家としての機能不全で詰まないかな?結婚式を挙げているヒマなんかなくない?」
シリウス・ブラックは訓練されたオーラー達の忍耐力を評価し、そして、戦えるオーラーは全て前線に回せばいいと考えていた。ハリーが聞いても無茶な案であった。
どう考えても、国家が機能不全に陥る案であった。シリウスに政治はやらせない方がいいのは間違いない。
「それはルーファスやシックネスやガヴェインが対応すべき問題だ。トンクスが気にするべきことではない」
シリウスはそう言った。もはや英国魔法界は亡びに向けて一直線ではないだろうか、とハリーは思った。
マリーダはハリーの言葉にうんうんと頷いており、もっと言ってやれと瞳で訴えてくる。
「ルーファスはオーラー達のトップであったと同時に、組織内外の政治を意識する人間でもある。トンクスが我々にとって貴重な戦力だとわかっている以上、彼女の機嫌を損ねることはしないだろう」
(……いや……そんなこと言ってる場合か……?)
そこで、ハリーはシリウスの目を見た。シリウスの目には一切の迷いがない。
(……シリウスはもう魔法省を切ってるんだな)
ハリーは喉元から出かけた言葉を呑みこんだ。
シリウスも、魔法省で新しい交友関係を構築し、仕事をしてきただろう。
年下の同僚や上司、或いは自分より一回り以上若い部下と共に仕事をしてきたのだろう。
それを踏まえた上で、オーダーと、そして仲間の幸せのためにそれらを切り捨てるという判断をしたのだ。
コーネリウス・ファッジの手で魔法省がヴォルデモートの復活を黙認して以来、ダンブルドアは魔法省という組織を見限った節があった。そしてシリウスは、自身も魔法省に所属したからこそ、かつて以上に魔法省に対しては期待していなかった。
スリザリン寮がそうであるように、個人にとって最高の組織などあり得ない。
どの組織にもよい点と悪い点がある。ある人にとって都合のよい組織とはつまり、他の誰かにとって不都合な組織に他ならない。
大人ならば、どの組織の都合の悪い部分を受け入れるか。その組織に忠誠を尽くすか、それとも見限るかを自らの頭で選択しなければならないのだ。
ハリーは魔法省には思うところはある。しかし、魔法省で働いている人間の全てが悪というわけでも、べつに死んでほしいと思っているわけでもない。そんな良心の疼きからは目をそらしつつ、ハリーはシリウスに尋ねた。
「……この知らせって、オーダーの誰から齎されたのか聞いていいかな」
「キングズリーだ。キングズリーはいつも必要な時に情報をくれる。まったく頭が上がらんな……」
現役オーラーの黒人魔法使いは、その有能さから、オーダーであることが魔法省に対して露見した後も任を解かれることはなかった。
キングズリーは軍人でありながらオーダーに情報を流すことを躊躇わない。魔法省という組織と、オーダーとの橋渡し役である。
(いやそれはキングズリーからのオーダーに対する無言のSOSなんじゃ……)
ハリーは喉元から出かけた言葉を呑み込んだ。
なぜオーダーのような組織が必要であったかというと、ダンブルドアの意に沿って動く兵力が必要だったからだ、とハリーは思う。魔法省がダンブルドアの忠告をほんの少しでも聞き入れていれば、オーダーは必要なかったであろう。
では、魔法省に居ながらオーダーに属する変わり者は、何故そうするのか。
ハリーはグリモールドプレイスに居たとき、彼らの言動から何となく変わり者たちの意図を想像していた。
ダンブルドアに心酔したからだろうか。
違う、とハリーは思った。例えばアズラエルはダンブルドアの強さに依存しているが、ハリーに追従してか、ダンブルドアの行動を盲信しているわけではなかった。
ハリー達がそうであるように、ダンブルドアに付き従うことで魔法省にいる同僚や、職員を護りたかったからではないのだろうか。
オーダーに機密を流すのは、キングズリーからオーダーの仲間に向けての警告ではなく、SOSではないだろうか、とハリーは危惧した。
「……不安がありそうだな、ハリー」
シリウスはそんなハリーの内心を見透かしてか聞いてくる。
(……いや。それならそれで、キングズリーからムーディやシリウスに相談するはずだ)
「……いや、ないよ。ただ、『何故そうするのか』の理由は聞いておきたかった。生意気かもしれないけど、自分の中で折り合いをつけて納得ておきたかったんだ」
「納得か……」
シリウスはハリーに対して、残酷に言った。
「人の生き死にに関わる事をやっておいて、『納得』なんてものは存在しない。切り捨てられた側にとって、切り捨てた側の俺達がどんな葛藤をしていたか?なんてのはクソほどの価値もないからな」
それはシリウスの体験からくる答えだろう、とハリーは想像できた。シリウス自身、魔法省の判断で切り捨てられた側ではあるが、今魔法省を切り捨てざるを得なくなっている。
結局のところ、無力なのだ。どれだけ理屈を捏ね回したところで、ハリーにもシリウスにも万人の手に届く力なんぞありはしないのである。
「俺は凡人だ。感情を制御しきれるわけでもなく、立ち回りも上手くない。だが魔法省で勤務して、表と裏の顔を見た。だからこそ言える」
「腐敗しきった魔法省のバカ共のために、リーマスの幸福が邪魔されるなどあってはならない」
シリウスの口調には、半ば自嘲も混じっていた。
(シリウス……)
