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日が高くなれば、汗ばむほどの陽気が降りてくるようになった。
天頂からまっすぐに降りた強い光は新緑に萌える街路樹の小枝を透かし、古ぼけたアスファルトに模様を作っていた。
どこか古めかしく、どこか懐かしい、線香の匂いがする街道を。
ライトグレーの三つ揃えを
──サー・ナイトアイは、差し迫った大きな仕事を抱えていないとき、副業としてヒーロー向けの特別なサービスを提供していた。
それは彼の個性『予知』による予言だ。
サー・ナイトアイはその手で触れて、目線を合わせた人物の未来を『見る』ことができる。
その未来視の精度は現状、百パーセントであった。
彼は、そのあまりにも極端な確率を否定するために、こつこつと試行回数を稼いでいる。
本来の、ヒーローとしての仕事においては、彼はその『個性』を切り札として温存していた。
サー・ナイトアイの専門分野は、警察と連携しての、長期化、深刻化した
科学的、論理的裏付けを重ねて確信を持った後の、最後のダメ押しとして『予知』を行っている。
その裏で、暇を見つけてはこのようなサービスをしてまで、なるべく多くの人物の未来視をするようにもなったのは、彼が見てしまった「どうしても変えたい未来」への糸口を探し続けていたからだった。
──街道から一本奥に入れば、二階建ての民家がひしめく住宅街になった。
この辺りは運良く『
この日、サー・ナイトアイはとあるランキング上位ヒーローの未来を見てほしいという依頼を受けて、都内、山の手の内側にあるそのヒーローの実家を訪れていた。
インターホンを使うまでもなく、玄関先に人が待ち構えていた。
互いに軽く
(今日の依頼はどちらだろうか。興味本意か、『虫の報せ』か──)
サー・ナイトアイがそう思いながら、案内に従ってリビングらしき部屋に足を踏み入れると、若い青年と壮年の男性が取っ組み合いをしている姿が目に入ってきた。
「アンタなんてことしてくれたんだ!」
「おいおいやめろ、ビールがこぼれちまうだろ」
若い男が壮年の男の襟首を両手で
「信じて預けた優秀な弟が、二週間後にインドでの自分探し旅行を終えたみたいになって帰ってきたときの兄の気持ちがわかるか!?」
「おまえ、面白い例え方するな」
「アンタの感想は聞いてない!」
どちらも黒髪、百八十センチを超える長身で巨漢と言える体格だが、それで親子親類と判定するにはその地顔が違いすぎた。
若い青年の方は半袖のチェックシャツの前をきっちり留めた、悪く言えば凡庸なスタイル。
その肘からはエンジンの排気管めいた機械的な構造が張り出している。
それは発動型の『個性』を持つ者にときおり現れる、身体の部分的変化だった。
一方、壮年の男の方は黒いTシャツに緑のジャケットを雑に羽織っており、精一杯に良く言ってもメチャクチャ柄が悪かった。
いかつい顔面には斜めに切り傷が横断しており、見るからに堅気ではなさそうな雰囲気を醸し出している。
人を見る目が鍛えられた人物であれば、その危険な雰囲気の裏に隠された重厚な人格を見抜いて『イイ男』と評したかもしれない。
ふたりの身長は同じくらいだが、その首周りは壮年の男のほうが二回りは太い。
あの体格差では
壮年の男は入室したサー・ナイトアイに気づいていながらも、何も言わずに酒を飲みはじめ、三度喉を鳴らしてゆっくりと息を吐いた後、ようやくサー・ナイトアイの方を指差した。
「ほら、お客さんだぞ」
「ああっ! サー・ナイトアイ、お待ちしていました!」
ビールを飲む男に早口でわめき立てていた若い青年は、サー・ナイトアイに気がつくと即座に手を放し、キビキビと礼儀正しい動きで彼を迎えた。
互いに自己紹介をしながら握手をする。
「初めまして。『インゲニウム』、
「よろしく。サー・ナイトアイだ。三年くらい前、都内で同じミッションに参加したことがある」
「す、すいません! それは気づきませんで……」
「いいんだ。君はその時、数十人の
向かい合って立つと、インゲニウムと名乗った青年が、サー・ナイトアイを見上げる姿勢になった。
サー・ナイトアイの身長はぴったり二百センチ。
この飛び抜けた長身では、だいたいいつも見下ろす形になってしまう。
互いの目が合うと、飯田天晴は何かを察したのか、興味深そうな面持ちで訊ねてきた。
