感情シンタイプ   作:小沼高希

54 / 100
10月中旬、守森先生の家、二人で

さっきメッセージを送ったから、たぶん先生は仕事とかの手を止めているだろう。だから、僕のために割ける時間があるはず。

 

そう思ってエレベーターを降りて、ポケットからキーホルダーを取り出す。先生の家の鍵だ。前は逃げるように帰ってしまったので、ちょっとだけ心がざわついている。

 

通路を歩いて、扉の前に立って、鍵を刺す。回す。ガチャリと音がする。ノブをひねって、引く。

 

「せんせっ……」

 

目の前に立っていた相手が僕に飛びつくように手を回してくる。閉じないように脚で扉を固定して前に進んで、かなり体重をかけてきた守森先生を部屋に押し込んで、扉を閉めることができるだけの余裕を確保する。

 

「……驚かせた?」

 

「とても」

 

「ごめん」

 

「……まあ、いいですよ」

 

僕だって先生が座っていたら後ろから抱きしめようぐらいは思っていましたとも。だからといってこれは、まあ、どうなんだろ。まだ心拍数が上がっている。これはびっくりしたからだろうか。それとも初めて見るかもしれないような先生の出かけるための私服のせいだろうか。

 

いつも先生は、だらだらと部屋の中で過ごすために薄手のワンピースとかを着ている。けれども今日はTシャツとジーンズで、動きやすい格好で、僕と一緒にこの後歩くための服装で。

 

「あと靴脱ぐのでちょっと力抜いてもらってもいいですか?」

 

「あれ、このまま行かないの?」

 

「……ちょっとだけ、ここで休んでもいいですか?」

 

「……いいよ。くっついていようか?」

 

久しぶりだからだろうか。先生の声が甘く聞こえる。なんでだろう。

 

「今はちょっとだけ離れてください」

 

「はあい」

 

少し悲しそうではあるが、素直に先生は離れてくれる。ちょっと厄介……とも違うな。許容範囲というよりも、嬉しいって感情があるからマイナスではない、でいいのかな。

 

靴を脱いで、キッチンの脇を通って、一旦奥の方に行く。

 

「守森先生?」

 

「ん?」

 

「……抱きしめて、いいですか?」

 

「いいよ。慣れたら正面からなら許可取らないでいいからね」

 

「正面って、結構難しくないですか?」

 

「そうかな」

 

先生は腕を広げて呟く。

 

「……重かったら言って下さいね」

 

「おもい」

 

「まだ体重かけてませんよ」

 

守森先生の首の周りに手を回して、抱きしめていく。身長差があるのでそこまで無茶ではないが、腕の中に何かがあるって感覚は少ない。さっき先生とくっついていた時は先生のほうが僕の首に手を回していたから、その分僕の腕の中には先生の胸部が入っていたわけで。

 

「……どうしたの?静かになって」

 

「いえ、先生とこういうふうにしているのはいいなって思っているだけです」

 

「へえ」

 

ええ、変なこととか考えていませんとも。ちょうど腕に当たるあたりの先生の背中、シャツの下あたりにある金具とか、ちょっと厚めの布地とか、そういうことには気がついていません。先生のブラジャーをあまり見たこともないですし。前に見た時は灰色のスポーツブラに近い飾り気の無いやつだったなとどうでもいい記憶を思い出してしまう。何度も想起していると記憶は定着しやすい、ってわけじゃないです。

 

「鹿染さんは私のこと、好きだよね」

 

好意の確認、ではないか。もっとこう、コミュニケーションを楽しもうっていう投げかけ。

 

「……どういう意味で、ですか?」

 

まだ真意が読めないので、情報集めに専念する。

 

「文字通りで」

 

「……はい。僕は守森先生のことが好きですよ」

 

こういうことを聞きたいんでしょ。察した僕を褒めてください。ということを考えてしまう。いやこれぐらいはさらっとできたほうがいいんだろうけどさ、結構難しいんですよ。怖いし。

 

「そうなんだ」

 

平然っぽく言うが、僕を抱きしめている手に力を入れているあたり嬉しいんだろうな。

 

「聞きたいならちゃんと言ってください。言いますから」

 

「そうじゃないんだよ、そうじゃ……」

 

「わかりますけどね、そこをあまり手を抜かないでください」

 

「……はい。わかった」

 

先生はそう言って、僕から一歩下がって手を伸ばして、僕の腕の上から僕の両頬に触れさせる。

 

「私も、君が好きだよ」

 

目がそらせない。まっすぐ見つめられて、先生の唇が動くのが見える。薄めの化粧が見える。

 

「……はい」

 

先生に対する言葉にできない好意というか胸の高鳴りがやってくる。こういう状態で先生に何か言われたら全部受け入れてしまいそうになる。

 

「赤くなってるよ」

 

先生の細い指が僕の耳の縁をゆっくりと撫でていく。

 

「……はい」

 

「鹿染さんはさ、なんだかんだいってこういうふうにされるの、そこまで嫌いじゃないでしょう?」

 

「……場合によりけり、です」

 

よかった、なんとか言えた。もしここで認めてしまったら守森先生に免罪符を与えてしまうところだった。少なくとも前触られた時は嫌だったというのは間違いないしね。

 

「今は?」

 

先生が逃げ道を塞いでくる。嘘をついたら絶対反応で気が付かれてしまうだろうなっていうよくわからない確信がある。

 

「……好き、です」

 

これは、言わされたわけだよね。僕から言い出したわけじゃないよね。そういうふうに思わないと、いろいろなものが崩れてしまうような気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。