感情シンタイプ   作:小沼高希

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7月中旬、書店、守森先生と、さらに

あらゆる分野の専門書が揃う階。一列の本棚全部が数学書。隣の列がずっと物理。地学分野だってたっぷりある。

 

「これがこの前私が関わった本!」

 

確かに背表紙に古塞出版と書かれている。それにしても守森先生のテンションがとても高い。わかる。僕だってこういう場所は楽しくなるもの。

 

「三冊も置いてくれてる!」

 

「売れてないってことなのでは?」

 

「売れるって賭けてくれたんだよ!」

 

なるほど、そういう考え方もあるか。

 

「先生はどういうところに関わったんですか?」

 

「そうだね、たとえば出典になっている文献がちゃんと存在するかとか」

 

そう言って先生は本を抜いて後ろの方のページを開く。ずらりとならんだ文字。

 

「……論文のことについては、どれだけわかる?」

 

「研究の結果を報告するものだってぐらいは」

 

「……雑誌に載ってるっていうのは?」

 

「あれってそういうものなんですか?」

 

「なるほど」

 

こういう時の先生は、相手の知識がない事を確認できてわくわくしているような声を出す。自分の知っていることを話せるのが楽しみなのだろう。僕はそういう先生が嫌いじゃない。

 

「雑誌と言ってもファッション雑誌みたいなものじゃなくて、送られてきた論文を集めた雑誌があるんだ。それの何年に出た何号の何巻の何ページにあるなんていうタイトルの論文を使ったのかがここにずらりと書いてある」

 

「太字が巻ですか?」

 

「そう」

 

そう言われてみると少しだけわかった気がする。

 

「この作者さんは論文のタイトルも全部書いてって言ったから、参考文献の部分がかなり多くなっちゃったし実はミスも見つかっているけどそれでもいい仕事した自信はあるよ」

 

「どういうミスなんですか?」

 

「大文字と小文字を間違えただけ。データベースからのコピペの時にしくじった」

 

「ああ……」

 

なら気がつかないとかもあるかもな。僕だって記述問題で書き間違えるとかやったことあるし。

 

「鹿染さんは、なにか欲しい本とかあるの?」

 

「生物系の面白いのがあれば」

 

今日の予算は五千円。下手すると一冊買って終わりになってしまう。

 

「そうだねぇ、最近流行りのポストCRISPRとか……興味ある?」

 

「……正直、そこまで惹かれないです」

 

「なら、どういうのが好き?」

 

「前読んだ、古細菌の分類の話は面白かったです」

 

「またマニアックなものを……」

 

色々なものを丁寧に分類していく過程というのは見ていて好きだ。自分でやってみたいとは思うけれども、それだけコツコツできるほど僕には忍耐力がない気がする。

 

「シーケンス系ならメタゲノム解析寄りか……?ああでもタクソンを定義する哲学的なやつが最近出ていたかも……タイトルなんだっけな……」

 

さすが現役の編集らしく、僕のわくわくするような本のジャンルを選んでくれる。

 

「ああでも、科学哲学系はやめといたほうがいいよ」

 

「それってなんですか?」

 

「うーん、あるかな」

 

そう言って守森先生が僕を連れて行くのは哲学のコーナー。

 

「例えば、科学ってなに?」

 

「……実験をして、なにかが正しいか確認する……方法?」

 

「そうだね。私が説明するなら仮説とその検証をもとに知識を深めていく手段、およびそこで培われた技術及び経験の体系、とか?」

 

「……なんとなく、わかります」

 

「で、それを他の方法と切り離すことはできるかとか、そもそも仮説や検証というやり方で本当に真理に近づけるのかとか、そういう面倒なことを科学者の代わりにやってくれる奇特な人たちがやってるのが科学哲学」

 

「そんなものがあるんですね」

 

「まあ、大学入ってもやらない人はやらないから。それにここらへんを考え過ぎると心が病む」

 

「そんなに?」

 

「……例えば、空が明日落ちてくるかもしれないと考えて生きて行くのって難しくない?」

 

「聞いたことあります。中国の故事でしたっけ」

 

「杞憂、だね。けれども科学の根本を掘りすぎるとよくわからなくなる。本当に測定されたデータが真実を示しているのか?自分の使った分析手法は適切なのか?」

 

「それはあらゆる研究でありそうな気がしますけど」

 

「まあね。でも、あれは一種の呪いだよ。私はなんとか囚われる前に逃げたけど、先輩の一人がちょっと目覚めちゃって大学院で文転して今まだ博士課程にいるという……」

 

「……怖い話、ですか?」

 

「そうだね」

 

「……気をつけます」

 

何に気をつければいいのかは知らないが、たぶんあまり考えすぎないのがいいのだろう。

 

「あとは教育系のコーナー、寄っていい?」

 

「先生の好きに回っていいですよ、僕はついていくので」

 

「……うーん、難しいなぁ」

 

先生は悩ましげにため息を吐く。

 

「何がですか?」

 

「いや、誰かと一緒にこういうところに来るのって初めてなんだけど、すぐに思ったことを共有できるメリットはあるけど相手のことを考えないといけないのがデメリットだなって」

 

「……いないほうが、いいですか?」

 

「違う違う、もしそういうふうに受け取ったならごめん、なさい」

 

声が途中から少し真剣なトーンになる。

 

「……鹿染さんとこうやって回るのは、一人で回るのとはまた違った楽しさがあるよ」

 

「……よかったです」

 

たぶんこう返せばいいんだろう。一人はいつでも来れるけど、誰かと来るのは都合とか人間関係とかが揃わないと難しいしね。

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