感情シンタイプ   作:小沼高希

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12月下旬、守森先生の家、二人で

「あれ、冬休みは勉強するから来ないって言ってなかった?」

 

予想していたより先生の驚きは少ない。口調も確認みたいな感じだ。

 

「辛かったので気分転換も兼ねて、です」

 

「どうする?私で良ければ話すけど」

 

そう言って先生はパソコンで触っていたファイルを保存する。一応仕事の内容っぽいので見ないようにしている。休日になぜ仕事の内容のファイルを開いているのかも考えないようにしている。

 

「……いえ、いつもみたいにそこらへんで本を読んでいます」

 

先生の本棚を漁った結果、比較的読みやすい生物学の本をいくつか見つけた。専門的な内容ではあるが、高校レベルの基礎知識があれば読み解ける。物理の本だと最初からベクトルだの何だのが出てくるからな。下向きの三角、あれなんなんですか?

 

と思って聞いたら先生曰く $\overset{アトレッド}{\boldsymbol{\nabla}}$ 。デルタ(Delta)を逆から読んでアトレッド(atleD)らしい。一瞬信じたが、実際のところはナブラと呼ぶことが多いそうだ。古代ギリシャ時代のの竪琴の名前だって。

 

ちなみに意味自体は積分のダッシュみたいなやつらしい。普通はダッシュで微分すると時間だけど、これは位置で微分するものだとか。僕は物理やってないのでそもそも時間微分することがないのですが。

 

「もう来年だよ?」

 

「先生は今年、どうでしたか?」

 

「んー」

 

先生がハミングのような声を出す。少し音程が変わって、リズムがついて、って歌っているのかな。落ち着いた声で、僕は好きだ。綺麗というのはちょっと違うけど、先生の声だと少し早口でも聞き取りやすくて理解しやすい。

 

「やっぱり、鹿染さんと再開できたことかな」

 

「それがそんなに大きいですか?」

 

「まあね、私の家に誰かが来るようになったし」

 

「……一人暮らしって、先生は大丈夫なんですか?」

 

「一人は一人でいいこともあるけど、誰かが来てくれるとそれはそれで助かるね」

 

「例えば?」

 

「……部屋を片付けるようになったり、だとか」

 

言われてみると、今まで積まれていたような本とか書類とかが少しまとまった気がする。作業中の机の上に本とかは置かれているけど、僕が来たときより相対的に整理されているのは間違いない。

 

「そうだったんですね」

 

何か嫌な感じがする。まだうまく言葉にできない。深呼吸を一つ。

 

「どうしたの?」

 

「少し心がざわつきまして」

 

「何でだかわかる?」

 

けっこうずけずけと先生は踏み込んでくる。まあいやならちゃんと断れば止まってくれるし、僕だって先生にちょっと危ないことを言ってしまうのでお互い様の部分はある。

 

「……ちょっと待ってくださいね。きっかけは先生が掃除をしていたってことで」

 

「……あまりそこらへん意識されても嫌だな」

 

「どうしてです?」

 

「んー、ああ、あくまでこれは私が私のためにしたことって形にしておかないと、鹿染さんに言われたから片付けるみたいになるから……」

 

「僕からあまりそういうところ言われたくない、ということですか?」

 

「そうそう。あ、もちろん嫌なところとか気になるところとか言ってね?改善できることは保証しないけど、例えば決定的に嫌いになられた時に後出しで理由を持ってこられるよりも心理的ダメージが少ないから」

 

「はぁい。……ああ、なんとなくわかりました」

 

「というと?」

 

「先生は僕を意識して行動を変えたわけですよね」

 

「……あまりはっきりとは言わないけどね」

 

「でも僕は、自覚できる範囲ではあまり先生のために何もしてないんですよ」

 

「は?」

 

先生の声には、少しだけ怒りみたいなものが混ざっていた。どうしてかちょっと理解に苦しむな。理不尽な気もするが、まあ一応確認しておこう。

 

「ええと、先生から見ると確かに色々しているように思えるっていうのはわかります」

 

「いいよ」

 

先生の声がすっと落ち着いた。比熱が低いな。いや質量とか密度とか考慮しなくちゃいけないとすると熱容量のほうが正確か。めんどうなので恒温槽に入れておいてほしい。

 

「けど僕の主観では、先生が僕といない時でも僕のことを考えているのって、なんていうのか重いんですよ」

 

「そう?見ていない所までそんなに気にする?あーでもそう思う感情は理解できるな」

 

こういう守森先生との会話では、どこまで理解できて何がわからないかをやりとりするのがそれはそれで楽しい。先生と僕とは平均的な人間から見れば同じ方向に偏っているが、実際に話すと色々と考える方向性が違っている。

 

「で、それってある種の引け目になるんです」

 

「……自分が何もできていない、っていう?」

 

「何もとまでは言いませんけど、休日以外で先生のために割いている時間とかほとんどないですから」

 

「女にうつつ抜かして……ってこれは女に限らないか。まあでもそういう浮かれは受験生にとっては危ないものでは?」

 

「わかってますよ、今日来たのだってあくまで息抜きなので、帰ったら過去問です」

 

「共通テストまであと半月ちょっと?」

 

「そうなりますね。ああ、帰る時は良いお年をって言わないと」

 

「……私が君をどういうふうにどのくらい想っているかとか、あまり知らなくていいよ」

 

先生はそう言って、椅子を回して背を向けた。声が少しだけ震えていた。

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