あの〜犬神じゃが……寝てたらなんか人類滅んどらんか? 作:黒葉 傘
いびき声が聞こえる。
聞くものを若干不快にさせるその唸り声は白い空間全体に響き渡っていた。
ああ、またこれか。
孤狼は見慣れたその景色にため息を吐いた。
白い空間に浮いた自分と目前に鎮座した巨大な動物。
「おい猫神、夢の中でも寝とるでない」
「ふがっ……んがぁ!」
目の前に浮かぶ大きな化け猫の鼻面を蹴飛ばしてやる。
そうすると猫は驚いたように目を瞬かせ、毛を逆立てた。
しかし、目の前に浮かぶ孤狼の姿を認めるとその表情はヘニャリと軟化した。
「やぁ……君かい久しぶりだねぇ孤狼」
「何がやぁ、じゃ。呼び出したのはお主じゃろう眠姫」
「あれ……そうだっけ……?」
猫神の眠姫はのんびりとあくびをしながら、孤狼を見下ろした。
眠姫は年中こんな感じで寝ているのか起きているのか分からぬ神だった。
争い事や不和を好まぬその温和な性格を孤狼は好いていたが、向こうはどう思っているのかは分からない。
なにせ眠姫は誰とでも眠そうにボソボソと話すだけだったから。
神の内でも誰とも馴れ合うことのなかった変わり者だ。
マイペースで気まぐれ、まさに猫そのものだ。
「まぁいい。なにやら人の世では病が流行ってるようだが、お主は大丈夫か?今でも人の世にいるんじゃろう」
向こうに用がなくとも孤狼にはある。
狐神から聞きそびれた人間の話を聞きたかった。
「病……?……あぁ、そうだねぇ」
孤狼の問いに眠姫はのらりくらりと顔を上げる。
神の誰とも友を作らなかった猫神だが人との縁は深く、その関わり方はどの神とも違った。
ただの猫に化け、人に飼われる。
そうして自身の面倒を見てくれた人間の願いをひっそりと叶える。
眠姫はそんな風変わりな神だった。
彼女が昔と変わらずその営みを続けているのだとしたら、今も人のそばにいるはずだ。
「今は地下にいるよ……」
「地下?どこじゃそれ」
「さぁ……なんだっけな……しぇるた……とかなんとか。そこで人と暮らしてるよ」
「相変わらずじゃなぁ」
人はやはり生きていた。
そのことに孤狼は安堵した。
北を目指したのはやはり間違いではなかった。
このまま探し続ければ、いつか孤狼も人と再会できるかもしれない。
人間の現状は大体分かった、後は……
「のぅのぅ、他の神たちはどこにいるのかの?」
人間たちも気になるが、旧友たちとも再会したい。
戦争の前は、友達の神々と食事を共にしたりしたが今は彼らがどこにいるのかも分からなかった。
こうやって夢で会うのもいいが、やはり直接会って触れ合いたい。
「んぁ……よく知らないよ……狐神は……海の向こうにいるって言ってたけど……」
「海の向こうじゃと!?」
「うん……たしか飴カリとかなんとか……」
この前夢に現れた狐神がまさか海を渡ったところから交信してきていたとは。
ところで飴カリってなんじゃ?
「他は知らないよ……何匹かは逝去しちゃったしねぇ……」
「は…………逝、去?」
「うん……死んだよ」
……………………………
…………………
……
『おや、目覚ましの前に起床するのは珍しいとMoは驚きます』
孤狼は荒い息を吐きながら目を覚ました。
ぐっしょりと汗をかき、何だか気分が悪い。
それもこれもあの夢のせいだった。
神が死んだ?
誰が?
そんなことがあるのか?
狐神は鹿神の行方が分からないと言った。
だから死んだ神の中にあの友人は含まれていないのかもしれない。
だが猫神が言うには少なくとも孤狼の知る何匹かはもうこの世にいないという。
別に孤狼も自分たちが不滅の存在だと思っていた訳ではない。
神は悠久の時を生きるが不死ではない。
でも孤狼の生きた長い神の営みの中で神が欠けたことは一度もなかった。
だから孤狼はいつも通り彼らはそこに存在していると信じて疑わなかったのに……
一体誰が死んだのだろうか、主神様は御存命なのだろうか?