「あ、もしかしてもう『見て』いらっしゃいますか?」
「それが依頼だからな」
サー・ナイトアイはうなずいて答えた。
彼は握手をして目を合わせた瞬間、飯田天晴に向けて『予知』を発動していた。
「私はこれから徐々に、君の未来の映像を見ていくことになる」
「はい」
「依頼は『1年後の映像』だったな。少し時間がかかるぞ」
「お願いします。それまで、よかったらこちらで
「そうさせてもらおう」
ローテーブルの四方をソファーが囲む、リビングの中央に案内されたサー・ナイトアイは、そのままソファーに腰掛けた。
家事代行であろう女性がさっと現れ、アイスティーの入ったグラスを置いて去っていく。
向かい合うソファーには、先ほどから
すでに前の缶ビールは飲み干したらしく、2本目に手を掛けている。
男はこちらと目が合うと、軽く顎を引いて挨拶をしたあと、口を開いた。
「俺も自己紹介が必要か?」
「お好きに」
尋ねられたサー・ナイトアイは、右手のひらを上に向けて見せた。
そしてその手の平で指紋がつかないように、ゆっくりと自分の眼鏡の位置を直す。
「私はあなたを一方的に知っているし、その銘柄は開けてすぐ飲み干すのが一番美味い」
ビール缶を
「君はいい奴だ。タダ酒は楽しむに限るよな」
そう言って、男はビールを一気に
──サー・ナイトアイが内心でひそかに『虫の報せ』と呼ぶ現象がある。
彼に直接、『予知』を依頼するヒーローの未来を見ると、七割くらいの確率でそのヒーローが近日中に危険に晒される映像を見るのであった。
大半は命が助かるが、ときにはそのヒーローが殉職してしまう未来を見ることもあった。
『予知』の対象にしていた人物が亡くなると、その先は延々と闇の映像が続いていく。
それは、サー・ナイトアイが『個性』の発動を自ら解除するまで終わらない。
どれだけ眺め続けても、その闇が晴れることはなかった。
サー・ナイトアイによる『予知』の的中率は百パーセントだ。
それは、彼本人が未来を知ったうえで、彼が行動したその結果を、事前に予知として見ていることを意味する。
つまりそういったヒーローの中には、訪れるはずだった死を免れた者がいるはずで。
サー・ナイトアイが「未来を変えた」ことによって救われた、彼が未来を見て、変えなければ失われていた命があるはずなのだ。
彼はその「可能性」に、半ば
人は、自分の未来を案外正確に予想できている。
彼に依頼をしたヒーローたちが倒れるのも、自分の行く先に何かを察していたからではないだろうか。
それは年齢による衰えであったり、生活習慣の乱れであったり、過労であったり。
彼らは日々の暮らしの中で、ヒーロー活動になんらかの綻びを自覚し、それが破綻することを察知したのではないか。
彼は、その現象を「虫の報せ」と呼んでいた。
──昼間から酒を飲んでいる壮年の男が、テーブルの上で名刺を弾いて滑らせた。
山水画のような掘り込みの透かされた黒檀の天板を名刺が横断し、ぴたりとサー・ナイトアイの前で止まった。
『NPO法人シビルアシスト
そう書かれた名刺を手に取り、サー・ナイトアイはつまらなさそうな顔をした。
「この
「それを知っているということは、あんたも警察と『太い関係』のようだ」
黒岩と名乗った男が挑発的な
男にとっても想定通りの反応だったのか、うっすら笑顔の表情に戻して腕を組む。
「もちろん、俺はまだまだ現役さ。娘にいい所を見せたいからな。だが、最近は少々業態を変えていてな……」
「この人、ヒーロー志望者や現役ヒーローへの実技インストラクターを始めたんですよ」
「ほう」
飯田天晴がお茶菓子とフライドポテトが乗ったトレイをテーブルに置いた。
黒岩がそれに手を伸ばしながら、楽しそうな顔をして言った。
「恥ずかしながら、過去の
「評判は?」
「なぜかイマイチだ」
黒岩は下唇を突き出して遺憾の意を示す。
サー・ナイトアイも反応に困ったかのように肩を
飯田天晴がサー・ナイトアイの隣に座った。
目の前にずらりと並ぶ、空けられたビール缶の本数に眉をひそめながら。
「俺も先月に弟を預けたんですが、ひどいもんですよ。あんなに真面目で可愛いかった
嘆かわしいとばかりにそう言い、グレープフルーツジュースの入ったグラスを大きく傾けた。
「それは俺にも言い分があるぞ」
「弁解の余地があるというんですか!?」
飯田天晴が腰を浮かし、テーブルの上に手をついて黒岩に顔を近づける。
