トガちゃんが先に出会ってしまったIF
【もくじ】
01.木椰区:センパイ
02.木椰区:良い子悪い子
03.木椰区:これは運命
またもや前言撤回で申し訳ありません。
長くなっちゃったので今日明日に分けて投稿いたします。
今日がデク側の締めで、明日が雄英高校側の締めになります。
※1でMt.レディに関する独自設定があります。
※2にトガちゃんのちょっと過激なシーンがあります。
※3はヒロアカ原作を逸脱気味の魔法少女バトルになっています。
────────
「お久しぶり」
「ええ、
「何よ、あの頃の私、そんなに芋っぽかったかしら?」
「そう申してやす」
「ひっど」
──札幌から片道百二十キロ。
五年と一ヶ月前に卒業するまで、岳山優が通っていた北海道の農業高校。
そこは田舎の中の田舎みたいな立地にあることを除けば、特に大きな特徴の無い、一般的という
全寮制としては比較的学費総額は安めで、例えば実家に就職することが内定しているような、道内の農家の子女が家業の勉強になるしとりあえずここでいいや、という理由で通う「ユルい」学校だった。
そしてその高校には裏口が開かれていた。
他に行き場のない生徒、特に他校では出願すら受け付けてもらえないような特殊な事情のある生徒達の最後の受け入れ口の役割をしていた。
例えば、岳山優のように、その『個性』が理由で受け入れが難しい生徒であったり。
あるいは、ふたつ上の『センパイ』のように、指定団体の長を親に持つ生徒であったり。
その高校はとにかく「ユルい」学風だった。
ただし「ユルい」というのは風紀に関する指導が皆無だとか、卒業要件が甘いとかその程度の話である。
その授業内容、特に実習として行われる各種農作業は外の社会と変わらぬレベルの重労働であった。
農作業とは、とにかくきついものだ。そこにユルいも厳しいもない。
人間の事情は後回しにされ、天候および生産物の事情に合わせたタイムスケジュールで稼働する。
岳山優、後のヒーロー・
『センパイ、ロール全部ラップ巻き直してきましたー』
『さすが早い! ねぇ
『やった! 死ぬ気で空けます!』
『その代わり夕飯はセイコーで、風呂も抜きでシャワーのみだよ。A号牛舎の床掃除、もう土曜の夜しかやるチャンスないからね!』
『ああっ、そうだったーっ! それはキツイ! でも行く!』
都会から流されてきたという『センパイ』は、岳山から見れば、都会へのあこがれを具現化したような人だった。
髪はキンキンの極彩色に染められたパンクスタイル。
特技はジャズベースとストリートダンス。
容姿に服装、言動に生活態度も派手の一言。
そして、彼女の「事情」については噂話で周知されていた。
彼女は数人の取り巻きとグループを作り、周りからは『お嬢』と呼ばれ、一定の距離は取られつつも受け入れられていた。
岳山はそんな彼女の取り巻きの一人になった。
『センパイ』は新入生だった岳山の『個性』に目をつけて、自分のグループに誘い、選択実習に自分と同じ畜産を選ばせた。
そこには岳山の力をいいように使おうという都合しかなかったが、岳山としても自分は確実に孤立すると思っていたので、その立ち位置に組み込まれるのは有意義だった。
『ビビってんじゃないよ。こんなのはケガレじゃない』
それが実習中の『センパイ』の口癖だった。
彼女の成績は良くなかったと聞くが、不思議と授業態度だけは真面目だった。
『センパイ』は月に一度、身近な都会である札幌に連れていってくれた。
『どうも、お待たせしやした』
『おつかれー、いつも朝何時に出てるの?』
『四時起きの十五分発ですねぇ』
『アハハ! ヤバ! 早すぎ!』
『いや、ウチらも同じ時間に牛の世話始めてんじゃん……』
黒塗りのいかにもな高級車に揺られること二時間。
札幌で、彼女が「面会」を終えるまでは、取り巻き一同はカフェでまったり。
その後『センパイ』含めた一同で街に繰り出し、とにかく何でもおシャレなことを楽しむのが、当時の岳山にとっては最高の楽しみだった。
『ねぇ、──さんって恋人いるの?』
『恋バナは娘さん同士でしてくださいよ。もう何年も本物のハンドルしか握ってやせん』
『下ネタだ!』
『センパイ』と街に出かける日、札幌から車を回して百二十キロを二度往復させられる、どこか危険な香りのする運転手。
それが、
──指定された場所は
一面ガラス張りの正面入り口側にある、テーマのない平坦な内装の、買い物客に小休止してもらうことに特化したカフェのオープン席。
その隅の、目立ちにくい四人掛けのテーブルに、ビジネススーツ姿の男女が向かい合っていた。
片方は薄紫のジャケットに袖を通した、Mt.レディこと岳山優。
腰までかかる長い金髪はよく櫛が通され、艶めきながら肩を流れ落ちている。
普段より手の込んだナチュラルメイクで、アクセントに縁の赤い伊達眼鏡をかけていた。
「さて、まず話は聞きましょうか。
「あまりその名は出さんでください。あなたの評判も損なわれやすぜ」
彼女に対面し、テーブルの上で腕を組みながら座る男は、岳山が高校一年の頃に顔を合わせていた、
グレーのスリーピースで身を固め、グリースで整えられた銀髪の先端は『個性』により矢印の先端のような形状をしている。
眉目秀麗なその顔には、太い黒縁の眼鏡をかけていた。
岳山同様、目立たないよう装うための伊達なのだろう。
公安からの情報によれば、彼は広域指定
コーヒーカップを手に取り、苦々しい顔をして岳山は言った。
「私の過去はとっくに洗われていて、公安も把握済みよ」
「へぇ」
「私があなたの素性を知ったのは
「命拾いしやした」
「筋モンだとは分かってたけど。全国区の大物だったとはね」
「船はデカくとも下っ端は下っ端ですよ」
Mt.レディは短くため息を切った。
「思い出話はこれくらいで。大事な話なんでしょう?」
「ええ、なりふり構わずですよ」
「『センパイ』に関わることなのね?」
玄野は神妙な顔をして、首を振った。
「残念ながら『お嬢』は行方が知れやせん」
「……!」
「ですが、その娘さんの件です。それでこんな
「聞かせてもらうわ。ここからはヒーロー、Mt.レディとして」
玄野はうつむき加減の姿勢で、ゆっくりと話し始めた。
