「トーセンジョーダンと言ったな。その、京都の絶対になったツルマルツヨシは、そっちじゃどんなふうに走ったんだ?今も生きてるのか?」
「え、えーっと」
京都の絶対、ツルマルツヨシ、どのレース走ったんだっけ?
「確かー、
「菊花賞だと……。しかも天春を2勝って事は、……まさか。おい、ツルマルツヨシは世紀末覇王のテイエムオペラオーに天春で勝ったのか?」
「世紀末覇王のテイエムオペラオー?オペラオー先輩にそんな呼び名あったかなあ?あーでもオペラオー先輩、シニア1年目だとツルマルツヨシ先輩以外には負けてないんだっけ?そんで有馬でしか勝てなかったとか言ってたような」
「おお……。KAZUYA、俺たちはやっべえ奴を育てちまったみてえだぜ……。ははは、黄金世代の遅れてやってきた秘密兵器とは言ったもんだ。マジモンの秘密兵器だったじゃねえか」
な、なんか大垣教授が椅子から殆ど崩れ落ちちゃった。大丈夫なんかな?
「えーっと、大垣教授?それとトウセンさん、じゃなくてトーセンジョーダンさん?いったい何の話をしているの?まるで競馬の話をしているみたいじゃない」
なんか寺井さんが変な事を言い出した。ウマ娘のレースの話に決まってんじゃん。
あれ?でもこっちだとウマ娘は居ないんだよね?それにしては大垣教授と話のウマが合うような?
「ああ、まるで競馬なんだよ。ツルマルツヨシも、そしてトーセンジョーダンも、この世界では競馬を走る競走馬として実在してるんだ」
「やはり、か」
???
なんかK先生だけ変な納得しちゃってるんだけど、え?こっちの世界にもアタシがいる?
「大垣教授、かなり昔の競走馬だとは思うのですが、トキノミノルをご存知ではないですか?」
「ああ?トキノミノルたあまた昔の馬だな。もちろん知ってる。1951年の皐月とダービーをレコード勝ちしたが直後に破傷風で亡くなった馬だ」
あれ、トキノミノルってはしょーふーでも助かったんじゃなかったの?
「破傷風で亡くなった?……ああ、そういう事か。大垣教授、それに寺井さんも、これを見て下さい。村の診療所に残っていたトキノミノルのカルテです」
「んん?これは、トキノミノルのカルテ?何でお前が持ってる?……いや、この写真は!?」
「トーセンジョーダンさんみたいな耳と、尻尾の生えた女の子?まさか?」
「そうです。彼女が村に来たウマ娘のトキノミノルです。俺の祖父、神代一道によって爪甲縦裂症と破傷風の治療が行われ、完治して元の世界へ帰っていきました。残念ながら向こうの世界での消息をトーセンジョーダンが知らないため、無事に帰れたどうかすら不明ですが」
「ま、またおまえんとこの村は、1951年に破傷風の治療法を確立させていやがったのか」
「つまり、違う世界の、馬みたいな女の子。それがウマ娘なのね」
うん?うーん??
この3人が何で納得してるのか、それが分からん。
「ちなみに大垣教授、ツルマルツヨシとトーセンジョーダンは、こっちの競馬ではどんな馬なんですか?」
「へ、こっちのケーバのツルマルツヨシ先輩と、……あたし?」
あ、そっか。もしかしてこっちのあたしも、レースを走ってるのか。
「こっちの、競走馬のツルマルツヨシは1999年にG2の京都大賞典を勝ったのが一番の勝ち星、これであのテイエムオペラオーにも勝ってるが、残念ながらG1は勝てず2000年の有馬記念で繋靭帯を断裂して引退。今は宮崎県の乗馬クラブにいる。トーセンジョーダンの方は……」
なんか、大垣教授があたしを見てなんかちょっと目を逸らしたような気がした。
「え、何?こっちのあたしも何かやらかしたの?」
「あー、いや。トーセンジョーダンがやらかしたのは今年の2月にあった共同通信杯で裂蹄、人間やウマ娘で言う爪を割ってしまったくらいで、それとは別に、ホープフルステークスだ。お前さん達ウマ娘の世界じゃホープフルステークスはG1レースなんだろ?」
「うん、ホープフルはG1レースよ。あたし唯一のG1勝ち星。つか、あたしが爪を割っちゃったの皐月賞だし、2月はレース走ってないし?」
「ああ、やっぱり細かい所で色々違うんだな。……トーセンジョーダンさん。落ち着いて聞いてくれ。こっちの世界じゃホープフルステークスはオープン戦なんだ。G1じゃない」
「……へ?ホープフルがG1じゃない?それもオープン?」
あ、あたしのG1勝ち星が?G1じゃない……、なんで?