腐敗しきったバカ共とはこの場合シリウス自身のことを指しているのだろう、とハリーは察した。シリウスは魔法省に対しては批判的だが、同時にそこで仕事もしてきたのだ。他人の弱さをあげつらうほど愚かではない。
シリウスの選択は、生命の選択と言われる行為であっただろうか。
この最低の時代において友の幸せを願うことが、罪深い行為と言えるのだろうか。
(……まぁ……ルーピン先生には恩義もあるし)
(……幸せになって欲しい。そうなる権利は誰にだってあるんだ。当然オーラーであるトンクスにだって)
ハリーは自問自答し、否、と思った。
見ず知らずの大勢の生命と、よく知った恩もある人達の幸福。
その2つを天秤にかけたうえで、後者を選択するのは仕方のないことだ。ましてハリーはリーマスに対しても返しきれないほどの恩と、自ら手を汚しそれらの恩を踏みにじったという自覚があった。
ハリーはそうだね、とシリウスに同意した。
「僕も魔法省に顔と名前を貸して義理は果たしたよ。後は魔法省の仕事だよね」
はっきり言えば、結婚式を開いてよいのか、辞めたほうがいいのではないか……などと言うのはハリーからのリーマスやトンクス達に対する侮辱に他ならなかった。
見ず知らずの人の幸福のために戦う。それを自分に当てはめるのは一向に構わないが、他人に対してそれを強制するのは愚の骨頂だった。
ハリーよりも世のため人のためという意識が強かったシリウス自身も葛藤した上で割り切っているのだ。
シリウスにだって、唯一残った親友の門出を祝うくらいの幸福は許されてよいはずであった。
「結婚式が出来るのならそれでいい。……このところ嫌なニュースばかりだったしね。シリウスの言う通り、明日くらいは何も考えず幸せがあってもいい」
「そうだな。……マリーダ、アレを出してくれるか……?」
「……ええ」
マリーダの視線は優しげになった。仕事の雰囲気から、家庭の雰囲気へと切り替わったのだ。マリーダが魔法で出現させたのは、白いワインとグラスであった。
「シリウス、これは?」
「前祝いにいいだろう?明日の主役はリーマス達だ。一日早いが寝酒代わりにどうだ」
「……ありがとう」
ハリーはシリウス、マリーダに乾杯し、ワインを煽った。アルコールの渋みと、柑橘類を思わせる爽やかな香りが鼻腔を満たした。
「……僕は……自分が本当に好きになれる誰かとこうして祝える日があったことが、生まれてきた中で一番幸せなことだと思う」
ハリーは心に閉ざしていた本音を、アルコールのせいにして打ち明けることができた。2人にも、それこそザビに達にも言い尽くせないほどの感謝の言葉はあったが、不意に、それが漏れたのだ。
「……ハリー。お前たちは、ホグワーツに戻る気はないだろう」
「……なぜそんな事を?」
「ダフネやアズラエルを見ていればわかる。勉強をしているようで、まるで身が入っていなかったからな」
答えたのはマリーダであった。シリウスと結婚しただけのことはあり、彼女は流石に鋭かった。
「それは別にいい。いやむしろ……願ったりと言うべきか」
「シリウス?」「シリウス?」
マリーダとハリー、2人の声が重なった。
「俺を連れて行け、ハリー。……何、不安があるなら旅の目的を話す必要はない。俺を駒として好きに使っていい。俺ならハリーたちの助けになれる」
他ならぬハリーがそうであるように、シリウス・ブラックも合理ではなく感情を優先する人間であった。
***
「そんな勝手が許されるわけがない」
ハリーが何か言い出す前に、マリーダが怒涛の如き勢いでシリウスに言った。
マリーダがここまで取り乱したのは、目の前にシリウスの遺体を見せられたディメンター騒動の時以来であった。
「なぜだ。ハリーを護ることが、この国を護ることに直結するんだぞ?」
シリウスは本気で理解できないものを見る目をマリーダに向けた。
ハリーは胃に直接毒薬をぶち込まれたかのような痛みを感じながら、シリウスを諭さねばならなかった。
「……シリウス。僕は確かにシリウスにとって心配ばかりかけるだめな息子だったと思う。だから本来、こんな事を言うべきじゃないのかもしれない」
「……でも……僕の母さんや、もしかしたら父さんが生きていて。自分の子供が成人して……親友に護るべき家族や、子供が居るとしたらこう言うと思う」
「……ジェームズには、父親が必要なんだ。あの子は今、父親と遊びたがっているんだ」
「何……?」
「……僕より先に、本当の家族と向き合ってくれ、バットフッド」
ハリーが断りの言葉を告げた時、シリウスは納得していないようだった。
シリウス・ブラックにとってこれほど残酷な言葉はなかった。
目の前にあるはずの義務を、果たせなかった親友との約束を護る日を、シリウスはずっと夢見て生きてきたのだ。
そんなシリウスに、ハリーは、現実に戻れと……否、現実を生きろと言ったのである。
シリウス・ブラックは先の内戦で、己の家族と向き合う前に家を出て、そして帰らなかった。
シリウス・ブラックにとっての成長とは、世界をかけて巨悪と戦うこと……そうやって何もかもを忘れて死に憧れることではない。
自分の、本当の家族と向き合うこと。
……ただそれだけが、シリウス・ブラックの成長であり、贖罪なのだ。
純血主義者のやらかしをファンタビ二作目を通して知っていると。
シリウスが家族から勘当されて家出したのはシリウスや世界にとって正解だったとしか言えないのがなんとも……
家族と向き合えだと?無理に決まってんだろ。