ウィーズリー家なしでホグワーツまでたどり着けるのか?
ハリーはシリウスと一緒に、二年生用の『基本呪文集』やロックハート先生の著書を読んでいた。基本呪文集のうち、エクスペリアームス(武器よ去れ)やタラントアレグラ(踊れ)といった呪文には見覚えがあった。ハリーは二年生の勉強にもついていけそうな気がしたし、基本呪文集に書いてあった新しい呪文には心を踊らせた。
「……ふむ……なかなかやるな、ロックハートは」
シリウスがロックハート先生を褒めたので、ハリーもロックハートの著書を一巻から順に読み進めた。ロックハートは一巻から、自分がいかに偉大で高潔な魔法使いかということをこれでもかと書きなぐっていた。ハリーはロックハートの冒険には心を動かされた。しかし、読み進めるうちに疑問が沸き上がってきた。
「ねぇシリウス。この本長いよ」
ハリーは端的に著書の問題点を指摘した。
「内容、薄いんじゃない?」
ロックハートの文章力は素晴らしかった。小説を読む趣味のないシリウスや、ハリーのような子供にも分かりやすいような言葉を使いながらすらすらと読み進められ、読んでいるうちにグールや雪男が危険な怪物ではなく、きちんとした文化を持っている種族なのだと理解することができた。
問題なのは、これが小説だということだった。ハリーは正直に言って無駄が多すぎると思った。本筋に至るまでの余白、ロックハートの人格を説明する部分は丸々要らないんじゃないかとハリーは思った。
「……まぁ、そう言うなハリー。ロックハートの本の良いところは、魔法使いが陥りやすい罠を避けているというところにある」
「罠って?」
ハリーはそうシリウスに聞いた。
「闇の魔術を使っていないところだ」
とシリウスは言った。ハリーは内心で少しどきりとした。ハリーは闇の魔術に対抗するために、カースの知識を得ようとした。このことはハリーと親友のファルカスだけの秘密だった。
「強力な魔法生物に対抗するためにカースに頼るのは魔法使いが陥りやすい罠だ。だがロックハートの本では、適切な対処方法によってその罠を避け、魔法生物との相互理解ができなくても歩み寄ることによって、力のみで状況を打開しようとすることの愚かさを説いている。道徳の本として見れば及第点だ。立派だよあいつは」
「じゃあ防衛術の教科書としては?呪文とかその理論とかは全然書いてないんだけど……」
ハリーはシリウスに問いかけた。シリウスは肩をすくめた。
「この本なら、魔法使いがどういうものかよく分からんマグル生まれの親御さんにも安心して見せられる。一年生にとっては理論だけで魔法が成り立っている訳じゃないってことを知る上でも、良い本ではある」
シリウスは、魔法族の魔法がマグルから見て危険度が高く、悪質なことを知っていた。低学年の魔法使いが使う魔法ですら、マグルに知られれば危険視されることは間違いない。低学年向けには丁度良い本だというのが、シリウスの主張だった。
「無能なやつほど高望みしてできもしない魔法を使いたがる。手に余る魔法を使って火傷をするくらいなら、基礎を極めたほうがよほど現実的だ」
シリウスはそう言ってハリーを納得させた。ハリーはマクゴナガル教授の言葉を思い出して納得させながら、それでもロックハートに対して不安が沸き上がってきた。
(シリウスはそう言ったけど、これ、一年生とかにとっては正直どうなんだろう……)
ハリーはロックハートの教科書がまともに魔法理論を説明していないことも気になった。一年生が使える魔法でも、インセンディオやボンバーダは決して軽々しく扱って良い魔法ではない。しっかりとした理論に基づいた知識が必要になるのだが、ロックハート教授はそれを教えてくれるのだろうかと。
***
夏休みはハリーにとって最高の形で終わりを迎えた。ハリーは来年ダーズリー家に戻ったとき、アズラエルの言葉を実践できるのか不安になった。それほどシリウスと過ごした時間は楽しかったし、ホグワーツでの生活が待ち遠しく、ダーズリー家での生活は恐ろしかった。
「明日からホグワーツだ。友達と一緒に頑張ってこい、ハリー」
「うん。シリウスもお仕事を頑張ってね」
「最近は仕事も一段落してな。大分暇になっているよ」
シリウスの仕事は、闇の魔法がかかった製品を取り締まる仕事である。シリウスはハリーにひとつ嘘をついた。シリウスの仕事そのものは小休止して暇になったが、シリウス本人は暇ではなかった。シリウスは貴重な時間をハリーに割いていた。