その真っ直ぐな怒りを受け流すように黒岩は両手を広げて見せながら言った。
「元ヒーローとしてのノウハウを仕込むのは、さすがに有料だ」
「ちゃんとお礼はするつもりでしたよ!」
「だが、お前は報酬を提示しなかった。一方、俺はまだお前に『借り』があるよな? つまり、肩身の狭い立場の俺としては言外にこう言われたと悟ったわけだ──弟くんをタダで仕上げろと」
「あんたそんな殊勝な人じゃないでしょうに!」
黒岩はニヤニヤとしながら拳を握って親指を立てて見せ、自分を指差した。
「だから特別サービスだ。
「
「そういうわけだから今回はタダにしてやる。でも次からはちゃんと報酬の話もしてくれよ」
「もうあんたには頼みませんよ!」
「いいや、あいつは必ず来るさ! 俺の教えの価値がわかっている。ルーキーだった頃のお前よりもずっと優秀だ!」
「くっ……」
それに反論はできなかったのだろうか。
飯田天晴は
「で? 報酬がいらないなら何をしにいらしたんですか?」
「代わりと言ってはなんだが、『
黒岩が指を二本立てながら言った。
「天下の『インゲニウム』なら
「普通ですよ。どうせ行かないからかまいませんけども。うちはなんだかんだ言われてますが、
「いいさ。もう1枚は天哉くんが
──
『個性』とテクノロジーの融合を目指した最先端技術の研究をメインテーマとし、その成果物を売り物にしている。
世界中の科学研究者たちの英知が絶えず集まり続け、サイエンスハリウッドの異名を持っていた。
この国は、一時入国に際しては厳密に予定の定められたチケット制となっており、その供給も絞られている。
通常それはビジネス目的の関係者、あるいはしかるべき金額を支払った観光客のみに与えられる、庶民にはそう簡単に手に入らない代物だった。
ただし、自国で催し物があるときだけは特別で、各国の有望な『見込み顧客』に向けて、無料の入国チケットが数万枚規模でばら撒かれることになる。
例えば日本であれば、政治家、芸能人、経済人、そしてヒーロー事務所。
そして将来有望な成績を収めた学生たち。
雄英高校でも、春の大イベント『雄英体育祭』にて好成績をおさめた生徒に招待状が贈られるのは恒例であった。
そうしてばら撒かれたチケットはネットを通じて市場に流れ、高額で──とはいっても通常時よりは格安の金額で──取引がされている。
地縁というものがなくそのコンセプト上国民の95パーセントが他国籍を保有しているという、政情は安定していても政体が不定形なこの国は、たびたび大規模な国際犯罪の舞台となり、問題視もされていた。
「──ちなみに今年の催しは『I・エキスポ』という、個性技術博覧会ですよ」
「それはどうでもいいな」
「はぁ……仮にもう1枚手に入ったとして、それは弟のものです。あなたは弟と交渉するべきだ」
「お前がそう言うなら、そうさせてもらうか」
「いや、私の分を譲ろう」
黒岩と飯田天晴の会話に、サー・ナイトアイが割って入った。
「私も毎年招待を受けてはいるが、諸事情あって辞退させてもらっている」
黒岩はその提案に微妙だ、と言いたげな顔をした。
「ありがたいが……あんたにはせっかくだから、
「すまないが、この能力は24時間に一度しか使えないうえに、先約もある……」
サー・ナイトアイはクイ、と眼鏡の位置を直した。
「私があなたの未来を見るのは、
「……こいつの未来で何か、見えたのか? 夏に何が起きる?」
「夏……」
その単語を聞いた飯田天晴が、感慨深げな表情をした。
それに気づかないふりをしながら、サー・ナイトアイは淡々と答えた。
「今、それを話しても意味が無い」
「ふん、確かにそうだな……まあ楽しみにしておくさ」
黒岩は気の抜けた表情で笑い、さらに新しいビールの缶を空ける。
その音に、我に返った飯田天晴がごまかすようにグラスに口をつけながら、黒岩に尋ねた。
「I・アイランドまで、何しに行くんですか?」
「行くのは俺じゃないが……ちょっとした同窓会って所かな」
そう言った男の顔は、ずいぶんと懐かしそうに
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その素性──元ヒーロー『オクロック』にして、現
痛くもない腹を探られたくない気持ちはお互い様という訳である。
そんな彼もまた、『インゲニウム』こと飯田天晴に『死相』が見えていた。
