※三話タイトル変更(2023.05.17)
「
「血ぃ見せろや!」
「ヒッ!」
この行いはもはや己の美学に反するし、
ジェントル・クリミナルは文字通り筋肉の塊となった
とある街の雑居ビルが立ち並ぶ一角。
ときには建物を盾にし、ときにはその上空を舞い、自身の『個性』を駆使して、空中を逃げ続けている。
しかしながらその
「私は紳士ジェントル・クリミナル! 見ての通り、只今いつもの窮地に……うおおぉッ!」
ブウン、と巨大な蜂が通り過ぎたかのような重い風切音が眼前を通り過ぎていく。
とっさに目の前の空気に『
これは体に非常に負担がかかるため、何度もできない地味な大技だ。
少々鍛えてはいるが、しょせん凡人である三十歳の身体に連続トランポリンは大変きついのである。
(これが『本物』の動きか!)
こちらの足の運びから、飛ぶ軌道を予測されてしまっている。
あの
戦いに熟練しておらず、頭の回転も鈍いほうであるジェントルにとって、その迫りくる
「状況は追って説明しよう! 今回は……」
「オラァ!」
読まれてしまうなら、刻むしかない。
ジェントルは左右の手で
だが、これは彼本人の体も不規則な回転を始めてしまう欠点があった。
失敗のリスクもある手段だが、ここではなんとか距離を稼ぐことができた。
しかし、自身に加えられた回転運動は止まらず……
「ヒーローのいぬ間に暴れるヴィラン!!
『ゲッダンする姿もステキよ、ジェントル!』
彼の
彼の気分は高揚していた。
三半規管の崩壊の危機に苦しみながら。
何も知らない少年に未熟だったころの自分を投影し、けしかけて、そうして自分の心の傷を癒した。
これは、そんな、少年の若さを搾取した汚い大人からの、せめてもの詫びだ。
(少年の失敗、私が全力で誤魔化してやろう)
重力に逆らわず、狂った姿勢を立て直す。
さらに空気に『弾性』を加えてトランポリンに変え、それに乗って再び街の上空へと浮上した。
ラブラバのドローンもそれにぴたりと追従する。
建物の上まで上昇し、ジェントルは街を見下ろした。
「見たまえ
『テレビの天気予報。全国版でもおなじみの景色ね!』
追従するドローンもその映像を録画しているだろう。
彼は現状の説明を始めた。
道路ではいくつもの潰れた自動車が煙を噴き上げていた。
散乱する道路標識やガードレールの残骸。
その両側の建物は窓ガラスが崩壊し、壁に大穴が開けられたところもある。
その下で、残骸を蹴散らし、新たな破壊痕を量産しながら、
「見ての通りだ!
『この騒ぎが起きてからもう三十分近いわ! これは異常事態よ!』
ジェントルは少し背の高いオフィスビルの屋上に着地した。
角度をつけることで、
「避難が遅れる市民を見て、私は義憤に駆られた!」
『ステキ! ちなみに、今はなぜか市民の避難完了してるわ! このブロックにいるのは私たちだけよ!』
「え、そうなの?」
彼は思わずドローンに向き直った。
言われてみれば、確かに、逃げ惑う市民の姿が見えなくなっていた。
それはいつからだったろうか?
ヒーローどころか警察すらも姿を見せていないのに、どういうことだ?
「まあそれはなにより! ともかく私は
ジェントルはビルから再び跳躍した。
黒いコートの裾が翻る。
「普段はこのような野蛮を見せない。紳士的ではないからな! 言うなれば、今日の私はダーク・ジェントル! あべし」
『ジェントルーッ!?』
彼が屋上で一息ついている間に建物を登ってきて、追いついてしまったのだ。
「いや
「このまま紅葉おろしだ!!」
そのまま
それは自転車の空気入れ等に使用する、携帯用のCO2ボンベを改造したものだった。
その中から膨張する空気にジェントルが『弾性』を込める。
するとコートが膨らみ破れ、
「クソが!!」
「くっ……」
拘束から脱出するための一回きりの隠し玉だった。
これでジェントルは完全に手札が尽きてしまった。
(ダメだ、すぐ追いつかれる!)
彼は必死で逃走するも、距離を詰められていく。
こちらは空中トランポリンでほぼ滑空飛行状態。
それに対して相手はジャンプと着地を繰り返しているにもかかわらずだ。
「オラァ!」
『ジェントル!』
ドローンがジェントルをかばい、バラバラにされた。
おかげで彼は切り返しが間に合った。
再び上昇し、周囲を見回す。
もう全てを出し切ってしまった。
あとは闇雲に逃げるしかない。
そして他力をたのむのである。
「さすがにそろそろ来ているはずだ!」
(この街には『本物』もいる! 見つければ私の……)
焦りで視界が
不自由な視界の端に、何か赤いものが映った。
(……羽根?)