現在、魔方省では一人の職員が気炎を上げていた。マグルの製品に対して悪質な魔法をかけた人間を取り締まる仕事をしているアーサー·ウィーズリーだ。彼の仕事はマグル製品に対して魔法がかかったものを取り締まるというものだが、アーサーはある筋の情報からルシウス·マルフォイの屋敷に闇の魔法がかかった品があることを知り、ルシウスの屋敷に何回も捜査をかけていた。
本来ならば、シリウスの所属する部署の管轄である。しかし魔法省は、あえてルシウスの邸宅にガサ入れする貧乏くじを引きたくはなかった。シリウスの上司はマルフォイ氏の疑惑に対して、そんな報告は受けていないの一点張りだった。
シリウスの上司はよくも悪くも魔法省らしい組織の理屈で動く男で、正義のために動く男ではなかった。
実際のところ、上司のシリウスへの対応は穏当だった。これが何の後ろ楯もない局員であれば、疎まれて左遷されていたのは間違いない。しかし、上司はシリウスのブラック家としての家名を恐れていた。上司の名誉のためにいえば、圧倒的な財力と魔法使いとしての高い能力、何より由緒正しい家柄をもつシリウスは扱いにくい部下でしかなかったが、彼はシリウスをこれまでうまく使いこなして仕事をし、実績をあげていた。
だからこそ、シリウスの言葉を聞いても、上司はシリウスへの対応を変えず通常通りに業務を割り当てた。組織の倫理に反しない範囲であれば仕事ができる男だったのだ。
『これは駆け引きです。あなたが動いてはいけませんよ、シリウス』
苛立つシリウスを、帰宅途中のユルゲン·スミルノフが諭した。ユルゲンは恵まれない子供たちのために今日も奔走していた。
『アーサー·ウィーズリーの越権行為ということにして、近頃増長しているマルフォイ家に圧力をかける。マルフォイ氏は己の権力を保持するために、有力者や魔法省へ多額の寄付をするでしょう。その寄付によって充実する政策もあるはずです』
『純血にとって都合の良い政策だろう』
シリウスの言葉をユルゲンは否定しなかった。その代わりに、ユルゲンはシリウスを諭した。
『……それが嫌ならば、あなたが純血として責務を果たしていただきたい。あなたには組織の理を動かせるだけの力があるはずだ。その気にさえなれば』
ユルゲンははじめてシリウスを突き放した。シリウスはユルゲンの言葉に胸を抉られた。ユルゲンもまた、シリウスのことをブラック家として考えている人間だったのだ。それは仕方のないことではあるが、シリウスは衝撃を受けていた。大人になってからできた友は、確かに友ではあった。しかし、シリウスの理解者ではなかった。
『今あなたが局員として動けば、それは魔法省が本腰を入れてマルフォイ家と敵対しているということになる。いいですね、絶対に動いてはいけませんよ。誰のためにもなりません』
シリウスがユルゲンや上司の語る組織の倫理で動くというのは、本来ならば到底無理な話である。シリウスはハリーの将来のため、己の正義感のために今の仕事を選んだのだ。本来であれば暴走するはずのシリウスには、暴走できない理由があった。そのために、シリウスは正義感を閉じ込めなければならなかった。
***
九月一日の早朝に、ハリーとシリウスは家を出た。シリウスの瞬間移動によって、ハリーと飼っている蛇のアスクレピオスは九と四分の三番線に来ることができた。マグルの世界から魔法界に繋がる入り口には既に色々な家族がいて、ハリーはルーナ·ラブグッドがその父親と共に突入していくのを見た。ルーナは頭にライオンの帽子をかぶっていたのですぐに見分けがついた。
「じゃあ、僕から先に行くね」
ハリーもトランクを押し込んで突入しようとした。しかしいくら押しこんでも、トランクは前に進んではくれなかった。
「…………あれ?シリウス。これってどうなってるの?」
「何?……ちょっと見せてみろ、ハリー」
シリウスも突入しようとしたが、入り口は反応を示さない。杖で入り口を調べたシリウスは、入り口が細工されているとハリーに告げた。入り口には人だかりができていた。このままでは、ハリーたちだけでなく大勢の子供たちがホグワーツに行くことができない。
「ねえシリウス……これってもしかして……ドビーの魔法かな?」
ハリーはこんなことをする存在に心当たりがあった。あのハウスエルフが、ハリーをホグワーツに行かせないために、善意で何か細工をしたのだとハリーは思った。
「分からん。だが、このままここで立ち止まるわけにはいかない」
