「それでは構えて!!」
ハリーはドラコと向かい合いながら、急速に頭が冷えていく感覚があった。先程までドラコが言った言葉は、ドラコにとっては試合前の動揺を誘うための戦略だとハリーは理解した。ハリーは自分の杖が熱くなっていることを察した。いい相手と試合した後、自分の体調が普段よりも良くなることがある。そういう状態の時は、今どんな魔法でも成功させられるという全能感があった。それは戦闘には邪魔なものだ。
(やるべきことは分かってる。あとはベストを尽くすだけ)
ロックハート先生の号令がかかる。三、二の段階でもうドラコが杖を振り上げている。ハリーは反射的に左側に飛んで、使おうと思っていた魔法を唱えた。
「デパルソ(ぶっ飛べ)!!」
「ルーモス(光よ)!!」
ドラコの龍の杖から放たれた白い閃光は、ハリーを捉えることなくハリーの後ろにいた介添人のザビニの腹にあたった。ザビニは呻き声をあげた。
ドラコの狙いは、簡単なチャームで先制攻撃をすることだった。決闘に不馴れな魔法使いは、自分の最も得意とする魔法、あるいはエクスペリアームスなどの一撃必殺となりうる魔法を撃ちたがる。それはリスクが高いものの、決まれば一発で勝利をもたらしてくれるからだ。
しかし、ドラコは慎重派だった。そんな博打をうたなくても、ドラコは色々なチャームやヘックスを知っていた。簡単な呪文で機先を制してから畳み掛ける手段はいくらでもあるのだ。ドラコの戦略は決闘の基本をおさえているといえた。
しかし、ハリーもまた決闘クラブで腕をあげていた。ロンと戦い一撃で返り討ちにあうという経験をつんだハリーは、簡単な魔法で相手の魔法の成功率を下げるという手段を覚えていた。ルーモスは初歩の魔法であり、杖から光を生み出すだけのシンプルなものだが、詠唱は短く、魔法力次第で数秒は相手の視力を奪うことができる。ハリーのルーモスの強力な光は、ドラコと周囲の生徒たちの視界を一時的に零にしていた。
「……(足を止めるわけには……!!)サーペンソーティア(蛇よ出ろ!)!!」
「ウィンガーディアムレヴィオーサ(浮遊せよ!!)!!」
強力な光で狙いがつけられないドラコは、ハリーの追撃をかわすために右後ろに後退りながら変身魔法で空気を蛇に変える。蛇はドラコの指示がなくてもハリーを襲ってくれるはずで、ドラコは不測の事態にあっても満点に近い対処をしていた。
しかし、ハリーは文字通りその上をいった。自分の靴を浮遊させたハリーは、一瞬のうちに浮かび上がってドラコの頭上を飛び越えた。
「どこだポッター!?何を浮かせた?!」
「エクスペリアームス(武器よ去れ)!!」
視力が戻ったドラコの前には、いたはずのハリーはいない。ドラコの頭の中に、ハリーが自分を浮かせたという発想はそもそもなかった。一瞬のうちにドラコの頭上から放たれた赤い閃光が、ドラコの持つ龍の刻印が彫られた杖を奪い去った。この時点で勝敗は決した。ハリーの勝利だった。
仮にドラコがクラッブかゴイル、あるいはミリセントなら、杖が奪われた瞬間にハリーに接近して反撃を試みればそれでも勝ち目はあった。だがドラコの身体能力はハリーと同程度であり、ハリーがドラコに反撃できるだけの距離があった。
(ダメだ、蛇が……!)
だが、ハリーは勝利に喜ぶよりも先にすべきことがあった。ドラコが変身呪文で生み出した美しい黒蛇が、目の前にいないハリーではなく、自分に近い観客席のジャスティンへと襲いかかろうとしていたのだ。ハリーは杖を振り上げて蛇を止めるための魔法を唱えた。
『踊れ(タラントアレグラ)』
『……承知しました!いかがですか?これで宜しいでしょうか!?』
ハリーの中で、奇妙な感覚があった。黒蛇を止めるために魔法を行使したはずが、ハリーの杖からは魔法が出なかった。にも関わらず、黒蛇はまるで魔法にかけられたかのようにジャスティンの方に向かうのをやめ、とぐろを巻いてハリーのところに近寄ってきた。
(可愛いな……)
ハリーはほとんど反射的に蛇に笑いかけた。魔法で生み出された数秒の命とはいえ、蛇は確かに蛇だった。
「一体何を悪ふざけしているんだ!?人を怖がらせてそんなに楽しいのか!」
そんなハリーを現実に引き戻す声がした。ジャスティンの視線はハリーの心を傷つけた。バーノンやペチュニアがハリーを見るのと同じ、得体のしれないものに対する恐怖と、ハリーに対する怒りを持った目だった。
「……いや、そんなつもりはないよ。僕はただ、この子がたまたま君を襲わなくて良かったなって……」
「嘘つきめ!蛇をけしかけるつもりだったんだな!?」
ブロンドのアーニー·マクラミンがハリーをそう言ってなじった。ハリーが何か言う前に、ジャスティンはくるりと背を向けて決闘クラブから去っていってしまった。
「……おい!?戻れジャスティン!人の話は最後まで聞かなきゃダメだって教えただろう!ハリーも、こういうときは誤魔化さずに何が起きたのか正直に話すんですよ!」
バナナージがジャスティンを制止しても、ジャスティンは戻らなかった。ハリーは決闘場の上で、ドラコの杖と自分の杖を握りしめながら呆然とその背中を見送った。
(何で)
ハリーの中にやり場のない怒りが沸き上がってきた。
(蛇と話せるってだけじゃないか……蛇は何も悪くないじゃないか……!)
