感情シンタイプ   作:小沼高希

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7月上旬、喫茶店、三人で

喫茶店、と言ってもチェーンのものだ。守森先生はここのご飯が好きで打ち合わせとかで使うらしい。僕の方は来るのが初めて。納倉のほうは何度か来たことがあるらしい。

 

「それでは、録音させてもらいますね」

 

前会ったときと同じようにパンツスーツ姿の守森先生が机の上に出すのはボイスレコーダー。録音を示すように赤色が点灯している。

 

「録音内容はどうするんですか?」

 

そう聞くのは納倉。

 

「今後の活動に活かさせていただきます」

 

守森先生がにっこりと微笑んでいるが、こういう顔を見るのは初めてだ。目があまり笑っていないので営業用の顔だろう。

 

「ま、いいか」

 

少し緊張感を出していた納倉が肩の力を抜く。

 

「それにしても、こんな古そうなものがまだ使われているんですね……触ってみても?」

 

僕はボイスレコーダーを見ながら言う。

 

「上部のマイクに触らなければ問題ありませんよ」

 

「あ、これマイクだったんですか」

 

こういう装置を見るのは初めてだ。基本的に今どきはスマートフォンで何でも済ませてしまう。

 

「どうしてこういう装置を?」

 

納倉も疑問を持ったらしい。

 

「例えばスマホだったら取材中は使えないでしょう?あとは専用機のほうがノイズが入りにくいし、あとはあなたの会話を録音していますってアピールにもなる」

 

「余計なことは言えない、と」

 

「納倉、それはいつだってそうだろ」

 

僕は隣に座る納倉を肘でつつく。

 

「……まあ、改めて。鹿染さんも、納倉さんも、進級おめでとうございます」

 

「あっありがとうございます」

 

頭を下げる僕。

 

「守森先生も就職おめでとうございます」

 

こういうレスポンスは上手なんだよな、納倉。僕はどうしてもワンテンポ遅れる。たぶん会話用の介在神経があったりするのだろう。

 

「うん。確かに高校の時よりはやりがいがあるよ」

 

「……その、もし話したくなければいいのですけれども」

 

守森先生を見て、僕は口を開く。

 

「先生がどうして高校を辞めたのか、聞いてもいいですか?」

 

「現役高校生が聞いて面白い話にはならないけど、それでもいいなら」

 

思ったより明るい声。気丈に振る舞っているのかな。あるいはもう吹っ切れているのか。僕からはわからない。

 

「そもそも、私は一年間の契約だったんだ。臨時任用っていう形で、空いた先生の枠を埋める形で来ていた」

 

「もし詩明せんせが働き続けていたら、臨時任用を続ける形になっていそうだったってこと?」

 

「そうですね」

 

「ちょっと待って、臨時ってどういう意味?一年間の契約を何度もできるの?」

 

僕の質問に、守森先生はうなずく。

 

「もちろんそういう短期契約を連続してやると長期的な雇用に変えなくちゃいけないという規則がありますから、年度末の数日は契約が終わっていて毎回再任用と言う形になります」

 

「邪悪すぎませんか?」

 

「そういう方法で今の学校教育は回っているから……」

 

そう言って守森先生は溜息を吐く。確かに現役高校生が聞いて面白い話ではない。

 

「……まあ、それは良かったんですよ。残業せず帰るだけで白い目で見られたのはちょっとあれでしたけど。ただ、問題は授業をちゃんとやっても評価されないということですね」

 

「どういう意味ですか?」

 

「教員があまり他の先生の授業に興味を持たないんですよ。どういう方法で教えているか、どんな教材を使っているか、それを見られたくない先生もいますし、基本的に触れないように、となっていて」

 

そう答えてくれる守森先生を見て、思った以上に先生という職業は面倒そうだと思ってしまう。

 

「どうして?」

 

「今どきは映像授業とかで自習している人も多いでしょう?ああいうのと比較されたくないし、授業をしている教室を自分の領域だと思っていて、とかいろいろ。あ、これはあくまであの高校の話で、もっと開放的なところはあるらしいけど」

 

「そもそもそういうのがあるっていうのが問題なんだけどな……」

 

納倉と守森先生が二人して暗い空気になってしまった。

 

「あっそうだ!古塞出版ってどういうところなんですか?納倉が言うには専門書を出しているそうですけど」

 

少しでも流れを変えようと僕は気になっていたことを聞いた。

 

「そうだね、例えばだけど」

 

そう言って守森先生はいつもの手提げ鞄からA4サイズの本を取り出す。厚みは僕の指二本ぐらい。表紙には物理化学と書かれている。その前にあるカタカナは人の名前かな。

 

「あっこれ知ってる」

 

納倉が知っているということはその業界では有名なのかな。でも物理なのか化学なのかはっきりしてほしい。いや、守森先生の授業を思い出せ。大抵の科学の分野では境目があやふやで、詳しい原因を探っていくと別の分野に足を突っ込むことになる、と言っていたはずだ。

 

例えば生物の体内の反応を詳しく知りたかったらどういうふうにアミノ酸が並んで酵素を作っているかを知らなくちゃいけないし、分子構造がどういう機能を持つのかはなんか虚数を使う計算をしないといけないとか。そういう本なのかな。

 

「おや物知り」

 

「プログラム使って解くような演習問題が多くていい話をネットで聞きました」

 

「ああ、確かにそういうSNSの監視とかもやっているね」

 

監視と言えば恐ろしいが、自分の関わった商品がどういうふうに評価されているのかをちゃんと調べているいいところなのだろう。

 

「例えば、去年はこの本を作っていました。これ自体は先輩と一緒にやったんだけれどもね」

 

そう言って嬉しそうに笑う守森先生。今度は目も笑っていた。

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