雄黒と飯田天晴の付き合いは彼が現役ヒーローだった十年前まで
それから程なくして、雄黒はヒーローを辞めてしまったが、性格の良いその男はその後もかつての先輩、そして同僚としての付き合いを続けてくれていた。
そんな男が数ヶ月前に、突然「弟を見て欲しい」と依頼してきたのだった。
大きく年の離れた弟、飯田天哉。
順当にいけば、この弟くんが次の『インゲニウム』だろう。
だが、まだ十年は先の話であるはずだった。
(厄介な
雄黒はこの後輩ヒーローがなぜ、突然生き急ぎ始めたのか、その理由を半ばまでは察していた。
一定の水準を超えたヒーローには、捧げられた賞賛と引き換えに、避けられない任務と、結末が与えられる。
まだ生きてはいるらしいが、飯田天晴の父親もまた、かつての『インゲニウム』として、そのような結末を辿っていた。
(アドバイスなり、ヤケ酒に付き合ってやるなりしてやろうかと思っていたんだが)
どうやらこの後輩は
忙しいヒーロー活動の合間で可能な限りの、ある意味では最善の打開策を呼びこんでいた。
サー・ナイトアイ。
元オールマイトの
(
かつては自分も『時を超える男・オクロック』などという、やたら大げさな売り出し文句を掲げていた。
この男もその類ではないかと思っていたが、どうやらこっちは「本物」らしい。
サー・ナイトアイは飯田天晴の未来を見始めた
油断なく周囲を見まわし、神経質なほどに耳を澄ませている様子だった。
飯田天晴本人に向けてはその仕草を隠しながら、こちらに向けてはその緊張を隠す事なく露わにしていた。
それは、雄黒がそれに気が付くことを消極的に期待した、メッセージのようなものだった。
(つまり──)
サー・ナイトアイはその『個性』で未来が見えたのだ。
ここで、今から、何かが起きると。
飯田天晴が何を抱え、何を思い詰めているのかはわからない。
だが、ヒーローがキャリアの半ばで倒れる理由など、
雄黒は飯田天晴と軽口を
そして数分後、壁に掛けられた大きな時計が正午を知らせる音を鳴らし、内部のカラクリが動き始めると、サー・ナイトアイは立ち上がりながら叫んだ。
「今だ!」
「
雄黒は雄叫びをあげながらやたら高価そうな、重厚なローテーブルを蹴り上げた。
そうすることで天板に並べられたビール缶が飯田天晴を襲い、彼がそれを回避することを期待したものだった。
「なっ!?」
そして期待通りに、飯田天晴は座った姿勢から腰を跳ね上げ、その勢いに背筋から上の力だけを加えて後方に宙返りをしてみせた。
それと同時に、ローテーブルが真っぷたつに割れ、飯田天晴の座っていたソファーは風船が破裂するかのように中綿を撒き散らし、その直後に遠くから凄まじい銃声が轟いた。
「きゃああっ!!」
その轟音に部屋の奥で給仕役をしていた手伝いの女性が腰を抜かして座り込む。
「静かに! そのままじっとしていろ!」
雄黒が女性に怒鳴りつけるような大声で指示すると、その女性は両手で口を押さえながら顔を何度も上下に振った。
「これは!?」
宙返りから着地した飯田天晴はあんぐりと口を開けて驚いていたが、そこにサー・ナイトアイが横から腰に飛びつくようなタックルを決めた。
「ぐぇっ!?」
ふたりが横っ飛びに倒れ込むと、飯田天晴が立っていた場所にさらなる銃弾が撃ち込まれ、タイルカーペットと床板がバラバラになって跳ね上がる。
飯田天晴を助け起こしながら、サー・ナイトアイがどこへともなく叫んだ。
「
サー・ナイトアイの叫び声には、もはや隠すことをやめた、大きな焦りの感情が込められていた。
それは『予知』による、雄黒への明確な警告だった。
──次は
「しつけぇなっ……!」
雄黒もまた、ライフルによる射撃の技術を習得している。
その経験と比較することで見積もられた、この狙撃手の技量は──桁外れだった。
雄黒はほぼ詰んでいると自覚しながらも、飯田天晴をこの
ひどいことに、凄腕の狙撃手に加えて、おそらく探知系の『個性』の使い手がスポッターの役割をしているようだ。
スポッターが標的の位置を狙撃手に伝え、狙撃手はその情報を元に、見えない屋内の標的を狙って二度発砲した。
その狙いは雄黒からすれば意味がわからないレベルで正確だった。
(あいつめ、なぜこれを俺だけに伝えた?)
せめて、あらかじめ飯田天晴に警告ができていれば、もう少しだけマシな状況だったかもしれない。
その余裕は十分にあったのではないか?