──話を聞かされた岳山は、テーブルに肘をつき、両手を合わせて口元を隠しながらつぶやいた。
「人身売買……女の子……一ヶ月後……マジか……」
テーブルの上には両腕に包帯を巻いた、白い髪をした少女の写真が置かれている。
「何か?」
「こっちの話よ」
化粧でごまかせてはいるが、その顔は真っ青になっていた。
岳山は内心の不安を隠したまま、己を強引に奮い立たせるようにして、にらみつける。
「聞いてしまった以上、私はもうやるつもりだけど。これ、どう考えても本部まで摘発入るわよ? 絞られる程度じゃ済まないかもね」
「致し方ありやせん」
治安の崩壊による景気の低迷と経済の崩壊、それは彼らの生活基盤に直撃した。
混迷の時代に悪が競い合うものだとすれば、彼らは目の前のカネに執着し、そのレースに出遅れたのだった。
彼ら極道、指定暴力団は常に警察からの監視を受け、何か小さな騒ぎでも起こせば徹底的に調べ上げられ、封じ込められてきた。
その境遇は平和が壊れる前から変わっていない。
「同じ組の兄弟がやることでも許せねぇことがあるんです」
「そうよね、人身売買なんて……しかも相手はエノルミータ」
「気づいたときには、
話しながら玄野はゆっくりと体を動かし、足元の鞄に手を伸ばした。
岳山はその動きを警戒するように視線で追う。
「帳簿がおかしいことに気づいて、兄弟が連中の一人をシめたのが発端でした。エノルミータは『素質』のある娘さんが欲しいらしい。借金で首がまわらねぇそこの組長さんは、娘さんを売って、そのカネで国外に高跳びするって算段でさ」
岳山は拳を震わせ、テーブルを
「あんたらにとっちゃ一番の大オヤジのお孫さんなんでしょうが……!」
玄野は一瞬顔を
「それすらもカネと
「エノルミータ……幹部が、女の子ばかりなのは、そういうことなの?」
岳山は息を吐きながら姿勢を戻し、腕を組みながら椅子の背もたれに軽く身を預けた。
「その子の居場所は? 分かれば今からでも私が踏み込むわよ」
「申し訳ありません、今はわかりやせん……ですが、もう引き渡しの日取りまで決まってやす。そのうち漏れるはずだ」
「あなたの上の意向は?」
玄野は鞄から書類の入ったクリアケースを取り出した。
「組の方針は黙認になりやした。取引の後にそいつのガラ押さえてカネだけ巻き上げるつもりらしく」
「全く見事な極道ぶりだわ」
「コピーした帳簿はこちらに。これがありゃ警察も動けるでしょう……」
岳山は差し出されたクリアケースを受け取り、そこに少女の写真も挟んで、うなずいて見せた。
「どうにか取引の阻止を、できればそのまま娘さんの保護を」
「……」
岳山は無言で、書類を読むふりをして、記載されている数字を眺めていた。
一ヶ月後、白い髪の少女を庇い、致命傷。
サー・ナイトアイの『予知』と
未来が視えるその男は現在東京におり、そちらの用事が終わったら自分の未来を視てもらう予定だった。
運命が迫ってくる。私を
そんな歌詞の楽曲が流れて気そうな気分だった。
突然、建物の中がざわつき始めた。
外にいた二人がガラスの向こうをのぞき込むと、奥の方が真っ暗になっていた。
「停電ですかね?」
玄野が言ったが、岳山はすぐさまその様子に違和感を覚えた。
(館内放送なし? 非常灯まで落ちてない? ああ、
そう思ったMt.レディはすぐに通報しようとスマートフォンを取り出した。
その時、頭上から、おそらく屋上から誰かが叫ぶ声がした。
「
「デク?」
その声の主は、叫びながら屋上を走り回っているようだ。
それは彼女の
『より多くの人に危険が伝わるように、広く騒げ』
ヒーローとしての資格を持たないデクが、破壊行為を行うタイプの
「どなたかお客様の中にヒーローの方はいませんかぁー!」
あれが自分へのサイン、自分が必要な事態だと読み取った岳山は、席を立ちながらスマートフォンを操作し、手始めに通報から始めた。
『こちらヒーロー公安委員会、
「プロヒーロー、Mt.レディです。木椰子区ショッピングモールで停電発生。未確認ながら
『了解です。ただちに近隣のヒーローに連絡します。あなたもお気をつけて』
岳山は通話を切った後、ひと呼吸、頭の中でこれからの動き方をまとめた後で口を開いた。
「悪いけどここまでね」
「いえ、こちらの要件は済みやした。支払いは……」
「ダメよ。あとで払うから置いといて」
玄野は伝票を取ろうとしたが、岳山がぴしゃりと押さえた。
「
玄野は苦笑しながら手を引いた。
そして、窓が全部スモークになったバンが駐車場を高速で駆け抜けるのを横目で見ながら言った。
「お気を付けて。この手口、心当たりがありやす」
「何か知ってるの?」
「『ブルーローズ』と呼ばれる
「聞いたことが無いわ」
「兵隊崩れの女装趣味。めったに姿を見せねぇが、見せればどんな仕事もやっちまう、
「いよいよそういう連中まで寄ってきたか……」
「エノルミータ。あれは
「わかってる」
「お手助けできるのはここまでだ。お
岳山は書類をバッグにしまい、さっと肩ひもをかけた。
「今日はあなたを
「はは、そいつぁ厳しい」
「でも、話してくれてありがとう。その子、絶対救けるから」
玄野は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「どうかお願いしやす」
それには答えず、岳山はプロヒーローの免許証を見せながら店員と少し話した後、建物の中に走っていった。
──玄野は岳山との会話でほとんどウソを言わずに、岳山を
身内にも「ウソをつかせない『個性』」の持ち主がいるため、念には念を入れての予防策であった。
「他愛も無ぇ」
玄野は終始、
岳山優の言う『センパイ』は高校卒業後、親ともめて実家を出たし、その後どこかに嫁入りして一子をもうけたのも事実。
だが、玄野が渡した写真の少女は、『センパイ』の娘ではなかった。
ウソをついていたのは玄野ではなく『センパイ』だった。
『センパイ』はかの団体の組長の娘ではない。
道内にある、傘下組織のひとつ、そこの組長の娘であった。
そこに、当時下積みに勤しんでいた玄野達が出向し、一時的に世話になっていたというだけである。
『センパイ』は、本州の都会から来たわけではなく、岳山と同じ北海道の片隅で生まれ育っていたのだった。
