蛇寮の獅子   作:捨独楽

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救世主

 

 ハリーは階段下の物置で、アスクレピオスにあらんかぎりの呪詛をぶちまけていた。アスクレピオスはいつも通り、ハリーの言葉に舌を傾けていた。

 

『やっぱりマグルは糞だ。僕の話を聞きもしないで閉じ込めて……悪いのはあのドビーなのに……』

 

 階段下の物置からは、しゅうしゅうという不気味な音が響いている。ハリーの蛇語は、そうと分からなければ単なるすきま風にしか聞こえないのだ。

 

『そのドビーも、ウラに親分がいるんだろう?何か事情があるんだろうさ』

 

 

『だけどドビーは主人に内緒で勝手にやったって言ったんだ。僕を殺そうとしてる奴から守るために、僕を社会的に殺そうとしてるんだよ?こんなバカな話がある?』

 

 ハリーの怒りはダーズリー家だけではなく、ドビーにも向けられていた。ドビーのせいで警告文が届いたのもその怒りの原因だが、もっと他に怒る理由はあった。友達やシリウスへの手紙を、ドビーに奪われた。それどころか、友達からの手紙すらドビーに奪われていた。可能ならドビーの顔面にインセンディオでもぶちこんでいただろう。

 

 ハリーは友人であるアズラエルから、七月二十日にパーティーの誘いを受けていた。パーティーまではあと一週間もない。ハリーはパーティーに備えての身支度をしたかった。

 それなのにドビーのせいで、ハリーはもう三日間も階段下の物置に閉じ込められ、トイレの時以外は出ることを許されなかった。このままでは身支度どころか、せっかく招待してくれたパーティーをアズラエルに無断で欠席しなければならなくなる。ハリーはそれを想像して恐怖で震えた。友達を裏切るような行いをして、友情を失うのが怖かった。アズラエルはきっとハリーを許さないだろう。ハリーは去年、アズラエルもこんな気持ちだったんだろうかと思った。

 

 四日目の朝……といっても、ハリーには時間の感覚がわからなくなっていた。アスクレピオスに呪詛を吐き出して眠り、頭がはっきりしてきた頃、バーノンが誰かと言い争いをしている声が聞こえた。

 

 

「待て、ここは私の家だ!勝手に進むことは許さん!」

 

「私の息子はどこにいると聞いているだけだ!なぜ顔も見せてくれない!いや。どうして手紙すら寄越さない?!何かあったのだろう!!」

 

「ブラック。落ち着いていただきたい。ミスターダーズリー、我々はただポッター少年を引き取りに来ただけです。あなた方に危害を加えるつもりはありません。顔を見せてはいただけませんか?」

 

 男の声はバーノンに負けず劣らずはっきりしていた。シリウス·ブラックの声だ。それに混じって、聞きなれない男の声もする。ハリーのゴッドファーザーは、ハリーを助けに来たのだ。

 

 ハリーは飛び起きて、急いでダボダボのダドリーのお古に着替えた。ハリーが魔法界で買ったまともなマグルの服は、ダーズリー家に戻った瞬間にペチュニアに取り上げられていた。着替え終わると、ハリーは力の限り叫んだ。

 

「助けて!!助けてシリウス!!僕はここだよ!階段下に閉じ込められているんだ!!助けて!」

 

 ハリーの叫びが届いたのか、その数秒後には扉の前で何かぶつかる音がした。ガチャガチャと錠が開く音がする。

 

 物置の扉は開かれた。ハリーは外の眩しさに目を細めた。

 

 少しずつ明かりに目をならして見開くと、目の前にはハリーにとっての救世主がいた。ハリーのゴッドファーザー、シリウスだ。彼はマグルの社会人のようにスーツを着ていて、ダーズリー家から見ても恥ずかしくない姿だった。そのとなりには、シリウスと同じようにスーツを着て、帽子を被った厳格そうな初老の男性の姿もあった。男性は良く見ると非常に疲れた顔をしていた。

 

「おはようございます。君が、ハリー·ポッター君ですね?」

 

