感情シンタイプ   作:小沼高希

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6月下旬、教室、納倉と

「……ふうん」

 

昨日守森先生とどんな話をしていたか、という僕の説明を聞いた納倉の反応は、思ったより冷ややかだった。

 

「どうしたの?」

 

「いや、詩明せんせも大変なんだなぁって」

 

そう言って納倉は背を伸ばす。

 

「どういうこと?」

 

「いや、たぶん自分の考えていることを話せる相手がいないんだよ。だから悠に頼っている」

 

「それは……少し穿ち過ぎな見方じゃない?」

 

「……そうかも。ただ、自分の考えとかって誰かに話すとまとめやすいからさ。ウチも悠と話して考えを整理したりするし」

 

「僕は半分ぐらい聞き流しているけど」

 

「会話なんてそんなもんよ」

 

そう言って納倉は息を吐く。

 

「大丈夫?」

 

「いや、あまり元気そうじゃないなって」

 

「僕が?」

 

「詩明せんせが」

 

「……そうなのかな」

 

「ま、あまり深入りしない範囲で付き合ってあげなよ」

 

「そうするよ。あと守森先生のやったような授業を本で読みたいのはあるし」

 

僕がそう言うと、納倉は今までのちょっと憂鬱な感じを無くして僕の方に身を乗り出した。

 

「それはある。そもそも教科書の範囲しか試験に出ないからと言って、その先を学ぶことに意味がない訳ではないし」

 

「……ちょっと前提を整理するよ?」

 

「どうぞ」

 

僕は自分の席から椅子を持ってきて、納倉の机の横につける。

 

「まず、試験っていうのは大学入試だと思えばいい?」

 

「んー、まあそれでいいか。あ、でもウチが進学至上主義ってわけじゃないのは断っておくね」

 

「今更断る必要、ある?」

 

「ないかも。で、大抵の大学では高校で解けるように、専門的な内容を出す。それは大学受験というのが今後の大学生活でどれだけやってけるかを見るための指標でもあるから」

 

「僕にとっては、大学に入れる人数を絞るものに思えるけど」

 

「物事には色々な側面があるんだよ。ほら、生物学の理由の……なんだっけあれ」

 

「ええと、ティンバーゲンの4つの『なぜ』だっけ」

 

「それだ」

 

納倉は表を作る命令をタブレット端末に打ち込む。

 

「説明、お願いできる?」

 

そう言う納倉が見せてくれる2×2の表は、前に本で見たものとだいたい同じだった。

 

「ええと、生物学における問題……例えばそうだな、なぜ生物は食べなければならないか、を考えるよ」

 

「物理的に言えば、エネルギー保存則とかエントロピー増大則とかの領域か」

 

「それは右下、至近要因に相当するかな。身体の恒常性を保って、体内で化学反応を起こすためには食べてエネルギーを得なくちゃいけない」

 

「他の説明の方法だと?」

 

納倉のこういう誘導は、何かを話すときに結構助かる。守森先生もたまに使っていた。あまりやり過ぎると良くないけど、これはあらゆるものに該当する。

 

「例えば左上の発達要因では、どうやってその生物が発達の中で栄養を分解する機能を獲得していくかを扱う。僕も詳しくは知らないけど、たぶん発生学みたいなもので内胚葉がどう分化していくかとか、どういう遺伝子が発現しているか、かな」

 

「それはむしろ、なぜ生物は食べれるか、のほうが近くない?」

 

「たぶん最初の問題の立て方が悪かった。けれども、食べれるから食べるというのも答えの一つじゃない」

 

「なるほどねえ。残すは左下と右上か。どっちから行く?」

 

「じゃあ、僕が得意な左下を最後に残そう」

 

一応僕の得意分野は生物の進化とか系統とかなのだ。幸いなことに点数もそっちのほうがいい。

 

「右上は分子生物学とかの範囲になるかな。食べたものがATPに変換されて、それが体内で例えば解糖系の最初の方でどう使われるかとか」

 

「ちょっと用語説明お願いしていい?ATPは確か覚えてる。高エネルギー結合を持った分子だっけ」

 

「うん。で、解糖系っていうのは糖、例えばブドウ糖とかをピルビン酸に分解するような過程。その中で2個のATPが要求されて、4個のATPができる」

 

「ATPっていうのは糖から合成されるわけじゃなくて、なんか触媒とかでATPが前駆物質から合成されたりするって理解であってる?」

 

「……たぶん」

 

「よっし。で、最後がええと……」

 

「系統進化要因。安定して自己複製をするためには、遺伝子の変異を減らしたり、恒常性を維持したりするような機構が不可欠だった」

 

「それを持たなかったり、効率が悪いやつらは滅んでいった、と」

 

「そう。で、結果として食べなくてもいいけど動けないものよりも、食べなければ生きていけないけれども色々できる生命のほうが発展したわけ」

 

「……で、一体何をウチらは話していたんだっけ?」

 

納倉の言葉に、楽しく話していた僕の口が閉じる。おい、梯子を外すな。

 

「確か守森先生の話をしていて……」

 

「仕事が大変ってとこまでは覚えてる。……あ、大学受験の意味か」

 

「前提を整理する、とか言ってなかったか?話がすっ飛んでないか?」

 

僕の言葉に納倉はそっと目をそらす。

 

「……ウチが悪かった」

 

「まあ、楽しかったからいいけど。で、何が言いたかったの?」

 

「試験には直接関係しないけどその先に繋がっている知識を持っておくと出題者側と同じ目線に立てたり、あとは覚えるのも楽になるからそういう事ができるといいよねって話で」

 

「なるほど。むしろこっちの方をちゃんと話すべきだったんじゃない?」

 

そう僕が言うと、チャイムが鳴った。次の授業で僕は生物のために教室を移動する必要がある。納倉が受ける物理はここでいいのはずるい。まあでも生物選択者は生物で受けられる大学が少ないのもあってあまりいないからな。

 

教科書とノートと筆記用具とかを掴んで、僕は廊下へと駆け出した。

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