その不可解を突き詰める暇もなく、狙撃手が次の手を打ってきた。
突然、最初に破壊されたソファーの残骸の中から、くぐもった音声で、女の声がした。
『バイバイ、ねぼすけドワーフ。目が覚めたらおいで』
その
虚を突かれたと自覚した瞬間にサー・ナイトアイから自分にだけ伝えられた『警告』の真意を理解した。
雄黒は頭を
飯田天晴の背後から。雄黒から見て真正面から。
大口径の銃弾が飯田天晴の腹を貫通し、雄黒の脳天があった場所を通過していった。
──かろうじてだが、傷の圧迫は間に合ったように見えた。
壁の時計は十二時五分を指している。
たった三度の銃撃でメチャクチャになったリビングの中で、腹を撃ち抜かれた飯田天晴の応急処置が続けられていた。
「おい、しっかりしろ! 呼吸は短くだ。痛ぇだろうが死ぬ気で腹圧を保て!」
「はっ、はっ、はっ……」
雄黒はすぐさま飯田天晴の身体を仰向けに寝かせ、撃たれた腹の圧迫止血を開始した。
ここを狙って撃ってくるような
だが、恐れていた追撃は来なかった。
あの声がした頃にはもう、狙撃手は勝利を確信し、逃走を開始していたのだろう。
あの狙撃手──声から推測するに、元ヒーローのレディ・ナガンが、そういう芸当ができる『個性』だということを、雄黒は遠い記憶から思い出していた。
銃弾は貫通していたが、おそらく内臓は深く傷ついてしまっている。
出血もひどく、すぐにでも設備のある病院で手術しなければならない、予断を許さない状況だった。
「お前、助かるぞ! このまま治療すれば助かる! 気合い入れろ!」
「わ、わかってますよ……だって、サー・ナイトアイが……」
「喋るな!」
部屋の外で連絡を取っていたサー・ナイトアイがスマートフォンを片手に戻ってきた。
その表情は、雄黒をして心配になるほどに青ざめていた。
「連絡は入れた……救急車が5分で来るそうだ」
「了解だ! 圧迫を続けるぞ」
雄黒が傷口を押すと、飯田天晴はうめき声をあげた。
「ぐぅっ! さ、サー……俺の未来は、見えましたか?」
「ああ。確かに見た。1年後……君はどこかの道を……似たようなコスチュームを着た少年と共に走っている」
サー・ナイトアイは片膝をついてしゃがみ、苦しそうな飯田天晴の目を見ながら、強く深くうなずいて見せた。
「ふたりでひとりの少年を担いで走っていた。乗せられた少年はあまりの速さで涙目になっているようだった……」
「はは……よかった……俺は、あいつと一緒に走れるんですね……」
笑顔を見せる飯田天晴を、雄黒は目一杯の大声で怒鳴りつけた。
「気を抜くなバカヤロウ!」
「おっと、あっぶね……」
「もう喋るな!」
「すいません、あと少しだけ……サー・ナイトアイ、お願いします。『
「承知している。私に任せておけ」
「どういうことだ?」
「予知による推測が含まれるが……」
雄黒が顔を上げサー・ナイトアイを
「インゲニウムは、都内に潜伏しているレディ・ナガンの制圧を計画していた。今の狙撃は、それを事前に察知されてしまったということだ」
チーム
現在のメンバーは飯田天晴を含めて7名。
それぞれが単独のヒーローとしては微妙ながらも一芸に特化した『個性』を持ち、それを活かし、集団の力で事を為すという、インゲニウムの理想を体現している。
たとえ十年近く逃走を続ける、厄介な
「だ、だいたい合ってます……」
「なるほど、まず司令部を先制攻撃、そののち各個撃破ってか。あの女は戦争でもやってるつもりか……」
「安心しろ、それは私が阻止する」
サー・ナイトアイが立ち上がりながら言った。
雄黒は、その暗く沈んだ、幽鬼のような表情に見覚えがあった。
それは九年前、とある事件で『個性』を奪われ、『無個性』となった自分の顔。
心が折れかかった男の顔だった。
(諦めてしまった俺に、これを言う資格はないだろうが……)
それでも言うべきだと思った。
何も解決しないまでも、声を掛け合うだけで、心と体は少しだけ軽くなる。
かつての自分にはそれがわからず、嘆き、諦め、家庭を壊し家族を失った。
だが、今の雄黒にはその後に積み重ねた経験があった。
「おい、あんた……ありがとうな」
玄関に向かおうとしていたサー・ナイトアイが振り返った。
「何を……私は彼を救けられなかった」
「そんなことはないぞ」
「未来はまた、変わらなかった……」
「変わったさ」
「俺が保証してやる。あんた今、俺とこいつの未来を変えたんだ。あんたが救けてくれたんだよ」
彼が予知を伝えなければ、雄黒は飯田天晴もろとも被弾していた。
そうすれば応急処置も遅れ、飯田天晴も助からなかった。
雄黒はそう確信していた。
見下ろせば、脂汗を流しながらではあるが、飯田天晴がサー・ナイトアイに向かってにっこりと笑って見せていた。
「観測者であるあんたの認識にパラドックスが起きないだけなんだ。あんたは『予知』で、未来を変え続けている。あんたが願う最善に向かって……」
雄黒も、飯田天晴につられる形で唇を