ハリーはドラコに杖を返した。ドラコは杖を受けとるとき、誰にも聞こえないような小声でハリーにささやいた。
「あれが穢れた血の本性だぞ、ポッター」
「あいつらは君が好きなんじゃない。君が自分達に都合がいいからって持ち上げていただけだ」
ハリーも小声でドラコに言い返した。
「そんな人たちばかりじゃない」
ハリーは重たい足取りでザビニたちのところに戻った。ザビニたちスリザリンの三人はハリーのことを心配そうに見ていて、ロンとハーマイオニーはハリーをホールの外へ連れ出そうとしていた。ルナはハリーに勝って良かったねと、何でもないことのようにハリーを労った。ハリーにとってはそれだけが救いだった。
決闘クラブはもはや決闘をする雰囲気ではなかった。主催者のロックハートが、何か急用を思い出したと言い出して今日の決闘はここまでだと言った。バナナージやマクギリスとハリーたちを除くと、ほとんどの生徒はハリーに近寄りたくないとばかりに足早にクラブを去ってしまった。バナナージはアーニーを無理やりその場に残らせて、ハリーに事情を説明させた。
「……じゃあ、きみは蛇語使いだったんだね、ハリー。そして君が蛇語使いであることは、今までスリザリン寮だけの秘密だったと」
バナナージは納得が言ったとばかりに頷いていた。
「……こういう目で見られるかもしれないと思ったので黙っていました。でも、僕は継承者じゃあありません。信じてください」
ハリーはバナナージやロンに必死で訴えた。
「一年前にピーターを見つけることができたのは、ペットの蛇が人間だって教えてくれたからなんです。……蛇は本来は、穏やかで賢い生き物なんです」
「あ、あー、それで……それでそうだったのか……いや、でも俺たちには教えてくれたっていいじゃないか!」
ロンは困惑していたが、やがて少し怒ったように言った。
「友達なんだからさ、それくらい話してくれたって。別に俺とハーマイオニーはハリーを変な奴だとは思わないぜ?」
「スリザリンの癖にグリフィンドール生と仲がいいんだぞ。変人に決まってるだろ」
そんなロンに対して、ザビニの鋭いツッコミが炸裂した。バナナージはハリーの説明で納得してくれたが、アーニーは信じなかった。
「そんなことを言って、君が継承者じゃないなんて根拠はどこにもないじゃないか!現に、ジャスティンは君と決闘して君を怒らせたって怯えていたんだぞ!蛇語使いなんてことを隠しておいて、またどんな後ろぐらいことを隠しているか……!」
「じゃあもう僕はジャスティンには話しかけないよ。それで君の気がすむかい、アーニー?」
「ああ!もうジャスティンには近寄らないでくれ!」
アーニーは友人を守るためにと、自分が嫌われ役になることに決めたようだった。あるいは、ハリーを疑ってしまい引っ込みがつかなくなったという方が正しいのだろうか。
「……本当に理解力のない人にはイライラさせられますねぇ……!」
「こうなると分かっていたから、私たちは今までハリーの能力を隠していたのだ。無知と偏見が誤解を生み出し、迫害に繋がることを恐れてな」
「言いたいことは分かるがそれを君が言うなよマクギリス。それは言葉を尽くした人間だけが言っていいことだ」
ハリーの気持ちはアズラエルが代弁してくれた。マクギリスは諦観の念でアーニーを見ていた。ハリーはもうジャスティンにもアーニーにも話しかける気はなくなっていたが、バナナージは諦めないようだった。
「ハリーとアーニーはここに残ってくれるかい?ちょっと三人で話したいことがある」
バナナージはハリーとアーニーだけを残して他の皆を帰らせた。彼は他の皆が帰ったことを確認すると、ポケットから機械を取り出した。
「あのう、バナナージ先輩。これはラジカセ……ですか?どうしてこんなものを?」
ホグワーツにおいては、マグルの製品は使うことができないように城全体に防御魔法がかけられている。それはラジオカセットデッキも例外ではないはずだったが、ここに例外が存在したようだった。そのカセットは異常に圧縮されていて、杖を操作するだけで聞きたい音楽や番組を自在に聞くことができ、また録音も出来るらしかった。
「魔法講義や魔法史の教育番組を寮で聞くためさ。さ、ハリー。蛇語を話してみてくれ」