その赤い羽根は、彼の眼前で
そこに言葉のやりとりは無かったが、その意図を汲み取ったジェントルは、その羽根を追って跳んだ。
──迫りくる
再び追いつかれたとき、ジェントルは一瞬だけその悪鬼の姿を拝むことができた。
彼はその直後に蹴りを喰らって墜落する。
空中で支えるものがないはずのその一撃は、それでも鋭かった。
ジェントルは空気に『弾性』を加えた障壁で弾こうとはした。
しかし、蹴り足は跳ね返される前にジェントルの胴体に突き刺さった。
その
筋肉の総量はこれまでと比べて減っている。
それなのに、その強さと速さはむしろ高まっている。
個性『筋肉増強』。
体内に収まり切らない程の筋繊維を増殖させ、その恩恵を受ける能力。
それは一般的な増強型個性と比べると、むしろ回りくどい能力であった。
個性によっては、枯れ木のような細腕で、重機のような理不尽な腕力を発揮するケースもあるのだ。
容姿にとらわれないパワーを発揮するほうが普通なのである。
常人のそれを遥かに超越した断面積の筋肉は、確かにその持ち主に無制限の出力を供給する。
しかし、その制御は困難を極めた。
拳ひとつ突き出すにも、人間の骨、関節と筋肉は複雑に連動する。
追加された筋肉には当然、それを脳から操作するための新たな神経系も増設される。
彼はその個性が強化されればされる程に訓練を要求されることになった。
今、彼の肉体の表面では筋繊維が頻繁に
ひとつの運動をするごとに、多くの筋肉が限界を超えて破断していた。
壊れた筋肉は収納され、体内から絶え間なく新しい筋繊維が供給され続けている。
(おそらくは、これがもうひとつの完成形)
ジェントルはその姿から、その
怒りで我を忘れているその男は、今、それに気づいていないだろうが……
また蹴飛ばされた彼は、着地に失敗して尻もちをついた。
かろうじて着地点に『弾性』を加える操作が間に合い、大怪我は回避できたが、それでも避けられない腰と尻の痛みに
震えて這いつくばる彼を踏み潰そうと、
ジェントルは観念して目を閉じた。
しかし、その
彼の背後、左右から、揃いのコスチュームを着た二人が、両腕を前に構えたまま、慎重に歩いてきた。
ヒーロー、ウォーターホースの二人だった。
水の『個性』は、この社会と相性が良い。
土と同じく、飲まれれば人間などひとたまりもない大質量の権化である。
そうでありながら、いくら力を込めて放っても最後はただの水滴となり、蒸発するか海へと流れていく、厳しくも優しい暴力。
火災消火から暴徒鎮圧、生命維持までなんでもござれのスーパーヒーロー。
ジェントルは痛みを堪えて立ち上がり、すれ違う二人に向かって一礼をした。
二人はそちらを向かず、
振り返って、二人を見送る。
その二人を助けるかのように、数枚の赤い羽根が飛んでいった。
「守るべきものを抱えていない」ヒーローと
あの
自分の出番は終わった。
冷水を浴びせられて正気に戻ったのか、
放水を受けながら抵抗するその姿を見て、ジェントルは独りごちる。
「その孤独な世界にいる君を、もう誰も正せない。そこへ踏み出したのは君だ。自分で見つけるしかないのだ」
『いいや、人はまた解り合えるさ』
突然かけられたその声に、ぞくりと背筋が凍った。
いつのまにか自分の横に、何かが立っていた。
それは黒づくめ、というには飽き足らず、外から黒尽くしにされたような人影だった。
全身に黒い霧のようなものを纏い、それがそのままその生き物の輪郭を型取り、そして肉となっているようだった。
それは、体格だけを見れば男のようだが、その顔には表情というものが無かった。
その表面にあるのはただひたすらに塗りつぶされたような漆黒であった。
その声は、その男の
『だって、この世界にはまだ、その希望があるじゃないか』
その怪奇現象に、ジェントルの体は震え始めた。
『それは超常を日常に変えた』
『架空を現実に変えた』
『だから、断絶も、いつかはきっと。僕はそう信じている』
その声は、希望を語るようでいて、呪うような悪意が込められていた。
『
男の腹から手が現れ、ゆっくりジェントルへと伸びてくる。
その手は黒いスーツの、カフスのついた袖から伸びていた。
その内側に、彼も名前を知っている、生地の良いブランドのシャツの袖が見えた。
そこまで観察できていながら、彼は恐怖で全く身動きが取れなかった。
その手が彼を
黒尽くしの男が尻もちをついたように後ろへ下がり、手も引っ込んだ。