組の方針が黙認なのも事実。
組の上層部に、玄野の幼馴染であり、組の実権を握った若頭でもある、
それでいて、治崎が動かすカネに目がくらみ、組長派を名乗ってそれを狙う一派がまだ
上納金に困り、勝手にエノルミータと取引をしようとしていた傘下の組が
そして玄野自身が組の方針、つまり治崎の方針に不満があり、そのために『お嬢』の娘をヒーローに
「
玄野は極道としての嗅覚から、その悪の組織を警戒していた。
「極道はどこまでいってもカネに群がる餓鬼なんです。だからこそ、カネに執着のねぇ、垂れ流すだけのあの組織に食われちまうかもしれない」
だから、ヒーローに邪魔されたという『事故』を装い、少女の引き渡しを失敗させる。
こちらは欲しいものを手に入れ、エノルミータには何も渡さない。
事実を
これはそういう計略だった。
「
身元もはっきりとしない、親も見つからない少女の扱いには戸惑うことだろう。
最終的に適当な施設に預けられることは間違いない。
ほとぼりが覚めてから、親権を主張して取り返しにかかればいい。
弁護士の出来次第では、組長の孫として
──それから一ヶ月後、玄野が仕込んだこの計略は成功する。
だが、その全てが彼の思惑通りにはいかなかった。
彼はこの時点で悪の組織、エノルミータの危険性について正しく理解していた人物の一人だった。
しかし、その組織を運営するヴェナリータ。かの異形は、彼の理解を超えた、異世界の怪人だった。
────────
「中に
デクはショッピングモールの屋上で呼びかけを続けながら、無力感に打ちひしがれていた。
停電に驚き、あるいは彼の叫びを聞きつけたショッピングモールの職員がぱらぱらと現れ始め、避難誘導の形ができつつあった。
階下から感謝のサインを投げてくる職員に、ぺこりと頭を下げてから移動する。
デクは立場上、『個性』を振りかざす相手に対して何もできない。
ヒーローに
本物の邪魔をしてしまえば、その瞬間に彼の『無個性』を根拠とする細く
デクはMt.レディ事務所にやってきた雄英高校生、
しかし、そこで心操を狙う
デクは、その
目的が心操人使の身柄だと判明した時点で、とっさの行動ではあったが、デクはおおよその最適解を
このショッピングモールに向かうことを決めたのはつい先ほどだ。
それなのに、あのように人を狙った張り込みができる理由は何か?
そして、あのようなあからさまに目の前に現れて確認を取った理由は?
単独で事を成せるのであれば、不意打ちを仕掛けるはずだ。
つまり『ブルーローズ』を名乗った、あの
よって、対策は彼女らチームの連携をズラしながら、Mt.レディが来るまで逃げ切ることである。
最優先は心操が捕まらないように逃がすこと。
次に、巻き込まれる可能性のある被害者を最小限にするため、むしろ騒ぎを大きくすること。
それが『無個性』の自分にできる精一杯であった。
(『個性』があれば……僕が本物のプロヒーローだったら……!)
心操にはとにかく真っ直ぐ、外まで逃げろと指示をした。
心操はヒーロー志望を自称するだけあって、弱くない。
デクはここに来る前、少しだけ心操の身体能力を確認したが、本人が言ったとおり、そのパワーとスピードは到底敵わないものだった。
心操さんは逃げるだけ、抵抗するだけなら
相手のチームワークをズラす下地は自分が整えた。
だから、あとはあの身体能力で動き続ければ、きっと逃げ切れる。
「館内は停電中です! お客様はしばらく外でお待ちくださぁい!」
デクはふたつの失敗をしていた。
ひとつは、無意識に心操人使を過信してしまったこと。
個性持ちの心操は、個性の無い自分より
心操が暗いところで転んでしまったことで出口への方角を見失い、テンパってブルーローズの方へ逆突撃をかましたことに気づいていない。
もうひとつは、『無個性』であることの無力感を、叫び声に乗せてしまったこと。
そのせいで、デクはとある危険人物に目をつけられてしまった。
どちらも根本原因に『無個性』であることのコンプレックスがあった。
「ちょっと! 屋上のコチラ側は立ち入り禁止ですよ! 駐車場に戻ってください!」
デクが声かけの範囲を広げようと、立体駐車場のさらに奥にある、配電盤や室外機が並ぶスペースに踏み込んだところで、彼を呼び止める声がした。
三十代前後の黒髪の女性だった。
かっちりしたビジネスジャケットにスカート。
その下の白いブラウスの首元には黄色いスカーフが巻かれている。
おそらく商業施設のインフォメーションセンターでよく見かける、管理側の業務に携わる職員といったところか。
ぱたぱたと駆け寄ってくるその足元はサンダル履きで、おそらく休憩か事務作業の途中でこのトラブルに出くわしたのだろう。
「すいません! Mt.レディ事務所の
デクは
「Mt.レディ事務所のデク……聞いたことありませんわね。なさりたいことはわかりましたがここは危険な場所なんです! いいから戻ってください!」
「わ、わかりました、すいません! 戻りますので、お、押さないで……」
ぐいぐい肩を押してくる職員にたじたじとなりながら、二歩、三歩と後退させられる。
すると突然、目の前の職員がぱっと姿を消した。
「えっ?」
驚いたデクは視界の外、横から急に突き飛ばされた。
突き飛ばしたのは先ほど目の前にいたはずの職員だった。
そして、何かにつまづいた。
「えっ?」
足元を見ると、釣り糸のようなものが張られており、そこに足を引っ掛けたことに気づく。
デクはそのまま倒れ込み、背中を強打し、さらに後頭部もコンクリートの地面に打ち付けてしまった。
「いがっ!? ええっ!?」
仰向けに倒れたデクの上に職員が足を広げて跨った。
デクは広げられた足の付け根、スカートの奥のストッキングの縫い目に思わず目がいってしまった。
その隙に、というわけではないのだろうが、デクの足をかけたワイヤーが取り外され、手早くデクの二の腕に巻かれそのまま背中側へと引っ張られた。
「いいっ、痛っ!」
それだけで右肩の関節が
「ハァ……
職員の顔は先ほどまでの
「君は、何を我慢しているのかな?」
言葉遣いと声色がガラリと変わっていた。
(しまった……バカか僕は!)