「あんたが諦めない限り、それは続いていくんだ」
サー・ナイトアイは一瞬だけぼんやりとした表情を見せたが、すぐに背筋を伸ばし、手のひらを上に向けた特徴的なポーズで眼鏡の位置を直した。
「失礼、気を遣わせたようだ」
その声と目に少しだけ力が戻っていた。
「ああ、頼むぜ。どうか、諦めてくれるなよ。スーパーヒーロー」
「フン……」
サー・ナイトアイはそれには答えず、振り返って歩き去る。
雄黒はその背中へ向けて、もうひと声かけることにした。
「あとな、お前、大事なことはちゃんと口頭で言えよ!」
俺が察し間違えていたらどうするつもりだったんだ。
雄黒自身は、言われても
それでも自分が被害者になれば、自分を棚上げにして言ってやらずにはいられなかった。
──その日、サー・ナイトアイは、レディ・ナガンの襲撃を受けた6名の
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雄英高校から下宿先のアパートまでの道を少しだけ寄り道するコースだ。
そこは、元は用水路であったが現在は地下化されており、埋め立てられて公園と化した地上部がまっすぐ数キロに渡って連なっている。
硬い土で舗装された地面は歩くだけならアスファルトよりも快適で、人の手が入った緑の景観は目に優しい。
切島以外にも雄英高校の制服を着た生徒がちらほらと歩いており、人気の場所であることが
そんな道を、靴底が砂を
真っ赤に染めてツンツンに立てた髪の毛も、整髪料が劣化してどことなくしおれてはじめている。
(ここで食らいついていかねぇと、どんどん引き離されちまうぜ……)
悩んでいるのは、雄英高校ヒーロー科、1年A組の中での立ち位置だ。
新学期が始まってまもなく一ヶ月になる。
濃密なヒーロー科の専門授業を通して、クラスメイト達の実力や性格がクラス内でおおむね共有されつつあり、それに伴ってふんわりとではあるがクラス内でのレベル分け、グループ分けもされつつあった。
例えば
この4名はクラス内でも飛び抜けた『個性』と実技能力を兼ね備えており、早くもA組の四天王などと呼ばれている。
ヒーロー科最高峰、雄英高校に在籍しているというだけでも上澄み、エリートだ。
だが、実際にはその中でもさらに頂点といえるような存在がいることを、切島はこのひと月で痛感していた。
(まだ、手が届く位置にはいると思う)
レベルが違うといっても、みんな先月まで中学生。本物のヒーローに比べればその実力はどんぐりの背比べだ。
問題はそこからの成長速度だ。
切島はなまじ素質があるがゆえに、彼らとの間に空けられた距離感の本質を正しく理解していた。
あの4人を含めて、この一ヶ月で見違えたクラスメイトは何人もいる。
一方で自分の内面は、こうして見た目に気合を入れる前のまま。
まだ何も変われていなかった。
切島は一番になりたいわけではないが、並び立ちたいとは思っている。
己がこれからクラス内での
それを決める正念場は今なのだと理解していた。
だが、そこに迫るための糸口がまったく見えてこないのだ。
もはや自己トレーニングの強度を上げるだけではダメだということだけはわかっている。
職員室まで足を運び、担任教師の
彼は雄英高校のOBらしいが、きっと生徒時代もあんな感じのマイペース系ぼっちだったに違いないと思った。
切島はふと、何かが焼けるような、香ばしいものを嗅ぎ取った。
それから少し歩くと、公園を横断する道路の端に屋台が開かれていた。
鉄板の上で油が踊る、不規則な音が聞こえてくる。
匂いはここから漂ってきているらしい。
正面に回ると、その屋台はたいやき屋らしかった。
小倉、カスタード、チョコクリームなど、定番の中身が詰まったたい焼きが保温器を兼ねたガラス張りのディスプレイの中に並べられている。
その向こう側で、高齢の女性が鉄板に向かい、せっせと手を動かしていた。
白髪をぼかすためであろう、真っ赤なメッシュの入った長い黒髪を青いバンダナで包んでいる。
エプロンの下は赤いTシャツにGパンで、おそらく60を超えていそうな年齢のわりに若々しい着こなし方をしていた。
切島はそのたい焼きの型がついた鉄板の隣に、半球状の穴が並ぶ鉄板もあるのを見つけて、思わず口を開いた。
「あれ、オネーサン、そんな美人なのにたこ焼きもいけるんスか?」
たい焼きを焼いていた女性は、
「いい度胸だ。焼いてやろうか? 鉄板に火は入れてるからねぇ」
「おねがいしゃす!」
切島は甲斐性こそ人並みだが、そのコミュニケーション能力は上澄みだった。
今のやりとりについては、幼い頃、母親からこういう時はこう言え、と教わっていたのをそのまま実践しただけではあったのだが。
それを照れずに違和感なくやり通せる素直さが彼にはあった。
女性はたい焼きの鉄板とたこ焼きの鉄板を行き来しながら巧みに手を動かしている。
火が入っていたというのは本当らしく、たこ焼きの方は早くも一回目の返しが始まっていた。
(あれ、この人めっちゃ上手くないか?)