その通り過ぎた何かが銃弾だとわかったのは、一秒足らずの後に遠くで小さく銃声が聞こえたからだった。
黒い霧からの声が少し遠くなった。
『何年もかけて、足跡にすら届かなかったような奴が……どう思う?』
「私と同じか、それに匹敵する移動力を手に入れたのではないかと」
闇の奥からささやく声と、その本体の男が会話した。
男はジェントルより少し若い男の声をしていた。
『……追い払いたいが、今はリソースが惜しい』
「幸い、公安の本命は
『あの筋肉の個性
「承知いたしました」
返事をいた男の体から黒い霧が噴き出し、その輪郭が広がる。
『君とはまた、会える予感がするよ。
男は黒い霧に飲まれて小さくなり、やがて消えた。
(まっぴらだ)
ジェントルは絶え絶えの呼吸の中で、二度と会いたくないと願った。
なんというホラー。鉄砲まで出てきて
心に新たなトラウマが量産されてしまった。
彼は再び腰を抜かしてしまい、しばらく立てなかった。
──同じ街の、やや郊外に位置する高級ホテルのラウンジ。
そこで食事を楽しんでいた、着飾った客も、ボーイ達も、誰もが驚いた表情である方向を注目していた。
日差しの強い夏場はあまり人気のない、景色の楽しめるテラス席。
そこで黒く小さな異形の者と食事を共にしていた、赤いサマードレスを着た女性客。
その女性がどこかからいきなりゴツいライフルを取り出して街中に向かって発砲したからだ。
「今消えた、黒い奴がそうなの?」
テーブルの上に浮んだ異形は、周囲の反応に構わず、ドリンクのストローに口をつけた。
「ああ、あれはその
「興味深いね」
女が長大なライフルを軽々と持ち上げた。
よく見ればその銃身はその女の肘から伸びている。
そのままライフルを右腕に収納した女は、姿勢をテーブルに戻して、コーヒーカップを手に取った。
「
「ふうん」
「どんな手を使ってもな。なんならこの国を道連れにしてでもだ」
「過激な物言いはそれだけで信用を棄損するよ」
そう言った黒い異形はナイフとフォークを持つ。
その目の前には鉄板に乗せられたステーキがあった。
「いいよ。利害は、まあ、一致してるからね。その分こちらの仕事にも協力してもらうよ?」
「義理は通すさ」
異形がステーキを切り分け始めた。
「ところで、今の狙撃、だいぶ神懸かってたと思うんだけど、どうやったの?」
「そう大したもんじゃねぇぜ。外れたしな」
「外したんだろ」
女は語る。
──以前に
最後はあのオールマイトも出張った事件だ。
私は裏社会の噂を追っただけで、その場にはいなかったんだが。
内通者も組み合わせての、意図的なヒーロー活動の抑制。
「見えざる危機」のままである限り、十全には動けない警察。
その一時的硬直を利用しての、
それだけの騒ぎを起こしておいて、
この街の状況が、その時と
「……あとはまあ、運だな」
こうやって、なるべく広くカバーできる場所で張ってただけだ。
フィールド全体の一割程度でも見渡せる場所で……
「──七日も待っていれば、どんな臆病なウサギでも一回は穴から顔を出すもんだ」
「根気強いなあ。ボクにはとても真似できないよ」
異形がふた口目の肉にフォークを伸ばしたその時。
すとん、と軽い音を立てて、赤い羽根が二人の座るテーブルの近く、木製の手すりに突き立った。
「何これ」
「バカ速ぇな。公安だ、逃げるぞ」
「ああ、せっかくのステーキが」
「ほざけ。あ、金は置いてけよ。そうすりゃ出禁にはならねぇ。そういう店だ」
「わかったよ」
女は立ち上がり、耳にかかった髪をかき上げながらその羽根に近づいた。
グロスの乗った唇を羽根に寄せて、小さな声で話しかける。
「四ブロック西、一ブロック北。中華料理屋向かいの雑居ビル三階だ。誰にも悟られるな、後輩」
女と異形は、空中に現れた黒い霧の穴の中に身を翻し、消えていった。
その羽根は、手すりからはらりと舞い落ちた後、ある方角へ真っ直ぐ飛んでいった。
──窓のガラスが全部割れてしまった、雑居ビルの会議室。
ジェントルに逃げろ、と言われた
「行って、いいんだろうか、本当に?」
出久は戸惑いながら、その部屋の片隅に散乱した、流血の跡を見る。
(あれの事情、警察かヒーローに説明しないといけないよな)
そう悩み、そのまま留まっていると、突然視界に影が生まれた。
空を見上げると、太陽を背にして、巨大な翼の影がこちらに降りてきていた。
「うわあっ!?」
影は、
それは翼の生えた人の形をしていた。
「そこの中学生くん、ちょっと聞いていいかな」
「うそ、ホークス?」