 男性はハリーを見ると、帽子を脱いでハリーに挨拶をした。

 

 

「は、はい。はじめまして。僕がポッターです。お、おはようございます」

 

 ハリーが丁寧にお辞儀をすると、男性はかすかに微笑んだ気がした。

 

「ハリー、こちらは魔法省の児童福祉課担当のユルゲン·スミルノフ氏だ。彼の許可を得て、この夏休みの間、私が君を預かることになった」

 

 

「絶対に行かせんぞ!」

 

 バーノンは大声でシリウスにまくし立てた。

 

「わしは小僧に化け物が跪くところを見た!十二歳の子供をよってたかって祭り上げるような環境はまともではない!貴様らのような連中に小僧を預けられるものか!!」

 

「ですが、ミスターダーズリー。あなたの行動は、あなた方の常識に照らし合わせても躾の範疇を越えています。子供を軟禁し、子供の交遊関係を制限することは虐待と判断できます」

 

「わしらがやったわけではない!」

 

 

 バーノンはスミルノフ氏の言葉に憤慨していた。

 

「得体の知れない化け物が、小僧の手紙を奪っていたとわしは車のなかから聞いた!いいか、ぼろ雑巾を身に纏った子供のような化け物がだ!わしらやその子は、訳のわからん化け物に狙われているんだぞ!!貴様らのが杜撰なせいだ!!」 

 

 さらにバーノンは言った。

 

「小僧はこちらに帰ってから、一年前とは別人のようだった!全く、うちの息子のような子供らしい子供ではなくなった!わしらの顔色を伺い、表面上は大人しくしながら……内心でわしらを蔑んでいる!間違ってもこんな子供ではなかったのだぞ!!」

 

「………………ハリーは私の誇りだ。ハリーへの侮辱は慎んで貰おうか、バーノン」

 

 シリウスは深いため息をついたあと、何かを堪えるように言った。スミルノフ氏は、ハリーの様子をつぶさに観察し、ハリーの目をじっと見ていた。スミルノフ氏は杖を一振りするとハリーの身なりを整えた。

 

「残念ですがミスターダーズリー。その件の調査は私の管轄外となっております。私は私に与えられた職責を果たすだけです。私はこの子とそして……あなたの精神状態を監察した結果、この子をこの家に置くべきではないと判断します」

 

 バーノンはお役所仕事めと悪態をついた。スミルノフ氏はその言葉を聞き流していた。バーノンの怒りはまだ収まらず、スミルノフ氏にくってかかった。

 

「貴様らにそんな権限があるというのか!今の今までこの子を放置し続けたではないか!」

 

「それは先日、別の担当者から申し上げた通りです。ハリー·ポッター君のゴッドファーザーであるシリウス·ブラック氏には、神に代わってこの子を養育する権利があります。彼はつい最近まで、自由の身ではありませんでした」

 

 スミルノフ氏はそう言うと、荒れ果てたダーズリー家を魔法で修復した。階段下の物置小屋はぴかぴかになった。ハリーは口を挟むべきではないと思い、固く口を閉ざした。

 

 バーノンが折れたのは、スミルノフ氏が真っ当なマグルとしての理論を言ったからではなかった。バーノンは、明らかにスミルノフ氏の杖を怖がっている。杖から放たれる魔法が、自分達に向けられるのではないかと怯えていた。

 

(やっぱり、魔法だ)

 

 ハリーはバーノンを見てそう思った。

 

(話し合えない相手には魔法で……力で黙らせるしかないんだ。だってマグルは魔法使いを怖がっているんだから)

 

 ハリーは内心でマグルへの差別感情を増幅させながら、バーノンやペチュニア、ダドリーに形だけの礼をして、シリウスの手を握ってダーズリー家を後にした。ペチュニアは呆然とその背中を見送っていたが、ハリーがそれに気がつくことはなかった。

 

 

***

 

 

「ありがとうございます。シリウス、スミルノフさん」

 

 ダーズリー家から解放されたハリーは、はじめて心の底から笑うことができた。ダーズリー家では見せることができなかったものだ。ハリーに抱えられたアスクレピオスはハリーに、

