「新しい本だ」
朝のホームルームの前にのんびりと前に買って積んでいた本を読んでいると納倉が声をかけてきた。
「どうしてわかる?」
「まだ後半のページに開き癖がついていない」
「よく観察してるな……」
「ウチの目はそういうところは強いんだよ」
「他に気がつくところはある?」
「……なんか年頃の面倒な女性みたいな事言うなぁ。髪切った?シャンプー変えた?恋人でもできた?」
「なんでそういう当てずっぽうみたいなこと言うかな。切っていないし小学生の頃から安いリンスインシャンプーだし浮いた話も魅力的な相手もいない」
「いないの?」
「いないね」
「そう」
僕の言葉に納倉はそう言って僕の机に座る。圧迫感があるな。
「……悠」
「なに?」
「詩明せんせとは、どう?」
納倉は僕よりちょっと身長が低いので、こういうふうに見下されるようになることはあまりない。
「どうって……最近は本屋さん行って、この本紹介してもらって、あとはおやつ一緒に食べて……」
「浮いた話があるくせに」
「僕と守森先生はそういう関係ではない……って」
僕はそういうふうに言われて嫌ではないことを、たぶん初めて自覚した。やっぱこれってそういうものなのかな。
「……まあ、別にいいが。守森先生がどう考えているかは知らんけどね」
「いや、守森先生はそういうこと……しない……よね?」
「ウチに聞くなよ。あと本人に聞いても答えはちゃんと帰ってこないと思うぞ」
「……そういえば、納倉はそういう経験あるの?」
「……秘密、だ」
納倉がちょっと目を背けて言う。
「ところで、ちゃんと帰ってこないって?」
「説明していいのか?」
「他人の感情とか、よくわからないから」
「まあ自分の感情もちゃんと把握してそうにないからな、悠は」
「納倉は?」
「悠や詩明せんせよりはマシだと思うよ」
「なんで守森先生が?」
「……まあともかく。守森先生との関係は今のままでいいのかちゃんと考えておけよ?」
「どういう意味?」
「詩明せんせと悠の年齢は、どれだけ離れている?」
「ええと……」
守森先生は大学卒業した次の年に僕たちの高校に来たんだから、そこで七……いや、六年差かな。
「あまりなくない?」
「まあ比較的セーフな範囲ではあるが……」
そう言いながら納倉はタブレット端末を弄る。
「平成26年(あ)第1546号……また古すぎるものを。あんまり参考にならないなぁ」
「何見てるの」
「詩明せんせが捕まった時に使えそうな判例」
「なんで?」
「いや、騙されてもいいっていうなら別だけど、そうでないなら距離をちゃんとしておかないと大変なことになる、と詩明せんせに昨日言っておいた」
納倉は確かに守森先生の電話番号を知っているのでメッセージを送れるのはわかるけど、そんな事してたんだ。
「いや、守森先生と連絡してたの?」
「悠との色々な話を聞いてる」
なんだろう。これ、恥ずかしいと言っていいのだろうか。別にそんな変なことを守森先生としていたつもりもないけど。大丈夫だよな?
「……ねえ、納倉」
「なんだ?」
「納倉ってさ、こういう……人の色々な想いみたいなもの見るの、好きなの?」
「嫌いじゃないが」
「……僕と守森先生が、そういう関係になったほうが面白い?」
「否定はしないが、問題が起こりやすい可能性がある関係を放置するのは倫理的にまずいだろ」
「納倉がそういう倫理とかを持っているとは意外だな……」
「ウチを何だと思ってるんだ?」
呆れる納倉。いや、日頃の行いが悪いからだと思うが。
「ともかく、守森先生は普通に危ない人だし、完璧な大人ではないし、悠にとって悪影響をもたらす可能性はそれなりにあるってことだけは理解しておいて」
「……わかった」
「ま、それでもいいって言うなら止めはしないけど」
そう言って納倉は机の上からひょいと降りて去っていく。
チャイムが鳴る。今日は大掃除の日。明日は終業式。明後日から楽しい夏休み。なお試験結果は悪くなかった。生物は一位。化学は二位。理論系の問題の配分が高かったので仕方がない。
僕が守森先生に持っている好意は自覚していたが、守森先生が僕に向けている好意については考えたことがなかった。
思い返せば、守森先生はかなり僕に対して色々なことを話してくれた。今の先生にとって、僕はかつての教え子以上の存在になっていることは間違いないだろう。
で、それについて納倉に話している。なんでだろう。……悩みとか。あるいは、歳の離れた僕との関係とか、そういうことを聞いたのかもしれない。
納倉はそこらへんしっかりしているし、確かに相談するなら適切だろう。とはいえその話を僕に回していいのだろうか。そういうことをされたら僕は守森先生を嫌いになるかもしれない。本当に嫌いになれるかな。
一瞬だけ守森先生とそういう、恋みたいな関係を相互に持ててしまったシチュエーションを想像してしまって全力で頭を振る。呼吸を落ち着けろ。先生が伝えてこない限りは、あるいは僕から言わない限りは、この関係はただの知り合いで、楽しい話をするだけの、歳の離れた友達みたいな関係だ。