感情シンタイプ   作:小沼高希

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7月中旬、自宅、守森先生と

通話できますか?

 

いいよ

 

僕が最初のメッセージを送ってから数秒で返信が来て、十秒経たずに着信音が響く。

 

『なにかな、鹿染さん』

 

電話ごしの守森先生の声。

 

「ちょっと考えていることがありまして。お時間大丈夫でしたか?」

 

『今はちょっと何もできずにベッドでぼんやりしていただから、問題ないよ』

 

時間は夕方七時。僕は学校から帰ってもうお風呂に入ってしまったけど、先生は疲れて動けないのだろうか。

 

「先生の家って会社から近いんですか?」

 

『そうだね。引っ越したから』

 

「あれ、それじゃあその前は?」

 

『教職員住宅っていうのがあってね、最低限暮らすには困らない感じだったよ。調理場は共用だったけど』

 

「大変ですね……」

 

『でも家賃は安かったからね。今のほうが少し広くて色々できるけど、一人で暮らすとちょっと寂しい』

 

「一人暮らしならではの問題、ですか」

 

『私は大学時代もそうだったから慣れてはいるんだけれどもね、たまに』

 

そう言って守森先生は小さく笑う。

 

「僕も合格したところによっては、そういう生活になるんでしょうか」

 

『受験校選びもあるから、そこで選んでもいいかも』

 

「そうですね……」

 

『一人暮らしのダメ料理なら色々教えられるけど』

 

「そういうのも必要なんですね……」

 

『料理はやっぱり心を落ち着かせるから。鹿染さんはなにか作れる?』

 

「卵焼きとかカレーとかムニエルとか、そういう家庭科でやったぐらいのものならまあ……」

 

『なら十分だよ。揚げ物は手間で結局やらないし』

 

こういう話を聞くだけでも心が落ち着くが、そういえば本題は違うんだった。

 

「ええと、話が変わるんですけれども」

 

『いや、これ私のほうが話題振っちゃったかな。それで、どうしてかけてきたの?』

 

「……ちょっと今日の昼に送った話の関係で、考えたことがありまして」

 

『へえ』

 

先生の声が真剣になる。それでいて重くならない、私はあなたに興味を持っているよと伝えてくれるような感じ。

 

「僕が高校生のうちでも、頑張ったらまだだれも知らないことに触れることができるのかな、と思いまして」

 

『……もう少し、詳しく教えてもらってもいい?』

 

一回呼吸をして、スピーカーフォンに設定して、守森先生と同じようにベッドで横になって、天井を見る。

 

「まだこれは、自分の中でも整理しきれていないことなんですが」

 

『いいよ』

 

「最近まで、高校の範囲でやる内容で暗記しなくちゃいけなかったりするのは、純粋にそれが特徴とか……例えば金属イオンの沈殿みたいに規則性がないから覚えるしかないものなのか、それとも原理が複雑すぎるかのどっちかだと思っていたんです」

 

『なるほど』

 

「それがなんというか……窮屈で、どこか溺れていたような気がしたんです」

 

『息が苦しい感じ?それとも押しつぶされている感じ?』

 

酸素の不足か、それとも水圧か、か。僕の溺れるという言葉から水圧側の方を想像するのは、理科全般をやっている守森先生らしい。

 

「わからないです。むしろ、暗いとかかもしれません」

 

『……ちょっと言いたいことができたけど、続けてもらえる?』

 

「けれども、守森先生に授業でやる範囲でもまだ曖昧というか、つい最近わかったようなものがあると知って、嬉しい……というのも違うんですが、楽になったというか」

 

『重しが取れたとか、息ができるようになった、とか?』

 

「そういう気がしたんです。これが何なのか、わからなくて」

 

『……私は、その逆があったよ』

 

「聞いてもいいですか?」

 

『いいけど、昔の話だからあまり思い出せないかもしれない』

 

守森先生が回線の向こうで深呼吸をしているのが聞こえる。

 

『私の専門は有機合成化学だって話、知ってる?』

 

「化学だというところまでしか知りませんでした」

 

あまりイメージはつかめないが、たぶんフェノールを加工してアセチルサリチル酸を作る、みたいなやつのもっとすごいやつだろう。

 

『それで、私は卒業研究としてある化学物質を合成したんだ』

 

「すごいですね」

 

『いや、別に。その物質自体は特に何の使い道もないとされていたものだったし、私がやったのは先輩のアドバイス通りに薬品を混ぜて、蒸留して、カラムクロマトグラフィーにかけただけ。当時は大変だったけど』

 

たぶん料理と同じものだ。珍しい食材を使ったとしても、レシピの通りに作れば料理にはなる。

 

「それでも……」

 

『いや、笑えるのはここからでね。私が合成した物質は、その前の年、私が合成を始めるよりも前に出された論文ですでに使われていたものだった。そこでその物質は他の有用な候補と比べられるためだけの、対照実験のために合成されていた』

 

「それは」

 

『私がさ、勉強してなかったのはあるよ。論文を書いたのはその分野ではそれなりに有名な海外のチームによるものだったのはあるよ。それでもさ、私はせっかく掴んだ、世界最初だと思った未知が、ただの使えないと最初からわかっている物質扱いされたのが、辛くて』

 

守森先生の声が感情的になっている。泣いているというほどではないが、口調がいつもより速くなっている。

 

「……ごめんなさい」

 

『いいよ、久しぶりに思い出せた。だから私は教師になろうとしたんだった』

 

「……その続き、聞きたいです」

 

『今はダメ。……あと、これは会って話したいな』

 

「予定、たてましょうか?」

 

『いいね、どこか一緒に行く?』

 

守森先生の声は、少しだけ元気になっていた。

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