 

『良かったな』

 

 と声をかけた。ハリーはにっこりとアスクレピオスに笑いかけた。

 

「遅くなってしまってすまなかった、ハリー。許可を取るのにも時間が必要だった……」

 

 シリウスは、ハリー宛の手紙が届かないことに業を煮やしていたという。何か闇の魔術が関係しているのではないかとダーズリー家を見守っていたところ、ふくろうの手紙が奪われたところを目撃した。さらにドビーがハリーの前で魔法を使ったところも見たのだという。

 

「魔法省はそこまで言っても、ハウスエルフが主人の命令以外で魔法族に危害を加えるわけがないという主張の一点張りだった。仕方ないので、私はアーサー·ウィーズリーの伝手でスミルノフ氏を紹介して貰った。君を助けにこられたのは、アーサーとスミルノフ氏のお陰だ」

 

「私は職責を果たしたに過ぎません」

 

「……あの、スミルノフさん。誰が魔法を使ったのかって、もっとちゃんと分からないんですか?」

 

 ハリーは失礼かもしれないと思ったが、そう聞かずにはいられなかった。スミルノフ氏は申し訳なさそうに言った。

 

 

 

「魔法省は、未成年の居場所を把握することはできます。ですが、そのシステムも完璧ではないのです」

 

「……!」

 

 ハリーは信じられなかった。自分がやったわけでもないことで警告を受けたのも理不尽だし、それで退学寸前になっていることも理不尽だった。

 

「マグルの前で魔法を使ったのが誰であれ、無関係のマグルが魔法を知れば、魔法の存在がマグルに知られてしまうかもしれない。それを防ぐためには仕方のないことなのです」

 

 スミルノフ氏はハリーの目を見てそう言ったが、ハリーはおかしいと思った。

 

(どうしてマグルのことなんて気にするんだ?僕は酷い目に遭ったのに……他にもマグルのせいで酷い目に遭った子だっているかもしれないのに)

 

「……あの、それじゃあ。大人の魔法使いの周りで反応があったのなら、子供が使ったかどうかは分からないんですか?」

 

 ハリーは恐る恐る、スミルノフ氏の顔色を伺って尋ねた。

 

「……もしかして、その場合は罪には問われないんですか?」

 

 スミルノフ氏の答えは沈黙だった。ハリーはなんだか腹の底から怒りのようなものが沸き上がってきた。

 

(僕は魔法を使うのを我慢したっていうのに……

みんなは使い放題だったのか?)

 

 もしもそうだったなら、こんなバカバカしいルールはないとハリーは思った。納得できなさそうなハリーに対して、スミルノフ氏は語りかけるように言った。

 

「未成年が魔法を使ってはならない、というのは確かに君や、マグル生まれの子供にとっては理不尽なルールだ。しかし、そのルールによって、大勢の魔法使いの安全が保たれているんだ」

 

「魔法さえ使えれば、魔法使いの安全は保たれるんじゃないですか?どうしてマグルなんかのことを気にしなくちゃいけないんですか?」

 

(それに。僕は学校にはいる前は魔法を使ってたじゃないか)

 

 ハリーはついに、不満をむき出しにした。目の前のスミルノフ氏は恩人だと分かっていても、ハリーの中の疑問と怒りはハリーの理性のふたを壊して、中の怒りを溢れさせようとしていた。

 

 ハリーは自分が母の愛に守られているというダンブルドアの言葉を忘れていた。ダーズリー家での体験は、ハリーにとっては愛ではなく折檻でしかなかった。魔法という力が使えれば、物置に閉じ込められることはなかったはずだ。

 

「ハリー。君のような子供は、練習で魔法を失敗してしまうことがある。もしも周囲に魔法使いの大人がいなければ、大変なことになる可能性があるのは分かるな?」

 

「そ、それは……そうなんですけど……」

 

