前に言った大学のやつ、できた?
塾から帰って家のベッドで仮眠を取っていると、先生からメッセージが来た音がした。
まだです
すっかり忘れていた。メモは鞄の中にある。
なんでやってないの?
ちょっとだけ、心に先生の言葉が引っかかる。できたって聞いてくるってことは、僕がやるって考えていることだよな。別に僕は先生のことを聞く義務なんてないんだけれども。こういうことを考えるの、疲れているからかな。
塾とか忙しいんですよ!
……ごめん
ちょっとだけふてくされて、僕はパソコンの電源を入れて調べ始める。どんな学部があるのか。倍率はどれぐらいか。学科ごとの偏差値はどうなっているか。本当は教えている内容とかを見るべきなのかもしれないが、そういうものはよくわからないのでひとまず数字だけをまとめていく。
今、こんなところです
メッセージと一緒に画面の写真を添付。一応スクリーンキャプチャの方法は知っているけど、きっとこれが一番早い。
いいね
他に気にしたほうがいいところとか、ありますか?
あまり思いつかないな。二次試験の傾向とかもあるけど、それは一部の難関校以外はあまり気にしても仕方がないものだし
そうですか
そうこうしているうちに、メモには色々と情報がまとまっていく。倍率は低いが偏差値が思ったより高いところ。狙えそうだし、案外面白そうなところ。純粋に興味がわかないものもある。こういうふうに見ていくのは案外面白いな。
先生もこういうこと、したんですか?
いや、やらなかったよ
なのに僕にさせるんですか?
怒ってる?
怒り……なのかな、これ。確かになんとなく不満だし、大声を出してしまいたくなるものがあるけど、それがおかしいってことぐらいは自覚できている。まずちょっとだけ落ち着こう。深呼吸して、メッセージを少しだけ巻き戻す。
少しだけ
何が悪かった?私の言い方?それとも他のなにか?
言い方はあったかもしれないけれども、先生はそれについては謝っているし思い返せばそこまでイライラしたわけではない。ええと、なんて言えばいいんだろう。
少し言葉にするのが難しいので、付き合ってもらえますか
いいよ
やっぱり単語だけではちょっと限界があるな。僕は通話ボタンを押す。
『鹿染さん、聞こえる?』
数回のコールで先生が出てくれた。
「聞こえます」
『まず、謝らせて』
「何をですか?」
できるだけ柔らかい口調になるようにする。僕は先生を責めたいわけではないから、勘違いさせたくない。ただでさえ色々と情報が削れているのだ。ここで面倒にこじらせたくない。
『……考え直したらさ、私は自分のコンプレックスを鹿染さんにぶつけていた』
「そうだったんですか?」
『私の受験があまりうまく行っていなかった、って話をしたっけ』
「……少しだけ」
滑り止めに受かった、という話をされたのを思い出す。
『もう終わったことだと思っていたんだけれどさ、やっぱり自分の中で抱え込んでいたみたいで』
「そう、なんですか」
本当ならこういう時、会いに行ったほうがいいのかなと思ってしまう。けれどももう今から家を出るのは難しいし、明日は朝も早い。現実問題として、これから先生に会いに行くのは難しいし、面倒だと思ってしまっている自分がいる。
『もっとちゃんと調べておけば、って。もっと色々考えていれば、って。思ってしまう』
先生はぽつりぽつりと話し続ける。
『こういうのは大人としてとか、教師だった人として本当は鹿染さんに言っちゃいけないことだっていうのはわかっているけど』
「そんなことはありませんよ」
僕は思わず言ってしまう。
「僕はもう先生のことを完璧な存在だとか、そういうふうには思っていませんよ。僕と同じで色々と問題があって、時々失敗して、それでもちゃんと頑張っている人だって知っています」
『……そういうこと、言ってくれると私は助かるけど、いいの?』
「先生が楽になるなら、それはいいことだと思いますよ」
『……そう、か。そうなんだ。そうだよね。ごめん』
「いいんです。……僕の方も、納得がいきました」
『これは興味なんだけど、鹿染さんは何に怒っていたの?』
「先生の言っていた通りですよ。なんとなく、先生は僕のためじゃなくて自分のために言っているような気配があって、それが嫌だったんだと思います」
『……わかった。今度からは、そういうのはちゃんと私がやってほしいって言う』
「ありがとうございます」
『……許して、もらえる?』
そう言われて許すってどういうことだったかな、と考え込んでしまう。相手の言葉を受け入れること?自分の中の怒りを抑え込むこと?
「……がんばります」
許せると断言できない以上、僕に言えるのはこれが限界だ。
『……ありがとうね。時間、大丈夫?』
パソコンの時計を確認する。そろそろ晩ごはんの準備をしなくちゃいけない時間だ。
「そろそろ、ちょっと切りたいですね」
『わかった。……来週、来てくれる?』
「行きます。それじゃあ」
『じゃあね』
先生はそう言って、電話を切った。