感情シンタイプ   作:小沼高希

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9月中旬、守森先生の家、二人で、つづき

「こういう感じでいいですか?」

 

僕はなんとなく書き込んだコピー用紙を渡す。

 

「見せて」

 

先生はそれを受け取ってぱらりぱらりとめくっていく。

 

「うん。ここの誤字はあったよね。……あ、ここは確かに言葉の繋ぎが悪い。どうやって気がついたの?」

 

「頭の中でゆっくり読んだ時に引っかかったので」

 

長文とかを書く時のテクニックの一つとして塾で学んだものだ。人間は長い文章を書くと最初に何書いているかを忘れて話が変な方向に行ってしまうので、長い文章を書いたら一息置いて頭の中で読み直すこと、というもの。

 

「なるほど、道具を持ち込めないならそれがいいね」

 

「先生はなにか便利なものを使っているんですか?」

 

「読み上げソフトを使ってる。知ってる?」

 

「合成音声のやつですよね、昔ながらのやつが癖があって好きですけど」

 

「確かに今のは人の声と相当注意しないと区別できないからね。私が使っているやつは古めだけどそういう誤字とかに気が付きやすいような調整がかかっているやつ」

 

「そんなのがあるんですね」

 

「聞いてみる?」

 

「お願いします」

 

「わかった」

 

先生は手早くマウスを操作してソフトを立ち上げ、ヘッドホンからではなくスピーカーから音が出るように変更する。

 

「で、問題の部分はここだよね」

 

流れるようにキーボードが叩かれて該当部分が段落ごとコピーされる。指の速さが見えないな。納倉と同じぐらいだろうか。先生のほうがキーをガシャガシャと叩く音がするから速いように見える分を割り引かなくちゃいけないけど。

 

「で、再生」

 

一種ローディングが始まって、柔らかく中性的な、はきはきとした声で文章が読まれていく。これと比べると僕の声は酷いものだな。滑舌がよくない。

 

「……気がついた?」

 

「確かに聞いていてなにかおかしかったですね」

 

「これを私は聞き逃していたってわけ」

 

「でもかなり微妙ですよね」

 

僕はそこに間違いがあるとわかっていたから多少集中できたけど、これだけの分量の原稿をしっかりと目を通すのはかなり精神力が必要になるだろう。

 

「そう。でもありがとうね。ここらへんは修正案を出しておこう」

 

先生は手早くファイルを操作してメモを付け足す。

 

「そういうふうに訂正とかを指示するんですね」

 

「原稿に直接書き込んでもいいけど、こっちのほうが検索ができる」

 

「難しいですよね、紙を使うか画面を使うかって」

 

「お金に余裕があれば大きめの電子ペーパーとか使いたいんだけどね……」

 

そう言って先生はため息をつく。

 

「あとは……大丈夫そうかな。ここの単語がわからないのはしかたがないよ、前の章で説明されていたからここでは必要ないはず」

 

「わかりました」

 

「読めた?」

 

「……単語の意味がわからないところはありましたが、なんとなくは」

 

酵素の特徴を探るために遺伝子を組み替えて、その酵素が作られて、働いて、分解されるまでの過程でどのような発現が起こるか、どのような物質が生まれているかを微量検出とかを駆使して調べる手法の説明。無理だろうとおもった説明から特殊な実験手法をしめすのはある種の物語としても面白い。

 

まあ、そんな感じの感想を言うと守森先生はかなり嬉しそうに脚をばたばたとさせた。

 

「だよね。よかった。正直こういう書き方はちょっとリスキーだから怖いんだけど、鹿染さんが理解できるなら問題ないかな」

 

「リスキーってどういうことです?」

 

「本っていうのは、特に専門書だと最初から最後まで全部読まれるわけじゃない。必要に応じてページが開かれて、わからなかったら前の方に戻りながら用語とか概念とかを確認していくっていう読み方も一般的なんだよ」

 

「……意外です」

 

基本的に本といえば全部読むものだとどこかで思いこんでいた自分に気がつく。

 

「でも辞書とかはそうやって使われるでしょう?」

 

「……あまり使ったことはないんですが、確かににそうですね」

 

知りたい単語があって、それについて調べるために場所を定めて開く。もちろん紙の辞書なんて最後に触ったのはいつだか思い出せないぐらいの感じで使わないが。

 

「だから、ある程度読まないと理解できないような、鹿染さんの言葉を使うなら物語として面白いような謎が入った説明はあまり良くないんだよ」

 

「そういうことだったんですね」

 

納得できた。確かに最後のページになって辞書の内容がどんでん返しになるとか、そういう事をされても困ってしまうよな。

 

「とはいえそういうのは効率を求める世界の話だからね、日常生活に求めすぎてもダメだよ」

 

「そこらへんの区別は……たぶん、ついてます」

 

「ほんとうかなぁ。私はあまりできないけど」

 

「あまりそうは見えませんが?」

 

確かに先生の話し方は理屈っぽいところがあるし、重要なところを先に言ってからその説明に入るなんてこともある。けど最後まで秘密を隠していたり、言いたくないことを言わなかったりということはちゃんとしている気がする。

 

「鹿染さんにそう言ってもらえるようならよかったけど。私はあまり、嘘をつくのが上手じゃないから」

 

先生はそう言ったけど、僕の前で見せるあの無気力とか誰かに依存したいみたいなことを隠してちゃんと社会の中で生きていける以上それなりに嘘は上手なんじゃないかなとか考えてしまう。言わないけどね。

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