感情シンタイプ   作:小沼高希

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6月下旬、廊下、納倉と

「あ、生きてたんだ詩明せんせ」

 

憂鬱なる月曜日。守森先生のものと比べればどうしても見劣りする退屈な移動教室での化学の授業が終わり休み時間が来て、僕は廊下を歩きながら数少ない友人である納倉(なぐら)と話をしていた。

 

「言い方ってものがあるだろ」

 

「いや、ちょっと本当に心配していたところがあるからさ」

 

「納倉がそういう風に他人を気にするのは珍しい」

 

「ウチだって詩明せんせは覚えてるよ?それなりに可愛がってもらったし。けど、なんか一年生の終わりの頃には目に見えて疲れていたから」

 

納倉は基本的に人の顔を覚えないので、これは少し意外だった。

 

「一昨日は元気そうに見えたけど」

 

「それで、今どうしているって言ったっけ?」

 

「出版社で働いているとかなんとか」

 

そう言って僕は定期入れに入れていた先生の名刺を取り出す。あのあと守森先生と色々展示について話しながら博物館を巡っていたが、約束の時間だといって途中で別れたのだ。その後は知らない。

 

「古塞さん?」

 

名刺を見て納倉は少し驚いたような声を出した。

 

「知っているの?」

 

「そりゃまあ、お世話になっているし」

 

「というと」

 

「学術書、特に理工系の出版ならそれなりに大きいところだよ?大学の教科書とか、資料集とか、あとは図譜とかも出してるし、ウチが持ってる本の中にも何冊かは古塞さんとこのがあるから」

 

「そんな有名だったんだ……」

 

どの本をどの会社が出しているかなんて今までほとんど気にしていたことなんてなかった。

 

「まあ元気してるってのは喜ばしいね。何やっているか聞いた?」

 

「いや、さっき言ったように編集だって」

 

「……編集って言っても色々あるでしょう?どんなジャンルが得意なのかとか、物理系の新しい本がないかとか、翻訳の話がないかとか」

 

「なんで偏っているのさ」

 

「いや、別にちょっと読みたいけれども英語なせいで手が出にくい本があるとか、そういうことじゃないよ?」

 

納倉(めぐむ)は僕と違って頭がいい。いや、僕だって決して悪い訳ではないし、化学では納倉と学年で一位二位を争うぐらいならできる。けれども数学的センスという点では勝てない。そういうわけで、結構色々と専門的な本を読んでいる。けれども英語はダメだ。基本的に単語を暗記するのが苦手らしい。

 

「今どきなら翻訳アプリ使えばいいでしょ」

 

「いちいち改行とかの設定調整しないといけないし、カメラ向けるの面倒だし、なにより意味がわからなかったらどうせ原文を追っかけることになるし……」

 

そう言って納倉の声がトーンダウンしていく。

 

「ええと、話戻そう。守森先生が何やっているかだったよね。博物館で働いている人に本を書いてもらう話があって、その打ち合わせだって」

 

「休日に?」

 

「……そういえば、会ったのは土曜日だったね」

 

「学芸員さんも大変なことで」

 

「なんでそう思った?」

 

「どこがわかんなかった?」

 

「守森先生じゃなくて、どうして博物館側の人のことを?」

 

「休日ならわざわざ博物館で打ち合わせする必要もないし、だとしたらその相手の人は休日出勤していることになるから」

 

「それなら守森先生の方は?」

 

「……どっちも、ということでいい?」

 

「いいよ」

 

何がいいのかは知らない。たぶん何もよくない。そんな話をしていると教室に到着。次の授業は数学だ。

 

「ああ、スマホ貸して?」

 

「……なぜ?」

 

納倉に筆記用具を貸すぐらいならいいが、色々なあまり見られたくないサイトの履歴とか隠したい変換候補とかが詰まった端末を渡すにはそれなりの理由が必要だ。

 

「まず連絡を取る先が業務用メールアドレスだから、ちゃんとした文面である必要がある」

 

「……は?」

 

「……ウチは詩明せんせと連絡が取りたい。けれども第三者のウチが直接メールをここに送るのはちょっとまずい。というわけで、最初は悠を挟む必要がある」

 

「何で僕を」

 

「直接会ったんだから返事のメールぐらいしても不自然じゃないから」

 

「そういうもの?」

 

「そういうもの」

 

何か丸め込まれている気がするが、まあ良いか。

 

「で、そんな社会の一般常識を知らない悠がちゃんとしたメールを送れるとは思わないから、優しい友人であるウチが文面を用意してあげようというわけだ」

 

「頼んでいないが」

 

「いいのか?詩明せんせのことを話す悠の口ぶりは楽しそうだったが」

 

「……メールはこっちで送るから、文章だけ考えて」

 

「よっし」

 

納倉は机に座り、教科書と一緒に持っていたタブレットの電源を入れて素早く何かを打ち込む。

 

「……こんなものでいいかな」

 

「早くない?」

 

「こういう定型文ものは生成させるに限る」

 

見た限り、なんか意識が高い感じの文章だった。書き出しの「守森 様」なんていう呼び方はなんか不思議だ。なんだよ出版業界に興味があるって。

 

「嘘書いてないか?」

 

「いや、出版業界の人に興味がある知人がいるだろう?略して出版業界に興味がある、だ」

 

呆れていると僕のスマホが震える。コピーした文面を納倉がメッセージとして送ってきたのだ。

 

「で、ここのメールアドレスと電話番号のところに僕のやつを入れればいい、と」

 

「そういうこと」

 

「……送ったよ」

 

「どうも」

 

ニコニコというかニヤニヤする納倉に少し感謝しながらスマホをポケットに戻そうとするとまたスマホが震えた。

 

「……守森先生からだ」

 

「暇なのかな」

 

「さあ」

 

まあともかく、こうやって僕はメッセージの送信元である守森先生の電話番号を知ることができたのである。

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