「さて、これで両親指の処置は完了したわよ」
「へ?あれ?寺井さん、ぜんぜん熱くも痛くもなかったんだけど?」
なんか大垣教授のバ券サイダーとかの話をしてたら、いつの間にかあたしの爪に何か凄いレーザーの治療が終わってたみたい。
てっきりちょっとは熱かったり痛かったりするのかなって思ってたんだけど?
「あくまで今日は、トーセンジョーダンさんにとっても私にとっても初めて試す治療だから、あんまり強いレーザーは使ってないのよ。これから様子を見て問題が無ければ、来週からは普通の強さのレーザーを使っていくわ」
「へえー。あ、それってあたしがヒト耳じゃなくてウマ娘だから?」
「ええと?そういえば、ヒト耳っていうのは、私たちみたいな耳が顔の横に付いてる人達のこと?」
「うん、耳の形と場所が違うから、分けて呼ぶ時はそう呼んでるんよ」
「なるほどね。それならだいたいその通りよ。それにトーセンジョーダンさんの言うヒト耳の中でも、レーザーで火傷をし易かったり、あるいはし難かったり。それとは別に熱いっていう感覚が鈍くて火傷に気付き難いっていう人も居るから、誰でも最初は弱めの治療から始めるのよ」
「へー、なんかトレーニングみたいじゃん」
トレーニングも種類とウマ娘、あとはその日の体調によっては伸びって奴が違ったり、怪我のリスクが違ったりって、だから最初は軽いトレーニングから始めるんだってトレーナー言ってたし?
「ええ、そうよ。だから爪を早く治すための治療と言っても、焦らずゆっくりやっていきましょうね」
「はーい。今後とも末永くよろでーす」
「さて、予定していた用事もこれで全て終えた訳だが。ツルマルツヨシさん、もしトーセンジョーダンがそちらの世界に帰りたくなった時の為に、帰り方というのを教えてもらえないだろうか?」
へ?は?
なんで?
「ちょっとK先生、そういうの良いってば。あたし帰らないから」
「だがな、トーセンジョーダン。俺は帰りたくないという気持ちを持つのは自由だと思っている。しかし、帰り方を知らないでそう思っているのと、帰ろうと思えば帰れる。だけど帰らない、帰りたくない。そこには大きな違いがあるぞ。分かるか?」
「え?えっと、なにそれ。わかんねーって。まじわかんねー」
だって、帰らないんだから。そんなのどっちも変わんないじゃん。
「もしも、もしもだ。何時か気が変わって帰りたくなったり、向こうの誰かに会いたくなったら。そうなった時に帰る方法を知らなかったら?それは嫌だろう?」
「それは、まあ……。そうかも?」
「それじゃあ、聞いておこう。なに、俺も気になっていたんだ。違う世界と繋がる道っていうのに」
「なにそれ?ま、いっか。じゃあ、ツルマルツヨシ先輩。一応なんだけどさ、帰り方?帰り道?っての、教えて下さい?」
そう、あくまでこれは一応って奴。それにK先生も知りたがってるみたいだし、あたしはそのついでなんだから。
だからツルマルツヨシ先輩も、そんな嬉しそうな顔しないで良いってのに。
「はい。といってもそう難しい話でも無くて、立川駅の南武線のホーム、その川崎方面の端っこなんですけど、関東地方のレース場、えっと競馬場という場所で重賞レースが開催されてる日だけエレベーターが現れるんです。ちなみに今日だと府中にある東京レース場で開催されるG2のフローラステークスですね。そのエレベーターでホームから2階コンコースに昇ると向こうの世界からこっちの世界に、その逆だとこっちから向こうに行けちゃうんですよ」
「それは、出現する日が限られているとはいえ、トーセンジョーダンのように思いがけず世界を跨げてしまう人が出てしまうのでは?」
「いえ、そのエレベーターで世界を渡れるのはウマ娘だけなんです。それで、重賞レースがある日に立川駅の南武線ホームを使うウマ娘は滅多に居ないのと、そのエレベーターには故障中って貼り紙をエレベーターの外にも中にもしてるので、余程の事が無ければ渡っちゃう事も無いはずなんですけど……。私もそうだったとはいえ、たぶんトーセンジョーダンさん、足の痛みもあってその貼り紙が見えてなかったんじゃないですか?」
「あー、うん。そうかも?」
帰り方を聞いといて何だけどさ、よく分かんなかったわ。
まあK先生も聞いてるしいっか。
「そうだ、トーセンジョーダンさんとKAZUYA先生、じゃなくてカズト先生、長野県の方に帰るんですよね?私も今日向こうに帰るので、実際にそのエレベーターを見て行きませんか?立川駅は途中でしたよね?」
その誘いにK先生が乗っちゃったから、あたし達3人はT村へ帰る途中の立川駅でオレンジ色の電車から降りる事になった。
「ほら、このコンコースの先で南武線のホームに繋がってるあのエレベーター、それとエレベーターにまで繋がる通路も、この駅案内図には載ってないんですよ」