 シリウスはそんなハリーに待ったをかけた。尊敬するシリウスの言葉に、ハリーは口を閉ざした。ハリーは去年、ザビニが燃焼魔法に失敗し、火傷を負ったことを思い出した。魔法でつけられた傷は、普通の怪我とは違いマグルの医療で治療するのは手間がかかることをハリーは知っていた。

 

 

 つまりハリーの感情がどうであれ、マグルの前で魔法を使ってはならないという慣習そのものは正しいのだ。マグル生まれの子供が魔法に失敗したら、そこに魔法省の役人が駆けつける前にその子が死んでしまうかもしれないのだから。

 

 ハリーはそこまで理解した上で、やっぱり理不尽だという思いを捨てきれなかった。ザビニがハリーに魔法薬を渡してくれたように、合法的に自分に危害を加えてくるマグルに対処する術はある。だが、魔法薬を入手できるのだってダイアゴン横丁に行ける人間、つまりは魔法族だけだとハリーは気付いた。マグル生まれで親族に魔法使いがいない子供は、とんでもなく不利なんだとハリーは思った。

 

 スミルノフはハリーとシリウスを乗せて車を運転し、ダイアゴン横丁まで車を進めた。車はドビーに妨害されることもなく歩みを進め、今度は無事にダイアゴン横丁にたどり着いた。

 

「……今回は、妨害はなかった……ようですね」

 

(あ、そうか……スミルノフさんは犯人捜しをしてくれていたんだ……!)

 

 スミルノフは残念そうに言った。ハリーの心の中で、魔法省庁の職員に対する好感度が少し上がった。バーノンにお役所仕事と言われはしたが、スミルノフ氏は己のできる範囲のことをやろうとしていたのだとハリーは思った。

 

「ユルゲン。今日はありがとう。あなたのお陰で、比較的穏便にハリーを連れ出すことができた。あなたが仲裁していなければ、私は連中に呪いをかけていたかもしれん」

 

「シリウス。子供の前ですよ。……さて、ハリー君。魔法省の大人たちは。君のような子供が一人でも多く安全で。幸福に過ごせるように努力を続けています。また何かあれば我々に連絡を。

……できることなら何も悪い知らせがなく、君が幸福であることを祈っています。シリウス、あなたは私たちへの定期報告を欠かさないよう気をつけてください」

 

「承知した。また会おう、ユルゲン」

 

 スミルノフ氏は車の窓を開けると帽子を取り、軽く会釈をして去っていった。

 

 その日から、シリウスの借りた家に転がり込んで、ハリーとシリウスの同居生活が始まった。

 

***

 

 ユルゲン·スミルノフは、ハリーたちと分かれてから近くのスーパーマーケットに駐車し、煙草をふかしていた。今の部署に異動になってから、胸糞の悪い家庭を目にする機会が増えた。そんな仕事の後は、一服でもしなければ精神が持たない。

 

「魔法界の救世主が……マグルに対しては差別主義者か。笑えない話だ……」

 

 バーノンの言葉は、スミルノフの臓腑をえぐっていた。確かにスミルノフをはじめとした魔法界の大人たちは怠惰で、無責任だった。スミルノフにはその自覚があった。裕福な純血主義者たちが出した金で魔法省が運営されている以上、マグル関係の福祉が充実することはない。人員は最低限な上で、通報がなれけばスミルノフのような職員は動くこともできない。全て分かっていた上で、どうにもならない社会の歯車になるとスミルノフは決めたのだ。

 

 

 

 やれやれと、そんな自分に呆れて首をふると、スミルノフは煙草を消し、スコージュファイで匂いも肺にたまった煙も除去した。スミルノフは余計なことを考えるのをやめた。

 

(……まぁ。それが現実というならばそれでもいい。偏見と排斥が人間の本質だ。どんなシステムであれ歪みはある。システムの不備の果ての不幸が避けられないとしても、だから私のやっている仕事が必要なのだ。私は私の仕事をするだけだ)

 

 スミルノフはそう自分に言い聞かせると、一人でも多く、目の前の不幸な子供を減らすために次の家庭へ向けて瞬間移動した。魔法界の秩序は、彼のような名も無き職員の手によって支えられていた。

 

 

 

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