それは出久が一方的によく知るトップヒーローのひとり、ホークスだった。
トレードマークの赤い翼にイエローのコスチューム。
彼がテレビで観た、ヒーロービルボードチャートで紹介されたときそのままの姿だった。
福岡が本拠地の彼がなぜここに、と思った。
来るべきものがきた、とも思った。
「お、ご存じでしたか、じゃ、自己紹介はいいかな」
ホークスはそう言いながら翼を折り畳んだ。
「大丈夫です! 活躍見ました! やっぱり早い! 何が早いってその着地の早さ! 通常の鳥類は着地のために何度か羽ばたくけどホークスは滑空だけで綺麗に決めてしまう! これは他の空を飛ぶヒーロでもなかなかできないことなんだ! でもトップヒーローはやってのける! なぜなら事件は地上で起きているから」
「ちょっと落ち着いてくれん?」
「ハッ!? ごめんなさい!」
ホークスは何かを探すそぶりをしながら、床からそれを拾い上げた。
「これ、君の?」
「あっ……」
その手に持っている鉄パイプを見せられる。
出久が投げたもの。
あの
ホークスはもう片方の手に持った羽根で、パイプの先端についた血の塊の一部を拭い、検分している。
(よし、言うぞ……)
出久は、急に問われてしまい、勇気を溜めることを必要とした。
そしてジェントルが言うとおり、これが最後になるのだと思った。
ならば、きっぱり
「はい。僕が
「いや、そういうのじゃなくて」
だが、その反応はそっけなかった。
「これ君の大事なものじゃない? 宝物とか、記念品とか、親の形見とか」
「い、いいえ、全然別にそういうのではなく、僕が言いたいのは……」
「そ、いらんならよか」
ホークスは手に持ったパイプを部屋に放り投げてしまった。
「ええっー!?」
「君、悪いんだけどさ。俺がここにいたってこと、黙っていてもらえないかな」
変わらぬ軽い調子で、こっちが本題なのだと、その表情が明確に示していた。
こことは何処か、ジェントルから聞いていた出久は察してしまった。
「……」
「大人の都合でね、今日、この街で起きた事件は、この街のヒーローと警察が収拾した。
「……」
「汚いとこ見せて悪いけど、君には正直に言うたほうがよさそうやけん」
今朝の自分なら、何か引っかかったかもしれない。
それではホークス、あなたが頑張り損ではないか、なんて言ってしまったかもしれない。
「いえ、それが正しいと、僕も思います。きっと、街の人はみんなウォーターホースを好きなんです。だから頼ってしまった。他は知らないけど、できれば、二人は責められてほしくないです」
「やなぁ」
ホークスの表情が柔らかくなった。
「じゃ、この件では君も悪い大人側ってことでよろしくね」
「はい」
ホークスが右肩に提げていたバッグを見せた。
「ところでこのバッグ、キミの? 現場に落ちとった。そのバッジ、同じ学校やなかと?」
「う、僕のです。ありがとうございます!」
(うわ、学校バレた)
出久は頭を下げながらそれを受け取った。
「次の電車は十五時ちょうどだから。駅まではそこの道を道なりに。歩きでも間に合うよ」
「はい、すぐ帰ります!」
バッグの上にペットボトルが投げられた。
「このミネラルウォーターあげる。熱中症気ィつけて」
「もう何からなにまで本当にすみません!」
その立ち振る舞いはまさしく、誰よりも早く、その正しさを押し付けてくるヒーローだった。
(これは、気持ちいいくらい敵いっこないや)
「あとひとつ」
「は、はい?」
ホークスは手に持った赤い羽を出久の眼前に向けた。
その先端には血がついている。
「次は、免許取ってからやりなよ」
「……」
きっと
出久はふたつの意味で返事ができなかった。
「っは、約束できんと?」
ホークスはニヤリと
ヒーローらしからぬそれを正面で見てしまった出久はびくっと肩を
「ほら行き」
「ありがとうございます! 失礼します!」
出久はバッグを担いて、駆け足で部屋を出て階段を降りていった。
「──さて、この部屋の後片付けはサボっていいんスかね、先輩?」
きつい西日が差し込んでくる、折り畳みデスクとパイプ椅子の残骸が散乱する部屋の中。
そこに、なぜか鍵の空いたまま転がっている、小さく重そうな金庫。
ホークスは、その中にあった赤いメモリーカードを拾いあげた。
それを無言でポケットにしまうと、自分も歩いて部屋を出ていった。
※三話はあと一回続きます(お風呂回)
(2024.01.19 追記) 今回いいところのなかったマスキュラーさんですが、この後何度か再登場します。