デクはそこで遅まきながら自分が狙われたことに気がついた。
「我慢なんてして、こんな遠巻きの裏方みたいな動きをして。こんなお仕事、その辺の職員に指示して
片手で左肩を押さえ込んだその女は、もう片方の手で、懐から折りたたみ式のナイフを取り出した。
同級生のオタトークに相槌を打てる程度には軍事知識があるデクは、それがコンパクトながら、日本ではそう売ってない形状の、いわゆる
「う、うぁっ……」
女はその刃でデクの胸元をぴたぴたと
「自分でやりたいんだ、でも動いちゃいけないんだ。そんな声でした……そんな悲痛な声聞いたら私、たまんなくなっちゃいますよ?」
(この人何言ってんだ……?)
なんかメンタルがヤバい感じの人だ。
そう直感したデクは身の危険を覚え、なんとかして逃げる方法がないか探し始めたが、それはすっかり遅きに失していた。
すでに首から上しか動かせず、刃物が急所の上で踊っている。
生殺与奪を握られていた。
「ところで、なんでヒーローのフリしてるんですか?」
デクは、その質問は職質的な意味で想定していたので、動じなかった。
だが、それはかえって彼女に確信を与えてしまったらしい。
女はさらに質問を続けた。
「あら、じゃあ聞き方変えましょうか。
(なっ……歳がバレた?)
デクは固まったが、反応はしなかったつもりだった。
だが、その女はマスクの隙間から見える目元の反応だけで、表情を読み取れるものらしい。
「バレた、って顔しちゃダメですよぉ。今バレました」
「くっ……」
「あは、不思議な人ですね。にせヒーローのデク君」
女は言いながらデクの胸の上に建てられたナイフをつつ、と動かした。
胸の皮膚に熱い感触が走る。
(コスチュームごと皮一枚切られた。なんて切れ味だ……)
女の腰がもぞりと動き、その柔らかい振動にデクは思わず体を緊張させた。
「うふっ、全然女の子慣れしてない
「あの子を狙う
「せぇいかい♪」
「んんっ!?」
ナイフの刃がさらに深く沈み、ぴっ、と音を立てて血が吹き出した。
女の
女は視線をデクの瞳に固定しながら、舌を伸ばしてその返り血をべろりと
デクは焼け付くような痛みに思わず目をつむり、目を開けると女の体表がどろりと溶け始めていた。
「!?」
溶け落ちていく表面の中から現れたのは、デクと近い歳の頃の、少女の顔だった。
金髪を左右でお団子にまとめている。
切り揃えられた前髪の下には、強い表情に濡れる瞳。
その目元にはうっすらと、根深い疲れの見える隈ができている。
だが、その口元は裂けそうな勢いで元気にせり上がり、その下の歯と舌が晒されていた。
「おおおっ……って、なんで裸なんですか!」
デクは思わぬ光景に一呼吸眺めてしまってから、ツッコミを入れた。
女の体は顔と同じように表面が溶けて落ち、一糸
女はナイフを持った手を上げて胸を抱え上げる。
「うふ、恥ずかしいな。私の『個性』は服まで変化しちゃうから脱がないといけないのです」
「なら別に今解除する必要なかったのでは!?」
「必要ですよぉ、これからキミになるんだもん」
「は?」
ナイフの刃が陽光を浴びながら閃く。
胸を隠していた手が振り抜かれた。
一拍遅れてデクの右胸から右肩にかけてにまっすぐ痛みが走った。
「つうぅ……!」
思わず
「なんでやらないんですか? 自分でやればいいじゃないですか?」
「ぼ、僕一人だと思うなよ? もう来ているんだ。Mt.レディがやってくれるさ!」
「違います。君がやりたいんだから君がやらなきゃダメなんですよ」
「?」
「人がやるなと怒ってるだけで、やれないなんてことはないんですよ? 私はちゃんとやりますからね?」
「あなたは、何が言いたいんですか……?」
「ハァ……」
熱っぽいため息を吐きながら、その女は恥ずかしそうに少しためらった後、その
「……君と同じになりたいの」
「はぁ?」
「私はやるなって
そこからその女は、詠うようにつぶやきながら、デクの薄皮を切り裂いてその血を鑑賞し、あるいはナイフで掬い取って味わい始めた。
「だから、君のやりたいこともやってあげる。君に
それは、デクからすると自分を解体する作業に合わせて歌う、
──私、声を聞いただけでわかっちゃったもん。
君、悪い子だ。
資格もないのにヒーローやってるの。
君、良い子だ。
そこまでして、人を救いたいんでしょう?
いい子、悪い子、どっちかな?
ちぐはぐなのに、どっちも同じ。やりたいことをやれない子。
君、ステ様と一緒だね……
知ってる? ステ様、『ヒーロー殺し』。
あの人もヒーローをやらないで、ヒーローを殺してるの。
なりたいのに、なれるのに、なぜか
それなのにどうして、君も、ステ様も、一番星みたいに目が輝いているの?