「……あの、蛇を出していただけませんか?僕は蛇がいないと蛇語は話せないんです。……さっきも話すつもりはなくて、呪文を唱えたはずだったんですけど」
バナナージはサーペンソーティアによって蛇を出現させ、ハリーに汚名返上の機会を与えてくれた。ハリーの蛇語を録音した圧縮ラジカセは、驚いて目を丸くするアーニーをよそに蛇語を完璧に再現してバナナージが生み出した蛇を操ってくれた。
「これでハリーが蛇をけしかけたってことは誤りだとわかったな」
バナナージはニッコリと笑って言った。
「さ、アーニー。ハリーに謝ろう。……ジャスティンも、明日ハリーに謝ればいいさ。きみはそれが出来るやつだろう?」
アーニーはハリーに謝罪して、ハリーもそれを受け入れた。即座に誤解が解けたのでなければ、ハリーは自分のなかでアーニーへの怒りを燻らせていただろう。
ハリーはアーニーとの間にあった誤解をひとつ解くことができたが、複雑な気持ちだった。マグルの製品を使って窮地を救われたという事実は、シリウスやハーマイオニーやロンの言葉よりハリーを打ちのめした。
「ありがとうございました、バナナージ先輩」
それでも、ハリーはバナナージにお礼を言った。バナナージは鼻をかいて、ハリーに弱々しく笑いかけた。
「いいさ。偏見は誰にでもあることなんだ。……それを怖がるのも、誰にだってあることさ。君も、アーニーも、責められるものじゃない」
そして、軽くハリーの肩を叩いた。
「その代わり、こいつのことはロンやパーシー先輩には内緒だぞ」
「……はい」
ハリーはアーニーも去って、喧騒が嘘のように静まりかえった決闘クラブを見渡した。
「……明日から、何人の人がここに来てくれるんでしょうか」
バナナージは力なく首を横にふった。
「……静かな方が、勉強は捗るよ。気にするな。こういうときは誰にだって、ある」
(それはそうかもしれないけど)
ハリーはバナナージの言葉を聞いて、強く思った。
(スリザリンの継承者が捕まらない限り、いつまでもこんなことが続くんじゃないのか?)
***
ギルデロイ·ロックハートは今日も己に杖を向けていた。忘却の対象は蛇語使いへの恐怖、スリザリン寮への恐怖、そして何より、己自身の敗北の恥辱。
無言で杖を向けていたギルデロイは、自分が魔法を唱えていなかったことに気がついた。
「……ああしまった。私としたことが詠唱を忘れるなんて。オブリビエイト(忘却せよ)!」
無言呪文による目にも止まらぬ杖捌きの技術も、高速の魔法技術も。己がそれを使えたということすら忘却したギルデロイは、詠唱によって己の恥辱をぬぐいさるのだった。
***
翌日は、ハリーにとってはさんざんな一日だった。蛇語使いであることが発覚して、スリザリン生やロンとハーマイオニーとルナ以外のいろんな生徒から避けられ、腫れ物扱いは加速した。
ハリーに追い討ちをかけるように、朝食の席ではいろんな生徒が日刊予言者新聞の一面を目にしていた。そこにはでかでかと、『シリウス·ブラックに迫る女性の影 婚約者か、浮気相手か』という見出しがついていた。シリウスと、パーティーで見た女性とが歩いている写真がハリーを見て驚いていた。
「良かったねえポッター!君の保護者は素晴らしい純血同士で結婚をするらしいよ?」
「シリウスが結婚したいならすればいいじゃないか。僕は何でも気にしないよ」
ハリーは強がってそう言ったが、シリウスにあまり学校でのことを相談するのは控えた方がいいかもしれないと思い始めた。シリウスは何か非常に忙しそうだったし、ハリーのことで手を煩わせたくなかった。ハリーは動揺する気持ちをおさえてオートミールをかきこんだ。
***
しかし、事態は更にハリーにとって悪いものとなった。放課後にジャスティンと会うと約束していた場所に行ったハリーは、石になったジャスティンとニコラス卿を発見したのである。威圧感を与えてはいけないとハリー以外の面々は先に決闘クラブに向かっていたが、それが仇となった。ハリーのアリバイを証明できる人間は誰もおらず、ハリーは事件の容疑者だと気が動転したアーニーから指を指されてしまった。
無言呪文が使えるはずのロックハートがどうして一番得意な魔法で詠唱してたのかの答え合わせです。