もしもそうであれば、無関係の魔法使いたちまで迷惑を被っているのだが。シリウスは原因を突き止めるより、ハリーがホグワーツに行けるように頭を回転させた。シリウスはセドリックの父親に話しかけた。セドリックの父親は、魔法省に連絡を取ろうとしていた。
「どうやら入り口に不具合があったようです。私は魔法省に連絡を入れて、管轄の局員を呼んできましょう」
「エイモス。どうもハリーが通る前に魔法をかけられたようだ。たちの悪い悪戯だろう。私たちは独自のルートでホグワーツに行くことにする。我々が去れば改善するかもしれん」
「そ、そうなのか……?シリウス、承知した。念のために担当の局員は要請するが。まあ緊急事態だし、ダンブルドアもとやかくは言わないだろう」
その場にいたセドリックの父親が困惑しながらも対応をしてくれたが、シリウスはハリーを連れて瞬間移動した。ハリーは周囲の視線がハリーに集まっている中、閉心術の初歩を使ってすました顔をしながらシリウスの腕に捕まり、瞬間移動した。
***
『ぐるぐるぐるぐると、ひどく揺れたなあ』
『ごめんねアスク。大丈夫だった?』
『俺は問題ねえ。ハリーに比べたらな』
ハリーが目を開けると、アスクレピオスの声がした。ハリーは蛇語で蛇に話しかけ、アスクレピオスが無事であることを確認してほっとした。
ハリー、シリウス、アスクレピオスはグリモールド·プレイスにいた。シリウスは瞬間移動で自分の実家に移動したのだ。
「ハリー。アスクレピオスに何度も移動させてすまなかったと伝えてくれ」
シリウスは申し訳なさそうにハリーに言った。シリウスはハリーのペットを面白がり、何回も蛇語で話しかけようとしたがあまりうまくはなかった。
『アスクレピオス。シリウスがごめんって言ってるから許してあげて』
『俺は無事だったから許すもなにもねえ……』
賢き蛇は人間に対して寛容であることが、自分の生活を保障するのだと理解していた。ハリーはこの蛇のために最高級のえさをプレゼントしようと決めた。
「でもシリウス。屋敷なんかに来てどうするの?」
「ここにはホグワーツへの連絡手段がある。移動手段もな」
シリウスとハリーは屋敷の中をさっさと進んだ。ハリーはもうすぐホグワーツ特急が出発してしまうと思ったが、シリウスを信じた。屋敷の中を進むと、シリウスの母親の肖像画がまたシリウスを罵倒した。シリウスは、杖で面倒くさそうに肖像画を黙らせてカーテンに押し込んだ。
「クリーチャー、出てこい」
シリウスは淡々と言った。
命令にしたがって、小汚いハウスエルフがハリーたちの前に出てきた。
(……礼儀正しくしなきゃ……)
ハリーはハウスエルフを残酷に扱うべきではないと思った。もしも朝の出来事がドビーの仕業なら、本気になったハウスエルフは簡単に魔法使いの邪魔ができるからだ。ハリーはペコリとお辞儀をした。
「おはようクリーチャー」
やはりハウスエルフはハリーに不快げな視線を向けた。ハリーはハウスエルフと言っても色々あるんだなと思って内心の不快さを殺した。夏休みの間に学んだことはハリーを少し大人にしていた。
クリーチャーは例によってハリーやシリウスに悪態をついていたが、ハリーが蛇を連れているのを見て興味深そうにアスクレピオスをみた。ハリーは蛇語でアスクレピオスにも挨拶するように言った。
『こちらは僕のペットのアスクレピオス。アスク、クリーチャーに挨拶して』
『クスシヘビのアスクレピオスだ。ハリーに飼われてやっている』
クリーチャーはハリーの蛇語を理解できなかったようだが、ハリーが蛇語を話していることは理解したようだった。もう一度クリーチャーはハリーを見て、ぶつぶつと疑問を言った。
「なぜポッター家の人間が蛇語を……?生き残った男の子は穢れた血を継いでいるはずなのに……クリーチャーにはわからない…なぜスリザリンの、緑色のローブを着ているのか……」
「クリーチャー!リリーを侮辱するのはやめろ、命令だ!」
「いいよ、シリウス。クリーチャー、僕はスリザリンが最高の寮だと思ってるよ」
ハリーはクリーチャーに怒る気持ちもあったが、それをこらえた。今クリーチャーに怒っても時間の無駄だと思った。直接言われたことは許しがたかったが、今はそれよりも時間が惜しかった。ハリーの言葉にクリーチャーは意外そうな顔をした。クリーチャーがはじめてハリーに侮蔑以外の感情を見せた。
「クリーチャー。フィニアスの肖像画を持ってこい」
「承知いたしましたご主人様。クリーチャーめは命令に従います……」