カァイイな、うらやましいな。
やりたいことができるのにできなくて、それなのに輝いてるの。
良い子の悪い子。良い子悪い子。
どうすればそうなれるのかな?
私もそうなりたいな。
君の血を全部いただいたら、私もいい子悪い子になれるかな?
みんな私のこと、綺麗な目をしてカァイイって
「──ハァ……いい感じでボロボロになってきましたね。ああ、チゥチゥしたいなぁ。だから殺させてね?」
「うっ、ぐっ、ああぁっ……!」
ナイフの刃が肌の上を走るたびに、苦痛の声が漏れ出る。
その女は詠うように、一方的に言い放ちながら、デクのコスチュームを割き、その下の肌を傷つけていった。
一方、出久は痛みに苦しめられてもいたが、それどころではない状況だった。
(あばばばば……)
目の前で、自分の腰の下に
デクが身につけているレギンス型のコスチュームは、耐久性はあっても動きやすさ重視でそこまで生地は厚くない。
その接点が、腰の下が、密着して接触して、ナイフが振るわれる度に摩擦を起こしているのだった。
さらに酷いことに、目の前の女もそれに恥じらいを持って反応してくる。
「やぁん、腰動かさないでください。擦れちゃう!」
(あがががが……)
デクは自制心を振り絞るのにせいいっぱいで、切り裂かれる痛みがだんだん気にならなくなってきた。
「どこにしようかなぁ……やっぱり腕かな? あぁ、でも、心臓から
迷い
ときおり吹き出す返り血に染まっていく、女の裸体に、薄い布越しで擦れ合う肌に、デクは何かを失ったような気分になった。
「よし決めました! 首からどばっといただきます! マスクとりますねぇー」
「────っ!?」
覆い被さられ、迫りくる双丘。揺れ動く艶かしい先端部。
寄せられる顔から発せられたその熱い吐息に、むせそうなくらい血生臭いその息を嗅いで、デクの本能が捕食される寸前の危険信号を発し、生存本能が下半身に集まっていく。
要するにデクのデクはもはやデクになる寸前だった。
「デクはどこに行ったのかしら……?」
その時、立体駐車場となった屋上の一部、その縁から全長20メートルの女性が頭を出した。
「……」
「……」
「……」
見つめ合う三者。
最初に口を開いたのはMt.レディだった。
「どうぞ、続けて?」
「違うんです!」
デクは思わず弁明した。
デクになりそうだったデクのデクは引っ込んだ。
その巨大なヒーローを目にした全裸の少女は形勢の不利を悟り、被害者のフリをした。
「いやーん、私、ヒーローさんに襲われて、手籠めにされちゃいますぅー!」
「乗っかってるの君じゃないか!」
「デク君のえっち!」
Mt.レディは無表情のまま片手を上げた。
「ああ、いいのよ……私のことは気にしないで、続きを所望……そう、私はMt.レディ。名前の通り山となり、背景に溶け込む『個性』……」
「溶け込めるか!」
言いながらMt.レディは自分の存在をスッと消そうとしたがもちろんできなかった。
不意に、デクの上に乗っていた女が身を翻そうとしたが、Mt.レディの方が早かった。
彼女の手は、その巨体からは想像もつかない速さで、しかも正確に動く。
「マッハデコピン!」
「きゃん!」
指で背中を弾かれた少女は吹き飛び、配電盤が収まる金属製のケースに
「確保して。服は着せなくていいから」
「ダメです! その人は!」
その全裸の少女は、倒れ伏したフリをして、上空を漂うアドバルーンを観察していた。
そして風向きが変わり、風が目に入って二人のヒーローの眼球が乾燥し、反射的に瞬きを起こすタイミングを読んで、飛びはねるように動いた。
「えっ? 消えた?」
「ああっ、やられた!
「そんなん実戦で出来るわけないじゃない!」
「いえ、三年前にヨロイムシャが生放送で……」
「あのジジイを基準にしないで!」
二人がキョロキョロと探していると、ぺたぺたとリノリウム張りの床を裸足で駆け抜ける音がした。
慌てて目で追うと、駐車場から店舗に入る、出入口の自動ドアが閉まりつつあった。
「ああっ、もうあんな所に!? デク追って!」
「無理ですよ! あの人、個性が『変身』なんです。絶対見失う……」
「ニンジャかよ!」
Mt.レディはイライラとしながら肩口から流れ落ちた髪をかきあげた。
「くっ、いいわ、切り替える! どうせ仲間と合流でしょ! 私が制圧するからフォローお願い!」
「はい!」
「心操ちゃんはどうしたの!?」
「外に避難をしてもらいました」
「一人で行かせたの?」
「はい!」
「マッハデコピン!」
「でぇっ!?」
デクはMt.レディの中指でマスクをスパァンと弾かれた。
頭が揺れ、マスクの頭頂部からはみ出したもじゃもじゃの髪がぶるりと揺れる。
Mt.レディはいつにない厳しい表情でデクを責めた。
「バカ! キミがついていながら! 避難誘導でも指示しておけばよかったのに!」
「えっ!? いや、その……」
「いくら雄英生でもまだ入学したばかり。ろくな教育を受けてない、ヒーロー志望なだけの跳ねっ返りよ! 自分が同じ立場だったらどうする? 勝手に飛び出すに決まってるじゃない!」
「ああーっ!?」
デクはそこでようやく自分の判断ミスに気がついた。
「あとで説教よ! カメラは持ってるわね?」
「はい! え、ちょっと!?」
Mt.レディがデクの体を
「怪我してるし、キミは上からお願いね!」
「ちょっ、まさか、投げっ!?」
「マウント・ダンク!」
「ぐえぇっ!」
ぴょんと飛び上がったMt.レディの手によって、デクの身体は「毎週水曜日は全品ポイント5%アップ!!」という、ひときわ大きな垂れ幕をぶら下げた野外アドバルーンに
デクはあわててバルーンを支持するワイヤーに捕まった。
「マジかよ! 落ちるって!」
「浮力ヨシ、安定感ヨシ! そっから
「ひえええっ!」
デクはバルーンに半ばぶらさがりながら、重心がブレて動き回るバルーンに揺らされながら、女に切り刻まれた肌の傷に絆創膏をひとパック使い切りながら、カメラで地上を監視するという重労働を強いられた。
「うっわ、寒いなぁ……」
にもかかわらず、その後のデクはろくな活躍もできないまま終わった。
寒風に耐え忍びながら待ち続け、事件が収束した後にひっそりと回収されることになった。
────────
心操人使とブルーローズ、唐突に始まった魔法少女同士の戦いは、泥試合と化していた。
『
ブルーローズが放った放電する球体は浮かびながら吸い寄せられるように心操を追尾する。
心操の腕が球体を弾こうとした瞬間、それは爆発するように光を放った。
心操は目を押さえながらかがみ込んだ。
『ああっ、やべっ、目が!』
『冗談じゃないわ!』
(厚さ百ミリの隔壁に穴が開くのよ!? これが目潰しにしかならないなんて!)