口にこそ出さなかったが、ピックを操り、目にも留まらぬ速さでたこ焼きをひっくり返していくその手つきに切島は思わず魅入られていた。
そんな切島を見ていたのか、女性は楽しそうに話し始める。
「あたしは、こっちが本職なんだけどねぇ」
「たこ焼き、売れてないんスか?」
「雄英高校の坊ちゃんたちは、あまりこういう屋台に近づかないのさ。真面目に節制してるんだろうねぇ」
「へぇー」
「来るのは授業に疲れ切って、甘みに飢えてスイーツハンターみたいになった、度胸のあるお嬢さんばかり。今じゃすっかりたい焼き屋さんで定着しちまったよ」
言われてみれば、たい焼きは相当の数が作り置きされている。
これからこの道を通って下校してくるであろう、二年三年の先輩女子の方々がメインターゲットなのだと切島は悟った。
「たこ焼きはあきらめて、クレープにでも鞍替えしちまうかねぇ」
「そりゃ寂しいっス! 俺ぁクレープかたこ焼きかっつったら断然たこ焼きだぜ! なんならダチ連れて買いに来ますよ!」
「あはは、ちょっと期待してるよ。……ウチの流派はここからもう一回返すんだ。もうちょい待ちな」
「うっす!」
ピックで焼け具合を確かめながら、女性は切島にちらりと目線をやった。
「あんたも話してみるかい?」
「え?」
「悩んでたみたいだからねぇ。あたしの悩みを聞いてくれたからね、時間潰しに聞いてやってもいいよ?」
「あーっ……っすねぇ……」
切島はその言葉に甘えて、現状の身の上を話し始めた。
もとより、誰でもいいから相談したい気分だったのだ。
「──あんたも度胸がないねぇ。競争相手に気を遣っちまって」
「うっ!?」
たこ焼きの仕上げにかかりながら老女がつぶやく。
結構辛辣な返しがきて切島は面食らった。
「そんなお行儀よくやって、誰かが褒めてくれるのかい?」
「そういうことじゃねぇんスよ! 俺だけじゃなくて、みんな結構切羽詰まってるんス! クラスメイトの足は引っ張りたくねぇ!」
「それはアンタが苦しいから、楽をしたくて自分の中のモラルに甘えてるだけさ」
「えっ?」
保冷ケースからマヨネーズを取り出しながら老女は
「あんたバイクは乗らないのかい?」
「え、いや、まだ免許取れないっス」
「そうかい。走り方ってのはね、行く道と、共に走る相手を見て決めるんだ。それはバカでも半分は守れるようなルールやマナーの上にある、もっと大変で気を遣うものなのさ」
「うーん」
そうたとえ話をされても、切島には上手く飲み込めなかった。
「お互い、そう簡単に譲り合えない道なんだろ? ならぶつけてみるしかないんじゃないか?」
「!?」
「全員が初見のコースなんだろ。そりゃあもう、みっともない足の引っ張り合いになっちまうさ」
「でも……」
「でもね、アンタ程度に気を遣えるやつならそのくらい織り込み済みだろうし。相手がそれよりバカならこっちもバカになって喧嘩しちまえばいいのさ」
「それじゃあめちゃくちゃっスよぉー」
「大人の理屈を持ち込んで、スマートにやろうってのが流行りだけどねぇ」
老女は少ししわがれた声で笑った。
「別にメチャクチャでもいいのさ。あんたが攻めて、誰かがコケたなら、アンタが引き起こしてやりゃあいい。そうやってグダグダになりながら、度胸と気合と根性でゴールまで辿り着くのが、ガキ同士の競争ってもんさ。中坊の頃はそうだったろ?」
「た、確かに……」
「はいお待たせ、十個で二百円ね」
老女が紙皿に乗せられた十個のたこ焼きを押し付けてきた。
たこ焼きには青のりと
「やっす! オネーサン安過ぎっすよ!」
「これでも観光地価格だよ。マヨネーズ抜きならこんなもんさ」
「安過ぎて逆にうさんくさいっす!」
「度胸がないねぇ。安けりゃなんでもいいじゃないか」
「今はネットで原価が共有される時代スよ!」
「いいからさっさと食いな!」
切島はお金を渡し、側のベンチに座ってたこ焼きを食べはじめた。
「アチチ、う、うめぇ! やっぱ焼きたてだよな!」
中身に鉄板の熱を隠して舌を焼こうとするたこ焼きと格闘しながら、切島は思い返していた。
相澤先生に相談したときと同じで、何も解決はしていない。
だがそれなりに心は軽くなったような気がしていた。