その疑問を解消する前に孤狼は目を覚ましてしまった。
『ひどい顔です。体調が悪いのでしょうか?顔を洗うことを推奨します』
死んだ神の詳細を聞けなかったのは逆に幸いだったのかもしれない。
誰が死んだのか分からなければ、まだ友人たちは生きているかもしれないという希望が持てる。
孤狼は頭を振ると起き上がった。
人と寄り添った神が去ったのなら、この地上の様子も納得がいく。
どうやら孤狼が考えていたよりもこの世界は終わっているらしい。
「……それでも儂は生きている」
だから、自分の責務を果たす。
太古に交わした約束を果たすために。
眠気を追い払うように伸びをする。
Moの言う通り顔を洗った方がいいのかもしれない。
ボロボロの物置、昨日孤狼が寝床に選んだ建物だ。
そこを出ると太陽が傾いたビルの隙間から登っていくのが見えた。
木々に覆われた都市の廃墟に、朝が来た。
さぁ、今日も北を目指そう……人を探して。
……………………………
…………………
……
からん、ころん、小気味いい下駄の足音が都市にこだまする。
北を目指して、孤狼は今日も歩く。
その後ろを緑の光を放つMoが着いて飛ぶ。
その空を飛ぶ駆動音も、もう慣れたものだった。
「なんか木々が増えてきたのぉ」
『種子感染者による木々が根をはり、生息地を拡大しているとMoは予測します』
目の前にそびえる巨木を孤狼は見上げる。
この根の下に、腐敗せぬ死体が今でも眠っているのだろうか。
木々はアスファルトを砕き、コンクリートを突き抜け、その枝を伸ばしている。
まるで人類の文明を破壊し、無きものにするかのように。
北に進むにつれ、そういった木々は数を増やしている。
孤狼の歩く都市には鬱蒼と木々が生茂り、森と都市の中間のような奇妙な景色が広がっていた。
『感染の爆発地点ではこれよりも深刻な侵食が予想されます』
これよりひどいって、それはもはや都市が木に飲まれてしまうのではないだろうか。
孤狼は眉を潜めた。
木になる病とは、何とも珍妙な疫病だ。
「それより人間はどこかのぉ」
『汚染がひどく、生存は絶望的です。迂回した別ルートをMoは推奨します。このままですとコロウ様にも感染する恐れがあります』
「だから儂は病気にかからんから平気じゃって」
『否定します。人が種子に感染する確率は極めて高く、根拠のない自信での行動は死を招くとMoは忠告します』
「いや、儂人間じゃないって……」
根拠も何も孤狼は人ではない、人に化けた犬神なのだ。
病とは生きている生物がかかるものだ。
孤狼は生きてはいるが、その命の形は人間や動物たちとは異なる。
孤狼の肉体はとうの昔に朽ちていた。
今、孤狼の魂は御神体である宝剣に宿っている。
孤狼としての体は神性をもって創り出したものでしかないのだ。
血が流れ、呼吸をし、食事をし、睡眠もする、だがそれはそういうふうに創られたからでしかない。
生きているが、生物学的な犬としては孤狼はとっくの昔に死んでいるのだ。
模造品が病にかかることはない。
正確には生き物ではないのだから。
だがそれをMoが理解するのは難しいのかもしれない。
精巧すぎて機械にはそれが作り物なのだということが分からなかった。
それと同様に孤狼はこの機械を説得することを諦めていた。
だからMoの忠告など耳をかさず、ずんずんと足を進める。
「ん……?」
ところが、Moの言葉では足を止めなかった孤狼が不意に足を止める。
孤狼の目の前には奇妙な黒ずんだ霧が広がっていた。
それは風も吹いていないのに揺らめき、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
唐突にMoから電子音が響き渡る。
『動態型種子感染体を確認しました。危険です!直ちにここから退避してください!!』
それは朝に孤狼を起こす目覚ましの音とは違う逼迫したサイレンのような電子音だった。
