「なあ一也、あの女の子、やっぱ凄い脚してるよな」
「でも、なんか足先の具合が良く無さそうなんですよね。怪我してるのかな?」
というより、どう見ても脚より目立つ身体的特徴を差し置いて脚の筋肉の付き方に着目する辺り、ロードバイクの選手である翔太さんの性なのかな。
そんな会話を翔太さんとしている時、バスが何かの段差を乗り越えたのか大きく揺れて―――。
「痛ッ、たあー」
彼女が小さく悲鳴を零したのが聴こえた。
バスの揺れで痛み?
足先を気にしている感じからして足の指の骨折。いや、そうであれば立川駅で僕達と同じ列車に乗った時からもっと痛みを気にしているはず。
となると、―――ちょうど件の彼女が左足の靴を脱いでいるのが見えて、その靴下の爪先はびっしょりと出血で染まっていて、よくよく見れば脱いだ靴も外側にまで血が染み出してバスの床を濡らしている。
「おい一也、アレやばいんじゃないか」
夜のバスの車内灯だけの暗さもあり今になってようやく気付いた彼女の顔は蒼白で、しかしその表情は怪我に慄いているほど強ばっている訳でもなく―――。
「まずい!出血多量による低血圧だ!大丈夫ですか!!!」
駆け寄って彼女の肩を掴み―――冷たい!それに痙攣も起きている!?
「この足!いつから出血してるんですか!?」
肩を掴んで揺さぶりながらの問いかけにも反応が薄い!顔をこっちに向けるのさえ緩慢、気絶寸前の意識障害!まさか低血糖まで!?
とにかく足先からの出血を止めなければ!
「手当てしますよ!身体を床に降ろしますね!あと運転手さん、終点まで急いで!」
まず彼女の身体をバスの床へと降ろして、足を座席の上に乗せて高くして出血量を減らして。
「一也、この子右足も出血してるぞ!」
「なんだって!?いったいどうしたらこんなに!?翔太さんは右足の靴と靴下を脱がせて下さい!」
「わかった!―――なんだこの靴!?靴底に鉄板が付いてるぞ!?」
そして彼女の素足が露わになって―――。
「両親指の爪が完全に割れてる、それを人工爪とテーピングでむりやり塞いでたのがバスの揺れと出血で剝がれて傷口が開いたんだ。それに他の爪も爪床が真っ黒に内出血してる」
「こんな鉄板が付いた妙ちきりんな靴で歩くからだ!」
鉄板が付いた靴?見れば翔太さんが持ってるローファーの靴底には爪先部分に円弧状の鉄板が装着されていて、ふとその鉄板が馬の蹄鉄に似ている事に気付いた。あぁ!そんな事よりも!
「とりあえず傷口の周りの血を拭き取ってテーピングし直します!」
これで更に出血するのは抑えられる。だけど既に失った血液量はいったいどれだけなのか。
手首に触れて脈拍を診ても弱く遅いのに、血圧を回復させるにも点滴の輸液も道具も無い。
こんな時は、そうだ!5年前の地震でK先生がやったっていう、脚をきつく縛って血管床を狭める事により血圧を上げる血圧維持法だ!
確かその時は周りにあった自転車からタイヤとチューブを取って使って、でもこのバスの車内に自転車は無い。―――けど!
「翔太さん!翔太さんが買ってた自転車のチューブを下さい!」
今日わざわざ新宿まで買い出しに行ったのは、翔太さんのロードバイクのトレーニングに並走する事になった僕用のサイクルウェアやヘルメットを買う為で、その時ついでに翔太さんは予備のチューブを買っていたんだ!
「あ?ああ!分かった!―――コレだ!」
「これで!こう!両脚をそれぞれ!縛り上げて!血圧を維持!」
これで1時間は問題無いはず。後は診療所まで運べば輸血で助かるぞ。
「お客さん!終点野上北着いたよ!その怪我人急ぎなんだよね!?運賃はまた今度で良いから早く行きな!」
「ありがとうございます!」
ちょうど応急処置が終わった所でバスも終点に着いて、彼女を背負ってバスから降りる。そのまま診療所まで走ろうとして―――。
「一也、まさか背負ったまま走っていくのか!?すぐそこの片倉さんから軽トラ使わせてもらった方が早いぞ!」
翔太さんからの指摘で気が覚めた。
僕は、足先から出血してる怪我人を、足先が下になる背負い方でわざわざ余計な時間を掛けて走って運ぼうとした?
いくらテーピングし直して脚を縛ったばかりとはいえ、重力と揺れで出血が再発するリスクがあったのに?
「は、はい!そうしましょう!」
慌てて片倉さんの家の方角へと振り返り、だけど背中の彼女を極力揺らさないよう歩く。
片倉さんの家へと走っていく翔太さんの遠ざかっていく背中を追いかけながら。
症状の設定としては、レース中に爪が割れて出血したのを素人手当てのまま放置し、しかもレース前の昼食を食べて以降、皐月賞で多大なエネルギーを消費したにも関わらず何も食べていなかったため、出血による低血圧と飢餓による低血糖が併発した状況です。