ツルマルツヨシ先輩に降りたホームからエレベーターで駅の2階の通路に連れられて来て、そこでなんか懐かしいものを見たような気がした。
「ほお……、しかしエレベーターに故障中の貼り紙が貼られていないようだが?」
「こっちの世界にはウマ娘が居ませんからね。それにもし私やトーセンジョーダンみたくウマ娘がこちらの世界に迷い込んでしまった時、それで来た道を辿ってエレベーターまで戻って来ても故障中の貼り紙があったら道が途絶えちゃいますから。なのでエレベーターの外には私たちの世界にあるホーム側にしか故障中の貼り紙をしてないんです。それにほら、エレベーターにまで繋がるこの通路に貼られてる広告ポスター、気付きません?」
「……東京レース場?府中にある競馬場の広告では?何か仕掛けが?」
「ええ、ですがこちらの世界では府中にある競馬場の事を東京競馬場と言うんです。東京レース場というのは私たちの世界での呼び名で、そして広告の下にはしっかりと―――」
「
「それに、見ての通りポスターに馬の写真やイラストは一切使用せず、もちろんこちらのヒト耳さん達が不思議に思わないようウマ娘のも使用してないんですけど、その代わりに東京レース場と私たちが通ってるトレセン学園の写真を使ってるんです」
そっか、このポスターが懐かしいのって、トレセン学園とあたしが皐月賞で走った府中のターフが写ってるからなんだ。
「だからウマ娘だけが気付けると。良く出来ているな」
「ええ。それじゃあKAZUYA先生、じゃなくてカズト先生、私はこれで向こうに帰ろうかなと、なんですけど……」
「けど?どうした?」
「この、KAZUYA先生から診察券代わりだって貰ってたこのメス、私は向こうで腫瘍取っちゃったし、それにKAZUYA先生は亡くなられて、ですけど、えっと、なのでカズト先生に返せば良いのかなって」
「確かに俺はKAZUYAが診察券の代わりに残したメスを引き継いでいる。とはいえ、そのメスは君がこちらの世界で繋いだ所縁を表す数少ない思い出の品でもあるのだろう?患者によっては代わりに俺のメスを渡す場合もあるが、そのKAZUYAのメスはそのまま君が持っていなさい」
「え、良いんですか?」
「先輩、何なのかよく分かんないっすけど、それプレゼントじゃん?貰えるもんは貰っとくべきっしょ」
ぶっちゃけツルマルツヨシ先輩が持ってる細長いケースの中身、そのメスってのが何なのか分かんねーんだけど、でも死んじゃったカズヤって人との大切な思い出の宝物っぽいし、それを返してだなんてK先生も、それこそそのカズヤって人も言わないっしょ。
「プレゼント、ですか?」
「そうだな。プレゼントだ。大切にして欲しい」
「はい!ありがとうございます!大切にします!……それではカズト先生、トーセンジョーダンさんをよろしくお願いいたします」
「ああ、任された」
「トーセンジョーダンさん、1年後、待ってますからね」
「だから、あたし帰んねーって。……あとトレーナーになんだけど、もしあたしの事探してたんなら、さっさと諦めて新しい担当見つけねーとクビになるぞーって、言っといてよ」
「ふふっ。はい、わかりました」
「ちょ、笑うなし。なんか恥ずいじゃん」
そりゃアイツ、あたしと契約出来たおかげでクビにならずに済んだんだし、あたしはこっちにずっと居るんだから新しい担当見つけないとやばいじゃん。
「いえ、それでは、しっかりと伝えておきます。それと、渡した宿題の中にトーセンジョーダンさんのトレーナーが考えた1年分のリハビリとトレーニングメニューが入ってますから、宿題と合わせてしっかりやって下さいね」
「だから!あたし帰らないって!」
「それでは!お元気で―――」
なんて言って、ツルマルツヨシ先輩は無理矢理に話を切り上げてエレベーターに飛び乗って、そしてドアが閉じた途端にエレベーターの中は誰も見えなくなって、そのまま空っぽのエレベーターだけが下のホームに降りて行っちゃった。
「あたし、だから帰りたくないんだってば……」
「トーセンジョーダン、なら駅の外でハンバーガーでも食べてから帰るか?」
「……いやK先生、そっちの帰りたくないじゃねーし。……まあ、昼にサンドイッチしか食べてないから、ちょっとお腹空いてる。だから食べたいかな。ハンバーガー」
「じゃあ、行こうか」
「うん」
ツルマルツヨシのメス
KAZUYAが次代のKではなく見ず知らずのウマ娘世界の医者に向けてツルマルツヨシを託したメス。
知らぬ世界の医術がツルマルツヨシを救うと信じ、彼は宛名の無い紹介状と共にこのメスを持たせた。
Kの信念は世界を超えても尚受け継がれた。
立川駅南武線ホームの不思議なエレベーター
土曜日と日曜日に偶に出現するらしい。
立川駅の改築前は偶に出現する地下コンコースだった。