その喧しさに、孤狼の耳が伏せられる。
そんな大きな音を立てなくとも、孤狼にも異常性は感じ取れていた。
犬特有の嗅覚と聴覚が、霧の中にいる何かを感じ取っていた。
呻き声がする。
霧の中を蠢くそれは人に見えた。
ゆっくりと歩いてくる人影。
だがその姿は植物に覆われていた。
身体中を根が貫き、穴だらけ、なのに動いている。
その人間を苗床にした植物はたくさんの黒い花を咲かせていた。
その花から漏れ出す花粉が、黒い霧となりその人間の周りを漂っている。
「人……なのか?」
『危険です!危険です!危険です!』
壊れたようにMoが警告を繰り返す。
孤狼にはそれが生きた人なのかどうか分からなかった。
木に貫かれた様子は今まで見てきたあの奇妙な死体を彷彿とさせる。
だが目の前のそれは歩いている、まだ生きているのではないだろうか。
「のぅ……お主大丈夫か?」
だからこそ、孤狼はそれを心配して肩に手をかけた。
植物にまみれたその肩に。
変化は一瞬だった。
「みぎゃぁあ!ぅわんっっ!!」
今までのゆっくりとした動きが嘘のように俊敏にそれは動き、孤狼の腕に噛み付いた。
孤狼は思わず情けない悲鳴を上げてしまう。
それは孤狼の腕を噛みちぎらんばかりの勢いで腕に歯を突き立てる。
『危険です!感染します!危険です!』
「お主不敬じゃぞ!」
孤狼はその植物人間を蹴り飛ばした。
人の形をしたそれは吹っ飛び、背後のビルに衝突する。
孤狼としてはかなりの威力で蹴ったつもりだったのだが、植物人間は何事もなく起き上がった。
なんだこいつは?
孤狼は噛まれた腕を払った。
「うっさいわいMo。儂は大丈夫じゃ」
孤狼はMoに見せるように腕を上げる。
噛まれたはずのその腕には傷一つ付いていなかった。
「あのような凡人では儂を傷つけることはできん」
孤狼は渾身のドヤ顔を披露する。
孤狼は神なのだ、その柔肌は繊細そうに見えて神性で守られている。
あのような攻撃ではびくともしない。
とはいえ少し驚いたが。
Moは空中に静止し、その腕をしげしげと眺めているようだ。
Moの緑色の光が、赤に変わる。
『いえ、感染しています。直ちにワクチンを摂取してください。命の危機にあるとMoは警告します』
「うん?」
小さな緑。
可愛らしい双葉、それが孤狼の腕からぴょこりと顔を覗かしていた。
「……なんじゃこれ?」
孤狼は傷つけられていない。
あんな攻撃で神が傷つくはずがない……だがこの双葉はなんだ。
次の瞬間、孤狼は腕に痛みを感じた。
肉体に、何かが入ってくる苦痛。
その奇妙な痛みに鳥肌が立つ。
腕に生えた小さな双葉がありえない速度で成長を始めていた。
ずぶりと根が孤狼の腕を貫く。
腕に穴が空いたというのに血は一滴も出ない。
それどころか先ほど感じた痛みも鈍化していき、腕の感覚がなくなっていく。
腕に生えた植物は腕を食い荒らしながら登ってくる、孤狼の胴体を目指して。
「ふんっ」
孤狼の判断は早かった。
腰に刺した宝剣を引き抜くと、自分の腕を切り飛ばす。
植物に貫かれた孤狼の腕が宙を舞う。
切り離されてなお、その植物は孤狼を目指して根を伸ばしてきた。
だがその根を孤狼は返しの一太刀で切り払った。
腕が地面に落ちる。
植物はそのまま成長し続けると、孤狼の腰ほどもある若木になったところで成長を止めた。
腕を貫いて生える木、それは孤狼が見てきたあの奇妙な死体と酷似していた。
孤狼はなんとなくあの死体がどうやってできたのか察した。
目の前にいるあの動く植物人間が死を蔓延させているのかもしれない。
だとするなら、あれは動く死だ、放ってはおけない。
片腕で、油断なく宝剣を構える。
『危険です!危険です!危険です!』
「そう喚くな、神が剣を抜いたんじゃぞ」
片腕を失ったというのに、その犬神は全く動揺していなかった。
