感情シンタイプ   作:小沼高希

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8月上旬、守森先生の家、二人で、さらに

満面の笑みで口いっぱいにお好み焼きを頬張る守森先生。見ているだけでなんとなく心が幸せになってくる。

 

「おいしいよ、鹿染さん」

 

「ありがとうございます」

 

まあこの美味しさはかつおぶしとマヨネーズとソースのものだと思う。40億年前からアミノ酸の重要性は変わらないのだ。

 

「本当は誰かの手料理、もっと食べたいんだけど」

 

「作りましょうか?……と言って欲しいんですか?」

 

自然に出てきた言葉を理性で抑えようとしても間に合わなかったので、なんとかフォローの言葉を入れる。

 

「……そう、だね。単純に誰かに家事を丸投げして楽したいのはあるけど」

 

「……正直な話は、嫌いじゃないですよ」

 

「そう、よかった」

 

案外おいしいので自分でも驚いている。焦げる寸前まで焼かれてカリカリになったベーコンも、しっかりと食べごたえがあるキャベツも、しっとりとした生地も、いいものだ。きっともっと突き詰めれば改善はできるんだろうけれども。

 

「ありがとうね、来てくれて」

 

「先生の休日を潰してしまったんじゃないかと思って」

 

「んなことないよ」

 

そう言って守森先生はまた一口食べる。

 

「どうせ仕事が忙しくない時はダラダラしているし、休日は色々刺激的なことをするのもありだし」

 

「僕といると、そんな面白いですか?」

 

「面白いっていうのはちょっと違うね……落ち着く感じがするし」

 

僕も先生といるとなんか悪い気はしない。納倉と過ごしている時とはまた違うんだよな。

 

「とはいえ泊まり込みで、というのも難しいですかね」

 

「さすがに私も床で寝るのはちょっと、ね」

 

「ああいうの、身体痛くなりますもんね」

 

「経験あるの?」

 

「ベッドにたどり着けずに眠くて気絶してしまった時に」

 

「なるほど」

 

「守森先生はどうなんですか?」

 

「……大学の話になるけど、いい?」

 

「お願いします」

 

「大学の研究室ってさ、もちろん大学にもよるけど一晩中明かりがついているとかあるんだよ」

 

「ええ」

 

「で、人間は百時間連続で動けるようにはできていない」

 

「そうですね……あれ、大学で寝るんですか?」

 

「だね。さすがに実験室では寝ないけど」

 

「危ないですものね」

 

フラスコとかビーカーとかある隣で寝るのは確かにちょっと怖い。

 

「保健室みたいなベッドがあるんですか?」

 

「ないよ?私の場合は床に寝袋」

 

「辛そう……」

 

「辛かったね。泊まり込んで追い込んだのは卒論前の一ヶ月ぐらいだったけど、身体がボロボロになったよ」

 

「そう、ですか……」

 

守森先生の目は、あまり笑っていなかった。食い違った表情はどことなく怖い。

 

「なのでちゃんと温かい布団で寝たい。……ああいや、これはいいや」

 

「何を考えたんです?」

 

「……言わせたい?」

 

少し気まずそうに言う先生。ああ、なるほど。共有すれば、ということか。

 

「狭いのも狭いのでまた面倒だと思いますよ?寝返りとかうちにくそうですし」

 

「……そういう、こと」

 

照れ隠しのように守森先生が最後の一切れを箸でつまむ。あ、食べたかったのに。とはいえお腹はそこそこ満ちたのでいいとしよう。結構量があると思っていたんだけれどもなくなるもんだな。

 

「おいしかったですか?」

 

「とても。ごちそうさま」

 

丁寧に手を合わせる先生。

 

「じゃあ、私が洗うからゆっくりしててね」

 

「やりますよ」

 

「いいよいいよ、ほら」

 

そう言って先生は僕の分の取り皿と箸を持っていく。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「助け合いみたいなもんだよ、気にしないで」

 

そう言われても、なんとなく居心地が悪い。いやここは先生の部屋なんだし、馴染んでしまうのもよくない。

 

水が流れる音が聞こえてくる。ゆっくりと言われても何をしていいのかがわからないのは不安になってしまう。こういう感じの感情というか感覚、あまり慣れていないからわからないな。

 

「本、読んでもいいですか?」

 

「いいよ、でもできたらどこから取り出したかは覚えておいて」

 

「わかりました」

 

前に見たように電気をつけて、本の背表紙を見ていく。一応ジャンルごとに分けられているようだ。物理化学の本に目が留まる。古塞出版の本だ。先生が関わったって言ってたっけ。気になったので手にとって、適当に開いてみる。

 

「……なんだこれ」

 

数学っぽい記号だ。いや、物理ならそうなるのはわかる。微分……かな?あとは意味のわからない記号がいっぱい。

 

「守森先生?」

 

「なぁに?」

 

水が流れる音が止まる。

 

「この物理化学の本って、先生は読めるんですか?」

 

「どういう意味で?理解できるかどうかってこと?」

 

「そうです」

 

「微妙。一応全部に目は通したし、数式が変じゃないかは最低限確認したけど、詳しくはわからない」

 

「先生でもわからないんですか?」

 

「ラグランジアンとか大学でも結局教養レベルでしか触らなかったからね。納倉さんは挑んでいるらしいけど」

 

「そうか、物理に行くとこういうのをやらなくちゃいけないんだ……」

 

「化学でも生物でも、分子とかを扱うなら量子力学とかからは逃げられないよ」

 

「そういうのを扱わない生物に行きます……」

 

「生態系とか分岐分類学とか?なら統計はやっておかないとちゃんと議論できないから結局数学からは逃げられないよ」

 

「そんな……」

 

結局どこに行こうとも微積分とかから逃げることはできないらしい。大学に入ったら、ある程度は自分で学ばなくちゃいけないのかな。

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