電磁気を操るブルーローズの『個性』により、フードコートは散々に破壊されていた。
そこは人々が全て避難して無人となっている。
床は割れ、支柱は
『うらあーっ!』
視力を取り戻した心操が走り出した。
右肩を前にタックルの姿勢で、黒い弾丸のようにブルーローズに飛びかかる。
『
『うぇっ!?』
ブルーローズが両手をねじり合わせるように動かすと、左右から案内板が浮き上がり、心操の体を挟み込むようにして接触した。
手から強力な磁気を発して、手頃な金属を引き寄せたのだった。
しかし、心操は身体を挟む金属の塊を無理やり引き
案内板は空中で大きな音を立てて接触し、スクラップと化して地面に落ちた。
(そしてこのスピードとパワー! 対『魔力』戦闘に特化しているのか?)
おそらくあの黒い鎧だ、とブルーローズは推定した。
あの装甲は物理的にも硬いが、『魔力』が働くものに対しては特に強固だった。
改造されて魔法少女になったブルーローズの『個性』は大幅に
それが無効化されるとすれば、ブルーローズの『個性』は大した作用を働かせられなくなってしまう。
二人は互いに全力で攻めかかりながら、それでいて相手を倒せる気配が全く無いという状況に陥っていた。
そして戦いが長引けば、ブルーローズはどんどん不利になる。
彼女の個性、『
商業施設の電力を一瞬で食い尽くす程度の処理能力はあるが、それを体内に留め置くことができず、電力を喪失するまで一定以上の電流を放電し続けてしまうのだ。
『どうした? もしかしてガス欠か? そうだといいなぁ』
『あなた、よく喋るわね。余裕なの?』
互いの言葉は、肉声ではなく、くぐもったような合成音で話されている。
心操のコスチュームのうち、顎を覆うマスクにより、その声は本人のものとは違う電子音声のようになっていた。
一方、ブルーローズも同様に、魔法少女に変身している間は自分の野太い声を電子的に加工し、少女趣味のアニメ声に変換してから発声していた。
特に意味はないが、その方が可愛いから。
どうせ放電するしかないこの電力を有効活用しているだけだった。
ただし、この戦いにおいてのみ、彼女のそれはマイナスに動いた。
自分もそうしているせいか、心操の声に違和感を覚えるのが遅れてしまったのだ。
そしてそこから、魔法少女『ブラック』の捕食の
『おい、ちょっと待ってもらってもいいか?』
『待つわけないでしょ……なっ……』
ブルーローズは自分の体の動きに違和感を覚え、思わず動揺が声に出た。
『お、効いてきたね? なるほど、ムラがあるわけじゃない、距離と向きだ。右見て?』
『!?』
ブルーローズの目が勝手に動き、特に気になるものも存在しない、右方向を見た。
慌てて視線を戻す。
隈の強い三白眼が、彼女をまっすぐに見据えていた。
その視線に、戦い始めてからずっと、自分が観察されていた事に気づき、ぞわりと戦慄する。
『うん。動きが小さいほど、距離が近いほど反応がいい、ただし真正面からズレてはいけない……』
(しまった……『魔力』の動きを見誤った!)
『あんたの言うとおりさ。戦闘中にお喋りなんてナンセンスだよな?』
(声に乗せていたのか! これがこの子の『攻撃』だ!)
『でもね、俺の声を聞き続けるだけで、
『チィ!』
思わず可愛くない舌打ちをしながら、ブルーローズは床を蹴って飛翔した。
背中で放電を起こし、その衝撃を利用して急加速する。
自分の肉体もダメージを受ける、非常用の高速機動術だった。
『と、止まれ! って無理だろぉアホか俺っ!』
全身から放電しながら突撃するブルーローズを心操は慌てて横っ飛びで避けた。
心操の懐に飛び込むつもりだったブルーローズは、『止まれ』の声に一瞬だけ硬直し、通り過ぎてしまう。
『
素早く切り返し、距離を詰めて上段から振り下ろす回し蹴りを放った。
心操はそれをもろに食らい、尻餅をついて倒れこむ。
(近接は通る? いや、違う、わざと受けた? あの『攻撃』をなぜ使わなかった?)
『あの痴女は使うのが速過ぎて、見ても全然ワケがわからなかった……』
倒された勢いのままに床を滑って距離を取り、心操はゆっくりと立ち上がる。
そして声を発し続ける。
『でも、あんたの【個性】は溜めがある。つまり、これ、オーラ的なやつなのか。アニメかよ』
(くっ……喋らせてはいけないとわかっているのに止められない……なんて厄介な!)
『力に、【個性】に、乗せる感覚……俺の力を、魔力を……』
(魔力が練られている……何かが来る!)
ぶつぶつと独り言をやめない心操の口元に『魔力』が溜まっていくのを見たブルーローズは、防御と警戒を捨てた連続攻撃を開始した。
(排除する。しなければ!)
