「どう?」
「おもったより普通の筆記用具ですね」
万年筆でぐるぐると試し書きをする。ちょっとだけ青みがかかったインク。毛細管現象でインクが出てきているのだが、なめらかな金属を滑らせるような独特の書き心地。
「これならいいよ」
「見ているの、値段ですか?」
「……んー、否定はしない」
守森先生の金銭感覚というものを実はあまり良く理解していない。本は普通に買えるし、むしろちょっと買いすぎるぐらいのことがあるが例えば僕へ奢ることとかにはちょっとだけ引っかかるような表情をする。
いや、確かに僕は男性が奢るべきとかそういう古い規範は当時は合理的な側面もあったのかもなとは思うけれども、それは女性が奢るべきとかには直結しないし互いの経済力をとか言うなら先生のあまりよろしくないと感じられる給与とかを聞くとある程度は僕も出すべきだろうなとかは思いますとも。微妙なところです。
「このブランドのをもう少し見てみますか」
僕がそう言って目線を上げると、こういったペンがずらりと並んでいる。隣の棚にはインク。紙もあるし、ガラスケースに入ったなんか高級そうなものもある。
「こういうお店があったんだね」
先生が僕の隣を歩きながら言う。
「僕の育った街にも似たようなものはあったんですが、小学生の頃に潰れてしまって」
昔ながらの紙プリントの授業で使うファイルを買いに行ったのを思い出す。
「そうなんだ」
そう言う先生はインクの裏を見ている。
「何が入っているか、書いてないんだ」
「企業秘密だからじゃないでしょうか?」
「かもね。分析して組成がわかっても同じ色を作るのは普通に面倒そうだし……」
そう言って先生はまた別の色のインクを取る。
「かなり淡い色もあるんですね」
ひょいと覗き込んで言う。薄い水色。名前の漢字は読めない。糸編に票。
「黒い紙なら映えたりするのかな」
「ああ、不透明なものならそうなんですね」
なんとなくインクというものは下の色を透かすと考えてしまっていたが、赤ボールペンなんかは下の線消しそうだしな。
「で、インクはどれがいい?」
「先生のほうが楽しそうじゃないですか?」
「本当は少しづつ買ったりとかしたいんだけどね」
「買えなくはない金額ですが」
カップ麺ぐらいの価格の値札が貼られた小さな箱が並んでいる。これ一つ一つに何本ものインクカートリッジが入っているんだよな。
「使い切れないから、少しもったいなくて」
「……交換します?」
「なら、私の誕生日に万年筆買ってくれる?」
「いいですよ」
やった、と心のどこかで安心する。プレゼントを選ぶのってとても難しいんですよ。先生の方から欲しいと言ってくれたものがあるなら、それが一番ですよね。
「……まあ、鹿染さんが使っている様子を見てから最終決定はするけど」
「僕はある種のテスターなんですね」
「人柱と言ってもいいよ」
「なんですかそれ」
「知らない?」
「知りませんね」
「本来は工事とかで捧げ物として生き埋めにされる人間のことだよ」
笑顔で言う先生。へえ、また一つ賢くなってしまった。なるほどそこから類推で誰かのために犠牲になる人の意味なんですね。
「……いや、相当怖い言い回しじゃないですか?」
「安心して、実際の考古学的調査は人柱はあくまで伝承だっていう説が一般的だから」
「なにを安心してほしいのかちょっとわからないです」
そんな馬鹿な話をしながら、結局お手頃価格の万年筆に決まった。背の低い瓶に入ったタイプのインクも使えるけど、今はカートリッジでいいや。
無料で名前を入れてもらえるとのことなので、お願いする。「KAZOME Yu」というローマ字の名前、バランス悪いのでちょっと……となったので後ろをイニシャルにしてもらった。これならバランスがいい。
プレゼント用に包んでもらえるとのことだったが、先生から向けられた視線に僕は首を振った。どうせ今日中に筆箱の中に入れることになるのであまり過剰な包装をされてもね。
「先生は思い入れのある筆記用具とかあるんですか?」
少しだけウキウキして先生の家に帰る最中、僕は守森先生に声をかける。
「……そうだね、受験時代から使っているシャープペンシルがあるよ」
「そんなに」
ええと、大学の四年とそれからの三年だから七年?物持ちがいいのだろうか。
「大切にしているんですね」
「いや、ただ単に変えるのが億劫なだけ。もし壊れたりなくしたりしても、あまり心は動かないと思うよ」
「……そうですか」
ちょっとだけ、変なことを考えてしまう。僕が先生のことが好きなのは、ただ単にそこにいて手を伸ばせる範囲にあったからじゃないか、みたいな。面倒だからそれ以上に手を伸ばそうとしていないんじゃないか、みたいな。
「どうしたの?」
「いえ、変なことを考えてしまっただけです」
まあ、どうせ僕が出会える人間は有限だし、そもそも先生以上の人に出会える可能性がそれなりに低いんだから少なくとも今は先生との関係を楽しむべきなんじゃないだろうか。