目が覚めたら、いつもと違う空気の匂いがした。森の中にいるような空気の匂い。
ベッドで寝ていたみたいだけど、寝心地が寮のとは違う、ちょっと硬い。
天井も、何かのシミがあったりで古い感じ。
そんな視界の隅には何かの透明な液体が入った袋がぶら下がっていて、そこから管が下へと、私の腕に刺さってる針にまで繋がっている。それはまるで―――
「あれ?あたし、入院なんかしてたっけ?」
上半身を起き上がらせて、辺りを見渡してみたけど、この病室にいるのはあたし1人だけみたい。もちろん隣でチケゾー先輩が寝てるなんて事も無い。
壁に掛かってる時計は11時の、あれ、長い針と短い針が両方とも11の辺りにあるからーーーと考えたところで身体から力が抜けた。
「あー、え?」
起き上がってちょっと時計の読み方を考えちゃっただけ。たったそれだけなのに、身体から力が抜けてベッドにぼすんと逆戻りしてしまった。
体力の全てを使い果たしたかのような感じがして身体に力が入らない。頭も痛くなってきた。
「あー、うー」
舌も回らなくなって声も上手く出せない。
これってあたし、もしかしてまじやべー?
「あら、目が覚めたんですね?気分はどうですか?」
来た!看護師さん来た!あたし助かった!
「あー、なー」
駄目だあ喋れない。あたし終わった。
「舌が回らない?麻痺、いえ一度起き上がれたみたいですし、低血糖?。うーん、とりあえず先生を呼んできますから、ちょっと待ってて下さいね」
ああ、看護師のお姉さん行っちゃった。
あたし、これからどうなるんだろなあ。
看護師さんを見送ったままの視界の隅に映る時計は11時ちょうどを示していた。
あれ?さっき見た時は11時55分だったよね?
看護師さんはすぐに戻って来た。白衣の男を2人連れて。
「う、うあー」
あの黒沼トレーナーよりガタイの良い男が2人もいるのやべーっしょ。
「これは、一晩中ずっとブドウ糖とビタミン剤を点滴していたのに舌が回っていない。これでは問診も難しいですな。耳や尻尾の事について詳しく聞きたかったのですが」
最初に喋ったのは髭のおじさん。
一晩中?あれ、そういやあたし、昨日バスに乗った辺りから記憶が無い?
「いや、我々が入ってきた事にすぐ反応できている。意識は明瞭なんだろう。とりあえず幾つか質問するぞ。答えが合ってる時に声を出して欲しい。まずは、出来るか、出来ないかの2択で、出来るか?」
そんなんちょー簡単っしょ!
「あーお」
まー、分かってたけど。ちゃんと答えてるつもりなのに変な声しか出ない。まじだせー。
「爪以外に何か持病や怪我はあるか?ある?……アレルギーや冷え性などもない?」
「あー」
そうだ、爪ちゃんと治さないとなあ。
「最後に食事をしたのは?昨日?」
「あー、うー」
そういえば、皐月賞の前に軽く昼ごはんを食べてから何も食べてないや。
いつもならレースの後に近くのお店で美味しいのをトレーナーにゴチになってたのに。なんか損した気分。
「その食事の後に激しい運動をした?」
「おー」
そりゃあもう、皐月賞を走ったし。
「足の爪の怪我はその運動をしている時にした?」
「ほー」
そうだよ。爪さえ割れなければきっと勝ってたのはあたしなんだ。
「……今、お腹が凄く空いている?」
「あ、あー!」
はい!はいはいはい!!ちょーお腹空いてます!!
「よし!これで質問は終わりだ。よく頑張った。少し早いが昼食にしよう。麻上さん、点滴はそのまま続けながら経口摂取でお粥を食べさせてくれ」
「はい、わかりました」
「やー」
よっしゃ!ごはんだ!
「ほれ、そうだと思ってお粥作ってきたで」
ちょうどそのタイミングでもう1人、おばあちゃんがお盆を持って来た。その上には湯気の立ってるお椀が2つ。
「人参と小松菜の牛乳粥と梅干し粥じゃ。K先生、これで良かろ」
「うむ。……人参?」
それをさっきの看護師のお姉さんが受け取って私に食べさせてくれる。―――まずは緑とオレンジが混ざった甘い匂いがするお粥、それをスプーンでひと掬い口元に差し出されるのをあーんと受け取る。
「んーっ!」
お、美味しい。
牛乳のお粥って初めて食べたけど、臭くもないし甘いし、野菜のウゲッとした感じも無いしむしろさっぱりしてるし、そして人参が入っててめちゃ美味しー!
「ハハハハハ!美味いか!どんどん食え!」
「牛乳には胃酸から胃を保護する役割がある。なので空腹状態から最初に食べる食事として温めた牛乳、そして失った血を補うため鉄分の豊富な小松菜を―――」
なんかよく分かんない事言ってるけどお粥めっちゃ美味しー!!
「そして梅干し粥は梅干しのクエン酸による疲労回復効果、そして味の異なる2種類に分ける事で味覚を刺激して食欲を増やす効果が―――」
梅干しのお粥もうまーーー!!!
「これは、聞いていませんな」
「まったく、トキちゃんみたいな食いっぷりじゃな。耳といい尻尾といい懐かしいわ」
全部食べた!美味しかった!
「オ?全部食べたか。お代わり要るじゃろ?」
「うん!おかわり!おばーちゃんのおいしーお粥、あたしもっと食べたい!」
やっべえ身体から力がどんどん湧いてくる。もっと食べろって体が叫んでる!
「んだ!ウマ娘さいっぱい食べるもんじゃしな!鍋で持ってくるけ待ってろ!」
「あざー!!!」
イシおばあちゃんが作る入院食はめっちゃ美味しい。私は知ってるんだ。
前話の一也の応急処置中の診断と今話の内容についての補足。
一也は前話でトーセンジョーダンの足の出血からまず低血圧を疑いましたが、実際には爪からの出血のみで量はさほどでもなく、症状の殆どは飢餓によるものでした。
なので今話で触れた輸液はエネルギーを補充するブドウ糖とビタミン剤のみで輸血はしていません。
なおウマ娘の食事量が多いという事は、輸液での栄養補給も人間基準でやると全く足りない事になってしまうという今話のエピソードでした。
そして、トーセンジョーダンより前にスーパードクターK世界に来た事があるウマ娘は今作では2人を予定しています。