「そうだよな……いつの間にかビビってたかも……時間もねーし、ぶつかってみるしかねぇか!!」
その隣で手を動かしている老女が懐かしそうに見ていることに切島は気が付かなかった。
「毎度あり」
「あざっす!」
結局、切島は味と安さにつられて2パック追加で注文し、持ち帰ることにした。
夕方に毎日行っている、筋トレと走り込み上がりの楽しみにしておく。
「体育祭でね」
「?」
「会場の中で、あたしの弟弟子がたこ焼きの屋台を出すらしいよ。あいつはあたしよりいい腕さ」
「マジっすか!」
「見かけたら買ってやりなよ」
「了解っす! んじゃまた!」
──もう待ちきれないとばかりに、その少年は走り去っていった。
「若いっていいねぇ……」
「やあ、マツ」
背後からかけられたその声を一回は無視した。
「昨晩はちょっと寒かったよね。腰を悪くしてないかい?」
「ババァ扱いはよしな」
手を止めて振り返ると、黒くて小さな異形が宙に浮かんでいる。
その声からは性別も、年齢も読み取れない。
わかるのは、小さな身体をした何かが黒い布をかぶってマスコットのフリをしているらしいということだけ。
ふよふよと空中を漂ってきたそれは、興味深そうに鉄板を眺めている。
「仕事かい? ヴェナリータ」
「例の件だ。カイナとロートスの居場所がわかったから、こっちに連れてきて欲しい」
「どこだい?」
「報告では、東京のスガモってところだね。キミならいけるだろ?」
「どうだかね」
こちらの顔をのぞき込むようにしながら言ってくる黒い異形、ヴェナリータに、彼女は曖昧な返事を返した。
「それに店はまだ閉めないよ。これから学校帰りのお嬢さん方が来るからねぇ。稼ぎ時だし、あの子たちも期待してるだろうからさ」
「そう言うと思って、店番をつれてきたよ」
ヴェナリータが手をかざすと、中空から湧き出るように黒い霧が生まれ、円盤の形を成した。
それを通り抜けるようにして、闇の向こうからひとりの女が現れる。
「はぁい、マツさん、お久しぶりです」
現れたのは、セーラー服を着た若い女だった。
だが、女子高生と断定するには、あまりにも目元が疲れ、眼差しが淀んでいる。
その女は作り笑いをしながら軽い足取りで歩み寄ってきた。
「今日はマツさんのお手伝いに来たのです!」
上目遣いの瞳をにらみ返しながら、マツと呼ばれた女はものすごく嫌そうな顔をした。
「この子大丈夫なのかい? 食品衛生法的な意味で……」
「あっ……」
「そういうキャラ付けやめてくださいよ!」
セーラー服の女はまったく心外だとばかりに声を荒げた。
「トガは毎日シャンプーしてますもん! 今週は!」
だが、その抗議は聞き入れられなかったようで、ふたりは彼女を放っていそいそと屋台で作業を始めてしまった。
「……ちょっと多めに作り置きしてからだね」
「ボクも手伝うよ」
そう言いながらヴェナリータが空いている鉄板に油を塗りはじめる。
「あっ、すごい! おっきなたいやき器! 懐かしいです!」
一方、たい焼きの鉄板を見たセーラー服の女はテンションを爆上げにした。
「トガもたい焼き焼けますよ! 4歳の頃におうちのたい焼き器で……」
「「座ってて」」
「ぶー!」
ベンチに座らされたセーラー服の女はほおを膨らませて不貞腐れていたが、たこ焼きが山盛りにされた紙皿を押し付けられると、歓声をあげてそれを食べ始めた。
「──いってらっしゃーい」
『
そう言いながら、黒い霧の中へと消えていく老女をトガヒミコは手を振って見送った。
トガヒミコ自身も、老女の血を貰い、老女の姿に『変身』を済ませている。
この姿で老女の振りをしながら、日が暮れるまでたい焼き屋さんの店番をやり通すのが今日の彼女のアルバイトであった。
紙皿を手に取り、その上に乗ったたこ焼きに爪楊枝を刺してもてあそびながら、トガヒミコはしわがれた声でヴェナリータに訊ねた。
「マツさんって、いっつも転移しながら変身しますよね」
「そうだね」
「すごくカァイイのにじっくり見れないの。残念です……」
悲しそうにそう言うトガヒミコの顔を見ながら、ヴェナリータは率直な推測を述べた。
「それは変身バンクが恥ずかしいからだと思うよ」