まだ冷静さを失ってはいない。
その場しのぎの
相手の攻撃を妨害するために近接打撃を選択。
殴り、蹴りながら、ブルーローズは背中の鞘に収まっていた切り札のひとつを抜いて右手で握り込んだ。
──何かを一方的に与えられ、その代わりに何かを奪われた。
俺は今一体何者になってしまったのか。
どうしてこうなっているのか。
もう元に戻れないのか?
わからない、わかんねぇけど、これだけはわかる。
あんたら、残念だったな!
これは、運命だ!
そう言い張ってやる!
こんなふざけた運命に巻き込みやがった、エノルミータ、マジアベーゼ、絶対に許さん!
『──
心操の叫びは、それに乗せられた『魔力』は、ブルーローズからすれば巨獣の
彼女はその力に恐怖した。
それは彼女の主が時折見せる、想いの奔流に匹敵する勢いだったから。
身体が、本能が、内なる『使い魔』が、相対するものの巨大さに
『う、うおぁぁっ!』
ブルーローズはその恐怖を振り払うように
その手に握られていたのは大振りのナイフ。
彼女の『個性』による電力変換で生じた高周波をその刃に乗せ、振動で金属も切り開くことができる特製の高周波ブレードだった。
選ぶは刃物による物理攻撃。
狙うは正中線、黒い鎧の隙間。
つまりプロテクターに挟まれて作られた、けしからん胸の谷間。
ブルーローズのナイフはそこに正確に突き込まれたが、心操の胸を裂くことはできず、その皮膚で止まってしまった。
谷間の奥からキィィと金属を削るような音がして、谷間に挟まれた刃から大量の火花が飛び散る。
(止められた!? いや、この感触は、
刃を押し込むため、さらに一足踏み込もうとしたブルーローズだが、心操が彼女の両肩を
目と目が合い、互いの額がかちあうような距離まで顔が近づく。
そしてその距離で心操はとどめの一言を放った。
『落ちろぉーっ!!』
『ン゛ン゛ン゛ン゛!?』
その声を聞いた瞬間、ブルーローズの全身が落下感を訴えた。
素っ裸で果てしない大空に放り出されたような感覚。
急激な無重力感と加速感。
頭に血が沸き昇る感覚。
風圧に潰される感覚。
股間が痛いほどに収縮感を覚える。
どこまでも落ちていく。
あらゆる感覚がその絶望を訴え続ける。
(これは、精神、
ブルーローズはその『攻撃』の本質を悟り、一瞬だけ抵抗しようとしたが、その場では間に合わず彼女は失神した。
──膝から崩れ落ち、白目を
その右手にはまだナイフが握られている。
『こ、怖かった……魔法少女がそんな実用的な刃物出すんじゃねぇよ……』
心操はシャツが切り裂かれ、その下の肌が晒された胸の谷間をさすりながら
(倒した……のか? いや、何にせよチャンスだ、逃げよう)
そもそもデクからは「逃げろ」と言われていた。
しかし、停電で真っ暗な通路の中、デクに手を引かれて走っていた心操は、そう言われても方角が全然わかっていなかったのだ。
さらに転んでしまい、どっちが進行方向だったかもわからなくなってしまった。
なので、遠くからも青白い光が目印になっていた、ブルーローズの方に突進してしまった。
自分でもこれは絶対に怒られるやつだと確信している。
とにかく逃げようと思い立った心操がブルーローズから視線を上げると、周りは真っ黒になっていた。
『えっ? 暗っ……あれ!?』
心操はその暗さに違和感を覚えた。
自分の手元だけははっきり見えているのだ。
ちなみに足元は胸に遮られて全然見えない。
「ビオラの改良種か」
「!?」
後からささやくような声が聞こえ、びくりと背筋を伸ばした。
「このレベルの使い魔を、宿主に構わず株ごと植えつけるセンス……これはベーゼだな」
振り向くと、周囲の暗がりに溶け込むような色をした異形が浮かんでいた。
その小さな身体は、上等そうな黒い布に金糸の編み込まれた、ぬいぐるみのような意匠をした服で覆われている。
全身にぴったりと張り付いたその服は、袖だけは余らせており、垂れ下がって宙に揺れていた。
「な、何だよ、お前、これ、お前がやってるのか?」
「それよりも、なぜだ?」
心操はゆっくりと近づいてくる、その異形に瞳をのぞき込まれたと感じた。
だが、向かい合うそのぬいぐるみの目は白い穴のようで、何も映していなかった。
「どうして
──真っ暗なバックヤードの通路を、痩身の女が少女を背負い、歩いていた。
停電への対応に慌てた店員達が懐中電灯を片手に通路を行き交っている。
彼女達は二度見されるが、
「ふぇぇん、ふぎゅっ、ぐすっ」
「もう、こっちもボロボロなんだから自分で歩いてよぉ」
背負われて、泣いているのはセーラー服を着た少女。
慌てて着たのか、着衣は乱れており、ベージュのセーターが腰に巻かれている。
先ほど全裸でデクを襲った少女、トガヒミコであった。
「あれがブラックの『個性』……『催眠』もしくは『洗脳』かしら? まさか『支配』ではないわよね? そう思いたいわ……」
背負っているのはブルーローズ。
その変身は解け、元のピンクのワンピース姿に戻っている。
彼女の背中でトガヒミコが泣き暮れていた。
「うぇぇぇん! 今までで一番イイ感じだったのに! またチゥチゥ邪魔されましたぁーっ!」
「せめて大人しくなさいな。筋肉痛がマジ辛いわ……」
歩くたびに全身が、特に胴体と背中が強張り、痛みを訴え続けている。
心操の攻撃が、聴覚を介して精神に働きかけるタイプの『個性』だと気づいた瞬間、ブルーローズは全身の筋肉を痛めるほどに引き絞り、さらに口内を
援護に現れたヴェナリータが心操を引き留めているうちに、意識を取り戻した彼女はバックヤードに逃げ込む。
そこで彼女の背中に涙目で飛びついてきたのがトガヒミコだった。
「きっと、一緒になれたはずなんです!
