思い出したのは、1ヶ月前のあの痛みだった。
「さあトーセンジョーダン現在4番手!」
痛い。
「追い込んで来るのは早めに動いたアンライバルドだ!」
ああ、また割れちゃったか。
「アンライバルドが先頭に立ってこれから一気に坂を上っていく!」
前がどんどん遠くなってく。
「シェーンヴァルトとトライアンフマーチも追い込んで来た!」
なんで脚が動かないの?
「アンライバルドがゴールイン!アンライバルドです!鮮やかに早め先頭から押し切りました!」
これで終わるかもだけど、それでも全部レースにかけるって。
「2着にはトライアンフマーチ、3着にはセイウンワンダー」
すげーウマ娘になるって決めてたのに。
「なんという事でしょう、1番人気のトーセンジョーダンは13着!」
うるさい。
爪さえ割れなければ、あたしだって。
「……お帰り、トーセンジョーダン」
そんな顔、すんなし。
「脚は、……爪は大丈夫か?」
大丈夫なワケないじゃん。
ケドさあ、アンタに向かって、アンタもケアに付き合ってくれた爪のせいって言いたくないじゃん。
「大丈夫、だから出てって」
「すまない。……ライブの時間まで、外で待ってるから」
「うわ、ヤバ。血まみれじゃん」
シューズから足を抜いてみれば、シューズの内側もソックスも爪先の部分が血で真っ赤に染まってた。
「ひっどいなあ。また根本までザックリ割れてるし、割れてない爪も真っ黒じゃん」
とりあえず血を拭き取って、割れちゃった爪には新しいチップを貼ってテーピング巻いてと。
「痛いけど、とりあえず歩ける。てことはもしかして、痛みに慣れたら爪割れたまま走れんじゃね?……なワケないか」
ウイニングライブは動きもそこまで激しい訳じゃ無いバックダンサーだしどうにかなるとして。
「次のレースは、もう無理かなあ」
winning the soulの歌詞が、あたしには歌う事の許されなかった歌詞が、ステップごとに爪の痛みと一緒になって突き刺さる。
爪が割れちゃうんじゃ、踏み出す事さえ出来ないじゃん。どうすりゃいいってのよ。
中山レース場からの帰り道、トレーナーの運転する車が夜の高速道路を駆け抜けていく。
「なあ、爪、本当に大丈夫なんだよな?」
「大丈夫だって。これ何度目よ、ちゃんと前見て運転してる?」
そう、大丈夫。
明日にはトレーナーとも契約を切って、それでトレーナーは新しいウマ娘をスカウトして前に、次に行けば良い。
「大丈夫、大丈夫だから」
じゃあ、あたしは?
「本当に大丈夫なんだよな?」
そんな問答を繰り返してる内に車はトレセン学園の前まで着いてしまった。
「それじゃあ、明日のミーティングで次の予定を話そうか」
「……うん。わかった。トレーナー、ありがと。それと、おやすみ」
引退、かなあ。
「ああ、おやすみなさい。ちゃんと食べて寝て、しっかり疲れを抜くんだぞ」
それでトレーナーの車を見送って、振り返ればトレセン学園と真向かいの栗東寮と美浦寮。
「しまった、寮に帰ったらチケゾーに爪バレるじゃん、そしたらトレーナーにもバレるじゃん。マズったなあ……。あ、そだ」
どうせトレセン学園も辞めるんだし、一人でお出かけでもしちゃおっか。
そうと決めれば、行こう。
新宿なら京王線で一本だけどこの時間じゃポリに捕まっちゃうし、逆方向でちょっと遠い、人の少ない所が良いなー。
ウマホで地図アプリを起動して、トレセン学園から新宿とは反対側へとスワイプしてーっと、ここだ!
「長野。よし、長野に行こう」
府中本町から立川まで行って、そこから特急に乗り換えて3時間の一人旅、面白そうじゃん。
おかしいのに気付いたのは立川駅で特急に乗り換えた時だった。
「なんか、周りの人らに見られてる?制服のまま来たのはマズったかな?」
気恥ずかしさを紛らわそうとウマホを取り出してみて―――。
「あれ、電波無い?まさか壊れた?……まあ、これから誰かと連絡する必要がある訳でもないし、いっか」
とりま次に乗換える終点の松本って所まで一眠りすっか。
「あの尻尾と耳、なんか動いてるけど本物なのかな?」
―――ふと、寝心地の悪さに目が覚めた。
おかしい、尻尾の収まりがちょー悪い。なにこの座席。
ウマホを見れば圏外なのは変わらず時間は20時、まだ電車は走っていて終点には着いてないけど、だけどもうこの座席に座っていたくない。
よし、次で降りよう。
『まもなく泉平です。お降りのお客様はお忘れ物の無いようお仕度下さい』
「泉平、うーん、聞いた事ないトコだけどまいっか」
だって最初から行き当たりばったりみたいなもんだったし。
停車してぶしゅーっと開いたドアから駅のホームに降りて一息吸ってみれば、芝の匂いとは別の、夜の森の青い匂いで一杯で気持ち良い。
ついでとばかりに列車の座席で収まりの悪かった尻尾もばっさばっさと振って気持ちを入れ替える。
「うわっ、本物なんだ……」
変な視線を感じながらも、気持ちいい空気を楽しみながら向かった改札に切符を通せばゲートが開き―――。
「あいた!……えっ、何で!?」
なんでか改札のゲートは開かなくてマジでぶつかった。
なにこの改札、壊れてんじゃないの!?
「お客様、どうされました?こちら切符確認しますね。―――おや?」
それを見て寄って来た駅員さんがあたしの切符を見て不思議そうな顔をした。
「長野までの切符ですから改札は開くはずなんですが、……ちゃんと読み取れなかったのかなあ。すみませんお客様、途中下車ですよね?払い戻しも致しますので窓口の方まで付いて来て下さい」
そんなんで2500円くらい返金されて改札は出れたけど、駅前のお店はどこも閉じてて灯りは街灯とバスが1台だけ。
そのバスもあたしを待ってるみたいなのか運転手が窓から手を振っている。
「よし!じゃ次はあのバスで行ってよう!」
アプリ皐月賞ストーリーと異なり、爪の痛みでラストスパートが出来なかったため出血量が少なく、蹄鉄シューズの外側まで血が染み出さなかったのでトレーナーが出血に気付かなかった。という筋書きです。