その超然とした様子はやはり彼女が人ではないということを如実に表していた。
「神の剣の前では龍であろうと頭を垂れる。儂が剣を振るった後には争いの種は両断され、平和だけが残る」
日の光を浴びて宝剣が眩く煌めく。
その刀身に曇りはなく、まるで鏡のように孤狼の姿を映していた。
「それが神の剣だ」
……………………………
…………………
……
「神様、その剣は飾りなのですか?」
「うむ?」
かつて、孤狼が神となりまだそれほど経っていない頃のこと。
各地を流離う侍が孤狼のもとを訪れた。
「素晴らしい宝剣を腰に佩いた神がいると聞き、この地へ来ました。ですがあなたには武の気配を感じませぬ。その剣は飾りですか?」
「飾り……まぁそうかのぅ。この宝剣は贈り物じゃ。儂は争いを好かん。じゃからこの剣を振るうことはないじゃろうな」
孤狼の言葉に、侍は肩を落とした。
聞けば、神の剣が放つ威光を見たくて遥々この地まで足を運んだようだった。
それは悪いことをしたと孤狼も肩を落とす。
孤狼に武術の心得はなく、剣に関してはまったくの素人だった。
「私も人を傷つけることは好きませんから、神様の気持ちも分かります」
「?じゃがお主は侍じゃろう、その腰の刀は人を切るためのものじゃ」
「そうでもあり、そうでないとも言えます」
「はぁ……?」
まるで問答のような言葉に、まだ幼い神は首を傾げる。
孤狼にとっては剣とは争いと傷を生む凶器でしかなかった。
「神様は武の極地に到達した刀とはどんな刀だと思いますか?」
「そりゃぁ……一刀のもとに全てを切り伏せる最強の刀じゃろうな」
孤狼にとっての刀とはまさにそんなものだった。
幼いながらもその鉄の塊が多くの命を奪うのを孤狼は見てきた。
まさに暴力そのものだ。
犬神にとって刀をうまく使える者とは多くの人間を殺してきた者だった。
だがその侍にとっては違った。
「違いますよ、武の極地とは……誰も傷付けぬ刀です」
「傷付けぬ刀?」
侍の言葉に孤狼は再び首を傾げる。
傷付けぬ凶器など、矛盾しているのではないだろうか。
まるで幼子のように首を傾げ、尻尾を揺らす神に侍は微笑んだ。
「武人の振るう一太刀は必然。武を極めた者ほど、より少ない太刀筋で勝負を決められるでしょう。それは分かりますか?」
「うむ」
それならば孤狼にも分かる道理だった。
達人ならば、相手が動く前に一太刀でもって首を落とすだろう。
逆に素人ならば、泥臭く相手と切り結び、お互い傷だらけで命を散らすこととなる。
「つまり極めれば極めるだけ相手に与える不要な傷は減っていきます」
首を、心臓を必要な急所だけを裂き、貫く。
残酷なまでに効率化された殺しの技、それが武の極地だ。
だが、それも違うと侍は首を振る。
「それを極限まで極めると、とうとう刀は誰も切ることなく決着をつけるのです」
それは無茶苦茶な道理だった。
達人になるほど相手に与える傷の数は減っていく。
であるならばその極地は誰も傷付けないのではないかという夢想。
「なぜなら勝負の決着に必要なのは相手の死ではなく、理解なのですから」
理解、それは孤狼を決して傷つけることなく化け犬の寂しさに寄り添ったあの修験者を思い起こさせた。
「私たちは分かり合い、手を取り合うことができる。だから刀が切るべきなのは人ではなく争いの種なのです」
優しすぎる夢想だった。
人間は誰かを傷つけ、奪い合ってきた。
それは今も昔も変わらない。
だけど、それだけじゃないということを孤狼は知っていた。
その名と腰に佩いた宝剣は人の優しさの証明だった。
「その武の極地を目指して、私は刀を振るってきました。ですが齢を重ねるにつれ身体は衰え、極地からは遠ざかるばかりです」
そう溢す侍の顔には深いしわが刻まれていた。
だから、彼は神の剣が見たかったのだろう。
人の身では無理でも、悠久の時を生きる神ならばその極地にたどり着けるのではないかと……
