周りから音がする。スニーカーと床が当たる乾いた響きが右後ろから右へ。何人かの名前を思い出せないような高めの声の会話。教科書を机にしまっているらしいノイズ。
足音が一組、僕の方に寄ってくる。机をぐるりと回るようにして、そして机にうつ伏せになってる僕の正面で止まる。
「……なあ、大丈夫か?」
そして、聞き馴染んだ声がする。
「……何も」
「ウチが悠に声をかけるぐらい、傍から見てもまずい状態だっていう意味、わかる?」
「納倉は薄情者だものね……」
心のなかで何かがちょっと引っかかるが、自分の考えを制御できるほど余裕がない。
「んー、まあ酷いこと言われた分は後でしっかり支払ってもらうとしてだ。原因は何だ?」
そう言って、納倉は椅子を引っ張ってきたらしい。かなり本格的に僕と話すつもりだろうか。
「……さあ」
「守森先生側からちょっと悪かったっていうのは言われているが」
「……違う」
確かに前に守森先生に変な所触られてちょっとだけ嫌だったのはある。けれども、ここまで先生を好きにならなくなってしまう理由にはならないはずだ。
「大学受験でのストレス」
「……ちょっと、違う」
確かに、勉強は進んでいない。解けない問題が多くなってきている。何を言っているのか、集中力を切らすと一瞬でわからなくなる。時間が迫ってきている。けど、それはまだどうにかなる。
「……ウチの存在」
「それはないっ、よ」
思わず顔を上げてしまう。ロドプシンのせいで感度が上がっているので虹彩がぎゅっと縮む。
「あー、少し嫌な予感がしてきた。こっち向いて、目を閉じて」
僕は言われた通りにする。考えるほどの頭の余裕がない。
「昨日寝たのは?」
「……ええと」
宿題をやり始めたのが十一時ぐらいで、そのあと四時間ぐらいかかって、朝起きたのは七時ちょっと過ぎ。
「……一時半」
「本当は?」
何で嘘だってわかったんだろう。それほど僕ってわかりやすいのかな。
「……三時」
「もう一声」
「本当に三時には寝てたって」
「どう考えても睡眠不足だろ」
「……そうかも」
最近課題が多くて、考えても考えてもわからなくて、それでぼんやりしてしまって、と無駄に時間を過ごして起きてしまっていた。
「そんな状態で感情が微妙な人間とコミュニケーションを取るな。保健室送りにしてやろうか?」
「何その言い方……」
「ここまでの体調不良ならさすがに仮眠ぐらいは了承もらえるだろ」
「いいって、そんな」
「悠、もう少しはっきり言わないとわからないか?」
「何、が?」
「ウチにとって悠は大事な友人なんだよ。だから必要とあらば後で謝れば済む程度の暴力は許容範囲だと思っている」
「……それは、別に、そう責めるつもりもないけど」
「よし言質は取った」
納倉は僕の髪をギュッと掴んで視線を強制的に上向きにさせる。
「行くぞ、後の授業はウチと同じやつだしどうにかしとく。どうせそんな集中して受けるほどでもないだろ?」
「そう、かも、しれないけどさ」
幸いにもかなりしっかりとある程度の量を掴んでくれているので毛根にダメージは入っていないはず。
「立てるか?」
「……たぶん」
机を押し下げるようにして、血が巡らない頭を持ち上げる。ふらつく視界には、本格的に心配そうな顔をした納倉。こういう顔をされると心配になってしまうが、その原因は自分だ。
「課題をやめろ。最悪どうにかなる。きちんと早く布団に入って、起きるまで寝て、そうしてしばらく自堕落に生きろ。というかもう明日休んで三連休にしろ」
「……守森先生、は」
「ウチから言う。恋を楽しむのは結構だが、それで身体壊しちゃ何の意味もないぞ」
正論がザクザクと僕の胸に刺さってくる。確かに、守森先生といたいからと結構色々なものを捧げてしまった気がする。
「肩貸すぞ、ある程度は体重かけていいから」
そう言って、僕より少し背の低いはずの納倉が僕の腋の下から腕を回してくれる。守森先生とはまた違う形の体温はありがたいな、とまだ全然回らない頭で考える。
「……加減ってもんがあるだろ」
「ごめん」
かなりしっかりと納倉側に寄せていた重心を戻す。大丈夫。ふらついていても足を動かすことはできている。
「必要なら番号くれれば親御さんに連絡ぐらい入れるが」
「……いや、そこまでじゃない」
「ま、次の授業終わったらもう一回確認に来るか」
そう言って、納倉は僕の歩調に合わせて隣で進んでくれる。
「……ありがとうね」
「今じゃなくてもいいが、ウチが壊れたらこういうこと頼むわ」
「いいの?」
「いや、何でお前が遠慮するんだよ」
「……頼られてるな、って思って」
「そのためにもとっとと回復しろ」
「……うん」
ゆっくりと、保健室のある階までの階段を降りていく。
「詩明せんせからの見舞いの言葉でもあれば、もう少し元気になるか?」
「……怒りそう」
「ああ、確かに。ならそこに注意するよう言った上で現状報告しておくか」
納倉はそう言って、力の抜けつつある僕の身体を支えるために腕に力を入れ直した。