「さらに言えばツルマルツヨシの出走レースでもこっちとそっちじゃ違った。ウマ娘のツルマルツヨシはジュニア6月のメイクデビューで気絶し、後日の精密検査を東京大学病院なる日本で一番の大病院で受けるため電車に乗り、そして御茶ノ水駅で気絶して我らが帝都大学病院に救急搬送されて来た訳だが、こちらの競走馬のツルマルツヨシがデビューしたのはジュニアの翌年になるクラシック、それも皐月賞も終わった5月。もう殆ど1年も違ったんだ」
あたしの、G1……。
「その馬の方のツルマルツヨシのデビュー、もしかして時期としてはかなり遅かったのでは?」
「ああ。馬の方もウマ娘と同じく虚弱体質でな、それとの折り合いが付いたのがようやくクラシックの5月だった訳だが。しかし、ウマ娘のツルマルツヨシは同期と走る事に拘って、クラシック戦線の為に無理を押してメイクデビューの時期を早め……、そして腎臓の腫瘍摘出手術を拒否したのも同じ理由だった」
「だ、大丈夫?トーセンジョーダンちゃん?」
ああ、寺井さんの慰めが滲みる……。
「……EPOがドーピングの禁止薬物に指定されているからですね?」
「そうだ。腎臓からEPO産生腫瘍を摘出すれば、腫瘍と共に周辺組織を郭清された分だけ術前より腎臓のEPO産生量は減り、術後は定期的な体外からのEPO投与が無ければ腎性貧血で日常生活すら困難となる。ましてやウマ娘の本気で走るなんて以ての外。だがEPOを体外から摂取していてはドーピングと判定されてレースに出走できない。だからツルマルツヨシは手術を拒否した。元の世界に帰ってからの同期とのレースの為に」
「しかし、腫瘍を残したままでは多血症が。いや、瀉血療法はドーピングにはならないから、ですか」
「ああ。奇しくも、競走馬の筋肉痛などの治療法に笹針という、同じような血を抜く治療法があるらしいぞ。まあ、それは余談として、俺とKAZUYAは食事療法も組み合わせてのリハビリとトレーニングを1年間みっちり行ってツルマルツヨシがレースをしっかり走れるようにして、そして元の世界に帰してやった。それからはトーセンジョーダンがさっき話した通り、立派な戦績を残した訳だ」
ホープフル、あたしのG1、ホープフル。
こっちじゃオープン、そんなの無いわ……。
「ちょ、トーセンジョーダンちゃん!?しっかりしなさい!?」
腫瘍という爆弾こそ抱えたものの、その場その場限りならちゃんと走れる身体を得て、更に当人も既に病魔に侵されていたとはいえ野獣の肉体を持つと称されるKAZUYAにトレーニングされたツルマルツヨシは一体どうなりましたか?
以下ウマ娘ツルマルツヨシの作中戦績
1997年、ジュニア期
6月、メイクデビュー→レース中気絶により競争中止
1998年、クラシック期
2月、未勝利、東京芝2000m→1着
5月、OP白百合ステークス、京都芝1600m→1着
10月、G2京都大賞典、京都芝2400m→3着
10月、G1菊花賞、京都芝3000m→1着
12月、G1有馬記念、中山芝2500m→8着
1999年、シニア期1年目
1月、G2日経新春杯、京都芝2400m→1着
4月、G1天皇賞春、京都芝3200m→1着
6月、G1宝塚記念、阪神芝2200m→4着
10月、G2京都大賞典、京都芝2400m→1着
12月、G1有馬記念、中山芝2500m→3着
2000年、シニア期2年目
2月、G2京都記念、京都芝2200m→1着
4月、G1天皇賞春、京都芝3200m→1着
9月、G2オールカマー、中山芝2200m→2着
12月、G1有馬記念、中山芝2500m→11着
皐月賞とダービーが間に合わないと察するやリハビリとトレーニングの目標を菊花賞にオールイン。結果として京都レース場でしか実力を出し切れないが、代わりに京都レース場の絶対になる。
偶に同期黄金世代との対決を目的に京都レース場以外にも出走したが、結局京都以外での勝ち星は未勝利戦のみ(アプリで京都の未勝利戦が無いため)。逆に京都で先着を許したのはクラシック期京都大賞典でのセイウンスカイとメジロブライトのみ。
シニア2年目後半から腫瘍の進行スピードが加速し、瀉血療法と食事療法でも多血症の症状を抑えるのが難しくなり、ラストランを同期のキングヘイローとの有馬記念に決めて京都から中山へとシフトさせるも、その有馬記念のレース中に多血症によるめまいなどにより失速。ゴールこそしたものの引退。
引退後に腫瘍摘出手術を受け、無事に成功。
以後は腎性貧血の治療の為にEPOを定期的に摂取しつつ、URAとの協議の上で偶にドリームトロフィーに出走している。
なお、ツルマルツヨシが満足に走れなかったラストランの有馬記念でしか先着出来なかったテイエムオペラオーは世紀末覇王の称号を失った。
なお、メイショウドトウはオールカマーでちゃんと勝った。テイエムオペラオーはドリームトロフィーでめちゃくちゃツルマルツヨシに挑んだ。
とかいうツルマルツヨシ後日談や、今話の描写とツルマルツヨシの戦績にある矛盾点は後でまた掘り返す予定。