クリーチャーは悪態と共に、一人の男性の肖像画を連れてきた。男性はとても美形な壮年の男だったが、すやすやと狸寝入りを決め込んでいた。
「フィニアス。起きているんだろう。ダンブルドアに取り次いでくれ。ハリーが狙われ、ホグワーツ特急に乗れなくなった。緊急事態として、暖炉の使用許可をいただきたいとな」
「……久々に顔を見せたかと思えばその物言いはなんだね?もっと自分の先祖と家に敬意を持てないのか、シリウス?」
「持っているとも。少なくとも生まれてきたことにだけは感謝している。だが、今は家は関係ないはずだ。ホグワーツの校長だったのなら生徒のために少しは働いたらどうだ?」
フィニアスと呼ばれた男はハリーを見てうんざりしたようなうめき声をあげた。
(何なんだろうこの人……)
何となくルシウスの同類のような、そうではないような気もする不思議な人だとハリーは思った。
「肖像画になってまで働かされるとはねぇ……」
フィニアスの肖像画はその言葉と共に姿を消した。
「シリウス。今の人は……?」
「フィニアス·ナイジェラス·ブラック。ホグワーツの歴代校長の中でも、最も人望がなかった男だ。校長室にやつの肖像画があるから、ダンブルドアと連絡が取れる」
「……凄い人なんだね、フィニアスさんは」
ハリーはどう言うべきかわからなかったが、感じたままのことを言った。いろんな人から尊敬されているダンブルドアと違って、いろんな人から嫌われているのに校長になれるのはきっと凄い人だったのだろうと。
「人間の凄さは地位で決まるものじゃあない」
シリウスはフィニアスを認めなかった。少しの間があって、フィニアスは帰ってきた。
「スリザリンの暖炉を解放するそうだ。ホグワーツもずいぶんと柔軟になったものだ……穢れた血を入学させ、混血をスリザリンに入れるとは……嘆かわしい」
「あなたが見ないふりをしていただけで、昔からスリザリンには混血がいただろう」
「校長先生、ありがとうございました」
ハリーはフィニアスの肖像画にお辞儀をしたが、フィニアスはふんと鼻を鳴らしただけだった。
「クリーチャーも、その、お元気で」
クリーチャーも同じだった。ハリーは二人を通して、純血主義の家から自分がどう見られているのかを意識しなければいけなかった。内心では、薄汚い混血の人間だと思われているのだろうか。
(でも、ドラコやダフネは……友達だ)
ハリーは内心の不安をふりはらい、友達を、スリザリンの仲間を信じようと決めた。そんなハリーに、シリウスは抱きついた。
「これからホグワーツだな、ハリー。不安はないか?」
「ううん、シリウス。全然ないよ。僕はむしろワクワクしてるんだ」
ハリーは悪戯っぽく笑った。
「これから僕の冒険が始まるんだよ、きっと」
「……!」
シリウスは感極まって言葉をつまらせた。ハリーは気がつかなかったが、シリウスはハリーの中にジェームズの姿を見ていた。
「わかった。私の取り越し苦労だったな。ハリー、ホグワーツで何があったとしてもこれだけは約束してくれ」
「……?うん」
シリウスのアドバイスは短かった。シリウスはその短い言葉の中に、万感の思いをこめてハリーを激励した。
「友達を大切にするんだ。君は、どんな時でも絶対に一人じゃない。それを忘れるな」
「わかった。約束する。シリウスに誓うよ」
ハリーはシリウスに背中を押されて、フルーパウダーの炎が燃え盛る暖炉にアスクレピオスと共に飛び込んだ。
「ホグワーツ城 スリザリン寮の談話室!」
ハリーの言葉と共に。ハリーとアスクレピオスの姿は消えた。シリウスはそれを見送ってから、フィニアス·ナイジェラスの独り言を聞いた。
「まったく……スリザリンに半純血を入れるべきではないというのだ。どれだけ優秀であろうとも、我々純血に使い潰されて終わるだけだというのに……」
「あの子は大丈夫だ」
「何故かね?」
シリウスははっきりとフィニアスを否定した。
「私とジェームズ……いや、ジェームズとリリーの子供だからだ」
フィニアス·ナイジェラスの肖像画は、屋敷から去る子孫の背中を見送った。その表情には呆れだけではなく、憐れみが浮かんでいた。
***
シリウスは今学期、ハリーに送る手紙の回数を減らさなくてはいけなかった。シリウスは大人として、本当に子供に構っている時間がなかった。
ドローレス·ジェーン·アンブリッジが起草しようとしている反人狼法を潰すために、シリウス自身が嫌悪するありとあらゆる手段を用いねばならなかったのだから。
原作よりシリウスもハリーも早々に家を出たせいで被害甚大に……