「イタタ……あるはずよね。『治癒魔法』みたいなのが。少なくともヴェナリータとロートスは使ってる。調べなければ……」
「聞いてくださいよぉ!」
これは口内炎じゃ済まないな、と思いながら、口内に溜まった血を吐き捨てる。
「どうしてですか? なんで私だけ、ぐすっ、好きなものを好きなようにいただけないんですかぁ!?」
「全部吸い尽くそうとするからじゃないかしら」
「だって、ぜんぶ好きなんだもん! ぜんぶくれないと一緒になれないんだもん!」
「そうねぇ……私もね。成さないことで成せる善があると思ってたわ」
「露骨に話ずらされましたぁ!」
ぽかぽかと片手で胸を
「悪意に加えて実力も十分な私が、何もしないことでね。譲り渡すことで得られる平和があると思ってたの」
「そんなの無理です! だって、私たちも生きてる!」
「そう、もう無理よね。エノルミータが、ベーゼ様が見せてしまった。
ブルーローズは微笑みを浮かべた。
「これから世界があのお方を知るのよ。私は早く気がつけて、本当に運が良かったわ」
「この生きづらい世の中が、本当に変わるのでしょうか?」
「ええ、トガちゃん、あなたが好きにやれる日はきっと来るわ。だから頑張りなさいな。ベーゼ様を信じて……」
「ブルーはそんな事を言う人ではありませんでした」
「……」
「人気のない山奥に咲く、花のように生きていた、素敵な人でした」
「……出会いは、人を変えてしまうのよ」
「あの子、キライです……だって、こんなひどいことばかりしてるのに、『めっ』ってされたがってるんだもん。私はあんなの絶対耐えられません」
トガヒミコはため息をついた。
ブルーローズはその血の匂いを嗅いで、彼女は失敗したらしいが、それなりに発散もしたらしいと気がついた。
「ハァ……総帥は悪い子の悪い子。悪い子オブ悪い子です。ド変態さんなのです」
「そうね」
「デク……あの子は私がツバつけました。絶対に私がいただきます!」
「その子に同情するわ」
「ひどいです!」
「お疲れ、ブルーローズ」
二人の目の前に黒い輪のような門が現れ、そこからぬいぐるみ型の異形が現れた。
ブルーローズは小さく頭を下げた。
「ヴェナリータ、ごめんなさい。捕獲どころか排除も無理だったわ」
「いいんだ。原因はわかったから。あれはしばらく放っておくよ」
「そう……」
「それより次の予定があるんだ。もうひと仕事してもらうよ」
「マジで?」
「ちょっとヴェナリータさん、ブルーさんを酷使しすぎですよ!」
「立ってるだけでいいからさ」
「良かったためしがないわね……」
ぼやきながらブルーローズと彼女に背負われたトガヒミコは、門を潜り抜けて消えた。
「
残されたヴェナリータはその場で少しぼやいた後、後を追って門の中に入って消えた。
──心操は気がつくと元の場所に戻っていた。
いや、もしかしたらずっとその場に立っていたのかもしれない。
破壊し尽くされたフードコートではいつのまにか人が動き回り、片付けや捜索が始まっていた。
「あ、気がついたわね! 心操さん、心操さんよね?」
「ええっ、Mt.レディ!? は、はい」
目の前にコスチューム姿で通常サイズのプロヒーロー・Mt.レディが立っていた。
今朝ぶりの再会だった。
『巨大化』すると見上げても顔がわからないくらい大きい、そのヒーローは、元の大きさに戻れば心操より頭ひとつ小さい、普通の大人の女性に見えた。
Mt.レディは気遣わしげな表情で心操に語りかけながら、体のあちこちを確かめている。
「怪我はなさそうだけど、大丈夫かしら。なんかされたの?
「だ、大丈夫です。胸はヤメテ」
言われたとおりに末端を確かめたが、特に問題はなかった。
「やっぱり、その格好だとガラっと印象変わるわねぇ。胸以外はまるで別人だわ」
「ええっ!?」
自分の体を見下ろすが、何か変わっているようには見えなかった。
「……その格好、今は何も聞かないわ。何か、抱えてるんでしょう?」
「う、いや、その……」
話してもいいものか、心操は迷った。
「デクにも、まだ
唐突に問われたこともあるが、その気恥ずかしさも思い起こして、心操は小さくうなずいた。
Mt.レディは優しい声色に変わった。
「ねぇ、心操さん、女同士なら話せるというなら、私が聞くわ。よかったら、あなたの事情、もっと聞かせてくれない?」
彼女の手が心操の肩に乗せられる。
「それでね。代わりにと言ったらなんだけど、わたしと、デクの事情も聞いて欲しいの」
「あなたと、デクの?」
「そう。キミに救けて欲しいことがあるの」
Mt.レディは、はにかむような、悩むような、複雑な表情をしながら心操に懇願するような声で言った。
「それで一連托生に……じゃなくて、うちで、ヒーロー目指してみない?」
心操は、Mt.レディの真剣な眼差しと、その場の勢いに飲まれてどぎまぎしながら、こくりと無言でうなずいた。
うなずいてしまった。
個人的な事情もあって身勝手ばかりを通して来たが、心操人使という人物は、そも本質的にはただのお人よしであり、「救けて」と言われて無下に断れるような人物ではなかった。
あこがれのヒーローに直接誘われて、断り切れるほどに成熟していなかった。
「お、俺でよければ、よろこんで……」
「ヨシ、これ車のキーね。あそこのカフェの手前にある赤いコンパクトよ。助手席で待っていて。デクは歩いて帰らせるから」
「は、はい……」
「お腹空いたら、助手席のボックスにプロテインバーあるから食べて!」
何を頼まれ、承諾したのか、勢いに押された心操はまだ飲み込めていないまま、おずおずと車のキーを受け取った。
──Mt.レディは歩き去っていく心操を見送り、ショッピングモールの職員や駆けつけた警察を相手に、キリリと後始末の打ち合わせをしながら、その内心ではしてやったりのゲス笑いをしていた。
しかし実際のところ、特大の爆弾を抱え込んだのは彼女の方であるという事に、本人はまだ気付いていない。
彼女たちに運命の時が迫っていた。