神であれば彼の夢想を見せてくれるのではないだろうかと儚い希望にすがりついたのだ。
だれも傷つけることなく争いを収める剣、それを夢見て。
「願え」
孤狼は侍に手を差し伸べた。
「神として叶えよう、お主の願いを」
その日から争いの嫌いな神は剣を手に取った。
かの神にとって剣はもはや凶器ではなかった。
その馬鹿みたいな夢想を孤狼も見たくなったのだ。
それは犬神が他の神々から武神と呼ばれ一目置かれるようになる未来への、最初の一歩だった。
……………………………
…………………
……
迫りくる植物人間に対して孤狼は宝剣を構えた。
それはかつての侍が使ったような刀の構え方とは違う、孤狼独自の構えだった。
孤狼は侍から刀の心を学んだが、刀の振り方を教わることはなかった。
だから様々な神や人と出会い、孤狼は自分の中の剣を育ててきた。
極地を目指して。
宝剣を真っ直ぐと立て、自身の顔の前に構え目を閉じる。
それはフェンシングなどで見る剣礼のポーズによく似ていた。
斬りかかるにはあまりにも不都合な構え、だがそれでよかった。
その剣技は相手を傷つけるためのものではないのだから。
一陣の風が吹いた。
誰もそれを目視できなかった。
機械であるMoでさえも彼女がただ宝剣を構え、再び鞘にしまったとしか認識できなかった。
だが、宝剣は確かに振られた。
その証拠に、何かが切れる小さな音がした。
バランスを失ったように植物人間がふらつき、孤狼まであと一歩というところで倒れる。
人間を覆っていた植物が生命力を失ったかのようにしなだれ、その青さを失う。
黒い霧を吐き出していた黒い花も枯れたかのようにしなび始めている。
『何を、したんですか?』
「あの植物の命が集まる場所を断ち切った。じゃが……命というには変な感じじゃたのぉ」
孤狼は首を傾ける。
命というにはそれは歪な気配だった。
普通の植物とは何か違う……
『種子の核を切った?しかし外傷は……』
「知らんのか?最強の剣は誰も傷つけんのじゃ」
孤狼のドヤ顔がまた炸裂する。
Moにとって人体を切ることなく人体の中の種子を傷つけるなど理解の範疇を超えていた。
そんな技術の知識はMoのメモリーには存在しない。
「しかし……今のは所詮殺生の剣だ。儂もまだまだ武の極地とは遠いのぉ」
そう言って孤狼はからからと笑う。
犬神はあの日から、剣の腕を磨き続けてきた。
しかしその極地にたどり着けたと思う一太刀を孤狼はまだ数度しか振れていない。
武神などと呼ばれ持て囃されようと武の極地は果てがなかった。
あの侍は天国で今も孤狼の剣を見ているのだろうか。
彼の満足できる剣になっていればいいが……孤狼はそう願うばかりだった。
『コロウ様、それはなんですか?』
「うむ?」
動態型種子感染体を無力化した孤狼は再び北に歩みを進めようとした。
しかし、それをMoが止める。
孤狼の頬に、赤い点が灯っていた。
「なんじゃこれ」
孤狼が手をかざすと、赤い点は手に移った。
どうやらゴミがついた訳ではなく、小さな赤い光が照射されているようだった。
「動くな!武器を捨てて跪け」
孤狼でもMoでもない声が、廃墟に響き渡る。
孤狼に向けられた黒々とした凶器。
銃。
それが孤狼へと向けられ、そのレーザーポインターが彼女の頭部に狙いを定めていることを示していた。
「種まきゾンビを剣で撃退した?お前…………」
ガスマスクに覆われた頭部。
一切露出のない服装。
「人間か?」
「人間じゃ!!」
孤狼と、その銃の持ち主の言葉はほぼ同時に放たれた。
片や疑心にまみれた声音で。
片や歓喜に溢れた言葉で。
だが、孤狼は少し早とちりなのかもしれない。
だってその姿は孤狼の知る人間とは少し違ったから。
その人間の左肩には、小さな若木が生えていた。
黒い包帯でぐるぐる巻きにされた左肩から生えたその存在が、仄かな異常性を主張していた。